「自滅する人類」

2015.03.02
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

著者出版社ISBN初版価格巻 数
坂口 謙吾日刊工業978-45260699562012/12/201400円全1巻

どんな生物も時がたてば進化する。ウイルスが生物かどうかはともかく、ウイルスの進化は日単位とか時間単位らしい。それほど進化が速いから、ウイルスによる感染症の予防は困難だ。もちろん複雑な生物になると進化するのに時間がかかる。インスタント食品はすぐに食べられるが、美味しい料理は時間がかかるのだろうか?
おっと、長い期間姿形を変えずに子孫を残している生き物もいる。シーラカンスやゴキブリは恐竜時代からいたそうだ。もっともシーラカンスが生きた化石と言われても、実際には中身は進化しているとも聞く。ま、そりゃそうだろう。
人間の場合、サルもどきから今の人間になるのに100万年くらいかかったらしい。とはいえ、100万年あれば、動物から原子力を使い宇宙に出かけるくらいまでに進化するということだ。そして100万年は地球の歴史から見ればあっという間だろう。
地球ができてから100万年の4000倍の時間が経っている。生物が現れてからでも3000倍の時間が経過した。太陽の寿命がくるまで30億年として、今人類が滅んでも、これから3000種の生物が文明を築く執行猶予があるのだ。
その前に赤色巨星になるだろうなんて細かいことを言っちゃいかん

人はサルから進化したとも言われるが、実際にはサルじゃなくて、サルのような生き物から進化したわけで、その祖先は今はいない。つまり滅んだわけだ。もちろん現在生きている猿の祖先も今のサルとは違い、猿の祖先も既に滅んでいる。滅んだというと聞こえが悪い。進化して今の姿になったと言おう。もちろん生物の中には進化せずに、そして元の形のままで生き残ることもできず単純に死滅したもの多かったろう。
この本では地球上に過去5250万種類の生物が出現したが、同時期には150万種程度共存し、個々の種は1000万年程度のインターバルで交代してきたという。その論で言えば、レッドデータブックなんて心配でもなんでもなく、今流に言えば「それ、おいしいの?」でおしまいだろうし、トキを守れとか、ジュゴンを守れなんて無意味である。
「それおいしいの」とは知らない言葉・ものが出た時に、食べ物と思い込むボケとして落語で古くから使われていた。元は「知らないものを勘違いする無邪気さ」だったが、だんだんとニュアンスが「勘違い」→「知らん振り」「どうでもよいこと」に変化してきた。

ともかくすべての生物は進化する。なぜかというと周りの環境が変わるから、環境に適応していないと生き残れない。言い換えると環境にあわない生物は滅んでしまうので、時代時代で繁栄している生き物はその時代に特有のものであり、過去に繁栄していた生き物とは変わっていることになる。

ということは今現在人間は万物の霊長なんて悪い冗談のような名前を自称しているが、1万年とか2万年後に、今の人間が生きているあるいは繁栄していないことは100%間違いない。恐竜 人類と無縁の生き物が栄えているかもしれず、もちろん今の人類が進化した生き物が繁栄しているかもしれない。
この本は「生物は進化する。だから繁栄している生物は必ず滅びる」という。それは当たり前のことだろう。
そして地球温暖化とかエネルギー危機とか騒ぐのはおかしい、そんなことは生物というか自然の掟そのものだという。それにも同意だ。
そして生き物は生きていることによって自然を改変する。それが自分にとって都合の良いこともあるし、自分に都合の悪いこともある。21世紀初頭の現在、「オゾン層を守れ」なんてことは誰も否定しようない正義のようだが、それは正義なのか?
そもそも地球には酸素がなかった。生物が現れ、葉緑素をもつ植物が現れて、彼らは排泄物として酸素をはきだした。それが大気のかなりの部分を占めるようになり、太陽からのエネルギーで酸素分子からオゾンができオゾン層が作られた。その結果、紫外線が遮られ地球上に好気性生物が大繁栄して、その一方嫌気性生物は地上では死滅してしまった。今生き残っている嫌気性生物は酸素から隔離された深海とかどぶの中、あるいは人類が作った嫌気性排水処理施設の中だけだ。酸素を生み出した藻は有罪なのか?
嫌気性生物は還元性大気を守れという運動をしたのだろうか?
酸素を生み出した藻が無罪ならば、人間がオゾン層を破壊して自滅しても有罪も無罪も関係ないようだ。
有罪とは罪刑法定主義においては立法化された規制に反することであって、過去の慣習を乱すことでもなく、多数の幸福に反することでもない。であれば酸素を生み出した藻が有罪であるはずはない。
結論とすればオゾン層を破壊した人類は、他の生物を殺そうとも自分で自分の首を絞めても有罪であるはずがない・・・と思うけど

