測定は改善の始まり

16.03.03
私が社会に出たのはもう半世紀も昔の事である。半世紀は十分に長い。50年も経てば世の中はそうとう進歩する。それは黒電話がプッシュフォンに、コードレスに、 電話 携帯電話に、そしてスマホに変わったというような目に見えることもあるし、目に見えないこともある。
目に見えないものというのは・・・私が就職して配属された職場は毎年エライさんが新年の抱負とか目標とか演説した。話を聞けばなるほどと思うが、掲げたテーマが具体的にどのように展開されて、その進捗をどんな指標で測るのかはっきりわからなかった。そして一年が過ぎて結果がどうなったのか分からずじまい。そしてまた新年の抱負と目標を聞かされた。要するに目標管理がしっかりしていなかった。
やがて何年も経ち、人も変わって目標が具体的施策に展開されるようになり、月々の進捗がフォローされ公表されるようになった。それは変化であり進歩である。

話はドンドン変わる。
入社して間もない頃、私は現場で働いていた。ときどき(英語で言えばoftenとsometimesの間くらいか)生産ラインで不良が発生した。当然対策をしなければならない。調べると組み合わせる部品のひとつが公差を大きく外れているときもあり、双方が公差外のときもあった。恥ずかしい話だが、そんなときは不良が発生した現場の人が前工程に行って「公差外れがあるぞ、選別しろ」なんて言った。公差内なら問題なく組み合わさったから誰も公差外の不良を流したのが悪いと決めつけてオシマイだった。
当時は工程検査が統計的に考えた方法ではなかった。ロットから適当にいくつか抜き取ってのチェック検査だったし、さらに言えば公差に対して工程能力がはるかに低かった。それは設備的にも技術的にも向上が難しかった。だから後工程に公差外のものがかなりの率で流れていたのだ。
私の勤めていた工場はレベルが低いと言われるとちょっと悲しい。当時は不良覚悟で生産しているということは普通にあった。例えば塗装でも技術的に解明できず、一定割合で不良が出るけどしょうがないなんてものもあったし、電子部品や半導体では不良と言わず歩留りなんて呼ぶこともあった。歩留りと呼ぶとかっこいいけど、全部良品にはできませんという開き直りである。
ともかくそんな職場に配属された私は誰に言われたわけでもないが、不良が発生しないときでも流れている部品を抜き取って測定し記録を取ってみた。面白いことに正常に流れているときでも、公差を外れている部品が相当数あった。だから後工程で問題が起きるのは確率的、潜在的な問題だったのだ。
38式歩兵銃弾丸 あっ幼稚だと言わないでください。これは50年前のことです。私がそんなことをしていたときより更に25年前の太平洋戦争中、かの西堀栄三郎が小銃の薬莢の不良対策をしていて、薬莢の検査装置が明治の御代に作られてから何十年も(たぶん40年くらい)校正していなかったことを発見したそうです。25年より50年は十分に長いのです。

ともかく私が調べた結果、要するに前工程で公差外を流したから不良が発生したのではなく、公差をはずれたものの組み合わせが問題であることがわかった。当時は幾何公差とかボーナス公差なんて考えもなかった。いやバラツキの分布から組み立て不良を考えることさえしていなかった。
じゃあ原因が分かったから全数検査して層別すればよいかというと、そう簡単ではない。すべてはコストである。まず公差の設定が良いのか悪いのか、工程能力はどうなのか、層別するコスト、層別したものをロット管理するコスト、その他を総合的に考えてコストミニマムの方法をとることになる。不良率を下げたとしても、不良発生による損失コストよりも不良率を下げる予防コストが大きいのでは身も蓋もない。

品質コスト = 予防コスト + 損失コスト

注:品質コストの分け方は多種ある。予防コストを管理コストとして予防コストと評価コストに細分したり、不良コストと苦情コストに分けることもある。
まあ、ここでは品質コストは発生費用だけでないことをご理解いただければよい。

