異世界審査員50.未来の歴史その3

18.01.11

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
石原莞爾が政策研究所で働くようになってふた月が過ぎた。もちろん、いくら石原が秀才と言ってもすぐに何ができるわけではない。まずはパソコンの使い方、それから異世界の日本と世界の歴史や第一次大戦の帰趨など勉強している。
ご心配かけしました
また、よろしく
お願いします

幸子
幸子は事件からひと月ほどして出勤するようになった。出勤最初の日には夫と二人でお世話になった人たちや警備部門などに挨拶回りをし、石原にも丁寧な御礼とあちらのお菓子そしてノートパソコンをお礼に渡した。既にデスクトップパソコンを使っていた石原はそれがいかほど価値があるか承知していて、ありがたく頂いた。
幸子にはその後、中野中佐の指示で警護が付いた。自宅の玄関口の一室を改築しそこに常時憲兵が駐在した。24時間交代で詰めていて、通勤にも外出にもお供をする。伊丹も幸子も有難く思った。以前から伊丹は幸子が目立つようになって危ないと思っていた。だがこれは仕方のないことなのだろう。

出勤始めた幸子を心配した中野中佐が、少しリハビリが必要だろうと石原の指導というか相談役を任せた。そしてこの二人は化学反応を起こしたように、革新的な作戦・計画を発想していくことになる。
今日も二人は思考実験をしている。

