「ものづくり道」

2015.03.02
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

退職してからはまったく仕事のない素浪人ではある。とはいえ毎日のんべんだらりんと過ごしてはおてんとう様に申し訳ない。何のとりえもない老人ではあるが向上しようという健気さは忘れたくない。ということで、今年の目標として毎月一件、今までやったことがないこと、趣味でも旅行でも観劇でもなんでもよいが、私が今まで関わったことがないものごとについて学ぶこととした。好奇心を忘れないようにというか、無関心はボケの始まりとか、まあそんなことも思ったから。

1月はMacの本を買った。
私は今までBASIC、CPM、CPM86、MS-DOS、Windows と、デジタルリサーチのCPMを除けばマイクロソフト一筋で、リンゴなんぞかじったことがなかった。
いまどきデジタルリサーチなんて覚えている人は少ないだろう。しかし世が世なら、マイクロソフトの代わりにてデジタルリサーチが世界のデスクトップを支配していたかもしれない。
しかし正直なところwindows は使っているうちに、ゴミがたまり遅くなるし不具合が起きるようになるので好きではない。あげくに最近のWindowsのOSは Vistaも8もおかしなものばかりだし、オフィスソフトのGUIも劣化してきて、他のOSに切り替えが現実の検討課題となってきた。
昨年の今頃、ubuntuを使おうと中古パソコンを買いubuntuをインストールしてだいぶいじった。しかしオフィスソフトや主要なソフトはあるものの、windows のようには細かいことをするいろいろなフリーソフトが世の中にない。結論は実際に使うとなると不便だとなった。数か月いじったもののubuntuをインストールしたノートパソコンは今ホコリをかぶっている。
それでMacの本を二三冊買って読んだ。はたしてMacはそういった細かいところが便利なんだろうか、本を読んだだけではそこまではわからない。ubuntuなら安い中古パソコンでいろいろ遊ぶのは可能だが、Macは新品も中古も高い。とりあえず壊れるまで今のwindows マシンを使い続けよう。どっちみちあと1年で寿命だろう。

2月はラジコンヘリ、ドローンの本を買って読んだ。
室内用の手のひらサイズのものから、首相官邸テロ攻撃に使われた大きなものまである。一つ買って遊んでみようかと思ったが、おもちゃのカテゴリーは数千円だが、まともなものになると私のこづかいで買えるものではない。
P51 とりあえずヘリについて読んでから、次に電動飛行機の本を4冊ほど図書館から借りてきた。
子供の頃Uコン機といってエンジン付きの模型飛行機をワイヤーでつないで円に飛ばすのを見たことがある。もちろん高価なものだから子供のおもちゃではなく、れっきとした大人が広場で飛ばしていた。私たちはブンブンという音を聞くと遠くまで行ってながめていたものだ。あんな飛行機を飛ばせたらいいなと思ったが、もちろん子供どころか一般庶民の手に届くものではなかった。
今はグローエンジンではなく電池で動くモーターになって手軽になった。とはいえ飛ばすためには機体だけではすまない。まず飛ばすところまで飛行機を持っていくには車が必要だ。飛行機が万一墜落とかコントロールを外れたり、最悪人身事故など起きることに備えて保険もかけなければならない。それに入門書を読むと、飛行機は消耗品のようだ。もちろんモーターとか電池とかは使い回しできるらしいが、プロペラやその他のパーツは数回ないし10数回飛ぶと破損してしまうようである。
プロポ そんなわけで危険のないしかも破損がないように、実際に模型飛行機やドローンを飛ばす前に練習のためのフライトシミュレータがある。普通パソコンでフライトシミュレータというと実際の飛行機の操縦をするわけだが、模型飛行機のフライトシミュレータはモニターの中で模型飛行機やドローンを実際のプロポを操作して飛ばす。うーん、すばらしいアイデアと言いたいけど、それはナンダカナー

3月は電車の模型やジオラマの本を読んだ。
線路を引いて山や川、建物や人物の模型を置いて電車や機関車を走らせる。子供の夢だ。ところがこれがまたきわめてお金がかかる。一般的なNゲージの山手線1編成で2・3万する。線路と駅とジオラマを見積もると・・
機関車 もちろん電車にもシミュレータがある。ジオラマというか周辺まで含めたものなら「A列車で行こう」とか、運転に特化すれば「電車でGO」などがある。確かに部屋ひとつを占めるほど大きなジオラマを作るにはお金もかかるし場所の確保も大変。それに対してパソコンの中の路線網なら扱いは楽だ。場所もとらないしお値段も模型よりは安い。
ちなみに「2ちゃん」には、電車模型とかジオラマで夫婦げんかになったり離婚したというお話はザクザクある。浮気も電車模型も夫婦の危機、それならアダルトビデオとか電車シミュレータでガマンか?