私はそんなことをして公差の考え、そしてコストミニマムにする対策はどうあるべきかということを自ら学んだ。

似たような話をもうひとつふたつ、
当時あるとき現場の職長が「血圧はたまに測って高いと言ってもしょうがない。俺は定期的に測っているんだ」なんて言ったので驚いた。職長というのは現場で工員を数十人使う親方です。現場あがりで優秀な人しかなれません。当時は戦争がはげしくなってまだ20歳未満で兵隊検査前でも旧制高校を退学し兵隊に志願した人たちが40歳前後で職長でした。お国のために戦おうとせず旧制高校を退学しないで学校に残った人たちは学歴が上で管理職になっていたのです。世の中は不条理です。
えっ、血圧は定期的に測らなければ異常が分からないだろうって? その通りです。ただ昔はそんな発想がなかったのですよ。私が大人になるまでは、年齢プラス90が正常血圧だと言われていました。今の私の年齢なら血圧160くらいならOKだったのです。今は年齢に関係ありません。昔は国民全体が塩分もとり過ぎで健康状態も悪かったから、それくらいにしないとみんな高血圧になってしまったからでしょうか?
おっと、本題です。血圧だろうと体温だろうと平常値を知っていなければ病気になったときに測定しても意味がありません。私は平熱が36度くらいしかありません。36度5分もあると微熱があるわけですが、知らなければ平熱だと思うでしょう。それでは正しい判断もできず対策とりようがありません。

会社員時代、私は本社勤務でしたから自分が直接具体的なことをするわけではありません。例えば私は法に基づく届け出をするのではなく、工場や関連会社が届け出を忘れないように、法律の読み方を教えたり毎年届をしたかフォローしていました。
同僚で省エネを担当している人がいました。彼も同じく直接自分が省エネをするわけではなく、工場や関連会社に行って省エネの指導をするわけです。もちろん指導した結果、省エネの成果を出さなくてはなりません。
その人は何を言ったかというと、どこでも開口一番「電力量を測れ」と言いました。この工場建屋ではどれくらい電気を使っているのか、最大電力はいかほどか、この機械はどれくらい電気を使っているのか、稼働時、停止時、朝昼晩、詳細を調べろ。このオフィスはどれくらい電気を使っているのか、コンセントごとの電力使用量を測れと言い続けました。

ワカランワカランワカラン
ワカラン
何のために測定するの?

多くの人は「電気使用量を測ってどうするの?」と言い返し、頭の上にクエスチョンマークが見えるようだよね。
だって測っても対策がなければしょうがないよね?

多くの人は現状調査に手間をかけるよりも、今すぐに結果を出したいと考えて気づいた省エネ策を実行しようとします。確かに目についた無駄を止めて、すぐに少しでも成果をと考えるのは分かります。でも一番対策しなければならないことを見つけるには、体系的に論理的に進めなければなりません。

最近は省エネ支援機器が多々あります。測定する箇所にセンサーを付けてワイヤレスでデータを飛ばし記録することができるようになりました。測定箇所数や場所に制約はなくなりつつあります。とはいえなにをするにも結構お金がかかるのですがね。
ともかくその省エネ担当者はそういう測定機器を持ち込んで測定させました。
ひと月ふた月データをとると、どこが電気を食っているかがビジブルになります。かなりの割合で想像していたのとは違っているそうです。オフィスで照明を減らせなんていうのは省エネ活動の定番ですが、実際は外出していてもパソコンを付けたままにしていたとか、使いもしないハードディスクがONしたままだとかあります。照明は職場を明るくしますが、パソコンやハードディスクはま雰囲気を暑苦しくするだけです。おお、最終的にすべてはエントロピを増大させ、エアコンの負荷をあげてしまいますよ。
そんな方法で彼は今日も省エネを推進しているはずです。私はとうに引退して遊びほうけていますが、彼が退職するまでまだ何年もあるなんてかわいそう。

物事を改善しようとすると、その指標を決めて現状と目標地点を数値化しなければなりません。
当たり前だなんて言わないでください。そういうのが当たり前ならISO規格の計画とか目標という項番はいらないじゃないですか。冒頭にも言いましたが、私が社会に出た半世紀前は当たり前ではなかったのです。
それに過去から目標は定量化されるべきと言われると、定量化しなくてもいいじゃないか、数値化できない目標もあるんだと力説し、審査でもいかに定量化できないかという理屈をこねた人たちも多かったのですよ。
おっと我が愛しきISO規格では目標を定量化しろと言っているのでしょうか?

