マネジメントシステム物語87 最終回

14.10.20
マネジメントシステム物語とは

2014年4月、佐田は嘱託を辞めて引退した。上司からもう少し嘱託を継続してくれと言われたし、いくつかの関連会社からは環境担当の管理者として来てくれないかという話もあった。それはうれしかったが、もう十分働いたと自分自身思う。
それに一番大事なことだが、お金のこともある。厚生年金に44年特例というのがある。法律で年金の全額支給は65歳からだが(2014年現在)、44年間加入していた場合で60歳以上で引退したときは、そのときから満額支給される。佐田は高卒で働き始めてから切れ目なく年金に加入していたので、嘱託として2年働いた時点でこの要件を満たす。息子はまだ大学院を修了していないが、まああと一二年、学費くらいはなんとかなるだろう。マンションのローンもないし、夫婦の生活費だけあればよい。
会社は2年前に退職して退職金はもらっていたし、今更組合や保険は関係ない。嘱託とはアルバイトのようなものだから、辞めるにあたって特段の手続きもなければ送別会もない。サバサバというか、冷たいものだ。とはいえ、佐田も納豆のようにベタベタした関係は好きではなく、これまたサバサバと最後の退社をした。一度も会社を振り向かず東京駅に入った。
ということで佐田は、はれて老年フリーターになった。

会社を辞めた翌日は朝遅くまで寝ていた。いつも5時過ぎには起きて6時26分の総武快速に乗っていたので朝寝というものをしたかったのだ。とはいえそれも二日で飽きた。
ゴミだし 妻の直美は、ゴミを出してこいという。マンションのゴミを出す場所と置き方を聞いて、佐田はサンダルをひっかけた。平日の遅い時間にマンション内を歩くのは初めてだった。なんだか恥ずかしい。サンダル履きとかジャージーだからというのではなく、明るいときに家にいるということに気恥ずかしさを感じて落ち着かなかった。
幼稚園バスに子供たちを送りに来た奥様連中が、10時を過ぎたというのにまだ家に戻らず、三々五々中庭でおしゃべりをしている。その脇を通ってマンションのごみ置き場に大きなポリ袋を持っていく。
まっすぐ帰る気にもならず中庭をぶらぶら歩く。このマンションに住んで3年近くなるが、本当に佐田は何も知らない。
マンションの出入り口は正門と裏口があるのは知っていたが、その他にもふたつ出入り口があることに気付いた。ためしにそのひとつから出てみると、マンションに隣接する建売の並ぶ路地に出た。安くするためか、そこには血流認証システムがなく、再び入るにはキーが必要だった。佐田は鍵を持ってこなかったのでそのドアから入れず、マンションの裏門まで建売の並ぶ路地を歩く。外側からマンションを見るのも初めてだ。引っ越した時きれいだった植栽も剪定もゆきとどいてなく、だいぶ乱れてきた。枯れてしまったケヤキが2本ある。内側からでは見えないから処置していないのだろう。一瞬、管理組合はなにをしているのかと言いたくなったが、直美がまもなく我が家に役員が回ってくると言っていたのを思い出し、誰かの面倒になることはしたくないとも思う。
再び中庭に戻り、建物を見上げると洗濯物がズラット干してある。低層階は風が弱く洗濯物は揺れていないが、10階以上になると相当風があるようでパタパタとはためいている。今日はゴミ出しを覚えたから、次は洗濯を習わなくてはならないと佐田は思う。