幸子
「ともかく、この国は資源がないということが致命的ね」
石原莞爾
「一般的に言えば、資源のある地域を占拠して植民地にするか併合するところですね」
幸子
「100年前ならそれは可能でしょうけど、もう誰の手もついてない土地がありません。アジアもアフリカもみな列強どこかの領土になってしまった。400年前に積極的に対外進出をしていればという思いがあります」
石原莞爾
「いやいや伊丹さん、もし江戸時代になっても宣教師が自由に国内で活動できたなら、キリスト教を使った侵略もあったでしょうし、金や銀の流出もあったでしょう。我が国が植民地にならなかっただけ儲けものと考えるべきでしょうね」
幸子
「ともかくいろいろと検討しましたが、今後5年の間に石油と鉄鉱石を確保するめどがつかないと、これから起きる関東大震災からの復興そして昭和恐慌の混乱から脱せないという結果が出ています」
石原莞爾
「伊丹さんは簡単に言いますが、どういう検討をしたのですか?」
幸子
「パソコンより大きな計算機があるのをご存じでしょう。それは加減乗除の数値計算をするだけでなく、様々な入力とか関数の算式や係数を変えることによって、出力を変えるシステムを作れます。それらの関係はもちろんでたらめじゃなくて専門家が現実の関係から数式とか係数を決めるわけです。それが妥当な設定かは過去の経済とか戦争とかで試してみて、そのシステムが実際の結果を出すかどうかをみるわけ。もちろんどこまでいっても模擬実験であるけど」
石原莞爾
「なるほど、計算機械の中に自然や経済の仕組みを仮想的に作り上げて、気候や国際関係などの変化や条件を変えたときの出力の変化を見るわけですか」
幸子
「そう、出力は種々の指標とかグラフとか発生するイベントとか、まあお好み次第ね。
今言ったように模擬実験にすぎないからどこまで信頼できるかもあるし、また解釈の幅はあるわね」
石原莞爾
「その模擬実験の結論として、石油と鉄鉱石があればいいということですか?」
幸子
「もちろんそれだけで十分とは言えないけど、ともかく震災・冷害・アメリカの恐慌を受けても昭和恐慌へ一直線ではなく、ある程度対応に余裕が生まれるし選択肢が広がるでしょうね。 実を言えばもう一つ解があるようなのだけど」
石原莞爾
「伊丹さんは石油の当てがあるような口ぶりですが、どの地域を狙っているわけですか?」
幸子
「ズバリ、ブルネイよ」
石原は書架から大きな地図帳(もちろん1914年当時の)を持ってきてブルネイを調べる。
石原莞爾
「東南アジアですか。でも石油が出るとは書いてありませんね」
幸子
「今から15年後の1929年にブルネイの海岸で石油が発見される」
石原莞爾
「なるほど、面白い、実に面白い、伊丹さんの絵図が見えてきましたよ。まだ石油が見つかっていない。だから価値ある土地とは思われていない。我々が手に入れてから10年以上経って石油が発見される。
つまり第一次大戦でどのようにして手に入れるかですね」
幸子
「先ほども言ったけど今の時代、簡単に占領とか植民地にはできない。それにそこは既にイギリスの保護領です。地元側を無視した一方的な植民地ではなく、領土防衛と治安維持そして宗教の自由を保障する代わりにイギリスが統治権を持つという条約を結んでいるの。名目だけでも形式はあるわけ。イギリス人はそういうことには長けているからね。
第一次大戦ではイギリスも扶桑国も連合国側だから、扶桑国がイギリスと戦いブルネイを解放するという筋書きはだめよ。
まだ漠然としているけど、ドイツに一度ここを取らせて、その後、扶桑国が解放して保護領にするという手がないかと、」
石油井戸
石原莞爾
「なるほど、でも宗主国がイギリスから扶桑国に代わるだけでは、ブルネイにとってメリットがないですね。いっそ独立させたほうが民族自決の流れに沿っているでしょう」
幸子
「民族自決思想が広まり植民地の独立が始まるのは1945年以降よ」
石原莞爾
「いや、そちらの第一次大戦の歴史を読みましたが、連合国に引き入れるために参戦国内の民族自決を約束しましたし、その結果エストニア、オーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなどが独立したじゃないですか」
幸子
「今欧州で言われている民族自決とは白人それもキリスト教徒限定よ。アジアの植民地が民族自決に基づいて独立すると言ったら、宗主国が武力で押さえつけるのは間違いないわ」
石原莞爾
「そこを説明できる理屈を考えましょう」
幸子
「私にはうまいストーリーが描けないのよね、残念ながら」
石原莞爾
「伊丹さん、少し時間をください。そこは考えるところです。うまくすれば石油を確保するだけでなく、アジア・アフリカの民族自決が30年前倒しになるかもしれません」
幸子
「そうなればなったで、変数が多すぎて未来は予測つかなくなりますね」
石原莞爾
「ところで石油は他にはないですか?」
幸子
「もちろんあるわよ、東シナ海にも南シナ海にもある。もっとも埋蔵量が少なく、20年間くらいしか採掘できないらしい。その代わりにガスが取れる」
石原莞爾
「ガスって台所のコンロに使うあれですか?」(注1)
幸子
「家庭の炊事だけでなく発電とか自動車のガソリン代わりにもなる。ただガスを運搬する技術が難しい。まだこの時代はガスを輸送する手段はパイプラインだけで、運搬船はないのよね。(注2)
でも中国が採掘に動き出す前に確保しておきたいね」
石原莞爾
「確かに損益は取れなくても、軍事的には確保したいですね」
幸子
「まさにそれよ。今から70年後になるけど、台湾、沖縄にさえぎられて太平洋に足場がない中国は、海の中に石油採掘基地とかガス採掘基地をたくさん作り島嶼代わりに使おうとしている」
石原莞爾
「ほう、未来世界では海底から石油やガスを取るために人工島を作るのか?
面白い、実に面白い。まだ考える時間はあります。
ところで鉄鉱石はどうですか」
幸子
「中国の大治鉱山からの輸入が多い。あとはオーストラリア、アメリカ、アメリカ領フィリピンなどね。現在は石油よりは少し余裕がある。
1940年頃に中国以外の国は日本への輸出を禁止する。そんな経済制裁が大東亜戦争へとつながるんだけど。
でもさあ、石油や鉄鉱石を輸出している国と戦争するんだから、どう考えても元々無理筋よねえ〜」
ご注意: サヨク脳の方は、国連が2018年現在、北朝鮮に経済制裁をしていることを、日本に対してハルノートを突き付けた80年前のアメリカと同じと考えている人もいるようだ。 核爆弾
だがそのふたつは全く違う。
当時のアメリカは日本に対して、経済制裁をゴリゴリ進め経済崩壊に追い込んだが、現在の日米は核開発をやめれば食料をあげます、発電所を作ってあげます、石油あげますと言っている。例えれば核開発をやめれば生活保護で暮らしていけるわけだ。
なんでわざわざそれを拒否して周囲を敵に回して、北朝鮮国民を飢えさせても核ミサイルを開発するのか、その理屈が理解できない。もちろんサヨクの方は理解できるのだろう。