過去のISO14001の目標の定義と要求事項がどのように変遷したかを下表に示す。
規格版定義要求事項
1996年
3.7環境目的
環境方針から生じる全般的な環境の到達点で、組織自ら達成するように設定し、可能な場合は定量化されるもの
その目的を設定し見直しをするときに、組織は、法的及びその他の要求事項、著しい環境側面、技術上の選択肢、財政上、 運用上及び事業上の要求事項、並びに利害関係者の見解に配慮しなければならない。 目的及び目標は、汚染の予防に関する約束を含め、環境方針と整合させなければならない。
3.10環境目標
環境目的から導かれ、その目的を達成するために目的に合わせて設定される詳細なパフォーマンスの要求事項で、実施可能な場合に定量化され、組織又はその一部に適用されるもの
2004年
3.9 環境目的
組織(3.16)が達成を目指して自ら設定する,環境方針(3.11)と整合する全般的な環境の到達点。
目的及び目標は、実施可能な場合には、測定可能であること。そして、汚染の予防、適用可能な法的要求事項及び組織が同意するその他の要求事項の順守並びに継続的改善に関するコミットメントを含めて、環境方針に整合すること。
その目的及び目標を設定しレビューするにあたって、組織は、法的要求事項及び組織が同意するその他の要求事項並びに著しい環境側面を考慮に入れること。また、技術上の選択肢、財務上、運用上及び事業上の要求事項、並びに利害関係者の見解に配慮すること。
組織は、その目的及び目標を達成するための実施計画を策定し、実施し、維持すること。実施計画は次の事項を含むこと。
a) 組織の関連する部門及び階層における、目的及び目標を達成するための責任の明示
b) 目的及び目標達成のための手段及び日程
3.12 環境目標
環境目的(3.9)から導かれ,その目的を達成するために目的に合わせて設定される詳細なパフォーマンス要求事項で,組織(3.16)又はその一部に適用されるもの。
2015年
3.2.6環境目標
組織が設定する、環境方針と整合のとれた目標
組織は、組織の著しい環境側面及び関連する順守義務を考慮に入れ、かつ、リスク及び機会を考慮し、関連する機能及び階層において、環境目標を確立しなければならない。
環境目標は、次の事項を満たさなければならない。
a)環境方針と整合している。
b)(実行可能な場合)測定可能である。
c)監視する。
d)伝達する。
e)必要に応じて、更新する。

1996年版では定義の中で「目標は定量化されるべき」とあったのが、2004年版ではそれは定義じゃなくて要求事項だろうとして、定量化すべきということが定義からなくなり、測定可能であるべしと本文に追加された。達成したか否かを判断できればよく、測定可能であっても定量化できないものもあるという考えなのだろう。いや、既に過去形である。
2015年版もここについては2004年版から変わっていない。
測定可能であって定量化できないものがあるのだろうか
これは私の疑問ではなく、偉大なるISOの伝道師 寺田さんのお言葉である。

ISO規格では改善テーマである目的目標についてであるが、別に改善でなく現状維持であっても現実が正常か異常かを判断するには測定可能でなければならない。先ほど例に挙げた血圧も体温も測定可能であるだけでなく定量化されている。

