審査員物語33 鷽八百社に行く(中編)

15.06.25

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基に書いております。

審査員物語とは

昨日から鷽八百機械工業KKの本社のISO14001の維持審査が行われている。二日目の今日は、全国の各拠点で審査が行われている。ここは北海道支社で、今日1日菊地審査員がここで審査を行う予定だ。
支社は貸しビルにテナントとして入っていて、環境管理は総務部が担当だ。まず総務部の審査である。相手は総務部長と事務の女性の二人である。

菊地審査員
「それじゃ順守評価について審査させていただきます」
菊地がそう言っても相手は何も反応がない。菊地は数分待って口を開いた。
菊地審査員
「あのう、順守評価についての書類を見せていただきたいのですが」
総務部長
「順守評価ってなんでしょうか?」
菊地審査員
「順守評価を知らないのですか? お宅ではISO規格をご存じないのでしょうか?」
総務部長
「はあ? 審査を受けるにはISO規格を知らなければならないとは存じませんでしたが」
菊地審査員
「御社では定期的にISO教育をしているでしょう」
総務部長
「ISOの教育ですか、いや弊社ではそういうものはしておりませんけれど・・・」
菊地審査員
「ISO規格に教育訓練という項目があるのに・・・どこだってISO教育とか環境教育をしているものですよ」
総務部長
「そうなのですか、当社ではISO教育も環境教育もしておりません」
菊地審査員
「えええ! 総務部長さんともあろうものが・・・
あのうですよ、法律にあるでしょう。環境教育法ってご存じないですか、総務部長さんならそういうことがお仕事でしょう」

お断り:環境教育法(環境教育等による環境保全の取組の促進に関する法律)は2011年制定で、この物語は2009年の設定でつじつまが合いませんが、まあ多少の齟齬は目をつぶってください。

