異世界審査員135.満州その1

18.12.03

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

満州事変について現代の中学校の歴史教科書では10行も書いてない。私は中学校で教えてもらった記憶はない。その代わりにオヤジからよく聞かされた。明治末生まれのオヤジは、満州事変に従軍したといって、縦横8センチくらいのセピアの写真を数枚持っていた。向こう独特の建物の写真とか、まだ母と結婚していない若いオヤジが軍服を着てにこやかに立っている姿とかが写っていた。戦闘時の写真はもちろんない。
空薬莢
使用済みの薬莢に、柘植を
埋込みハンコにしてあった
ただ私はオヤジの年齢から考えて満州事変そのものではなく、その後の治安維持とかではないかと思う。どう考えても満州事変に従軍したとは思えない。

写真の他に記念に持ち帰った空薬莢や水筒などがあった。水筒はぶつけたりすると凹んだり変形するが、中に水を入れて一晩おくと、凍って元の形に治るんだという。私は水筒の水が全部凍ったのを見たことがなく、本当に元の形になるのか信じられなかった。
空薬莢には空洞部に柘植の木を差し込んでハンコにしてあった。戦友にそういうのが得意な人がいて、みんなに作ってくれたという。
満州事変は1個師団1万数千で戦死者百数十名、第二次大戦に比べればのどかで、従軍した人たちも自分が死ぬとは思わなかったのだろう。

オヤジが死んだとき、母が下の姉と暮らすと言って遺品を全部持って行った。その後 母も亡くなり下の姉も亡くなり写真などがどうなったのか義兄も分からない。オヤジの若い時の写真を一枚もらっておけばよかったと、ちょっと残念だ。上の姉も形見ひとつもらえず、下の姉を恨んでいる。下の姉も早々と死ぬとは思っていなかっただろうから、そこまで言っては酷な話だ。

歳をとってから満州事変に興味を持っていろいろ読んでいるが、石原莞爾一人が決断して行った可能性は100%なさそうだ。あれだけのことをして、石原はその後たいして出世していない。あげく東条英機との勢力争いに破れ、軍を追放されてしまう。石原は天才だったろうが、策士とか悪者に思えない。
となると満州国のすじがきを描いた誰かの命令でやったと思う。いずれにしてもああなる前にテロとかもめ事が多々あったので、満州事変は起こるべくして起きたという気がする。そして石原莞爾がいなくても別の人が同じことをしただろう。

そういう独断専行をさせない(許さないでなく)ためには、政治家がもっと先見の明がありまた戦略的外交ができなければならないだろう。政治家がアホだから軍部が暴走する。そしてマスコミも煽るのでなく、真実を通し、あるべき姿を一般人に分かりやすく示すことができなければならないと思う。それができない政治家やマスコミは存在してはならない。現実にはそんなのばっかだけど、
日本が防衛力強化しようと予算を提出したら「中国の許しを得たのか?」と政府に質問した民主党代表 岡田克也のような者もいるし、従軍慰安婦が存在したとする証拠が否定されたら「広義の強制連行はあった」と嘘を重ねる朝日新聞もある。そういう輩をゴミの日に出したい。

1927年3月某日

石原はホッブス大佐たちとあれから定期的に会談している。

ホッブス大佐
「以前、石原さんは1個師団で満州を抑えられると言ったね。しかし陸軍で検討したところ、クーデターが1個師団で成功する可能性はないという」
石原莞爾
「裏付けのないことは言いませんよ。しっかりした段取りと決断力のある指揮官がいれば十分です」
阿部中佐
「石原さん、私は単なる護衛ですが、発言させてもらいます。石原さんの見解が扶桑国の参謀レベルの考えと思われると恥ですから。
私個人の意見ですが、満州がそんなに簡単に抑えられるとは思わない。アメリカは今世紀初め、フィリピン制圧に12万の兵士を投入し、鎮圧するまでに一般フィリピン人を61万殺害し、兵士が4500人戦死した。それが普通の植民地戦争でしょう。ピサロがインカ帝国を征服したのを当然と思われても困りますよ。
フィリビンの面積は30万km2で人口は360万です。それに対して満州の面積は145万km2で人口は3,000万人です。制圧するのがいかに困難か分かりますか?(注1)