測定可能であるけれど定量化できないということはあるだろうか?
営業で代理店を今年度80店舗から100店舗にするという活動目標は定量化されている。
接客マナーを向上させようというのは定量化されておらず測定も難しいようだ。
接客マナー向上なら、どんな方法で評価するのだろう?
私は全く門外漢であるが、苦情件数とかアンケートとか、あるいは標準的な言葉使いやしぐさを決めて、そこからの逸脱をカウントするとかいろいろと代用特性を考えることができると思う。
そして改善をするにはそういった代用特性であろうと数えることのできる指標で改善程度を評価することが必要になるだろう。だって「今年度は接客マナーがほんの少し向上しました」という結論ではやる気が起きない。「今年度は70点を80点にあげよう」という目標を立てて、「結果は76点でした」となれば過去1年の努力で6ポイントの効果があったことが分かり、今までの努力に7割上積みすればよいということが理解できる。
管理とはそういうことだ。管理するには良否を判断できるだけでなく定量化が必要だ。

そんなことを思うと、規格では「(可能な場合は)測定可能である」となっている。当社の場合は「可能でないから」とか「測定可能で良否の判断はできるから定量化されていなくても良い」という理屈はまっとうではないと思う。
そりゃ審査で不適合と言われたら迷惑なこともあるだろうが、改善とか対策ということを考えると、何事も定量化が必要である。

オイオイ、電力量なら定量化できるけど、オマエが監督していた法の届け出なんかはイチゼロにしかならず定量化しようがないだろうというご意見があるかもしれない。
頭は使うためにあるんです。どうしても思いつかなければ代用特定を考えればいいでしょう。届け出漏れとか届け出遅れといっても、罰則の軽重とか有無もあります。例えば罰金額を点数にして数字で表しても良いでしょう。
実際問題として、届け出遅れ程度で罰金を受けたというのは知りません。騒音規制法などでは10年くらい届け出漏れしていてもお叱り程度でしょうし・・
だいたい多くの会社の環境目標なんて代用特性ですよね。目標そのものは数値であっても、施策が数値と対応するものでなく、代用であることが多いです。例えば環境製品の売り上げを数値目標を示していても、実施事項が代理店への訪問回数を増やすとかキャンペーンをするなんてのを見かけます。でも訪問回数と売上金額の関連がいかほどなのか、1回キャンペーンをするといくら売り上げが伸びるのか、定かではありません。そもそも正の関連があるのでしょうか? ひょっとしたら負の関連かもしれません。

売上拡大を目標にした時のありがちな施策
内訳具体的施策突っ込みどころ
30%代理店の訪問を月3回から4回にアップする。1回訪問するとおいくら売り上げが伸びるのですか?
20%各代理店で1回以上イベントを行う。1回イベントするといくら売り上げが・・・
15%魅力ある販促品を開発する。販促品1種でいくら売り上げが(以下省略)
10%TVCMスポット3件企画するスポットひとつで(以下省略)
・・・・・・ 

まっ、そんなことを考えると何事かを実行するには数値化されないと動きようがないし、動きたくないんですよね。いや怠け者だからでしょうか?
まっ怠け者はほっとくとして、目標は定量化しましょう。定量化なくて改善なく、改善なくしてあなたの職場に明日はありません。
グッドラック

