マネジメントシステム物語79 伝承(1)

14.09.14
マネジメントシステム物語とは

今日は日曜日、そして佐田の誕生日だ。自分でも驚くがもう58歳になった。自分としては歳をとったという気はしないが、毎朝鏡を見るたびに髪の毛が白くなったと感じることは否めない。それよりも気になるのは目の下のたるみだ。髪の毛は若くても白い人はいるが、たるみやシミは老人しかいない。
以前の佐田
矢印
現在の佐田
佐田が入社したときは定年が56歳だったはずだ。当時なら58歳になれば既に定年退職していて孫守りでもしていたことだろう。今は定年も伸びたが、若者の結婚も遅くなり、我が家の子供たちはまだ結婚しておらず孫など思いもよらない。
ところで58歳になったからといって、特段何かがあるわけではない。役職についているわけではないから役職定年は関係ない。しかし言い換えると、今している課長代行のような立場を、これからも続けるということなのだろうか。まあ、お役御免となろうとなるまいと、それはそれで構わないが。
佐田も本社に来てだいぶ経つ。42歳で来たから、16年になる。いやはやひょんなことから本社にきたものの、本社に来てからだけで、この会社で働いた期間の4割にもなったのかと佐田は驚いた。品質保証に関わってからでは20年、会社人生の半分になる。今でも自分は現場の人間と思っているが、現実は大違いであろう。
佐田はあまりセンチな男ではないが、いろいろなことが頭をよぎった。同期の鈴田に課長になるとき追い越されて悔しい思いをしたのはもう何年前になるのだろう。その鈴田は投資で失敗して家族もろとも姿を消した。今も生きているのだろうか。そういえば自分が係長のとき意地悪された川田部長はとうに引退したが、彼も元気なのだろうか? 出向した先の大蛇おろち機工は当時倒産が懸念されるほど危なかったが、今ではグループの関連会社の中でも優良企業とみなされている。立て直しには佐田も少しは貢献したつもりだ。大蛇機工で一緒に働いた人たちは、みな幸せになったのだろうか。
そんなことを思うと歳をとったことを実感する。歳をとるということは肉体的な体力が衰えることよりも、過去の思い出に気持ちが押しつぶされることなのだろうか。いや過去の思い出が多すぎて新しいことに対応できなくなると老人になるのかもしれない。とすると、忘れっぽい、鈍感な人が年を取らないのだろうか。いや常に気持ちの切り替えができて新しいことにチャレンジできる人が年をとらないのだろう。そんなことをいろいろ思う。
さて、今の会社で働けるのもあと2年か、娘は大学を出て既に働いている。息子はまだ大学3年生だから、こいつが社会に出るまで働かなければならない。先日大学院に行きたいなんて言っていたが、今大手企業では工学系は修士がほとんどだからそれもしょうがないだろう。とすると順調にいってもあと3年。まさかドクターまで行きたいとは言うまい。もし博士課程に進んだら、そのあとが余計心配だ。食うや食わずのポスドクを養う余裕はない。
それと妻の直美が最近しょっちゅうマンションの広告をながめているのが気になる。直美とはコミュニケーションはとっているつもりだが・・・その話をしたことはない。もう田舎には帰るつもりがないのだろうか。本社に転勤になってからはずっと市川市内の賃貸に住んでいる。とはいえ同じところではない。契約更新のたびに新規に借りると同じくらい金がかかるので、気分転換もあって引っ越していた。とはいえ2年毎では引っ越し費用も手間も大変なので、4年ごとにマンションを移り住んでいて、今は4軒目になる。今住んでいるところもあと数か月で4年になる。直美はもう引越しが大変だから、マンションを買う気なのかもしれない。出張ばかりしていた佐田は、今まで越しの手伝いも、市役所の手続きもしたことがない。そもそも市川市役所がどこにあるのかさえ知らない。田舎に土地家があるわけではないから今更田舎に帰る意味もない。定年後もここに住むのが妥当だろう。
しかし直美がマンションを買う気なら、俺が定年まで本社にいられるのかどうか部長に確認しておかないといけないな。工場に転勤とか関連会社に出向となるかもしれない。そうなると直美は俺と一緒に来るよりも、ここで息子と一緒に暮らす方を選ぶだろう。そうなれば佐田は単身赴任するしかない。大蛇に出向した当初は佐田も単身赴任だった。あれから18年も経つ。またかという気もした。それもちょっと悲しいが今の時代、単身赴任を経験しないサラリーマンもいないのかもしれない。