退職してから数日ごろごろしていたが、今日、佐田は直美を誘って東京駅に来た。たいした深い意味はないが昼飯を一緒に食べることにした。
東京駅に着いたのが11時前で、まず佐田は今までの勤め先の入っているビルに連れて行った。昔ならトレンディドラマの舞台になるようなこじゃれたビルである。もうそこは佐田にとってはもう赤の他人、縁のない会社である。ビルに入って、ロビーとか受付とかを妻に説明した。妻の直美にすれば、テレビドラマでもっとすばらしいオフィスビルを見ているからどってことはないようだ。
出勤時間ではないが、大勢の人が駅の改札口のような出入口を、身分証明書をやはりスイカのようにセンサーにあてて出入りしている。数日前まで佐田もその中にいたのだが、今はその風景を見ても戻りたいとは思わなかった。
東京駅
昼どきになると混むだろうと思い、11時半に丸ビルのレストラン街に行く。以前は来客があると、ここに連れてきて飯を食った。だからどの店のどこが見晴らしがいいかを知っていた。新装なった東京駅が見える店に入って窓際を希望した。
妻とふたり、丸ビルから東京駅を眺めながら昼飯を食べるなんて幸せだと佐田は思う。
佐田は高校を出て44年勤めてきたが、長かったという気はなかった。あっという間だったように思う。いろいろなことがあったが、借金取りに追われたこともなければ、不倫したこともない。平々凡々の人生だった。そして出世もしなかったし大金を稼いだわけでもない。これからも一小市民として生き、そして死ぬのだろう。会社でいじめにあったこともあるが、いつも頑張ってきた。人の評価はどうあれ、自分自身としてはそれなりに成果を出したと思う。人並み以上とも思わないが人並み以下でもなかろう。
そんなことを考えていると直美が話しかけてきた。
直美
「お疲れ様」
佐田
「いや疲れてないけど」
直美
「そーじゃないよ、長い間働いて来ていただいてお疲れ様って言ったのよ」
佐田
「いやいや、今までの人生はなにもかも直美のおかげだよ」
直美
「これからどうするの? なにもしないとボケちゃうよ」
佐田
「うーん、考えていることはいろいろある。直美に協力してもらわなければならないけど」
直美
「私の協力が必要って、なんでしょう?」
佐田
「まず家事全般をひととおりできるようになりたいな。洗濯、掃除、食器洗いくらいは簡単だろうけど、炊事は簡単にはいかないだろうなあ」
直美
「アハハッハ、あのね、ひとり分料理するのはかえって高くつくからね。私も以前はコロッケとかギョーザを材料から作ってたけど、今は娘が出ていったからあまり作らない。息子もいなくなったらまず手間のかかるものは作らないわ。損益分岐点以下になってしまうって感じかなあ〜。私がいないときのことが心配なら、とりあえず近所の食堂を食べ歩くとか、スーパーでどんな弁当や惣菜を売っているかを調べた方が早いよ。
料理をするのは自分が食べたいものを作るとか、料理が好きでもなくちゃわざわざチャレンジすることないよ。まあそばを湯がくとか、野菜サラダを作るとか、味噌汁くらいできればいいの」
佐田
「なるほど・・・・それじゃ食べたいときは弁当かまあ惣菜を買ってくればいいわけか」
直美
「そうね、更に言えば一人ならお弁当を買ってきて食べるよりも、外で食べた方がおいしくて後片付けの手間もかからないわよ。」
佐田
「だが食の安全て言われてるだろう。外食や弁当より材料を買ってきて自分が作ったほうが安心じゃないの?」
直美
「そうでもないのよ。スーパーで売っている野菜や缶詰がどこで作らているか分らないの。大手スーパーが原産地を表示してなくて、競合するコンビニに揶揄されたことがあったでしょう。
私は中国産とか韓国産って書いてあるのは買わないけど、書いてないのはどうしようもないわ。重金属を含んでいるか抗生物質があるかなんて分らないのよ」
有毒食品
食品安全マネジメントシステム(ISO22000)なんてのがあるが、マネジメントシステムよりも、原産地、加工地、含有毒物や含有細菌の詳細を明示してくれた方が消費者は安心できる。
消費者・顧客は品質マネジメントシステムよりも品質を欲し、食品安全マネジメントシステムよりも食品安全を求めるのは当然である。
と言いたいがために、佐田夫婦の会話にこの話題を入れ込んだのだが
佐田は直美の話を聞いてなるほどと思う。確かに一人分の材料を買ってくれば、弁当や外食よりも高くつきそうだ。その前に普通一人分の材料では売っていない。ほとんどが4人分の量で売られている。 昼飯 そういえばマンションでも昼食や夕食に宅配の弁当を食べている人がいるようで、毎日弁当の宅配業者が入ってきている。 もちろん直美が言うように4人分とかそれ以上であれば、弁当や外食よりも作ったほうが安いだろうけれど。
