マニュアル再考

16.10.13
まずタイトルですが、「再考」といっても再び考えるとか考えなおすってわけではない。マニュアルとはこういうものだという「説明」であります。
そういえば10年も前に「マニュアルってなんだろう?」ってのを書いたことがあります。お暇ならそれもお読みください。これはその10年後バージョンということになりますか、まあ書いていることは同じです。なにしろいまだにマニュアルとは何かということをご理解されていない人が本を書いたりブログに書いたりしているので、改めて書く意味はあるでしょう。
えっ、そうすると私はこんなおバカなことを10数年書いていることになる。まあ、私以上におバカな人が多いから書いているわけですけど。

マニュアル、ここでは品質マニュアルとか環境マニュアルのことをいいます。あなたが今手にしているICレコーダーの取扱説明書とかマニュアルトランスミッションのことではありません。

参考までに: 「マニュアル」という言葉は一度も定義されていない。「品質マニュアル」は1987年から定義されている。その変遷をながめてみよう。

ISO9004:1987 5.3.2
The typical form of the main document used in drawing up and implementing a quality syatem is a "Quality Manual".
品質システムを書き表し、実施するために用いる文書の典型的な形式が”品質マニュアル”である。
ISO8402:1994 3.12
document stating the quality policy and describing the quality system of an organization.
品質方針を述べ、組織の品質システムを記述した文書
ISO9000:2000 3.7.4
document specifying the quality management system of an organaization .
組織の品質マネジメントシステムを規定する文書
ISO9000:2005 3.7.4
document specifying the quality management system of an organization.
組織の品質マネジメントシステムを規定する文書

まず1987年ではISO9000sで品質マニュアルがでてこなくて、ISO9004にあるということから必須(shall)でないことは明白である。しかし1987年版の言い回しを見ると、品質マニュアルは業務に用いる文書であると読める。ちょっと違和感がある。というのはこの時代に私はISO9000sとお付き合いしてきたわけだが、認証機関も審査員もマニュアルで仕事するという発想はなかった。品質マニュアルは審査員が組織の構造を理解するための説明書であるということは共通認識だったと思っていた。
1994年から品質マニュアルは必須のものとなったが、1994年の定義はまったく当たり前なことが書いてあり、要するに組織の品質システムを記述したものということに過ぎない。ちなみにこの時点ではマネジメントシステムという語は現れていない。それは1996年ISO14001で突然発祥した。
2000年版以降は、品質システムから品質マネジメントシステムに変わっただけである。

ところで「specify」を「規定する」と訳しているが、どうだろう? 「規定する」となると、私は定義するとか定めるというニュアンスに受け取る。英英辞典では定義するという意味ではなく、細かく説明するとか、構成する要素をひとつひとつ読み上げるという意味合いであり、specifyされる前から存在するなにものかを示すということだと考える。ちなみに派生語にspecificationがあるが、これはスペックを決めるわけではなく、なにものかのデテイルを示したものに過ぎない。
結論としてISO規格で過去に定義された品質マニュアルの意味は、組織のマネジメントシステムを概説した文書と理解して間違いない。決して最高位の文書でもなく、業務に用いる文書でもない。

品質マニュアルをなぜ作るのか、いや作っていたのかとなると、どうしてでしょうか?
答えは簡単です。ISO規格に品質マニュアルを作れとあったからです。

組織は、次の事項を含む品質マニュアルを作成し、維持しなければならない。
  1. 品質マネジメントシステムの適用範囲、除外がある場合には、除外の詳細、及び除外を正当とする理由
  2. 品質マネジメントシステムについて確立された"文書化された手順"又はそれらを参照できる情報
  3. 品質マネジメントシステムのプロセス間の相互関係に関する記述
    (ISO9001:2008より)

このようにshall、日本語訳で「しなければならない」と書いてあったから、していたまで。知らなかったですか?
つまりISO規格に「品質マニュアル」を作れと書いてなかったなら、作る必要はありませんでした。だって余計な仕事とか無駄な出費を好む人がいるはずありません。
じゃあ「環境マニュアル」はなぜ作るのかとなると、不思議ですよね。なぜってISO14001には1996年版にも2004年版にも環境マニュアルを作れとは書いてありませんから。
しかし日本の認証機関はレベルが低いせいか、ISO規格には「環境マニュアルを作成しなければならない」とはありませんでしたが、審査契約などでその作成を要求していました。