グリーン少佐
「フィリビンのことを考えると、参謀本部に検討させるまでもなかったな」
ホッブス大佐
「確かにフィリピンの面積と人口から計算すれば100万の兵力が必要となり、あげくに兵士が4万も戦死する。そういう意見を出せばこの作戦は放棄されるな」
石原莞爾
「一見不可能なことだからこそ、やるんじゃないか」
ホッブス大佐
「石原さんは作戦が頭の中にあるのか?」
石原莞爾
「もちろん」
ホッブス大佐
「どういう作戦なのか、おしえてもらいたい」
石原莞爾
「ただってわけにはいきませんよ。授業料は頂かないと、」
ホッブス大佐
「実行するならいつ頃だろう?」
石原莞爾
「そもそも満州が必要なのは土地を失った農民に与えるためじゃないの? それなら貴国が恐慌から脱出するプラン次第だ」
ホッブス大佐
「となると1年の猶予がある。兵力は一度にでなく、少しずつ増強していけばよいのだな」
石原莞爾
「季節もある。冬季は作戦行動が取れない。春から秋、遅くてもせいぜい9月頃までだろう」
グリーン少佐
「ということはチャンスは2回しかない」
ホッブス大佐
「懸念はソ連だが、我々の軍事行動に対抗してなにかするだろうか?」
石原莞爾
「すぐには動けないだろう。それにこの作戦でドンパチするのか、戦闘にならないで済むかで違う。無血クーデターならソ連が動く口実がない。
ただスパイの侵入はかなりあり、彼らによる破壊工作や扇動もある。ソ連は満州がどこの領土であってもいつかは侵略してくるだろう」
ホッブス大佐
「いつごろ?」
石原莞爾
「欧州でドイツとオーストリアが落ち着かないと、ソ連も東側に手が回らないでしょうね。それに今回の恐慌で欧州がどうなるかもある」
ホッブス大佐
「あと10年はあるか」
石原莞爾
「そんなにはかからならないだろう、1933年か34年頃と思う」
ホッブス大佐
「6年後か、すごいね、そこまで細かく言えるとは。
しかし確か君の小説では1920年代末にノモンハンの戦争が始まったな」
石原莞爾
「予言がはずれましたか。言い訳させてもらうと、欧州大戦後の復興と経済不況が私が予想したより早かった。その結果次の戦争が早まりそうだ」
ホッブス大佐
「満州がきっかけになって、欧州でも再び戦争になるのか?」
石原莞爾
「満州でアメリカとソ連が戦うとして、その戦争の重要性は全く異なる。アメリカにとっては遠い植民地の争奪戦にすぎず、万が一失っても入植者を数十万人を引き上げるだけだ。
しかしソ連が負ければ世界最初にして唯一の共産主義政権が倒れる。政権交代じゃなくて国家崩壊だ。彼らは全力を投じて戦うだろう」
ホッブス大佐
「我々も覚悟して戦わなければならないということだな。しかしそうなれば必然的に欧州にも波及するだろう」
石原莞爾
「既にイギリスもフランスもドイツと賠償の支払いでもめている。恐慌が欧州に広がればドイツは賠償を払うどころではなくなる(注2)
ドイツは今後政治的に混迷するだろう。最終的に共産党かナチスのどちらが政権を取るかで誰と戦争するのか決まるのではないか」
ホッブス大佐
「いずれにしてもアメリカとソ連が接していると問題だから、傀儡でも満州は独立国にしておく意味は大きいな」
石原莞爾
「列強の間に緩衝国を置くのは常套手段です。トップも議会も現地人の方がいい」
ホッブス大佐
「話は戻るが、1個師団を目立たないように移動する方法はあるかね?」
石原莞爾
「経営コンサルタントだってただじゃないでしょう。軍事コンサルタントも有料ですよ。私は善意でここに来ているだけだ」
コール
グリーン少佐
「謝礼は別途考えております」
ホッブス大佐
「ブラフでないことを確認しないとね」
石原莞爾
「一案を言えばフィリピンの治安維持という名目なら兵員を1万や2万増強して問題ないだろう(注3)フィリピンからウラジオストクあるいは遼東半島なら3000キロ、船で1週間だ。トラック部隊なら港から満州のどこでも2日以内に到達できる。
もっと簡単に、フィリビンに行く素振りを見せて直接満州に行く手もある」

