異世界審査員5.歩兵銃

17.07.13

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

異世界審査員物語とは

嘘と想像ばかりではいけないと、陸軍砲兵工廠の組織やそこで働く人の身分や昇進の仕組みなどの情報がないかと本を探したりネットを漁ったりしたのですが、情報が絶対的に少ないのと1900年頃の雇用形態がものすごく複雑でよくわからなかった。同じ職場に武官(技術士官)と文官(技師)が混在していた。また帝大出の技術士官が車で送り迎えされて雲の上の人だったと書いているものもありましたし、職工から種々の試験を受けて軍人になり技術少尉までなったとか、多様なキャリアパスがあったようです。昔の日本で職工から技術少尉までなったなら、当人の才能も努力もあったでしょうけど、決して身分制度が固定していたわけではないと思います。まあ江戸時代、代官所で代官を除いた武士(手付)は付近の農民から採用していたそうですから、日本は元々階級社会ではなかったのかもしれません。(注1)
ともかく工廠の組織とか各部門の責任者の所属や階級などよくわかりませんでした。そもそも明治末期では、武器のほとんどを民間ではなく軍の工廠で作っていたそうですから、この物語の舞台設定がありえないわけで・・・
ということで背景設定がいい加減なことはお許しください。いや明治末のお話ではなく異世界の物語ですから無問題ということにしましょう。ともかくこのお話は軍の組織とか調達を論じるのではなく、品質や改善のトラブル対策を通して、目的である品質保証までもっていくわけです。もっともそこまでたどりつけるかどうか、いささか心配ではありますが・・

時は春、日は朝(あした)、ここは新橋駅近くにある新世界技術事務所の会議室、3人の男性が打ち合わせをしております。世はこともないどころか、非常に暗い雰囲気です。

吉本取締役
「今まで工藤君が紹介してくれた7社を訪問したが、どこもいい反応はなかったねえ〜」
工藤番頭
「社長、まだ2週間じゃありませんか。そう気弱にならないでください」
伊丹審査員
「確かに品質保証とか第三者認証について関心はなかったようです。でも、作業改善のアドバイスは喜ばれましたよ。ですからコンサルタントの需要はあるかなと思いました。
コンサルタントの神様みたいに言われている西堀栄三郎だって仕事のない時代もあり、やっと大同毛織で名をあげたんです(注2)。我々にできないことはありません」
吉本取締役
「彼は天才、我々は凡人だよ」
伊丹審査員
「その代わり我々には進んだ技術の情報があります」
工藤番頭
「その西堀栄三郎ってのは何者ですか?」
伊丹審査員
「我々の世界で問題解決の神様みたいに言われている人です。ちょうど今頃生まれたはずです」
工藤番頭
「なるほど、ということは今生まれた人が立派な大人になる頃にならないと、コンサルタントという職は成り立たないのかもしれませんね」
伊丹審査員
「工藤さんまでそんな悲観的なことを言うとは・・・」
吉本取締役
「岡村染色も建築計画もアドバイスして喜ばれたものの、お金はいただけなかったからね」
伊丹審査員
「あれは撒き餌ですって。あんなことでお足がもらえるほど世の中甘くありません。私はああいったことをもっとあちこちでして、その中から1割でも、いや1分でも仕事がとれれば御の字と思います。それこそかの西堀栄三郎にしても・・・」
吉本取締役
「わかった、わかった」
工藤番頭
「伊丹さんのおっしゃる通りです。社長、もう少しそのなんでしたっけ、撒き餌をしてみましょうや。私ももっと訪問先を探しますから」

吉本の顔色は晴れない。工藤と伊丹は出社すれば賃金がもらえるが、吉本は売り上げがなければ実入りはない。経営者と従業員の違いはそこにある。
南条さんが部屋に入ってきた。
南条さん
「工藤さん、お電話が入っています。森広鉄工所の社長さんからです」
工藤番頭
「おお、噂をすれば仕事かもしれませんよ」
伊丹審査員
「期待しているよ」

