継続的改善とは

17.05.25
毎度バカバカしいお話を 毎度ISO14001をネタにお笑いを語っております。もちろん嘘やデタラメじゃなくてちゃんと論理は通しているつもりです。
ISO14001:2015では「継続的改善」という語は定義の他に7か所に出てくる。受験なら頻出語といって重要です。ということで本日は「継続的改善」を取り上げてだべります。お付き合いください。
おっと、私も嘘つきですんで、だまされないように本棚から対訳本を引っ張り出して、ときどき見比べながらお読みいただきたい。
おばQの語ることなどはなっから信用していないとか、騙されてもかまわないと思う方は、そんな面倒なことをすることはありません。
そいじゃ行ってみましょう。

ISO14001では7か所で「継続的改善」という語が出てくると申しましたが、そこではどんなことを語っているのでしょうか?
継続的改善を規格が書いていること
ー、下々よく聞け
10.3 組織は、環境パフォーマンスを向上させるために、環境マネジメントシステムの適切性、妥当性及び有効性を継続的に改善しなければならんのじゃ。
継続的改善すると言え
5.2 トップマネジメントは、環境パフォーマンスを向上させるための環境マネジメントシステムの継続的改善をすると環境方針に盛り込め。
計画しろ
6.1.1 継続的改善を達成するために、関連するリスク及び機会を決定しろ。
資源を確保しろ
7.1 環境マネジメントシステムの継続的改善に必要な資源を明確にしてそれを用意しろ。
周知しろ
7.4.2 組織の管理下で働く人々に周知徹底し、継続的改善に貢献させるのじゃ。
結果の確認をするのだ
9.3 マネジメントレビューでは、継続的改善の機会を見逃すな。
フィードバックしろ
5.1 トップマネジメントは、方針に語った通り継続的改善を推進するために、リーダーシップを発揮したことを示せ。

イヤハヤとんでもなく上から目線で語っております。一般企業でなら取締役とか本部長であってもこれほど偉そうに語ったら反発喰らうでしょうね。しかしそんなこと頓着せずにISO14001は声高く命令するのです。
それほど自信があるなら、言うことを聞けばちゃんと継続的改善になるのでしょうか?
でもいくら読み返してもISO規格を満たせば継続的改善になるとは書いてない。書いてあるのは「継続的改善を進めよ」とモーゼのように指示するだけです。

ょっとまってくれよ十戒
モーゼの十戒はやらなければならないこと、やってはいけないことを神から示された。それはISOどころではない上から目線である。しかし、十戒を守れば神はパンと水を与え、病を除き幸せな日々を与えると語っている(出エジプト記23.23)。それはISOと違い、お互いギブアンドテイクでウィンウィンのまっとうな取引である。もっともそうでなければエホバの神に従うわけがない。

では継続的改善について、ISO14001が多々要求しているのはわかったが、我々には何を保証してくれるのだろう?
問題はそこである。求めよさらば与えられん、いや違った、権限を裏付けるのは責任であり、対価の見返りは価値の提供である。この世の中、一方だけが得をして他方が損するという取引はありえない。少なくても長期的には成り立たない。あるとすればそれは詐欺だ。

詐欺とは: 新刑法では詐欺とはという説明がないようです。旧刑法では次のようでした。
「人を欺罔(きぼう)し又は恐喝して財物若くは証書類を騙取(へんしゅ)したること」
ISO認証そのものが詐欺じゃないかなんて言ってはいけません(棒)

ISO14001は"継続的改善をせよ"、そのために"何をしろ、かにをしろ"と語っている。だがそこが問題である。規格に書いてあることをすれば継続的改善になるのだろうか?
規格で明記されている実施事項は
 ・継続的改善すると方針に盛り込む
 ・継続的改善に関わるリスクと機会を明確にする
 ・継続的改善のために必要な資源を用意しろ
 ・組織の人に継続的改善に協力させろ
 ・成果を把握し次の計画に盛り込め
ということだけである。上記だけで継続的改善がなしえると思うなら、頭の具合を医者に診てもらう必要がある。
良く読めばわかるがISO規格は継続的改善をしろと怒鳴るだけで、どうすればいいと語っていないし、ISO規格に書いてあることをすれば継続的改善ができるとも語っていない
「勉強しろ」と怒鳴るだけでなにもせずに、試験の結果が良ければ指導が良かった、結果が悪ければ生徒が努力しなかったからだという家庭教師がいれば即座に馘首するだろう。
そういえば細野真宏は、教えるとは大きな段差を生徒に合わせた階段を設け一段ずつ登らせることだと語っていた。
家庭教師に限らず教師たるものは生徒の力量とレベルを把握し、目標とするレベルに至らせる方法を計画し、その方法を教えて実行させ、結果として目標を達成しなければならない。それが提供するサービスであり対価はそれに見合ったものとなる。
継続的改善をしろというなら、その言うとおりにすれば達成できなければならない。

