*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
審査員物語とは
札幌駅から支社には何度も来ている。歩いて10分もかからない。地下鉄に乗るほどもないと広い地下道を歩く。さすがに東京とは違い寒い。一瞬コートを持ってくればよかったと思ったが、まあ今日だけだと思いなおす。 札幌支社に入り小さめの会議室に案内されると、既にそこには二人の人が待っていた。たまたまISO認証の打合せの話を聞いた別の代理店の人も同席するという。 挨拶もそこそこに本題に入る。 代理店はISO9001と14001を合わせて認証したいという。それで準備事項とかスケジュールなどについて教えてほしいということだ。もちろん近隣や他の関連会社で認証しているところは多いし、対応してくれる会社には出向いてヒアリングはしているという。
小畑は認証の目的は何か、メリット、デメリットを考慮して納得しているのかを確認する。流行に後れるなという発想だけで認証したものの、その後、メリットがなく費用と手間ばかりかかって止めておけばよかったと後悔している会社もあると説明する。 | |||||||||
「小畑さん、認証のメリットとデメリットを比較するとおっしゃいますが、具体的金額はわかりませんよね」
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「環境会計なんて計上するものの単位はお金だけでなく、二酸化炭素排出量とかPCB保管量なんてありますよ。それと同じく、要するに認証によってどんな効果があるのか、どんなコストや手間がかかるのかをはっきりさせて、それを踏まえて認証を決めたとはっきりさせておくべきです。 貸借対照表のようにメリット、デメリットを左右に書いて、それぞれの期待値をお金でなくていいですから予想した数字を書き込んでおくといいですね。 記載方法としては、メリットが公共工事受注が5%増加でもいいし、デメリットが毎年の審査費用、審査時の対応する手間や審査前の事務発生時間などでもいいです。合計できなくてもいいけど項目が漏れなく、金額でなくても具体的に書いておくとよいですね」 | |||||||||
「話を聞くとなるほどと思いますが、具体的な数字はわかりませんよ」
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「項目だけあげれば具体的な数字は私もアドバイスできます。野上さんも『たぶん・だろう・はずだ』というようなお仕事はいやでしょう」
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「なるほど、そうしておけばあとで責任の所在がはっきりしてもめることもないですね」
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「豊洲の市場移転では、ほんの数年前の決定を誰がしたのかわからないっていうじゃありませんか、おどろきますね。記録があればあんなバカみたいなことは起きませんね」
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「もちろん、そのメリット・デメリットを見て認証をしないということも立派な判断です」
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「小畑さんがお見えになるという話を聞いて陪席させてもらいましたが、なるほど、確かに最初は上手い話だけ聞いて、あとでこんなはずではなかったという話をいくつも聞いています。ISO認証も大金がかかりますから、経営者にそういったことをよく理解したうえで決定してもらわないといけませんね」
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「正直言ってISO認証した会社で、かかった費用を回収できたというところはないんじゃないですかね」
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「えっISO認証して元が取れたところはないのですか?」
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「ISO認証しなければ取引しないと言われたら、そりゃ認証しなければなりません。そのときは認証しなくちゃならず、金額的には無限大ということになるでしょう。でも法律で認証必須と言っちゃいけないということになっています。 またISO認証して会社が良くなったなんて発表を聞きますが、ほとんどはISO認証してなくてもやらなくてはならない改善ですよ」 | |||||||||
「ああ、わかります。ISO認証したので省エネができた、紙が減った、廃棄物が減ったなんて聞きますが、どれもISOと関係ないですよね。日々の業務で改善を図るのは当然です」
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「おっしゃる通りですね。とりあえず私のところでは認証の効果と増える負荷などについてまとめてみます」
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「ええっと、御社が認証すると決まれば私が定期的にお邪魔して支援することになりますが、その前にその貸借対照表があらましできて認証の決裁伺い出前に、また相談する機会を設けてくれませんか」
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「おお、それはもちろんです。今伺ったことの進捗状況を報告しますんで、小畑さんが必要と判断したときご連絡いただけますか」
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「あのう、関連会社であれば認証支援をしていただけるわけですね」
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「関連会社でなくても取引先とか弊社が支援すべきと判断した場合は、私が無償で支援することになっています。それが私の仕事ですから。 もちろん指導するかどうかは私が判断するのではなく、その会社を所管している部門が判断することになります。関連会社なら所属している事業部、お取引先なら資材部門とか営業とかいろいろです。弊社でも慈善事業ではありません。支援することによって当社グループとしてメリットがなければなりませんから」 | |||||||||
「分かりました。私どもは子会社ではなく下請けですのでどうなりますか?」
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「阿部さんとこはこの支社が発注しているわけで、ウチの支社長の判断ということになります。もちろん私が伺いを作成するわけでそのへんは心配いりません」
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「分かりました。うちの方針が決まれば加藤さんに相談すればよいということですか」
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「そういうことになります」
