異世界審査員51.未来の歴史その4

18.01.15

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
時は半年前に戻る。まだ幸子が襲撃を受ける前のことだ。
ある日の午後、伊丹は中野中佐から重大な用があるから来てくれと連絡を受けた。約束の時刻が午後4時であるから多分料亭だろうと、自宅に今日は遅くなると電話した。やっと伊丹邸にも電話が来たのだ。この時代、商店とか医者でもなければ電話を引く人はめったにいない。100軒に一台程度である(注1)
すると、女中のテツが出たのだが、テツは奥様からも今日はお呼ばれなので遅くなると連絡があったという。おやおや、珍しいこともあるものだと伊丹は思った。

政策研究所に行くと、なんと中野中佐の脇に幸子がいて、一緒に料亭に行くという。
中野中佐が伊丹夫婦を連れて出かける。
この時代にタクシーはない(注2)なにしろ自動車そのものが全国に何百台もない。汽車で行くほど遠くないなら基本は歩く。歩きたくないなら人力車ということになるが、軍人である中野中佐はまず人力車は使わない。三人は20分ほど歩いて立派な料亭に着いた。以前、南武少佐に呼び出された料亭も高そうだったが、あのレベルではない。こりゃまた高級で高そうだと伊丹は思う。

仲居に案内されて部屋に入ると、伊丹が写真で見たことのある顔が待っていた。

中野中佐
「お声がけをいただきまして参上いたしました」
高橋是清
「何を言うとる、あなたがおっしゃると嫌味ですよ。そちらが伊丹さんご夫妻かな?」
伊丹
「さようでございます。失礼ながら高橋大蔵大臣閣下でありましょうか(注3)
高橋是清
「そうだ、よくわかったな。
お前さんたちは異世界というところから来たと聞いている。ワシも北アメリカから南アメリカまで放浪したが、異世界というところには行ったことがない」
伊丹
「高橋閣下にお会いできて光栄です」
お酒
高橋是清
「ワシに会っても光栄もへったくれもない。今は大きな問題山積だ。解決できなければ大臣どころではない。まあ奴隷になったこともある身とすれば、恐れるものは何もないがな、
ともかく問題解決のために知りたいことが数多あまたあってだ、君たちと直接話をしたいと思ってな。まっ飲みながら話そう」
幸子
「政策研究所の費用が問題ですか、使いすぎるとか?」
高橋是清
「政策研究所が異世界から買いあさっている費用など、軍艦を買うとか師団を養う金に比べたら微々たるものだ。懸念しているのはもっと大きい金だ。
ご存じだろうが10年前までは扶桑国は少しづつ経済成長してきたが、ロシアとの戦争後は経済成長が止まり、戦時国債の償還、それどころか最近は軍事費増加や税収不足などで財政は四苦八苦だ。そして今また欧州での戦争が噂されている。
そこでおまえさんたちの考えを聞きたいと思ってな。政策研究所と御立派な名前だから、きっとアイデアがあるはずだ。まあ、そのためにお金をかけているわけだからね」
中野中佐
「閣下のご質問はいかにして公債を償却するかでしょうか?」(注4)
高橋是清
「それができれば願ったりだが、そこまでいかなくてもこれからの経済は国内、国外どうなるんだろうねえ。そういう予測もしているのだろう?」
中野中佐
「もちろん行っております。そういうことでしたら資料を用意いたしたところですが、あいにく本日は準備をしておりません」
高橋是清
「数字ではなく君たちの言葉で状況を知りたい。新たな戦争によって我が国の経済はどうなるのかな?
まずは伊丹さんの世界ではどうなったんだろう?」

伊丹
「欧州での戦いで戦場になった国も、ならなかった国も、生活必需品も軍事物資も足りなくなります。 儲かった儲かった そこで戦場から遠く戦乱を受けていない我が国への注文は、大幅に増えまして、我が国の経済成長は再び急上昇します。人は天祐と呼びました。
ということで閣下がご心配されている過去の公債はすべて償却してしまいます。それどころかこの戦争が終わると債権国になっています。巷にはお金を儲けた成金と呼ばれる人がたくさん出ます(注5)