総務部長
「ああ環境教育法というのは存じています。もちろんその中で事業者の責務と定めている『環境の保全に関する知識及び技能を向上させるために必要な環境保全の意欲の増進又は環境教育』については機会があれば行っており、またボランティアなどを自主的に活動する者に対しての援助などもおこなっておりますよ。但しわざわざ環境教育と銘打ってとか、時間を取っているわけではないです」
菊地審査員
「まあ名称はともかくそういった環境教育と同様にISOについての教育もしているでしょう」
総務部長
「ご質問のISO教育というものの内容が分りませんが、少なくてもISO規格の説明とか審査の対応については行ってはおりません」
菊地審査員
「ええ!御社ではISO認証の前に、ISOとはなにかとか、審査ではなにをしなければいけないとか教育していないのですか?」
総務部長
「基本的なことを確認したいのですが、私たちの業務において法を守るためまた事故を起こさないためにルールを決めて、それに基づき教育し仕事をしているわけです。菊地審査員さんはそういった仕組みがしっかりしているかどうかを確認に来ているのだと理解しております。
ただ私としてはそういった法を守り事故を起こさないための諸活動をISO規格で何と呼んでいるかについてはわかりません。この審査では菊地審査員さんが実態を調査してISO規格を満たしているかどうかを判定するものだと認識しています」
菊地審査員
「すると総務部長さんはISO事務局がこうやれと言ったからその通りしているというわけですか、何も考えずに」
総務部長
「ええと、まずISO事務局という言葉も今初めて聞きましたもので、どんなものか分りませんが・・・・私たちは誰それが言ったからそれに従っているというわけではありません。
正直言ってISO規格に従って仕事をしているなんて会社は聞いたことありませんねえ〜」
菊地審査員
「じゃあ、何を基に仕事しているのですか」
総務部長
「今言いましたように会社規則です。この会社では従業員は会社規則に従って業務を執行すると定めています。そして会社規則から逸脱すれば懲戒ということになります。就業規則も会社規則のひとつです。
そういった仕組みというかルールはどの会社だって同じはずです。官公庁にしてもですね。公務員の場合は国家公務員法とか地方公務員法ということになりますが、」
菊地審査員
「御社では法を守れと言っていないということですか?」
総務部長
「法律を順守せよというのは当然でしょう。ウチでも入社時から教えています。理念にも遵法とありますし・・・ただ具体的な法規制とか業務上どうしなければならないかということは会社規則に従うということです」
菊地審査員
「うーん、順守評価をする前に順守というか法規制を教えていないということになるのか・・」
総務部長
「ちょっと待ってください、それは聞き捨てなりませんね。当社が法を守らない気風があるようなことを言われては困ります。法を守るためには一つの方法しかないというわけではありません。企業においては効率的で仕事しやすい方法を取らなければならないですよね、
まさか一人一人の社員が法律や施行令を読みながら仕事をするわけにはいかないでしょう。例えば印紙を貼るのか貼らないのか、印紙金額はいくらなのかというのを印紙税法を見ながらというわけにはいきません。当社の仕事に関わるところだけを抜き出し分りやすく社内文書にしてそれを見て仕事をしているわけです」
菊地審査員
「だって御社では法律を守れと言っていないということでしょう」
総務部長
「法律を守れと言わなくても会社の規則を守っていれば自動的に法律を守るような仕組みになっているということです。
あのね、法律を守れ、法律を守れというだけでは、従業員は何をどうすれば法律を守ることになるのかわからないでしょう。
世の中には様々な法律がありますが、それを守るにはどうすればよいか菊地審査員さんはどうお考えですか?」
菊地審査員
「はあ? あなたから質問を受けるとは思いもよらなかった。
そんなの簡単でしょう。今は環境に関して論じていますので環境を例にとりますと、会社に関係する環境の法律をリストアップして、どんなことが規制されているかまとめればいいわけです。普通の会社では『環境法規制一覧表』なんてタイトルの一覧表を作りますね」
総務部長
「はあ、その『環境法規制一覧表』には環境関係の法律がリストされているのですね」
菊地審査員
「そうですよ」
総務部長
「そうしますと談合をしてはいけないとかセクハラをしてはいけないというのは、また別の法規制一覧表を作っておくわけですか?」
菊地審査員
「私は環境ISOの審査員ですから他のことまで論じる必要はありません」
総務部長
「ISO審査員さんはそう言えるから楽ですねえ〜、総務部長である私にとっては環境に関して違反しても、事実と異なる宣伝や広報をしても、支払いが遅れても、社有車がスピード違反で捕まっても、すべてが重大問題です。
この北海道支社の活動、それは営業とか広報とかビル管理もありますし、その他社員のクラブ活動とか福利厚生など全般にわたって法遵守を徹底しなければならないわけです。
もちろん私が法遵守を徹底することはできません」
菊地審査員
「総務部長さんが法を守らせなくてどうするんですか」
菊地は相手の瑕疵に突っ込んだつもりだったが、総務部長に軽くいなされた。
総務部長
「法を知らしめ守らせるのはラインの管理者です。私の仕事は法を守る仕組みを作り、支社の人たちがそれに基づいて仕事をしているか、結果として法を守っているかを確認することですね」
菊地審査員
「法を守らせるとはどういう方法で行うのですか?」
総務部長
「先ほど言いましたように、私たちが事業を行っていく上で、あ、事業だけでなく通勤やクラブ活動もありますしボランティア活動なども含めた活動全般において関わる遵法を徹底しなければなりません。そういったものに関わる法規制は環境だけじゃありません。道路交通法、輸出管理、税法、安全衛生、あなたセクハラはなんという法律で規制されているかご存知ですか?」
菊地審査員
「はあ、なんでしょうか、セクハラ防止法なんてのは聞いたことがありませんね」
総務部長
「雇用機会均等法あるいは単に均等法と呼ばれていますが、それが男女の差別やセクハラを禁止しているわけですな・・
まあともかく一つのものごとには多種多様な法規制が関わります。輸出管理なんて精密機械を北朝鮮に輸出してはいけないというだけでなく、海外旅行に高性能ノートパソコンを持っていくのだって関わるわけで、出張じゃなく観光旅行なら当社社員が逮捕されても関係ないというわけにもいかない。いろいろと気をつかいます」
菊地審査員
「それがどういう関係があるのですか?」
総務部長
「法律を環境関係とか安全関係とか区別する意味がないということです。日本にいる限り日本のあらゆる法律を守らなくてはならない。そのためには環境だけ区別する意味はなく、いやそんなことをすれば運用上問題があるわけです」
菊地審査員
「じゃあ、どうするのですか?」
総務部長
「業務に関わる法規制を守るべく、会社の規則にそれらを順守するための実施事項を盛り込むしかありません」
菊地審査員
「おっしゃる意味が分りませんが」
総務部長
「例えば営業を考えた時、製品性能や取引条件を偽ってはいけませんし、談合の禁止や重大事項の告知とか、契約の際には商法や印紙税法などが関わりますし、お客さんが固定資産にしたくないからとリース契約にするにはどうするか、出荷の際には道路交通法や排ガス規制が関係する、下取りや廃棄に関しては廃棄物処理法が関わる、しなければならないこと、してはならないことさまざまあるわけです。そういったことを営業業務の手順書に盛り込んで、営業マンはそれに基づいて業務を行えばしぜんと法を守れるというものにしておかなければ安心して仕事ができないでしょう。
菊地審査員さんのおっしゃるように環境法規制一覧表という切り口もあるかもしれませんが、現実問題としては業務からみた法規制一覧表であるべきでしょう。
いや、それでもだめなんですよね。一覧表じゃなくて、営業の流れに沿って、そのステップごとに関わる法規制を守るようにしておかないと、
一覧表にしておいてもそれを見ながらなんて仕事になりません。手順書とおり仕事をしていれば自動的に法律が守れるという仕組みにしておくことです」

