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「あのね、昨日ね、マンションの大家の安藤さんがあなたがいないかって訪ねてきたのよ」
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佐田の住んでいるマンションは個人経営の小規模なもので、オーナーが最上階に住み、1階が貸店舗、2階は貸事務所で、3階から5階までが賃貸マンションである。
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「なんだろう?」
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「何の用とも言わなかったのよ。家賃の値上げかしらね。でもそれなら私に言えば済むことだし・・」
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「気になるな。用もないからちょっと行ってくるわ」
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大家さんである。 大家さ↓ ![]() 70代半ばの大家さんが顔を出して佐田の顔を見ると入れという。 居間に案内されお茶が出される。相手は奥さんと二人である。 | |
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「昨日ですか、おいでいただいたとか」
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「そうなんです。少し前、家内がお宅の奥さんと立ち話したときに、佐田さんがISOのお仕事をされていると聞きまして・・・」
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「はあ、確かにISO関係の仕事をしておりますが?」
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「実を言ってとりとめのない話なのです・・・」
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「はあ?」
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「私の家系は元々ここ住んでいまして、先代までは菓子屋が本業でした。ご存じと思いますが今でも菓子屋をしています。20年前まではこの場所に店がありました。 バブルの終わりごろでしょうか、建設会社の人が来て、ここは大通りに面しているからビルにすべきだ、そして貸事務所とマンションにすれば絶対に損はしないなんて言ってきたんですよ。同業者や古くからの住人の幾人もがそういうことをしていましたんで、つい私もその気になりましてね・・」 |
![]() 佐田は一体何の話だろうと気になった。とはいえ今日はヒマだ、老人のお相手をしても良いだろうと思いお茶をすする。 | |
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「まあそんないきさつでこのビルを建てまして、店は千葉街道ぞいに開きまして、今息子がそこに住んで菓子屋をしています」
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「いやあ、うらやましいお話ですね。私なんて親が貧乏で財産なんてなにももらっていません。高校出てからずっとサラリーマンをしてきて、もうすぐ定年になるのでどうしようかと途方に暮れています」
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「なにをおっしゃる、話はまだ途中でしてね・・・せがれは職人とパートあわせて10人ばかり使ってやってますが、時代の趨勢か売り上げは減少傾向です。せがれには息子がいましてね、2年ほど前に大学を出て店を手伝うようになり、はじめはあとを継ぐなんて張り切っていたのですが、だんだんと経営状況や他の店の様子も知ってきて、最近では店を継ぐのを止めてサラリーマンになろうかなんていうようになりました」
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佐田は金のある人はあるなりに悩みがあるのだろうと思いつつ、半分どうでもいいと聞いていた。
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「たまたま頼んでいる税理士の先生が来たとき、そんなことを挨拶代わりに言ったら、言われたんですよ」
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「はあ? 何を言われたんでしょう?」
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「ISO9000というのをすると後継者の教育や事業継続に役に立つっていうんです」
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「はあ!」
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「税理士の先生はウチの菓子屋がISO認証すると売上も増えるし経営が安定するから、孫もちゃんと跡を継いでくれるだろうってんですよ。 そのときはそれで終わったのですが・・それでな、佐田さんがISOに詳しいってことを思い出したんですわ。いったいISOとはどんなもので、本当にそんな効果があるものかを教えてもらおうと思いましてね」 |
佐田は絶句してしまった。ISOは会社を良くするとか経営に寄与すると語るコンサルタントも認証機関もある。いや数多くある。しかし具体的事例において効果があると語るのは俗にいう「地雷を踏む」ということじゃないのだろうか。常識あればそんなアブナイことは言わないだろう。それとも売り込み口上なのだろうか。これはうかつなことは言えんなと佐田が腕組みをして黙っているのを、大家の安藤さんはじっと見つめている。 とうとう佐田は口を開いた。 | |
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「私はISOにはもう17年くらい関わってきまして、詳しい方だと自負しています。税理士さんがおっしゃるとおりISO9001とかISO14001認証制度というものがありまして、その認証を受けている会社はけっこうあります。しかし認証を受けることによって事業拡大とか後継者云々ができるわけじゃありません。その税理士の先生のお話は少し大げさというか、いいことばかり語ったように思えます」
