「環境原論」

2016.03.07
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

タイトル著者出版社ISBN初版価格
環境原論平野 敏右丸善46210702312002.03.151300円

この本はもう15年も前に書かれたものである。環境問題なんて日進月歩している・・・良くなることだけでなく悪くなることも日進月歩と言うのだろうか?・・・だから15年も前の本は現在の環境問題を考えるには役に立たないだろうとおっしゃいますか?
確かにそんな気もします。
まあとりあえず本日はこの本を読んで頭に浮かんだ妄想であります。

まず、なぜ15年も前の本を読んだのか、ましてやその本なんて全然有名じゃないじゃん、聞いたことないよっておっしゃるかもしれません。いや、おっしゃるとおりで私もこの本を知りませんでした。
私は毎週2回くらい市立図書館に通っています。もちろん自費で本を買うとお金がもったいないから、なるべくただの本を読むことにしているのです。
週に1回行きゃ十分だろうって?
まあ、そう言われればそうですが、ヒマということもあり、行けば少し運動になると思っているのですよ。
田舎の図書館といえど新刊も大体は備えてあります。もちろんベストセラーとか人気がある書籍ですと順番待ちになりますが、お金を払うか行列するかといえば、行列して待とうというのが年金生活者の判断基準でしょう。おっと、実際に列を作って待つわけじゃなくて、予約しておくと自分の番が来るとメールで通知があるので取りに行けばよいのです。今は図書館のウェブサイトで何人待ちで自分がその何番目かというのがわかります。わかってもどうしようもないですがね。メールで指定された日までに行かないと次の人に回ってしまいます。以前、一日遅れで行ったら既に次の人に貸し出されていました。

まあそんなわけでほとんど週二回くらい図書館に行っているのですが、ときどき図書館の入り口に「廃棄する本です。お好きなものがあればお持ち帰りください」なんて掲示されて古い本が大量に積んである。
廃棄する本です。

お好きなものがあれば

お持ち帰りください


○○市図書館
大勢の人が立ち止りが品評会をしている。私もタイトルを見て面白そうなものがあるとぱらぱらとめくってみる。実をいってろくな本はない。だって貸し出しが多いものとか価値ある本を廃棄するはずがない。そこにある本は、古い月刊誌とか、いっとき評判になったもののアッという間に忘れ去られた小説とかすでに時代遅れになったノウハウ本というものばかりである。
中にはwindows3.1の使い方なんてのを見かけた。オイオイ、windows3.1なんて、もう20年以上前じゃないか。

廃棄する本の山の中にこの「環境原論」があった。
実を言って読んだことがなかった。表題さえ聞いたことがない。奥付を見ると2002年3月発行とある。その日付を見てアッと思った。まさに私がリストラで田舎から都会に出てきたのが、2002年3月であった。それまでは田舎の工場の環境管理担当だったので、当然環境問題に関心があり、環境関連の新刊本はいつもウォッチしていた。しかし、あの頃はそんな余裕はなかったから見逃してしまったのだろうと変に納得してしまった。
ともかく手に取って眺めると本はとてもきれいであり、そんなに大勢の人に読まれていないようだ。犬の耳もない、書き込みもない、木端は真っ白でページもめくられたことがないようであった。

「犬の耳」とはページを折った形が犬の耳に似ていることから犬の耳(dog ear)と呼ぶ。
音は同じだがdog yearは犬の成長が早く寿命が短いことから変化や進歩が速いこと。
犬の耳
こんな風な折り曲げを犬の耳という

実を言ってその日は返却するために図書館に行っただけで、本を借りておらず暇つぶしにその本を頂いて帰った。もともと図書館がいらないのだし、拾う神も欲しがる人もないようだから、私が読んで自宅で捨てても良い・・・と決めつけた。

この本は書籍と言うよりも冊子というべきくらいのもので、本文が100ページ、そして1ページの文字数も少なく推定7万字ほど。私がいつも書いているコンテンツはひとつ1万字前後だから、私のコンテンツ7つ分の文字数しかない。とはいえ文字数と本の価値は関連がない。
この文章が7000字である。一冊の本の文字数がこの10倍しかないのだ。
帰宅してこたつでお茶を飲みながらあっという間に読了した。多くの場合、私は一読すれば借りた本ならお返しするし、買った本なら本棚に入れるかゴミ箱に放るというコースであるが、この本の場合はそうではなく改めて読み直したのである。私にとっては稀有のことである! 読み直しても夕食前に終わったのですがね・・
とにかく内容がスゴイ
環境問題全てを網羅しており、その核心をついている。そして環境問題というのは昔といってはおおげさなら、2002年から変わらないということ、だから本質を把握していればいつでもどこでも環境について論じることができるということ、おっ、まさに環境原論ではないか!
注:「原論」とは、ある事柄の根本になる理論。理論体系のもとになる理論。また、それを述べているもの。

