認証の近未来(その6)

17.03.20
本日はタイトルが違うが、前回の続きというか下の句である。

我々は仕事であろうと生活であろうと、日々状況の変化に合わせて対応を変えなければならないのは当たり前である。雨になれば買い物の途中でも家に帰って洗濯物を取り込むとか、コンペティターから新製品が出ればウチの新製品の販売計画を変える、そんなことだ。
そういうとき、状況が変わっても頑固にこれでいく!と叫んだところでうまくいくはずがない。柔軟な考え、臨機応変な対応が必要だ。
そしてどのような判断をしようと、その結果責任はすべて己にあるということを忘れてはならない。それは他人に対する仁義というか責任もあるし、今後そのような事態に陥ったとき今よりもベターな対応をするために自分自身に対する意味もある。まさに「わが罪は常に我が前にある」のである。同時にそれは自分に決定権、裁量権があることでありすばらしいことじゃないか、
三四郎と言えば川中さんお元気だろうか?

さて、過去何年もの間、市場規模が毎年 3%から4%シュリンクしているとする。一社の売上ではない、市場全体の規模である。毎年3% 7年連続で減少したら0.97^7で8割に減る。その状況において、何も手を打たない経営者がいたら経営者の椅子から追い出したいところだ。
もちろん考えなければならないことはあまたある。市場がシュリンクしているのはなぜかを把握しなければならない。代替品が現れたのか、消費者の嗜好が変わったのか、環境が変わり商品のメリット・効用がなくなったのか、などなど
そのときこの事業はヤーメタと放り出すのもありかもしれない。しかし通常は雇用している人への責任、株主への責任、社会への責任、自分自身が食べていくために、その事業を撤退するとしても企業は継続していかなければならない。持てるリソースを活用し新分野への進出を図らなければならない。企業はゴーイングコンサーンである。
もちろんそれだけではない。いくら市場がシュリンクしていてもその中で他社よりシエアを拡大しよう、損益を良くしようという努力も必要だ。そして少しでも同業他社よりも製品品質だけでなく、コスト、納期、社員の振る舞いなどを見直し、他社に差別化するべきである。ましてや過去から批判を受けていたなら速やかに是正を図り市場の評価を良くしなければならない。

さて我が愛しきISOの話をしよう。ISO9001は2006年をピークに、ISO14001は2009年をピークに毎年3%前後減少してきた。そして今も減り続けている。

ISO認証件数推移

経営者であるあなたは、どのような行動をとっているのであろうか?
少なくても審査でお邪魔した企業ではリスクと機会を論じ、人様のビジネスを論評しているあなたのこと、きっと満足できる完璧なプランをお持ちであるに違いない。そのプランを実行すればISO認証ビジネスは減少を止め拡大基調に戻れるだろう(タブン)。いや拡大できないかもしれないが、適正な終戦処理を行えるだろうし次なる事業もしっかりと構築できるに違いない。なにしろマネジメントシステムの採用は、パフォーマンスを改善し持続可能な発展への取組みのための安定した基盤を提供する(ISO9001:2015序文)」のだから。そうでなければISO認証が役に立たないことがバレてしまう。

あるいはもっとありがちなことだが、毎年市場がシュリンクしているのは提供するサービス、つまりISO認証そのものが時代遅れになったからではなく、自分たちが提供しているサービスの質が悪く市場の期待に応えていないという可能性もある。市場の期待に応えていないとはすなわち顧客満足を得ていないということだ。競合するものがなくても、顧客満足を得ていないなら需要が減ることは当然だ。

理容店 近隣にお店がないとき、愛想が悪いお店あるいは腕が悪い理容店がはやるかと言えばそうとは言い切れない。客はその店で買うことと、遠くまで行くハードルを比較するだろう。
遠くまで行くハードルが高ければ近隣の気に入らない店を使うことを選び、ハードルが低ければその地域に店あるいは理容店が存在しないということになる。