高橋是清
「天祐か、それはうれしいね。公債を返してしまうか、夢のようだ。
でもそれだけではすまず、その続きがあるんだろう?」
伊丹
「閣下はお見通しですね、おっしゃる通り」
高橋是清
「ちょっと考えれば、そんなことが長続きするはずがない。ロシアとの戦争のときも戦争中は景気が良かったが戦争が終われば経済成長も止まり、残ったのは10年間の不況と戦時国債という借金だ」
伊丹
「今回もその繰り返しです。欧州の戦争は1918年に終わりバブルがはじけます。バブルという言葉をご存じでしょうか?」
高橋是清
「そりゃ昔からある経済用語だよ。チューリップバブル(1637)とか南海バブル(1720)とかアメリカの学校で習った記憶がある」
伊丹
「そうでしたか。私は20世紀末にどっかの大学教授が生み出した言葉かと思いました。バブルがはじけて、天祐から一転して大破局と呼ぶようになります」
高橋是清
「天祐から大破局か、次から次へといろいろ起きるものだ」
伊丹
「更に悪いことに1923年に関東地方に大地震が起きます。そして東京はほとんど壊滅します」
高橋是清
「ほう9年後か・・・・・死傷者もだいぶ出るのだろう」
伊丹
「10万人の死者・行方不明者が出ました。もちろんそれは私の世界のことで、こちらではその被害を軽減するよう対策を考えております。具体的には都市計画、つまり道路や水路の見直しとか、避難場所の確保と避難訓練とか」
高橋是清
「10万人とは・・・ロシアとの戦争とその前の清との戦争の戦死者の合計よりも多い・・・被害を少なくする対策はしなくちゃならんが、その対策にも復興にもお金がかかるわけだ。
ところでその時ワシは何をしているのだろう?」
伊丹
「閣下はこれからも大蔵大臣を務めますが、1921年原総理が暗殺され、閣下が総理大臣と大蔵大臣を兼務します。しかし野党と折り合いがつかず、翌年1922年に総辞職し貴族院議員も辞職してしまいます。
そして関東大震災のときは岩手で衆議院議員になろうと選挙活動しており地震にはあいませんでした」
高橋是清
「原さんが暗殺なあ〜、ワシも運が悪いのか悪運強いのか、わからんな、
まあ10年先のことより半年先が優先する」
伊丹
「閣下、お間違えないように。原首相が暗殺されるのは向こうの世界のことです。こちらの世界ではそれを防げるかもしれませんし、それ以前に不況を回避できるかもしれません」
高橋是清
「ああ、そうだったな。そのためにどうするかというのが今日の話だった」
中野中佐
「閣下、向こうの世界では今年の7月に欧州で戦争が始まり、当然世界各地に飛び火します。東アジアでもドイツが租借している山東半島の青島で、我が国とイギリスの連合軍が戦うことになります」
高橋是清
「本土までは影響はないのですか。ドイツの東洋艦隊がこちらに来るとか」
中野中佐
「ありません。ドイツ海軍そのものが強力ではありませんので、貴重な戦力を極東で遊ばせておく余裕はないでしょう。開戦すれば東洋艦隊は欧州に戻ることになると思います」
高橋是清
「ドイツは青島を見捨てるわけですか」
中野中佐
「いや青島は大要塞ですから、海軍がなくても1年や2年は籠城できるでしょう」
高橋是清
「それで欧州の戦争後に不況にならないうまい方法はあるのですか?」

中野が伊丹の顔を見る。
伊丹
「中野さん、私が個人的見解を述べてもよろしいですか」
中野中佐
「どうぞ、」
伊丹
「閣下、あくまでも個人的見解です。
まず私の世界では欧州の大戦争、後に第一次世界大戦と呼ばれるようになりますが・・」
高橋是清
「第一次というからには第二次も第三次もあるのかな?」
伊丹
「私の世界ではまだ第二次までで、第三次は起きていません」
高橋是清
「そうか、その第一次世界大戦が終わった後どうなるのだ?」
伊丹
「戦争はアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ロシアや日本、こちらでは扶桑国ですが、それらからなる連合国がドイツやオーストリアなどの同盟国と戦います。戦いは青島など世界各地で起きますが、基本は欧州です。先ほど言いましたように日本は戦場から遠く物資の輸出で大もうけします。
戦争は4年かかり連合国が勝利します。その結果、ドイツには天文学的な賠償金が課せられます」
高橋是清
「それを聞いただけで次の戦争の火種が見えるな」
伊丹
「その通りです。ともかく戦後いっときはアメリカが戦火を受けなかったために、その生産力で世界経済を抑えますが、復興するにつれ工業生産も農産物も過剰になります。そのためアメリカは不況に入ります。
また閣下がおっしゃったようにドイツの賠償金の滞り、それをあてにしていたイギリスとフランスは戦時国債が償還できなくなります。結局どの国も経済的にピンチになります」
高橋是清
「それで全世界的な不況になるのだな」
伊丹
「特に1929年にアメリカから始まる不況は世界中に広がり、大恐慌 Great Depression と呼ばれます」
高橋是清
「Great Depression 大いなる憂鬱か、成金、天祐、大破局と後世の人たちはネーミングがうまいね」
伊丹
「我が国は第一次世界大戦後のバブル崩壊、銀行の不良債権、金本位制への復帰の影響、東北の飢饉、関東大震災の復興、アメリカの大恐慌と重なってとんでもない不況になります(注6)
また世界的に軍縮に向かいますが、これに軍部は反発します。そして軍が暴走して満州事変を起こします。中国に権益を持つイギリスやアメリカとこじれます。細かく言えばソ連、つまり共産ロシアですね、それが南下しようとして中国内戦へ干渉、イギリスやアメリカの裏工作などがいろいろあります。欧米先進国は強引なことをしますが日本が同じことをするのを認めないですしね。そして結局、欧州列強から経済制裁を受けてどうにもならなくなり戦争に入ります」

