*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
審査員物語とはやっと私に春が 巡ってきたようだ ウハウハだよ | |
木村がISOのコンサルを内職にしていて小遣い稼ぎをしているという話は、当然ながら勤め先にも伝わる。ある日の午後一、木村は部長に呼ばれた。 部長は机に座ったまま両手を頭の後ろで組み、呆れたような声を出す。 | ||
「お前なあ〜、ISOコンサルをしているっていうじゃないか」
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「はあ・・・知り合いなどから頼まれたものは付き合いもありますので指導してます」
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「あのよ、ウチは副業禁止ってのは知っているな。就業規則にも書いてある。1回限りとか内職程度なら目をつぶるってこともあるけど、噂では月給と同じくらい稼いでいるっていうじゃないか」
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「まさかそれほどは稼いでいませんよ。その半分です」
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「半分かどうか俺は知らん。就業規則だけでないぞ、確定申告とかしているのか? へたすると脱税になる」
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「確定申告なんてしてませんが、どうなんでしょうねえ〜」
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「どうなのか俺が知るわけがない。ともかくだ、副業はだめだ。人事の方から厳しく言われた。言い訳はいい、こそこそどころかおおっぴらに副業をしているようなら最悪は懲戒解雇するしかない」
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「えぇぇ、懲戒解雇!」
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「実を言えばお前は出向者だから、ウチで懲戒解雇ってわけにはいかないんだ。一旦、出向解除となってウチから親会社に返して、向こうで処分されることになる。お前がどうなろうとウチの人事は気にもしないが、ウチの労務管理が悪いってことになるから人事も青くなっているのさ。お前が転籍していれば簡単なんだが」
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「分かりました。今すぐコンサルを止めればよろしいのでしょうか?」
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「そうしてほしいね。ウチの人事にはなんとかもみ消してもらおう。だいたいお前もやりすぎだ。街の企業経営者の会合で、お前が指導している会社の幹部から、ウチの社長にお礼なんか言われたら問題だろう。俺の指示でしているのかと言われて俺もギョッとしたぞ」
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「すみません。今は4社の指導をしているのですぐに止めるよう話をします」
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「ISOでは仕事に関わる法律を調べろとあるらしいが、何かする前にお前も法律を調べないといかんな。もちろん会社の就業規則もだ」
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木村は少し気兼ねしたが思っていたことを話してみることにした。 | ||
「あのう、私は以前は協力会社のISO認証の支援をしてましたね。あのときは業務として行っていましたが問題なかったですよね。私も謝礼をもらいませんでしたし」
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「それで、」
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「私が副業でなく、会社の業務として勤務時間内に行くということではいかがでしょうか。謝礼は会社に入れれば、当社として売り上げが増えることになります。私としてもコンサルはやりがいがありますし、時間内に業務として行うなら謝礼をもらうこともないし、当社、先方、私の三方満足と思います」
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「お前、定款ってのを知っているか?」
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「定款ですか、昔大学で経営学か何かの時間に聞いた覚えがありますね」
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「会社設立するときにどんな会社であるかというのを決める、それが定款だな。その中でどんな商売、つまり製造業とか商社をするのか、どんな品目を取り扱うのかとか明記される。そしてそれに決めた仕事以外はできない。もちろん定款を書き換えればいい。 ホンダはオートバイから始まって自動車そして飛行機を追加してきたわけだ。だけどウチは照明機器の製造販売で、ISO認証などの技術コンサルというのは定款にない。ウチの場合は追加すればいいという理屈はないな。というのは子会社のビジネスが重複や競合などが起きないように親会社が調整しているからだ」 | ||
「そうしますと関連会社や近隣の工場の指導は良かったのですか?」
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「それは当社の製造業を進めるうえでの付帯的なことと理解したわけだ。作業指導と同じだ。そう判断したのは俺だ。 しかし当社の事業とまったく関わりない会社の指導をするというのはないね。まったく関係ない会社から技術指導を頼まれても対応しないのと同じだ。それこそ親会社の業務監査などで見つかるとまずい、いやいや、そういう考えはネガティブだな。当社の本来業務でないからだ。わかったか?」 | ||
「はい、わかりました」
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「それじゃ今している件は、いつまでに片付けるのか近日中に相手と決めて俺に報告しろ。トラブルを起こさず円満に終了しろよ。 さもなければ・・・おっと、今さら辞表出してもだめだからな。辞表は受け付けない。実際に懲戒解雇になるかどうかは俺は知らん。出向元次第だ。それから確定申告の話は・・・話の様子では5万10万じゃなくて大金のようだから税務署に相談に行け。ほっといて後で問題になると大事だ。 それと別件だが、人事から俺が責められているのがもう一つある。お前も今年50になるはずだ。もう転籍してもらわないと処遇に困る。今の品管課長が今年定年になるので課長解任で嘱託になる。順当ならお前を品管課長にするところだが転籍してないと課長にできない。駄々をこねないで転籍しろ」 | ||
