審査員物語62 山内に会う

16.01.11

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

三木は審査員になったとき、認証機関の取締役であった山内にいろいろとお世話になった。彼にも挨拶しておかねばと思う。
今彼はどうしているのだろうか? 三木よりも4つくらい上だからまだ67くらいだ。あのように工場長クラスまで出世した人はまだ引退していないだろう。たぶんどこかの会社の役職についているに違いない。そう思い肥田社長に聞くと元の会社の関連会社で顧問をしているという。教えてもらった会社の住所は上野駅から歩いて10分くらいのところだ。グーグルマップのストリートビューで見ると、小さな雑居ビルが立ち並んでいるようなところだ。中小企業とか大手でも孫か彦の関連会社となるとそのあたりになるのだろう。三木は自分が今まで日の当たるオフィス街でだけ働いていたのだなと実感した。
顧問なら常勤ではないかもしれないと思い、ご挨拶とご都合の良い時に訪問したいとeメールを送った。
メールを送って10日ほどたち三木が忘れた頃、山内から返信があった。1週間ほど後の日時が指定されてそのときに来いとある。ほかには何も書いてなかった。


当日、三木がその会社のドアを開けると、すぐ30人ほどいる事務所があった。出入り口に近いところの女性が立ち上がった。彼女が三木のところまで来るより早く懐かしい山内の声がした。声の方を見ると、奥の方に並んだエライサンの机の一つに山内が座っていた。山内は立ち上がりかけた女性をいいからいいからと手で制し、三木の方に歩いてきた。
山内元取締役
「おお、三木よ、よく来たなあ〜」
三木
「お久しぶりです」
山内元取締役
「ここじゃなんだからちょっと外で話すか」

三木は窓口にいた女性に少し出かけてくると言って三木を表にいざなった。
50mも歩かずに大通りから少し入ったところのコーヒーショップに入る。今はスターバックスのような雰囲気の店が多くなったが、山内が入ったのは昔ふうの喫茶店だった。
山内元取締役
「話をするのはこんな店の方が安心だ。おっと別に秘密の話もないだろうけど」
山内

山内
コーヒー三木

三木
三木
「まずはご無沙汰しております。山内さんもお元気なご様子、安心しました」
山内元取締役
「ありがとう、年齢なりに体力は衰えてきたがそれはしかたがない」
三木
「今はどのようなお仕事をされているのでしょうか?」
山内元取締役
「うーん、まず今の勤め先は人材派遣なんだよ。といっても特定だし、客先もウチの関連会社ばかりだからそんな厳しい仕事でもない、派遣労働者にとっても我々にとっても。
そしてさ、俺の昔の知り合いがまだ現役で客先の会社にいるものだから、そこへの営業とかトラブルが起きた時の要員として嘱託で採用されたんだ。ナガスネを辞めて半年くらいしてからかな・・・もうここに勤めて2年近くになる」
三木
「じゃあまだこれからも現役で頑張れますね」
山内元取締役
「そうもいかんのだよ。俺ももう67だろう。知り合いも同じく歳をとっていくわけでさ、昔の俺の同僚のほとんどは引退してしまったし、一緒に仕事をした元部下も還暦だ。俺の知らないのが営業の対面になると俺の存在価値がないわけさ。正直言って実力で仕事をしているわけじゃなくて、過去の人間関係で仕事をしているわけでさ、あと半年もしたら引退するつもりだ。
まあ、会社にとっては顧問の賃金は微々たるもんで、いてもいなくてもあまり関係ないだろうが、俺にとっては役に立たないと肩身が狭い」
三木
「さようですか、メールにも書いておきましたが、私も今年度、あと数か月でナガスネの子会社を辞めることにしました」
山内元取締役
「おお、そんなこと書いてあったな。退職しても契約審査員をするのだろう?」
三木
「いえ、もうまったく仕事をしないつもりです」
山内元取締役
「ほう、そりゃどういう心境なんだね?」
三木
「実を言いましてその決断などについて山内さんのお考えをお聞きしたいと思いましてね」
山内元取締役
「俺の考え?」
三木
「一般論でよろしいのですが、私の迷っているにアドバイスいただけたらと思いまして」
山内元取締役
「冗談言うなよ。俺がナガスネにいたときからお前のアドバイスを受けていたが、俺がお前にアドバイスしたなんてことはなかったぞ」
三木
「大局的なことから行きますと、ISO認証制度というのはどういう意義があったのでしょうかね?」
山内元取締役
「そりゃまたきわめて大きな話だな。まあ世界的なそういうスキームができたのだから日本もそれに合わせなくちゃならないってことなんだろうな。正直言って日本でISO黎明期に関わった人たち、例えば久米さんなんかはISO認証の意義なんてあるとは思っていなかったんじゃないのかな」
三木
「元々日本ではISO認証は必要ではなかったということですか?」
山内元取締役
「ISO9000が現れたとき、品質保証要求事項が顧客によって異なることが企業の活動を阻害する、それを標準化すると取引が容易になるなんていう理屈だった。だけどさ、考えてみろよ、発祥の地イギリスと日本の状況は全く違っていた。かの国では系列もないし軍需も大きなウェイトを占めていた。そしてまたキリスト教的契約社会だった。契約社会というのは会社同士だけでなく、会社と従業員の関係もそうだったということだ。
だから通常のBtoBの取引では日本の系列ほど濃密な関係ではなく、品質保証契約というのは大きな意味があったのだろう。日本は子会社、下請けを育てるという仕組みだから品質保証協定以前に品質指導が大きなウェイトを占めている。そして従業員も終身雇用が多く、手順や基準を文書化してもしなくても仕事はちゃんとするし」
三木
「ということは山内さんは元々日本にはISO認証制度というものは不要だったとお考えなのですか?」
山内元取締役
「そりゃそうだろう。なぜ日本でISOが流行したのかってのはご存じとは思うが、EU統合の影響だ」