審査資料(マネジメントシステム文書等)事前提出の依頼
規格の要求事項に対応したマネジメントシステム文書(通称"環境マネジメントマニュアル"等)他の事前送付をお願いしております。

環境マネジメントマニュアル(マネジメントシステム全体を記述した文書で、その概要を記載するとともに関連手順書との相互参照ができるようにしたもの)
なお、環境マネジメントマニュアルに以下の具体的情報が含まれていない場合は、これらの資料を併せて送付ください。
  1. 環境方針
  2. 著しい環境側面の特定結果(例:著しい環境側面登録表)
  3. 法的及びその他の要求事項の特定結果(例:法規則等一覧表)
  4. 環境目的、目標及び実施計画(更新時は認証の有効期間(3 年間)を包含したものが望ましい)
  5. 組織図、並びにその組織の役割、責任及び権限
    (某認証機関の認証ガイド(2016年版)より引用)

上記文中「お願いしております」とあるが、提出しなければ審査に来ないのだから必須、義務、デューティであることは明白だ。

つまり環境マニュアルとは、ISO規格に基づくものではなく、認証機関の要求に基づいて作成しているわけです。残念ながら、これは過去形ではなく現在完了進行形です。
ISO14001には環境マニュアルの作成要求は元々ないし、ISO9001でも2015年版でなくなった。もちろん環境マニュアルどころか品質マニュアルの提出を求めない認証機関は過去からあった。ISO規格に品質マニュアル作成要求はあっても、品質マニュアルの提出を要求せよとはISO17021にはないようだ。
マニュアルがなくても審査できる認証機関が存在するのだから、マニュアルを要求する認証機関は、レベルが低いとしか思えない。レベルの低い認証機関には審査を依頼したくないのですが、しがらみがあってそこに依頼するしかないなら環境マニュアルを作らなければならない。つまりそれが2015年以降品質マニュアルや環境マニュアルを作成する唯一の理由です。
環境マニュアルの作成理由がそういうわけですから、それは社内に対していかなる意味もない。だって認証機関の要求に「環境マニュアルを社内の手順書として使わなければならない」とも「環境マニュアルは環境教育のテキストとして使用しなければならない」とも「環境マニュアルは環境に関する最上位文書であること」なんて書いてありません。それが理由です。

そもそも品質マニュアルあるいは似た性質の文書は過去よりありました。防衛とか原子力あるいは旧電電公社など品質保証要求が厳しいBtoBの取引になりますと「品質保証協定書」というのを結ぶのが普通で、そのときは品質システム説明書とか品質保証マニュアルなどという文書の提供を求められました。
どんなことを書くのかと具体例をあげますと、「計測器は国家標準とつながる基準を基に毎年定期校正すること」なんてことが品質保証協定に書いてあれば、それをいかに行うのかを説明しなければならないのです。
もちろんそういった要求(shall)は計測器管理だけでたくさんあり、品質保証協定書全体では100個とかそれ以上ありました。それをどのように社内で行っているかを説明する文書を作って提出しなければならないのです。
もちろん手っ取り早い方法は会社の計測器管理の手順書(規定とか規則)をコピーして提出すればよいわけですが、それは企業側としてはしたくない。なぜなら手順書というものは非常に重要で価値ある知的財産だからです。特に防衛とか通信などの仕事をしている会社では、業務の品質維持のために過去より失敗や工夫を積み重ねて仕組みをブラッシュアップしてきているわけで、その仕組みを記述した文書をお取引先という理由だけで公開できるものではありません。
ですからそういった品質保証要求に対応した箇所だけを抜き書きした説明書を作って提出することになります。つまりそれが品質システム説明書とか品質マニュアルと呼ばれるものでした。
こんなこと何べん語ったことでしょう・・・・
当然ですが客先によって品質保証要求事項は異なり、ある客は微に入り細に入り、ある客は大まか、A社は計測器の校正間隔を半年、B社は間隔は1年というように異なることは珍しくありません。
じゃあどうするのか?
簡単じゃないですか、お客様に合わせて品質マニュアル(イクイバレント)を作成すればよいのです。
計測器 「当社はA社製品を製造する工程における計測器は半年間隔で校正します」あるいは「当社はB社製品を製造する工程における計測器は1年間隔で校正します」とマニュアルに書けばよろしい。もちろん社内の計測器の校正間隔をどうするかは運用する上で一番コストがかからない方法にするのは当然です。A社対応だけ半年に、他を1年にしたほうが校正費用も管理費用も安いならそうすればよく、管理がめんどくさい、混乱するというなら全部半年間隔にしてもよい。間違っても嘘、いや事実と異なることを書いてはいけません。
ともかく社内の細かいノウハウ、ノウホワイを出さずに客先を納得させ安心させるために品質保証要求を満たす手順の概要を示したものが品質マニュアルであるわけです。

