規格改定の意味

15.06.15
だいぶ前に「次期改正 爺も言いたい」という一文を書いたが、その後ISO14001DISを読んでいろいろ考えるにつれて、もっともっと発言しなければならんと思うようになった。よって本日も文句を言う。いや、改善提案をご奏上いたしたい。
「次期改正 爺も言いたい」の主題は「規格より運用がだいじ」であった。その思いは今回も変わらないが、今回の主題は更に一歩進んで「ISO規格はどうでもよくて運用がだいじ」である。
本音を言えば「運用がすべて」なのだが
だから語る方向は前回と同じだが、その強度、重み付けは前回と違う。今回の主張は、前回よりも規格の位置づけというか重要性が低いというか、ともかくISO規格は重要でないという主張である。ここんところ重要、アンダーラインを引くこと 

2015年6月現在、ISO雑誌や環境関連雑誌に、「ISO規格が改定になればこういう対応をしなければならない」、「規格改定によって企業の仕組みを見直さなければならない」ということを書いている人が多々いる。それを読んで、じゃあウチの会社規則を見直そうとか、手順書を改定しなければと思って既に作業に入っている人も多いだろうと思う。
私はそんなことは止めなさいと言う。なぜなら、そんなことは意味なく、当然いかなる改善にもならないだろう。無駄な仕事はしないことに越したことはない。それこそ環境に悪く、企業の損益に悪く、温暖化防止どころではなく温暖化に寄与してしまうではないか!
え、ISO改定は会社の仕組みの改善のためではないのか、マネジメントシステムの見直しは会社を良くするのではないのかとおっしゃる人がいるかもしれない。

質問します。
ISOMS規格なるものが世に出て早30年になる。いやあ、時が過ぎるのは早いものだ。私が当時勤めていた会社の現場にいると、そのときの課長が日経新聞を持ってきて我々に「今度ISO9000という規格ができた。商取引をするためには、この規格の認証というものをしなければならないという。認証するには大変なことらしい」なんて言っていた。そのとき現場監督だった私は真剣に聞いていなかったが、その数年後、私が中心になって田舎の工場のISO認証を進めることになろうとは思いもしなかった。そしてそれから20年もの長い間ISOに関わるようになるとは、お釈迦様でもご存じあるめー

と、それはともかく、
それからの30年間で、ISO認証はその価値を実証したのであろうか? ISO認証企業は認証していない企業に対してなんらかの差別化を示したのだろうか? 私はISO認証の効果をデータで示したものを見たことがない。
ISO認証している会社はしていない会社よりも優れているという証拠を見たことがない。

じゃあそもそもがISO認証とは意味のないものなのか?
認証する効果は元々ないと言ってよいのか?
おっと待ってください。
JABや飯塚教授その他消費者団体は、ISO認証の効果がない理由として、あるいはISO認証企業が製品事故や環境事故を起こす原因として、企業が悪いことをしているからだという発言をしている。
それは本当だろうか? それは事実なのだろうか?
私は企業がウソをついているから、そういった事故が起きあるいは認証しても効果がないという証拠を見たことがない。そしてそういうアホな発言をしている人たちは、企業がウソをついたことによって認証の効果がないことを示す証拠なりテータなりを提示していない。
裁判で「あいつが犯人だ」と言って有罪にできるのか? 確固たる証拠なく、状況証拠さえなく、「あいつが犯人だ」という一方的な証言だけで断定し、濡れ衣を着せ、臭いものにふたをするというISO認証制度関係者のやり口には反吐が出る。

そして2015年の今、彼らが出した結論は、ISO規格を見なおしてもっと要求事項を増やし、パフォーマンス求めるものにすれば良いということらしい。
あなたはそんなバカバカしいことを信じるのか?

サポーズ
100歩譲って、ISO規格に不足があったとして、ISO規格に要求事項を追加すれば改善になるのか?
仮にそういう原因だったとして、それが対策として有効であるためには、企業が、担当者が、ISO規格全てを満たし継続的に運用するという条件が付くだろう。
ISO規格に書いたことを認証企業が守るという保証はあるのか?
そんなことが保証されないことは間違いない。
だって事実か否かはともかく、JAB始め飯塚教授たちが「企業が虚偽を語るからISO認証の信頼性が低下した」と語っている。もとより規格が順守されていなかったというなら、自今以降ISO規格の要求事項を増やしても企業がそれを守るという保証がないではないかね?
論理的に考えれば、過去の要求事項を守らず虚偽を行っていたから事故や違反が起きたなら、まずは過去の要求事項を守らせることを第一にしなければならないのではないか?
ISO制度関係者はISOTC委員を含めてISO規格を読んでいないのは間違いない。だってISO9001でもISO14001でもその他のMS規格でも、是正処置という項目がある。是正処置は原因を突き止めそれを取り除いて再発をさせないことではないのか?
企業が悪いと叫んでも、信頼性が上がらないなら是正処置になっていないことは間違いない。ということは原因を究明していなからだろうと思う私は間違っているのだろうか? これは反語である。

