審査員物語 番外編11 陽子パートに出る(その3)

16.04.28

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

今週、三木は関東圏内、それも東京から近いところばかりなので、毎朝自宅から通っている。もちろん朝出るのは早いし帰宅は遅いが、やはりホテル住まいよりは楽だ。まず陽子のご飯が食べられるのがいい。とはいえ日帰りは、東は千葉、佐倉、北は大宮が限度だろう。以前、入間で審査したときは、最初の朝は自宅から行ったもののその夜は帰る元気が出ずにホテルに泊まってしまった。単純に距離よりも乗り換えが多かったり、電車の本数が少ないと辛い。もっともそれくらいを通勤している人も多いのだろう。以前、三木が大宮勤務だったとき、ワンルームマンションを借りて単身赴任していたのは今は贅沢だったと思う。
土曜日はいささか疲れたので遅くまで寝ていた。妻の陽子が洗濯ものを干したり掃除したりする音を布団の中で聞いた。
公園 昼前に起きだして新聞を読み、昼飯を食べる。
その後も居間でゴロゴロしていると、陽子が近くの公園まで散歩しましょうと三木を引っ張り出す。
最初はイヤイヤだったものの、体を動かすと気分が良い。近くとは言ったが2キロ近く離れた公園は、公園といっても少しの林と芝ともいえない草地だけで、遊ぶ施設もランニングコースもない。家族連れが小さな子に自転車を教えていたり、若者がフリスビーで遊んでいる。見上げると青空と白い雲、あの雲の下は江の島あたりかと三木は思った。
陽子は途中のコンビニで買ったビニールシートを敷いて、スポーツドリンクとスナックを三木に渡す。
三木
「家の近くにこんなところがあったとは知らなかった」
三木の家内です
「ここに住んでもう17年になるのよ。まったくあなたは会社人間だったから近所の人たちも、住まいの近くに何があるかもわかってないんだから」
三木
「いや、まったくだ。引退したら地域社会の勉強をしなければならんな」
三木の家内です
「引退したらじゃなくて今でしょう」
三木
「ところで大学のISOはどうなっているんだ?」
三木の家内です
「そうそう、お話しすることがたくさんあるわ。毎日朝礼で店長がISOのことを話すの。今は環境側面とかいうのを検討していると言ってましたね」
三木
「今環境側面をしているところか、まさに大変な時だね」
三木の家内です
「なんでも各職場でどんな環境影響があるかを調べて、それを環境側面とするんだそうよ」
三木
「正しくは環境側面ではなく、著しい環境側面というんだけどね」
三木の家内です
「著しいか著しくないか分かりませんが、環境側面ていうと環境を横から見るのでしょうかねえ〜」
三木
「側面といっても正面の横っていう意味じゃなくて、単なる呼び名だよ」
三木の家内です
「ともかく環境側面を各店舗で最低一つ取り上げなければならないんですって」
三木
「それも正しく言えば著しい環境側面がいくつもある職場もあるだろうし、一つもない職場もあるだろうけど」
三木の家内です
「全員参加、全学部参加、全職場参加を合言葉にしていますから、どこも活動しなくちゃならず、最低一つは取り上げようってなったそうです」
三木
「なるほど、まあそれも一つの方法ではあるね」
三木の家内です
「私のお店ではフライヤーを環境側面にするそうですよ」
三木
「フライヤー? なんだいそれは?」
三木の家内です
「フライを揚げるからフライヤーっていうそうです。ウチではお父さんと私だけだから天ぷらもフライもフライパンですけど、食堂では一度に大量に揚げるのでてんぷら鍋やフライパンでは仕事になりませんので、縦横20センチくらい油を入れるところがあって、そこにドサッと揚げるものを入れるんです」
三木
「揚げ物もおいしいけど毎日では辛いだろうなあ」
三木の家内です
「若い人は高カロリーが好きで、出す方は食中毒を嫌い、両方とも早くできるのがいいと三拍子そろっているわけ。学食では天ぷら、魚のフライ、とんかつ、唐揚げなど揚げ物はメインなのよ」
三木
「なるほど、油を使うから環境側面になるというわけか。えっと、学食にはハンバーガー屋もあるっていったよね。そこにもフライドポテトを揚げるフライヤーがあるわけだろう、それも環境側面になるのかい?」
三木の家内です
「いえ、フライドポテトのフライヤーはせいぜい4リットルとか6リットルでしょう、私たちのフライヤーは1斗缶の油が丸ごと入ってしまうくらい大きいの。それでフライヤーを環境側面にした店はウチだけなの」
三木
「なるほど、そいじゃハンバーガー屋は何を取り上げたんだろう?」
三木の家内です
ハンバーガー 「ハンバーガーを包む紙とか、紙コップと蓋、ストロー、トレイに敷く紙などを環境側面にしたそうよ。用途から言ってみんな使い捨てでしょう。だから環境に悪いって。
ウチの店で使っているお箸は割り箸ではなくてプラスチックのお箸だから使い捨てでなくめったに消耗しないから該当しないらしいの」
三木
「まあ環境側面としては妥当だろうなあ。でも陽子のところの環境側面がフライヤーとか、ハンバーガー屋が包装紙というのはいいとして、単にこれにしましたっていうわけにはいかないよね?」
4/29追記 あとで気が付いたのだが・・・三木が語っていることは私の本音とか正しいと考えていることイコールではない。
この三木の「環境側面としては妥当だろうなあ」という言葉を私の真意と受け取られる危険があることに気が付いた。よって若干説明を追加する。