佐田はテレビを観ない。高校を出て会社に入ったとき、先輩格の人が家にテレビはないと言ったのを聞いて驚いた。しかしテレビは佐田が小学生の頃はない。なくても暮らすには困らなかった。
テレビもねつ造、新聞もねつ造信用できないわ
テレビを観てもためにならないわ
●●
先輩の言葉を聞いてもっともだと思った。そしてそれ以来、佐田はテレビを観ないでその分勉強した。
だから他の人のように流行歌も知らないし、連続テレビドラマの話にも入っていけなかった。だがあのとき「太陽にほえろ」や「赤いシリーズ」を観ていたとしてもに人生に役に立ったとも思えない。まあテレビを観なかった悪影響としては、如才ない人間関係を構築せずに上司に可愛がられなかったということはあるかもしれない。
もちろん家にテレビはあるが、普通は妻と子供たちが観るだけだ。佐田がテレビを観るのは、災害のニュースや大きなイベントがあるときだけだ。

土曜日はほとんど出勤しているので、日曜日はゴロゴロしている。とはいえ家の中にばかりいるわけにもいかない。先日は里見公園に行ったから今日はじゅんさい池にでも行ってみようかと思う。今の季節渡り鳥がいるかもしれない。佐田はこちらに来てから車を持っていないから自転車だ。それとも電車で向島百花園にでも行こうかと、そんなことを考えていると妻の直美が話しかけてきた。
直美
「あのね、昨日ね、マンションの大家の安藤さんがあなたがいないかって訪ねてきたのよ」
佐田の住んでいるマンションは個人経営の小規模なもので、オーナーが最上階に住み、1階が貸店舗、2階は貸事務所で、3階から5階までが賃貸マンションである。
佐田
「なんだろう?」
直美
「何の用とも言わなかったのよ。家賃の値上げかしらね。でもそれなら私に言えば済むことだし・・」
佐田
「気になるな。用もないからちょっと行ってくるわ」
大家さんである。
大家さ
大家 佐田はエレベーターで最上階に行ってインターホンを鳴らす。
70代半ばの大家さんが顔を出して佐田の顔を見ると入れという。
居間に案内されお茶が出される。相手は奥さんと二人である。
佐田
「昨日ですか、おいでいただいたとか」
大家
「そうなんです。少し前、家内がお宅の奥さんと立ち話したときに、佐田さんがISOのお仕事をされていると聞きまして・・・」
佐田
「はあ、確かにISO関係の仕事をしておりますが?」
大家
「実を言ってとりとめのない話なのです・・・」
佐田
「はあ?」
大家
「私の家系は元々ここ住んでいまして、先代までは菓子屋が本業でした。ご存じと思いますが今でも菓子屋をしています。20年前まではこの場所に店がありました。
バブルの終わりごろでしょうか、建設会社の人が来て、ここは大通りに面しているからビルにすべきだ、そして貸事務所とマンションにすれば絶対に損はしないなんて言ってきたんですよ。同業者や古くからの住人の幾人もがそういうことをしていましたんで、つい私もその気になりましてね・・」
お茶
佐田は一体何の話だろうと気になった。とはいえ今日はヒマだ、老人のお相手をしても良いだろうと思いお茶をすする。
大家
「まあそんないきさつでこのビルを建てまして、店は千葉街道ぞいに開きまして、今息子がそこに住んで菓子屋をしています」
佐田
「いやあ、うらやましいお話ですね。私なんて親が貧乏で財産なんてなにももらっていません。高校出てからずっとサラリーマンをしてきて、もうすぐ定年になるのでどうしようかと途方に暮れています」
大家
「なにをおっしゃる、話はまだ途中でしてね・・・せがれは職人とパートあわせて10人ばかり使ってやってますが、時代の趨勢か売り上げは減少傾向です。せがれには息子がいましてね、2年ほど前に大学を出て店を手伝うようになり、はじめはあとを継ぐなんて張り切っていたのですが、だんだんと経営状況や他の店の様子も知ってきて、最近では店を継ぐのを止めてサラリーマンになろうかなんていうようになりました」
佐田は金のある人はあるなりに悩みがあるのだろうと思いつつ、半分どうでもいいと聞いていた。
大家
「たまたま頼んでいる税理士の先生が来たとき、そんなことを挨拶代わりに言ったら、言われたんですよ」
佐田
「はあ? 何を言われたんでしょう?」
大家
「ISO9000というのをすると後継者の教育や事業継続に役に立つっていうんです」
佐田
「はあ!」
大家
「税理士の先生はウチの菓子屋がISO認証すると売上も増えるし経営が安定するから、孫もちゃんと跡を継いでくれるだろうってんですよ。
そのときはそれで終わったのですが・・それでな、佐田さんがISOに詳しいってことを思い出したんですわ。いったいISOとはどんなもので、本当にそんな効果があるものかを教えてもらおうと思いましてね」
佐田は絶句してしまった。ISOは会社を良くするとか経営に寄与すると語るコンサルタントも認証機関もある。いや数多くある。しかし具体的事例において効果があると語るのは俗にいう「地雷を踏む」ということじゃないのだろうか。常識あればそんなアブナイことは言わないだろう。それとも売り込み口上なのだろうか。これはうかつなことは言えんなと佐田が腕組みをして黙っているのを、大家の安藤さんはじっと見つめている。
とうとう佐田は口を開いた。
佐田
「私はISOにはもう17年くらい関わってきまして、詳しい方だと自負しています。税理士さんがおっしゃるとおりISO9001とかISO14001認証制度というものがありまして、その認証を受けている会社はけっこうあります。しかし認証を受けることによって事業拡大とか後継者云々ができるわけじゃありません。その税理士の先生のお話は少し大げさというか、いいことばかり語ったように思えます」
大家
「そうですか、私もその話を聞いてそう思いました。確かに事業拡大なんて簡単に行くはずがありませんよね」
佐田
「いえいえ、私はその先生のお話を否定するつもりはありません。そもそも私は商売に関わったことはありませんので発言する資格がありません。しかし素人考えですが、事業というのはいろいろな要因がありますから、何か一つを改善したからうまくいくというものではないでしょう」
大家
「そうでしょうねえ〜」
