審査員物語 番外編37 ISO14001再考(その6)

16.09.26

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献はすべて実在のものです。

審査員物語とは

今日は同期の審査員 島田と二人で群馬の工場の審査である。お互い気心の知れた間柄だから審査は順調に進んだ。審査は1.5日なので二日目の昼で終わりだ。今回の審査では不適合はなかった。不適合があれば審査員だって気分は良くない。
帰りの高崎線はガラガラでのんびりと走る社内で雑談する。

三木
「島田さんは審査員だけでなくコンサルもされていますよね」
島田さん
「最近はコンサルの仕事はあまりないんだよ。自分が相手するのは中小だけど、海外に出たところも多いし廃業も多い。日本の空洞化はドンドン進んでるね」
三木
「ちょっとお聞きしたかったことがあります。ISO審査が会社に貢献できるものでしょうか?」
島田さん
「ISO審査が企業に貢献するとは・・・うーんあまり考えたことはないが」
三木
「最近はウチも経営に寄与する審査なんて言い方をしていますね。私はISO審査が経営に寄与するなんて不可能じゃないかと思っているのです。でもコンサルは直接経営に寄与すると思うんです」
島田さん
「コンサルと言ってもいろいろだよ。自分は技術的な指導をしたかったけど、専門がニッチな分野で需要がない。だから一般的な現場の管理とか作業改善などできることは手あたり次第にやってきた。でもそういったことが企業の経営に寄与したなんて立派なことは言えないよ。
経営に寄与するってどんなことをいうんですかね?」
三木
「コンサルとは企業の抱えている問題を解決することでしょう。それすなわち経営への寄与だと思いますが」
島田さん
「そりゃ大きな問題を解決すれば経営に寄与するかもしれません。でも不良低減や作業改善が経営に寄与するとは大げさじゃないかね。
もちろん、どんなことでも広い意味では会社に貢献するわけだけど、経営に寄与すると言えるのはものすごいことだよね。経営とはなにかといろいろな人が語っているけど、会社をつぶさないこととか企業の価値向上とか、そういった上位概念でしょう」
三木
「それじゃ島田さんはISO審査では経営に寄与するはずがないということになりますか」
島田さん
「そう思うね。それに審査員とコンサルは立場が違うよ」
三木
「審査ではアドバイスできないからですか」
島田さん
「うーん、それ以前に審査とコンサルは目的が違う。審査は適合・不適合を表明すれば任務完了だが、コンサルならお客さんの問題解決や要望をかなえることで、それに応えられないなら帰れと言われる。審査と違いコンサルは企業に役に立って当然だ」
三木
「でも経営者の中には審査員と話すことで業界の状況とか自社の強み弱みを知ることができると考えている方もいると聞きます。そのために審査を受けるというところもあると聞いてますが」
島田さん
「そういう経営者もいるかもしれない。しかしだからといって審査が経営に寄与するというのは間違っていると思う」
三木
「間違っている?」
島田さん
「結果として審査が経営に寄与することがあるかもしれない。でもそれは審査が経営に寄与するからではないだろう。経営者が審査で得た情報を経営に役立つように利用した結果ではないのかなあ。というのは同じ情報を得てもそれを活用していない経営者もいるわけだ」
三木
「ええっと」
島田さん
「審査とコンサルはアドバイスと実施の関連が直接的か間接的かの違いがある。
審査で他社ではこういう事例がありましたとか世の中ではこういう考えが主流ですよという言い方になるよね。ホントを言えば他社の事例を取り上げることもルール違反だろうけど、まあみんな普通にしている。それを経営者が聞いてどうするかと考えるわけだ。
他方、コンサルの場合、特定の課題に対して解決策を出するわけだが、それは実際に実施されうまく行くか行かないかということになる。だから成功か失敗は明確で、コンサルにとってやりがいもあるし責任も重大だ」