高橋是清
「それが第二次世界大戦か」
伊丹
「そうです。欧州でも紆余曲折ありますが、結局ドイツがどうにもならなくなって戦争を始めます」
高橋是清
「そうならない方法は?」
伊丹
「まず私の世界と違うのはこの国は中国大陸と朝鮮半島に足場を持っていません。ですから満州事変は起きないでしょうし、中国でアメリカ・イギリスと争うことにはならないと思います。しかし代わりに別のところで軍部が暴走するかもしれません。またソ連は日本が中国大陸にいませんから簡単に朝鮮と中国を共産化できるかもしれません。ただ欧州で英米は敵の敵は味方という理屈で、革命後のソ連と組んでドイツと戦いますから、ロシアの中国侵出を認めるかもしれません。
そうなればこの国とロシアとの戦争再びということになるかもしれません。
実を言って1917年ツィンメルマン(ツィマーマン)電報事件というのがあります。ドイツがメキシコと同盟を結ぶ提案をするのですが、その中で日本に欧州戦争の停戦仲介依頼と対米参戦を求めるとありました。もし実際にそういう流れになると、もう分岐が多すぎてどうなるのか見当もつきません。ともかくその電報はイギリスが傍受して世界中に公開されます。その結果日本も反ドイツになるわけですが、ドイツ側にもそういう発想もあったというわけです」
妄想だが・・・・ 日本が中国に進出せず満州もなく朝鮮も日本領でなければ、ノモンハン事件もなく満州の関東軍の抵抗もなくソビエトロシアはいとも簡単に南下し、朝鮮半島から中国北東部を占領しただろう。
そうなればソ連は東アジアに大きな足場をもち、第二次大戦後の東西対決はものすごく東側有利な展開となったはずだ。日本が歴史通りに大東亜戦争に入った場合、アメリカよりも早くソ連軍が日本を蹂躙した可能性は高い。そして日本は独立国でなくエストニアのようにソ連崩壊まで併合されたんだろうか?
それどころか東西対決は東の勝ちに終わった可能性もある。そう考えると満州を日本が確保し、ノモンハンでソ連に痛手を負わせたことは決して無駄ではなかったように思う。
それを知っていれば五味川純平は「人間の条件」をあんなふうには書けず、もっと違った目で書いただろう。彼の死の前にソ連は崩壊したが、それを知っていたら恥ずかしくなっただろう。
まあ、知らなかったと言い切ればそれまでか?

注:ソ連崩壊後、当時の資料が公開されてから、ノモンハン事件は日本の一方的負けではなく引分けとみなされている。実際、ソ連は負け戦だったことを認めていたからこそ、宣伝戦で頑張ったという証拠が多々ある。

