審査員物語 番外編47 木村物語(その1)

16.11.24

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

審査員物語とは

1973年といえば年配の方なら記憶にあるだろうが、第一次オイルショックど真ん中である。前年はドルショックがあった。もう日本経済は上を下への大変な時期だった。
消費者物価もどんどん上がった。第一次大戦後のドイツでは、買い物をしている間に値段が変わった(高くなった)という逸話を聞いたことがある。オイルショックのときはそこまでではないにしろ、同じ型式の冷蔵庫の値段が毎月あがったなんてことが実際にあった。
赤く咲くのは9001
白く咲くのは14001
どう咲きゃいいのさこの私
夢は暗かった

木村
21世紀の現在ほとんどの消耗品や耐久消費財はオープン価格といって、メーカーは希望小売定価をつけず店が自由に値付けして売っている。だから製品の梱包箱に値段が書いてなく、値段を知るには店の値札を見るしかない。このオープン価格という制度が広まったのは1990年頃からで、1970年当時は定価があり、小さなものは梱包箱に定価を印刷したり、大きなものは梱包箱の中に定価を書いたカードを添付していた。ところがドルショック以降原材料がドンドン上がり、メーカーは製品価格を時々刻々と上げたので、製品に定価を印刷するのを止めた。そんな時代である。

木村は一浪したので私大の工学部を出たのは1973年だった。就職活動をした前年は既に日本経済が混乱していて成績が並みの木村に大手はとても無理、なんとか小さな商社に就職した。
木村はそこで営業をしていたがどうも肌に合わない。経済が上向いてきた78年に大手機械部品メーカーに転職した。その頃になると景気も回復し、どの会社もオイルショック時に採用を見合わせた木村の年齢層を補強しようとしたのだ。勤務地は都内日本橋から遠く静岡市に移ることになったが、まだ独身だった木村には苦にはならなかった。そりゃ中小と大手じゃ月々の賃金はそう変わらなくても週休2日だし福利厚生が全然違う。これで結婚できるぞと安心した。

ちなみに: 1980年当時、週休二日制は大手企業で4割、全企業では2割しかなかった。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nenkan/df15.html
高度成長も一段落し、家庭生活を大事にしようという風潮になったとき、週休1日と2日では大きな違いがある。お金をメインに考えても、額面が同じなら実質2割賃金が高いということだ。

ところがその直後に、第二次オイルショックである。木村は半年違ったら転職できなかったとゾッとした。幸い第二次オイルショックは長く続かなかった。国も企業も個人も第一次オイルショックで対応を学んだことも大きい。そんなわけで80年代からはまた景気が上向き、社会も安定した。

その工場では、各種軸受、金型のガイドポストやボールネジなどを作っていた。木村は品質管理部門だった。同じ年齢でも大学から直で入社してきたメンバーは既に一人前、まして工学部卒とはいえ数年間ものづくりにタッチしていなかった木村は、右も左もわからず戸惑うことばかりだった。
それから十余年が経ち1992年、木村も42歳となった。木村は結婚して建売を買い、子供ももう中学生だ。木村と同年配の半数は課長になっていた。しかし業歴入社の故か木村に課長の声はかからない。いや業歴以前に木村自身、課長になるような仕事をしていない。品質管理部門で検査員の指導とかデータのまとめをしていた。木村はなんとかせねばと考えているのである。

ある日、木村は課長に呼ばれた。
課長
「おい、木村君、ISO9000という品質管理じゃなかった品質保証の国際規格って知っているか?」
木村
「名前だけ聞いたことがあります。数年前に制定されたと思います」
課長
「それだ、それだ。木村君がそういうことに明るくて良かった」
木村
「はあ?」
課長
「欧州統合って聞いているだろうけど、ウチもヨーロッパにはそうとう輸出している。なんでも欧州統合すると輸出するにはそのアイエスオー認証が必要になるという。ということでこの工場も再来年の春までに認証しなければならない」
木村
「はあ?」
課長
「それで君を認証担当してもらうことにした」

課長の話だと今後はISO認証の専任にさせるという。
木村は席に戻ったが、はて?アイエスオーとはなんだ? 認証とはなんだ?
ともかくISO認証なるものを調べなければならない。


五十嵐さん
五十嵐さん
木村は技術管理課というところに行く。JIS規格などを整備したり、図面や文書の管理、特許の手続きなどをしている部門だ。定年直前の五十嵐さんという、JISやMIL規格などを担当している人に声をかける。彼は歩く規則集という異名を持つ。
彼なら何か参考情報を持っているだろう。