菊地は総務部長の言うことも一理あるとは思ったが、そうであればISO審査で順守評価をどう確認するのだ。菊地としては環境に関わる法規制がきれいにリストになっていて、それぞれの法律で定める作為義務、不作為義務が書いてあって、それぞれの評価が○×ついているものを希望しているのだ。一覧表がなくては順守評価の審査ができないだろう。
そもそも菊地が現実の仕事をみても、それにどんな環境法規制が関わるのか分るわけがない。まして印紙金額なんて

菊地審査員
「総務部長さんのおっしゃることはわかります。しかしながら今はISO14001つまり環境法規制を守っているか、守っているかを確認する仕組みがあるかをヒアリングしているわけです。ですからそういった、つまり環境法規制を守っているかどうかを点検する仕組みと点検結果の記録を見せていただきたいわけです」
総務部長
「先ほどからも申し上げているように、私どもでは業務に関わる各種法規制や自主規制を守っているかどうかを点検する仕組みと点検結果の記録はあります。
ええと、おい、遵法点検関係のファイルを出してくれや」

総務部長は脇の若い女性に声をかけた。
言われた女性が後ろのテーブルに並んでいるパイプファイルの中から、背表紙を見てふたつみっつ選び出し持ってくる。
女性事務員
「部長これでよろしいですか」
総務部長
「ああ、ありがとう。
ええと、これは私ども総務部が毎年行っている支社内部の自主点検記録で、こちらが本社法務部の指示によって毎年行っている全社一斉に行う点検記録です。
またこれは3年に一度本社の監査部が業務監査の中で遵法点検をした記録です。こちらは私どもがするのではなく監査されて受け取った報告書ということになります」
菊地審査員
「うわー、ものすごく膨大なものですね。拝見します」

菊地はしばしファイルをめくった後に顔をあげた。
菊地審査員
「確かに法律を守っているかという点検で、しかも法律ごとに○×ではなく規制している内容ごとに事細かくチェックしているのは分りました。しかしここでは下請法から外為法、建設業法、セクハラ、情報管理いろいろがいっしょくたで、どれが環境法規制なのかわかりませんね
そうだ、あなた、あなたはこのリストのどの法律が環境に関わるかわかりますか?」
女性事務員
「ええ、どれが環境に関わるかですって? 分りませんね。そもそも環境に関わるってどういうことでしょうか?」
菊地審査員
「環境に関わるという言葉もご存じない?」
女性事務員
「例えばさっき部長が印紙のお話をしましたが、収入印紙の管理は私が担当しています。印紙税法は環境に関わりますか?」
菊地審査員
「契約書などに貼る収入印紙ですか? 環境と関係ないでしょう」
女性事務員
「そうなんですか。でも廃棄物処理委託契約書にも貼らなくてはなりません。過去に業者が契約書を作成して来て収入印紙まで貼って持ってきたものに、こちらが署名押印したことがありました。その後の市の環境課の立ち入りのとき廃棄物処理委託契約書をチェックされてそこに貼ってあった印紙金額が不足していると指摘されたことがありました。
あのときは税務署に問い合わせに行って、指導を受けて対処しました。とすると収入印紙の金額不足は単に税法の問題とは言えず、環境の法律の問題ともいえませんか」
総務部長
「あったあった。恥ずかしいことだが勉強になったねえ〜。あのときまでは作成した契約書のチェックは経理が行うように決めていたが、その見逃しがあってから社外で作成したものについても経理でチェックするようにしたんだっけ」
女性事務員
「ですから印紙税法は税法の区分だから環境に関わらないわけとは言えません。でも印紙税法は環境だけでなく売買契約書や領収書にももちろん関わります。簡単に環境に関わるとか関係ないとか分けることができるとは思いません。
収入印紙に限らずほとんどのものごとは複数のカテゴリーに関係しています。先ほど部長が説明申し上げたように廃棄物処理法といってもいわゆる廃棄物だけでなくリース契約や浄化槽の清掃にも関わりますし、オフィス引越しのとき前のテナントの方が置いて行った傘立とかゴミ箱の処理もありますし。私もそんなことをいろいろと仕事をしておりますので」