高橋是清
「そのとき既に日本は青島を攻略していたわけだろう、ドイツは敵国に仲介を頼むのか?」
伊丹
「歴史的事実です。背に腹は代えられないということでしょうね。
ともかくこの国の経済を考えると、内需を大きくし国内経済だけでなんとかするしか思いつきません」
高橋是清
「植民地を持つ国なら当然ブロック経済となるわけだ」
伊丹
「おっしゃる通り。イギリスやフランスはそういう道を選びます。海外に植民地がありますから、その中である程度経済が回るわけです。当然はじき出された国は困ります。残念ながら日本は植民地がなく内需も小さく資源もない」
高橋是清
「資源小国は自由貿易がある程度保証されていなければどうにもならない。
となると資源、最低限エネルギーだな。だが植民地もなくあてもないとなると、どうするのだ?」
伊丹
「私の世界は時代がここよりも100年ほど進んでいます。向こうの世界で自今以降見つかる石油や石炭の場所を採掘するという手があります」
高橋是清
「とはいえすべて外国なのだろう?」
伊丹
「いや誰の土地でもないところ、つまり海底油田とか海底炭田ということになります」
高橋是清
「うーん、それは相当技術が進まなければ手におえないな」
中野中佐
「もしくは向こうの世界から技術を持ってくるか」
高橋是清
「それは可能ですか?」
伊丹
「向こうの日本政府も一般市民ももちろん外国も、この世界の存在を知りません。今までは非公式レベルで技術や機械を移入してきましたが、大規模になると無理ですね。こちらの政府が日本政府と交渉すれば、日本政府はこの国を支援するかもしれません。そうできればものすごい技術支援、経済支援が受けられるでしょう。しかし当然諸外国にも知られるでしょうし、そうなれば外国政府はそれぞれの国を支援するでしょう」
高橋是清
「まあ、そうでしょうなあ〜
もちろん対策も様々なケースについて検討してるでしょうね」
中野中佐
「はいしております」
高橋是清
「今までは製造業の技術向上を進めてきたと聞いておりますが、細々とやっていては効果がでないでしょう」
中野中佐
「元々は伊丹さんが個人的に支援されていたわけです。それを知ってから国家予算を投じ、向こうの進んだ技術と歴史の知恵を取り入れております。
おしゃるようにいままでの成果は製造業での技術革新くらいです。これから歴史を活用して内政や外交をうまく立ち回ることを考えています。
ただ大恐慌を回避する案は浮かびません」
伊丹
「話を続けてよろしいでしょうか?」
中野中佐
「ああ、遮ってしまってすまない」
伊丹
「閣下、先ほど内需とかエネルギー確保とか良く知らない歯が浮くようなことを述べましたが、実は私の本音はちと違うのです」
高橋是清
「おお、やっと本音が出てきたか。ぜひ聞きたいね」
伊丹
「第一次大戦中、日本の製品は売れました。しかし戦争が終わって欧州の復興が始まると売れなくなりました。アメリカも戦争中、農産物をどんどん輸出していましたが、戦争が終わると欧州や南米の農産物が出回り売れなくなりました」
高橋是清
「それで?」
伊丹
「なぜ売れなくなったと思われますか?」
高橋是清
「うーん伊丹さんの言いたいことが分かってきたような気がする。工業製品も農産物も唯一無二ではなく、どこでも作れるものだったということかな?
真に日本製、アメリカ産が良いものであったなら戦後も買ってもらえたはずだ」
伊丹
「そう思います。まして日本の工業製品は技術がないから仕様も品質も供給も劣っていた。ひとたび先進国が復興すれば競争になりません。だから売れなくなった」
高橋是清
「なるほど」
伊丹
「それじゃ、この国の製造業の技術水準を上げて、良い品物を安く供給できたらいいじゃないですか」
高橋是清
「もっともらしく聞こえるがそれは可能か?」
伊丹
「中国大陸を植民地にするよりは容易いように思えます。我々には先進技術がありますから」
高橋是清
「それでこの国は第一次大戦後の不況を逃れることができるのか?」
伊丹
「経済理論は知りません。しかし不況と言えど必需品は売れるでしょう。生活必需品、工業の基幹部品、基幹製品など、我が国しか作れないものがあれば絶対です。もっともあまり一人勝ちすると恨まれるでしょうけど」
中野中佐
「恨まれる立場になってみたいね」
伊丹
「中野中佐、実際に第一次大戦後、日本は他の戦勝国から恨まれたのです。想像つくでしょうけど、日本は戦死者、犠牲者が非常に少なかったので、最小のコストで最大の利益を得たと言われたのです」
高橋是清
「あまり上手く立ち回っても良くないわけだ。とするとこの戦争でも戦死者が少なすぎると問題になるのか」
中野中佐
「それも困りますな」
伊丹
「直接戦闘に参加しなくても、大きな貢献をすれば良いのではないですか。たとえば弾薬を無償で供給するとか、アメリカ欧州間の輸送船を派遣するとか」
幸子
「私も口をはさんでもよろしいでしょうか?」
高橋是清
「どうぞどうぞ、」
幸子
「現在の日本の立ち位置が参考になるかもしれません。世界と時代が違っても日本に資源がないことは変わりません。鉄鉱石もなく石油もなく半導体の原料もない。でもある程度安定して存続しています。
それは高い技術で付加価値のあるものを作り輸出しているからです。資源国も消費国も日本の存在価値を認めて貿易をしているわけです」
伊丹
「とはいえ産油国が売り渋ると、我が国はすぐ青くなります」
中野中佐
「それは安定な釣り合いというよりも不安定な釣り合いで、維持するのが難しそうだ(注7)それに自由貿易が保証されているからだろう。まあ政治家・実業家が頑張っているからやっていけるのだろうね」
高橋是清
「一つの解ではあるな。話は分かった。他にも検討していることはあるのだろう。全体を50ページくらいにまとめてワシに送ってください。それを読んでまた話をしたい」
中野中佐
「かしこまりました」

