7.3 認識

15.03.16
「認識」という語は誤解されやすいというか、誤解されているというか、あまりよく理解されていないと思う。2004年版のときは「自覚」と訳されていたが、そのときもいろいろと誤解されていたと思う。2004年版でもそんなことを書いたが、規格の言い回しが変わったから改めて書く。

本題に入る前に、小林 旭で一曲いきます
ロックをダブルで
1996年には 自覚と呼ばれたの〜♪
2015年じゃ 認識と名乗ったの〜♪
規格が変わったその日から
あなたがさがして くれるの待つわ
昔の名前で出ています〜♪
ギター

自覚とか認識とか、コロコロ訳が変わるのは源氏名だからか?
そもそも「aware」を訳すのに「認識」という語をあてたのはどうかと言えば、私は不適切、きつく言えば誤りだと思っている。おっと04年版の「自覚」もまた不適切な訳語であった。
ゲンコツ ISOには関係ないが、私の子供時代は体罰が当たり前の時代だったので、「自覚」と聞くと「己の非を自覚しろ」と怒鳴るセンコーの叱責、ビンタやグーパンチのイメージしかない。
それにさ、自覚というのは個人を主体にした考えというか行為であって、ルールを作ってそのルールを守らせる(従わせる)というISOの論理構造からしたら不適切というか誤りだろう。本来なら管理側が主体であって、従業員を「躾ける」とか「調教する」、極論すれば「洗脳する」というニュアンスでなければおかしい。

2015.03.17追加
この「しなければならない」主体が「組織の管理下で働く人々」というのは、どう考えてもやはり変だと思う。
つい忘れていたが、ISO14001:2004年版をみると、ちゃんと
The orgnaization shall establish〜となっており、「組織は従業員に自覚させる仕組みを作らねばならない」であって、従業員に自覚させる責任は組織(企業)であるとしている。そしてまた要求するものが「自覚させる仕組み」であれば十分に検証可能だ。
だけど2015年版の「本人に自覚しろ」とか「自覚しなければならない」という要求事項はそもそもが検証不可能だと思う。
なぜ2015年版ではそれが従業員自らの責任になったのか? そこがわからない。
規格改定説明会などでは、ここについての解説があったのだろうか?
ご存じの方いらっしゃいましたらご教示願います。


では、どう訳せばその意図が誤解されずわかってもらえるのだろうか?
本日はそれがテーマである。
規格原文は
Persons doing work under the organization's shall be aware of 〜.となっている。
高校ではpersonの複数はpeopleと習った。Personsという言い方は間違いではないが、非常に例外的で堅苦しい言い方のようで、かつ対象となる人(s)及び範囲が明確になっているときに限って使われるらしい。
ここでは組織といっても特定のものではなく一般論であり、そこに属するメンバーも一意的には決まらない。この場合personsを使ってよいのだろうか? まあ、英語のネイティブが参画していて規格文言を作っているのだから間違いではないのだろうが、
私が通っている英会話学校の先生はこの文をみてニヤリとした。その真意は分らない。

私の習っている英会話教室は、口語中心で教えているからだろうか? 私たちが中学で習った表現をすると、ほとんどがそんな言い方はしないと言われてしまう。
How are you.?に対してはFineではなくGoodだという。I like sports very much.はI love sports.と言え、I listen to music while cleaning.は変だからI clean and listen to music.だという。
イチゴ 私と家内がイチゴ狩りに行った翌週に、イチゴ食べ放題だったことを、We could eat as many strawberries as we wanted.と説明したら、we wantの方が普通で、会話では時制の一致をそこまで気にしないと言われた。日本語と英語では表現様式が違うものの、日本語の場合なら確かに「食べたかっただけ食べた」よりも「食べたいだけ食べた」の方がすなおな気がする。英語の場合はどうなのだろう? 私には見当もつかない。

