*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
審査員物語とは
「おや本田君、どうしたの?」
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「氷川さん、ちょっといいですか?」
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「いいともよ」
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氷川は立ち上がり給茶機に歩み寄った。本田は氷川の肩に手を置いて、あっちに行こうという手ぶりをする。 二人は部屋を出てエレベーターに乗りロビーに行く。周りに誰もいない窓際のテーブルについてコーヒーを頼む。
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「おいおい、こんなところまで来るとはよほど重大な話かよ?」
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「さっき肥田部長から呼ばれましてね、いろいろ質問されたんですよ」
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「何も専務ならぬ何もしない部長か」
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「異動するようです」
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「ほう!彼はここに来る前は研究所長だったよね。環境部長に赴任してまだ1年経ってないんじゃない? いくらなんでも早すぎだろう」
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「なにもしないで業務に支障がでていることが上の方に知られたようでお役御免らしいです」
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「確かに誰が後任になっても、今より悪くなることはないんじゃない。赤飯でも炊かないとな。 ところでどこに行くんだろう?」 | |||||||||
「部長の話しぶりでは、ナガスネ出向らしいですね。というのは私にISO14001とか認証制度とか根掘り葉掘り聞いてましたから。実を言って、そんなことも知らなかったのかよと思うレベルでしたけどね」
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「へえ〜ナガスネか・・・ええとまだ山内さんが取締役だったよな」
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「そうです、山内さんは先々代の環境部長でしたね。普通なら63歳で引退ですが、山内さんは今年65じゃないですか。山内さんも辞めたい辞めたい言ってましたけど、これでやっと引退できそうですね」
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「山内さんがほっとしてもしょうがない。肥田 | |||||||||
「おっしゃるとおり、ここと違い外に行けば他社からの出向者がはるかに多いですから、なにもしなくても部下が支えてくれるということはないでしょう。今のままならウチの恥さらしになってしまいますね」
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「ええと、ナガスネには今出向者は何人いるんだろう」
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「10人くらいでしょうか。氷川さんの同期の三木さんという方もいますね」
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「三木か、懐かしい名前だな。俺も来年定年、奴も定年か、もっとも三木はナガスネの子会社に移って審査員を続けるんだろうけど」
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「氷川さんは出向して審査員になった方が良かったですか?」
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「バカ言っちゃいけねえよ、審査員よりここの仕事の方がやりがいがある。 それじゃともかく三木に肥田部長のことを頼んでおかないとならないな」 | |||||||||
「実を言いまして、肥田部長から当社から出向している人がいるかと聞かれましたんで、三木さんのことを話しました。三木さんはウチから行った中では山内さんに次いでナンバーツゥーでしょう。ナガスネでも副部長ですし」
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「そいじゃ三木にも話しておいてよ、いくら好きではないとはいえ肥田部長をバックアップしないと。 それからさ、まだ俺は話を知らないわけだから、本田君は部長をちゃんと教育しておいてくれよ。何も知らんで行っては本当に恥かくだけだ」 | |||||||||
