環境マネジメントシステムと経営の乖離

16.02.25
「環境ビジネスオンライン」2016/02/15に「ISO14001改訂についてのアンケート」というものが載っていた。
そこで気になったのが「今回の改訂ポイントでもある、『経営との結びつき』を課題と回答する企業が、61.1%にのぼった」ということである。「環境マネジメントシステム」の問題が「経営との結びつき」であるとは、なんという悪い冗談だろうか?
冗談でなければ環境マネジメントシステムなるものがマネジメントシステムの一部ではないということになる。だって環境マネジメントシステムはマネジメントシステムの一部なのだ。いや環境マネジメントシステムは企業のマネジメントシステムの一部ではあっても、企業のマネジメントシステムは経営と結びついていないのか?

環境マネジメントシステム ⇔ マネジメントシステム ⇔ 企業経営

「環境マネジメントシステム」が「経営と結びついていない」というなら、上のつながりのどこかで途切れているのか、あるいはそういう回答をした会社では「環境マネジメントシステム」と「企業のシステム」がまったく別個のものなのだろうか?
そんなことを考えていると、そもそも環境マネジメントシステムという語句は語句そのものが矛盾ではないかという気がしてきた。

環境マネジメントシステムとは何か・・・ということはISO14001の定義の項番で定義されている。版によって若干違うが、現行2015年版では次のようになっている。
3.1.2環境マネジメントシステム
マネジメントシステムの一部で、環境側面をマネジメントし、順守義務を満たし、リスク及び機会に取り組むために用いられるもの
(ISO14001:2015より)
これが定義だと言われると確かにそうなのだろう。だが、この定義はいささかというか大きく間違っていると思う。おかしいと思うことは多々ある。

問題その1
システムとは「相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり(ISO9000の定義)」であるが、環境マネジメントシステムは、マネジメントシステムの環境に関わる要素を拾い出したものであって、相互関係を持つシステムではない。
驚くことではない。この論はすでに過去何度か語った
会社のマネジメントシステムはどのような構成になっているかといえば、営業とか開発とか製造という機能を支える多数のサブシステムから成っている。そのとき環境マネジメントシステムというものはどういう位置づけなのか? いや環境マネジメントシステムというものが存在しているのかといえば、存在していないのだ。
環境マネジメントシステムと呼ばれているものは実はシステムではない。それは会社のシステムを構成するいくつものサブシステムから環境に関わるものを抜き出して集めたものにすぎない。

システムの解説図
いつも私は車のたとえ話をする。車は輸送機械という一つのシステムである。そのシステムはエンジンとかミッションとかブレーキというサブシステムから構成され、サブシステムはより下位のシステムから構成されている。
ボルトボルト
ボルト ボルト
ボルトボルト
いくら数多くのボルトを集めてもボルトシステムというものはない
一台の車には数多くのボルトが使われているだろう。その何百何千もあるボルトを集めてもボルトシステムというものは存在しない。それぞれのボルトは締結するという機能を果たしてはいるが、タイヤを止めているボルトとミッションを固定するボルト、オイルパンを止めているボルトは、お互い同士は相互に関連も作用もしていないのだから。(ISO9000:2011定義3.2.1参照)
それと同じく環境マネジメントシステムというものは実はシステムではない。例えばEMSの項番にある文書管理というものは環境だけでなく企業の業務全体に関わる文書管理システムを借りてきたものであり、内部監査というのはこれまた企業全体に関係する内部監査システムの一部であるに過ぎない。教育訓練は全社員対象とする包括的な教育体系の中の一部にすぎない。
まさかISOのために文書管理や教育を始めたという会社はないだろう?
それともそんな会社が存在するのだろうか?
それともそん Λ
それともレベルの低い
環境マネジメントシステム規格を称するISO14001の各項番にあるものだけではシステムにならない。それは会社全体のシステムを支えるサブシステムから少しずつ借り集めてきたものでしかない。車のボルトを集めてもボルトシステムにならないと同じである。
環境マネジメントシステムというものは本当はシステムではなく、環境に関わる要素の集合なのだ。
このへんは「環境目的」が「目的」でなく、「環境側面」が「側面」でないということと同様に、「環境マネジメントシステム」は単なる語句であって「システム」でないのだと開き直られたらそれまでではある。だがいずれにしても「環境マネジメントシステム」は「相互に関連する又は相互に作用するシステム」ではない。