三木はうなずいた。
山内元取締役
靴 「だが必要がないからやらないではなく、必要がないからやるという発想もある。誰も靴を履いていない新興国に行って『みんな裸足だから靴は売れない』と言ったセールスマンと『みんな裸足だから靴が売れる』と言ったセールスマンもいたっていう話だ。
俺も1992年頃の状況はよくわからないが、あのころは経団連も各種業界も認証というのは新しいビジネスになると思ったんだろうなあ」
三木
「イギリスでは一時はISO認証がパブから劇団にまで広く普及したそうですが、その後減少に転じましたね」
山内元取締役
「いろいろな要因もあるだろうし、いろいろと変遷もあったと思う。そもそもISO9001の第一版ではテーラリングというのが推奨されていた。規格要求事項は最小公倍数みたいなもので、規格に書いてあることだけでは品質保証には不足だとわかっていたのだと思う。逆にトレーサビリティなんかは必要な場合とかいろいろ形容詞付きだったしね。しかし第三社認証になるとテーラリングなんて許容できるわけがない。そしていつしか認証は、品質保証ではなく企業の評価尺度のようになったのではないだろうか?」
三木
「それは2000年版になったときのことですか?」
山内元取締役
「いやいや、1987年版でも1994年版でも同じだよ。JIS規格票に『品質保証の規格』と銘打ってあったが、誰もが品質保証とかではなく企業そのもののレベルを表すと考えたんだろうなあ。という前に日本で品質保証なんて理解しているのは品質保証担当者だけで、一般消費者だけでなく普通のサラリーマンは理解していないよ」
三木
「まあいろいろあったでしょうがISO認証が普及する過程で、日本の品質に対する意識と実際に品質を向上させてきたということはありませんか?」
山内元取締役
「それはないだろう、むしろISOの規格を満たせばいい、満たすことが優先するという発想が、日本古来からのボトムアップの精神を希薄にさせて現場のやる気を低下させたという方が問題だったと思うよ」
三木
「こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが、山内さんは認証機関の取締役であったときもそうお考えだったのですか?」
山内元取締役
「あのさ、お前だって自分が売っているものが世の中で最高のものだとか、一番安いとか信じていたわけじゃないだろう。自分の扱っているものが、他社より仕様や品質が劣っていても値段が高くても、まあ暮らしていくためには仕事と割り切って営業に励んでいたんじゃないのか」
三木
「それはおっしゃる通りですが・・・しかし物を売るということは少なくても相手になんらかの価値を提供することですよね。ISO認証を売るということは相手に何を提供したのでしょうか?」
山内元取締役
「そりゃいろいろ与えたと思うよ。苦し紛れの言い訳ではないが、過去も今もISO認証を無理やり売り込んだことはない。企業側が必要に迫られたか流行に遅れまいとしたかはともかく、向こうが認証してほしいと来ていたわけだ。ということは買い手は認証に価値を見出していた、我々はそれを与えたというだけで、なんらやましいことはない」
三木
「主観的にはともかく、認証制度は過去20年の間、日本経済にいかなる寄与したのかと考えるとどうでしょうか?」
山内元取締役
「お前は昔から堅苦しいなあ〜、そうだなあ、認証業界の規模というのは対して大きくはない。認証だけでなくコンサルとか出版を合わせて、最盛期でせいぜい1000億くらいだったのかな? だいぶ減少した今じゃ数百億だろうけどね、
ともかくそれだけ日本のGNPを増やすことに貢献したことは間違いない。無駄なことなんて言うなよ。例えばだ、犯罪が増えればガードマンの需要、錠前の需要、警官の増員、刑務所の増築、そういうことでもGNPは間違いなく増加する。犯罪がGNPを増加させるとは三橋貴明も語っている。
変な話だが、そういう意味では日本経済に貢献したはずだ」
三木
「しかし企業の効率を阻害したり、無駄も増やしたでしょう」
山内元取締役
