次期改正 爺も言いたい

15.02.16
アイソス誌2015年3月号の特集が「次期改正 事務局も言いたい!」であったので、それをパクって今回のタイトルを「次期改正 爺も言いたい」とした。願わくは、私のような爺にも寄稿するよう声をかけてほしかったのだが、残念ながら私は既に過去の人なのであろう。

ということで私の主張を私のウェブサイトに書くことにした。なにしろこのウェブサイトは自己主張のために存在しているのだからね。
いや、これは悲しむべきことではない。だってアイソス誌にはアイソス誌なりの方針があり、私のような見解がそれに合わないと言うだけのことだ。もちろん私にも私の方針がある。私の場合、私の反対意見を無視するとかアップしないということはないが、私は同意しない旨のコメント付けている。それは主宰者の権利であり責任である。
重大なこととして、どちらが多くの人に読まれているかということだが、アイソス誌の発行部数は約6,500部(2014/4)である。他方、我がウェブサイトの月の総アクセス約27,000、ユニークアクセス約10,000だからアイソス誌に劣るとは思わない。
アイソス誌
不遜かもしれないが、やがてISOについての論文をこのウェブサイトに載せてほしいと依頼がくるようになるかもしれない。それどころかこのウェブサイトに載ればお墨付きだとみなされるようになるかもしれない。そのときには査読が必要になるな・・そこまで考えることはないか
信じられないかもしれないが、以前「うそ800」をまるごと売ってくれという話を頂いたことがある。買い手の正体は不明だが、コンサルか認証機関だと思っている。

今回の特集「次期改正 事務局も言いたい!」とあるから多数のご意見があるかと思っていたが、実際には5名しかいない。そのうち2名は我が同志、名古屋鶏様とぶらっくたいがぁ様である。
記事を読むと、規格が改正になって一層改善ができるという発想が3名、我が同志2名は規格が変わってもなんも変わるはずがないと、明白に二分された。私はお三方のご意見にはまったく納得できないし、同志2名のご意見に全く同意である。
しかし5名のご意見に共通認識というかその根本のところは一致しているような気がする。同志二人の規格なんてより運用が重要という見解は以前から知っている。だが規格改正で良くなると語るお三方も、そのお心は規格よりも運用が大事と考えているようだ。それは言い方を変えれば、次期改正は無用ということになる。
アイソス誌冒頭のJABの久保専務理事の語ることも、もうひとつの特集である「テクノファ年次フォーラム」の討論も、そう考えているようだ。そしてそれだけでなくISO認証制度は旬を過ぎたということを、参加者はみな認識しているようにみえる。
そういう認識で規格改正を考え、ISOがどうあるべきだと議論しているのを見ると、例えるならば時代に遅れた製品をなんとか売りさばこうとしている営業マンの苦悩が垣間見える。その上扱っている製品が元々社会で重要であったのでなく、新製品発表時には注目されたものの、全然役に立たず、消費者にそっぽを向かれメーカーのお荷物状態。本音はすぐに撤退したいのだが、在庫処分のためかメンツのためか、最後(最期?)のあがきのモデルチェンジを2015年に行おうとしている。そんな風にしか見えない。

話がそれる。ISO認証制度というものには、様々な批判がある。信頼性がない、費用がかかる、役に立たないとか言われている。そんなことはないなんては言わせない。認証の信頼性が落ちていると語ったのは日本のISOの総本山JABである。専務理事が井口氏から久保氏に変わったから、リセットされましたなんてことはないだろうと思う。私は審査員講演会とか毎年のJABシンポジウムでその話を何度も聞かされた。今も企業が審査でうそをついていると証拠もあげずに講演や雑誌に書いている人はいくらでもいる。日経エコロジー2015年2月号にも某氏が書いていたね。
企業サイドからは認証しても何もよくならないと10年も言われ続けている。
そして日本ではISO認証件数はここ10年近く減る一方である。