陽子の勤める学食のフライヤーが大きいから著しい環境側面になり、ハンバーガー屋のフライヤーは小さいので著しい環境側面ではないという考えは正しいのだろうか?
とうぜん正しくはないと私は考える。
食用油が下水流出したとき、あるいは床に流れたとき、100ccくらいならともかく、4リットル流れようと10リットル流れようと、ほっとくわけにはいかないからすぐにくみ取る拭き取るとかしなければならない。郡山に住んでいた時、自宅近くにはやらないラーメン屋があったが団地の下水が詰まり大工事となったところ、原因はその小さなラーメン屋が長年下水に流していた油のせいだったということがあった。ちりも積もれば山となり、少量の油なら目をつぶるなんてことはできないのだ。
消防法の指定数量などは妥協の産物であり、日本の火災が指定数量以上の場合のみ起きているなんてことではない。
この場合は、フライヤーを著しい側面にするならその理由をはっきりさせ、電気エネルギーなら○W以上とか、油流出の観点なら○リットル以上とか(微量で拭き取れる程度なら無視)など、著しい環境側面にする基準を明確にすべきだろう。
誤解を恐れずに断定するが、私は著しい環境側面とは絶対値で決まり相対的なものではないと考えている。つまり上位何位までが著しいという発想は誤りであり、基準以上は著しいというのが正しいとは言わないが妥当だろうと考えている。だからハンバーガー屋で包装紙が著しい環境側面となってもフライヤーがお目こぼしになるとも思えない。ともかく私は学食のフライヤーが著しい環境側面でハンバーガー屋のそれが該当しないという発想を支持しない。

三木の家内です
「お父さんよく知ってるのね! そうなの、なんだか計算でそういう結果にならないとダメだとかで、ウチの学食はお箸とか電気とか洗剤とか食材とか、消費するもののリストを作ったの。そして学生がフライヤーが環境側面になるようにパソコンのプログラムを作ったんですって」

三木は呆れた。結果が決まっているならわざわざ計算することもなかろうにと思う。とはいえ、自分自身、環境側面は計算でなくても良いのだということを長いこと社内で議論しても説得できないのだから、普通の企業などが審査員を説得しようなんて面倒くさいことをせずに、あらかじめ決めたものが環境側面になるように算式を工夫するのは良くあることだ。全く無駄な行為だなと三木は思う。