「無駄な仕事が増えたというのはGNPの拡大そのものだ。もちろんそれによって国際競争力は落ちたかもしれないがね。
そうそう企業の遊休人材の活用という効果も生みだした。お前もそうだし、俺もそうだ。ISO認証がなければ俺もお前も60前にリストラだったかもしれない。
ISO認証というのは元々そういうことも目的だったのではないだろうか。昔聞いたことがあるが、欧州でISO認証が始まったときホワイトカラーの失業対策といわれたという」
三木
「なるほど、ホワイトカラーの失業対策ですか・・、我々は現場の仕事が出来そうもありませんからね」
山内元取締役
「あのさ、お前はなんでも真剣に考えすぎなんだよ。ISO認証制度みたいなものは過去にもあった。ちょっと違うかもしれないが1990年頃にCIなんてのがはやったな」
三木
「CIですか、懐かしいですね。コーポレイトアイデンテティでしたっけ、会社のロゴの見直し、会社の応援歌を作ったりコーポレートカラーなんてのも決めましたね。テレビコマーシャルも商品そのものではなく会社のイメージを訴えるようなものばかりでしたね」
山内元取締役
「なんのためにCIをやったのかっていえば、バブルで金が余り、何かかっこいいところを見せようとしたんじゃないのかね?
ともかくCIによって何を得たのかとなると、無駄骨折りだったように思う。ましてやBtoCならともかくBtoBでは一般消費者に会社名を覚えてもらってもなんも効果はない。せいぜいが求人の際有利になるかどうかくらいだろう」
三木
「なるほどISO認証も単なる無駄ではなかったということですか」
山内元取締役
「QMSが品質保証だ、EMSが遵法と汚染の予防だと考えると、その目的には直接的な効果がなかったとか、あるいは効果はわずかだったということになるかもしれない。多分そうだろうとは思う。
しかしQMSの結果、企業において文書化、標準化が定着したり、EMS認証の結果、従業員の環境意識が高まって、企業の環境活動や環境ビジネスに協力してもらえるようになったなら、それだけでも良いのかもしれない」
三木
「私が審査員になった頃、週刊誌が『QMSの結果よくなったのは文書管理、EMSの結果よくなったのは環境意識』なんて揶揄していたのを覚えています」
山内元取締役
「まあそういうことも事実としてあったのだろうなあ。別にそうじゃないと強弁することもない。それになによりも欧州に輸出するにはISO認証していないとならないという条件なら、認証費用を国外に流出させず国内に留めたということだけでも日系認証機関の存在意義があったかもしれない」
三木
「ただ審査において審査員のばらつき、あるいは規格の誤った解釈によって企業に迷惑をかけたということも多々あったわけですよね」
山内元取締役
「ハハハハ、お前が入社したころ、柴田取締役とか朱鷺さんとずいぶんもめたのを覚えているぞ」
三木
「まあ私が青臭いのは認めますが、ああいったことは企業に迷惑をかけただけでなくナガスネの名誉というか評判を痛く傷つけたと思います。もっとまじめに規格を読んで他社と同様というかより素晴らしい審査をすべきだったと思います」
山内元取締役
「いやいや、柴田さんや朱鷺さんにとっては最善を尽くしたのだろうと思うよ」
三木
「あのような間違いがあっても最善だったのですか?」
山内元取締役
「1996・7年頃は右も左もわからない状況だった。だから環境目的は3年間の計画だ、3年以上のスパンがないから不適合というような間違いをしてもしょうがなかっただろうなあ」
三木
「しかしそのようなミステイクが大きな影響を与えた・・・いやそういった間違いによってISO認証の価値を下げたということも大ありですね」
山内元取締役
「そうだろうなあ〜。そもそも審査員適性をなんて考えなかったのかもしれない」
三木
「審査員の適性とおっしゃいますと?」
山内元取締役
「ナガスネの創立時は業界所属の企業の環境部門の部長、課長クラスの人を集めた。俺は例外で営業だったが、柴田さんも須々木さんも元の会社では環境部長だったはずだ。そういう条件で集めたことは悪いとは言えないが、当時の企業の環境部門には雑多な種類の人たちがいた。