確認します。
○○マニュアルは、決して企業の社員教育資料や社内の業務手順書では"ありません"。ここ重要
よくいるんですよね、マニュアルは社員の教育資料だなんて誤解している人が。私はマンションの五階に住んでいますが、決してそんな誤解はしません。ところで10階に住んでいる人は十戒を守っているのだろうかなんてボケは禁止
環境マニュアルを環境教育の資料に使っていますなんて語る人がいる。それは間違いというのではなく、不適切でしょうね。なぜなら環境マニュアルと教育資料というのは目的が異なるからです。目的が異なれば使う道具も異なります。
新入社員に会社の仕組みを教育しようとするとき、品質マニュアルや環境マニュアルを使って説明するのが適切でしょうか?
不適切でしょうね。会社というのは本質的にシステムは一つしかありません。その仕組みとは一つの目的実現のために、組織があり責任者がいていろいろな業務を分担し決められた手順や基準でそれを実現していくわけです。そのときどの責任者も担当者も、環境のためとか品質のため、あるいは情報管理とか安全衛生のためと考えて仕事をしているはずがありません。上位管理者であろうと、昨日入ったパートの人であろうと、その仕事を定められた基準と手順を守って仕事をするだけです。そしてその基準や手順には、事故が起きないように、品質が維持できるように、環境への影響を少なくするように、そしてもちろん法を守り怪我をしないようにということが織り込まれているわけです。ですから余計なことを考えずにひたすら良い品質の仕事を素早くできるようになっているのです。
聖徳太子でない普通の人は、一度に二つ以上のことを考えられません。管理者が決裁するとき、環境から見てこれは問題ないか、品質は大丈夫か、怪我する恐れはないか、費用の無駄はないかなんて考えていたら、決裁のハンコを押すまで時間ばかりかかってしまいます。パートの人がこのごみを捨てるとき分別はどうするんだっけ?、安全のために手袋するんだっけ?、電話が鳴ったけど電話を取るべきか、ねじ締めを終えるべきかなんて考えていたらまともな製品はできません。

社内で仕事をする人のプライオリティ

他方、客先は買う品物の品質維持のためにどんなことをしているかを知りたいだけです。それを作る過程での安全管理、費用管理などは気にしないというか知りたくなく、書く必要がないのです。いや、余計なことを書くことはノイズですから、書いてほしくないのです。

顧客のプライオリティ

言いたいことは、教育に当たっては品質だけ、環境だけ、安全だけなんて切り口でバラバラに教えてもだめなんです。ですから一般的に教育は業務の流れにそって教えることになります。環境マニュアルを使って教えるということはありえないでしょう。
いや、環境担当者に環境管理の仕事を教えるには環境マニュアルがいいと拘る人がいるかもしれない。
それも間違いでしょうね、
法律を読んだことありますか? ある、それはよかった、法律のハイラルキーってどうなってますかね?
環境を考えてみましょう。環境基本法が親というか最上位規定です。その下に廃棄物とか公害防止とかその他カテゴリーごとに法律があり、さらにその下に騒音規制などの個々の法律があり、それが更に施行令、施行規則とブレークダウン(展開)されています。
それは法律だけでなく会社の規則(手順)の体系としては鉄板というかセオリーなのです。
ですから会社によって名称や切り口が異なっても、環境管理にはトップになる文書があり、その下にカテゴリーごととかあるいは部署ごとの手順書に展開されていきます。
環境担当者に環境管理を勉強させようとするなら、まず最上位の文書を読ませる、そしたら下位文書を追いかけて読んでいけといえばよろしいでしょう。普通の頭を持っていればその会社の環境管理の仕組みは自分で知ることができるでしょう。
そうではなく環境マニュアルを読んで勉強しろというと、環境管理について学ぶことができないと思います。なぜなら環境管理というものは独立したシステムではないからです。他の安全とか防災とか費用管理などと混然一体となっていて、環境だけ独立しているわけではないからです。○○マニュアルはISO規格要求事項との関連を説明するものです。だってISO9001:2008年版にも「参照(reference)できること」ってあったでしょう。ISO規格要求事項と社内文書の対照表がマニュアルの本質なのです。