さて本題である「aware」とは何か? とりあえず英英辞典で「aware」を引くと 多少表現は違うが意味はふたつの辞書とも同じようだ。

さて、つぎに問題になるのはrealizeの意味である。
これも英英辞典によると 単に理解するということと、達成あるいは実現するという意味がある。
ここでISO規格は理解するという内心のことを語っているはずがなく、「理解してほしいとか」「思ってほしい」ということをshallとするはずがない。だってそんなことは検証不可能だ。規格要求事項とは客観的に検証可能なことであるはずだ。そう考えるのは、私の思い込みだろうか?
だから2番目の「達成する」意味を含むと考えるのが妥当だろう。
ということでawareの意味は、単にknowだけでなく、realizeという意味があるとawareすることにする 
ISOの文章では「shall」があるから、「組織の下で働く人々は、○○について知ってそれを実行しなければならない」となるのだろう。

さて、翻訳文で使われた語句の意味は英英辞典ではなく、国語辞典の出番だ。
    広辞苑(第二版)によると「認識」とは
  1. 知識とほぼ同じ意味
  2. 知識が知り得た成果を意味するに対し、認識とは知る作用と成果の両方をさすことが多い
    広辞苑
JIS規格案では「組織の管理下で働く人々は、次の事項に関して認識を持たねばならない」であるから広辞苑の意味を代入して考える。
1.の語義からいえば「組織の管理下で働く人々は、次の事項に関して知識を持たねばならない」であり、
2.の語義からいえば「組織の管理下で働く人々は、次の事項に関して学んで知識を持たねばならない」となるのだろうか?
英語の場合、knowとrealizeの二つあるから、なにごとかを知ってそれを実現するという意味である。しかし日本語訳においては「認識」という語を充てているので、その意味は知ることに留まっており、行動するという意味が漏れているように思える。
実はこの点に関しては偉大なる宣教師、寺田さんが「認識は知覚上のことであるが、自覚には認識をした上で意識を働かせる必要がある」と書いている。
出典「ISO14001:2004要求事項の解説」(2005)、日本規格協会、p.101
しかし私は「自覚には認識した上で意識を働かせる」という根拠というか意味を記してある国語辞典を見ていない。そして「知覚すること」、「意識を働かせること」の違いが具体的に何か理解できない。なによりも重要だがawareで英英辞典にある「知ること」と「実行すること」が寺田さんの語ることと同じとも思えない。実を言って私は寺田さん自身が「awareとは認識して意識すれば実現しなくてもよい」、いやそこまで言っては言い過ぎなら「awareには実現するという意味はない」と理解していたのではないかと勘繰ってしまう。

以上の語の意味をまとめた関係図
知る行為 知覚する 意識を働かせる 行動する 出典・根拠
aware × 上記英英辞典
認識 × × × 寺田氏の著書による
× × 広辞苑第二版
自覚 × × 寺田氏の著書による
前述したように、私は「知る行為」と「知覚すること」そして「意識を働かせること」の違いというか関係が分らない。上の表は寺田さんや広辞苑に書いてある、知る行為、知覚する、意識を働かせるというみっつの「意味」をただ書き並べただけである。
ともかく上表は行動する(実現する)という意味があるか・ないかを示しただけとご理解願いたい。
みなさんからの良いご意見、ご提案をお待ちする。

英語のaware(2004年版)とかawareness(1996年版)には「認識して意識する」ことだけでなく「認識して行動する」、いや「認識して実現する」という意味があり、日本語訳されたときに後半部分の意味が欠落してしまい、そしてそれが問題ではないのだろうか?
英英辞典でawareとawarenessをみると形容詞と名詞の違いだけで、特段意味が異なることはないようだ。

更に言えば、そのために何を認識するかはわかっても、それをしなければならないというところがあいまいというか欠落しているために、審査員によってこの項目全体がどうにでも解釈されてしまうということになる。