4月はインドアプレーンの本を読んだ。
屋外で飛ばすドローンとか飛行機となると大ごとだと分かったので、室内で飛ばす模型飛行機を調べた。
6畳間ではちょっと厳しいかもしれないが、大き目のリビングダイニングとか体育館などで飛ばす小さな飛行機である。10年前インドアプレーンというとゴム動力の飛行機だったが、今ではモーター付のラジコン機に進化している。小さな飛行機を、人が歩くよりもゆっくりと飛ばすのも面白いだろう。そういうものの多くは手作りでその製作も難しいから楽しいようだ。
ではと必要な部品や材料工具などを見ると、これまた結構なお値段! まあ考えてみれば大きくても小さくてもラジコンのプロポは同じ、機体につけるアクチュエーターも大小は異なれど必要なものは一緒だ。
安い方法はないのかとネットでググると、これまたインドアプレーンのフライトシミュレータもあるようだ。しかしインドアプレーンをパソコンのシミュレータソフトで遊ぶなら、大きな模型飛行機のシミュレータソフトの方が良いのではないだろうか? いやいや、どうせなら本物のフライトシミュレータの方が?
ともかくシミュレーションで楽しめるなら、危険もなく、場所も食わず、最大のいいことはお金がかからない。パソコンとソフトがあればいい。なにしろ現在では物を捨てるにお金がかかるのである。

話は変わる。
私はまったく縁がないが、世の中ではゲーム機やパソコンでゲームをする人が多い。いろいろなゲームがあるが、うまくいかなかったり主人公が死んでしまったらリセットということになる。当然と言えば当然かもしれないが、ちょっとアブナイことではないかと思う。
人生というのはやり直しがきかない。うまくいくかどうか、一か八かということが許されない。だからまじめに働き、危ないことはしない、悪いことはしないという抑制がかかる。しかしゲームばかりしていると、頭がそういう価値観というか仕組みに理解してしまい、うまくいけばオッケー、だめならリセットという発想が起きるのではないだろうか。間違ったらリセットボタンを押せばよい、悪いことをしてもリセットボタンを、人を殺してもリセットボタンをという感覚になるのではないか。覚せい剤の使用とか、ひき逃げとか、テレビのやらせとか、新聞のねつ造報道などはそういった考え方の上に発生しているように思う。
サンゴに
KY
友人とそんな話をしたことがあるが、友人はリセットボタンの影響ではなく、パソコンにゴミ箱があり、一旦捨てても取り戻せるという影響じゃないかと言った。みなさんはどう思いますか?
朝日新聞やNHKテレビなどの見解をお聞きしたいものである。

また話は変わる。
私がまだ若いとき、1970年頃、工場の現場で完成した製品を数分間エージングすることになった。初めは安定化電源に製品を接続し、クッキングタイマーかけて、ベルが鳴ったら人間が取り外していた。それじゃしょうがないから自動でやろうと考えて、シーケンスの本を読んだ。まったく知識のない素人(つまり私)が、木の板にラグをねじ止めし、タイマーやマイクロスイッチを取り付けた。早速使ってみるとon/offのショックで何度も製品や電源を飛ばして怒られた。オンオフ時の過電流を緩和するように積分回路もどきにコンデンサと抵抗を組み込む必要があると失敗から学んだ。
NC加工 それから10年くらいあとにNCプログラムを作る仕事をしていたが、座標計算した数値どおりではだめだということがあった。アップカットとダウンカットではどうしても寸法が変わる。送り速度を変えてもどうしようもないし、径補正でも補正しきれない。プログラムを調整しないと目的とする寸法にならない。どうも切削抵抗でエンドミルが曲がるせいじゃないかと思う。
半導体の回路設計をしている人に会ったことがある。雑談をしていて半導体設計で一番難しいのはノイズを拾わないようにすることだという。論理回路を設計するのは誰でもできるが、ノイズを拾わないように、いかに回路を引き回すかは職人技だという。そして集積度が高くなるほど線幅が狭くなり、難しいと言っていた。
それを聞いて思い出したが、シーケンスを組んだときにも、プランジャーの振動で問題が起きたこともあったし、隣の配線から信号を受けたこともある。機械系でも同じで、適切なガタ(遊び)がないとうまく動作不良しないこともあるし、ガタがありすぎるとこれまた・・昔は「機械運動機構」なんて本を勉強してカムやリンクの構造を考えてジグや部品の位置決めなどを作っていたが、たわみやガタは計算だけではだめで、現物によるカットアンドトライがつきものだった。