ISO規格に費用管理とか出金の決裁者を定めよという要求がないから、マニュアルには誰がお金を決裁するのか書いてないでしょう?
それともお宅ではマニュアルの中に、10万未満は課長が、100万未満は部長が決裁するとかって書いてありますか?

ときどき環境マニュアルをA3サイズの図表にまとめましたなんてのが話題になったりしますね。良し悪しは一概に言えません。というのは環境マニュアルに限らず○○マニュアルは認証機関への説明書ですから、認証機関が良しとするか否かがすべてです。
いや正確に言えば2015年以降マニュアルは認証機関の要求に基づき作成するものですから、認証機関の要求を満たさなければならないというだけです。
マニュアルが認証機関のためのものであるなら、顧客満足を図るためにはその認証機関が求めるものを作ることです。「シンプルな環境マニュアルを作る」ことが目的ではありません。自分が分かりやすいことでもなく、教育資料としてすぐれたものが良いマニュアルでもない。認証機関が泣いて喜ぶものがすばらしいマニュアルです。

でも考えてみれば2015年改定でISO規格ではマニュアルの要求がなくなったのですから、マニュアルを作らないのが一番です。キーボードを叩く必要もなくPPCを浪費して環境破壊しないで済む。
マニュアルを要求する認証機関は環境保護に反するから、そんなことを要求しない認証機関に鞍替えするのがISO14001の意図を実現するのではなかろうか?

再考と命名したのだから、本日の駄文を振り返ってみよう。
ISO9001のオリジナル1987年版には、マニュアルを作れという要求事項はなかった。

備考: 1987年版においては「4.2品質システム」の「備考note」において、実施すべきことの一つとして「品質計画書」と「品質マニュアル」を作成することを上げている。

ちなみにその文章は・・
timely consideration needs to given to the following activities.
a)the preparation of quality plans and a quality manual i accordance with the specified requirements;
b)以下略

JIS訳は「次の活動に対する時宜を得た配慮が必要である」となっています。この文章の意味が、することが必要なのか、配慮は必要だけどしなくてよいのか、よくわかりません。
しかし当時の認証機関も審査員(イギリス人含め)も、マニュアルは必須ではないと言明していました。

1994年版になって、品質マニュアル作成は本文の要求事項に格上げされた。なぜかはわからないが、審査する側が楽をしたいために追加したのではないかという気がする。だって企業にとっては何のメリットもないのだから。
それと二者間の契約がメインだった87年版と違い、94年版は第三者認証がメインになったので、審査の方法を標準化したかったのかもしれない。
さてこのたびせっかく規格要求がなくなったのだから、受査側としては作らないという前提で行動すべきだろう。マニュアルを作ってほしいという認証機関を避け、いりませんという認証機関を選択するべきだ。企業人ならマニュアルを作らないことを考えないといけない。
シンプルなマニュアルを作ろうという発想は方向を間違えていて、仕事の効率化・コスト削減に逆らうことである。もしかしたらそんなことを語る人は、自分の仕事が減るのを恐れているのかもしれない。
結論としてマニュアルは作らないのがベストであり、担当者はそれを目指さなければならない。

