審査員物語 番外編19 認証活動(その2)

16.06.30

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

陽子がISO事務局勤務になってからひと月半が過ぎた。住めば都、慣れればどこも同じだと陽子は思う。与えられた仕事はそつなく処理し、更に周りの人のISO相談も受け、それだけでなく人生相談というか悩み事・愚痴の聞き役までする陽子の人気は悪くない。とはいえこのままでISO認証は大丈夫なのかしらといささか心配ではある。
今日は緊急事態の対応についてコンサルの今猿さんが来て打合せする。増田准教授はどうしても欠席できない会議があると他の大学に出かけてしまったので、今日は陽子、施設管理の永井の三人だけだ。いつのまにか陽子が認証活動の中心になってしまう懸念がある。まあ、これも渡世の義理と陽子は割り切っている。それに義務とか嫌だという気がしないし、面白そうじゃないか。

時間通りに今猿と永井がやってきた。
陽子はお茶とまんじゅうを出した。どうせ自分が休憩時間に食べようと持ってきたまんじゅうだ。もしパート勤めをしていなければ自宅で一人お茶を飲んでいたわけでみんなで食べたほうがうまいだろう。
永井
「いやあ、三木さん、ありがとう。ごちそうになります。三木さんにはお世話になりっぱなしですね、
いえ、まんじゅうをいただいたからではないのですがね、ISO認証だなんていわれてもう1年になりますが、三木さんがこられるまで何もわからず、ああだこうだといわれるだけで漂流していたような感じでしたよ」
今猿さん
「まあISO認証をしようとなると、どこでも試行錯誤の連続ですからね、多少はしかたありませんよ」
お茶
まんじゅう
永井
「しなければならないことがたくさんあるというなら納得できますが、昨日までこうやれと言われて一生懸命やってきたら、突然やり直しなんて言われると脱力しますね」
今猿さん
「まあそれは・・・そういうこともあるかもしれませんね」
三木の家内です
「今は今猿さんにコンサルしていただいているし、そんな迷走はなくなると思いますよ。ともかく今日は緊急事態の対応のなかの、テストについて決めてしまいましょう。どの緊急事態にどんなテストをするか決めて、粛々と実施しておかないと時間がありません」
永井
「おっしゃるとおりです。ええと大学の緊急事態の9割は私のところなんですよね。それらについて手順書の案というものを作っています。で、今日はその手順書が適切かどうかテストする計画を打ち合わせるということでよろしいですね」
今猿さん
「緊急事態の9割が施設管理担当とは大変ですね。具体的なものとしてはどんなものがあるのでしょう?」
永井
「ここは排水はすべて都市下水ですし、毒性の排水もありませんから排水処理施設はありません。また焼却炉はとうの昔に廃止しました。暖房も電気暖冷房です。学食などでお湯を使うのはガスの湯沸かしですね。体育施設にお風呂と温水シャワーがありますので小規模なボイラーがあります。まあ都市ガスですから大気汚染防止法に関わることはありません。
学食の排水路には油水分離があります。この大学には化学や医学はないので機械加工の油や洗浄剤などだけです。あ、使用している薬品や塗料などは私のほうにMSDSを含めて提出してもらっています」
今猿さん
「なるほど、で緊急事態としては?」
永井
「今の話は全体像を知っておいてほしかったからです。
具体的な緊急事態となると、実験棟からの薬品、油の流出、火災/爆発、学食からの油の流出、危険物保管庫の漏えい/火災、エアコンからのフロン類漏えい、構内での自動車からの燃料/油の流出、など一般的なことばかりですね」
今猿さん
「なるほど、じゃあ緊急事態といっても種類も少なく発生する可能性は低そうですね」
永井
「そうです。実を言ってISOのために無理やり緊急事態を見つけた感じです」
〜♪〜♪、永井の携帯電話が鳴った。
永井は失礼と言って電話に出た。二言三言話して電話を切り立ち上がった。

永井
「すみません、本物の緊急事態ですわ。失礼します」
三木の家内です
「何が起きたんですか?」
永井
「杉山記念ホールの入り口にある池、池というか噴水というかあるでしょう、あそこで魚が浮いたんだそうです。失礼します」

永井が部屋を出ていく。

三木の家内です
「今猿さん、行ってみましょう」

陽子がその後を追うと、まんじゅうを食べかけていた今猿も、まんじゅうを持ったままその後を追った。
杉山記念ホールまでは歩いて数分である。建物の入り口の前に池がある。 噴水の絵 池といっても中央に噴水があるコンクリート製で直径10メートルくらいのものだ。
池の周りに10人くらい学生がいてなにやら騒いでいる。永井がガードマンに何か指示をしている。永井と同じ作業服を着た数人が水を汲んだり浮いた魚を網ですくったりしている。
陽子と今猿は離れたところから眺めていると、ガードマンは池の周囲をロープで囲み立ち入り禁止の表示をし、学生にロープの外側まで離れろと言っている。永井たちはなにやら作業を続けている。
30分もすると一段落したようで、ガードマン一人を残して他は引き上げていった。残ったガードマンは池の周囲を巡回し、学生に近づくなと声をかけたりしている。