要するに頭の中で理屈だけ考えても、うまくいかない。
配線や機械だけでなくhtmlを書いても、ブラウザとの相性とか伝送速度などが関わるから、表示がうまくいくかどうかは最終的には実際のネット経由でさまざまのブラウザで確認しなければならない。会社のウェブサイトの作成・維持を外注したことがあるが、その担当者が「うまく表示してくれればTAGや文法が間違っていてもかまわない、セオリー通りでもだめならダメなんです」と言う。みな同じことを考えているのだろう。麻雀ならあがってナンボで、囲碁なら下駄をはくまでは分らない。

先ほど、趣味でも仕事でも現物では金がかかるとか危険だからシミュレーションで練習したり、場合によってはシミュレーションそのものが趣味になると書いた。しかしそのようなシミュレーション万能というか、それしか頭にないような状態になってしまうと問題だと思う。やはり自分の手足を使ってものを作らないと身に付かないのではないだろうか。電子回路は半田ごてを使ってICとかLCRをつなぐからこそ理論だけではわからない問題で悩み、だからこそ成功したとき喜びを実感する。モニターの中で回路を作っただけの経験から、ノイズも誘導もなく、信号はタイムラグなく伝わると信じては現実社会を生きていけない。化学実験だって、自分の手で調合して精度の問題、漏れ、コンタミなどうまくいかないものだと実感する。

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いやいや勉強だってビューティフルとかディクショナリーなんてスペルを聞かれて、即座に口で応えられる人はあまりいないだろう。紙とか手のひらに書いてスペルを思い出すのではないだろうか。囲碁も将棋も同じだ。定石を覚えるのにモニターや本を何度眺めても覚えるはずがない。自分の手で石を持って碁盤に何度も置いてみてはじめて覚えるのではないだろうか。
何事でも頭だけでは学ぶこと覚えることはできないと思う。過去、日本はものづくりで復興したとかものづくりの国だとか言われた。だけど今の子供たちは、自分の身体を使って仕事も遊びもしていないのではないかと思う。
昆虫でも化石でもお花でも、本を見ただけとかお店で買うというのではなく、自分が歩き回り自分が探し自分の手でつかみ取らないと自分の血となり肉となることはないように私は思う。

囲碁や将棋を盤上ではなく、ゲーム機やパソコンのモニターでしている人は、駒や石の重さを知らないと思う。「今日の蛤は重い(注1)」という言葉はゲーム機を使っていては出てこないだろう。
 注1:1960年王座戦での梶原武雄の言葉。
シーケンスでも電子回路でも、論理だけを追っていれば配置やアースなどには思い至らないのではないか。真にものつくり、いや料理でも英単語を覚えるにしても、手足を動かさなければ体が覚えないのではないかと思う。

さて、前振りが長かったがいよいよ本題である。
この本は有名な西堀栄三郎が後輩というか彼より若い技術者に仕事に対する意識とか方法論を説いたものである。

書名著者出版社ISBN初版価格巻 数
ものづくり道西堀栄三郎ワック出版48983107612004/07/101500円全1巻

西堀栄三郎という人は、私の年代では神のような人であった。どんな神様かと言えば、品質管理の神様でしょうか。大野耐一も改善の神様として有名だけど、西堀さんは大野よりも半世代上で私が子供の時からマナスル登山とか南極越冬隊などで超有名であった。工業高校で先生方から西堀の名前を何度も聞かされたが、1960年代当時、大野耐一の名は聞いたことがない。
西堀は創意工夫と測定の重要さを教えるときによく引用された。ここで測定とは数値を測ることだけでなく、状況を把握するという広い意味である。ともかく工業高校では、西堀さんを見習えと言われたし、技術者の理想像と教えられた。
確かに体で覚えるとか、三現主義つまり現場・現実・現物を手にして考えるというスタンスは正統であるし、唯一無二かもしれない。
今の子供たち(私から見ればだから40歳未満)が、実際の現物・現実から離れているような気がしてならない。コンピュータとかシミュレータを使うのはいいがそれは現実を補うものであって、シミュレータが目的になってしまってはお門違いだ。