命令は実行可能でなければならない。

参考までに: 軍隊の指示には三種類あります。
 ・訓令:目的を伝えて、実施詳細は任せる方法
 ・命令:目的と、実施詳細を示して行わせる方法
 ・号令:実施詳細を示して行わせる方法
実はこれ、会社で部下に仕事を頼むときも同じです。相手が一人前であれば「こんな理由でこんな風にしたいのよ」といえば、具体的な方法とか日程などは自分で決めてやってくれるでしょう。修業中の者に頼むなら「こんな理由でこうしたいんだわ、そいで何をいついつまでやってくれ」となり、新入社員に頼むときは「これをいつまでにこのような処理をしてくれ」ってことになります。相手の能力より低いレベルの頼み方では不満を持たれますし、相手の力量以上の頼み方ではお手上げになる。どのように指示するかで上長(上官)の力量が分かります。

訓令となると裁量の余地が大きいから一概に実行可能かどうかが判定できないし、あるいは達成困難であっても司令官となれば受けざるを得ないだろう。

実行不可能な命令を出しても不可能だから達成できないのは当然で、その責任は命令者にある。継続的改善をしろと言い、そのためにこれこれをしろと言い、結果として継続的改善にならないなら、その原因はできもしないことが書いてあるISO規格だ。
不可能なんてない!なんておっしゃる人は幸せだ。ISO規格で要求したってリソースを確保できない企業はたくさんあるだろう。
ひょっとして、2015年版では「リソースが確保されてないから不適合だ」と言ってくれないだろうか?
そうすれば認証取り消しになっても、ホッとする企業担当者は一人二人ではないはずだ。

ともかくISO規格は継続的改善をしろとあるだけで、どうすればいいと語っていないし、ISO規格に書いてあることをすれば継続的改善ができるとも語っていない。となるとISO14001で語る「継続的改善」とはいったい何なのであろうか?
旧版で「パフォーマンスがあがらない」と耳にタコができるほどクレームを受けたためにとりあえずパフォーマンスの継続的改善をしろと入れてはみたものの、その方法なんて規格を作る人にわかるわけがない。いやISO規格に要求事項を付け加えても継続的改善が可能かどうかもわからない、まあとりあえず糊塗(こと:ごまかし)にはなるだろうという程度ではないのか?
でもさ、どう考えてもマネジメントシステムをいかにいじってもパフォーマンスがあがるはずがない。だってパフォーマンスはシステムだけでなく固有技術と組織の士気の従属変数なのだ。バカを何万人集めても優れた技術者一人にかなうはずがないし、意気地なしを1個師団集めても特殊部隊1個小隊にかなうはずがない。

成  果
固有技術管理技術士 気
矢印
ISO規格の守備範囲

飛行機 ゼロ戦がグラマンに劣勢になったからマネジメントシステムを改善して空戦に勝とうと考える人がいたら精神病院にいって香山リカ先生に診てもらうしかない。
あの先生では悪化すると言ってはいけない。
グラマンに勝つにはより良い性能の飛行機を作り、より優れた技量を持つパイロットを育成するしかない。もちろん戦い方を個々から編隊戦、巴戦から一撃離脱とか方法を変えるのはある。それはマネジメントシステムかもしれない。ともかくマネジメントシステムだけでは勝てないのだ。

だからマネジメントシステム規格でパフォーマンス向上を語るのは筋違いも甚だしい。MS規格では2004年版と同じく「(継続的改善とは)マネジメントシステムを向上させる繰り返しのプロセス」と定義しておけばよかっただろう。
それでパフォーマンスが上がらないと言われたら、これはマネジメントシステム規格ですと言い張るしかない。だって車屋に車を買いに来た人に、道路が悪いから乗り心地が悪いと文句を言われているようなものだ。

要するにMS規格で継続的改善というならば、規格の守備範囲に限定しなければならず、パフォーマンスと言ってもそれが一般人が想定するパフォーマンスではないということを明確にしなくちゃならない。
おっと、一般人が期待するパフォーマンスでないならばそもそも意味がないだろうが、それはそれでしょうがない。
そこんところをはっきりさせないと、継続的改善は虹のごとく追っても追っても、たどり着けない。スティビーワンダーはover the rainbow♪と歌ったが、理屈からいって虹を超えることはできない。
言い換えればマネジメントシステム規格がパフォーマンス向上などと言い出すのは、もはや治療薬がなくモルヒネを与えるしかない末期症状なのだろう。

うそ800 本日の慚愧ざんき
私は20年間ISOで飯を食ってきた。引退してから早5年、振り返るとISOというものはまったくの無価値だと思える。私が悪事を働いてきたつもりはないけど社会に貢献してこなかったことも間違いない。いっときでもISOは素晴らしい、価値がある、と思ったことは私の黒歴史である。
今ISOに関わっている人たち、審査員、コンサル、企業の人たち、研修機関、認定機関、その他すべての人たちは、ISOなんてものを離れて真に顧客満足あるいは遵法と汚染の予防に努めるべきだ。そしてより良い明日を創ってほしい。
継続的改善をせよと語るだけの無力なものをありがたがってはいけない。ISO規格と認証制度は悪しき宗教に過ぎない。
2年前に考えたことから進歩がなかったでしょうか? それとも少しは進歩したでしょうか。



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