そう言って大家は黙ってしまった。
佐田はさてどうなることやらと大家が口を開くのをじっと待った。
大家
「実はね、息子がその話を聞いて乗り気になってしまいましてね、まあ、ここのところ商売が伸びずにどうしたらいいだろうと考えていたところで、藁をもつかむというところかもしれません。佐田さん、ちょっと息子と話をしてくれませんか」
佐田は困った。こんなことに関わるのはろくなことがない。現実を語ればその税理士の先生とやらに文句を言われるかもしれず、あるいはその先生はISO以外にも売り上げ拡大の切り札を持っているのかもしれない。とはいえ、いい話ですねと言えば、うまくいかない場合あとで文句を言われるかもしれない。単なる借家人である自分がそんなことに関わる義理はない。ここに住んでいるからにはしがらみから逃げられないなら、早いところこのマンションを引き払うのが最善のようだ。
佐田
「大家さん、これはちょっと難しいお話ですから私は遠慮させていただくということでお願いしますよ」
佐田は立ち上がりかけた。
大家
「ちょっと、ちょっと。佐田さん、それはないでしょう。夕方、息子と孫がここに来て私と話し合いすることになっているのです。ぜひ佐田さんのご見識からご指導いただきたいと思いまして」
佐田
「私ごときが差し出がましいことは言えません。失礼いたします」
佐田は大家老夫婦がしがみつくのを振り払って自宅に戻った。
佐田が帰ると直美がびっくりしたような顔をしている。
佐田
「どうかしたかい?」
直美
「あなたシャツの袖が破けているわ」
佐田は気がつかなかった。いやはや、ひどい目にあったものだ。シャツを着替えながら佐田は言う。
佐田
「ちょっとさ、大家から無茶な頼みをされてさ、断ってきた。もし後で俺に来てくれなんてやってきたら体よく断ってくれよ」
直美
「それじゃここにいたらまずいんじゃない。外出したかどうか、防犯カメラを見ていれば分ってしまうわよ。時間も時間だから、その辺に行って飲んで来たら」
直美も様子を理解したのかそんなことを言う。
佐田
「そうだな、駅前あたりで飲んでくるわ。何かあったら携帯に連絡してくれるか。変なことに関わり合うのはごめんだ。オイ、まもなくこのマンションの契約が終わるだろう。そしたらどっかいいところ探して引っ越そう」
直美
「実はあなたにマンションのことで相談したいことがあるの。今はそれどころじゃないから、来週日曜日開けてくれないかしら。見に行きたいマンションがあるのよ」
佐田
「了解、細かいことは後で聞くわ。とりあえずふけるよ」
息子佐田はエレベーターで1階まで降りるとあたりを見回して誰もいないのを確認して外に出た。駅まで歩いて5・6分、一人で飲むのもつまらないと思いつつ歩く。
すると向こうから歩いてくるのは息子 じゃないか。佐田は声をかけた。
佐田
「おーい、帰るところか?」
息子
「なんだ、お父さんどうしたのよ」
佐田
「ちょっとわけありでさ、家にいられないんだ」
息子
「せっかくの休みの日に夫婦喧嘩かよ、それに今日はオヤジの誕生日じゃないの、」
佐田
「そんなんじゃない、いいから付き合え、時間をつぶしたいんだが一人じゃしょうがない」
息子
「ヤレヤレ」
息子は回れ右して佐田と一緒に駅前まで行って居酒屋に入る。
息子
「いったいなにがあったのよ?」
佐田
「お前、持っているのはノートパソコンだな。e-mobileかなにかでネットにつながるか?」
息子
「つながるけど、それがなにか」
佐田
「貸せ」
佐田は息子からノートパソコンを借りるとJRCAのウェブサイトをのぞいた。大家に聞いた税理士の名前を審査員登録者名簿の検索をする。載っていない。それではとCEARの審査員登録リストの検索をする。おお、あったあった。そして税理士の名前でググるとすぐに事務所のウェブサイトが見つかり、そこにはISOコンサルもしていますと書いてある。どこも大変なのかなというのが頭に浮かんだ。
息子
「いったいどうしたのよ?」
佐田
「いや、大したことじゃない。まあ、飲もうよ、今日はおれの誕生日だ」
酒 思いがけなく息子と二人で飲むことになったがまあ悪い気はしない。何杯か飲むとお互いにいい気分になってきた。
佐田は家で晩酌するとき息子にも飲めというのだが息子は付き合わない。むしろ娘が一緒に飲むことが多い。娘は社会人になって一人前だと考えているせいだろうか。佐田は息子が一緒に飲んでくれないのがいささか残念である。
息子
「いったいどうしたのよ?」
佐田
「大家の孫って知っているか?」
息子
「会ったことはあると思う。引っ越してまもない頃、お母さんが大家さんはお菓子屋さんをしているというので興味を持って店を見に行ったことがある。歩いて10分もかからないよ。お菓子屋というよりも饅頭屋だね。その店の主人、お父さんよりは若いと思える人が大家の息子で、その人と一緒に店にいたのが孫だと思う。オレより二つくらい上くらいに見えた」
佐田
「なるほど、その他に何かその饅頭屋について知っていることはないか?」
息子
「14号線沿いだし、場所はいいところだと思う。ただ今の時代饅頭屋というものに将来性があるかというとどうかなあ〜、なんだい、経営コンサルでも頼まれたの」
佐田
「まあ当たらずと言えど遠からずというところかな、実は饅頭屋の経営改革を相談されたんだが関わりたくないので逃げてきたところだよ」
息子
「なるほど、じゃあもう少しここにいなくちゃならないかな?」
娘 8時半を過ぎてもう大丈夫だろうと、佐田は息子と一緒に家路についた。マンションに入ると息子を先に行かせてエレベーターホール、廊下にいないことを確かめさせてから我が家に入った。
すると玄関に見かけない靴が三足ある。オイオイ、これは!
娘 が出てきた。
娘
「お父さん、お客様がお見えになってるの、大家さん一家なの」
佐田は回れ右してまた出かけようとしたが息子が抑えた。
息子
「しょうがないよ。ちょっと話を聞いて帰っていただこう。いつまでも逃げまわるわけにはいかないよ」
佐田も覚悟を決めて居間に入った。大家のジイサンと50前後の息子らしい男、そして孫らしい25くらいの若者の三人がお茶を飲んでいる。