宴が進んで中野中佐が用足しに立ったとき、伊丹は気になったことを高橋大臣に聞く。
伊丹
「大臣閣下は中野中佐に敬語を使われていますが、彼は何者ですか?」
高橋是清
「伊丹さんはご存じないのか。彼は皇族だよ、前皇帝の内親王の子、今上皇帝の甥になる。普通の人なら大将の位にでも就いて威張っているところだろうが、彼は実務に就きたいと希望し中佐という階級を自ら選んだ。初めから中佐、いつまでたっても中佐だ。アハハハハ
年齢から出世が遅れていると甘く見るととんでもない。権力は大将以上だよ。
おっと、今の話は聞かなかったことにしてくれ」
伊丹
「かしこまりました」
幸子
「私は明日から同じ態度で付き合えるか自信がありません」


米山少佐
米山少佐
それから三カ月のち、幸子たちが襲撃された後だがまだ第一次世界大戦が始まる前のこと、ここは政策研究所の一室、伊丹と工藤が石原中尉に呼び出された。
部屋には石原中尉と佐官の階級章を付けたもう一人がいる。
参謀本部の米山少佐と名乗った。

石原莞爾
「工藤社長、緊急で手配してほしいものがある。ご協力をお願いしたい」
工藤社長
「全力を尽くしますが、できないこともあることはご承知いただきたい」
伊丹
「できるできないはともかく、欲しいものを言ってください」
石原莞爾
「上陸用舟艇というのをご存じでしょうか?」
伊丹
「存じてます。今はまだなく第一次大戦以降に登場するはずですね。今回の戦争で1915年のダーダネルス戦役(ガリポリの戦い)では兵士の上陸には小型輸送船を使ったはず」
石原莞爾
「私もそれを読みました。小型船を港に着けようとすればその時点で攻撃されますし、上陸時に狙い撃ちにされますね。それで武装した兵士を50人程度載せる小型ボートに分散し港以外に上陸するのが良いと考えました。そのような船を20隻手配してほしい。もちろんエンジン付きです。
それから砂浜に乗り上げることはないのですが、同じくらいの大きさのエンジン付きの船を50隻、これは遠隔操縦したいのです」
伊丹
「遠隔操縦ですか、それはまた・・・」
米山少佐
「そういう技術はないのですか?」
伊丹
「いえいえ、私の世界ではおもちゃにも使われています。ただ数十隻となると無線操縦するにもチャンネル、つまり一隻一隻の操縦する電波が別でないと混線してしまいます」
米山少佐
「全部同じ電波で操縦したらどうなりますか?」
伊丹
「することは可能ですが、うまくいかないでしょう。想像ですが敵前上陸を偽装したいのでしょう。たくさんの舟艇が一斉に向きを変えたり加速したりしたらおかしいでしょう。それに波も風もありますから、皆同じく進むわけじゃありません。この船だけ左に舵を取りたいとかいろいろあるでしょう」
米山少佐
「なるほど、とりあえずお話を進めてください」
伊丹
「私の世界には専用の上陸用舟艇は存在しますが、手に入れることは難しい。そういうものは軍しか保有していません。似たような大きさの民間の遊覧船、釣り船の類なら手に入ります。しかし5隻くらいならともかく、とてもそんな数はそろいません。
それと21世紀では木製の船がありません。ほとんどがファイバーグラスといいまして、ガラス繊維と合成樹脂で作っているのです。ですからこちらの世界で使うにはいろいろ問題があるでしょう」
米山少佐
「石原君、伊丹さんに丸ごと頼むのではなく、エンジンと操縦装置だけ頼んだ方が良くないか?」
工藤社長
「船だけなら手配できるのでしょうか?」
石原莞爾
「漁村からかき集めればなんとかなるだろう。陸軍の海沿いの各連隊に調達を頼みましょう。一連隊10隻ずつ集めれば・・」
米山少佐
「50人乗りという大きなものがあるかどうか。イメージとしては漁船よりも幅広くないと使い勝手が悪いし大小不ぞろいになるだろうなあ。それに全国から集めたら運ぶだけでも大変だぞ」
工藤社長
「いっそのこと、作った方が早いのではないですか。関東中の造船所で作らせたらどうでしょう。10か所の造船所でそれぞれ7隻作るとして、二月もあればできませんか。どうせ一回使うだけでしょうから耐久性などなくても良いでしょうし。
伊丹さん、エンジンだけなら手配できますか?」
伊丹
「できるとは思いますが同じものはそろわないでしょう。馬力とかスピードがどうこう言われると難しい」
米山少佐
「人が乗るものだけをまともに作り、偽装船はどうでもいいとして」
石原莞爾
「伊丹さん、遠隔操縦はどうしますかね」
伊丹
「50隻も無線操縦するとなると操縦者の教育も大変です。それに何キロも離れた夜の海で自分が操縦している船が見えるかも怪しい。それなら例えば電波を発信させて、それを目指して自動で舵を動かしてはいかがでしょうか」
米山少佐
「その電波の発振器はどこに置くのですか?」
伊丹
「上陸地点なら一番いいですが、そうもいかないでしょうからその延長線上に置くとか。そもそも砂浜の1個所に何隻もボートが集まったらおかしいですよ。普通は数十メートル間隔で上陸するのではないですか。
発振器を複数置いておいてボートの目標をそれぞれに分けるとかしたほうがいいですね」
米山少佐
「なるほど。それと人が乗る方はエンジン音を静かにしたいのですが、そういうことはできますか?」
伊丹
「排気管を水中に入れるとかいろいろあるでしょうけど、私は専門じゃありません。いずれにしてもそういうことをすると馬力は下がります」
石原莞爾
「米山少佐、そこはいろいろ実験をしましょう」