もちろん見方によれば西堀は古き良き時代の技術者なのであろう。
彼が徒弟時代の技術を、統計的と三現主義に基づいて改革してきたわけだが、今はIT技術の発生とそれによる大量の情報処理が可能になったこと、原子力事故などで、彼の技術至上とか技術についての楽観論は通用しないところもある。彼は「遠い将来の子孫が『あのときあれを作ってくれて本当によかったなあ』と思えるようなものを作るのが真の技術だ(p.312)」と書いている。また「人類の福祉にならないものはやるべきではない(p.313)」とある。私はそんなものはありえないしそういう考えは間違っていると思う。「2001年宇宙の旅」ではないが、武器として道具を使うことが文明の始まりであることから考えれば、ものの価値は時代によって違い発明や発見に正負は付けられない。人はただ好奇心と便利さを追求するのであり、それを是とするべきだろう。言い換えると他人の評価を気にするようではまだまだだよ。そういう意味では「技士道」とか「ものづくり道」という発想、表現にも大いなる違和感がある。
別の見方をすると、彼がこの文章を書いてからの30年の変化があまりにも大きかったということだろうか? とすると彼は予言者としては才能がなかったのだろう。いや「人間は経験を積むために生まれてきた(p.290)」とあるように、人類という集団として学び続けていると理解した方が良いのかもしれない。
ただ自分の手でものを作ってみなくちゃわからないよという素朴な認識は絶対的真だろう。彼は「知識そのものを教えることよりも、知識を身につけさせる方法を身につけさせる(p.323)」とあるが、それだけでなく「体を使って知識を身につける方法」でなければ価値がないと私は思う。彼が山に登るために、登山靴、テント、シュラフなどを自ら考え作ったという生い立ちこそを伝えるべきものだろうと思う。

うそ800 本日のまとめ
価値観はときと共にドンドン変化する。それを恐れることもないが、過去のあるいは自分の価値観を強制することもないと思う。
但し、三現主義は永遠に正しいように思う。私が思うだけだが



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015.05.07)
友人はリセットボタンの影響ではなく
その説が仮に真だとしたら、現代人は昔の人間よりもチャレンジ精神に溢れていることになりませんでしょうか?リセットが効くと思うのならば。環境影響と側面の定義と同じで、何も悪い側だけに影響が出るとはかぎりますまい。しかして現代の若者は逆にとても保守的で、就職にしても大企業ばかり人気があるようです。

切削抵抗でエンドミルが曲がるせいじゃないかと思う。
鶏もその経験はあります。送りが100分台になると工具や材料が逃げるのです。なので、そういう時は思い切って回転数を上げて切削してた記憶です。嗚呼懐かしや。

鶏さん、まいどありがとうございます。
その1
チャレンジ精神かどうかはともかく、今の若者は結果を良く考えてから実行していないという気がしてなりません。
おっと一般論でいうといけませんね。そういう考えなしの人が増えているように思います。いっときの浮気で自分の家庭も相手の家庭も壊してしまったとか、目の前のいじめや仕事の辛さで引きこもってしまって、将来のことは考えていないとか
まあ、それでも生きていけるなら良い時代になったというべきか?
その2
私の経験は30年も前のことなので、今は桁違いに剛性も高く高精度になっていて、そんなことはないのでしょうねえ。
ともかくワケワカラズ試行錯誤したことが記憶にあります。もちろんいつの時代でも限界はありチャレンジしていると思います。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2015.05.08)
今の若者は結果を良く考えてから実行していないという気がしてなりません

まぁ・・・古代文明の石碑にも書いてあったそうですから。
時間の概念はある程度、人生経験を積まないと脳に構成されなという説もあります。
心配無用ですよ(笑)

名古屋鶏さん、毎度ありがとうございます。
つまり・・・・・・私も年寄ということで

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