そういう状況を見れば、認証ビジネスが危機にあることは間違いない。手をこまねいていてはISO業界オマンマの食い上げである。
では認証制度興隆のためにどうするべきか?
そのためには認証制度の問題を究明して、その対策を取ればいいことは明白である。
では認証制度の問題とはいったいなんだろう? 何が悪いのか? 何がダメなのか?
ご存じと思うが、ISO認証制度とはISOMS規格とは直接関係ない。ISOMS規格の上に、ISO17021、IAF基準、JAB基準、認証機関の作った契約や審査基準が積み重なったものである。
注:
ここでISOMS規格とは、ISO規格として制定されたISO9001、ISO14001などのマネジメントシステム規格をいう。

ISO第三者認証制度
実際の審査
認証機関の定めた手順
JRCAとCEARの基準類
JABの基準類
IAFの基準類
ISO17021
ISOマネジメントシステム規格

ISO認証ビジネスが不調なのを解決するには、まずその問題がなにか、その原因がどこにあるかを把握することだ。しかし過去問題として大声で言われたこと、つまり認証の信頼性がないとか、品質が上がらないとか、環境改善にならないとか、二重管理になっているとか、費用が、手間がなどなどの問題は(それが真実か否かはともかく)、どう考えてもISOMS規格そのものとは無縁のようである。
、お分かりにならない?
例えば認証に対する社会の信頼が低いのが、JABが言うように、企業がウソを語っていたり、節穴審査員がいるためならば、ISOMS規格をいくらいじっても対策になりません。だって過去のISOMS規格いずれの版にも「企業のウソは見逃しても良い」とか「審査員の目は節穴でも良い」あるいは「審査員の耳はロバの耳」なんては書いてない。
だからその対策としては、審査員の登録基準を見直したり、審査工数を見直したり、ウソをついた企業があったらその処罰を厳正にして公表するなどしたらいいのです。審査員の登録基準を見直すにはISO17021、JAB基準、JRCA基準、CEAR AE1100などを見直すことになる。審査工数を見直すにはIAF基準、JAB MS305などを改正すればよい。ウソをついた企業の処分についてはJABが基準を見直せば良く、ISOMS規格とは無縁である。
ところが審査員の登録基準は私が知るかぎり変わってないし、審査工数も増えていないし、悪さをした企業名を公表する基準も設けていないのだから改善されないのは当たり前でしょう。
アクションプランはあるが公式な基準はない
問題に真正面から立ち向かうことを避け、なあなあでごまかし、自分の怠慢を企業がウソをついているとウソをつく、そんな根性じゃビジネスをするには100年早い。
おっと、そもそも企業がウソを語っていなかったとか、節穴審査員がいなかったという可能性もありますがね。

企業における二重管理が問題だそうです。3月号だけで多くの方が二重管理の問題を提起しています。森廣氏(p.8)も、宇野氏(p.24)も、土居氏(p.40)も。その他複数の方がそのものズバリ「二重管理」という語を使っていませんが、建前と本音があると語っています。それほどに二重管理というか、建前と本音の乖離があるのなら、そしてそれは根本的な問題なのですから、是が非でも対策しなければなりません。対策しなくても良いというなら問題じゃないわけですからね。じゃあ二重管理をなくす、企業は本音で語れ、審査員は実質を審査しろというのは、今回のISOMS規格改正で対応しているのでしょうか?
現状のISOMS規格では、バーチャルなシステムであることを不適合にできないんでしょうか? そんなことはないですよね。そもそもその問題のための改正なら、2015年版では「実際の運用とマニュアルに記載されている仕組みが異なってはいけない」という要求事項が追加にならなければならない。しかしそんな文言がないということは、二重管理対策と今回の改正は無関係ということだ。
同じことでコンプライアンスの一層の強化を図ったという話も規格を見れば嘘だということがわかる。ウソと言っちゃ言い過ぎなら、事実無根と言おう。いや、元からコンプライアンスの要求は十分であったのだ。順守の仕組みに問題があったのを審査で見逃していたにすぎない。それはシステムの問題でなく審査員の力量がなかったのか、それとも悪質な犯罪だからISO審査ではお門違いだったのかもしれない。
私の発言にご異議ある方はいらっしゃるでしょう。私は議論を拒否しません。しかし一般論で語るのは無意味です。具体的事件について議論したく思います。双方が証拠を元に真摯な議論を行えば生産性は高いと思います。反面、概念だけで騙ることは不毛です。