三木
「なるほど、そういうことになると学生は得意だろう」
三木の家内です
「そうなのよ。学生は学食のフライヤーなんて見たこともないでしょうけど、パソコンをいじるのは大好きですぐにやってしまうみたいね」
三木
「そいで陽子の店でフライヤーが環境側面になったということか。そうするとどうなるのかな?」
三木の家内です
「環境側面になったものについては操作方法とか安全対策とかの手順書って言いましったっけ? なんかそんなものを作らなくてはならないの。そしてそれで教育するんですって」
三木
「ほう、つまりフライヤーの取り扱い要領を作って、それで陽子たちを教育訓練するというわけだな。ところで陽子も既に使い方を習っていて使っているのだろうけど、今までは口で説明受けただけなのかい?」
三木の家内です
「ええとフライヤーといっても結構操作するところがあるわけ、それに油が汚れたらどうするとかいろいろあるの、つまり話を聞いただけでは覚えきれないわけ」
三木
「なるほど、それで?」
三木の家内です
「店長も新人が入るたびに説明するのもめんどくさいみたいで、メーカーの取扱説明書というのがあるんだけどそれを渡して読んでおけっていうだけね」
三木
「メーカーの取扱書があるなら、わざわざ手順書を作ることもなさそうだが」
三木の家内です
「でもね、それに書いてあるのはフライヤーの使い方だけでしょう。電源スイッチがどこにあるとか、油がどこに保管してあるかとか、古くなった油はどうするとかってことなどは書いてないので・・」
三木
「なるほど、そりゃそうだ。当然火災になったときはどうするとかもあるんだろうし」
三木の家内です
「まあ、そんなことはないと思いますけど・・・消火器がどこにあるかとか緊急連絡先は入った日に教えられたし」
三木
「気になったんだが、古くなった油はどうしているの? 廃棄物業者に出すのかい?」
三木の家内です
「大量に揚げ物をするから揚げるものに油が付いていくのでどんどん油が減るの。それで毎日油を補充しなければならないので、油が悪くなったという状況にならない。せいぜい黒いカスを網で掬い取るくらいね」
三木
「えっ、すると油を捨てることはないのかい?」
三木の家内です
「私が入ってまだひと月ふた月ですけど油を捨てたということはありませんね。他のお店でも油を廃棄物業者に出している様子はありませんね。古くなった食材や食べ残しなどは毎日業者に出していますけど」

三木は食堂なら食用油の廃油が出るのは当然と思っていた。陽子は油がどんどん減っていくから廃油が出るどころではないという。これは今後の審査の参考情報だ。
それにしても大学の学食の環境側面はフライヤーだけと言ってもいいのだろうか。実際はいろいろとあるのだろうと思う。食材や食べ残しは毎日出るというけど、それも環境側面だろう。フライヤーのエネルギーだってある。
それにフライヤーが環境側面といっても、フライヤーと環境との関わりはいろいろある。食用油という資源の消費もあるし、火災の危険、漏えいすれば水質汚染、エネルギーを使うなどいろいろなものがあり、それを適切に運用するための手順や基準を書いた手順書なんて簡単に作れるとは思えない。陽子たちがチャチャッと作れるものだろうか?