うそ800 本日のことわざ
憐れみは恋の始まり、嘘つきは泥棒の始まり、測定は改善の始まり、



外資社員様からお便りを頂きました(2016.03.07)
おばQさま
連載が終わりましたが、お話はまだ続くので喜んでおります。
特に今回は、測定屋としての立場でかかわれるネタです。
 測定可能であって定量化できないものがあるのだろうか?
定量化の定義にもよりますが、「定量化:測定した結果が判断の材料にならない」という事ならば、計測の世界では結構あります。
むしろ、計測する場合に、まず考えるべきなのは、測定された数値をどう扱えるという事なのです。
例としては、1)土壌の放射線測定結果、2)新薬の効果などが良い例です。
1)は、311の直後、 猫も杓子もガイガーカウンタを持って測定して、大騒ぎをしておりました。
そこで測定された値は事実なのですが、報道の多くが、判断基準としては不適切な値を扱っておりました。
例として、地上に落ちた放射性物質の影響を考えた場合には、地表との距離を一定にして測らないと、比較データにすらなりません。 当時の報道をみると、地面に装置が寄って測定している例が多数ありました。
また、先端のプローブが露出したままで、土などにつけると、そこにある放射性物質が常に加算されます。
設定でも、γ線のみの測定か、α線まで含むのか、など基本的な設定条件を正しく理解しないまま測定していた事例もあったようです。 このような誤った測定値ならば、混乱や誤った判断の原因になります。
2)で注意が必要なのは、プラシーボ効果など、試験対象の薬を飲まなくても治ってしまった例を差し引く事です。
純粋に対照になる薬の効果を確認するには、フェイクの薬を投与した事例も比較したり、サンプル数を増やす必要もあります。
数値化する事は、比較や判断を容易にします。
しかし、数値化にこだわる余り、誤った測定の仕方や、数値化をしてしまうと、非常に危険です。
ですから、数値化をする場合には、その測定法が正しいか、測定値をどのように扱えるかを正しく理解する必要があります。
結論としては、測定や定量化がする場合には、その測定方法や結果を継続的に観測し、正しい判断基準となっている事を確認するべきなのだと思いました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
審査員物語にアンコールを1件ですが頂きましたので、細々と、いやアカデミー賞を頂いた気持ちで番外編を始めようかと考えております。
乞うご期待?

測定可能と定量化ですが、それを考える前にまずご承知いただきたいことがあります。
ISOMSの世界は、ものごとの実質というよりも言葉の遊び、言葉のあやというべきかもしれません。いや言葉の遊びそのものが本質だとお考えください。
次にISOの世界は、定義された言葉は定義以外の意味はなく、定義されていない言葉は一般的な意味で使うことになっています。
また日本語でどんな訳語を使おうと、その訳語がどんな意味を持っていようと、疑義があれば原文(英語)で解釈することになっています。
とこれが前提です。
さて測定可能と定量化の原語はmeasurableとquantifiedです。この二つともISO14001では定義されていません。またISO14001では引用規格はないとなっております。しかしISO14001とISO9001は双子のようなものです。そしてISO9001では用語が多数あるために定義集をISO9000という別規格で定めています。ではISO9000で定義しているかとみると定義されていません。要するにISO14001でもISO9001でもmeasurableもquantifiedも一般的な意味で使われているということになります。
ではこの二つはどういう意味なのか、どんな違いがあるのかということになります。外資社員様の前で私が英語を語るなど恥ずかしい限りですが、一応英英辞典を引きますと

measurable
1 large or important enough to have an effect that can be seen or felt [= noticeable]:
The law has had little measurable effect since it was introduced two years ago.
2 able to be measured:
measurable results

quantify
to calculate the value of something and express it as a number or an amount:

とありました。
私のつたない力ですが、quantifiedは文字通り1個2個と数えるようなイメージであり、それに対してmeasurableは数を数えるということもあるけれど、これよりあっちが大きいぞというニュアンスも含んでいると考えます。
それで規格策定時に、1996年時は絶対に数字でないとダメと考えていたけれど、2004年以降は大小関係がわかればよいとしたのかと勘繰ります。
以上が私が測定可能と定量化についての論を進めた根拠です。
ともかくここは、外資社員様があげたような、実質的に意味のある議論ではありません。
ISO規格を正しく読めば、測定可能であって定量化できないものがあるのだろうか?という問いに対する回答は「ある」ということになります。
ただ現実に目標管理をしていくには、大小という感覚ではどうしようもありませんから、なるべき客観的な指標を考えて代用特性であろうと数値化しそれを管理することになるだろうと思います。
とすると回答は、測定可能であって定量化できないものは代用特性を検討し定量化に努めるべしとなるのでしょうか?