直美も近所の奥さん連中と年に数回バス旅行に行く。今までそういったときは佐田は夜帰宅するときに、その夜と翌朝の弁当を買ってきていた。いくらなんでも駅でパンとミルクを立ち食いするってのはちょっとわびしいと思う。ともかくこれからはヒマなのだから、直美がいないときは気分転換も兼ねて外で食べた方がよさそうだ。
佐田
「それからフィットネスクラブで週に何回か汗を流すのもいいと思っている」
直美
「フィットネスクラブは定年退職者の定番だものね、稲毛にはたくさんあるよ。友達が何人も行っているから評判を聞いといてあげる」
佐田
「ええとそれから、市の老人対象の学校があるっていうじゃないか。ぜひともそこに行きたいね。できれば邪馬台国とか古事記とかの講座があればそういう講座をとりたいなあ」
直美
「市が主催する各種講習会が載っているチラシが時々新聞と一緒に来るよ。今度来たらとっといてあげるよ。
ところで、もうISOとは縁を切るの?」
佐田
「うーん、コンサルしようにも仕事もないだろうし、審査で問題ないための指導では悲しいし・・・それにこちらが会社を良くしようと指導しても、コンサルを受ける会社が真面目にそんなことを考えているとは思えないし・・
なによりも、もうISOの時代じゃないと思うよ」
直美
「会社を辞める前は、ISO認証の信頼性向上の活動をするなんて言ったでしょ」
佐田
「アハハハハ、ありゃ若気の至り、今はそんなこと考えてないよ」
直美
「マネジメントシステムがどういうものであれ、そのおかげで失業しなくて良かったじゃない。我が家はISOのおかげで生きてきたってことは忘れちゃいけないわ」
佐田
「確かにISOのおかげだよね。福島工場で川田部長にいじめられてたときは人生真っ暗だった」
直美
「結婚するとき課長くらいにはなるって言ったのにね、課長婦人にはなれなかったわ。課長の試験に落ちたときは、ほんとに落ち込んでたものね
大蛇機工に出向してからイチローは明るくなったわよ」
佐田
「大蛇と言えば伊東さんを覚えているかい?」
直美
「覚えているわよ。タイに行ったんでしょう。奥さんと一緒だって言ってたね」
佐田
「定年後もずっとタイに住みたかったらしいけど、タイが政情不安になって数年前に日本に帰ってきた」
直美
「マンションにいるお友達も夫婦でタイに駐在してたんですって。ここの倍も広いマンションで、アヤさんと呼ぶ家政婦がいて炊事も掃除も洗濯も買い物も子供の送り迎えもゼンブしてくれるんですって。
自分でするのはお友達たちとのゴルフとかお食事それにショッピングだけ。ああいう生活をしていると日本に帰りたくなかったって」
佐田
「直美もそういう暮らしがしたかったかい?」
直美
「人生のひとときならそれも悪くなさそうね」
南の島
佐田
「それじゃタイ駐在は無理だけど、とりあえず南の島に半月くらい行ってくるか」
直美
「それいい、私もグアムでもサイパンでもフィリピンでもいいけど、1週間くらいなにもしないで過ごしてみたいわ」
佐田
「おれもサンゴ礁の砂浜でコバルトブルーの海を一日ながめていたいな
脇のテーブルにはトロピカルドリンクなんてあってね」
直美
「一日なんて言わずに一週間ながめていてもいいのよ」
トロピカルドリンク
佐田
「ヨシ、一段落したら出かけようか」
直美
「一段落もなにも、今すぐに南の島に行って、海を眺めながらこれからのことを考えたら」
佐田は直美が家事全般、教育、資産管理などすべてにわたり手際が良かったと思っている。スマートな(賢い)女性というのだろう。
結婚してすぐに佐田が家計簿をつけろといったことがある。直美は即「私はすべて頭に入っているから家計簿なんていりません」と言った。ウソだろうと思ってそのとき水道代と電気代を聞いたら、過去数か月の金額をさらさらと言う。そんな細かい数字を覚えておくだけでなく、直美は家計をしっかりと管理していた。数年前に念願のマンションを買ったときも無借金で買うことができた。子供たちの教育費も車もその他のことでも、ローンというものに一度もお世話になったことがない。
すべて直美の頭の中で処理していたのならマネジメントシステムはなくても粛々と進むのだろう。いや違った。マネジメントシステムつまり運用するための組織、機能、手順の三要素は活動に付属する属性だからイヤだといっても存在する。有無を論じるのは文書化されたマネジメントシステムである。
国家でも会社でも一家の家計でも、計画を立て予算を執行するということは同じだ。そして予算とはお金に限らずリソース全般を意味する。
直美はマネジメント能力があるから、細かい手順とか基準など決めずとも結果を出せるのだろう。いや、違う、直美は頭の中にある手順やデータを参照することができるので、わざわざ文書化せずとも常に一定品質の結果を出せるのだろう。