三木
「あのさ、手順書といってもフライヤーの使い方だけでなく、陽子が言ったように電源スイッチとか、油の保管とか、古くなった油の処理とか、そういうことを手順書に書くと思うんだけど、それは簡単じゃないだろうねえ。誰が手順書を作るんだろう?」
三木の家内です
「ああ、手順書作成はぜんぶ大学生がするの。彼らはパソコンが得意だから」
三木
「ほう
三木の家内です
「各職場、私たちの場合は学食のそれぞれのお店ですけど、そこで環境側面を一つ決めたらその取扱いについてメモ書きを環境ISO学生会議に出すと、そこのメンバーが手順書にしてくれるの」
三木
「そうは言っても実際に仕事している人でないと役に立つ手順書ができるかどうか・・・」
三木の家内です
「大丈夫よ、だって今まで手順書がなくてもメーカーの取扱説明書とか先輩からの引継ぎで仕事してたんだから。手順書を作っても誰も見ないと思うわ」
三木
「じゃあ手順書なるものはいらないんじゃないか」
三木の家内です
「でもISOをやるためには手順書がないとダメだってお父さんだって言ったでしょう」

三木は口を閉じた。認証を受ける企業はどこでもISO規格が手順書と言えば『手順書』という文書が必要だと考えている。過去から使っていた文書でいいんですよ、メーカーが作成したものを外部文書としてもいいのですよと言っても、どの審査員でも認めるんですかなんて言われる。そしてどこでも絶対に問題が起きないように環境側面にはすべて『手順書』を作る。外部文書を利用するとか、過去からあったものを使うこともまずない。さらに言えば現実と異なったことが書いてあっても誰も気にしない。なぜなら誰も手順書を使わないからだ。

陽子はコンビニで買ってきたおにぎりのパックを取り出して三木に渡した。
昼飯を食べてから2時間は過ぎていて三木は少し腹が減っていた。ありがたく押し頂きパクついた。


三木と陽子はそのあと少ししてブラブラと歩いて帰ってきた。
来週はまた出張だ。とはいえ今回はリーダーではなく陣笠だから気は楽だ。家に着くと陽子に断って自分の部屋にこもり事前勉強をする。環境マニュアルの末尾に文書体系図が付いていた。縦軸に要求事項の項番があり、項番ごとに関係する手順書がリストされ、横軸に環境側面と法規制の列があり、縦横の交わったところが関係すると○印が付いている大きな表だ。元はA2サイズくらいなのだろうが、A3サイズに縮尺されている。
要求事項ごとに1件以上の手順書があるだけでなく、すべての環境側面についても法規制についてもなんらかの手順書があることになっている。見た目は立派だが、既に何年も審査員をしている三木は素直ではなくなっていた。いやダメだというわけではないが、図表とか文章で書くのは誰にでもできる。実際にその手順書が使われているのか、有効なものであるのかは現実を見なければわからない。ISO用の手順書と実務の文書が異なるというのは珍しくない。異なっていてもその二つが何らかの関連があるならまだいい。例えばマニュアルに載っている文書が、実務の文書のダイジェストであるなら許容範囲だろう。しかし中には審査で見せる文書と実務の文書が、まったく無関係でISO用のものは審査以外には使われていないということもある。

お茶 真面目に2時間ほど仕事をすると、飽きてきた。三木は立ち上がり居間に行く。陽子はいない。買い物にでも出かけたのだろう。三木はお湯を沸かしてお茶を入れ縁側に座る。たいした庭ではないが、さつきは自分が手入れして季節になるとそれなりに花を咲かせる。菊の花を育てたいという気もあるが、出張が仕事の三木にはこまめな手入れができない。引退したらやってみようと思う。

お茶を飲みながら今日、陽子から聞いた大学のISO認証準備についていろいろと考える。
各職場で一個以上の環境側面を選ぶといった。どんな組織でも環境負荷の大きな職場もあるし、負荷のほとんどない職場もある。そのとき、この職場はISO14001に無関係ですよというのもありだろうが、それでは全員参加にならず盛り上がらない。だからどこでも全職場でなにか環境側面を見つけてその改善を図ることになる。「紙・ごみ・電気」なんていうのもそれだ。三木が営業部長だったときはどうだったのだろうかと昔を思い出そうとする。
 ワカランワカラン
ワカラン
三木自身は営業部長時代、ISO14001のための活動をした記憶はない。そんなといってはなんだが、物を売る以外の余計なことはしたくなかったし、部下にも本来業務以外のことをさせるつもりもなかった。女子社員達が営業に割り当てられた環境活動をしてくれていたのだろうか?

