けん玉

2015.11.30

くだらないことであっても、常に何かにチャレンジしていないと気がすまないというか落ち着かない私である。チャレンジといってもたいそうなことではない。退職した時は、とにかく泳げるようになろうと思った。
水泳 いくら遅くても走れると言って嘘ではないし、砲丸が足元に落ちても投げたことに変わりはない。しかし泳げると泳げないとは月とすっぽん、一目瞭然、イチかゼロかでその違いは明白だ。似たようなものにスケートや鉄棒もできるとできないがはっきりしている。ともかくまったく完璧にパーフェクトにカナヅチだった私は、「泳げる」と言えるようになりたいと思った。
それになによりも船が沈んだ時に生死に関わる。以前ならそんなことを言ったら笑われただろうが、2014年に韓国でセウォル号沈没事故が起きてからは笑い話でなくなった。セウォル号は己が沈没しただけでなく韓国経済をも沈没させたようで、沈没はダメージが大きいのだ。
ともかく泳げるようになろうという老人の意思、いや怨念はハンパではなく、引退したとき正真正銘のカナヅチだったおばQ老人も、3年と少々が経った今では毎日クロールで3キロ以上泳いでいる。平泳ぎでも50mくらいは泳ぐが、平泳ぎはクロールのようには速くは進まないしクロールの何倍も疲れるから嫌いだ。
がっしりしただろう スイミングのおかげか最近は胸囲も驚異的に増して会社員時代のシャツや服がきついどころか着れなくなり、家計に脅威となってきた。 つい最近も冬服を出してはみたものの、きつくて着れなくなったジャンパーとジャケットを捨てた。年金暮らしにとっては重大問題である。
おっと泳げるといえるようになった今でも服を着たまま冷たい海に放り出されたら、助けが来るまで浮いていられるかどうかとなると定かではない。北欧では泳ぐ距離よりも、少しでも長い時間浮いている方法を教えているという。でもまあ今の私なら不忍池でボートから落ちたなら、なんとか岸まで泳ぎ着けるだろう。もっとも不忍池の深さを調べたら1mないそうだ。それなら泳げなくても・・・
ところで一応泳げると言えるようになると、マスターズに出るわけでもないからより速くなんてことは考えもしないし、泳ぐスタイルが左右非対称でも手のリカバリーがかっこ悪くても、まあこんなものだろうと割り切ってしまい更なる向上心が湧いてこないのである。
そんなわけで最近は努力目標を見失い少しだらけていた。正直プールに行くのを今の週四日から、週三日あるいは週二日くらいにしようかと思っている。

そんなときに「けん玉が老人のボケ防止とバランス感覚の維持に効果がある」と何かに書いてあったのを見た。まさに老人真っ盛りの私向きではないか。
実はけん玉には思い出がある。いや幼いころの思い出とかではない。赤貧洗うがごとくどころか、赤貧をジャブジャブ洗っていた我が生家にけん玉などあるわけがない。 お酒 60有余年の私の人生で、小中学で同級生がけん玉で遊んでいたのを見たことはあるが、触ったことさえなかった。
ところで私が最後に働いていた職場では面白い伝統というか習慣があった。それは飲み会、つまり転勤者の歓迎会・送別会、忘年会、退職者慰労会などのおしまいには、必ずゲームをやってしょうもない賞品を出すのであった。しょうもないとはつまらないとかくだらないという意味で、具体的には風邪薬のオマケについていた人形のストラップとか、100円ショップから調達してきたミニ門松とか、まあそんなものである。ともあれ賞品がなんであろうとそれは勝者の証である。オリンピックの金メダルやノーベル賞のメダルに価値があるのではなく、賞を取った功績に価値があるのだ。
ところでどんなゲームかと言えば、なにをするかはその都度幹事が決めたが、ビンゴゲーム、じゃんけん大会、くじ引き、アミダ、まあ賞品もしょうもなければ、ゲームもまたバラエティに富んでいた。 けん玉 そんなものであったがなぜか常に真剣になって勝ちを争った。大の大人がよくそんなことをしてと笑われるかもしれないが、職場のコミュニケーション向上には効果大であることは間違いない。
あるときの競技種目がけん玉であった。幹事が大きめのけん玉を持ってきて、1分間の制限時間内にけん玉をどの皿にでもよいから乗せた回数が多い人が優勝だという。うまい人は10回も乗せたが、そのときまでけん玉に触ったこともなかった私は1回も乗せられなかった。そのとき悔しいと思うこともなかったが、けん玉ができたらすてきだなという程度の思い出は残ったのである。
よし、けん玉をしよう
後先考えない私はすぐさまインターネットでアマゾンにけん玉を注文した。といういのはそのへんで買うよりも「認定けん玉」というのがよさそうだと思ったから。手元にけん玉が到着したのは翌々日の2015年11月20日のことであった。アマゾンも最近は翌日着が無理のようで翌々日になることが多い。
すぐさま袋から中身を取り出して、何度かけん玉を振ってみたが、まったくダメだ。手に球をぶつけて痛い思いをしたり、せいぜいが球を皿の角にぶつけるのが関の山、何年も前に飲み会でやった時と変わらない。
これではいかんとネットでググった。けん玉のテクニックを載せているウェブサイトはたくさんある。見るとまず持ち方の基本があるらしい。包丁のように握るのではない。だがネットの画像だけではよくわからない。
よしテキストを買おう
私の新たな挑戦が今から始まった・・・なんていうとすごいプロジェクトのようだけど、いったいけん玉をマスターするハードルってどの程度のなのでしょうか?
二三か月で終わってしまうのではちょっと悲しいです。スイミングが3年かかったわけですから、こちらも3年程度かかってほしいです。

ところで昨年、市が主催する老人大学に1年通いました。卒業したのちも同級生が時々集まってお酒を飲んだり古跡を訪ねたりしています。同期の中に尺八を吹く方がいます。尺八は俗に首ふり三年なんて言いますが、洋風の楽器と違い音を出すことさえ難しいしろもの。それを先生につかず独学だけで童謡などを吹けるまでになったのですから只者ではありません。聞くとカットアンドトライの日々で10年近くかかったそうです。
まさかけん玉がそれほどってことは・・・・ないよね!?
モシカメ
これがモシカメで、球を大皿と中皿に交互に載せます

 本日の誓い
これからまじめにけん玉の修行を続けているなら、ときどき進捗を書いていきます。ふた月後にモシカメができるようになりたいな・・・
ひょっとして三日坊主で放り投げてしまったり・・
がんばれけん玉



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