木村
「ISO9001なんて聞いたことありますか?」
五十嵐さん
「あるともさ、品質保証の規格だそうだ。なんでも今までのISO規格はものを対象にしていたが、これはものじゃなくて仕組みを対象としているそうだ」
木村
「私が認証を担当せよと言われました。それで全くの素人なんで初歩からわかるもの、それと近隣とか当社内でISO認証しているところとかご存知ないでしょうか?」
五十嵐さん
「あのさ、ウチは大会社だぞ。そういうときはどうするかってのは決まっている。そんなことも知らんのか?」
木村
「そういう手順は決まっているのですか?」
五十嵐さん
「例えばこの工場の設計が新しい技術、そうだなあ例えば新しい潤滑剤を採用したいとする。その時どうすると思う?」
木村
「当社には、研究所がありましたね。そこに研究依頼するのでしょう」
五十嵐さん
「そうではあるが・・・研究所というのは単なる作業をするところだ。技術本部という組織が本社にある。まず工場から技術本部にこういう製品を作りたい、そのためにはこういう技術や材料が必要になるということを説明して、いろいろなアドバイスを受けるというかそこの了解を得ないと進めない。新しい技術は外から買ってくることもあるし、研究所に依頼することもある。あるいはその技術は止めた方がいいということもある」
木村
「なるほど、でそれはISOとどう関わるのでしょう?」
五十嵐さん
「お前、頭が足りないのと違うか。製造技術とか公害防止とか俺に関係することではCAD導入などは生産技術本部というところがある」
木村
「生産技術本部?」
五十嵐さん
「そこで新しい製造方法とか公害の規制対応とかを考えるわけだ」
木村
「ということは品質保証のことは、その製造技術本部の品質担当のところに相談ということになるのですね」
五十嵐さん
「そういうことだ。この工場は量産品がメインだから品質保証というのはあまり関係なかったが注文品がメインの工場では品質保証部門がある。そして製造技術本部には品質保証担当がいていろいろ相談の乗ってくれる」
木村
「品質保証って何ですか?」
五十嵐さん
「おまえ・・・お前の仕事は何だ?」
木村
「品質管理ですよ、五十嵐さん知ってるじゃないですか」
五十嵐さん
「10年も品質管理をしていて、品質保証を知らんのか?」
木村
「すみません」
五十嵐さん
「良否を分けるのが検査、品質を維持向上するのが品質管理、品質保証とは品質を作りこむ仕組みを作ることだ」
木村
「ああ、だからそれで品質保証の規格というのか」
五十嵐さん
「40過ぎても会社の仕組みも知らず、品質保証も知らずでは、課長になれないのも当然だな」

木村は五十嵐の毒舌を無視した。

木村
「そうしますと生産技術本部のどこに問い合わせればよいのでしょう?」
五十嵐さん
「社内電話帳で調べろよ。知らない人に電話するくらいの度胸はあるだろう」
 注:1992年当時はイントラネットのある会社はなかっただろう。


木村は自席に戻って大きなパイプファイルの社内電話帳をめくる。本社の・・・生産技術本部の・・・品質保証という部門はあるのか・・・品質部というのがあり、その下は細分化されずに肩書のつかない10数名の名前が並んでいる。電話帳からは誰が品質保証の担当なのかわからない。いささか腰が引けたが電話帳の筆頭に載っている人に電話する。

だれか?
「ハイ、本社品質部です」

愛想のよい返事だ。
木村は恐る恐る・・・

木村
「静岡工場の木村と申します。ISO9001のご担当の方がいらっしゃいましたら代わっていただきたいのですが」
だれか?
「ハイ、お待ちください。おーい、友ちゃん、静岡工場の木村さんという方から電話、ISOの件だって」
友保さん
「お電話代わりました。友保ともやすと申します。どんなご用件でしょうか」
木村
「静岡工場の木村と申します。欧州へ輸出するためにISO認証をすることになりました。そちらでISO認証のご指導などしてくれるのでしょうか?」
友保さん
「ああ、もちろんですよ。欧州統合でISO認証が必要になりましたからね。ゆくゆくISOの説明会などをしようと考えています。まだ認証を受ける工場はないと思ってました」
木村
「ええと再来年つまり1994年の3月までに認証しろと言われているのです。見通しとしてはどうでしょう?」
友保さん
「1年半あるわけですね。十分ですよ、もちろん今から取り掛かればですが」
木村
「友保様、一度訪問してお話をお聞きすることはできますか。それともこちらに来てお話していただけるなら、どのような招聘状を書けばよろしいのでしょうか」
友保さん
「静岡かあ〜、私もスケジュールが混んでいるので、こちらに来てもらえればうれしいですねえ」

木村は藁をもつかむ気持ちだ。

木村
「分かりました。いつお伺いしたらよろしいでしょう?」


1週間後に木村は本社に出張した。
大分ゆっくりしていると思うかもしれないが、その間に工場の関係部門にヒアリングを行い、疑問点、質問などをとりまとめ、また自分自身何を知りたいのか整理してきたのだ。