菊地は女性からツッコミを受けていささか驚いた。
菊地審査員
「まあ、印紙も環境に関係ないとは言えないかもしれませんね。でも今私はISO審査をしているので、環境に関する法律を一瞥できるようにしてもらいたいのですよ。
御社では法規制順守に関して膨大な記録があるのはわかりましたが、私は今、環境法規制について調べているので、そういったことを手っ取り早く知りたいのです」
女性事務員
「でも会社はISO審査のために仕事をしているわけではありませんわ。審査のために新しく書類を作るのは大変です。実際に私たちが使っている書類や作成している記録を審査員の方がご覧になって、ISO規格を満たしているかどうかを判定していただきたいです」
菊地審査員
「じゃあ、私はどうすればお宅が環境の法律を順守しているかどうか調べることができるのですか?」
女性事務員
「審査員の方は審査のプロなのでしょうから、私たちがしている仕事をみればISOに適合しているかどうかわかると思います」
総務部長
「菊地審査員さん、私も同じことを思いました。私たちがお金を払っているのだから、わざわざこちらが規格を満たしていますよと説明するための資料を作るのではなく、我々が現実にしている仕事や元からある書類をみてISO規格に合っているかどうかを確認してほしいですね。
それと思ったのだけどね、審査でISO規格を知らないのが罪であるように言われても困りますね。ISO審査とは会社がISO規格を満たしていることを点検することではなく、従業員がISO規格を知っているかをテストすることなのですか?」

菊地はしばしの沈黙の後、憮然として席を立った。この支社では絶対に不適合を出してやると固く心に誓った。
菊地が去ってから総務部長は事務員に、審査でのやり取りをまとめて本社の山田課長にメールしておいてくれと頼んだ。総務部長は山田と面識はなかったが1年ほど前、環境保護部の研修を受けた時に山田の話を聞いたことがあり、ISOなんてものは常識そのものだという印象を持っていた。


本社でも審査は続いている。三木はかなりの数の部門を抜き取りする計画を立てヒアリングを続けていた。
今日の午後は監査部の監査である。審査前のスケジュール調整段階で、監査部長は審査には出られないという連絡があった。監査部門の責任者が出てこなくてはおかしいと三木は山田に苦情を言ったが、監査部長は役員なので対外的なイベントに出なければならないという。三木は不満だったがしょうがない。
三木の対応は中年の本田と下川と名乗る若者の二人だ。二人とも肩書はない。もっとも肩書がないとはいえ、本田は部長級か事業所長級だろうと三木は腹の中で考える。若い下川だって公認会計士とか税理士くらいの資格を持っているのだろう。あるいはひょっとしたら司法試験合格者であるかもしれない。油断はできない。
三木
「ISOの審査をしております。監査部でお聞きするのはふたつです。ひとつは監査部が行っている業務監査をISOの内部監査に充てているというので、その実態を確認させていただきます。ISO規格では監査すべきことを細かく定めているので、監査部監査でそういった内容を網羅しているかどうか確認します。
もう一点は、このオフィスの環境に関わる手順というか決まり事を守っているかどうか確認させてもらいます」
本田
「私も長年監査をしております。なんでもお聞きください。ご質問に対しては誠意を持って回答します」
三木
「ええとまずチェックリストを見せていただけますか。監査部監査でISO規格要求事項を見ていることを確認したい」
本田
「まずそのISO規格要求事項でしたか? そういうものを知りませんが」
三木
「ええ、えーとISO規格で定めている監査項目をご存じでしょうか?」
本田
「いいえ、存じません」
三木
「えっ、ご存じない! ではお宅の監査では、ISOで定める内部監査項目を点検していないのですか?」
本田
「まず監査部監査について説明しますが、我々は会社規則で定める内部監査項目と年度首に経営者から示されたもの、及び監査部内で検討・決定した調査項目を、粛々と監査するのが役目です」
ガッツポーズ 三木は心中やったぞとガッツポーズをとりたくなった。あの山田とやら、たいそう立派なことを語っていたが、中身はグダグダじゃないか。こんな一般的な業務監査をISO規格で定める内部監査に当てはめたとは、如何にいいかげんかということが一目瞭然だ。
三木は昨日からアテンドしている横山を横目で見る。彼女は専門的なことを知らないのか、ニコニコしているだけだ。三木はこの子は案内すること以外なにもできないらしいと値踏みした。
三木
「すると監査部監査ではISO規格要求事項を点検していないということでよろしいですね」
本田
「うーん、ちょっとそういうこととは違うと思いますが」
三木
「違うとおっしゃると?」
本田
「おい下川、バトンタッチだ」
下川
「ハイ本田さん。三木審査員さん、私が代わりにご説明いたします。実を言いまして従来は環境保護部がISOのための内部監査をしておりました。2年前に無駄を排して監査部の業務監査をISO審査で説明することにしました。そのとき点検項目を精査しましたのが私ですので」
三木
「はあ・・・どうぞ」
下川
「ISO規格要求はそのままでは社内で運用することはできません」
三木
「ほう、そのままでは運用することができないとおっしゃいますと?」
下川
「国際法なんてご存じかと思います。三木さんは環境の審査員ですから、希少生物保護のワシントン条約とかオゾン層保護のモントリオール議定書などはよくご存じと思います。そういう条約や議定書、議定書というのは条約の一種ですが、まあそれをそのまま国内で運用することはできません。国家というのは一つの体制ですから、国内においてその体制が定めた文書以外は強制力のある公式文書にはなりません。それに条約そのままで運用するとしたら主権の放棄ですよね、
ではどうするかというと条約を基に『絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律』とか『特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律』なんて舌をかみそうな名前の法律が作られ、その法律で国内の規制や運用がされることになります」
三木
「ああ、そういった一般論はいいですから・・」
下川
「まあお待ちください。実を言ってこういう基本的なことを理解してもらわないと監査というものはできないのですよ」