木村は黙り込んだ。今さら本体に戻ったところで、親会社で課長、部長になる可能性はない。だが子会社でおしまいというのも面白くない。子会社の課長と言っても親会社なら係長レベルだ。 そして引っかかっていることがもう一つある。だいぶ前だが本社環境管理部の本田から聞いた、転籍していなければISO審査員に出向できるという話を覚えていた。工場で日々不良だクレームだと右往左往しているよりも、審査員をしたほうがいいという思いはある。それに審査員になれば副業をしてもお咎めするような認証機関はないようだ。 木村は頭を下げて退席した。 木村は親会社の環境管理部の本田にメールを送る。
それから今コンサルをしている会社に対して、事情によりコンサルできなくなったのでご容赦願いたい旨の電話をする。4社話をつけるともう夕方だった。もちろん電話だけで終わりにはできない。それぞれ1・2回お邪魔して、一段落つくところまでは無償でも何とかしなければ・・ それから顛末を簡単にまとめた。明日これを持って部長に報告しよう。 ●
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木村のコンサル騒ぎはなんとか部長が収めてくれた。それは良かったのだが、そのために木村は部長に今まで以上に頭が上がらなくなった。そして部長はいつ転籍するのかと毎朝のように木村に声をかける。 本田にメールを出して大分日にちが経つがまだ返事がこない。本田も忙しいのだろうが、ちと遅すぎるぞと心中穏やかでない。 半月ほど経ったころ木村に本田から電話があった。 | ||||
「やあ、木村さん、お元気、メール頂いたのに返事遅くなって済まない」
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「お忙しいところ申し訳ありません。いよいよ転籍を迫られてきましてね、決断しなくちゃならなくなりました」
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「今時間はいいかな? ちょっと込み入った話で長くなる、状況を説明したいんだ」
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「ちょっと場所変わります。ニ三分後にこちらからかけなおしましょう」
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木村は事務所から不具合品を解析などしている部屋に移った。ここなら誰にも聞かれないで話ができる。本田に電話をかける。 | ||||
「今まで工場の環境課長をしていた人を毎年一人から二人審査員に送り込んでいたんだ」
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「はいはい」
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「これからはそれができなくなりそうだ」
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「とおっしゃいますと?」
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「出向先というのはそれを管理している部門があるわけだ。今までは環境管理部がナガスネの出向者を決めていた。それが今度から人事部の所管になりそうなんだ」
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「それはまたどうして?」
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「従来は営業とか技術系の部長クラスは、役職定年頃に関連会社へ出向するというコースだった。ところがバブル崩壊以降、関連会社も能力あるだけでなく必要でなければ受け入れられない状況になっている。それで行き場のないえらいさんがあふれているんだ」
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「ナガスネへの出向はこれからは環境担当者や環境課長ではなく部長級の出向先になるということですか?」
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「たぶんね、それも環境担当でない人の行先になりそうだ。おっと、まだ決まりじゃない。いつもは2月頃には1年後に出向させる人を決めてウチで教育するというのが流れだった。だからもう来年の受け入れ者に異動を内示する時期なんだけどそんなことがあっていまだに白紙だ」
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「事情は分かりました。先行き見込みはなさそうですか」
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「俺もさ、君に期待を持たせてしまって申し訳ないと思っている。実を言って木村君だけじゃなくて他の工場の環境課長にも声をかけていたんだ。ISO審査員になりたいって人は結構いるからね」
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「ちょっと思ったんですが・・」
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「なんだろう?」
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「私が直接認証機関を訪問して入社希望するってわけにはいかないのでしょうか?」
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「まあ訪問する分は問題ないだろうけどね、認証機関では素人を雇うことはないと思う。木村君が審査員あるいは主任審査員資格を持っていれば採用するかもしれない。とはいえ社員として採用は難しいだろうね。契約審査員だろう。もっとも木村君にとってはそのほうが内職ができるからベターかもしれないが。 補のない審査員資格を持っていない人は株主会社から出向するしかない」 | ||||
「私は審査員どころか補の登録もしていません」
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「そうかあ〜、ウチから出向するにしても審査員補登録は必要だ。ウチから出向させる人は研修期間中に審査員研修を受けさせ補の登録をしている。 木村君は大丈夫と思うけど環境関連の資格をいくつか取らせることもしている。まあウチでは出向前に1年間教育するのでその間に取らせているんだ」 | ||||
「もし私が候補に入れていただければ1年間の教育を受けさせてもらえるわけですか」
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「そうだけど、先ほども言ったように今後は課長級は対象にしないかもしれない」