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「そうですか、私もその話を聞いてそう思いました。確かに事業拡大なんて簡単に行くはずがありませんよね」
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「いえいえ、私はその先生のお話を否定するつもりはありません。そもそも私は商売に関わったことはありませんので発言する資格がありません。しかし素人考えですが、事業というのはいろいろな要因がありますから、何か一つを改善したからうまくいくというものではないでしょう」
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「そうでしょうねえ〜」
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そう言って大家は黙ってしまった。 佐田はさてどうなることやらと大家が口を開くのをじっと待った。 | |
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「実はね、息子がその話を聞いて乗り気になってしまいましてね、まあ、ここのところ商売が伸びずにどうしたらいいだろうと考えていたところで、藁をもつかむというところかもしれません。佐田さん、ちょっと息子と話をしてくれませんか」
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佐田は困った。こんなことに関わるのはろくなことがない。現実を語ればその税理士の先生とやらに文句を言われるかもしれず、あるいはその先生はISO以外にも売り上げ拡大の切り札を持っているのかもしれない。とはいえ、いい話ですねと言えば、うまくいかない場合あとで文句を言われるかもしれない。単なる借家人である自分がそんなことに関わる義理はない。ここに住んでいるからにはしがらみから逃げられないなら、早いところこのマンションを引き払うのが最善のようだ。
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「大家さん、これはちょっと難しいお話ですから私は遠慮させていただくということでお願いしますよ」
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佐田は立ち上がりかけた。
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「ちょっと、ちょっと。佐田さん、それはないでしょう。夕方、息子と孫がここに来て私と話し合いすることになっているのです。ぜひ佐田さんのご見識からご指導いただきたいと思いまして」
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「私ごときが差し出がましいことは言えません。失礼いたします」
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佐田は大家老夫婦がしがみつくのを振り払って自宅に戻った。 佐田が帰ると直美がびっくりしたような顔をしている。 | |
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「どうかしたかい?」
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「あなたシャツの袖が破けているわ」
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佐田は気がつかなかった。いやはや、ひどい目にあったものだ。シャツを着替えながら佐田は言う。
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「ちょっとさ、大家から無茶な頼みをされてさ、断ってきた。もし後で俺に来てくれなんてやってきたら体よく断ってくれよ」
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「それじゃここにいたらまずいんじゃない。外出したかどうか、防犯カメラを見ていれば分ってしまうわよ。時間も時間だから、その辺に行って飲んで来たら」
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直美も様子を理解したのかそんなことを言う。
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「そうだな、駅前あたりで飲んでくるわ。何かあったら携帯に連絡してくれるか。変なことに関わり合うのはごめんだ。オイ、まもなくこのマンションの契約が終わるだろう。そしたらどっかいいところ探して引っ越そう」
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「実はあなたにマンションのことで相談したいことがあるの。今はそれどころじゃないから、来週日曜日開けてくれないかしら。見に行きたいマンションがあるのよ」
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「了解、細かいことは後で聞くわ。とりあえずふけるよ」
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![]() すると向こうから歩いてくるのは息子 じゃないか。佐田は声をかけた。 | |
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「おーい、帰るところか?」
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「なんだ、お父さんどうしたのよ」
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「ちょっとわけありでさ、家にいられないんだ」
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「せっかくの休みの日に夫婦喧嘩かよ、それに今日はオヤジの誕生日じゃないの、」
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「そんなんじゃない、いいから付き合え、時間をつぶしたいんだが一人じゃしょうがない」
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「ヤレヤレ」
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息子は回れ右して佐田と一緒に駅前まで行って居酒屋に入る。