三木
「うーん」
島田さん
「最近ISO雑誌で読んだけど、某外資系認証機関の取締役が書いていた。経営に寄与する審査というのはない。審査結果が経営に寄与するように反映してもらえたらうれしいというようなことだった」
三木
「なるほど、経営に寄与するか否かは審査員が考えることではなく経営者が決めることというわけですか。
ウチでは経営に寄与する審査をしますと言っているけど、どんな意味でしょうかね」
島田さん
「わかりませんね。単なる宣伝文句かもしれない」
三木
「現在ISO審査が企業に負担になっているということも聞いています。審査の負荷というか対応を軽くすることは経営に寄与すると言えますかね?」
島田さん
「確かにそれはある。ISO14001ではマニュアルを作れとは書いてない。しかし現実には環境マニュアルというものを作れという認証機関は多い。例えばウチでは審査契約書の中に『環境マニュアル若しくは同等のISO各項番と要求事項に対応して会社の手順書の引用と実施事項の概要を記述したものを提出のこと』とかそんなことを書いていた。
審査員の多くはマニュアルだけでなくISO規格要求以上に文書を求めている。ああいったことを止めればと思うね」
三木
「島田さんは環境マニュアルが不要と思いますか?」
島田さん
「まあ今のどの会社も同じ金太郎飴のようなものは読んでも役に立たないからいらないね。三木さんは審査前に環境マニュアルが役に立ちますか?」
三木
「それはあったほうがいいですね。会社の概要がわかりますし、文書体系も分かりますから、審査が楽です」
島田さん
「さきほどの外資系認証機関の経営者は、当社では環境マニュアルや品質マニュアルの提出は求めていないと書いていた。よほど自信があるんだね」
三木
「そう言われるとマニュアルがなければ審査ができないかと考えるとマニュアルは必須ではありませんね。
しかしマニュアルをなくしても企業の負担は余り減りませんね」
島田さん
「マニュアルをなくした程度で経営に寄与するとは恥ずかして言えないね。ただ審査のオ−プニングに大勢出席させたり、職場の審査でも複数の対応者とかたくさんの資料を求めるのはやめてもいいね」
三木
「ISO認証が始まった頃、審査員がオープニングや審査に大勢従業員を参加させろと要求したそうです。ウチの柴田取締役が第一線の頃はかなりそんなことを語っていたと聞きます」
島田さん
「そういうのは論外というか、余計なことをしていただかないというのは当然のことだろうなあ。
企業の負荷を減らすというのはもっと違う方向でないと意味がないと思う。一つ考えているのだが、審査の形態というか仕方が現状では出された証拠を見るだけだからいけないんじゃないかな。審査とはこちらから証拠を見つけに行かなくちゃならないと思う」
三木
「エッ、こちらから証拠を見つけに行くとは?」
島田さん
「言葉のままですけど、我々の審査って企業側が出した文書や記録を見るのが主だ。自分が歩き回ってチェックするわけじゃない。だから網羅性、客観性が乏しい」
三木
「そんなこともないでしょう。あれを見せてくれ、こういう記録はないかとこちらが要求して見せてもらうでしょう」
島田さん
「うーん、そういうことじゃなくて、なんというかなあ〜、我々が大量の会社の文書とか帳票類を見て、そこから規格要求事項を満たしている証拠を見つけるということはしていないんじゃないかということだよ」
三木
「えっ、おっしゃる意味が・・・」
島田さん
「よく談合とか贈収賄なんかの事件が起きると、検察とか国税庁が段ボール箱を大量に持ち込んでいく状況が放送されるよね。あれは関係する資料だけでなくて、業務にかかわる資料を一切合切調べておかしな点とか不正の証拠を見つけようとしているのだと思う。我々も同様のアプローチをしないと審査の価値があがらないんじゃないかな」