工藤は事務所の電話に出る。この頃は各部屋に受話器があるわけでなく、この会社には事務所にしかない。
10分ほどして工藤は会議室に戻ってきた。

吉本取締役
「商売の話だったらうれしいねえ〜」
工藤番頭
「商売になるのかならないのか、ちょっとあいまいなんですがね」

工藤は座って、工藤がいない間に南条さんが出してくれたお茶を飲む。
話をまとめるためか少しの沈黙のあとに口を開いた。
工藤番頭
「森広鉄工で歩兵銃の部品を作っているのは、先週お邪魔したときにご覧になりましたね。照門という狙いをつける照準の部品です。
アリサカライフル 同じものを数年作ってきたのですが、先月納めた約2000個のうち2割くらいが不良だと言われて全数返却されてしまったそうです。
社長としては自分たちが検査した結果は良品だったということ、過去に作ったものと全く変わらないということで、原因はおろかなぜ不良なのかわからないというのです。
で電話の用件は問題を解決してほしいということです」
伊丹審査員
「なるほど、いよいよお金になるお仕事ですね」
吉本取締役
「オイオイ、歩兵銃なんて我々の手に負えないよ。俺は鉄砲を撃ったことがない。伊丹君もだろう?」
工藤番頭
「伊丹さんは乗り気のようですが、解決できるあてがありますか?」
伊丹審査員
「先ほどの西堀栄三郎は『何も知らないからこそできる』と語ったそうですよ。まあ、話を聞きに行きましょう。どうせ仕事はないんだから」

吉本は用があるというので工藤と伊丹の二人で出かけた。道々、二人は吉本は金策だろうと話をした。そりゃ最初の数か月は収入ゼロというのは予想していたが、それが現実になれば向こうの人たちに話して納得してもらわなければならないだろう。
こんなことなら異世界間貿易でもしたほうが手っ取り早いのにねというのが二人の結論だ。とはいえそれは禁じ手であるのだ。


森広鉄工所に着く。玄関で声をかけるとすぐに社長が出てきた。

森広社長
「いやあ、お待ちしておりました。地獄で仏にあったようです」
工藤番頭
「仏になれるのか私どもの手におえないのか今時点ではなんとも」
森広社長
「まあまあ、お話だけでも聞いてください。ええと担当に現物をもってこさせよう」

ほどなく一人の男がお盆にいくつかの部品を載せて部屋に入ってきた。
森広社長
「こちらはうちの技術を一手に担当している岡村君だ。工業の専門学校をでて海軍工廠で技手として数年働いていたベテランだ」
岡村
「よろしくお願いします」
伊丹審査員
「こちらこそ。まず状況を説明いただけますか」
岡村
「これは当社で作っている照門の部品です。大して複雑なものではなく、鉄板をプレスで打ち抜き、折り曲げ、メッキをしておしまいです。バリとか歪みとかありますから歪みを修正してやすりがけしています。
完成状態で出荷検査担当が軍から貸与されている限界ゲージで全数通り側・止まり側の検査をして合格したものを箱詰めして出荷します。ここから軍の工廠まで荷車で1時間ほど、揺れとかありませんし、雨のときは納品していませんから運搬時の問題はないと考えられます」
森広社長
「それが突然、不良が多発だと言われたんだよな」
岡村
「そうなのです。ええとですね、以前と何が違うのかと調べたのですが・・・
材料は以前と同じものというか継続して使っていますので、今回材料が変わったということはありません。
それをプレスで形に抜いて数字などを刻印しているのですが、金型は以前から変わっていませんし、破損した気配もありません。
やすりがけや歪みとりによるばらつきはありますが、これも過去から変わった気配はありません。
メッキですが、これも同じ業者ですし、うちの部品だけメッキをしているわけじゃないのです。ほかのところの部品では問題ないということです」
伊丹審査員
「なるほど、いくつか質問させてください。
まず不良だと言われたのはどんなことなのでしょうか? つまり寸法とか歪みとかメッキとか、どんなことでしょうか?」
岡村
「寸法です。実際には何ミリといわれたのではなく、砲兵工廠の受け入れのゲージで不良になったと言われました」
伊丹審査員
「なるほど、寸法がダメということですか。どこの寸法ですか?」
岡村
「この部分が相手の部品を組み合わさるので、そこですね。少し大きいと言われました」
伊丹審査員
「ええと、部品の寸法公差などはどうなっているのでしょうか?」
岡村
「寸法公差とは何でしょうか?」
伊丹審査員
「えっ、ああ、ええとですね例えばこの幅は何ミリですか」
岡村
「ええと24ミリです」
伊丹審査員
「なるほど、図面寸法が24ミリと言いましても24ミリピタリに作ることはできませんから、それよりも零点何ミリ大きくとも合格、零点何ミリ小さくても合格という範囲があるでしょう。それが公差ですよ」
岡村
「うーん、この部品は図面にはそういうことは書いてありませんね。工廠から限界ゲージというものを渡されてそのゲージの範囲なら良品になります」
伊丹審査員
「そうしますと実際の寸法は何ミリかわからないのですか」
岡村
「私たちの作っている部品は高精度なので物差しや鋼尺では測れないんです。それですべての部品の大事な寸法にはゲージが渡されていて、通り側・止まり側両方で検査するのです」