注:
この世界ではウラジオストクは米英の共同統治、遼東半島はアメリカ統治となっている。

ホッブス大佐
「君は学者なのか軍人なのか政治家なのかわからんな」
石原莞爾
「初めは軍人、次は行政官で、今は研究者だ」
グリーン少佐
「スフィンクスの謎のようだ」
ホッブス大佐
「次は司令官にしてやるよ。まじめな話、司令官は無理として参謀に雇いたい」
石原莞爾
「ホッブス大佐、それは魅力的ですね」
阿部中佐
「石原さん!」
ホッブス大佐
「阿部中佐は石原さんの護衛と言ったが、本当は石原さんの部下いや上官なのか」
石原莞爾
「安倍中佐の仕事は、ホッブス大佐が私を拉致するのを防ぐため、そして私が心変わりをしないための監視です」
阿部中佐
「アハハハハ」
石原莞爾
「一度軍人になると、大軍を動かす魅力に囚われてしまうのですよ」
阿部中佐
「確かに、駐在武官より3,000人を指揮した方が楽しいですね」
ホッブス大佐
「阿部中佐と石原さんを一緒に戦争省(陸軍省)で雇おうか」
阿部中佐
「軍人には国への忠誠心があります」
石原莞爾
「扶桑国と戦うのでなければ、ホッブス大佐の手伝いをしてみたいな」
ホッブス大佐
「石原さんを指揮官とか参謀にするのは難しいが、政府の正規な顧問とすることは問題ない。その身分なら貴国でも支障ないだろう」
石原莞爾
「しかしワシントンで作戦を立てるのは、砲声を聞きながら指揮するのと違い、興奮しませんね」



1927年3月 神戸 川西飛行機

昨年10月頃、これから起こるであろう満州の戦争に備えて、超長距離を飛べる哨戒機が必要となり、関東大震災のとき使われた哨戒機の改良が計画された。そこで川西飛行機と軍が検討した結果、改良ではなく新規開発をすることになった。まあ、そこまでは伊丹には縁のない話である。

新規開発のため、いくつもの部品や材料の開発が必要となり、そのための知識や開発管理に伊丹の協力が求められたのだ。伊丹が中野にその話を聞いて、もし伊丹が新世界技術事務所に勤務していたら、たいそう工藤が喜んだろうと思う。この仕事に伊丹を一日派遣するだけで、大学卒業者の月給くらいになる。
しかし今は政府機関の職員であるから、命令を受けて出張し仕事をこなすだけである。省庁間では費用の取勘(付替)があるのだろうが、伊丹は出張手当が入るだけだ。伊丹にとっては出張手当よりも、朝夕 幸子とご飯を一緒に食べられる方がいい。
そもかくそういうわけで、伊丹は昨年から何度も飛行艇の開発のため神戸の川西飛行機に来ていた。

哨戒機 新規開発が必要となるものは多数の項目になり、それぞれの方向性を考え、関係者、下請けを集めて、その説明と開発計画を立てるのに時間がかかった。
さて一応走り出すと、次は開発管理と製造体制となるわけだが、当然 現在では官公庁の調達品はすべて品質保証を要求する。ところが川西社長は品質保証を理解しない。そしてそんなもの必要ないと言い出してきかない。

それで今回は黒田(元准尉)を連れて来た。黒田は砲兵工廠を退職して内務省の職員になり第三者認証の審査員研修機関で働いている。第三者認証制度も順調に動くようになり、黒田は自分の存在意義に疑問を感じている。というよりも砲兵工廠のときと違い、仕事に創意工夫を凝らす余地がなく、やりがいがないのだ。
伊丹は脇から見ていてそれを感じたので、中野に政策研究所で黒田を採用してもらえないかと進言した。それを聞いた中野は、そろそろ皇帝が代わるだろうから自分は新しい皇帝直下の顧問になり、伊丹に研究所長をしてほしいという。
それを受けて伊丹は黒田に近々研究所に異動してもらうと話をしている。黒田も願ったりと喜んでいる。 ということで今回はその仕事の先取りである。