三木は数日前の朝のテレビで、何か事件があって丸の内の大手企業本社にゾロゾロと段ボールを持った職員が入っていくのを見たのを思い出した。そういえば自分が課長だった頃、談合疑惑があって本社に立ち入りがあった。プロジェクトに関する資料全部を持っていかれて仕事にならないよという同期の嘆きを聞いた覚えがある。聞くと検察だか警察に行って自社の資料を見せてもらうことはできるらしいけど、その手続きも大変らしい。
あれは国家権力だからできることであり、ISO審査では持ち出さないにしても、企業の資料を全部好き勝手に見るなんてことはできないだろう。

三木
「それはプロセスアプローチと呼ばれるものとは違うのですか?」
島田さん
「うーん、単に現実の仕事を流れに沿って追っていくだけじゃなくて、もっと包括的に会社の実際をよく見て文書や記録や帳票などのビッグデータをじっくりと調べて、ISO規格への適合を判断するというか、そういうイメージなんだがね。もちろん会社の方に手間をかけさせるのではなく、我々がひたすら帳票をめくるということだ」
三木
「イメージはわかります。でもそれって実現可能なのでしょうか?
ISO審査ごときでそのように手間暇かけることが・・・国税とか検察だって重大事件だから手間暇かけて操作するわけでしょうけど、単なる窃盗や駐車違反では大掛かりな捜査はしてくれませんよ」
島田さん
「ISO審査はISO17021で方法を決めている。そこでは審査は抜取だからミスが当然あると書いている(注1)。 それはいい。だが信頼性が低いというなら危険率を明確にしてそれで良い悪いを議論しないとおかしい」
注1:
JISQ17021:2011 4.4.2注記
いかなる審査も、組織のマネジメントシステムからのサンプリングに基づいているために、要求事項に100%適合していることを保証するものではない。

三木
「危険率と言いますと・・・消費者危険とかのあれですか」
島田さん
「そうだ、消費者危険というのは抜取検査で不合格とすべきロットを合格としてしまう確率で、取引前に売り手と買い手で同意していなければならない。消費者がそれを知らされずにあとで不良品が入っていたら怒るのは当然だ」
三木
「今のISO認証は消費者危険がないような口ぶりで宣伝し、認証企業に不祥事があれば企業を責めるという状況ですね」
島田さん
「そうなんだよね。ISO認証の価値がないとか信頼できないという根本原因は、そこにあると思う」
三木
「理屈は同意ですが、抜取検査と違いISO審査では抜取数さえ理論的に決められそうありません。イヤイヤ、現実の審査工数とビッグデータというか企業の文書記録を比べたらとても抜取が足りません」

電車は上尾駅に停まった。

島田さん
「大宮は次の次と、あと10分か
ええっと、三木さんほどじゃないけど、自分もISO認証についていろいろと考えているんだけどね、認証の信頼性を上げるにはどうすればいいかとか、認証の価値とは何だろうとかね」
三木
「ぜひともお聞かせ願いたいですね」
島田さん
「いろいろと考えてきたけど、疑問なのは第三者認証というものがビジネスモデルとして成り立つのだろうかということだ」
三木
「ビジネスモデルとして成り立つとは?」
島田さん
「どんな商売でも、いや売り買いだけでなく生産とかサービスも含めたビジネス全般だが、ある環境条件下で存在できるから存在しているわけだ。
環境条件が変われば存在できなくなるビジネスもあるし、新しく存在可能になるビジネスもできる」
三木
「ちょっとピンと来ないですが」
島田さん
「昔は問屋とか卸屋なんてのがあった。生産者から消費者までの流通システムが未整備だったからそういった商売が存在したわけだ」
三木
「問屋も卸業も今でもありますね」
島田さん
「名前は同じでも中身は違う。今はメーカーから消費者までのルートが昔とは違い短くなったし様々なルートがある。直販もあるしアマゾンのような通販もある。アマゾンはインターネットが現れ、クレジット決済が一般的になり、そして宅配便がどこへでも素早く運んでくれるというインフラができたから成り立つビジネスモデルだ。
そして単に上流から下流に運ぶだけのビジネスモデルは生存競争に敗れ存在できなくなった」
三木
「はあ?」