通り側

検査するものが通過する
限界ゲージ

限界ゲージ

止まり側

検査するものが入らない

限界ゲージは寸法上限と下限に対応して通り側と止まり側がある。
通り側は摩耗に備えて長めに作られている。
伊丹審査員
「お宅にはノギスありませんか?」
森広社長
「ノギスとはなんですか?」
岡村
「ノギスですって! 伊丹さんは最新情報をご存じなんですね。東京高等工業学校のアメリカ人の教授が向こうからノギスを持ってきて、授業で教えているという話を聞いたことがあります(注3)。あれは0.1ミリまで測れるそうですね。すごいものですね」
森広社長
「そういう測定器があるのか、伊丹さん、残念ながらうちにはそのノギスとやらはありませんな」
伊丹審査員
「分かりました。ともかくお宅では工廠から貸与されたゲージでは合格で、工廠が持っているゲージで検査すると不合格になるということですね」
岡村
「そうです」
伊丹審査員
「となると原因は、双方のゲージの寸法が異なるということしかありませんね」

お茶 伊丹は出されたお茶を飲んで考える。原因はこちらのゲージが狂ったか、工廠のゲージが狂ったかしかない。それもここ最近のことだろう。
微妙な寸法だしこの時代の金属なら、ゲージを落すとか叩いたりすれば狂うことはあるだろう。しかし合否判定になる公差が数字ではっきりしていないなら、どちらが原因だと断定することは難しい。現物を見れば落した形跡とかないだろうか。
単に白黒をつけるならノギスでもマイクロでも使って測ればいいが、現在ここで使える方法で判定するにはどうしたらいいだろうか。ノギスがなければ万能投影機でトレーシングペーパーに写すという手もあると思ったが、投影機が検査に使われるようになったのは戦後のことだ(注4)。そしてマイクロメーターが日本で使われたのは大正10年(1921)以降(注5)
うーん、はてさてどうしたものか。
パスをあてて外寸をとりそれを鋼板にケガキ写したところで、人の目では0.1ミリ以下を見分けることはできないだろう。

考えていても進まない。とりあえず手足を動かしてみようと伊丹は決めた。腕時計をみると11時前、まだ時間は早い。いろいろできるだろう。
伊丹審査員
「社長さん、手ぶらではできませんので一旦会社に戻って道具とか書籍を持ってきます。
それでお願いですが部屋と作業できる机と椅子、できればドアが閉まって他の人が入ってこない場所を確保してください」
森広社長
「わかった」
伊丹審査員
「それから過去に納品したときの部品があればそれを何十個か、それと今回納品した部品を何十個か」
岡村
「すぐに用意しましょう」
伊丹審査員
「この会社で貸与されている限界ゲージ、今回問題になった個所のものですが・・
それと工廠の限界ゲージは借りられないのでしょうか?」
岡村
「それは無理ですねえ」
伊丹審査員
「それじゃお宅と同じ仕事をしている会社はありますか?」
森広社長
「何社かあるよ」
伊丹審査員
「そこにも同じ限界ゲージがあるなら借りてこられますか?」
森広社長
「一番近いなら品川だな。短時間なら大丈夫だろう。伊丹さんの予定は?」
伊丹審査員
「今11時くらいでしょうか。会社に戻って飯を食って必要なものをそろえてと・・・2時には来れるでしょう。今申し上げたものをそろえてもらえればすぐに仕事にかかります」
森広社長
「わかった。俺はじゃあ限界ゲージを2時までに借りてくる。夕方には返さないといけないだろう」