三木の家内です
「なにがおきたのかしら?」
今猿さん
「普通、工場で魚が浮いたといえば工場排水に薬品が混入したということが多いですが・・・・さっきの永井さんのお話では排水が構内の池に入るようなことはないと言ってましたね」
三木の家内です
「とりあえず今日は永井さんはお忙しいでしょうし打合せは中止ね。増田先生にはその旨お知らせしておきます。まあ一旦戻りましょう。まんじゅうも食べなくてはならないし」

二人は学生ISO委員会の部屋に戻りお茶を入れなおして飲む。

三木の家内です
「魚が浮いたというのはどういうことですか?」
今猿さん
「魚が死ぬとなると、環境変化、病気、毒物、酸欠、餌不足なんてとこでしょうね。でも病気とか餌不足でしたら一斉に死ぬことはありません」
三木の家内です
「そいじゃ毒物、酸欠ですか」
今猿さん
「短期間に全部死ぬとなるとそうですね。いや断定はできませんけど」

電話が鳴り陽子が出る。
永井からで今日は対応でつぶれてしまうので三日後に打合せをしたいという。陽子が今猿にその旨伝えると今猿は了解した。


約束の時になり、陽子、増田准教授、今猿が待っていると、少し遅れて永井が登場。

永井
「いやあお待たせしてすみませんでした。やっと一段落しましたよ。疲れました」
増田准教授
「どうだったのですか?」
永井
「原因はわかりません。原因でないものはわかりましたけど」
今猿さん
「原因でないものがわかるとは?」
永井
「おっ、今日はアップルパイですか。いいですねえ」
三木の家内です
「あっ、今コーヒーを持ってきますね」
三木の家内です
コーヒー  コーヒー
コーヒー  コーヒー

永井
「突然、魚が大量死するというのはたいていは水温の急上昇とか毒物か酸欠なんですよ。あの池は大学の排水とは関係ない水道水ですし、一度に大量に入れ替えることもないのでカルキの影響ってのもないですし、考えられるのはこのところの猛暑による水温上昇か酸欠かなというのが第一でした。
次はだれかが毒でも投げ込んだのかってことなんですが」
今猿さん
「で、原因は?」
永井
「ご覧になったと思いますが、浮いた魚を冷凍と冷蔵しましてね、それから水を密閉して低温保管しまして毒物というかシアンとか重金属が出ないどうか計量事務所に依頼しました。市に届けたら彼らも来ましてね、同じことをしていきました」
増田准教授
「それで?」
永井
「環境計量業者も市でも特段なにもでなかったのです。ただDO溶存酸素、水の中に溶けている酸素ですね、それが低かったといわれました。このところ猛暑だったからかなとしか思い当たることはありませんね」
今猿さん
「あの池は小さいから気温が上がるときついんと違いますか」
永井
「そうですね、直径7m深さ50センチくらいでしょう、あそこに鯉や鮒や入れすぎなんですよ。気温が上がると水温がすぐに上がりますしね」
増田准教授
「池の魚が死んだくらいで市に届ける必要があるの?」
永井
「ないでしょうね。ただうちはある意味客商売ですから変な噂が出ると困りますし、騒ぎを見聞きした近隣から苦情があるかもしれません。実験室から漏れたんじゃないかなんて痛くもない腹を探られるのもいやですし。
ともかく一応話をしておけばあとあと面倒はありません。総務部長にもそう報告しております」
増田准教授
「なるほど、」
今猿さん
「ちょっと気になりましたが・・・今、ISOの緊急事態について検討しているわけですが、こういった事象は緊急事態に取り上げていませんね?」
永井
「そう、取り上げていません。確かに緊急に対応しなければならないことではありますが、そもそも環境側面じゃありません。ここでは有毒なものを扱っていないし危険なウイルスとかばい菌を研究しているわけでもありません。だから漏れるはずがない。あの池は単に水道水をためておくだけですからISO的に言えば環境に影響を及ぼすとはいえません。
外部から持ち込んだ毒物を排水に混入させたとして、それがISOでいう環境側面とか緊急事態になることはないでしょう。そりゃ純粋な犯罪です。ちょっと違いますがテロリストが爆弾を持ち込んだり、強盗犯が人質をとって押し入ってくるということもあるかもしれませんが、それはISO14001の緊急事態じゃないでしょう」
増田准教授
「確かにそうだなあ〜、とはいえこういう緊急事態を別扱いというのも変だと思う。だって永井さんが日常仕事をするときに、これは環境、これは安全衛生、これは犯罪対応とか考えるのはおかしいよね」
永井
「あれえ〜、最近増田先生のお考えが変わってきたように感じますね。今まではISO認証するにはなにが必要かって姿勢でしたが、今のお話は現実にどうするのかってスタンスですね」
増田准教授
「冗談はやめてよ、・・・・・いや、そうかもしれないな、これはひとえに三木さんの影響だよ、三木さんの環境影響。とすると三木さんは環境側面ということになる」
今猿さん
「しかし環境の緊急事態とこのようなまったく環境と関係ないようなものを一緒くたにしてよいのかなあ」
増田准教授
「今猿さん、やはり別扱いでないとまずいですか?」
三木の家内です
「脇から口をはさんで恐縮ですが、序文に『この規格には、品質、安全衛生、財務、リスクなどのマネジメントのような他のマネジメントシステムに固有な要求事項は含まれていないが、(中略)環境マネジメントシステムを構築するにあたって、既存のマネジメントシステムの要素を適応させることも可能である』ってありますね。可能であるってのもおかしいですが、して良いってことでしょう」
今猿さん
「序文にそんな文章ありましたっけ。」