マニュアルに経営者のサインがあるが、もしおばQが言うようにシステムの概説ならば、マニュアルは制定されるものではない、故に経営者の決裁はいらないんじゃないか? とお考えの方へ
その発想は素晴らしい
昔々、4半世紀前、初めてISO9002の審査を受けたときの事、エゲレスからきた審査員は私が数晩徹夜して作った品質マニュアルのサインを見て質問しました。
それにサインしたのは工場長ではなく部長だったので、まずかったかと一瞬冷汗が・・・
でも審査員の質問は違いました。「私は日本語が読めないが、このマニュアルに書いてあることと日本語の会社規則には齟齬がないことをこのサインは保証するのだな?」ということでした。
「もちろんです」と部長が答えておしまいでした。
もっとも審査終了後、その審査員は日本語で挨拶したりジョークを飛ばしたりしましたんで、審査中に我々下々が彼の赤鼻とか服装を茶化していたのが知られていたのかと、別の修羅場に・・
日本語のマニュアルにおいても、マニュアルが会社の手順書が定めることと齟齬がないことを保証するためのサインは必要でしょう。ただ経営者である必要はないと思います。
だってマニュアルが新たになにかを定めたわけではありませんから。

うそ800 本日のトリガー
この駄文は日経エコロジー誌の川中三四郎氏の「改訂ISO14001に取り組む」という連載で「シンプルな環境マニュアルを作る(2016年11月号)」というものを読んで、そりゃ間違だから訂正せねばという気持ちで書いた。
なにごとも基本を押さえていなければ、枝葉末節のアイデアとか改善策などまったく意味がない。そして本質をつかんでおれば応用も自由自在である。



外資社員様からお便りを頂きました(2016.10.21)
おばQさま ご無沙汰しております。
いつも楽しいお話を有難うございます。

品質マニュアルのお話有難うございます。
「マニュアルは認証機関への説明書ですから、認証機関が良しとするか否かがすべてです。」
まさにおっしゃるとおりなのです。
ですから、これの効用は、審査がスムーズに進むことです。
品質関連の要求は、お書きの通り顧客によって異なり、まともに取り合えば、お客様の品質システムに応じて説明が必要になります。 ただし、ISO審査に基づいて作られた品質マニュアルですと、とりあえず受け取ってくれます。 
そういう意味では、共通言語というか、とりあえずは共通のマニュアルとして運用できるメリットはあるのだと思います。

私は、常々 ISO認証の効用は「用語定義の共通化」だと思っています。 日本の企業だけでなく、海外との取引でも、用語やシステムが共通でないと困ります。 そんな場合には、ISOはとりあえずの共通言語としては使えるのだと思います。

一方で、認証審査会社の人々で、国内だけで仕事をしてきた人は、意外にそのような意識はもっていないので驚いたことがあります。 話が飛びますが似ているのは仏典です。
仏典の真の意味を知らず、無知な信者に付け込んでお布施をねだる様な坊さんは、漢字を無理やり日本語の音読みしたお経を唱えることが有難いといいます。(本音は不明)
経典は、当然ながら唱えることではなく、そのテキストの意味が重要です。 もちろん、原典を唱えることの意義は否定しませんが、もしその通りならば、日本に伝わった漢訳仏典を中国語で唱えるとか、より本家に近いサンスクリットで唱えるのが大事なはずです。 そう考えたのは空海など密教系で、だからマントラと呼ばれるサンスクリットを表音し、漢字ではなく梵字で記載します。
また、より原典に近いものを正しいものとして求めました。

話が飛んでしまいましたが、品質マニュアルは、まさに審査の為にあり、その効能は会社を越えた共通語という役割なのだと思っております。
外資社員

外資社員様 毎度ありがとうございます。
いえいえ、私の書いた意図はそんな哲学というか宗教的高尚なものではなく、某雑誌に川中三四郎というISOの世界でもてはやされている方が「環境マニュアルは偉大なる社員向け教科書なるぞ、立派なものを作れ」とののたまわっていましたんで、揶揄しただけのはなしです。ふまじめですみません。
大仏 お経の話ですが、母は般若心経を唱えていましたが、中身なんて理解してませんでした。意味を知らず外国の歌をくちずさむようなものです。
実を言って私も五十歩百歩なのですが、シャリシというのが弟子の名前だと分かったとき、ガッカリしてしまいました。人の名前と知らないときは大きな声で唱えていましたが、知ってからはなんだかなあという感じになったことは否めません。
御詠歌も聞いているとおごそかでいいなあと思いますが、現代語を見るとあまりありがたみがありません。私は根っから不信心なのでしょう。


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