今考えると、環境負荷が少ない部署はわざわざ環境側面を見繕うこともなく環境活動をしなくても良いのではないかと思う。
消防法で決められた自衛消防組織だって、全員が消火活動をするわけではなく、関係ない人は避難するだけだ。しかし避難が重要でないわけではない。実際に火災になれば無用な犠牲をださないために、そして救助という余計な仕事を増やさないために、もちろん消火活動を円滑にするために、消火や安全確保のための人以外は一刻も速く現場から去ってもらうことが望ましい。
それは消防だけでない。安全だって衛生だって、担当職務以外の人がしゃかりきになって安全週間とか衛生週間に活動することもない。いや知的財産権の活動だって、無関係の人がワッショイワッショイとお神輿を担ぐこともない。
ISO14001の意図が遵法と汚染の予防であるならば、著しい環境影響がない職場の人は余計なことをすることはないのではないだろうか。いや、余計なことをしない方が良いのかもしれない。
そもそも全員参加なんてISO規格に書いてない。ISOをお祭りに、全員参加のイベントにしたのはいったい誰なんだ? 何のために? それとも全員で活動するイベントとしてISO14001を選んだのか? でも学生も職員も学食の人も、みんな参加したという思い出を持つことは必要なのだろうか?

それから三木は半分おぼろがかかったような頭で考える。陽子の店ではフライヤーを著しい環境側面にして、ハンバーガー屋では容器や包装用紙を著しい環境側面にしたという。それらが正しい環境側面かも再考する余地はありそうだが、ともかくそう決めてから計算式を調整して、それらが著しい環境側面になるようにするというアプローチもまたどこでも見かける悪弊だ。
しかしと三木は苦笑いする。審査に行ったところはどこでも、最初に想定したものを著しい環境側面にするために、算式、配点に苦慮しているのを知っている。学生ならそういうのは得意だろう。係数を調整したり、一次式ではなく二次式あるいは指数関数とか論理回路とか、とはいえそれがいかなる意味があるのかというと、まあ審査でスムーズに行くという意味はある。
それからフライヤーが著しい環境側面だといっても、その環境影響をよく考えたのだろうか。
フライヤーは油を使う。当然保管するだろうが、学食にある量はせいぜい20か30リットルだろう。消防法で動植物油の指定数量は1000リットルだから30リットルは大量とは言えない。
油を加熱するのはたぶん電気だろうが、そのエネルギーは微々たるものだろう。じゃあ加熱することによるエアコンの負荷増加はどうだ、といってもこれもまたどうでもいいレベルだろう。
火災の危険といっても電気なら温度調整がついていてオーバーヒートになればオフするので、一般家庭の鍋やフライパンよりも安全だ。むしろ高温の油がこぼれて炊事台の下に炭化した食材などがあったときそれに付着して火災が起きるかもしれない。
じゃあ廃油の処理だろうか。陽子の話では廃油が出ないという。三木の家庭では陽子は油は大事に使っている。大切というよりもゴミを出さないようにしているというのがホントだろう。天ぷらは油がきれいなときに使い、汚れてくればフライに使い、最後に唐揚げに使う。陽子に聞くと唐揚げは黒くなった方がおいしく見えるのだという。確かにチキンは黒っぽくないとおいしくないような気がする。そして捨てるときは新聞紙に含ませて燃えるゴミに出していたように思う。
廃油が出るなら産廃だが、毎日補給しないとならないほど消費してしまうなら廃油が出ない。網で越したカスはどうなのか? 量的に少ないなら食品残さに混ぜてしまうだろう。
じゃあ、フライヤーは著しい環境側面ではないのではないか?
まあ、そもそもがバーチャルだ、ダミーだというならどうでもいい話だが・・・
陽子にフライヤーの手順書を持ってきてもらおうかと一瞬思った。すぐに三木は、陽子が手順書は実際には使わないと言ったのを思い出した。実際の業務は、フライヤーの取説と、電源や消火器の使い方は先輩からの口伝でなされるのだ。
そんなことを考えていると、玄関のドアの開く音がして居間に陽子が現れた。