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肥田は面白くない顔をして部長席に座っていた。● ● 肥田は京大の修士で入社して28年になる。30代になってすぐ当時会社で研究していたものを論文にまとめ博士になった。論文博士というのは今後廃止になるそうで最近は条件が厳しくなったというが、1990年代は普通にあった。そしてバブル真っ盛りで景気の良かったころは、各社が博士の数を競っていて、会社が種々支援して博士を量産していた。肥田も高卒のベテラン技術者2名を付けてもらって、実験とかデータの集計などはそのふたりにしてもらっていた。バブルもはじけて20年、ましてリーマンショック以降の今は金にならない博士号取得などに会社が便宜を図ってくれることもなくなった。 ともかく肥田は入社以来ずっと研究所にいて49歳で研究所長になった。その年齢で所長になるのは当社では異例である。肥田は画期的な発明とかすごい特許を取って貢献したということはなかったが、運も才能というか研究所の同期や年が近い人たちがチョンボしたりヘッドハンティングされたりして空白ができ、前任の所長が執行役になったとき後任に一番近い位置にいたというだけで所長になった。理由がどうであれ肥田はうれしかった。誰だって会社に入れば末は社長と思うだろう。もちろん数百人も同期がいるわけで社長になる可能性があまりにも低く、社長になりたいなんて言うのはいささか恥ずかしい。とはいえダブリもなく修士で入社ならトップ集団にいたことは間違いない。 研究所長というのは研究するわけではない。仕事は管理である。工場から研究依頼を取り集め、それを研究所各部門に割り振りアウトプットを出すのが仕事だ。肥田は研究者としてあまり優秀ではなかったが、管理者としてもあまり優秀ではなかった。史上最も若くて研究所長になったものの2年後本社環境部長に異動となった。職階的には横滑りで見た目には左遷とか降格人事ではないが、研究所長を務めた多くはその後執行役になり中にはトップまで行った人もいる。他方、環境部長から執行役になった人はいまだおらず、過去から行き止まりのポストと見られていた。役職定年になってもその業務上関連会社への出向もなく、せいぜいが業界団体へ出向とか大学の特任教授などである。だから肥田は研究所長落第で環境管理部に流れてきたというのは一目瞭然だった。 今日朝一番、肥田は人事担当の専務秘書から部屋に来いという電話を受けてなにごとかと行ってみれば、なんと当社が出資しているISO認証機関に出向・転籍という内示であった。もちろん出向すれば株主代表の取締役になるわけだが、売上30億、従業員100数十名の小企業の取締役では格下どころではない。研究所長が勤まらず流れてきたここでも、能無しとみなされたということだ。肥田が面白くない顔をしているのもやむを得ない。 思い悩んでもジタバタしてもしょうがない。とりあえずしなければならないことは、ISO認証制度についての勉強と、前任者の山内氏との引継ぎである。もう背水の陣で頑張らないと行くところがない。辞令の日付はひと月半後だ。それまでに猛勉強をしておかねば・・ 椅子を回転させ窓から外を見ると、ビルとビルの合間に皇居がわずかに見える。大手町の最新のビルに座っていられるのもあと45日、いや出社するのは30日もない。俺ももうこれで終わりかよと肥田はがっくりした。 しかしなんでうまく行かないのだろう。環境管理部なんて規模も小さく開発に比べれば独創性もないのにと肥田は目の前の30人ほどの部下を眺めて思う。 ●
二日前から三木は高松市で審査である。朝コンビニで買ってきた弁当を食べながらメールチェックをしていると、メールアドレスの末尾が元の勤め先のものがある。
誰かと見ると本田だ。懐かしいなと三木はメールを開いた。もう7年か8年前だが三木が審査員として出向することになったとき、いろいろと指導してくれた環境管理部の人だ。俺も来年定年だが、彼もいい年になったのだろう。● ● そんなことを思い出しながらメールをスクロールしていくと、山内取締役が引退し、現在環境管理部長をしている肥田という人が出向してくるという。まあこういった業界団体とか関連会社では会員企業が役員を送り込んできて、数年で交代するというのはありきたりのパターンであり驚くことはない。三木は出向してから今まで山内取締役にいろいろとお世話になったことを思い出した。それにしても山内取締役はずいぶんと長い間認証機関にいたものだ。山内取締役と飲むといつも引退したいと言っていたのを思い出す。 今では三木も古株になっているから、肥田取締役がくれば三木がいろいろと指導というか面倒を見なければと思う。メールにも肥田がそちらに行ったらいろいろとお世話をしてほしい旨書いてある。 本田に伝えたい思いはいろいろあったが、とりあえず事情は分かった旨だけ返信した。午後からの審査まであと10分もない。 ●
翌朝、肥田は本田を呼んで会議室に入った。● ● ドアを閉めるとA4の紙1枚を本田に渡す。 | |||||||||
「本田君、昨日の話から大体わかっていただろうけど、ぼくは来月ナガスネ環境認証機構に出向することになった」
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「そのように推察しておりました」
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「これで僕もこの会社での人生は終わりだなあ、まあ事業所長まで行ったんだから不満は言えないけどね。 それはともかく、これからのひと月半を有効に使いたい。まだ先方と何も話していないんだけど正直言ってISO認証制度とかISO規格なんて知らないのも同然だ。訪問して話をするにもあいづちも打てないだろう。 それでここに何をしないとならないかをまとめてみたんだけど、そういったことについてレクチャーを頼みたい」 | |||||||||
本田は渡されたシートをザットながめた。 いろいろリストアップしている。なるほどというものもあるが、見当違いと思われることもある。 | |||||||||
「部長、ご希望はわかりました。ええとこれを拝見すると簡単にはいきませんね。時間もありませんからすぐ開始しないとなりませんね。毎日1時間ということでよろしいですね」
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「そう、なにぶん何も知らないので基本的なことだけでもつかんでいきたい。私に話が来たということは向こうにも説明がいっているわけで、あまり遅くならないうち、せいぜい来週初めくらいには挨拶に行きたいんだ。だから今週中くらいにそのとき話ができる程度の知識は入れておきたい」