結局、伊丹と工藤は大きめの船外機を100機集めるお仕事と、電波ホーミングの装置の手配を仰せつかった。
工藤は日本の吉本一族に80馬力級の船外機を手配してもらう。代理店はその台数に驚いたが、希望納期通りに日本中から新品や中古をかき集めてくれた。ちなみに第一次大戦後に日本で作った上陸用舟艇は、自動車エンジンを使い50から60馬力程度だったから、そんなもので十分だろう。
伊丹は日本に行って、知り合いを集めて発信装置、受信装置、サーボモーター、蓄電池などからなるホーミング操舵装置を50セットの製作を頼んだ。金があればたいていのことはできる。それでも完成まで1カ月かかった。

更に20日後、また二人が呼ばれた。
今度は無人の舟艇に迫撃砲を付けて時計を使い一定時間になったら自動的に発射するようにというのだ。それくらいは簡単だろう砲兵工廠で目覚まし時計を使って作れと工藤が言う。
次は迫撃砲を自動装填とか敵の大砲に自動的に照準を合わせるとか言い出す。とても1910年代に存在する代物ではない。それは断った。
更にその後も呼び出しを受けていろいろと注文を受ける。中には水陸両用戦車なんてのもあって伊丹を唖然とさせた。アメリカからAAV7でも買って来いと言うのか?

注:AAV7とはアメリカ軍の水陸両用強襲車である。
このお話のときこちらの世界は2014年だから、まだAAV7SUは現れていない。



吉本は今アメリカにいる。伊丹が自動小銃を買いにイラクに行ったとき手伝ってくれた男だ。
吉本である
吉本である
今回は工藤社長から自動車と飛行機用のエンジンの入手を頼まれた。今回は身の危険はないものの、注文内容がなかなか難しい。
自動車エンジンと言っても現在のハイブリッドエンジンがだめなのはもちろん、電子制御とか燃料噴射のエンジンでもいけない。1910年の人が思い描く未来のエンジンだそうだ。つまり直列4気筒でOHVの自然吸気、電気はスパークプラグ以外に使わないこと、電動ファンもダメという。
となると1970年頃の国産車エンジンとなった。1960年以前では国産車もあまり技術水準が高くない。1980年以降だと排ガス規制とか燃費とか余計な機構が付く。1970年頃のアメ車では燃費が話にならない。
だが日本ではいまどきその時代の車は走っていない。あるとすれば東南アジアかアメリカである。アメリカなら1980年前の日本車が錆だらけでも走っている。乗用車でもトラックでも何でもいいから100台くらい集めてくれという。