三木は下川という若者が言うのを失礼なと感じてムスッとした顔で聞いていた。
この方は監査
というのを理解
していないな〜


どいつもこいつも
まったく、なにも
わかっておらん💢


本田 三木

ISO審査って
審査員を教育
することなのか?
下川横山
このおじさんの
相手するのは
疲れるわ
下川
「ISO規格要求にはたくさんのshallがありますが、これもそのまま社内に従えということは会社のルールからいってダメです。ダメというか理屈からいってできないわけです。ですからそういったISO規格要求はすべて社内の文書に展開されます。社内の文書でISO規格が定めていることを、会社に合わせて規定しなおさなければならないのはご理解いただけますね。それを社内規則と呼んでおります。
ええと、環境マニュアルとは何かといいますと、規格要求事項と社内文書の対照表であることはご存じと思います」
三木
「えええ、なんだって! 環境マニュアルが対照表だって!
環境マニュアルとは御社の環境管理に関する最上位の文書でしょう」
下川
「当社の文書体系において環境マニュアルというものは存在しません。ああ社内で強制力を持つオーソライズされた文書ではないという意味です。
環境マニュアルとは、我々にとって宣伝用パンフレットと同じような位置づけということです」
三木
「へえ、それじゃ、そもそも環境マニュアルそのものが規格不適合じゃないか」
下川
「三木審査員さんはISO14001では環境マニュアルを作れという要求がないことはご存知ですよね?
ではなぜ環境マニュアルを作成して御社に提出しているかとなりますが・・・」

そこまで言われて三木は環境マニュアルの性質というか位置づけを思い出した。
三木
「ああ、そうでしたね、環境マニュアルは御社と弊認証機関との契約によって作成してもらっていたはずです」
下川
「その契約書では規格要求事項が社内のどの文書に展開されているか分るようにとありましたね。マニュアルにいろいろ書いているのが多いですが、御社との契約では対照表1枚で間に合うのです」

なるほど、本田は規格要求を知らないと言ったが、この若者は一応規格類を読んでいるようだと三木は思った。
そのとき三木の頭に意外なことが浮かんだ。本田はISO規格などそらんじていて、三木と下川のやり取りをニヤニヤしてながめているということはないのだろうか?
下川
「ということで環境マニュアルというものは御社へ正式に出す文書ではありますが、当社内においてはいかなる強制力もなく、また社員が知る必要もない文書であるということにご同意いただけますね」
三木
「そういうことになるのかな」
下川
「そういうことになります」
三木
「ちょっと待てよ、マニュアルには御社の経営者の承認サインがあったはずだ。あれはどういうことになるのかな?
マニュアルは決裁された強制力のある文書であって、従業員にこれに従えという意味ではないのか」
下川
「いや、あれは社内規則と全く同じであるということを御社に対して保証するサインであると私は考えます。だってマニュアルとは既に決裁された手順書のサマリーですから改めて決裁するということは理屈からいってありえません。
となると社員は何を基にして仕事をしているのかとなると、ISO規格要求を社内に展開した会社規則を基に仕事をしているということになります。というとこの会社ではISO規格要求を満たした仕組みで仕事をしているということになる。俗にいう三段論法ですね。
三木審査員さん、よろしいですね」
三木
「なるほど、おっしゃることは分りました」
下川
「それはよかったです。
しかし実を言ってこれは正しくない」
三木
「はあ!正しくないとは?」
下川
「正しくないというか、現実はそうではないということです」
三木
「事実ではないならダメでしょう」
下川
「結果としては同じことなのですがね、前後関係というか事実関係がまったく逆なのです。
当社は過去より社内規則が制定されていて、社員はそれに基づいて仕事をしてきたわけです。そしてISO認証しようとしたとき、社内規則の中からISO規格要求に関係する箇所を抜き書きしてまとめたものが環境マニュアルというわけです。実を言って元よりISO規格程度は満たしていたわけで、新たに追加することもなかったのです。そういうわけで事実関係が逆なのです。
それで現実は違うと申したわけです」