いったい今言われている認証にまつわる問題のいかほどが、ISOMS規格の問題なのでしょうか? ISOMS規格が不備あるいは内容に間違いがあるために認証の信頼性が落ちたとか、二重管理が起きたり、費用がかかるとか、審査トラブルが起きているのですか?
本当の原因から目をそらし、企業がウソをついている! 節穴審査員がいる!と叫ぶE教授やISO関係者が日本のISOを指導しているのですから日本のISOが良くなるわけがありません。
だってそんな論理で、現実の品質対策とか環境問題の対策ができると思いますか?
次期改正がどうあるべきか、DISをどうこういう前に、考えることがたくさんあるんじゃないですか? 認証件数が落ちているのを止めろ、信頼性が下がる一方なのをなんとかしようというなら、規格改定は関係ないでしょう。
いやもちろん、「次期改正 事務局も言いたい」でも「次期改正 爺も言いたい」も間違いじゃないですよ。問題意識を持っている人は誰でも意見があるわけです。ただ私の場合、言いたいことは「次期改正に期待する」土肥氏とか、改正後にバラ色の夢を見ている若松氏とか、改正が活動のテコ入れになると語る宇野氏とは論点が大きく違うんですよ。
私は、次期改正なんてすることよりも、現状の問題を解決するために認証制度、審査の方法を見直し、改善することが必要だということが「次期改正 爺も言いたい」ってことなんです。
ISOの考え方って問題を個人の責任とかたまたまだなんてオシマイにすることじゃないですよね。問題が発生したのはシステムに欠陥があったはずで、再発防止にはシステム見直しが必要なはずです。
たとえ話をすれば交通機関の省エネ、省資源、つまりエコ化を図るには、車はハイブリッドにしろ、電気自動車にしろ、リッター30キロ走らない車は禁止だあ、と叫んでも良くならんのです。そんな方法では部分最適、全体不適になるのが目に見えます。真に交通システムのエコ化をしたいなら、近距離、中距離、遠距離、都市部、地方都市、田園地帯のマトリックスを考えて、それぞれのゾーンについてどのような交通手段があるべき姿か、つまりケースケースで公共交通システムとか個人用のビークルとかあるいは歩くこととか守備範囲を決めて、それを法的に強制するかあるいは誘導するかはともかく、あるべき姿(交通システム)を目指して交通インフラや輸送機械(自動車)だけでなく国民の意識づけなどを進めなければならないでしょう。そういうアプローチのみが改善になるのです。
ISO認証の信頼性をあげようとするなら、まずは認証の信頼性とはなにかを定義し、その指標を決めて目標を決めて改善を考えなくちゃならないのです。

ょっと待てよ?
ISO規格改正の目的は、二重管理の排除とか認証の信頼性の向上ではないのかもしれない。
昨今、ISO書籍も売れず、雑誌も売れず、規格票も売れていないようだ。

ISO本出版数

これをみると一目瞭然!
規格改定はISO本を売るための最大最良の手段であることがわかる。
ISO9001の改定は、1994年、1998年(日本語版のみ)、2000年、2008年であり、ISO14001の制定、改定は、1996年、2004年であった。その翌年が山になっているのが分る。
ただ残念ながらその山はだんだんと低くなっているようで、2016年はどうなるのかな?
先月丸善に行ってISO本の棚を見たが、2005年発行のISO14001解説本(初版)が置いてあった。今年2015年改定解説本が多数出るのだろうが、それらは売れ残って2025年頃まで本棚に鎮座するのだろうか?