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「時間もありませんので、ええとここに書いてある審査の詳細とか、規格の勉強などは出向してから向こうの会社で講習を受けることが最善かと思います。とりあえずは認証とは何かとか世の中の位置づけとか社内の状況など、もっとも基本的な情報をまずご理解されることがよろしいかと思います」
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「なにぶんウルトラ初心者という前提で頼むよ。急で悪いけど明日から、いや今日からでもいいけど毎日1時間ということで良いかな?」
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「了解しました。それじゃ今日は16時から17時ということでよろしいですか?」
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「じゃあ今日から毎日16時から定時までということで頼むよ」
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肥田は手帳にメモする。 | |||||||||
「それからウチからナガスネに出向している人を紹介してもらえないかな。これからいろいろとお世話になるだろうから」
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「ええとですね、出向者はみな審査員をしておりまして、出張が日常なのです。ですからいついつ来いとかいってもスケジュール的に難しいのです。 実を言いまして昨日部長にお話しした三木さんに連絡をとりましたら今四国で審査をされているそうです。それで出張から戻りましたら一度こちらに来てもらおうと思います」 | |||||||||
「ほとんどが出張か・・・・大変だな。あれか、俺も向こうに行ったら審査で出張するようになるのかな?」
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「私も細かいことはわかりませんが、取締役といってもほとんどの方は審査員の資格はお持ちですね。そして毎日ではないでしょうけど実際に審査をしているそうです。そうでないと内部的には示しがつかないでしょうし、対外的には箔も付くでしょうし」
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「審査員の資格を取るのは大変なのか?」
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「審査員になるには1週間の研修を受けて、一定回数実際の審査に参加する必要があります。そして毎年定められた回数だけ審査を行わなくては資格が失効してしまいます。 ご存知と思いますが、審査員には審査員補、審査員、主任審査員というランクがありまして、実は主任になって初めて一人前というか一人で審査ができるのです」 | |||||||||
「そうすると主任審査員になるにはどれくらい、つまり月日が要るのだろう?」
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「ルールで定まっている審査日数はたいしたことありませんが、実際には審査に参加したりリーダーをさせてもらうことが大変らしいです。それで主任審査員になるには普通1年とかそれ以上かかると聞きます。とはいえ、認証機関の取締役ともなると、事務方が都合をつけて最短コースで半年とかで主任になっていると聞いています」
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「なるほど、俺のときもそう願いたい。とはいえそういったケースでは本人も相当努力が必要だろうなあ」
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夕方、初めての本田の講義を聞いた。IAF、UKAS、JAB、NC、CARとか聞きなれない略語がたくさんでてきて覚えることがたくさんある。● ● 終業のチャイムが鳴って、本田が自席に戻ってから肥田はいろいろと考える。いや頭の中が爆発しているようで、考えというか雑念が浮かんでおさまらない。 ISO認証というのは最初品質で始まり、その後環境が追加になり、2009年現在多様な認証規格が作られつつある。それを肥田は素晴らしい状況とは思わない。多種多様なものが現れるという時代は、安定とか高度成長期ではない。むしろ閉塞感があるときか、バージェス 会社は俺にナガスネの終戦処理をさせようとしているのではないかとか、研究所長も環境管理部長もまっとうできなかったから、最悪の会社に送り込もうとしているのだろうかと疑心暗鬼である。 肥田は想像する。ナガスネでの自分の任務は、売り上げ拡大だろう。なにしろ1990年代は40億くらいの売り上げがあった。それが10年後の今は30億だ。本田は認証件数が停滞したことよりも、認証機関の競争で単価が下がっているとか、認証規模が小さくなってきているので仕方ないのだと言った。そうなのだろうか? だが原価が下がっているわけではない。結果として損益は悪化し続けている。
肥田は本田が作ってくれた本日のレジュメを机に放りだすと頭の後ろで手を組んで天井を見上げた。 同期で一番早く事業所長になったものの2年で配置転換、環境部に来てたった1年で降格だ。事業所長がだめで環境管理部に来てからの一年、部下から尊敬を受けたこともないように思う。何が悪かったのか。事業所長になったのは同期で一番だったが、引退するのも一番か。既に同期から何人か事業所長になった者がいるし、中には1000億も生産高を上げている工場長になったのもいる。 このままではナガスネに行っても名を上げることはできそうにない。肥田は大声で叫びたくなった。 |