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「阿部さん、普通ISOコンサルを頼むと200万や300万かかりますよ。大きいですわ。小畑さんはただですよ、旅費も向こう持ちですから、認証するとなれば小畑さんに頼むの一択です。小畑さんはこの世界では有名な方ですし、指導には定評があります」
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「野上さんのところのISO認証準備が始まったら、ときどき状況を拝見に伺ってよろしいですか」
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「どうぞどうぞ、」
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加藤氏の用意してくれた昼飯を、野上氏、阿部氏の三人で食べる。 | |||||||||
「小畑さん、先ほどのお話で認証してから後悔している会社があるっておっしゃいましたが、実際はどうなんですか?」
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「ISO認証して効果があるのかといえば、ないでしょうね」
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「ないのですか?」
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「もちろん価値というのはその人その人で違いますから、認証することに意義がある人もいるでしょう。でも企業としては最終的にお金とかもっと正確に言えば企業価値・存在意義を高めるかということでしょうね」
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「なんだか難しそうですね」
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「いえいえ、認証することによって社会的に評価されるとか、入社希望者が増えるとか、株価が上がるとかそういうことですよ」
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「最終的というか、本質は商取引で他社に差別化できるか否かが重要でしょう」
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「そのとおり、と言いたいですがISO9001ならそうですが、ISO14001で商取引に有利になるだろうという理屈があるのかなあ?」
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「事故や違反を起こさないことによる事業の継続とか供給者としての安心とか・・」
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「それはそうですが、事故と言っても環境事故ばかりではなく、法違反といっても環境法違反だけではありませんからね」
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「そうはいっても環境に関してだけでも問題ないというお墨付きがあればないよりはいいでしょう?」
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「まず今の世の中、公害の垂れ流しは重大犯罪ですが、個人情報漏えいも大問題、談合も暴力団とのお付き合いも大問題です。そして環境事故とか違反はこの日本で年間何件あると思います? まず片手で数えるようなものです」 | |||||||||
「でもテレビや新聞でときどき報道されてますよね。廃棄物を違法業者に頼んだとか、未処理排水が漏えいしたとか」
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「おっしゃる通りなんですが、その件数はそれ以外の事故や違反に比べて微々たるものです。 あぁ、私はISO認証を決して否定するものではありません。ただ企業を取り巻く情勢は複雑でISO認証ということは重要性からいってプライオリティは低いだろうということです。 阿部さんも野上さんも今ISO認証を目指しているようなのでそう言っちゃまずいでしょうけど」 | |||||||||
「小畑さんはISO認証を指導されているので、ISOマンセーかと思いましたが違うんですね」
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「アハハハハ、私は特段何かを素晴らしいとかだめだと考えてるわけではありません。過去から人間はいろいろな手法とか機械とかを作ってきたわけですが、それらはみな価値があり有用なんです。でもある状況においては最良の選択であっても、別の状況では定石を間違えたということもある。かって小集団活動なんて大流行した時代があります。まだ技能が個人のものであったとき、その技能を共有することにより全体のレベルアップ、連帯感を持たせるなどの効用があったと思います。でも今はそういうものを大々的にやるには個人主義も強くなりましたし、個人のレベルアップをされているので時代に合わないでしょう。 ISO認証もそういった管理手法の一つじゃないかと思いますね」 | |||||||||
「小畑さんに異議を申し立てるつもりではありませんが、先だって行った講演会での話ですが、ISOは管理手法ではなく経営の基本的考えだとか講師が語っていました。小集団のことも言及していましたが、そういったものとはフェーズが違うのだとのこと」
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「その方の話がどうだったのか存じ上げませんが、そういうお考えもあると思います。 何と言ったらいいのかな、私はISO規格とか認証を貶める気はさらさらありませんが、認証に価値があるとか、それによってものすごい効果があるとかいうような発想は間違いだと思います。 ISOで効果があったと語る人はいますが、具体的なことを聞くと当たり前のことしかありませんし、ISOなんてなくても当たり前にしなければならないことばかりです」 | |||||||||
「当たり前にしなければならないとは?」
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「例えば廃棄物が減ったとか省エネができたとかっていう人がいますね、会社で働いている人なら無駄を減らすために工夫するのは当然でしょう。電気代を減らすとか不良を減らすとか、ISOがないとできないならその人は無能ですよ」
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「おっしゃるとおりですね。でもISO認証の意味はあるわけでしょう」
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「どうでしょうか、職場や会社の改善テーマの選定や手法を考えるときISO規格は役に立つかもしれない。しかしISO規格を利用するにはISO認証は必要ではない。 つまりISO規格なんぞ知らなくても会社の改善はできるし、ISO規格を参考に使うとしても認証は必要ではないということです」 | |||||||||