まとめである。
翻訳するとき、7.3のタイトルが「aware」の一語だったから、日本語のタイトルも一語にしなければと思ったのだろうか? 具体的には翻訳規格のタイトルも文章も、直訳しようとしてよけいに意味がおかしくなってしまったように思えるのが多々ある。英語一語には漢語一語を充てるなんて無理をすることなく、本来の意味を正しく伝えるように訳すべきだったのではないか。
もし元の英語の単語や文節に見合う適切な漢語がなければ、散文で良いからものごとを正確に表す言い回しにしておけばよかったのにと思う。ま、それを言っちゃ1996年版から一緒だけどね・・
もうひとつ大事なことであるが、前にも述べたように、私は組織に属する人々に規格が要求する言い回しはおかしいとおもう。規格は組織に属する人々が期待する状態になるように、組織あるいはマネージャーに要求しなければならない。これはISO規格もニュアンスがおかしいのか、英語ではそういう意味合いが含まれているのか、私には全然わからなない。

じゃあこの文章をどうすればいいのかと言えば次のようにしたらよいかもしれない。
少なくても今よりは真意が伝わりやすいかと思う。

7.3 組織の下で仕事をしている人々に対する意識づけ
トップマネジメントは、組織の下で仕事をしている人に対して、以下のことを自覚して業務を行うようにしなければならない。


意識の代わりに認識を使いたければ
7.3 組織の下で仕事をしている人々の認識
トップマネジメントは、組織の下で仕事をしている人に対して、以下のことを認識して業務を行うようにしなければならない。

でも良い

上記案のタイトルにおいては「意識づけ」あるいは「自覚」だけであるが、本文に「業務を行え」とあれば、規格の意図は満たされるのではないかと愚考する。もちろん、より良い言い回しの提案を拒むものではない。

JIS規格をこのように書けば「自覚」と「認識」の違いとか、本来の意図はなんて気を使うこともない。要するに正鵠を伝えることが大事である。
ともかく、理解するだけでは足りない。寺田さんの語ったように意識するだけでもダメだ。理解したことを実行しなければ無意味ですよ。だってちょっと考えれば当然じゃないですか!
審査員が「あなたは○○を認識していますか?」と質問することはありえない。いやしくも審査員であるなら調査対象者の行為や記録を観察して、○○を認識しているか、それを達成するように行動しているかを判断するんじゃありませんか?
それができなくては審査じゃなくて、ママゴトじゃないですか、
上杉鷹山も言ってるでしょう、成さぬは人が成さぬなりけりって

振り返ると、2004年版のとき審査員からこの項目についていろいろ言われたもんです。ある人は「著しい環境側面に関わる人には教育訓練をして、著しい環境側面にタッチしない人には自覚教育をするのだ」とか、またある人は「自覚とは環境側面に関することでなく環境問題の一般的知識である」と語る人もいた。「教育訓練は要求事項で自覚は努力義務だ」なんて書いていた本もあった。そんな説を唱えていた認証機関はどこでしたっけね?
あ、私は覚えていますよ、ご本人は忘れたいかもしれないけど
あ、私は覚えていますよ、ご本人は忘れたがっているかもしれないけど
重要なことは、本当の意味はそんなこととは全然違うんですよ。困っちゃうなあ〜
ともかく私たちは毎度の審査で「自覚の意味はそうじゃありません」とかよく言われました。申し訳ないが、そんな話を聞く気はありません。なにしろ審査員がここに1秒いるごとに私たちは5円払っているのです。あなたが認識とか自覚について5分も語ると1,500円もかかるのです。世の中はリーマンショック以降、いやそれ以前から厳しいのです。ですから審査員の方には、審査費用にみあったレベルの審査をお願いします。おっとそんな当たり前のことは十二分にご認識されていると思いますが、なにしろ認識とは理解することだけでなく実施することまで含みますんで・・

うそ800 本日のトッピな提案
ここは「aware」を英語ではなく、ローマ字読みで古典の「あわれ」と理解した方がよろしいかもしれない。

あわれ
[1] 感動詞
: ああ、あれ
[2] 名 詞
: ①しみじみとした趣、②寂しさ、悲しさ、③愛情、人情、情け

そうすれば、いっそう規格の意図が認識できて、きっと趣のある審査ができるだろう。(適当)
「俗聖とか、この若き人々のつけたなる。あはれなることなり」(源氏物語)
そのうち「源氏物語で理解するISO規格」なんて本が出版されるかもしれません。それもまた結構なことでしょう。ついに日本独自のISO規格の誕生です。
麦わら帽子
「ISO14051マテリアルフローコスト会計」が日本初、日本発の環境ISO規格だなんて関係者がはしゃいでいたのはほんの数年前。あのセンセイ方は今何をして何を考えているのでしょうか?
「おかあさま、僕のISO14051、どうしたでせうね?」
と書いてから、21世紀にはこのダジャレが通用しないと気がつきました。
おっと、「山の彼方の空遠く」は「あわれ」ではありませんよ。あれは「ああ、われひとと・・」ですからお間違えのないように 
ええっ、カール・ブッセを知りませんか?
昔は小学校の教科書に載ってたもんです。