しかしね、普通の頭のある人ならば、ちょっと考えるとISO規格に何を書こうと世の中を動かすことなんてできないってわかりますよ、
え、あなた分りませんか?
まさかISO規格にいろいろと立派なことを盛込めば社会に影響があるとでも 
反証をあげましょう。
飲酒運転は世の中からなくなりません。2015年6月6日北海道で交通事故にあい道路に投げ出された少年を引きずって1500mも走った悪人がいました。ネットでは引きずられた少年がずっと叫んでいて周辺の人がその悲鳴を聞いていたそうです。ひどいもんです。自分の体がどんどんとすり減っていくことを思うともう・・
その犯人は飲酒運転がばれるのを恐れてそういうことをしたと自白しています。ではなぜ自首したのかというと、犯人が乗っていた車を洗車してもこびりついた少年の肉片がとれないからだったそうです。ひどいもんです。
ともかく道路交通法第65条に「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と定めてあります。当然罰則があります。でも飲酒運転はなくなりません。
国家権力を持って定めた法律で、違反すれば刑務所に入らなければならず、出所しても一生前科が付いて回るという恐ろしい罰を受けるにも拘らず、飲酒運転はなくなりません。
実を言って非合法に近いが、犯人たちの写真だけでなく家族の写真や身の上がネットで晒されるという実態があるにもかかわらず、飲酒運転もその他の犯罪も減らない。恥という概念は犯罪防止に効果はないようだ。
たかがISO規格に要求事項を追加したくらいで、書いたことを守り良くなるとでも思うなら、頭に脳みその代わりにぬかみそが詰まっているとしかいいようがありません。
もうひとつ反証を・・・
日本にある法人でISO9001を認証しているのは約1%です。残りの99%はISO9001とは無縁なのです。世界的に見ればもっとその認証率は少ないでしょう。そして日本を含む先進国において認証率は減少傾向にあるのです。
おっと中国をはじめとする発展途上国では認証が増えているなんておっしゃるかもしれません。まあ中国のISO認証はその他の国の認証とは別物です。どう違うのかは、まあご研究ください。
ともかくISOと無縁の企業が過半どころかほとんどを占めているという実態を見れば、ISO規格を改定し要求事項を見直したところで、日本あるいは世界の品質も環境も変わるはずがないと思う私はおかしいですか?
ISO規格の文言を直したら世の中が変わると考えているなら、ごう慢もいいところだ。
ゴーマンかましてはいけないよ

いや、規格を改定すれば変わると主張する人がいるかもしれない。すくなくてもISOTC委員会はそう考えているわけだが・・
ひとつ提案する。
過去20数年に及ぶ日本のISO認証の歴史を振り返ってみようではないか。過去よりISOMS規格は何度も改定されてきている。過去の改定による成果、変化はいかほどあったのかを検証してもらいたい。
それは次のようなことを考えればよい。

(改定によるパフォーマンス変化)÷(規格改定の変更量)=(改定の成果)

パフォーマンス変化というのは、規格の意図である「顧客満足の増加」あるいは「遵法と汚染の予防の達成率」などをとる。

ISO9001を例にとると

 19871994200020082015
改定箇所又は改定文字数箇所箇所箇所箇所
パフォーマンス クレーム件数
感謝メール数
リピーター率
改定によるパフォーマンス向上

企業を適宜抜取り、1994年版適合時と1987年版適合時のクレーム件数の差をとり、1987年版から1994年版への改定箇所数で割れば一改定あたりの改善効果が分る。過去3度の改定による実績を把握すれば、2015年改定の効果はそれらを外挿すれば予測できるだろう。
そして過去3度の改定において改善効果がなければ、お釈迦様は4度目も微笑まないだろう。
ISO14001は一度だけしか改定がないが、現実社会は実験室と違うから一度であっても貴重なデータは評価しておくべきだろう。 ISO14001においては、環境法違反件数とか環境事故件数などが指標になるだろう。
こういったインデックスを調べて、確かに規格改定によって具体的なパフォーマンスが向上しているなら規格改定の意義を認め、おおいに規格改定をすべきだと考える。
しかし上記のような評価を私は見たことがない。もちろんISO関係者、認証制度関係者はきっと把握していることと信じる。ぜひとも情報公開をお願いしたい