くしゃみがま止まらん
誰かが我々の噂をして
いるようだ
須々木
須々木取締役
柴田取締役
柴田取締役
まず長年工場で環境管理をしてきた人たち、環境管理と言えば現代風だが、ありていに言えば公害防止をしてきた人たちということだ。
ところがそういう人だけでなく、急きょ設けた環境部門に今までまったく環境に関わりなかった人も駆り集めた。ウチなんてその最たるものだったね。設計部門にいてシステム屋だったからマネジメントシステムに詳しいだろうとか、営業や資材で部長になれない人が環境部門に流れてきたり、英語が得意ならISO規格が分かるだろうとか・・
それはウチばかりでなく同業他社も同じだったようだ。だから出向元の企業で環境部門にいたといっても、環境の専門家なんて人はほとんどいなかった。先ほど言った柴田さんや須々木さんも英語は得意だったが、公害防止なんて関わったこともなかった。もっとも須々木さんはイギリスに調査に行って英語でやりとりしたってのをその後ずっと自慢していた」
三木
「そんなことを言えば、私だって環境も公害もまったくの門外漢ですよ」
山内元取締役
「うーん、過去の経験だけじゃなくて、環境というもの、審査というものを正しく理解したかどうかってところも大きいと思うんだ」
三木
「とおっしゃいますと?」
山内元取締役
「元々日本には公認会計士とか社内の監査部くらいしか監査なるものをしている人はいなかった。
だもんでISO審査というものが現れたとき、過去からの監査とはいかなるものかということを学ばずに、ISO規格を順番に質問するだけしか能のない審査員が大量生産されたんじゃないかって気がする」
三木
「確かに・・・そういうのを項番順審査と言いましたよね。そうじゃなくてあるがままをみて、その組織が規格要求を満たしているか否かを把握できないといけない。
細かいことと言いますか、現実の問題としては規格と同じ言い回しでないとか、規格の言葉を使っていないとかという理由で数多くの不適合が出されていましたね。あれはどういう欠陥というか原因だったのでしょうか?」
山内元取締役
「審査の目的そのものを理解していなかったのだろうか?」
三木
「審査、まあ監査も同じでしょうけど、先ほど山内さんが公認会計士と監査部くらいしか監査をしていなかったとおっしゃいましたが、品質保証協定を結んでいる場合、品質監査をするのは普通の事でしたよね。そういう品質監査では協定書の文言そのままでないとダメだとかいうことはなかったと思います。要するに要求したことをしているかどうかであって、要求事項の言葉を使っているかどうかはあまり重要じゃないんじゃないですかね?」
山内元取締役
「おお忘れていたが、確かに取引先に対して行う品質監査があったね。お金を出して物を買うとき、良い品物を受け入れることは重大なことだが、発注先で買い手の言葉を使っていなくても気にはせんだろうね。そう言われると品質監査はISO審査ときわめて似ている。いや同じと言っても良い。だがISOの審査員は審査の考え方や手法を泥臭い第一者や第二者の品質監査から学んだとは思えない」
三木
「ULなどもありましたね」
山内元取締役
「そうそう、そういえば元からULの代行をしていた認証機関は、新興の認証機関よりはまっとうな審査だと聞いたことはある」
三木
「審査員研修でもっと審査というものを教えないといけないですよ。私自身の体験からそう思います。審査員研修が40時間というのは短すぎませんか」
山内元取締役
「確かに40時間は短いが、しかし時間をかけて学べばそれができるようになるのか、学んでもできない人が多いのか。やはり適性もあるだろう」
三木
「LMJなる監査の神様は監査員に向く人は8割しかいないとか語っていましたが」
山内元取締役
「8割は向かないというのが実際じゃないのかね。ともかく企業からナガスネ認証に多くの人が送り込まれてきた。適性とか過去の経歴など無視で、単に元部長とか元課長というだけでね。