三木の家内です
「あら、おとうさん、自分でお茶を入れたんですか? すみませんねえ〜、ちょっとスーパーまで買い物に行ったのですけど、知り合いに会って話が弾んじゃって」
三木
「いやいや、ちょっと仕事に飽きてさ・・・」
団子
三木の家内です
「団子買ってきましたから一緒に食べましょう」

しばしもぐもぐと食べた後、三木が口を開く。

三木
「あのさ、できたらでいいんだけどフライヤーの手順書ができたら見せてもらえないかな」
三木の家内です
「お安い御用よ、来週にはドラフトができるっていってましたから」
三木
「秘密は厳守するから」
三木の家内です
「そんなこと心配することはないわ、大丈夫よ。でもさ、ウチだけでなくハンバーガー屋からうどん屋からどこもかしこも環境側面を決めて、その手順書を書いてとなると、もうその作業は大変になるわね」
三木
「大変だろうなあ」
三木の家内です
「実を言ってね、私たちも毎日30分とか1時間とか時間外をして、手順書を作るため資料をまとめたり問題点を書きだしたりしているのよ。もちろん無給でね」
三木
「そういったことには時間外はつかないのかい?」
三木の家内です
「うーん、微妙なところね。店長もやってくれとは言ったけど、時間外を付けていいとは言わなかった。他の店でも同じようにあいまいみたい。
それと・・・全然違うかどうかわからないけど、学生さんは無給だものね。彼らだってアルバイトすればお金になるのに、私たちの手順書を作っても一円にもならないのよ、それはどうなのかなあ?」
三木
「監督署に駈けこむような人はいないのか?」
三木の家内です
「まあ時間も短いし、みんなでISOガンバローって雰囲気だからニコニコしているわ。だけどこれが長く続いたり、あるいは来年もとなるとどうかなあ〜」
三木
「なるほどなあ、まっとうに考えると時間外が付かなくちゃおかしいよね」
三木の家内です
「そういえばISO担当者の裁判もありましたね。時間外を払わなかったとか」
三木
「時間外不払いもあったけど、過労で亡くなったとか鬱になったのを労災扱いしなかったとかいろいろあったようだね」

ISOの業務が原因とされた訴訟は多々ある こんなものを多数みるとISO認証とは良いことよりも悪いことが多いような気がする。いや気がするだけだ・・・

三木の家内です
「アハハハ、私は強いからうつ病にはなりませんよ」
三木
「まあ多少はともかくとして、拘束される時間が長いと問題になるね。騒ぎになれば大学は無関係だと逃げてしまうだろうし、学食が小さな会社とか個人経営だとうやむやになってしまうだろうし」
三木の家内です
「なるほどねえ〜、ちょっと様子を見ますよ。他のパートの人もいろいろ考えがあるでしょうし、なにかありましたらおとうさんに相談しますね」

うそ800 本日の参考
私の家内は今は辞めましたが、何年も某大学の学食でパートをしていました。福島にいたときは公立中学や私立高の学校給食のパートもしてましたし、一日1200食を工場に納めていた弁当屋にも一日200食を小売していた弁当屋にも勤めていたことがあります。
家内は夕飯のときいつもその日の出来事を話してまして、私は学食とか弁当屋で毎日どんなメニューが何食くらい出るとか、フライヤーの油がどうとか、どんな問題が起きたとか聞かされてました。そんなことを元に書いております。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2016.04.27)
ISOの業務が原因とされた訴訟は多々ある
人事じゃぁなさ過ぎて涙が頬を伝わります。鶏も色々と大きなものを犠牲にしました。
「ISO」なんぞというモノに、それだけの意義はあったのでしょうか?
ISO審査側にそれだけの犠牲を強いる覚悟と器量はあったのでしょうか?
トーシロの自己陶酔クソジジイ共にメシを食わすには、少々代償が高すぎました。