伊丹と工藤はすぐにおいとました。
その帰り道
工藤番頭
「伊丹さんには大たい見当がついたのですか?」
伊丹審査員
「見当は付きましたが、どう説明したらいいかが思いつきません」
工藤番頭
「といいますのは?」
伊丹審査員
「向こうの世界から百分の一ミリとか、千分の一ミリを測れる道具を持ってくればすぐに原因も責任もわかります。でもそれで説明はできません。そういう計測器はこの世界に存在しませんからね。
今こちらで使える方法でどうしたらいいかというのがわからないのです」
工藤番頭
「なるほど、そうはいってもお考えはあるのでしょう」
伊丹審査員
「三面合わせという考えがありまして、平らな砥石を作るには二つの砥石をいくら擦り合わせてもだめなんですよ。砥石を三つ用意して二つずつ擦り合わせていくと、最終的にみっつとも平面が出るのです」
工藤番頭
「なるほど、そういわれるとそんな気がします。ということは?」
伊丹審査員
「森広鉄工だけでなくもう一社あるなら、工廠とそこのゲージとみっつ比べれば違いが分かるかなと考えました」
工藤番頭
「なるほど、」
伊丹審査員
「ええと、私は元の世界に行ってノギスを買ってきます。少なくても私たちは真の原因を知っておくことが必要ですから」
工藤番頭
「ノギスというのは先ほど初めて聞きましたが、簡単に手に入るのですか?」
伊丹審査員
「私の世界ではどこの金物屋で売っています。あまり安物では心配ですが、まあ蕎麦3杯か4杯分出せば大丈夫でしょう。
ええとそれから必要な本とかも探したいので・・・お昼を向こうで食べて、会社には寄らずそのまま森広鉄工に行くことにしますね。1時半には着くでしょう。
それからの仕事では工藤さんにも手伝ってほしいのですが」
工藤番頭
「喜んで。私も伊丹さんが何をするのか興味津々でして、ダメと言われても行くつもりでした。
それとね、伊丹さん。こちらは向こうの世界とは時間の感覚が違います。大至急といったところで昼飯を食べるとか残業しないのは普通ですよ。急いでばかりでは疲れてしまいます」
伊丹審査員
「分かりました。じゃあ1時半に」


現代に戻った伊丹はホームセンターに行く。ノギスもマイクロもデジタルではなく古いタイプにした。デジタルだと電池が切れたら使えないし、万が一向こうの世界に漏れたとき問題が大きくなりそうだ。
ノギス 機械式ならノギスもマイクロメーターも、基本的な構造は1900年代には完成している。もし誰かの手に渡っても、多大な影響を与えることはないだろう。
機械式つまりデジタルでないノギスとかマイクロと言ってもピンキリ、数百円のものから五千円くらいまである。あまり安物では精度が心配なのでちゃんとした●ツトヨ製を買う。
次に電卓、店で見てあまりの安さに驚いた。今では三角関数とか対数など付いていて500円、200種も関数がついていても1000円だ。これじゃ儲からないだろうと伊丹は思う。こんなものを1900年にもっていけば、技術者は泣いて喜ぶだろう。技術コンサルとかISO認証なんて考えるよりこういったものを売るほうが需要もあるだろうしお金になるのにと思う。とりあえず一番安い関数電卓を買った。
それから本屋に行って、公差に関する本と品質管理の統計についての本を買う。伊丹はもうそういったことは7割方忘れていた。


1時少し過ぎに伊丹は森広鉄工に着いた。入ると既に工藤がお茶を飲んでいた。工藤の顔を見て伊丹はほっとした。やはり一人では心細い。

工藤番頭
「伊丹さん、早かったねえ〜。正直言ってもう戻ってこないかと思ってたよ」
伊丹審査員
「工藤さん、言っていいことと悪いことがありますよ。そこまで卑怯というか意気地なしじゃありません」
工藤番頭
「スマン、スマン、石田さんの例があるからさ。アハハハハ」