そしてウチも教えることのできる人もいなかったし、アタフタしているうちにどんどんと実際の審査を行うようになったわけで、教育不足、人材不足、悪条件が重なったのだろうなあ」
三木
「そしてそういった人たちが再生産というか劣化コピーを繰り返しましたから、向上しなかったということですか」
山内元取締役
「本来ならしっかりとしたリソース、つまり人材、教育体制がなければ認証事業なんて始めるべきではなかったのではなかろうか? まさにISOの要求事項を満たしていなかったわけだ」
三木
「同感です。そしてその責任は我々にあるわけです」
山内元取締役
「我は我が咎を知る。我が罪は常にわが前にありと・・・責任は感じるが、どうしようもない。
そしてもう一つの問題だが、」
三木
「まだ問題があったのですか?」
山内元取締役
「あるとも。当時認証機関の人たちは何も知らないわけだから、ISO委員の講演会などに行ったり、ISO委員を招いて講習してもらったりした。ところがだ・・・ISO委員なるものも環境管理なんてタッチした人はほとんどいなかった。彼らは悪く言えば頭でっかちで環境管理とはいかなるものかわかっていなかったのさ」
三木
「状況が分かるような気がします」
山内元取締役
「俺も講習会に何度も出た。あるISO委員は『ISO14001は公害防止じゃない。その概念はもっと大きく高度なものだ』と語ったのを覚えている。確かにそうかもしれない。しかし公害防止とか省エネとか泥臭いことを知っていてそう語ったのか、知らずにISOはすごいんだという意気込みというか驕りでそう語ったのか、そのへんはどうなんだろうねえ〜」
三木
「おっしゃる意図がつかめませんが」
山内元取締役
「いやさ、今ISO認証しても環境法違反がどうとか、パフォーマンスが上がらないって言われているだろう。そういうことを聞くと、余計なことをしないでこの15年、公害防止とか遵法とか省エネとかを必死でやってきた方が良かったんじゃないかって気がするのよ」
三木
「ちょっと思い出しましたが、もう4・5年前になりますか経済産業省から『「公害防止に関する環境管理の在り方」に関する報告書』なんてのが出てましたね。
要するに基本を忘れずにしっかり管理しろってのがテーマだったように思います」
山内元取締役
「そうそう、あれはISO関係者に対する厳しい警告だったのだろうと思う。もっともISO認証機関や審査員は間違えて受け取ったようで、企業がしっかりしないから経産省が企業を叱ってくれたと理解したようだった。
本当はそうじゃないだろうと思う。ISO認証なんて直接的に役に立たないことにうつつを抜かしていてはだめだよ、基本に返ってしっかりと環境管理をしなさいと理解すべきだったんじゃないだろうか?」
三木
「おっしゃる通りと思います」
山内元取締役
「まあISO関係者も悪気はなくて未知の状況で激流の中をもがいていたってだけのことなんじゃないだろうか。今更責任を追及してもしょうがない」
三木
「うーん、そう言われると今更何をしても回天があるわけじゃありません。しかしISO認証というものを正しく理解して、正しく使えば今よりはましな状況であったのではないかと思います」
山内元取締役
「だがISO規格がいかに立派なものであっても、地道な環境管理に勝るものではなかっただろう。
結局・・・先ほどの話に戻るが、20年前にISO委員が語った『ISO14001は公害防止じゃない。その概念はもっと大きく高度なものだ』ということは完璧な間違い、勘違いだったのだと俺は思う。
実はさ、そのISO委員がそういうことを語ったとき、ISOなんて従来の公害防止の延長だと発言した長年環境管理をしていた人がいた。ISO委員がその人を厳しく問い詰めて黙らせたのを覚えているよ。だが今、あの公害防止をしっかりすればいいのだと語った人は自分が正しかったと思っているだろうよ。ISO委員こそ公害防止に汗を流している人の爪の垢でも煎じて飲むべきだったのだ」