外資社員様からお便りを頂きました(2016.03.08)
おばQさま
なるほど、測定可能はmeasurable、定量化はquantifiedですか。
勉強になります。

前の会社でも、ISOの事務局が色々と活動しておりましたが、その経験からは“数値化”という事を随分言われた記憶があります。 
数値化できない活動は無意味だとまで言われて、関係者は無理やり数値化をしていた記憶があります。
人は、どうしても自分の経験から物事を判断してしまいますね。
なぜか悪い経験ほど印象が残っています。これは反省です。

ご教示頂いた辞書の内容からみると、Measurableは“効果が確認できる”、Quantifiedは“数値化できる”という感じでしょうか。
それならば“効果が確認できるが、数値化はできない”というものは、ずいぶんとありますね。
そもそも自然科学で言われる「観察者効果( Observer effect)」が、該当します。
ある事象の効果を確認する為に、観測する行為自体が結果に影響を与える事は良くあります。
観測者による影響は定量化できませんから、審査結果を補正する事は大変難しいのです。
数値化する為には、何らかの観測装置を用いる事もありますが、これは対象そのものを測定するのではなく、何らかの測定可能な現象に置き換えています。
放射線の測定も同じで、311の事故の経過観察ならば、本当に測定したいのは「事故によって発生した放射性物質の影響」ですが、実際に測定できるのは、その場のγ線の量です。 それ以外の放射線測定は不要なのか、事故前の状態はどうだったのかなどの考察が無いと、そこで測定された値の意味が正確になりません。
今では、多くの測定器がデジタル化されて、何桁も数値で出てきます。
しかし、その数値も、何桁までが信頼できるかを理解していないと、全く無意味になります。
これが、計測屋なりに申し上げたかったこのなのです。

ISOの場合も同じことが言えて、経過観察やら、数値化目標などを立てても、そもそもその数値が、本来の目標と正しい相関性や、判定基準である事が担保されていないと無意味になります。
この考察には、長年 対象を見ていて経験的に重要な数値がつかめている必要があると思います。
そうしたものを、すっとばして、始めて来た会社で、「これが重要」だと言える人がいれば、よっぽど能力があるか暴虎馮河の勇なのでしょうね。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
いつも思うのですが、外資社員様は役に立たなきゃしょうがないだろうってことがお考えの根本にあると感じます。
いえ、私も同じです。それはまっとうな考えだと思います。
しかしながらISOの世界はそうじゃなくて、文言はこうだから、それを満たしているかいないかが重要だという考えがはびこっています。
規格に書いてあるからしなくちゃならない、書いてないなら関係ない、そんな発想ではISO審査で問題なく「適合」になっても、会社が倒産するかもしれません。お客さんに嫌われるかもしれません。だけどISO審査ではそういう発想で行いますから、世の中の企業担当者は自分の仕事で「不適合」を出さないために規格に書いてあるからする、書いてないからしないという価値観になっているのが現実です。
まあ、私はそんなアホな考え、対応はくだらないから止めよーよという発想で生きてきましたが、これが結構難儀な渡世でした。
でも大の大人が「規格には測定可能と書いてあるけど定量化しろと書いてないからこれでいいのだ」とか議論しているのですから、ちょっと変だぞと思うのが常識というものでしょう。
測定可能と定量化どころか、「規格では環境方針は利害関係者が入手可能とありますが、それがどこに書いてありますか?」なんてやりとりを真面目な顔でしているのですから、もうアホかバカかと・・
ISO9001は顧客満足、ISO14001は遵法と汚染予防が目的です。しかし規格となるとそのために何をするかということ明示しなければなりません。じゃあ明示されたことだけしているからいいのかと言えばそうではないでしょう。一般的に目的達成のための施策を立てるとそれが目的化します。我々は手段を目的化せず、常に最終目的を忘れず、目標や手段を柔軟に見直すというスタンスでなければ戦争でも競争でも負けてしまいます。
目的達成が最終目的だよ、規格を満たすことはその手段だよ、ということをISO審査体制側も企業側もわかっていなければ、この制度は形式化、形骸化するのは必然だったのでしょう。
同様に、目標そのものを定量化するのが難しいからと代用特性を考えるのもいいのですが、代用特性を決めた途端、その代用特性達成が絶対化し真の目的を忘れてしまうというのも世の常。
そんなことを考えると、これは人間の業というものでしょうか?


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