石原莞爾
「今までのように戦争の期間が1年とかせいぜい1年半なら、それもありだったのでしょうね。第一次大戦の教訓を生かしてませんね。実を言いまして、私も長期にわたる総力戦という概念を幼年学校や士官学校で習ったことがありません」
幸子
「おやおや、総力戦という概念はこれから起こる第一次大戦で現れた発想ですから、石原さんが士官学校で習うはずがありません」
石原莞爾
「ああ、そうでしたか。自分は最近こちらの歴史と向こうの歴史がごっちゃになり始めてきました。向こうのことを知らない人と話すと狂人と思われるかもしれません」
幸子
「あちらの世界は似ていると考えるのではなく、全く異なる世界だと割り切った方がいいわね。向こうの石原莞爾はあなたとはまったく違う人であり、あなたはあなたの人生を歩むのよ」
石原莞爾
「そう考えることにしました」
幸子
「こちらの世界の石原莞爾はこれから官吏の階段を登り、ゆくゆくは農商務大臣になります」(注3)
石原莞爾
「実を言いまして皆さんに会うまでは、自分は軍人として生き軍人として死ぬ道しかないものと思っていました。人生にはいろいろな道があり選択することができるのですね」
幸子
「何を言ってるの、石原さんは人生始まったばかりでしょう。いつだって人生の分岐はたくさんあるんだから、最善の人生を生きなくちゃね」
石原莞爾
「ええと聞き漏らしたのですが、先ほどもう一つ解があるとおっしゃいましたが、それはどんなものでしょうか」
幸子
「まだ良く見えてないのよ。もう少し明確になったら相談したいわ」


6月、幸子と石原はブルネイ攻略の作戦案の説明をおこなった。中野中佐のほかに、辻中佐、政策研究所の幹部数名が出席した。
30分ほどかけて石原が説明する。
皆黙って聞いた後、討論となる。

辻中佐
「なかなか面白いアイデアではある。しかし不確定要素が多いし分岐点がいくつもあり、今の案にはかなり希望的観測が多いね」
石原莞爾
「しかし上手く行けば恨まれないですし、上手く行かなければそもそも恨まれることもない」
辻中佐
「まず重大なリスクとして前段に謀略を行わなければならない。事前に秘密が漏れたら問題だぞ」
石原莞爾
「しっかりしている岩を転がすわけでなく、ぐらついている岩を倒すだけですからちょっと突つくだけと考えています」
辻中佐
「具体的には?」
石原莞爾
「例えば本国からの命令書偽造とかではなく、大使館に出入りしている業者から情報を仕込むとかで十分かと思います」
中野中佐
「問題はあるがこの計画のメリットは大だから検討は進めよう。もっと詳細を考えてくれ」
石原莞爾
「了解しました」


刃傷事件以来、幸子は日本の東京には行かない。
理由はいくつもある。第一には東京の仕事が定型化して幸子の出番がなくなったこと、政策研究所の仕事が多忙になったこと、憲兵の護衛が東京まで付いて行けないことなどだ。
というわけで幸子は毎日政策研究所にいて、会議出席とか大型コンピューターを使ったシミュレーションとかしているが、一番時間を費やしているのは石原との議論だ。
石原は21世紀の知識はないが、知能指数は高く一を聞いて十を知る人間だから幸子にとって議論の相手に不足はない。お互いに考えたことを思考実験し、更に考えを深めるということを繰り返している。
そんな日々を送っていたが、とうとうあの日がやって来た。

幸子

「石原さん、今日は7月29日ですね。ということはオーストリアは既にセルビアに宣戦布告したのかしら」
注:時差があるから欧州で7月28日は日本時間では7月29日になる。