内容は多方面にわたっている。しかしこの先生、環境問題の本質は廃棄物であると語る。私もそう思う。核問題、地球温暖化、リンの枯渇、エネルギー問題、すべては廃棄物問題だ。そういう本質というか根元を把握すれば、応用問題が現れても対応ができる。それを具体的細かな問題の末節について、ああだこうだと議論を始めるともう収拾がつかない。
風車 次に考え方が物質収支というか質量保存の法則というか、そういう基本的包括的な見方をしている。
風力発電をするとは、風車を作り、風で風車が回り、風車が電気を作り、風車の寿命が来たら処分するといことだ。その流れの一部ではなく全体を見たらどうだろうと、無邪気というか素直な考え方をする。そして最終的にライフサイクルを通じでプラスにならないと意味がないよねと素直なことを言う。風力発電の規模は最大発電量で表示しているけど、現実に発電しているのはどれくらいなの? と一休さんのようなことを言う。
そして、風力発電は風で回っているのではなく補助金で回っているんだよねと、裸の王様の小僧のようなことを言い切ってしまう。

それだけでなく、太陽光パネルは発電する電気よりも、製造するときに消費された電気の方が多い、リサイクルはエネルギーのフローから言って間違っている。エコ製品補助金制度についてもかなり疑問(苦言?)を呈している。センセイは再生可能エネルギー(自然エネルギー)利用についてかなり懐疑的である。経済性を考えるととてもありえないという信念を持っているようだ。


♪〜 坂本龍一




この絵はwindow付属のペイントで描きました。大変でした。

太陽光パネルの前で深刻そうな顔をしてキーボードをたたいている中年ミュージシャンがいるが、彼は太陽エネルギーで音楽を演奏しているのではない。太陽光パネルを作った石油エネルギーや原子力エネルギーで音楽を奏でているのだ。
彼が21世紀かけて演奏し続けても太陽光パネルが発電する電気はそれを作った石油やウランのエネルギーの1割にもならないことは間違いない。
いやそれどころか、雨の日のコンサートはどうするのだ? 夜は演奏しないのか?
環境保護は青天の日中だけか?
待ってくれ
それどころではない、彼が太陽光パネルを使うことで電力会社はその分発電量を下げることができるのかと言えば、真逆である。電力会社はそのパネルが停止することに備えて、それと同等の火力発電を整備して待機していなければならないのだ。
太陽光発電とは一言で言って、罪なのである。
お断り太陽光発電がすべて悪というわけではない。
離島の電源や、洋上のブイ、庭の照明など配線することが困難な場合とか、非常用や携帯用の電源としては有用である。
しかし街中で演奏するときの電源としては無駄が多すぎ、コスト高になることは間違いない。どうしても100Vは使いたくないとこだわるなら、太陽光パネルではなく屋台などで使うエンジン発電機の方がマッチベターである。

なぜ罪か
神が与えたもう資源を無駄にしているからだ。それこそ環境保護者の忌み嫌うところではないのか?

太陽光発電をするためには



矢印


矢印


矢印




矢印



矢印



矢印



矢印


使
ご注意:太陽光発電をするためには石油を大量に使うことを忘れないでほしい。

他方、火力発電なら



矢印


矢印


矢印


使

仮に各工程の効率が4割として上段では0.4^6=0.4%、下段なら0.4^3=6.4%
どう考えたって短いプロセスの方が効率は良い。

エンジン発電機 効率が4割とは低すぎると思うかもしれないが、実際には効率が4割なんてめったにない。効率が良いと言われる火力発電で4割、太陽光発電は2割というところだろう。中年ミュージシャンが環境に良いと思って太陽光発電の電気で演奏するよりも、よく屋台などで使われているエンジン発電機で演奏した方がはるかに環境に良いのである。ついでにダダダダとエンジン音が響きリズミカルで景気が良くてますますいいじゃないか。
まあ中年ミュージシャンの頭では理解できないだろうけど・・・
この中年ミュージシャンは以前は電気自動車の宣伝をしていた。公害を出さないんですとうれしがっていた。
でもその電気はどこから来るのでしょうかねえ〜、単に排ガスが車から出るか、発電所から出るのかの違いだって理解できなかったんでしょうかねえ〜、まあ、その程度の頭だってことなんだろう(棒)
っ、と驚いた方へ 最終的には元々のエネルギーのたった0.4%とか6%しか利用できないの
そうなんです。
最高に効率が良いといわれる火力発電でも50%、太陽光パネルは実用されているのは20%台、蒸気機関車や白熱電球は数パーセント。ガソリンエンジン車は20%台とはいえ、ダイナモやエアコンなど補機があるので実際は10%少々でしょう。
私たちが目にする機械で最高の効率は冷凍機や冷蔵庫で、100%を超えます。とはいえこれは外部の熱を利用しているわけでちょっと意味が違いますね。