品質部に行くと、友保と名乗った木村より若い30代の男が窓際の打ち合わせ場に案内した。本社と言っても立派な事務所でもない。事務机もありふれたコクヨのものだし・・トレンディドラマとは大違いだ。
しかし座っている人がみな偉そうだ。参事というのはこの会社では部長級で部長職にいない人の肩書なのだが、ヒラの席に座っている人の何人もの名札には氏名の上に参事なんて書いてある。とすると肩書がない他の人でも課長級かよと木村は驚く。友保という若いのも課長級なのだろうか。

友保さん
「ISO認証なんて言っても難しくないですよ。お客様から品質保証協定なんてありますよね、あれと同じです。というかお客様によって品質保証協定の内容が異なって我々が困ることって多いですよね。それは外国でも同じようで、そういった不都合をなくそうというのがこのISO規格の始まりです」

木村は品質保証という語を知ったのもつい1週間前のこと、五十嵐氏に話を聞きに行った時のことだ。品質保証協定って何だ?

木村
「すみません、品質保証協定って何でしょう?」
友保さん
「へえ!品質保証協定ってご存知じゃありませんか?
木村さんは品質管理とありますが品質保証にはタッチしてなかったようですね。」
品質保証の国際規格
◇ISO規格の対訳と解説◇
増補改訂版
監修 久米 均
日本規格協会

友保は木村の名刺を眺めながらそういう。

友保さん
「うーん、どうしようかなあ〜?
とりあえずですね、ISO9001を理解するには基本的なことを勉強しなくちゃなりませんねえ〜
そいじゃ、まず『品質保証の国際規格』という本を買ってください。結構高いです。1万何千円かしましたね」
木村
「いっ、1万・・・」
木村はISO規格がそんなに高いとは知らなかった。

友保さん
「ISO規格は高いですからね。
それから静岡工場は量産品だから品質保証協定書なんて結ばないのか・・・あのね、品質保証についての本を本屋で買って勉強してください。とはいえタイトルが品質保証でも中身は品質管理だったりするのが多いんですよね。著者が品質保証を理解していないことが多いんですよね、どうしようかなあ〜
そうだ、川崎工場は個産品というか客先仕様の受注生産だからあそこに教えを請いに行ったらどうでしょう。川崎工場の品質保証課の課長に話をしておきますよ。
あのね、木村さん、品質保証とは何かということを良く理解してないとISOどころじゃありませんからね」

ちなみに: 当時は『品質保証』を書いた本なんてほとんどなかった。2016年現在だって、真に『品質保証』を論じている本はいくらもない。日本ではいかに品質保証が軽視されているかという証左である。
その代り、狭義の『品質管理』の本はあふれている。まあそれが品質世界一の原動力だったのだろうけど。
西堀さん時代だって、品質保証という考えはあったのになぜそういうことになったのか、私は知らない。ただそれが日本の弱点である。
木村
「いや、ありがとうございます。右も左も知らない者で申し訳ありません」


缶ビール 帰りの新幹線で木村は柿の種をあてに缶ビールを飲みながら考える。
友保には無知をさらけ出して恥をかいてしまったが、まあそれはしょうがない。今日、友保に教えられたことを明日から少しずつやっていくことにする。
まず『品質保証の国際規格』という本だが、本社を出た後、八重洲ブックセンターに寄って探したが取り寄せになると言われた。八重洲ブックセンターにもないとは一般的ではないのだろう。工場に帰ったら五十嵐さんに話して技術管理課で手配してもらおう。
それから川崎工場に訪問する日程調整をしなければならない。川崎工場では品質保証について教えてくれるという。これも友保のおかげだ。
それから工場内部で調査することを指示された。計測器の管理、機械設備の管理、作業指示文書の管理状況・・・
おお、なによりも認証機関に交渉しなければならないと言われた。まもなく多くの企業がISO認証を始めるからそうとう早めに予約しておかないとダメと言われた。ただ突然いっても相手してくれるかどうかわからないとのことで、最初は友保が同行してくれるという。

缶ビール缶ビール
木村は缶ビール二本目にとりかかる。
木村はこれがチャンスになると考えた。誰もやったことがないことをすれば、その分野の第一人者になれる。そうすれば出世の遅れを挽回することもできるだろう。例えば静岡工場に品質保証課ができて課長になれるかもしれない。ISO審査のときは品質保証部門がといめんになるというから、そのときは晴れ舞台だなとニンマリした。
ゴクゴクとビールをのどに流し込みながら木村は友保に感謝した。しかしあとで友保も食えない奴であることを思い知らされるのである。

うそ800 本日の回顧
こんなことを書いていると25年前を思い出す。当時はISOなど右も左もわからずに右往左往したものです。とはいえ、私はISO認証の前から品質保証を担当していましたのでISO9001を読んだとき、ああ、これは品質保証そのもの、要求事項が漠然としているだけだと思いましたね。そこはこの木村氏とは違います。
次回から木村さんに右往左往をしてもらいます。


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