本日はなんとしても川西飛行機で品質保証をしてもらおうと、川西社長対 伊丹と黒田の話し合いである。

伊丹
「前にもお話しましたが、新機種開発から製造に当たっては品質保証を実施していただきます」
川西清兵衛
「それが問題じゃて、内務省の品質保証体制の要求というのを社内で検討したのだ。各部門からバカバカしい、そんなことをする意味がないという声ばかりだ。
一番は設計検証とか妥当性確認とか、試行錯誤で開発をしている我々には合わないんじゃ
あれは形式じゃろう、ワシが作った飛行機は保証付きじゃ」
伊丹
「出来上がった飛行機が信頼できるかどうか、我々は設計過程、製造過程を確認するしかありません。根拠なく信じるわけにはいかないのです」
川西清兵衛
「以前 新しい飛行艇開発に1年半と申したが、品質保証にある杓子定規、繁文縟礼の管理をして記録を作れとなると、余計な仕事ばかりが増えて、開発期間が2年とか2年半に伸びるぞ」
伊丹
「管理をしっかりしてもらって1年半で仕上げてもらいたい。
とはいえ、いくら私が口を酸っぱくしてお願いしても川西社長がしてくれないのは分かったから、この黒田さんが駐在して、川西飛行機の開発から製造までの品質保証体制を構築することにした」
川西清兵衛
「いやいや、ここは我々の流儀でさせてもらう」
伊丹
「軍の飛行機開発と製造管理について黒田さんの指揮命令に従ってもらう。これは命令だ」
黒田
「この工場に品質保証体制を確立します。ご協力お願いします」

川西社長は面白くない顔をして横を向いた。



1927年4月 政策研究所

中野、伊丹、内務省の海老沢、そして工藤がいる。

海老沢
「アメリカ大使館から品質保証の第三者認証の調査団を我が国に送りたいという話が来ている。手紙によれば我が国が過去10数年間の技術力向上が顕著なこと、そして関東大震災以降景気後退もなくしのいだのも工業技術の大きな発展によること。そして近年採用した第三者認証制度が大きな役割を果たしたことと理解している。
ついては技術向上のための施策と第三者認証制度について視察団を送りたい。対応をお願いしたいということです」
工藤社長
「アメリカでも経済立て直しのために第三者認証制度を作るのですか」
海老沢
「そのようです。第三者認証の価値は、我が国より外国で評価されているようです」
中野
「昔は中国に留学生を派遣したし、過去70年間はアメリカや欧州に、憲法、技術、政治、裁判制度、軍制、学校、なんでもかんでも学ぼうと視察団を派遣してきた。だけどよその国から視察団が来るというのは、史上初めてじゃないか、感動というか驚きだ」

注:
これは正確ではない。例えば明治時代には中国から大勢の留学生が日本に来た。つっこまれないために書いておく。

海老沢
「正直言いまして、うれしいというより困ったと感じております。というのは我が国の力の源泉の秘密を暴露してしまうわけですからね」
工藤社長
「第三者認証制度が工業発展の源泉といわれるといささか納得できません。言わせてもらえば第三者認証よりも、我々が行ってきた地道な技術や技能の底上げのほうが、貢献した割合は大きいと思いますよ」
中野
「本当のことは言わなくて、相手が知りたいことを教えればいいじゃないか。向こうも満足、こちらも安心だ」
海老沢
「ともかく、視察団の受け入れ態勢を決めなければなりません。先方の希望は8月とあります。派遣されてくる人の多くが大学の先生ですから夏休みを利用するようです。
えっと、見学するコース、まずは主だった工場見学もあるでしょう。それと本題である、第三者認証の仕組み説明とか認証会社見学、審査員研修機関見学もあるでしょうし、過去の問題の対策状況なんてものあると思います」
工藤社長
「海老沢さん、それでしたら中野さんまで巻き込むことはないでしょう。まず私が概要を企画しますから、それを基に審議会で検討していただくことでいかがですか。」
海老沢
「お願いできますか、よろしくお願いします。
それから通訳とかも手配が必要かと思います」
工藤社長
「まずはドロシーさんがいますし、それに伊丹さんも奥様も英語はたっしゃです。派遣団が10名規模なら通訳は間に合うでしょう」
伊丹
「まず見せて良いもの悪いものを決める必要がありますね。砲兵工廠は軍事技術ですからまずいでしょうし、半蔵時計店も計測器は良くても信管製造はダメでしょうし」
工藤社長
「辺見計算尺などはどうでしょう」
海老沢
「計算尺ですか? ええと技術的には隠すことはないでしょうけど、あれは我が国の産業発展に、いかなる貢献をしたのですか?」
工藤社長
「しっかりしてくださいよ。工場で品質保証をするには品質管理をしているレベルでなければなりません。そして品質管理には測定と測定結果の数値の処理が必須です。
平均値、標準偏差、QC7つ道具を使うには掛け算・割り算・開平と言った計算が必須です。計算尺なしに品質保証は不可能です」