三木は下川の語ることをしばし沈黙して反芻した。今の話でつじつまが合うのだろうか?
ちょっと考えると矛盾なく整合するような気がするが、どこかごまかされたような気もする。
下川
「さて、やっと本題に戻れますが、先ほど本田さんがお話しましたように、我々監査部はISO規格要求など気にせずに、ひたすら会社規則を順守しているかどうかを点検します。そしてそれは三木審査員さんが今しているような抜取じゃなく徹底して行います。単に資料を見るのではなく、基になる帳票や関連する文書や記録のつじつまが合っているかどうかも確認します。例えば教育訓練の記録を確認するときは、受講者の勤怠などと照らしあわすわけですね。出張や休暇のときに教育を受けているかもしれません。いや本当に休暇をとっていて受講していたのかもしれませんが、それなら就業規則違反になりますしね。
もし会社規則違反にとどまらず法に関わる問題であれば、刑事罰、行政罰、社会的批判を受けることになりますから内部監査は真剣そのものです。ISO要求事項であれ、法規制であれ、あるいは業界団体の申し合わせ事項であれ、会社規則に展開されています。そして三木審査員さんはISOのプロでしょうけど、我々は会社規則のプロですからね。
ということで我々監査部の業務監査はISO規格要求を点検するつもりはないですが、結果としてISO規格要求を網羅しているということをご理解いただけましたか」
三木
「なるほど」
下川
「三木審査員さんからのご質問への回答ですが、ええとご質問は『監査部監査ではISO規格要求事項を点検しているか』だと思いましたが、結論は『している』ということになります。ということでご了承いただけますでしょうか」

三木は黙って下川の顔を見ている。
脇から横山が口を挟んできた。
横山
「今の下川の説明でまだご質問ありますでしょうか?」
三木
「ええとISO規格の要求事項はshallで記述されていることではあるが、規格の意図は遵法と汚染の予防ですね。shallだけは満たしているとして、監査でその意図を実現しているかどうかを見ているのだろうかという疑問が残ります」

横山はドーンと三木の背中を叩いた。あまりにも大きな音がして三木がよろめいたので三木だけでなく本田も下川も驚いた。
横山
「三木さん、どうかしていません? もしISO14001の意図である遵法と汚染の予防のために成すべきことを、規格要求事項、つまりshallに展開していなかったとしたらISO規格が未熟だってことですよ。
ですから行間を読むとかshall以外にも監査しなければならないなんておっしゃるのでは力量を疑われますよ アハハハハ」

それは三木にとっては辛辣な言いぐさだった。
だが三木はまだ粘った。
三木
「横山さん、ISO規格では外部文書についても記述しています。組織が外部の文書を運用すると決めたらそれを明確にすれば良いとありますよね。先ほど下川さんのご説明を頂きましたが、監査部の監査項目にISO14001を引用すれば、回りくどいことなくISO適合か否かを監査部監査で確認できるのではないですか?」

下川は間髪を入れずに応えた。
下川
「確かに三木審査員さんがおっしゃるように、監査部監査の監査項目に会社規則の他にISO規格を盛込むという方法もあるでしょう。しかしながらISO規格要求を直接的に確認することはできません」
三木
「できないとは?」
下川
「だって個々のshallをどのように具体化するかは種々検討の上に会社規則に展開されているから、ひとつのshallを確認するには複数の文書と運用と記録を確認する必要が生じます。そしてそれがどの会社規則に展開されているかを推測しなければなりません。そのためには関係する会社規則を複数読みあわせて規格要求事項の対応を見つけなければなりません。実際の会社においては、ISOのshallひとつが複数の業務に分割されていて、複数の会社規則で担保されていることは珍しくないです」
三木
「でも、できないわけじゃないよね。だったらその方法が良いですよ」
下川
「よかありません。だってそんなことを改めてするまでもなく既にマニュアルで規格要求とそれを展開した会社規則が書いてあるわけでしょう」
三木
「しかし規格要求がすべて会社規則に展開されているかどうかを確認しなければならないよ」
下川
「もちろんそれは必要です。しかし社内的にはマニュアルを作成するときにそのコンペアはされていますし、認証機関においても資料を受領した時点で規格要求とマニュアルの記載を比較して充足しているのを確認しているわけですよね」
横山
「口を挟んでよろしいですか。私も審査員研修を受けましたが、審査に行くにはマニュアルが規格を満たしていないといけないんですよね。三木さんが審査を行っているということはマニュアルはOKだったということになりますよね」
三木
「じゃあ監査部監査では環境マニュアルを使って監査したらいいじゃないか」
下川
「でも環境マニュアルから関係する会社規則をたどり、その会社規則を守っているのかとチェックするなら、初めから全会社規則を守っているのかということをチェックした方が速いし完璧でしょう。なにもISO規格の要求事項にこだわることありません。論理的に考えた結論を満たせばいいわけです」