問題その2
環境マネジメントシステムがシステムであろうとなかろうと、その要素は会社のシステムの内側に存在している。そうでなければISOは会社のマターでないことになる。社会貢献であろうと、従業員のための駐車場管理であろうと、業務で行うことはすべて会社のシステムの中、会社が仕組みと手順を定めて行い、万が一事故が起きたら労災扱いになるはずだ。
もしISOが会社の全体のシステムと無関係であるなら、ISO担当者がその業務において怪我をしても労災にならないということになる。そんな会社は存在しないだろう。もしあるなら面白い。
ということは否が応でも、ISOに関する業務は会社の仕組みに包含されていて、その仕事はそれ以外の仕事と矛盾がないように定められていることにならないか?
どこで「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」という事態が発生しうるのであろうか?
冒頭のアンケート調査で「環境マネジメントシステム」が「経営と結びついていない」というなら、それははっきり言って審査で見せている会社の環境マネジメントシステムと称するものはまったくの嘘であるということだ。だが嘘であるということは前述したように会社の仕組み、法規制などから考えると存在できるのだろうか?
それとも矛盾というか二重帳簿を是認するなら存在できるのだろうか?
某国の一国二制度とか、株式市場を共産党政権が操作している国ならば可能かもしれない。
というと「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」という会社は一生懸命嘘をついて、審査とは審査員がその嘘にほころびがないかを点検することなのか? それならまったくのお芝居、徒労であろう。
そういうISOごっこ、環境ままごとは即止めることが良い。もっとも止めてしまうとISO事務局なる人々は失業してしまうし、会社側から見れば無用(無能)な人の使い道もないから止めるに止められないのかもしれない。審査員側も認証が無駄ですなんて言うものなら、売り上げも減り最終的に己の仕事がなくなってしまうからバーチャルであっても粛々と裸の王様の衣服を織りつづけなければならない。大儀である。
わき道「大儀である」と書いて思い出したことがある。
コミック「最後のレストラン」第28話で、タイムスリップしてきた幼い安コ天皇が出撃する戦艦大和の乗員に「大儀である」という。屈託のない少年天皇のお言葉に涙する兵士たち、
戦艦大和
ところで安徳天皇の「大儀である」は沖縄特攻に行く兵士たちになにもしてやれない、せめてもというお気持ちからのお言葉であるが、裸の王様の生地を織っている人にかける「大儀である」はどんな思いからだろうか? 悩む。

問題その3
定義からは(マネジメントシステム)⊃(環境マネジメントシステム)であるはずだ。
審査ではこれを確認していないのではないか?

審査」とは「第三者認証審査を簡略化した呼び方」(ISO17021:2011 3.4)であり、
第三社認証審査とは「依頼者のマネジメントシステムを認証する目的で実施する審査」(ISO17021:2011 3.4)
認証」とは「製品、プロセス、システム又は要員に関する第三者証明」(ISO17000:2004 5.5)
証明」とは「レビューに従った決定に基づく、規定要求事項の充足が実証されたという表明の発行」(ISO17000:2004 5.2)
規定要求事項」とは「明示されたニーズ又は期待」(ISO17000:2004 3.1)
実証」とはJISQシリーズでは定義を見つけることができなかった。JIS規格で「実証」という語を定義しているものを探したら、JISZ8115:2000で「保全性実証」という語が「適合試験として実施される保全性の検証」(T36)と定義されているのを見つけた。ここから推定するに、「実証」とは「試験などによる検証」と解してよかろう。
つまり審査とは、試験などにより依頼者のマネジメントシステムが規格要求事項を充足しているか実地において行うこととなる。ご異議ござらぬか?
当たり前と言われると当たり前か?

ここでもう一度考えてほしいが、審査とはマニュアルと規格を対照することでもなく、マニュアルに書いてあることが実施されているかを確認することでもないということだ。
審査とは企業(組織)が規格要求事項を満たしているかどうかを確認することにあいなる。

審査とは
マニュアルが要求事項を満たしいるかを確認すること×
マニュアルに書いてあることと現実が一致しているか確認すること×
現実が要求事項を満たしているかを確認すること

考えてみるとマニュアルと何かを比較検証しても意味はない。
だって元々マニュアル作れなんて要求はないんだぜ
となると項番順審査というものはありえないようにも思えるが?

お気をつけてほしいのだが、上の表に記した「現実が要求事項を満たしているかを確認すること」には「環境マネジメントシステム」なるものは出てきていない。ISO審査では「環境マネジメントシステム」なるものを考える必要がないのである。
つまりISO規格通りの審査を行えば、「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」という発想そのものがありえない。「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」という問題が発生するのは、審査において「環境マネジメントシステムを記述しているマニュアルを基に審査していた」からではないのか?
2015年版でISO9001でもマニュアルの要求がなくなった。そしてISO14001は元々マニュアルの要求はない。しかしながら過去長きにわたり、審査とはマニュアルと規格を対照し、マニュアルが規格を充足していたら実地においてマニュアル通り運用されているかを確認することに堕していたのではないか(反語である)。つまり実証していなかったということはISO17021に基づく審査をしていなかったということである。
ちなみにISO9001:1994以降においてマニュアルを作れという要求はあるが、マニュアルを基に審査しろという要求はISO17021:2011にはなかった。そして現実にマニュアルを使わずに審査していた外資系認証機関は一つや二つではない。

だらだらと書いてきたが、どう考えても「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」というのは企業の立場で考えても、認証機関の立場で考えても、ありえないのである。ありえるならそれは企業だけの責任でもなく、認証機関の責任でもなく、双方が勘違いし、任務を果たさずに、形式だけの文書と運用、形式だけの審査を行ってきたからではないのだろうか?
マイナスとマイナスをかけるとプラスになるが、形式と形式が合わさっても実質になることはなく無意味のままである。
「環境マネジメントシステムが経営と結びついていない」なんて結論をさも困難な課題のように思うのはピエロでしかない。企業側、審査側共にまともなことをしてほしい。
「いつやるか 今でしょ
さもないと月給泥棒でしかない。いや認証そのものがバーチャルなら信用詐欺になってしまう。

うそ800 本日の疑問
ええっと、認証機関は認定を受けている。すると認定というものも・・・以下略
略されたことを想像できない方は再読のこと

うそ800 本日の異議に対する予防処置
私があり得ない仮定を基に話をしているだけだという異議を予想する。
残念ながら「今回の改訂ポイントでもある、『経営との結びつき』を課題と回答する企業が、61.1%にのぼった」という「環境ビジネスオンライン」の記事から始めていることを思い出してほしい。
もっとも普通の人は元から私と同じことを考えているはずだ。
そうでない人は普通ではない(キリッ



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