*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
この世界の青島攻撃もトントンと進んだ。特記すべきことはない。 欧州で戦いが始まるより早い8月初め、ドイツ東洋艦隊は山東半島を出ていた。あちらの世界と異なり、こちらはバラバラでなく艦隊を組み陸軍の将兵を載せた輸送船を伴い一路南下した。 ドイツ艦隊のはるかかなたを扶桑国の駆逐艦が並走している。五月蠅いので追い払いたいが扶桑国は公海上であるし現時点中立国だからどうしようもない。 8月4日イギリスがドイツに宣戦布告したとき、艦隊は台湾沖を航行中であったが、まだ中立を保っていた扶桑国の駆逐艦は付いてきていた。 ●
8月10日、ブルネイ沖合に艦隊は到達した。港から歩いて数分の高台にあるイギリス駐屯基地から沖合のドイツ東洋艦隊が見えた。大規模ではないが、巡洋艦、駆逐艦、輸送船など10数隻がいる。● ● ドイツ東洋艦隊の駆逐艦一隻がブルネイのムアラ港に入港してイギリス軍に通知書を手渡した。それは降伏を勧める文書で、24時間以内に降伏しない場合攻撃するとあった。 ブルネイのイギリス駐屯軍は扶桑国の駆逐艦の情報を扶桑国から本国を経由して受け取っており、ブルネイを攻略するかもしれないという想定はしていた。 ドイツ東洋艦隊は非力とは言え軽巡洋艦6隻の他、駆逐艦、輸送船多数である。艦砲射撃をされたらイギリス軍だけでなく港町も原住民も全滅だ。イギリスの指揮官アレキサンダー大佐は考えるまでもなく降伏を選んだ。 電信でシンガポールの司令部に降伏の許可を求めた。長い返事の要旨は最大限頑張ってほしいが、敵勢力が5倍を超えるなら無抵抗で降伏しても良いとある。 なにしろここには歩兵800名しかいない。持っている大砲は口径7センチのおもちゃのようなものが数門あるだけ。あとは小銃とサーベルだ。 まさか800名もの兵士をどこかに連れて行くということはないだろう。ここに抑留されてもせいぜい半年と思う。当時の戦争は長くても1年程度だ。この戦争が4年も続くとはそのとき大佐は考えもしない。 但し国王の面倒は見なければならない。隣国マレーもイギリスの保護国だ。とりあえずここから脱出させて、そこを経由して中立国に亡命してもらおう。大佐は部下に重要書類の処分、武装解除の手はずなどを指示して、宮廷というか国王が住んでいる住居まで何台も車を連ねて急がせる。 国王はイギリスの保護条約がどうのこうのと反論するが、アレキサンダーは王族を集めさせ数台の車に押し込む。王族の証明と金めのものを持たせる。大きくはないがこの立派な王宮はドイツ兵の宿舎になってしまうのだろうと大佐も残念だ。 部下が運転する車列を見送ってから、司令部に戻り降伏の準備状況を確認する。 かくて翌日、またやってきた駆逐艦に降伏の回答と調印を行った。 原住民に取り囲まれて調印式を行ったのは辛い。これでイギリスの権威は地に落ちたと思う。もちろんドイツ軍の意図はまさにそれだろう。イギリスがここを保護領という名の植民地にしていられたのは、未開部族からの保護と外国の侵略から防衛する約束をしていたからだ。それが口だけで実行できないとなれば、今後ここの人々から背を向けられるのはやむを得ない。 第一次大戦前の戦争は国家の存亡をかけて戦うなんてことはなく、小競り合いで優劣が決まれば停戦・講和となり、その結果お金と土地のやり取りはあっても国王が変わるとか政府が転覆なんてことはない。今回もそうなるだろうと思うのは人情だ。 この戦争でイギリスが勝てばブルネイはイギリス領(形式は保護領だが)のままだし、イギリスが負けてもほかの植民地を失ってもブルネイは保持するかもしれない。だから降伏することもそんなに深刻ではなかった。とはいえ住民の尊敬と信頼を失っただろうから、これからここの統治は難しくなると思う。 しかしアレキサンダー大佐の予想は裏切られた。大佐他若干名を残して、ほとんどのイギリス兵をドイツ信託統治領の捕虜収容所に連れて行くという。聞けば今後東アジア地区の連合国側の島嶼を各個撃破してすべてドイツが統治するという。各地で分散して捕虜収容所をおけば、反乱を起こしたりすると困るから一つにまとめた方が処理しやすいということだろう。 アレキサンダー大佐に否応はなく大佐以下20名ほどを残してイギリス兵を連行していった。 代わりにドイツ軍指揮官のシュレック中佐と約1000名の兵を置いて。 ●