 三木は島田が何を言いたいのかと戸惑った。

島田さん
「存在するビジネスはすべて存在理由がある。言ってみればダーウィンの自然淘汰で合格した者のみが存在しているわけだ。あるいは適応したもののみが生き延びている。
問屋とか卸業と言っても50年前、100年前とはビジネス内容は同じではない」
三木
「それは当たり前じゃないですか」
島田さん
「当たり前の社会では当たり前だ。周囲の環境条件が変わっても過去と同じビジネスが存在しているなら、それはどこかに無理があり、国家の保護とか非条理な既得権にしがみついているわけだ」
三木
「なるほど」
島田さん
「じゃあISO第三者認証制度は現在の環境において存在できるのかという問いはどうだろう」
三木
「島田さんは、第三者認証制度は生き残れないというのですか?」
島田さん
「ISO9001やISO14001の認証件数が減少し続けて、それ以外のMS認証も増えていないという事実はその証左じゃないのかな」
三木
「現在の社会はISO第三者認証を必要としていないということですか?」
島田さん
「三木さん、認証件数の減少が何年も続いていたら世の中から必要とされていないと思うがね」
三木
「でも日本は減っていても、ISO認証が伸びている国もある」
島田さん
「そりゃ社会環境の違いだよ。日本は法規制は整備されているし売り手も責任感は強いし消費者の意識も高いから、変なものは市場に上がらないし発覚すればすぐに排除されてしまう。
しかしそういったことが確立されていないところでは、なんでもいいからお墨付きがあったほうがありがたがられる。それだけじゃないのかな?」
三木
「日本でも以前はISO認証が多かったわけですが・・」
島田さん
「なぜかは私は知らないが・・イギリスも認証件数は減っていて流行が過ぎたようだ。
思うんだけどさ、日本のISO審査はガラパゴス化しすぎただろう。規格解釈はおかしな方向に流れ、審査は微に入り細に入り、重箱の隅をつつく。最近は有益な側面なんて要求しているし、経営に寄与すると公言する。そういうおかしなことばかりしたものだから、日本では認証の価値を確立できなかったんではないか」

電車は大宮駅に到着した。

島田さん
「三木さんはこれからどういうルートかな?」
三木
「私の住まいは辻堂でして、ここからは直通があるのです」
島田さん
「そいじゃここでお別れだ」
三木
「次回お会いしたとき、続きをお聞かせ願いたいですね」
島田さん
「年寄りの妄想に付き合ってもらってありがとう」

三木は湘南新宿ラインの快速に乗り換えた。大宮ではゆうゆうと座ることができた。家には5時過ぎには着けるだろう。たまにはこんなに早く帰ってもバチは当たらないだろう。
車窓から入る午後の日差しを受けて、うつらうつらしながら三木は考えた。
ISO第三者認証の価値を社会への貢献とみるとどのような指標でとらえるかが難しいが、ビジネスモデルととらえてそれが儲かるか否かで考えれば単純化される。
そしてその結果は、このビジネスモデルの存続は正直かなり困難だと思う。今ISO第三者認証の登録件数が減少しているのは、ダーウィンの自然淘汰を受けているからだろう。それは自然の摂理なのだろう。
待てよ、儲からないビジネスモデルであっても価値があるものがあるかもしれない。いやいや、そもそもビジネスモデルとは製品やサービスを提供し利潤を得る仕組みではないか。儲からないけど必要な事業、例えば社会保障、過疎地のインフラ整備、国家防衛というものは国家や行政が税金によって賄うものだ。
昔、業務改善の手法で、なくしてしまえというのがあった。その工程をなくしてしまえ、その部品をなくしてしまえ、その仕事をなくしてしまえ、なくて困らないなら元々無駄だというオチである。
ISO第三者認証制度がなくなったとき、経産省が困るか? 自治体が困るか? 企業で困る人がいるのか? 消費者が困るか? などなど考えると、困るのは認証制度つまり認定機関、認証機関、審査員研修機関、ISOコンサル、ISO維持業者だけじゃないのか? 付け加えるなら企業のISO事務局しかできない人だけのようなだ。
三木や島田のような人たちはISO以外のコンサルとかそれ以外のビジネスで食べていくだろう。もし食べていけないなら元々能がなかったのだというだけのことだ。

うそ800 本日の挑戦
ISO第三者認証制度の存在意義を立証できる方、お待ちしております。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2016.09.26)
ISO第三者認証制度の存在意義を立証できる方、お待ちしております。

「立証」という処がポイントですね。主張だけなら誰でも出来ますから。
まぁ、そんな事は決して無いと思いますが(棒
もしかして万が一、誰も立証出来る人が・・・

名古屋鶏さん 毎度ありがとうございます。
ISO審査で証拠も根拠も上げずに「不適合」と喝采の声を上げる人が多くて困りますね。
いや異議申し立てすれば向こうが困るでしょうけど・・

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