フライヤーの油がどうとか
油が補充一辺倒なのは、油を比較的高温で保つためだと思われます。
油を高温にする必要があるのは、経験から言うと油が古いからです。油が古くなると「揚がり」が悪くなるので火力を上げざるを得なくなるのです。
そこまで油を引っ張るのは油代を節約するためだと推察されます。
しかし、そのために消費される余分な電気代(ガス代?)はどうなのでしょうか?環境側面として気になる所ではあります。おっと、大抵の場合で油代は業者持ち、光熱費は大学持ちでしょうから、ガンガン加熱すればいいだけか(笑
では、無くなった油は何処へ行くのでしょうか?排煙ダクトが少々心配ではあります。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
弁当屋や食堂に限らず、食べ物屋の最大のリスクは食中毒でしょうね。家内は公立や私立の学校給食のパートに行ってましたが、当時でも外部の業者が大量に作って学校に配達するところが多かったです。そのほうが安くて効率が良かったのでしょう。
ではなぜ一部であっても校内で給食を作っていたところがあったのかといえば、ひとつは大規模校であったことと、もうひとつは食中毒対策であったと思います。家内は何年か学校給食でパートをしたあと、引っ越しで弁当屋で働きました。そこでは、清掃、清潔などだいぶ違いがあり帰ってきては愚痴ってました。家内も私と同じような人間で、陰でいうよりも直接口にする方で更に手足を動かす人間で、新人であるにもかかわらず清掃などを指導したそうです。それが関係したかどうか幸い家内が働いていた時にはどこでも食中毒はありませんでした。最後に働いていた学食では、家内が辞めた後、食中毒があったと報道されました。まあ家内が辞めたこととは関係のない確率の問題だったのでしょう。
ところでISO14001は環境で、食の安全はISO22000かもしれませんが、省エネとか廃棄物削減よりも安全が優先するのは当然です。私の知る多くの食品関係の企業ではISO14001のテーマに水、ガス、廃棄物、包装材の削減を取り上げてまい進していますが、安全をなりよりも優先してほしいと思います。
ところでなくなった油はどこに行くんだって? こまけーことはいいんだよ!

神部様からお便りを頂きました(2016.04.27)
審査員物語番外編3を読んで
最近のニュースと合わせ色々と思うことが・・・
【世間でよく見るISO】活動を今は楽しんでいるような陽子さんをみてほのぼのしていました。
ですが、終盤にISOの業務で心や命が壊れた方々。これで一部なんですよねぇ。
去る4月20日に発覚した三菱の問題。これもISOが絡んでいるのではと考えてしまいます。燃費の問題はガソリン代というランニングコストの他にCO2排出という地球温暖化の面にも絡んでおります。ランニングコストだけなら競合二社に追い付け追い越せという企業の欲望でありますが、地球温暖化はISO14001が・・・。しかも目標とか・・・。
今後を軽く予想しても、お上からは【ゼイキンガー】、日産からは【ドースンダー】、顧客からは【ガスダイガー】に【シタドリガー】が大挙して攻めてくる。しかも内部から【ウリアゲガー】が雄たけびをあげている四面楚歌状態。
三菱さんISO9001・14001認証取得されているんですけど、担当者さん心壊れちゃったのでしょうか?今後命壊れないか心配です。売り上げダウンからの大幅賃金削減に大量解雇。家庭や家族の心や命の崩壊も心配です。
ISOの担当者に資源と権限を与えていれば防げたのではないか。認証機関はどうすろのか。ちょっとISOの現在と未来のこと考えてしまいました。