前回述べたがISO認証ビジネスは制度外にリスクはないようだ。競争相手がいないのに、また代替品がないのに、商売が下り坂というなら、問題は己自身にあるように思える。ISO認証制度のリスクは制度内部にあったと思われる。まず問題の認識が甘い、リスクへの対応プラン、実施という側面が弱かったのではないか。いかなるビジネスもライフサイクルがあるが、新製品が現れたわけでもないのにISO認証ビジネスが末期だなんてことはありえない。

ISO17021をながめるとISO認証ビジネスのリスクということについては、4.2公共性という項でくどいほど述べている。そこで認証の依頼者は企業(または企業の経営者)であり、公平性に対する脅威であること、自らがコンサルした企業を審査することなどをあげている。
後者は21世紀になってからコンサルした企業を自らは審査できないなど形式上も対応されている。前者についてはどうだろうか。企業側から見て己が審査側に圧力をかけることができると考えているところはまずないだろう。せいぜいが認証機関を変えることくらいしかとる手がないのが実情だろう。だが気に入らない購買先を変更することは自由競争社会では当然のことであり、脅威なんていうのは間違いだ。そして日本の認証の過半が業界系認証機関であることを鑑みれば、企業にとって鞍替えはたやすいことではない。
ということでISO17021が1項を設けて論じるほど脅威であるとは言えない。
だが、不適合を通してもらおうとか手抜き審査をしてもらおうという観点では脅威となってはいないと考えるが、そうでない観点において企業は審査に対して信頼性を失い、あるいは審査そのものに嫌気をさすことはある。それはどんなことだろうか?

まず、ISO認証ビジネスにおいて適正なサービスつまり適正な審査を提供しないことが考えらえる。ISO審査とは、ISO規格要求を企業が満たしているかいないかを判定することである。審査においては規格の正しい理解と審査基準が規格に基づいていることが必要である。規格の理解、審査基準の的確さが提供する審査サービスの品質の大きな要素である。
では審査員が規格を正しく理解しているかということになると、どうか?
過去よりおかしな審査、根拠のない審査基準、規格にない要求事項などなど、それこそあふれるほどある。
環境側面が点数だと言ったのは昔のことだとか、環境目的の実施計画を求めたのは20世紀だと語るかもしれない。だが問題は解決していない。それどころか新たな有益な環境側面なるものをを要求する認証審査員もいるし、それを要求しない認証審査員を咎める認○審査員を目撃した企業担当者もいる。

実を言って2015年改定後にどんな学説(?)が現れるのか楽しみにしているのだ。
きっとトンデモ解釈とか抱腹絶倒の理屈を語る審査員、認証機関が出てくるだろう。
楽しみである 

要するに規格通りの審査基準でなく、ISO17021に定める通りの審査でないISO認証サービスを提供することがリスクではないのか。表現が適正でないかもしれない。規格通りでない認証サービスを提供する恐れがあることがリスクであると言おう。
規格解釈なんて概念自体がおかしなことで、審査とは規格に書いてあるshallを満たしているか否かでしかない。そして適合・不適合は主観を入れず、他社の事例とか審査員の経験に囚われず、文字解釈で素直に愚直にしてくれればよいのである。それが認証サービスの品質だろう。
ISO規格通りであるよりも、当認証機関は高いレベルの審査を行いますなんてのは、当認証機関は規格通りの審査ができません、思い付きの独りよがりの審査をしますという宣言である。
ISO認証機関・審査員はISO規格に書いてあることそのままに、あっている、あっていないを判定してくれれば良く、それ以上のことをすることはない。そして認定機関は、認証機関・審査員が余計なことをしないように監督しなければならない。 だが現実に有益な環境側面を唱える人がいること、そういう人が大御所だということ、それこそISO認証が信用できない証拠である。
JABアワードの選考理由が「生産性向上、不良削減、市場クレームに対応」であることに疑問をもつのは私だけなのだろうか? 生産性あるいは品質の観点ならそれはまっとうだろう。だが適合性認証という制度において、そういう評価は不適当だと私は考える。
さらに言えば適合性認証制度において表彰制度というものがあるべきなのか、必要なのか疑問だ。表彰とは順位をつけるということであり、適合性とちょっと趣旨が違うのではないか。
認証制度関係者は、ISO認証しても品質が良くならないとか、認証しても良くなったのは文書管理だけと言われても、ISO認証の意味、提供するサービスを正しく説明するのみで泰然自若としていなければなりません。