 (今猿は対訳本を取り出してパラパラとめくる)

今猿さん
「おお、ありますね、そうか、それじゃ永井さんのお仕事での緊急事態を全部まとめてしまってもいいということか・・
しかしすごいな、三木さんは規格を、しかも序文まで暗記しているんですか?」
三木の家内です
「まさか、でも一度読めばどんなことがあったかは頭に残っているでしょう」
今猿さん
「ええ、私なんてとてもそんなことできませんよ」
三木の家内です
「文章をそのまま覚えるとかじゃなくて、規格の意図というか目的がなにかを理解するとどんなことがあったか忘れないんじゃないですか。あるいは意図に反することが書いてあるはずがないとか気が付きますよ」
永井
「緊急事態全部をひとつの手順書でよいというなら簡単ですね。実際対応方法も似たようなものですし、そうなるとテストも一回で済むかもしれない」
三木の家内です
「でもテストは個々に条件が異なるからそれぞれに行わなければならないでしょう」
永井
「そうですか? 火災時の通報とか対応ってみな同じでしょう」
三木の家内です
「カテゴリーは同じですけど、それぞれいろいろな条件が異なっているでしょう。ドアの大きさが違ったり、消火器が遠かったり、階段に荷物が置いてあるとか、こまかく見れば条件が違うから手順が同じでよいかも検証しなければならないと思いますよ」
永井
「確かに言われるとそうですね。実際に手順通りでよいかどうかとなるとやってみるのが一番です。
ただテストを環境のためというのではなく、一つの施設について防災も環境も安全も同時に検証できるだろうということかな、」
三木の家内です
「一度テストをすれば、いろいろな観点から検証できるということじゃないですかね」
増田准教授
「なるほど、そういう発想が三木さんの考えのすばらしいところなんだなあ〜」
今猿さん
「ちょっと待ってください、そうすると似たような事象であっても手順書をそれぞれに作ることになるのですか?」
永井
「なるほど、そうなると種類をまとめることができなくなる」
三木の家内です
「いえいえ、なにも現実を優先して手順書を変えなければならないということもありません。テストした結果、例えば消火器が遠いから消火器が使えないということじゃなくて、その情報をもとに緊急事態が起きる恐れのあるそばに消火器を設置するという発想をすればよいでしょう。ドアが小さく逃げるのに困難なら、安全に避難できるようにドアを大きくすることも考えなければなりません」
増田准教授
「そりゃ大げさな。ドアの大きさまで変えるとか」
三木の家内です
「うーん、笑わないでくださいね。昔読んだ本にあったのですが、連合軍がドイツを爆撃していたときのことです。もちろんドイツも必死に高射砲や戦闘機で防衛しますから、出撃した爆撃機は毎回1割くらい撃墜されたそうです」
今猿さん
「メンフィスベルですな、」
B17爆撃機
永井
「まさしく」
増田准教授
「メンフィスベルってなんですか?」
今猿さん
「戦争映画のタイトルですよ。あれは1990年だったかな。
第二次大戦のときドイツを爆撃したアメリカの乗組員は25回出撃すると国に帰ることができたそうだ」
増田准教授
「それはうらやましい話ですね。日本の飛行機乗りは死ぬまで飛ばなくちゃならなかったんだから」
今猿さん
「それはドイツも同じですよ。持てる国がうらやましい」
増田准教授
「ドイツも日本も食べていけないから戦争を始めたわけで」
今猿さん
「それはともかく戦意高揚と戦時国債を売るために25回出撃した英雄たちの映画を作ることにしたのだが、現実には25回無事に生還した機体がなく、やっとメンフィスベルと名付けられたB17が達成したというストーリーでした。おっと戦争のとき映画を作ったのは事実で、そのお話を映画にしたのがメンフィスベルという映画です」
永井
「それも帰還してきたとき被害を受けていて車輪が出ず、やっとのことで着陸したんですよね」
増田准教授
「毎回1割撃墜されたら25回生還できるのは、0.9の25乗だから・・・ええっと7%、14機に1機の割か、厳しいもんだ」
三木の家内です
「話を戻しますと、当然墜落する前に飛行機から脱出するのですが、機種によって逃げ出せた人が大きく違ったそうです。どうしてその違いがあるかを調べたら、飛行機の出入口の大きさが数センチ違ったためだったそうです。私の言いたいことは、ドアの大きさがほんの少し小さくても非常時には大きな影響があるということです」