姫様 毎度ありがとうございます。
最近のISO担当者のみなさんはしらけているというか慣れてきたでしょうけど、前世紀末にはインターネットや新聞の投書欄にはISOに従事している人たちの恨み節、悩み事、運命を呪う言葉が溢れておりました。大変だったのでしょうねえ(遠い目)
なにもしらないエライサンが「ISOをいつまでにとれ!」、一般社員からは「メンドクセーことしたくない」、奥様からは「帰りが遅いのは浮気してんだろー」、まさに三重苦、四重苦、当時私は49歳、いやそんなことは関係ありません。
21世紀になって判決の出たISO関係の裁判は、実際には問題は20世紀に起きたもののようです。21世紀の現在は、お客さんを逃したくない認証機関、審査員は、お客様は神様ですを地で行っていますから、担当者がノイローゼになるようなことはあまりないでしょう。
ところで三菱自動車の問題、大変ですね。ISOも同根とおっしゃいますが、確かにそういうところはあると思います。みんなが悪事をしようとか嘘をつこうというとき、己ひとりが断固としてそれに反対し正しいと信じることができるのかとなるとはっきり言って非常に難しいと思います。
そんなことは過去よりたくさんあります。私が高校時代(1960年代なかば)のこと、某高校で火事がありました。ボヤだったのですが、失火らしいということで宿直の先生が非常に悩んで自殺するんじゃないかって周りが心配しました。そのとき教育委員会のエライサンガ「これは失火ではない」と断定してしまってうやむやにしてしまったことがありました。周りの人たちは「あの教育委員会の人は立派だ」と感心していました。私はそうは思えませんでした。真実ははっきりすべきだと思いました。でも自分がサラリーマンになって働いていれば、怪我人が出たときに「作業していた本人の不注意で起きた」とは言いにくいし、そう言うべきではないと思いました。不祥事が起きたときすべてを白日の下に明らかにすることよりも、善処(?)することが多いのも見てきました。そういうのが正しいとは思いませんが、現実です。そして罪をかばうということは、己の罪を隠すということと全く同じであり、その先にはもっと大きな悪に走るということでしょう。
三菱自動車でもフォルクスワーゲンでも、あるいは過去に起きた多数の不祥事、赤福の賞味期限、吉兆の使い回し、古紙配合率の偽装、そういったものはすべて初めはちょっとしたことだったと思います。ちいさなことをたびたびしているとそれが当たり前になって、程度が大きくなりより悪質になていったのだと思います。
問題は前に述べたように、少しのときでも断固として正しいことを主張できるかということです。それは私自身、姫様ご自身が決して悪いことはしない、神の前で恥じるようなことをしてはいけないと誓うこと、実行することから始まると思います。
お断りしておきますが、ひとごとではありません。環境実施計画で目標10%のところ9.8%であれば鉛筆をなめるというのも良くあります。測定値が100ヶ所のところ2ヶ所忘れたとき前後の数字を参考に埋めてしまうこともあるかもしれない。特に法規制と関わりないISOのためのものだと罪の意識もなく無造作にしてしまいそうです。(私がそんなことをしてきたわけではありませんよ)
ところで悪事というのはいくつかパターンがあります。悪いことをして黙っているというのが三菱自動車やフォルクスワーゲンのパターンですが、不具合が起きたときに原因を究明せずに誰かに罪をなすりつけるというのもひとつのパターンです。ISO認証企業に不祥事が起きたとき、その原因をはっきりさせずに「認証企業が嘘をついていた」と叫んだ認定機関や認証機関も罪人でしょう。私はISO担当者として20数年働いてきましたが、無実の罪を晴らさんとして今もネットで嘘つきどもの悪行を叫んでおります。果たして岩窟王となれるのか、ジャン・ヴァルジャンのごとく泥沼に沈むのか、どうなりましょうか?

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