二人の声を聞いて社長が部屋に入ってきた。
森広社長
「伊丹さん、言われたことは用意してあります。隣の応接室です。
それからですね、とんでもない問題がありました」
伊丹審査員
「何事でしょう?」
森広社長
「伊丹さんに言われて同業者のところにゲージを借りに行ったところ、その会社でも数日前に納めたら工廠から今回の部品は不良だと言われたそうです」
伊丹審査員
「うわー」
森広社長
「向こうの社長も頭を抱えていました。こちらの事情を話すと喜んで限界ゲージを貸してくれましたが、一つ要望がありました」
伊丹審査員
「向こうも私の調査結果を知りたいということでしょう」
森広社長
「その通り」
伊丹審査員
「どれくらい時間がかかるのか・・・とりかかってみないとわかりません。少し時間をください。今1時過ぎですね。4時くらいまで私と工藤さんだけにしておいてくれませんか」
森広社長
「どうぞよろしくお願いします。そいじゃ同業者には4時に来いといって良いでしょうか?」
伊丹審査員
「4時までに解決するかはわかりませんが、途中報告くらいはできるでしょう」

部屋を移ると伊丹はドアのカギをかけた。ノギスやマイクロを使っていたり電卓を叩いていたりするのを見られると事だ。
伊丹審査員
「そいじゃまず寸法を測りますか、」

伊丹は限界ゲージを2個机の上に並べた。外側寸法だから限界ゲージの寸法は外側マイクロメーターでは測れない。まあノギスで間に合うだろう。
何か所か測って平均をとる。

森広鉄工他社のもの
通り側24.1524.15
止まり側23.9023.85

ゲージをしげしげと見たが、二つとも特段変形しているふうには見えない。通り側は長年の使用で光っており多少は摩耗しているかもしれない。しかし保管状態は、ワセリンでも塗っているのだろうか、錆もない。
測定結果から推定すると公差は24±0.1だろう。通り側が大きめになっているのは何年も使用した摩耗のせいかもしれない。
これくらいの精度ならノギスで楽勝だなと思う。しかしほんの100年前は0.1ミリを測定することがとんでもなく困難なことだったのだと驚く。

伊丹審査員
「そいじゃ私が測定して読み上げますから工藤さんにメモをお願いできませんか」
工藤番頭
「いいとも、何か役に立つことをしないと申し訳ない」

伊丹は森広ともう1社の部品を前回までの寸法と今回ロットの寸法をそれぞれ100個マイクロメーターで測定して読み上げ、工藤が正、正、と書いていく。
終わると伊丹は電卓をたたいて平均値と標準偏差を出す。標準偏差を出すときに関数電卓を買ってよかったと思った。

森広鉄工他社のもの
前回ロット今回ロット前回ロット今回ロット
平均値24.04224.04524.05124.050
標準偏差0.0360.0340.0370.036

ちなみに: これを書くときネットで38式歩兵銃について下記の文章を見つけた。

『三八式歩兵銃の場合、現物が渡されてそれをノギスで測って部品を作りました。(中略)組み立て工場で刷り合わせをして製品になります。38式歩兵銃のような簡単な武器でも部品を交換すると動作する以前に組みあがらないということもあったそうです。』

これは二次大戦戦中の話で、この物語よりも40年も後である。その頃には工場でノギスは当たり前になっていたのですね。とはいえ0.05oを測れるノギスがあろうと、仕上がり精度は加工方法に依存します。そして精度が上がらなければ互換性は担保されません。
ところで自分が書いていてなんだが、ヤスリ仕上げで標準偏差が0.03に収まるとは思えない。もしできたなら公差以前に互換性は十分ですよね。