星型エンジン 飛行機の方は第二次大戦の軍用機が欲しいという。飛行機丸ごとでもいいし部分でもいい、エンジンだけでもいいという。
アメリカは広いしいろいろな人がいるから、昔の飛行機を趣味で持っている人も多い(注8)
それで吉本は星型エンジン、水冷エンジンなど手に入るものを集めている。飛べるものは超高価だから、飛べないものとか鉄くず同然のものを探す 。
吉本は自動車修理工場を賃借して、そこに買い集めたものを持ち込み、ある程度たまると異世界の航空廠に送り込んでいる。

伊丹が扶桑国の1900年代と日本の1970年代をつなげないのかと聞くと、吉本はそれはできないという。理由を聞くと、そもそも扶桑国の世界と日本の世界がなぜつながるのかわからないと答えた。

いくら自動車とか飛行機を買い漁っても、国家予算や軍事費に比べたら微々たるものだ。投資対効果はものすごいはずだ。P51のマーリンエンジン 1910年代に1940年代の飛行機や1970年代の自動車を入手したならすごい進歩が期待できるはずだが、成果は出ているのか報告はない。あとで確認しよう。
おっと、1980年代以降の車は排ガス規制と低燃費化がメインとなって、車の機能は1970年で飽和したのではないか。それにそれ以上のものを手にしても1910年代とはあまりにも離れすぎていて参考にならないだろう。エンジンもキャブもサスペンションも理解できる範囲で進歩したものでないと意味がない。
その理由で1940年代の飛行機を理解したなら次はジェットを持ち込むのもアリだが、昔のジェット機を手に入れることは難しい。とはいえ2000年のジェット機を持ち込んでも参考にならないだろうと吉本は思う。
やはり科学技術というものは、段階を踏まなければならないものなのだ。
そのほか、異世界からの要望に応えて種々のものを調達した。魚群探知機とか民生用レーダーとか。魚群探知機はソナーの参考にするのだろう(注9)レーダーは当然レーダーだろうが真空管はどうするのだろう(注10)

うそ800 本日の後悔
このお話は異世界で第三者認証を実現するお話です。なんでこんなにもわき道にそれたことを書いているかと言えば、第三者認証というものが成り立つには一筋縄ではいかないということです。
まず第三者認証の前に品質保証という考えを持つ必要があります。しかしそれを必要と思い至るには技術、製造、測定が一定レベルにならないとならない。具体的には必要な精度の測定器が普及すること、互換性が確立されること、標準化が進むことなどです。
それはアメリカやイギリスのような先進工業国でも、1940年まで品質保証という発想がなかったということからも明らかです。
つまり品質保証を早くから実現すれば良い品質が期待できるのではなく、作るものが複雑で難しくなり放っておけば不良ができてしまうので良い品質を期待する状況にならなければ品質保証が考え付かないんですよね。品質を要求する状況に至る道のりが長くて・・読む方も息切れ書く方も息切れ
いや、ちょっと待ってください(コロンボ調)。そういう背景というか相互関係を理解しなければ、第三者認証というものを理解できないのです。
そして理解できなかった人たちがISO第三者認証制度をダメにしてしまったんでしょうねえ〜

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注1
電話の契約数は10万件突破したのが1910年である。固定電話契約数がピークになったのは2007年で6100万台である。
固定電話契約数の推移

注2
注3
「大恐慌を駆け抜けた男高橋是清」松本崇、中央公論社、2009を参考にしました。
とはいえ、この本、高橋是清について書いてあるのではなく、明治末期から1940年までの日本経済と金融・財政について書いてあり、タイトルと中身が違いました。でもまあその方がこれを書くには参考になりましたが。

注4
公債=国債+地方債 である。
「大恐慌を駆け抜けた男高橋是清」によると、当時は地方交付税にあたるものが少なく地方債を発行するのが普通で、結局自治体が返せずに国が尻ぬぐいをするのが多かったらしい。
注5
「成金」とはもちろん将棋で桂馬・香車・歩が敵陣に入って金に成ることだが、江戸時代から富裕層になった人のことを指すのに使われるようになり、第一次大戦景気で急に大金持ちになった人を呼ぶのに使われ一般化した。