また大きな環境問題として地球温暖化、ヒートアイランド問題、地域的な気温上昇などについていろいろと疑問を呈している。確かに我々はCO2による地球温暖化と言われると反論できない気がしてしまうが、実際に測定される地表付近の気温は地域の地形、地表の利用状況、エネルギー消費状況によるのではないのか、単純に温暖化とかヒートアイランドと論じてほしくないという。これにはまったく同意、センセイが提起してから14年という時が過ぎたけれど、これらについてちゃんとした説明をまだ見たことがない。

著者はそういうことについて細かい数字ではなく、物質収支、エネルギー収支という大きな観点から、真実はどうなのかと疑問を呈し解説していく。この先生は燃焼とかガスなどの研究者だったらしい。熱力学ではエネルギーを取り出すサイクルがどうあるかってのがまずあって、そのサイクルを行うためにどのような機構を考えるかとなる。同じサイクルであるなら、それをレシプロ機関で実現しようとタービンで実現しようと、結果は同じになる。エネルギー効率が最高と言われるカルノーサイクルをいかに実現しようかという研究をしている人ならば、そういう発想になるのだろう。いや、誰だってそういう風に考えないとならないわけだが・・・
ともかく、センセイに言わせると、太陽光発電は詐欺、リサイクル推進は眉唾となる。
誰がどう考えても自然エネルギーが利権であることは間違いなさそうです。民主党が自然エネルギーを推進したのは、中華製の太陽光パネルの輸入を図ったからとかいうのは私の妄想でしょうか?

そして平野センセイ、過去から現場で公害防止や省エネ、省資源に努力してきた人たちの功績を素晴らしいという。現役時代は製造業一筋、そしてその後半を環境管理に従事してきた者としてうれし涙がこぼれる。わかる人は分かっているのだと、

ぞうさん 環境保護についても独自見解を語る。そもそも自然とは何か、環境保護とは何かと問う。環境を保護しましょうと言われると、我々は思考停止、反論できないと思い込んでしまうのではないだろうか。だってクジラを守れ、シロクマを救え、象さんを殺すな、野鳥を保護しろ、三番瀬を残せ、富士山の森林を〜と言われると反論する勇気のある人は少ないだろう。
しかし平野センセイは環境保護ってオイシイの?と無邪気に問い返す。
砂漠化防止というのは自己満足の無駄とか、そもそも砂漠を緑化するのは自然破壊じゃないかと、
松くい虫が松を枯らすのをなぜ止めるのか? まず松が枯れるのが異常なのか正常なのかを考えよというのである。
マラリアを絶滅させようというなら、環境保護と論理的に整合を図らねばその思想、その個人、団体は矛盾を含んでいると言われても仕方あるまい。

そんなことを堂々と、というか無邪気に問題提起している。怖いもの知らず、武田邦彦センセイ顔負けである。
不遜ではあるが、私が過去より主張していることと全く同じだ。

不肖私は著者を存じ上げなかった。既にお亡くなりになっているが、元東大教授という。年齢的に安井至や山本良一たちの先輩にあたるらしい。安井至はライフサイクル的な考えをしていてまっとうと思うけど、山本良一はどうも平野先生のようにまっとうではなく、小手先だけの環境保護のように思える。いやメーカー寄りなのか?
平野敏右 1940〜2014
安井 至 1945〜
山本良一 1946〜

もしお暇があればこの本をぜひ読むべきだ。
おっとこの本は今どき本屋にはないし前述したように図書館でさえ廃棄対象であった。とはいえアマゾンで中古が407円となっていた。これから見ると需要があるのだろう。買い手がなければ市場価格1円が相場だから。
もしお暇ならぜひともお読みなさい。もしご入り用でしたら私が図書館から拾ってきたものを送りましょう、着払いで

ぬれ落ち葉 本日の妄想
「環境原論」ではなく「環境原罪」とネーミングしたほうが良かったのではと思った。
というのは人間が生きている、存在するということ自体、動物、植物、そして無生物に多大な影響を与えることであり、それはアダムとイブが神の教えに反してリンゴを食べたよりも重大だと思うから。もっとも現在ではキリスト教の中には、原罪とは人間が存在することと解釈する教義もあるそうだ。
そして生きることそのものが原罪なら、へんに自然保護なんて語らずに、私たち好みの地球にしますと割り切ったら精神衛生上よろしいのではないだろうか?



レイシオ様からお便りを頂きました(2016.03.08)
いつも更新楽しみにしております!
「環境原論」の着払い郵送なんですが、希望者いなければ手をあげてもいいですか?

レイシオ様、毎度ありがとうございます。
ご要望いただきまして、明日郵便で送ります。
お断りしておきますが、お礼はなーんもいりませんからね
元々が図書館から拾ってきたものですから

それと着払いは冗談です。
ちゃんと切手を貼って出しますよ

うそ800の目次にもどる
推薦する本の目次にもどる