つまり規格改定とは、寝たきり状態になってしまったISOビジネスを救うためのカンフル剤なのか? ISO本が売れるようにするための定期的イベントなのか? それならそれでまた別の「次期改正 爺も言いたい」ということがある。それはもうジタバタしてもしょうがないから無用なこと、企業に迷惑をかけるようなことはしちゃいけないということだ。
そもそも企業側でISO規格改正を必要としているかどうかということを調べたのか?
そりゃISOによる規格改正に関するアンケートもあった。実を言って私も応募した。だけどあのときの回答者の9割9分はISO担当者だっただろう。そして企業でISO事務局と名乗るのは全社員の1%もいないだろう。大多数の人はISO認証に関わっていないしISO規格改正に期待することなどなく、それどころかISO審査が煩わしい思っていることは間違いない。そういう人たちの意見を吸い上げれば規格改正を進めようって結論にはならないように思う。
っと、誤解のないように、
一般社員がISO審査など止めてほしいと考えても、その解決策がISO認証を止めるべきだという結論になるわけではない。今の審査に問題があるから一般社員がそういう意識を持つのだ。アイソスに寄稿している中で、ぶらっくたいがぁさんと名古屋鶏さんを除くみなさんは、ISO規格から会社の仕事を見ている。規格にあるからしなくちゃならない、規格に追加になったからこれからは良くなる、それっておかしいよね?
おかしくないと思う人はおかしい!
今の審査のほとんどは、企業が規格を満たしていることを説明している。だがそれは間違っている。本来は審査員が規格を満たすかどうか調査し判定しなくちゃならない。そうであれば、企業の人たちは余計な手間ひまをかけず、審査員の宇宙語を聞いてポカーンとすることもない。もっともそれを行うには審査員の力量が高くなければならない。
更に言えば、通常の企業であればISO規格に書いてあることなんて満たしているはずです。寄稿されているコンサルさんらしき方が、規格改正になっても従来から当社はそれを満たしていると考えることは危険なことだと書いてます。【アイソス番外編】第196号(2015.02.12)でも恩田編集長が「ギャップ分析は必要?」という小論を書かれています。でも私たち企業で働く人は、そこまでISOを優先し、大切にしなければならんものなんでしょうか?
会社が優先するのか? ISO規格が優先するのか?
まあもっともコンサルタントは「規格改定になれば会社の仕組みを見直さねばならん」と言わなくちゃ仕事がないでしょうし、ISO雑誌も規格改定がなければオマンマの食い上げですから、その気持ちは分りますよ。でも企業の経営者であれば、規格改正になったから会社の仕組みを変えなくちゃならないなんて考えるはずがありません。もしそういう人がいるならば、そこでは今まで会社の仕組みがなかったのでしょうか?
まあ、ぶらっくたいがぁさんが良く言う「天動説と地動説」の違いが大きな分岐でしょう。天動説の方は企業では無用な人であり、コンサルなら企業を悪くするでしょう。審査員であればまともな判断ができないでしょう。
「事務局も言いたい」のお三方が地動説には見えませんね!
そうなると名古屋鶏さんが言うように、審査員はプロでなければならない。いや、別に名古屋鶏さんが言うまでもなく、どんな仕事だってお金をとるのはプロであって、プロでない方は退場してもらうしかない。それはISOTC委員にもJABにも判定委員会の委員長であった某大学教授でも同じだ。
努力なきは去れ、能力なき者は去れ、天動説は去れ!

まとめると、次期改正を機会として、ISOTC委員、国内委員、JAB、JACB、JRCA、CEAR、そして全認証機関と審査員、コンサルタントが、己の業務をまっとうできるかどうかを反省し、できない人は即引退すること、そして日本の産業に貢献することができるとみなされた人だけが参画すべきだ。
おっと、それだけでなく企業においてISO認証に関わっている人も同じく、ISOの書籍、雑誌の発行に関わっている人も同様にお願いしたい。
規格改定は現状を振り返る機会であるから、それが私の「次期改正 爺も言いたい」ことである。
その結果、日本のISO認証事業が消滅するなら、それも日本に貢献することではないのかな?

うそ800 本日の文字数
名古屋鶏さんのブログをみたら、アイソス誌から与えられた文字数が6,000字だったとのこと。それで私もその文字数にしようとした。今回本文は6,000字ジャストです。
おっと、名古屋鶏さんは推敲に推敲を重ねたとお書きになっていますが、私は書下ろし、じゃなかった書きっぱなしです。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015/2/16)
「審査員の耳はロバの耳」
ロバではなく「老婆」の耳ってことはありますね。何しろ耳が遠くて遠くて・・・・

名古屋鶏さん 毎度ありがとうございます。
なるほど老婆の耳ですか、新しい童話ができそうですね!
人は秘密を知ると話したくなる性のようですから、それを予防するために老婆の耳になるのでしょうか?
もっとも口の方も老婆の口、姑の口に(以下略


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