注6
「大恐慌を駆け抜けた男高橋是清」では金本位制への復帰の影響は大きくはなく、金本位制へ復帰しなくても経済の混乱は同じだったとある。

注7
不安定な釣り合いとは机に立てた5円玉のようなもので、衝撃が加わると倒れてしまい元に戻らない。安定な釣り合いとは糸で吊るした5円玉のように風で吹かれると揺れるがやがて元の位置に戻るようなものをいう。

注8
アメリカのgoogleに「warbird for sale」と打ち込むとズラッと売りに出ている第二次大戦時の戦闘機が見られる。売買用サイトもある。
P51ムスタング ちなみにwarbirdとは軍用機のことで、特に第二次大戦時の戦闘機を指す。
しかしお値段もビックリだ。P51ムスタングで飛べるものは2億から5億円、F4Fで1億5千万もする。T33ジェット練習機なら3千万で買える。
P51は当時調達価格が$540001945年当時の$1は2011年で$15というから、1億ちょっとか?
ゼロ戦の製造コストは今の物価にして1億5千万だそうだ。ゼロ戦よりP51の製造コストが安いのは大量生産、機械化ということが大きいのだろうか?

注9
恥ずかしながらソナーと魚群探知機の違いは、潜水艦を探すと魚を探すのとの違いと思っていましたが、それは間違いでした。
魚群探知機とは自船の真下付近の探知がメインのもので、ソナーとは周囲まで探知できるものだそうです。
2014年、韓国の救助艦にソナーでなくて魚群探知機が搭載されていたという話題がありましたが、報道では「サイドスキャンソナー」と書かれていましたから、定義からすれば単純な魚群探知機ではなくソナーの1種とはいえるでしょう。まあ軍事用ではなく漁業用のソナーであったと、

注10
このお話の1914年頃に各種真空管はあったのかとなると、ありません。2極管が発明されたのが1904年で、3極管が1906年。5極管が発明されたのは1929年。まあ3極管があればたいていのことはできただろう。日本でラジオ放送開始は1924年だが、当時のラジオ受信機は3極管が1本だったらしい。何に使ったのだろう? 整流?検波?増幅? 回路図は見つからなかったのですが、ネットでググると初期のラジオは電池駆動であったようです。真空管を電池でとなるとまた?です。



外資社員様からお便りを頂きました(2018.01.15)
おばQさま
さすが、凡百の架空戦記と違って、マクロ経済からもしっかりとご覧になっているのですね。
当時の経済状態を考えれば、日ロ戦争の戦時公債の借金が大量にあります(よね?)。
多分、ポンド建て、金利は0.06%ながら、発行利回り6.42%という時限爆弾、外債総額が約8億円で、戦時債務の総額は14億円、当時の国家予算が4億5千万円なのを考えれば、トンデモない債務超過(今の日本も酷いけれど)外貨債の良い点は円の価値が上がれば円建ての返還が減るので、国内経済強化には、非常に効果があります。
米国は大量生産の体制ができて大戦景気で設けたが、余剰物資が売れなければ経済は厳しくなる。
戦争に参加しないで供給で儲けようという経済原理は、実はアメリカだけでなくて、スイスやスウエェーデンなども同様で、二次大戦でスイスのエリコン機銃は枢軸、連合両陣営に売っていたし、スウエーデンは中立宣言をして、兵器の販売や暗号などのソフト面でも立派に儲けております。
第二次大戦の原因はさまざまありますが、モンロー主義で国民が乗り気で無いアメリカが参戦したのは大統領と与党への経済界からの強力な要請だったことは間違いないと思います。
ここまで考えてみると、正しい方向は、お書きのように、製品に付加価値をつける、品質という簡単に他国がついてこられない部分を追及するのは正しいのだと思います。
経済的な強さなくして列強に立ち向かえず、科学技術を含めた工業力の強さがなければ、経済面でも立ち行かないのです。
大正時代まで、日本はイギリスから戦艦を買って、やっと国産化した扶桑・山城はSpecだけは立派だが、実用面の問題山積みのトンデモな代物。
これなんかも、パソコンで排煙や砲撃のシュミレーションを事前にすれば、かなり、まともな設計が出来たのだと思います。 
そういう意味では研究所の役割は重いですね。
幸子さんも、石原中尉に救われたのは、恐らくは妙法蓮華経の功徳だったのでしょう!
団扇太鼓を叩いて、お祝い致します。
これからも楽しみにしております。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
アイデアはあるのですが、考えるよりもキーボードを打つのは遅いのでフラストレーションが溜まります。
まあ、生暖かく見守ってください。

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