うそ800 ところで、本日は源氏名から始まって、源氏物語までつながったでしょうか?



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015.03.17)
認識
鶏は単に「その仕事にどういう意味があるのかを知っているのか?」という程度で考えてました。
例えば「今そこでアホな指摘をすることが、どういう意味を(以下略


名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
「自覚」あるいは「認識」とは、「著しい環境側面に関わる人には教育訓練をして、著しい環境側面にタッチしない人には自覚教育をするのだ」でもなく、「自覚とは環境側面に関することでなく環境問題の一般的知識である」でもなく、「教育訓練は要求事項で自覚は努力義務」でもありません。
鶏さんのおっしゃるように「その仕事にどういう意味があるのかを知っているのか?」ということなのですが、私はそれだけでなく、「その仕事にどういう意味があるのかを知って仕事をすること」であると考えています。
「その仕事にどういう意味があるのかを知っているのか?」ことと「その仕事にどういう意味があるのかを知って仕事をすること」は同じではありません。高尚な理屈を知っていても、それを実践できるのか否かは全く違います。
それは私の考えだろうと言われるかもしれませんが、そうではないと思います。だって「その仕事にどういう意味があるのかを知っていること」は検証が困難であるだけでなく、実際の仕事に生かさなければ意味がありません。
「その仕事にどういう意味があるのかを知って仕事をすること」は客観的に検証可能であり、そしてそれこそが意味ある仕事であるということです。

外資社員様からお便りを頂きました(2015.03.17)
おばQさま
いつも楽しいお話しを有難うございます。
用語解釈の問題は難しいですね。 その分野の専門家でないと役が困難で、その人は英語の専門家ではありませんから、両方からの協力があればベストなのだと思います。
私自身も海外規格の邦訳をした事があるので、行う側の大変さも判ると共に、自分の訳で迷惑だった人がいるのではと未だに不安が残っています。
但し、言い訳をすれば、私の場合は小さな業界団体で、読んだ人が直接に訳者に意見を言えて問題を随時修正できた事です。
さて、源氏物語のあはれが出たので、私も西条八十の名作を元に迷作を提出します。
Qさんは、もちろんオバQさまです。

Qさん、あの看板、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落とした あの看板ですよ。

Qさん、あれは好きな看板でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり逆風が吹いてきたもんだから。

Qさん、あのとき、向こうから若い審査員が来ましたっけね、
紺の背広にネクタイをした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろリストラで、それに予算が
足りなくなっていたんですもの。

Qさん、ほんとにあの看板どうなったでせう?
そのとき傍らに掲げていたグリーン調達の絵は
もうとうに消えちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の経済があの業界をこめ、
あの認証会社で毎晩 契約審査員が泣いたかも知れませんよ。

Qさん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの認証の看板と、
その裏に僕が書いた
USOという頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。


外資社員様 毎度ありがとうございます。
ISOマネジメントシステム規格の場合、翻訳が重大というか重大な影響を審査に与えます。特に翻訳が曖昧模糊ですと、審査員が独自解釈をご披露されそれに基づいて審査が行われることがありました。
ということで企業の担当者にとっては認識か自覚かというのも重大問題になります。
しかし外資社員様からお便りを頂くと毎回、古事記、日本書紀、百人一首とか万葉集、今回は西条八十と教養あふれるツッコミをいただき、理解するにもウィキをたどったり本棚から本を引っ張り出したりしなければなりません。
そこまでしなくても私が分るように、旭か裕次郎くらいにとどめておいてくださいな


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