出典: 「宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝」フリーマン・ダイソン著、鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年、ISBNなし

永井
「つまりそういう実戦的なことをしなければテストの意味がないということですね」
増田准教授
「実のある仕事をするにはまじめに、いや真剣にしなければならないんですね」
今猿さん
「実を言いましてね、私も他社の緊急事態のテストとか訓練なんてたくさん見てきました。でもいいかげんなところが多いですね」
増田准教授
「いいかげんとは?」
今猿さん
「実際の条件でテストしているのはまずありません。台風で配管が破損して流出事故が起きたなんて想定は掃いて捨てるほどありますが・・・・実際にそんな事態が起きるのは強風と大雨の中のわけですよ。それに発生する確率の半分は夜間です。
でもテストするのは晴天の日中です。梯子を上ったり配管を修理したり、そりゃラクチンですよ。実際の状況下ではそんなことできるわけありません。暴風雨で会話もできないでしょうし、カッパを着ていれば動きも不自由、濡れていては梯子も滑るしスパナを握る手に力が入らないんじゃないですかね」
増田准教授
「なるほど、」
永井
「そういわれると私たちも実際の条件下でテストしなければだめですね」
三木の家内です
「同じ条件で行うということは理想でしょうけど、そこまでやらずとも実際の場所で確認するだけでそうとうテストの効果は上がるんじゃないですか。
消火器を使う訓練なんてよく見ますけど、ほとんどが形だけで、消火器を使う場合でも消火剤ではなく水を圧縮空気で押し出すやつでしょう。実際の消火器を使うなんてまずないわ」
火事だあ!
永井
「あれは・・・後始末が大変なのでしょうがないんですよ」
三木の家内です
「しょうがないといわれても、本当に本物の火災が起きたとき、消火剤がどれくらいの勢いでどれくらい届くのか、消火器でどれくらいの炎なら対応できるのかとか、風があればどうなるのかとか、自分がしなくても、やはり自分の目で見ておかないといけないんじゃないですか」
永井
「それじゃ、油流出なんてのも実際に油を流して確認するんですか?」
三木の家内です
「確かにむずかしいのはむずかしいけど、油水分離が本当に役に立つのか、やってみなければわかりませんよね。私はやってみるべきだと思いますよ。年に一度とは言いませんが少なくても1回はしてみなければ」
今猿さん
「三木さんのおっしゃるのは良くわかりますが、油を実際に流してみたというところは私の経験ではありませんね。せいぜいが油の代わりに水を流して漏れがないかを確認した程度でした」
三木の家内です
「テストと訓練は違います。訓練は油の代わりに水を流すとか、本物の消火器の代わりに水の消火器を使う方法でもいいかもしれない。でも実際に大丈夫なのか効果があるのかのテストにはそういう代替え方法では意味がないんじゃないですか。
もちろんISO規格では可能な場合はとありますが、現実に防災とか救急を考えると必須かと思います」
永井
「三木さん、おっしゃることはわかります。お互いに一般論ではしょうがありませんから、個々の緊急事態について意味のあるテスト方法を考えましょう」
増田准教授
「そうだね、私は今まで環境問題も緊急事態も考えたことがなかったから、この機会にぜひとも実際にどんな危険があるのか、どうすればいいのかを見てみたいですね」

うそ800 本日の思い出
お前はまじめに緊急時のテストをしたのかとおっしゃいますか?
いえ、全然。でも事故とか故障とかしょっちゅうありましたので、テストなどするまでもなかったというのが本当でしょう。


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