三木は黙っていた。この連中は口ばかりではなさそうだ。

三木はその後、監査部内のいる数人に、ゴミの分別状況とか環境方針を知っているかとか形ばかりの質問をして辞去した。
三木が監査部の部屋から出るときに本田が下川に語った言葉が聞こえた。

本田
もっとがんばりましょう

「下川よ、よくできましたとは言えないなあ。もう少し論理明快に説明してほしかったところだ。まあ来年またもめるだろうから、そのときはもっとエレガントにやれよ」
三木は本田の言葉を聞いて苦々しく思った。

廊下を歩きながら横山が三木に話しかけてきた。
横山
「三木さん、予定より10分ほど遅れています。このままでは休憩時間がとれませんが、実を言いまして私の一存で次の総務部に予定より20分遅く開始すると連絡しておきました。三木さんも少し休憩したいでしょう。途中の受付ロビーでコーヒーでも飲んで一休みしていきましょう」

三木は確かに自分が疲れていたしそうとう汗をかいてることを実感した。どうも横山を好きになれないが休憩を申し出てくれたのは感謝した。
三木
「それは・・・ありがたいな。監査部でもコーヒーが出たけど飲む余裕はなかったよ。飲んだとしてもくつろげなかっただろう。ただコーヒーは朝から何杯も飲んでいるからこれ以上飲むと胃に悪そうだ」
横山
「ココアもありますし、フルーツジュースもありますわよ」
三木
「イットサウンズグレイトだね」
ジュース 横山は三木を受付ロビーに立ち寄った。4人程度座れるテーブルがたくさん並んでいる。横山は他から離れた窓際に三木を座らせた。すぐにウェーターが来たので横山は三木の希望を聞いて生ジュースを二つ頼んだ。
三木
「横山さんは環境業務の経験はどれくらいですか?」
横山
「私は本社の環境保護部に来て2年めです。その前は支社の総務で廃棄物処理とか省エネとかしていました」
三木
「ほう、じゃあベテランですね」
おいおい、くしゃみを
したのは横山さんが
うわさしたからかよ

廣井部長
私が廣井部長である
横山
「アハハハハ、三木さんも冗談がお上手ですね」

横山はなんにでも笑う性分らしい。
横山
「こんなヒョッコをベテランなんて言ったら笑われますヨ。昨日お会いした廣井部長は工場の環境課長を長年してきて、公害防止から省エネから廃棄物から工場の環境管理についてはもう何でも知っている方です。私も早く廣井さんのようになりたいと思っているのです」
三木
「ほう、それはすごい。で山田課長はどういう方なのでしょうか?」
横山
「あの人はまたすごい人なんです。会社規則もISO規格もすべて頭の中に入っていて、もちろん主要な環境の法律もそらんじています。そして当社だけでなく、グループの関連会社の環境管理の指導をしています。特にISO審査でのトラブルは山田さんが一手に対応しています」
三木
「ほう、ISO審査のもめごとと言いますと」
横山
「今回の審査結果はどうなるかわかりませんが・・・アハハハハ、まあ今まで審査で問題があると山田さんが審査員を指導しているというのが実態ですね」
三木
「審査員を指導? 不適合をもみ消すということですか?」
横山
「いえいえ、まっとうな不適合をOKにしろなんていうようなふざけたことはいいませんわ。間違えた審査を指導すると言いましょうか。
例えば最近のことですが、ISO審査で順守評価を漏らしている会社を私どもが行っている関連会社の環境監査で見つけました。その会社もISO14001を認証しています。それで山田さんがその認証機関に出かけて行って、まっとうな審査をしてくれないと認証機関を変えると言ったのです」

三木はそれを聞いて、先日類似の事例を聞いたことがあったなと思いだした。山田課長はどんなふうに対応したのだろうかと興味を持った。
三木
「今のお話を聞いただけで疑問がいろいろありますが」
横山
「どうぞ、」
三木
「関連会社のISO審査報告書が親会社の環境部門に来るのですか?」

注:あとで、なぜ「審査報告書が親会社にくるのか?」という質問が出るのか疑問に思う人もいるだろうと気が付いた。それで若干説明を追加する。
関連会社のISO審査報告書が親会社にきて、それを受け取った環境保護部では山田や横山がそれをチェックするだろう。もし順守評価が漏れているとすればISO審査でそれを見つけ不適合にするだろう。不適合がないなら順守評価をちゃんとしているか、審査で見逃していることになる。そして環境保護部の監査で順守評価をしていないことを見つければ、ISO審査で見逃していることになる。
もうひとつの可能性としては環境保護部の監査で順守評価の漏れを見つけ、ISO審査報告書を持って来いという流れでISO審査での漏れが見つかったということもあり得る。三木がそういうことを考えて質問したかどうかはわからないけど、