ブルネイ国王アマル2世は突然、アレキサンダー大佐に押し入られ、家族と侍従たちと車に乗せられわずかな財産だけで隣国に連れられてきた。侍従の話では沖合にドイツの軍艦が来ているという。捕虜になる前に国外脱出し亡命を勧められたという。● ● オイオイ、そんなこと言われても約束が違うと侍従を問い詰めるも、侍従も何も分からない。とりあえず隣国のイギリス大使館に行く予定だという。 ほとんど何もない国境に着くと、数台の車が停まっていて手を振っている。 一行は停車して話を聞くことにした。待っていた車から現れたのはイギリス人ではなく扶桑人と名乗った。扶桑国? はるか遠い北の方にある国と聞いたことはあるが・・・アマル国王は何のことかと頭にクエスチョンマークが浮かぶ。 突然現れた扶桑人は挨拶した後、状況は理解している、扶桑国に亡命しなさいと言う。そしてなぜか台湾行きの船があると紹介され、そこから直接港まで案内され船に乗った。8月12日のことである。 台湾までの距離はちょうど1000キロ、乗り込んだ貨客船はとても貨客船とは思えないほど船足が速く、三日目には台湾に着いた。そこで扶桑国の外交官が待っていた。 国王一行の亡命を受け入れるという。しかも住居その他を用意するという。 台湾からは小型ながら立派な客船で快適な旅で、東京に着いたのは8月16日である。国を出てからわずか1週間、予想もしないほどうまく行ったものだと一行はほっとした。 まずはイギリス大使館に行くと、ブルネイ防衛ができなかったことの謝罪はあったものの、ブルネイ奪還の見通しはつかないといわれてそれ以上の話はない。欧州の戦乱を考えると扶桑国に滞在した方がいいと言うが、宿泊するならホテルしかないという。 一行が途方に暮れているところに、扶桑国外務省と宮内庁から扶桑国皇帝を訪問してほしいという話が舞い込んできた。全く考えていなかったことだが、悪い話ではない。皇帝陛下に会見し、それから当面迎賓館に滞在を勧められた。国の王宮よりもはるかに立派だ。地獄に仏、感謝感激。 一段落したのち、国王と数人の幹部と外務省と参謀本部代表が打ち合わせをした。 扶桑国側の言い分は当面は迎賓館にお住まいになられて、こちら側が住まいの用意ができたらそこに住んでもらう。 ブルネイの奪還はイギリスの責任であり、扶桑国は手を出せないこと。戦乱が収まるまで扶桑国に住まわれることを申し出た。 あまりにもうまい話だがイギリスの扱いよりはるかにいい。申し出をありがたく受け入れた。 ●
ドイツ軍占領後のブルネイである。占領軍の指揮官シュレック中佐はイギリス軍のアレキサンダー大佐から状況を聞いている● ●
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「君たちもこんな何もないところに来てご苦労なことだな。ここにわずか1個大隊しかいなかったことからもその重要性というか、重要でない地域だってことが分かるだろう」
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「正直なところ本国からの命令はここのゴムを確保しろということなんだ」
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「ゴムの木はあるね。でも産業とは言えないよ。細々とした生産と地場での使用だけだ」
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「今まで車のタイヤとかに使われているだけだったが、戦争で防毒マスクというものが必要になるという、いや言っちゃまずかったかな」
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「防毒マスクだって」
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「戦場で毒ガスを使うらしい」
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「毒ガス? クリミア戦争で我が軍がシアン化水素を使ったそうだが、空気より軽く霧散して効果がなかったって習ったね ロシアが扶桑国との戦争で硫黄ガスを使ったと聞いたけど、こちらも役に立たなかったらしい」 |