うそ800 本日のまとめ
私の論が矛盾しているとおっしゃるかもしれない。
「ISO認証してよくなったのは文書管理だけ」と言われたと以前私は書いた。
「良くなったのは文書管理だけ」と言われても泰然自若としていろとここで書いた。
お前は何を考えているのかとツッコミがあろう。
言いたいことは、ISO認証制度は己が提供するサービスをよく理解し、そのサービスを良い品質で提供する義務があるということだ。そしてサービスのあるべき姿を提供せずに、世の中のコメントを受けてあるべき姿でないものを提供してはいけないということだ。
ではISO認証とは何かをしっかりと説明して、正しい認証サービスを提供すれば、それでISO認証ビジネスを興隆させることができるかとなると、それはわからない。
なぜならそもそもISO認証というサービスの需要があるかどうかはまた別物だから
再確認しておこう。
ISO規格あるいはISO規格に基づくマネジメントシステムというものは、品質改善や売り上げ増加に結び付くものではない。あくまでも顧客満足や遵法や汚染の予防のための活動の仕組みを提供するだけであり、実際に品質改善や事故防止が可能になるのかはISO規格だけでなく固有技術や参画する人々の意識が必要だ。認証すれば会社が良くなるという人は詐欺師である。
ISO認証制度側も企業側もそれを理解して、それ以上を求めるものではない。
となるとISO序文マネジメントシステムの採用は、パフォーマンスを改善し持続可能な発展への取組みのための安定した基盤を提供するというのは真っ赤なウソのようだ。せいぜいが基盤の3分の一を提供するだろう。


某様からお便りを頂きました(2017.03.22)
実を言いましてかなり根本的なことであり、かつ頂いたご意見についてやり取りしましたので、要旨をここに記載します。
上記本文を読まれて疑義を持たれた方もいらっしゃると思いますので、私の論理に瑕疵というか欠落があったことをお詫びします。
ただ単なる誤字ではなく全体に関わることであり、一旦書いたものはいじらずにここで解説を追加するものとします。
序文では以下のとおりである。
品質マネジメントシステムの採用は、パフォーマンス全体を改善し、持続可能な発展への取り組みのための安定した基盤を提供するのに役立ち得る、組織の戦略上の決定である。
The adoption of a quality management system is a strategic decision for an organization that can help to improvement its overall performance and provide a sound basis for sustainable development initiatives.
上記は、「品質マネジメントシステムの採用は、組織の戦略上の決定である。」が主文で、「安定した基盤と提供する」のを助けることができる」ぐらいしか言っていないのかなと思います。
しかも、英文でいえば、can help toの主語はa strategic decisionにも見えるので、さらにISOのかかわりは消極的です。主体はorganaizationだと思います。
審査員の立場から言えば、ISO9001を金科玉条で考えることは間違いで、組織がISO9001を採用した意図に従って理解を進め、ISO9001の記載に該当するところだけ見ればよいはずです。
よって結果としての論は間違いではないが、序文の引用と論理において適切ではないと考える。

ご教示ありがとうございます。
おっしゃるように暴論というか、いささか論理が強引ですね。
そして正直言えば同じ序文の数行下に、「この規格で規定する品質マネジメントシステム要求事項は、製品及びサービスに関する要求事項を補完するものである」とありますから、私が不正直と言われそうです。すみません。
ただ現実の審査員の多くは(あなた様を除いて)マネジメントシステムがあれば可能なりと信じているようですから、そもそもISO規格は品質保証のすべてをサポートしていないことに気が付いていないのかもしれません。
なお、ここで述べたことを訂正と補完する意味で審査員物語 番外編62 木村物語(その16)を書きましたのでご一読願います。
こちらではそのあたりを注意したつもりです。


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