となると、ISO規格にある、
「レビュー及び監査を行っているだけでは、組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし続けることを保証するのに十分ではないかもしれない。これらを効果的なものとするためには、組織に組み込まれて体系化されたマネジメントシステムの中で実施する必要がある(ISO14001:2004序文)」という命題は果たして正しいのだろうか?
いやいろいろな解釈があるのかもしれない・・・・
この文章を言い換えると
「優秀な管理者とメンバーであれば、レビューや監査を行わなくても組織のパフォーマンスが法律上及び方針上の要求事項を満たし続けることに十分である」とも言えるし、
あるいは、
「力量のあるメンバーならマネジメントシステムを文書化することはない」とも言えるのではないだろうか?
現実には、「組織には文書化されたマネジメントシステムが必要だ、それはISOMS規格に基づいたものでなければならない」と理解している人が大多数であることは間違いない。そういう人たちが、審査員をしているし、企業でISO担当をしている。そんな凝り固まった考えが過去20年間主流になっていた。
となるとマネジメントシステム規格にある発想は、初めからおかしかったのではないのか?

そもそもISO9001:1987は品質保証の規格である。これは間違いない。品質保証とは、要求する側と要求される側が納得し契約しなければならない。だから品質保証要求事項が契約書として文書化されることは必然である。
 ワカラン
佐田
しかし2000年に「ISO9001はマネジメントシステム規格」と僭称したとき、なにかエラーが生じ、時間と共にそれが大きくなり、どんどんと建前と現実のかい離が大きくなってなにも成果が得られないという事態になったのではないのか?
じゃあ、どうすればよかったのだろうか?
まず考えるべきことは、マネジメントシステムは文書化されるべきだとする前に、システムの要素を明確にすべきではないだろうか。そしてその要素を確実にするには、組織の規模、性質、構成員の力量によって、文書化したシステムという方法、文書化しないシステムという方法、構成員の力量を限りなくあげてシステム不要の方法などを考えた方が良かったのではないだろうか。 どう考えても大きな組織も小さな組織も、同一の要求事項というのはおかしい。なにかの本で読んだが、組織の構成員が一人というISO認証組織(?)があるそうだが、それは明らかにおかしい。

もちろんISO9001でもISO14001でも、どこまで文書化するかは組織によって異なると述べている。
ISO14001:2004 Annex A.4.4
環境マネジメントシステム文書の範囲は、次の理由から、組織によって異なることもある。
  1. 組織の規模及び種類、並びにその活動、製品又はサービス
  2. プロセス及びそれらの相互関係の複雑さ
  3. 要員の力量
ISO9001:2008では、「4.2.1注記2」に同等の記述がある。

しかしいずれにしても「文書化ありき」である。現実をみれば文書化ありきではなく、まず最初にシステムに要求される機能を効率的に実現するためには、どのようにシステム設計をすべきかというのがあるはずだ。そしてそのシステムが文書化された手順や基準を必要とするか否かは、種々条件を考慮して考えなければならない。
図面が必要だとか、作業の手順を書いた文書がなくては仕事にならないとおっしゃるかもしれないが、技術的な事項、つまり図面や作業手順や検査基準というのはマネジメントシステム文書ではない。
ISO認証を良くしようとか、効果的運用という以前に、そういった基本というか根本的なことを考え直さなければ正解は見つからないと佐田は思う。
直美
「佐田イチロー! どうしたの、寝ちゃったの?」
佐田は直美の声で現実に引き戻された。
佐田
「居眠りしていたわけじゃないよ。仕事のことを考えていたんだ」
直美
「退職しても仕事のことを考えているようではどうするの!
仕事をしなくなるとボケちゃう人が多いんですって。今からぼけ老人の介護は遠慮したいよ」
佐田
「ボケないように頑張るよ」
直美
「そいじゃ、ここを出てKITTEビルを見に行きましょう」
そんな直美がとてもかわいい。これからも仲良くやっていけるだろう。