「君は戦争が終わるまでここを出られないから話すけど、塩素ガスらしい。塩素は重いから地面をはって広がるそうだ」
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「うわー、それじゃ戦場が死体で埋まるよ」
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「俺は防毒マスクを作るゴムを集めるだけだから気が楽だ。毒ガスを使う方も風向き次第では死人がでるだろう」
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「でもゴムならマレーとかインドネシアとかがメジャーな産地じゃないか」
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「メジャーであるだけに防衛もしっかりしている。5千の兵が行けば戦わず降伏するようなところはない」
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アレキサンダー大佐はシュレック中佐の言葉を聞いて顔を赤くした。 シュレック中佐は早速アレキサンダー大佐たちを使ってゴムを採集する体制作りを進めた。近隣から攻撃を受ける危険もなく気楽な仕事だ。 シュレック中佐は、残したイギリス兵を相談役として使っている。武器は持たせないが、監禁も拘束もせずに自由にさせている。 アレキサンダー大佐たちも諦めて、軍機に反しない限りドイツ軍に協力している。反抗しようにも何もできない。 ●
中国山東半島の青島攻撃は、日本の事実と同じく11月8日に扶桑国、イギリス連合軍に降伏した。陸兵が多かったが消耗戦までいかず、砲撃で要塞が崩壊した時点で白旗を上げた。● ● 正直って扶桑国側の軍部も一般国民もホッとした。扶呂戦争(日露戦争)で多数の死傷者を出してまだ10年、再びあのようなことになるのを恐れていた。あとは欧州での戦いだから扶桑国としてはこれ以上死傷者はでないだろうと思ったのだ。 実はわずかだが、もっと被害を 既に欧州では本格的な戦闘がいたるところ、大きくはロシアとの東部戦線とフランスとの西部戦線の二面で激しい戦いをしている。それまでの戦争は、軍隊が国から遠く離れたところで戦争をし、国民は普通に生活するというものだったが、今回の戦争はどうもそうではないようだということを国民が分かってきた。戦争は軍隊だけのものではなくなってきた。成人男性だけでなく、学生も主婦も普通の生活を止めて、軍需工場や農場に行って兵隊に行った人の代わりに仕事をしなければならなくなった。それは後に総力戦と呼ばれるようになる。 ●
ブルネイである。ドイツ軍占領後、5カ月が過ぎた。もう冬だ。山東半島なら雪が降り池は凍るはずだが、ここは熱帯だ。半ズボンで暮らせ海で泳げる。● ● 占領後一カ月もするとゴムの生産と集荷について原住民側と話が付いてドイツ軍が買い上げる価格なども決まった。ここにはドイツ軍の船はないが、定期的に集めた生ゴムを引き取りに来る。 前回ドイツの輸送船がゴムを積み込みに来たとき、捕虜収容所に連れて行かれた副官から「皆元気でいる。衣食住もまあまあだ」という手紙をもらった。少し安心する。 アレキサンダー大佐たちは通訳とか町や原住民との交渉のアドバイスなどをして日々を過ごしている。ほぼ自由にされているアレキサンダー大佐は、ときどき海岸の砂浜に座っていろいろと考える。 シュレック中佐は語らないが、彼の部下たちが話しているのを聞くと、青島要塞がイギリスと扶桑国連合軍によって陥落したらしい。扶桑軍の砲撃が強烈だったらしい。戦死者は多くないらしく捕虜は扶桑国に連行されたという。 イギリス軍では2割が死傷したら退却して良く、3割が死傷したら降伏して良いという決まりがあった。今回のブルネイはどうだろうか。一発も戦わずに降伏したのはまずかったかなあ〜、とはいえ意味のない抵抗をして、むざむざ部下や原住民を殺してはいけない。勝てる戦でなかったのは間違いないし司令部から許可ももらっている。原住民や王邸に被害を出せばそれもまた責任問題だ。 まあ停戦後、帰国した俺が責任を取ればそれで済むことだ。 そんなことを考えアレキサンダー大佐は悶々とする。その1週間後シュレック中佐が同じく悶々とするとは思いもしなかった。 ●