後ろ向き、批判的なことばかり語っていると石を投げられるかもしれない。
もっとも石を投げる資格のある人は多くはないだろうとは思う。
それはともかく、少し前向き、積極的なことを考えてみよう。我々は認証に限定しても、規格の意図を実現するにはどうあるべきかを考えなければならないのではないだろうか?
ISO9001もISO14001もマネジメントシステム規格です。当たり前ですね、そう書いてありますから、
それらの規格序文には、いっときの改善や個人の力量に依存する方法では継続的に維持されることが期待できないから、文書化した仕組みを作って運用する必要があるかもしれないとあります。正確な文言ではありませんが、要旨はそういうことです。
しかし過去20年にわたる壮大な実験結果、マネジメントシステムの効力はあまりというかほとんどなかったということが明白です。
「マネジメントシステム認証」というアプローチが適切でないならば、別の方向からのアプローチというか認証という方法というか仕組みを考えるべきではないのだろうか? 私はそう考えます。
つまり今までの方法で効果がないのなら規格改定という規格文言を見直すことではなく、規格の切り口とか認証する方法を変えなくてはならないのではないだろうかと思う。
思い付き的にあげるが、「システム認証」ではなく「運用認証」とか、「結果認証」というものも考えられるのではないか。
いや従来からの審査でも仕組みだけでなく運用もみているとか、これからは文書だけでなく運用を重視するのだというかもしれない。過去20年間の実績からそれは無理だろう。審査員だけでなく認証制度、つまり認定機関、認証機関、審査員研修機関、審査員登録機関にそれを実行できる力量がないのだ。いや力量があっても時間的、方法論的制約があってできないのだろう。
物の売り買いを考えれば、良く管理された設備を使っていますとか、すばらしい文書体系を整備していますというよりも、作った製品がすばらしいということがまず第一でしょう。
先ほど言ったように、まず取引される製品・サービスが要求品質を満たすことが第一条件であって、それを継続して維持するために品質保証というものが考えられた。それがシステムです。
ISO9001発祥時は品質保証規格であった。(ISO9001:1987のタイトルはそう書いてある)
しかしながら、目的である製品・サービスの顧客満足あるいは遵法や汚染の予防において現状が問題であるのなら、品質マネジメントシステムや環境マネジメントシステムを認証する前に、製品・サービスが要求事項である仕様や遵法を満たしているかどうか確認する必要がある。それが運用審査であり運用認証だろう。品質・サービスだけなら結果認証というか旧来の完成品検査に還元される。
今考えるべきはそういうことではないのか?

要するに今回の規格改定はなんの意味もなく、改定されても何の効果もないだろうと予言する。
そして今回改定されても効果がないのは明らかだけど、認証制度関係者が2年後あるいは3年後にそれを認めざるを得なくなったとき、次回はどうするのかな?
やはり要求事項を見直す規格改定をするのだろう。
それとも規格改定とはそんな真面目なことではなく、売上を上げるための車のモデルチェンジと同じなのだろうか?

だが、認証制度の成功とは何だろうかとふと思った。
ISO9001が顧客満足、ISO14001が遵法と汚染の予防が目的だそうだが、顧客満足が向上し、違反が減り事故が減れば認証の成功なのだろうか?
どうもそうではないようなのだ。
実はISO900の規格改定講演会でのこと、某権威者が「規格改定の成功とは何か?」という質問を受けて「規格票(JIS規格のこと)が売れることだ」と答えたと聞く。ISO規格改定の成功は規格票が売れたか売れないかで決まるのか?
そもそもの狙いが顧客満足と遵法や汚染の予防であるならば、それを達成するためには、ISO認証でなくてもあるいはISO規格によらずとも良いはずではないか? 製品やサービスを提供する人々のレベル向上でもよく、あるいは製品やサービスを受け取る人の変化、例えば人々のライフスタイルが変わることや交通機関など社会システムの変化などでも影響を受けるはずだ。ここんところは説明が長くなるからとりあえずは省略する。
この権威者のお考えは、結局認証制度が継続することが目的化しているとしか思えない。いやこの方だけでなく、認定機関、認証機関、審査員、コンサル、そして審査員研修機関もそう考えているのではないだろうか?
規格改定に備えて会社の仕組みを見直さなければなりません、新しく何が追加になりました、仕組みだけでなくパフォーマンスが・・・
いかなる目的であろうと組織が作られたときから、その組織存続が目的になると言われる。ISO認証制度も例外でなく、認証制度を維持するために常に敵を作り、認証の効果がなければその仮想敵に責任を転嫁し続けることになるのだろう。他の方法による発展的解消を自発的に行うなど思いもよらぬことに違いない。ISOTC委員も世界旅行と美味しいワインを忘れがたいだろうし・・・

認証制度の成功はなにかということを再考しなければならない。
それが認証制度の継続であるとか、JIS規格票の売れ行きであるならば、認証の信頼性などと見当違いのことは言わないほうが良い。制度関係者が食べて行ける程度の売り上げがあればおとなしくしているべきだろう。鳴かないキジは撃たれることはない。

うそ800 本日の熱情
今回は多少感情的になってしまった。まあ、世の中にひとりくらいISO預言者がいなければならないだろう。預言者は預言者であることをもって権威に逆らうことが免罪される。もちろん預言が偽りだったとき吊るされるのはモーゼの時代からのことわり

注:
預言者とはトーラーの訳、トーラーとは沸騰するという意味で、神の言葉が体内に沸いてきてそれを民衆に伝える人のことであった。
預言者と予言者は違うよ 
(「聖書の常識」1980、山本七平、講談社、p.38)
うそ800 本日の約束
この文章に対する評価は時間が下してくれると信じる。2020年頃にISOMS規格2015年改定によって顧客満足が推進され、遵法と汚染の予防が確実になるなら、私は間違いを認め、大きな声で謝罪したい。
もちろん、規格改定の効果がなければISOTC委員及び制度関係者は頭を丸めてもらおう。


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