三木はコーヒーをすすった。もうコーヒーは冷たくなっていた。
コーヒー 山内も決して悪い人ではないのだろう。だが認証機関の取締役であったなら、ビジネスの閉塞状況を打破しよう、あるいは自社の審査の質を向上させようとか、それとも規格解釈や審査はともかく礼儀作法だけでも一人前にしようと努力をすべきだったのではないか?
ただ状況に流されるだけだったなら責任放棄ではなかったのか?
山内元取締役
「あのさ三木よ、自分がISO認証に関わっていたから認証の問題の責任が自分にあると思うこともない。そういう思いがあって審査から離れるというか縁を切るというなら、ISO審査のことを一切合財忘れてしまえ。お前がISOに関わっていたのは正義のためとか社会に貢献するとかじゃなくて、生活のためだったと割り切ればいいじゃないか。ISOの問題何ぞもう気にすることはない」
三木
「そう割り切れるはずがないじゃないですか」
山内元取締役
「先ほども話に出てきた須々木取締役とか柴田取締役とは年に1・2度飲むんだけど、連中はISOなんてすっかり忘れているよ。覚えているのは自分が立派な審査員だったという記憶だけだ。いやそう思い込んでいるだけなのか、あるいはもうろくしちまったのかな?」
三木
「山内さん、どうもお忙しいところお付き合いいただきましてありがとうございました。いろいろと勉強になりました。それじゃお暇させていただきます。もうお会いすることもないかもしれませんが、お互いに残る人生を楽しく生きたいですね」
山内元取締役
「おい三木よ、俺ばかり話していて三木が聞きたかったことはまだあるんだろう?」
三木
「いや、お聞きしたかったことはお話の中でご教示いただきました」

三木は山内の会社があるビルまで一緒に戻り、そこから上野駅まで歩きながら考えた。
山内は悪い人ではないが、がむしゃらに頑張る人でもなかった。営業時代は違ったのだろうか。ISO第三者認証というまったく未知の世界に来て、ただ事なかれで過ごしたのだろうか。
彼が頑張ればナガスネの審査が変わりナガスネの評価は上がったのだろうか。それとも頑張っても何も変わらなかったのだろうか? あるいは山内なりに頑張ったのだが何も変わらなかったのだろうか?
明日から3日間出張で審査だ。退職まであと10回も審査に行けば終わりだ。最後は悔いのない審査をしようと思う。もっとも今の三木は陣笠で特段責任を負うわけでもない。結局自分も流されるだけなのだろうか。

うそ800 本日の思い出
退職する最後のひと月ってどんな感じでしょうか? なにをするんでしょうか?
私の場合、退職時期が年度首で監査がスローな時期であったこともあり、上長が許してくれたので付き合いのあった関連会社や工場に挨拶回りしました。自分の人生は自分だけで作るものじゃなくて、周りの人のお世話で作られていくものだと思います。もう二度と会えないと思えばこそ最後に感謝したかったですね。


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