計算尺
海老沢
「えっ、それじゃ計算尺は秘密扱いせねば・・・・」
工藤社長
「いやいや、対数は17世紀初めにイギリスのネピアが考えたもので、それを物差しに目盛って掛け算を足し算、割り算を引き算でできるようにした計算尺も欧州では17世紀末から製造販売されていたといいます。明治維新以降、我が国の欧米視察者が向こうの計算尺を持ち帰っています」
海老沢
「ふーん、それじゃ逆に見せる意味がない」
工藤社長
「いやいや、この国の高温多湿では欧州の計算尺は狂ってしまうので、工夫を重ねて孟宗竹を使って実用化したのです。そして欧州のものよりもはるかに精度が高く、それは計算結果もより正確だということです」
中野
「計算尺は輸出しているのか?」
工藤社長
「既に何年も前からしております。ただ、ほんとうにわずかなのです。こういった使節団に見せて大量に輸出できればうれしいことです」
中野
「それじゃ、品質保証の必須ツールとして売り込んでくれ、海老沢君」

うそ800 本日思うこと
レイ・クラインの国力方程式というのがある(注4)

国力={(人口+領土)+経済力+軍事力}×(国家戦略+国家の意志)

右辺の第一項はハードのリソースだが、それに第二項のソフト的・精神的なものをかけたものが国力だという。私もそう思う。
国家の尊厳とか継続する力というのは軍事力だけでなく、国力と国民の意志が大きな要素だ。日本のGNPが中国に追い越されたのは2010年頃。そのころから日本人は弱気になったのかな?
日本が中国に負けないためには、開発や製造技術や文化などの向上を図ることもあるが、同時に自分たちは世界一になるのだという意思がなければ、掛け算したものが大きくなるわけがない。
「二番じゃだめですか」と語った"蓮舫"、「敵が攻めてきたら逃げる」と語った"辻元清美"、「奴隷になってもいいから戦わない」と語った"やくみつる"のような考えでは国がもちません。

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注1
南ベトナムを思い出してほしい。
面積17万km2、人口1900万人の南ベトナムに、1968年にはアメリカ兵54万人が展開していた。もしろん南ベトナム軍もいたし、韓国軍も、その他の国からの兵士もいた。だがゲリラを抑えることはできなかった。
ベトナムは亜熱帯のジャングルでゲリラ戦に向いていたとか、地続きの中国や北朝鮮が多大な支援をしていたなど非対称戦に有利な状況ではあったが、それにしても一国を制圧することは簡単ではない。

注2
史実でドイツが第一次世界大戦の賠償支払い停止を宣言したのは1931年である。1929年の大恐慌があっては当然だろう。しかしそれはイギリスやフランスが連鎖倒産するということであり、大恐慌が増幅されアメリカにフィードバックされるということを意味する。フーバー大統領はアメリカへの債務支払いを1年猶予することにした。
しかし結局その対策は、ドイツでもアメリカでも批准されず、1933年にはナチスが政権を取る。
結局、第二次大戦の芽は第一次大戦後の政治的・経済的な後始末がしっかりされなかったことなんだろうなあ〜

注3
1927年時点、フィリピンはアメリカの植民地である。1915年までに抵抗勢力は平定されたが、1920年代末には経済の悪化で困窮化した小作農・都市労働者による共産党系の人民戦線が成立して政情不安だった。

注4
レイ・クラインとはアメリカの歴史学博士でCIA分析官。第二次大戦から1970年頃までアメリカの国際情報の分析を担当していた。
磐梯吾妻レイクラインのlake lineではなく、Ray Clineである。なお「クラインの壺」を考えたのはドイツの数学者フェリックス・クライン(Felix Klein)で別人である。


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