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「いったいなにがあったのよ?」
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「お前、持っているのはノートパソコンだな。e-mobileかなにかでネットにつながるか?」
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「つながるけど、それがなにか」
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「貸せ」
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佐田は息子からノートパソコンを借りるとJRCAのウェブサイトをのぞいた。大家に聞いた税理士の名前を審査員登録者名簿の検索をする。載っていない。それではとCEARの審査員登録リストの検索をする。おお、あったあった。そして税理士の名前でググるとすぐに事務所のウェブサイトが見つかり、そこにはISOコンサルもしていますと書いてある。どこも大変なのかなというのが頭に浮かんだ。
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「いったいどうしたのよ?」
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「いや、大したことじゃない。まあ、飲もうよ、今日はおれの誕生日だ」
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![]() 佐田は家で晩酌するとき息子にも飲めというのだが息子は付き合わない。むしろ娘が一緒に飲むことが多い。娘は社会人になって一人前だと考えているせいだろうか。佐田は息子が一緒に飲んでくれないのがいささか残念である。 | |
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「いったいどうしたのよ?」
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「大家の孫って知っているか?」
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「会ったことはあると思う。引っ越してまもない頃、お母さんが大家さんはお菓子屋さんをしているというので興味を持って店を見に行ったことがある。歩いて10分もかからないよ。お菓子屋というよりも饅頭屋だね。その店の主人、お父さんよりは若いと思える人が大家の息子で、その人と一緒に店にいたのが孫だと思う。オレより二つくらい上くらいに見えた」
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「なるほど、その他に何かその饅頭屋について知っていることはないか?」
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「14号線沿いだし、場所はいいところだと思う。ただ今の時代饅頭屋というものに将来性があるかというとどうかなあ〜、なんだい、経営コンサルでも頼まれたの」
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「まあ当たらずと言えど遠からずというところかな、実は饅頭屋の経営改革を相談されたんだが関わりたくないので逃げてきたところだよ」
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「なるほど、じゃあもう少しここにいなくちゃならないかな?」
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![]() すると玄関に見かけない靴が三足ある。オイオイ、これは! 娘 が出てきた。 | |
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「お父さん、お客様がお見えになってるの、大家さん一家なの」
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佐田は回れ右してまた出かけようとしたが息子が抑えた。
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「しょうがないよ。ちょっと話を聞いて帰っていただこう。いつまでも逃げまわるわけにはいかないよ」
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佐田も覚悟を決めて居間に入った。大家のジイサンと50前後の息子らしい男、そして孫らしい25くらいの若者の三人がお茶を飲んでいる。
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<菓子屋の話し> 随分と大変な目にあいましたね、結局誕生祝いはやってもらえたのでしょうか? その昔、ビジネススクールで学んだ時に出てきた笑い話をおもいだしました。 アメリカの街道沿いに、昔からやっていた それなりに繁盛しているレストランがあり、そこにビジネススクールを卒業した息子が帰ってきてハーバード流のビジネススタイルを取り入れました。 2年後に店はつぶれ、父親が言いました。「こんな新しい手法を取り入れても駄目だっかのだから、どれだけ世の中は不況なのだろう」 荘子に「機械あれば機事あり、機事あれば機心あり」と言います。 かの国で生まれた明言で、認証という看板が商売に便利ならば、それを上手く利用する人が出てきます。 上手く利用する人がいれば、それに寄りかかる人も出てきます。 荘子では、人を駄目にするから始めから使うなと言いますが、ISO認証は共通言語で全く知らない会社の理解の為の補助的な手段と考えると有効性も不可能な点もはっきりするように思いました。 出来る事と、出来ない事をはっきりして、期待される効果に対して適切な価格ならば認証も悪くないのだと思いますが、それ以上の価値を夢見ると、提供する側も使う側も ミスマッチが続くのでしょうね。 もうそろそろ、適切な所に落ち着いて良いのだと思いますけれど。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 おっしゃること良く分ります。実は今回のお話では、「ISOを信じるな、ISOを考えろ」ということを書こうと思っています。そして「ISOに適したこともあるし、ISOに適さないこともある」とか「ISOは万能ではないが、無能ではない」ということを考えてもらおうと思っております。 私にストーリーテリングの能があればですが・・・ |