「なるほど、となるとISO認証とは何でしょうかね?」
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「それはその会社が必要だと考えたわけですから、その会社には理由があったのでしょうね」
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「それはまた投げやりな・・・」
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「いえいえそういうつもりではありません。先ほども申し上げましたが、企業の目的は何かといえば、存続することです。そのためには時代に合わせて常に事業を見直していかなくてはならない。現時点で何をすべきかと考えると短期的な利益追求とか単なるブランドイメージ向上ではなく、企業の価値向上を図ることが必要です。それはブレークダウンされ様々な施策に展開されるでしょう。そういう風に考えたとき、ISO規格が企業理念とか経営レベルの指針であるはずがありません。単なる実施レベルでのチェックリストにすぎないでしょう」
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「そう言われるとそうでしょうなあ〜、とはいえ我々の日常業務とはかけ離れた仙人のお話のようにも思える」
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「私たちの日常業務というのはそういうベースというか、企業理念をしっかりと踏まえて行っているものだと思いますよ。エクセルシートにデータをインプットするにしても、この会社はなにをもって社会に貢献するのか、そのためにどんな事業をしているのか、その事業推進にこのデータはどのように使われるのか、だから自分のキー入力はどのような意味があるのかを認識していなければ生きがいがないじゃないですか」
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「いやはや、小畑さん、それは本気ですか?」
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「私は本音しか語りません」
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「あなたは純真なのか嘘つきなのかどちらかですね」
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「アハハハハ、阿部さんも本心しか語らない純真な方ですね」
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「すみません、それがISO認証とどう関係するのですか?」
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「何を話しているか忘れちゃいましたね。ああ、ISO認証なんて大して重要でも高度なことでもないということです。ただの管理手法の一つだということでしょう。そして先ほども話したように、その手法が有効なのはある条件下においてだけで、ISO規格に基づいたシステムがいっとき有効であったとしても、更なるレベルアップはまた別の手法、方法論を取り入れないと叶わないということでしょうかね」
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「なるほどなあ〜、小畑さんのお話は乱暴なように思えましたが、私の過去の経験から見るとそうだと思います。私が入社したのは1960年代終わりでしたが、ZD運動とか小集団とか提案制度とか、いろいろなものがありました。それぞれ功罪はありましたがそれなりに効果があり会社レベルは向上してきたと思います。ただ21世紀の今でも小集団活動をしている会社を見ると今の時代どうかと思いますね。ISOも現れて20年、もう十分役目を果たしたのかもしれませんね」
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「そういう論理なら、今までISOに取り掛かってない会社はこれからでもISO認証は意味があると言えるわけですか? つまりウチのケースですが」
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「どうなんでしょうねえ〜、ISO認証していなくても、ISOの考え方は世の中に広まっているわけです。つまり仕事は標準化しなければならず、仕事の基本は文書にするとか、 だからISO認証というステップをパスすることもありではないですかね」 | |||||||||
「なるほど、では次なるフェーズはなにがくるのでしょう?」
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「ISOとはテーラーの科学的管理法の延長上にあるように思えます。となると次に来るのは人間関係論とか行動科学に基づく管理論ですかね、いや思い付きですよ」
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「となるとその次も予想されるわけですね」
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「人間が社会とか会社とか組織なんて作ってから何千年もたっています。ですから管理手法なんてもう十分考えられたんじゃないですかね。ただそのすべてのエッセンスを実施するってのは困難極まりない。だから時代によってある考えがメインになったりそれが行き過ぎるとまた別の考え方が強くなったりということを繰り返すという説はいかがでしょうかね、おっと単なる思い付きですがね」
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「なるほど、小畑さん、おっしゃる意味が分かりました。それが正しいかどうかは問題じゃない。私どもがISO認証をどうするかという前提として、そんな風に斜めに見ると言っちゃいけないかもしれないけど、種々考えないといけないということですね」
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「そしてISO認証というステップが必要ならいっときでも認証する意味があるでしょうし、別の手法で現状の打破と向上を図ろうとするのもありって思いますね」
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加藤が部屋に入ってきた。 | |||||||||
「みなさん、1時10分前になりました。そろそろ講習会会場の方に移動していただけませんか」
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「小畑さん、講習会で何をお話になるかわかりませんが、それを聞かなくても、もうここに来た甲斐は十分ありました。ありがとうございます」
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