うそ800 本日の言い訳
今までと全く違うシチュエーションでギョットされたのでは・・・
この物語を終わるにあたって最後のお話でございますよ。

次回に続く


外資社員様からお便りを頂きました(2014.09.18)
<菓子屋の話し>
随分と大変な目にあいましたね、結局誕生祝いはやってもらえたのでしょうか?
その昔、ビジネススクールで学んだ時に出てきた笑い話をおもいだしました。
アメリカの街道沿いに、昔からやっていた それなりに繁盛しているレストランがあり、そこにビジネススクールを卒業した息子が帰ってきてハーバード流のビジネススタイルを取り入れました。
2年後に店はつぶれ、父親が言いました。「こんな新しい手法を取り入れても駄目だっかのだから、どれだけ世の中は不況なのだろう」
荘子に「機械あれば機事あり、機事あれば機心あり」と言います。
かの国で生まれた明言で、認証という看板が商売に便利ならば、それを上手く利用する人が出てきます。
上手く利用する人がいれば、それに寄りかかる人も出てきます。
荘子では、人を駄目にするから始めから使うなと言いますが、ISO認証は共通言語で全く知らない会社の理解の為の補助的な手段と考えると有効性も不可能な点もはっきりするように思いました。
出来る事と、出来ない事をはっきりして、期待される効果に対して適切な価格ならば認証も悪くないのだと思いますが、それ以上の価値を夢見ると、提供する側も使う側も ミスマッチが続くのでしょうね。
もうそろそろ、適切な所に落ち着いて良いのだと思いますけれど。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
おっしゃること良く分ります。実は今回のお話では、「ISOを信じるな、ISOを考えろ」ということを書こうと思っています。そして「ISOに適したこともあるし、ISOに適さないこともある」とか「ISOは万能ではないが、無能ではない」ということを考えてもらおうと思っております。
私にストーリーテリングの能があればですが・・・

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