いや環境改変して他の生き物を殺すのは無罪でも、環境改変の結果自らを殺してしまうのは有罪とおっしゃいますか?
その理屈を考えてみましょうか
私が好きな酒には醸造酒と蒸留酒がある。どんな酒も初めは醸造酒として作られ、蒸留酒は醸造酒を濃縮したものだ。醸造酒のアルコール度数は多くが16%程度で最大でも20%くらい。日本酒もワインもビールもその他の醸造酒も、みなアルコール度数はその程度である。
ビール
それは、なぜか
酵母菌は穀類や果実を発酵させアルコールを作るが、やがてアルコールが多くなると、自分がそのアルコールで殺菌され死滅してしまう。それがアルコール度数の上限となる。
それ以上の度数にするには蒸留して濃縮しなければならない。だが蒸留してもアルコールは96%以上にはならない。世界で一番強い酒なんていうのが96とか97%というのはそういうわけだ。
精密機器などを洗浄するときは、少しでも水分があるとサビなどの原因になるので無水アルコールを使う。無水アルコールを作るには単に蒸留するのではなく、蒸留の際に他の薬品を加えるなどする。
アルコール
おっと、ここで論点は酵母菌は無罪なのか有罪なのかということだが、アルコールの場合、飲兵衛の私から見れば無罪どころか表彰ものである。
人間が自殺は宗教上の理由以外に刑法での罪になる(犯罪)ということはなさそうだ。
自殺ほう助とか自殺するとき他人を巻き込むとかはとりあえず除外しよう
では、地球を改変して自分が死んでしまったときはどうなのかであるが、そのときは人間がいないのだから宗教もなく裁判官もおらず気にすることはない。人類以外はといえば、死滅した生物は恨むこともできないだろうし、繁栄する生物は気にもしていないだろう。三方良しではないか!

坂口先生は現在の地球の状況を映画的に表現する。
大昔に生きていた生き物たちが今の地球を見ると、恐怖の殺戮毒ガスである酸素が空気の中にも水の中にも充満し、その恐ろしいガスをドンドンまき散らす植物がはびこり、さらにはその毒ガスを吸って生きる悪魔のような動物が我が物顔で歩く地獄図絵そのものの、鬼の世界にしか見えない。(p.146)
そして「地球を救おうとはいったいどういうことか」とカツを入れる。
まさしく同意!

だがこのセンセイの語ることで同意できないことがふたつある。
ひとつは、
著者は「人類は滅んでしまう」といいつつ、それを避けるために「生息数(人口)を減らせとか、資源を細く長く使え」という。そういう意図が分らない。そんな論理は支離滅裂ではないか。まあ、気持ちはわかるが・・
そんなことを言わずに、「人類は滅ぶのが必定だ、ジタバタするな。今を楽しく生きろ」というべきだと私は思う。それが正しいか否かなんてことはない。厳正な事実である。

もうひとつ、
著者は人類が滅亡するのはあと50年かせいぜい1世紀だろうという。これもどうかと思う。確かに人口は20世紀になってから指数曲線で急増中だ。それを延長すれば、やがてというか、まもなく終点に着きそうだとは誰でも思う。しかし、今後エネルギー危機あるいは食糧危機、それとも未知の病原によるパンデミックであろうと、そんなに簡単に人類が死滅するとは思えない。終点についても、一挙に人間が全員死ぬということはないだろう。戦乱、飢饉、自然災害などの大混乱が続き、だんだんと文明が失われて過去の歴史を逆戻りしていくだろうとは私も想像するが、ヨーロッパの中世あるいは日本の古墳時代程度までに逆行した時点である程度平衡状態になり、それが10世紀や20世紀は継続するのではないかという気がする。そして人間が新石器時代というか農耕革命以降の状態を維持するとすれば、それはやはり文明と呼んでも良いのではないだろうか。どう考えても、一挙に全滅ということはなさそうだ。
そのような状況になった世界を描いたSF小説やマンガはおびただしい
だいぶ前に、武田邦彦先生が「これまで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、ここでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ」と語った。
それが名誉か不運はともかく、私たちがその大変革、人類最後の場に居合わせるということはありえないと思う。本当に今後50年くらいに人類の滅亡が起きるなら、そういう歴史的瞬間に私が生まれたことはまさに奇跡である。神の子イエスキリストが地上に降りたのは人類史上たった一度であり、だから奇跡である。その場に遭遇できた人は、ユダもピラトもバラバも含めて大変名誉なことであったろう。
まあ一歩下がって考えると、人類滅亡の定義も定かではない。軍隊で全滅とは兵力の3割以上を失った場合らしい。玉砕といっても生き残りはいる。人類の滅亡というのも人口が1割程度になったことを意味するのかどうか・・そこんところは坂口先生にお聞きしないと分らない。

温暖化!エネルギーが!人口爆発!など環境に悲観的になっている方は一読すると方が楽になりますよ。200ページくらいしかありませんから、ご一読お勧めします。

うそ800 本日のお勧め
ISOの担当です、自然保護をしましょう、オンダンカガーと語る人々は必読です。
省エネをしています、廃棄物処理をしっかりやってます、品質を上げるのが生きがいです、そんな人は読むことはありません。あなたは既にこの本のレベルを超えているから、

うそ800 本日の疑問
こんなことを思うと、持続可能性って一体なんだ?



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015.03.02)
人口爆発といいますが、実際に増えているのは発展途上国であり、先進各国は皆、多かれ少なかれ少子高齢化傾向にあると言います。ですから、それだけの人口を養っていくだけのリソースがなくなれば、自然と数は調整されるのでしょう。
恐竜は絶滅したのではなく、「鳥に進化した」という話もありますし、何を以って絶滅とするかは判断の分かれるところでしょうね。

名古屋鶏さん毎度ありがとうございます。
おっしゃる通りですね
ただそうしますと、持続可能性ってのがどうつながるのかと??
まあ、騙る人々が人々ですから、ホーットキマスカ

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