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アレキサンダー大佐は近くにいたドイツ兵の肩を叩きシュレック中佐を呼んで来いと言う。ドイツ兵は海を見るとあわてて駆けて行った。 | |||
「アレキサンダー大佐、どこの船だろうね?」
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「イギリス海軍ではないだろうね。あれほどの艦隊を送れるとは思わない。君こそドイツ軍から連絡はないのかい?」
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「イギリス海軍だけでなく扶桑国との連合艦隊かもしれないなあ〜」
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「扶桑国も参戦したの?」
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「8月末に参戦した。でも、ここまで来るものかね?」
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見ていると1隻の小型艦が艦隊から離れてやってくる。艦尾に白地に赤丸のシンプルな旗がはためいている。あれは扶桑国の旗だ。 着岸して船から10人ほどの代表団が出てくる。 双眼鏡で見るとイギリス人らしい人が代表で、護衛は顔つきと髪の毛が黒いから扶桑人のようだ。護衛たちが持っているライフルはなぜか布のカバーをかけている。防水だろうか? | |||
「すまないが君たちは拘束させてもらう」
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そしてシュレック中佐は岸壁に向かい代表団と会見する。 イギリスの代表者はマイヤー中佐と名乗り、語ることはドイツ軍のときと同じ降伏勧告だ。 ただ、シュレック中佐の対応はアレクサンダー大佐と違い、即座に拒否した。 もっとも降伏勧告なんて挨拶みたいなもの。 | |||
「困りますよ、こんなのどかなところで戦争なんてしたくない。艦砲射撃をしたら皆さん全滅ですよ」
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「ここの住民を我が基地の周りに置くよ。イギリス軍が残酷で一般市民を無差別攻撃したと世界に知らしめる機会だ | |||
「ではしかたがない戦場で相まみえよう。ところでここの指揮官だったアレキサンダー大佐は元気かね? 戦闘はなかったはずだから戦死はしてないだろう。まさか拷問したとか」
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「今は元気だが、お宅が攻撃すれば元気でなくなるだろうね」
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「じゃあ伝えてほしい。我々は軍人の本文を尽くすとね」
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注1 |
占領軍と捕虜の話が和やかすぎるかもしれませんが、スタインベックの「月は沈みぬ」の会話はこんな調子でしたので真似しました。 それとアレキサンダー大佐が1000人規模の大隊長なら少佐、せいぜい中佐だろうと思われるかもしれませんが、単なる部隊指揮官でなく植民地の行政官だからと大佐にしました。 | 注2 |
毒ガスは古代ギリシャ時代から使われていたそうだ。もちろんその危険性はそのときの科学力(化学力?)次第だろうけど。そう考えると第一次大戦で出現したというのは間違いで、第一次大戦で初めて実用化されたというべきだろうか。 いろいろ考えると、通常兵器で戦争するのはOKで、CBR兵器(ABC兵器)がダメという理屈を理解できない。素手の喧嘩は許されて、刃物を持ち出すのはダメということなのだろうか。 |
注3 |
「人間の盾」はジュネーブ条約が第二次大戦後に見直されるまで戦時国際法上で問題ではなかった。とはいえ新ジュネーブ条約後はそれが遵守されたかと言えばあまり守られていないし、むしろテロリストが好んで使う戦術の一つにさえなっている。そしてそれに自主参加するテロリスト支援者がいる。 |