2割が不良と言われたということは、測定値の分布からみて工廠のゲージが0.02ミリほど狂ったと思われる。ゲージが0.02ミリ狂えば見てわかるのだろうか?
伊丹審査員
「さてと、とりあえずできることはしたと、」
工藤番頭
「まだ2時半です。だいぶ早いですね」
伊丹審査員
「結果は出たけど理屈を考えるのはこれからです」
工藤番頭
「伊丹さんが書いた数字をみると、以前も今回もあまり変わらないということなのかな?」
伊丹審査員
「このデータからは元々、1,000個に数個は組み込めないものができるようだが」
工藤番頭
「伊丹さんの世界ではどうかわからないが・・・・ここではどれでも組み立てできるというわけじゃなくて、現物合わせが普通です。
私は甲種合格だったので兵隊に行ってきました。小銃の分解や組み立てをだいぶやらされました。本来なら何丁かばらしたとき、どれを組み合わせても動作しなきゃならんでしょう。でも実際はそうなりません。正常に動くものもあるし、動かないものもある。それ以前に組みあがらないものもある。だから自分の銃の部品をそのまま組み立てるのが基本です。でも実際の戦争ではそうもいかないでしょうね」
伊丹審査員
「なるほど、組みたたないものが多少はあっても問題ないなら、その心配は無用だな。
ともかく工廠の限界ゲージが狂ったとしか思えない。だが実測値を出さないでどう説明したらいいのか見当もつかない。
工藤さん、どう思いますかね。向こうの世界から持ってきたマイクロメーターとノギスで測った結果は、部品の寸法は森広ともう1社とも問題ないということはわかりました。だけどそういった文明の利器を使わないで、工廠のゲージに問題があるとどう説明したらいいでしょうか?」
工藤番頭
「うーん、これだけを取り上げては議論になりませんから、工廠に行って森広ともう1社から過去に納入した部品を出してきてもらい、今回納入品と違いがあるかどうかを調べるというのはどうでしょうか?」
伊丹審査員
「そういう話をしましょうか」
工藤番頭
「実は先ほど手洗いに行ったら、もうメンバーがそろっているようです。
打ち合わせをくりあげませんか。みなさん重大問題で対応に困っていますから」
伊丹審査員
「もし工廠の担当と話が付かなければ、向こうのえらいさんと話をするということは可能だろうか?」
工藤番頭
「どうでしょうかねえ〜、それは社長に聞いてみないと」

すぐに打ち合わせることにした。工藤は隣の部屋で話をして皆を引き連れてきた。その間に伊丹はノギスやマイクロそれに測定結果で見せてはならないものを隠した。
森広社長
「もう原因はわかったそうですね?」
伊丹審査員
「そうではありますが、立証するには少し証拠不足というか」
伊丹は今までしたことをかいつまんで説明する。但しノギスやマイクロメーターを使ったことは省いた。
森広社長
「すると考えられる原因は工廠のゲージが狂ったということになるのか」
伊丹審査員
「私はそう考えますが、そうはっきりいうと問題が大きくなりそうですね。その前に向こうのゲージを見せてもらい変形とか傷とかないかを確認できないものでしょうか。借りてくることはできないでしょうから、むこうさんの目の前でこちらが確認するというのはどうでしょうか」
森広社長
「ええと今日これからでも行ってみて話をしてみよう。できれば伊丹さんご同行いただけないかね」
伊丹審査員
「分かりました。そいじゃ工藤さんは会社に戻ってください。吉本社長に状況を伝えておいていただけますか」
森広社長
「伊丹さん、話は変わるけど、先日、電話を受けたらメモを書くことを言われましたね。
あの日から実行しましたよ。正直言いましてトラブルがなくなりました。お客さんや同業者との打ち合わせなどの連絡漏れなどがなくなって、良かったと思っていた矢先でして・・
この問題も伊丹さんがすぐに解決してくれると期待しています」

うそ800 本日の懸念
はじめは照尺のことにしてお話を書いていました。ところが照尺とは飛行機が現れてからのこと、初期の38式歩兵銃には照尺がないということに気が付きました。考えるのも面倒なのでそのまま照門に一括変換しました。矛盾があっても気が付かないことにしてください。
さてこれからどうなるのでしょうか? 私にも見当がつきません。

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参考文献
注1「江戸村方騒動顛末記」、高橋敏、ちくま新書、9784480059130、2001
注2「日本的経営の興亡」、徳丸壮也、ダイヤモンド社、9784478340202、1999
注3「ノギスの起こりと変遷」、(株)ミツトヨ、2017
注4「PROFILE PROJECTORS」、(株)ニコンインステック、2016
注5「マイクロメーター進化の歴史」、(株)ミツトヨ、2007

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