横山
「当然です。今はなにごとも連結経営ですから環境経営も単独じゃなくグループでしなければなりませし、万が一法違反があれば親会社の管理監督問題になります。2005年会社法が制定されから責任が厳しくなりました」
三木
「審査報告書は外部に出すことはできなかったのではないかな。審査報告書の所有権は認証機関にあるはずだ(ISO17021:2011 9.1.10参照)」
横山
「おっしゃることは分ります。でも審査報告書の所有権という意味合いもはっきりしないのです。普通は報告書原本の所有権が認証機関にあり、受審企業に出すのはその写という位置づけだったのではないかしら。認証機関から要求されていることは審査登録証と同じく管理しろということですから、コピーであることの表示とか配布先を記録しておけばよいはずです。それと報告書の一部だけを使うことはいけないということだったはず」

横山の話を聞いていてこれは単なる女の子ではない、ひと癖もふた癖もありそうだなと三木は思った。
三木
「なるほど・・・
ああ、それからいくら親会社といってもISO審査は認証機関と受査組織の契約だから、問題があっても認証機関に苦情を入れるのは民法上筋違いじゃないだろうか」
横山
「関連会社の不始末が親会社の責任問題であるというのが現在の社会の認識ですから、そんな論理はないでしょう」
三木
「なるほど・・・筋論ではなく現実優先ということですか」
横山
「うーん、筋論ではないとは言えないでしょう。経営責任、社会的責任という観点からみて筋論そのものでしょう。
そればかりではないです。認証機関として審査した会社の親会社から苦情を言われることは面白くないかもしれません。しかし審査に不適際があったなら認証機関は苦情を受け入れなければ認証機関が大変なことになる恐れがあります。問題を指摘してもらったことに感謝すべきでしょう」
三木
「なるほど、もうひとつ、親会社といえど関連会社に認証機関を変えさせることは会社法から言ったら越権になるでしょう」
横山
「そんなことありません。私たちから見れば認証機関はサービスの調達先です。品質の悪い会社と取引している関連会社に対して、親会社が品質の良い会社から買えと指導するのは当然ですよね。ISO9001では製品とサービスは同じでしょう」
三木
「うーん、認証機関は供給者、下請負業者か・・・
でもさ、改善しなかったら取引先を変えるぞってのは脅迫じゃないかな」
横山
「ま〜たご冗談を。それが脅迫になるなら品質が悪いからと実際に転注したら暴行・傷害ですか、そしてそれによって倒産したら殺人罪、アハハハハ」

三木は横山のあっけらかんとした論理と素早い反論に常日頃そういうことを考えているのだろうか、いや廣井や山田といったベテランに相当もまれているのだろうと思った。時間があれば三木はもっと横山と話をしてみたい。

注:ここで三木と横山が品質という言葉を無造作に使っているので、イチャモンがつくかもしれないので若干補足する。
商取引において優越した地位を利用して、取引の相手方に無理な要求を押し付ける行為は不公正な取引方法に該当する行為とされている。品質保証協定などでAQLなどで品質水準を決めているなら、それ以上あげろと要求することは契約違反というか、強い立場からの要求ならば独禁法違反の恐れがある。
但し、契約した仕様を満たさないとか品質がAQL以下であるなら、むしろ納入者の契約違反として取引が打ち切りされても文句は言えないだろう。
ISO審査において規格要求の見逃しがあれば、それは審査契約したサービスの品質を満たさないとされても文句は言えないのではないだろうか。
もちろんISO審査は抜取であるから、一定水準の見逃しはあるという論理は認める。(ISO17021:2011 4.4.2参照)但しそのときはISO認証企業にも一定水準の不適合を認めざるをえず、諸刃の剣ではある。
これに関して、一家言ある方のご意見を待ちたい。


うそ800 本日のまとめ
審査の問題というのはほとんどが審査員の力量の問題でしょう。あるいはそれを指摘できない企業側の力量の問題でしょうか。
第三者認証制度とはつまるところ提供するサービスの質、すなわち審査する側の力量次第のわけですが、受査側の力量も重要ということですね 
おっと「力量の問題」とは「力量がないという問題」というべきでしょうか?

うそ800 本日の最後っ屁
某誌に「マニュアルは最高位の文書だ」とお書きになっている方がいた。
そんなことはないんだよと教えてあげようと思ったが、あからさまでは失礼かも知れない。ということでこの文章で懇切丁寧に解説したつもりだ。


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