手 マネジメントとは元々は「手」という言葉からの派生語で、「扱う」とか「処理する」という意味だったそうです。もちろん大昔には企業はなく、会社がないときに会社に関係する言葉があったはずはない。それは日々の暮らしの中で使われたはずだ。そして時が流れて会社が生まれ「管理する」という仕事が現れて、その意味に使われるようになったのだろう。
ちなみに日本語の「経営」も会社が現れる前からある言葉で、元々は「家を建てるとき周囲に杭を打って縄を張ること」だったそうです。

えっ、何が言いたいのかって?
語義に戻って考えれば、マネジメントシステムの本来の意味は、奥さんや子供たち、隣人たちと仲良く過ごすために、それに関わる、炊事・洗濯・掃除・育児あるいはコミュニティの仕事をすることだったのでしょう。
マンションや町内会は管理組合規定とか町内会会則なんてのがありますが、普通の家庭には「我が家の運用管理規定」とか「スーパーマーケットでの購入基準書」なんてまずありません。家庭は規模が小さく仕組みが複雑ではないから、文書化したマネジメントシステムまでいらないのでしょうか?
いま佐田は本来のマネジメントの道を究めようと、新たなチャレンジを始めたと言えるかもしれません。

うそ800 これからの予想
私は嘱託を引退して早2年半、いまだにISOから離れられずインターネットに駄文を書き散らしております。まったく未練がましくお恥ずかしい。これを老醜を晒すというのでしょう・・・
しかし佐田はきっとそんな未練がましいことはせず、新しいことにチャレンジしていくでしょう。それがどんなカテゴリーなのか、まだ定かではありませんけど

うそ800 最後にどうでもいいこと
マネジメントシステム物語の最終回にしちゃショボイぞ! というお怒りを予想する。ご容赦ください。
えー、非常につまらない話ですが、このお話を始めた時、30回で終わると申しましたが、とてもそれでは思ったことが言えません。書いているうちにどんどん伸びました。少し前にまもなく一年になることに気づき、1周年に最終回にしようと思いつきました。ということで、本日は第1回からちょうど一年でございます。オソマツ

ちなみにこの物語はいったい何文字かと数えてみました。106万字ありました。厚めの文庫本11冊くらいでしょう。もっとも発行してくれる人もなく買う人もいらっしゃらないでしょうけど

N様からお便りを頂きました(2014.10.21)
最終回
お疲れ様でした。

N様 毎度ありがとうございます。
お恥ずかしい限りです。
とはいえ、私は自分の経験から考えたことを認証制度の人たちに問うのが目的です。
少しは現状に疑問を持っていただけたのか、あるいは私の言に反感を持っていただけたなら本望でございます。


外資社員様からお便りを頂きました(2014.10.22)
おばQさま
今まで素晴らしい連載を有難うございました。
私自身、たくさんの事を学び、また私の業務でも参考になる事が多かったです。
主人公の佐田氏のように、潔いやり方がとてもお人柄が出ていると思います。
主人公の凄いのは、今度は家事を覚えようと、状況に合わせた生き方を選べる点です。
これは簡単なようで、難しい事です。
大手を含めて、色々な会社とお付き合いしていますが、交代が必要なのに替わらない人、会社で影響力を行使しようとする元社長など、地位が高かろうが、気持ちの切り替えが出来ない人は多いのです。
当然に多いのは、退職しても、家事をやらない、今までと生活を変えられない男達です。
実際、御自身が、すっぱりと生き方をおられるので、このように潔い話になったのだと思います。
重ねて、今までの連載に御礼申し上げます。
外資社員

外資社員様 毎度ありがとうございます。
いえ、私はそれほどできておりません。退職してから家内に掃除をしろ、洗濯をしろ、炊事を覚えろとしごかれております。
それに過去に付き合っていたISO関係者とはときどき会って飲んでいます。もちろん話題はISOではなく引退後の暮らし、趣味、健康などが話題です。
私は会社を辞めてしばしの間途方に暮れていましたので、物語の中だけでも自分の道が見えずに立ち尽くすことのないことを願いました。
引退してから市民大学(老人大学)とか、邪馬台国の研究会とか参加しましたが、ほとんどが老人です。でもそういうところに顔を出している人は好奇心があり積極的に人とかかわろうとしています。そんな先輩諸氏を見習おうと努力中です。
ところで次に何を書こうかと考え中です。アイデアいただけませんか?

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