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「ざっくばらんな話、こんな努力をすれば審査員になれるという方法はありませんか?」
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「すまん、アイデアはないなあ〜 あのさ裏技だが、ウチは株主だから審査員として出向者を出しているが、その他に取締役を一人出している。今取締役になっているのは山内さんという方で、この方は環境保護部ではなく営業部門にいた方だ。俺はあまり親しくないが彼に連絡を取るというのもある。実を言ってウチからの出向者を受け入れるかどうかというのは山内さんの決定だ。そりゃ引き受けてからの責任は山内さんだからそれは当然だよね」 | ||||
「本田さん、その山内さんというかたのメールアドレスとか教えていただけないでしょうか」
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木村はその日のうちにナガスネ認証の山内取締役にメールを書いた。● ●
数日後、山内から返事が来た。
山内の手紙はそっけない。それと中身は本田が言ったことと矛盾はしないが、来年以降出向対象者がどうなるのか山内のメールではわからない。ぐずぐずしていると木村は年を取ってしまうし、部長の転籍圧力も強くなっている。参ったなあと思いつつ、木村は山内に返信を書く。
更に日にちが経ってから、木村は山内から東京に来ることがあれば寄れというメールをもらった。木村は東京出張を作ってそのときにナガスネを訪問することにした。ナガスネは駿府工場のISO14001認証のときや関連会社の認証支援のときなど何度か訪問していたから知っている。 ●
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木村はナガスネ環境認証機構を訪問した。山内取締役に会いたいというとすぐに山内が現れてちいさな会議室というか応接室に案内した。 挨拶の後、木村はさっそく本題に入る。 | |
「メールでもお伝えしましたように、私には時間がありません。なんとかなりませんでしょうか。最低限、再来年出向受け入れるとか回答いただければ転籍の方はそれを説明してお断りしたいと考えています」
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「確かに出向受け入れ者の最終決定は私だが、候補者を選ぶのは出す方だ。本田君からも言われているが、従来は環境部門から選んでいたのだが、向こうの考えとしてこれからは部長級を出すようになると聞いている。それは出す方の勝手だから私がどうこう言うことでもない。もちろんそういった人が審査員として勤まるのかどうかは私の方で検討させてもらうことになる。 ところで君は出向したいなら環境管理部の本田君とか私に言ってくるのではなく、職制を通じてそういう方向に進みたいということを自己申告するべきじゃないのか。会社はラインが基本だから、それを通じて希望すべきだろう」 | |
確かにそれがスジというものだ。木村は課長・部長に審査員になりたいという希望を出したことはなかった。しかし出向先でそういう希望を出すことが良い方向になるとは思えない。 木村が沈黙すると同じく、山内は頭を傾けてしばし沈黙していた。やがて口を開く。 | |
「駿府照明っていったな、あそこの部長には会ったことがある。審査員になりたいということは部長と話しているのか?」
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「いや、まだ・・・」
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「そうか、ちょっと考えさせてくれや。」
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木村は誕生日がきて50になった。山内に会ってから一度も山内から連絡はなく、審査員になるのは望み薄だと思っていた。部長からたびたび転籍の話を聞かされているがいまだに断り続けていた。正直、返事を伸ばすのはもう限界だと感じている。 そんなある日、山内から木村に電話が来た。 | |
「ナガスネの山内だよ」
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「はっ、ご無沙汰しておりました」
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「俺もよ、お前に言われて無下にもできずいろいろ動いたよ」
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「はっ?」
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「お前が審査員になりたいって言っただろう、だからいろいろ当たったわけだ」
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「願いがかなうのですか?」
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「お前次第だな。数カ月前に駿府の部長には話をしておいた。部長から何か聞いているか?」
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「いえ、なにも」
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「そうか、結論を言えば来年は無理で再来年くらいならと考えている。ただお前も頑張ってくれないと困る。簡単に言えば審査員補に登録すること、環境関連の資格を取ること、最低限それを来年秋くらいまでに達成してくれや。 駿府の部長にはそれがはっきりするまで転籍は待ってほしいと言ってある。それからいろいろあるのだがウチで受け入れるとき出向前の職階なんてのもあるんで名目だけ課長にしてもらうことにした。ラインの課長じゃないようだが、まあどうでもいい」 | |
「それは・・・どうもありがとうございました。なんとお礼を申し上げてよいのか」
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「その代りしっかりやってくれよ。まさか審査員研修で落ちるってことはないだろうが、国家資格のふたつみっつ手土産にしてくれないと俺の顔が潰れる。順調にいけば遅くとも1年半後にはこちらに来れるだろう」
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同じ会社に勤めているとして、見知らぬ人から何か依頼されたときそれほど親身になってくれるものだろうかという疑問があるかもしれない。かって私は似たようなお願いをしたことがあり、そのときいろいろ面倒を見てもらったことがある。もちろん頼られた人次第、頼った人次第、内容次第ということはあるだろうけど。 |