石原莞爾
「オーストリアの皇太子の暗殺は向こうの世界と同じく6月28日でしたね。それからのオーストリアとドイツの交渉とドイツ皇帝の確約は向こうの世界と同じように進んでいますね。
ところで中野中佐が昨日からいませんが?」
幸子
「時差があるからね・・・幹部は会議室に集まって外務省からの連絡が入るのを待っているのよ
まだなにも動きがないということは、オーストリアがまだセルビアに宣戦布告していないのかしら」
石原莞爾
「ところでそもそもですが、7月28日というのは、後になってあの日に戦争が始まったと言われたわけで、欧州全域で戦争が始まったわけではありません。二国間でこぜりあいが始まっただけですよね。その程度のことが、こちらまでニュースが伝わるものでしょうか」
幸子
「そうねえ〜、確かにそう言われると・・
とはいえそれからの動きが尋常ではないわね。ドイツがロシアに8月1日、フランスには3日に宣戦布告して、そしてイギリスがドイツに宣戦したのが8月4日。あっという間に燃え広がっていったわ」
石原莞爾
「いずれにしても今日大ニュースというわけでもなさそうな気がします」
幸子
「ともかく今日オーストリアとセルビアが戦争を始めても、第一次世界大戦勃発というニュースはないわ。そもそも第一次世界大戦という呼び名はいつからだったかしら」
石原莞爾
「ええと第一次世界大戦というのは日本での呼び名らしいですね。ドイツでは世界戦争(World War)、イギリスやフランスでは大戦争(the Great War)、アメリカでは参戦するまでヨーロッパ戦争と呼び自国が参戦してから世界戦争(World War)と呼んだそうです。世界大戦ならthe Great World Warでしょうけど、そういう呼び方は日本だけのようで、日本では各国の呼称を合わせて世界大戦と呼んだようです。(注4)
おっと今までの戦争じゃなくてとんでもないことになったと知ったときからそう言われたわけで、実際に大戦争とか世界戦争と呼ばれたのは1915年以降だそうです。
もちろん第一次と付いたのは、第二次世界大戦以降のことです」
幸子
「石原さん、すごい!」
石原莞爾
「いやいや本に書いてあったそのままですよ。ともかく戦争が始まれば外務省から情報が入るでしょう。ここは面白いとこですね。私が会津若松の連隊にいたら新聞と上官からの情報以外なにもありません」
幸子
「部下が何十人、何百人といた方が働き甲斐があるってことはないの? 多多ますます弁ずと言うじゃない」
石原莞爾
「どうでしょう、小隊長の部下は兵と下士官が50名ですが、中隊長の部下は小隊長数人、大隊長の部下は中隊長数人です。ですから階級が上がり上位の指揮官になったところで部下が増える感じはしません。
ここでは部下がなく自分は末端の担当者に過ぎないんだけど、ものすごい情報を受けて頭で考え、足りないときは計算機を使い、どうすべきか提言する、やりがいがあります」
幸子
「ところでドイツに例の情報はインプットしているのよね?」
石原莞爾
「もちろん、青島のドイツ東洋艦隊は既に出港して南に向かっています。これから太平洋に散らばっているドイツ艦艇を集めて自国に向かうはずです。どこを経由するかはわかりませんね」
幸子
「ドイツ東洋艦隊が南米に行く前に寄って行ってくれるといいけど」
石原莞爾
「手は打ちましたから動いてくれるのを祈るしかありません」

突然ドアが乱暴に開けられて中野中佐が入ってきた。

中野中佐
「始まったぞ、オーストリアとセルビアが」
石原莞爾
「史実通りですね」
中野中佐
「たまたま同じ日だったにすぎない。向こうの史実とこちらが同じと思い込んでいると、とんでもないことになる。こちらの世界の現実を良く把握しろ。
ちょっとした勘違いでミスをする」

いつもは温厚な中野中佐が怒鳴ったので石原は背を伸ばした。

石原莞爾
「はっ、十分承知しております。迂闊な考えはしません。
ところで青島攻略はどうなりましたか?」
中野中佐
「イギリスとまだ話が付いていない。こちらも準備できていないから早くても来月末だな」
石原莞爾
「青島守備隊は残っているのでしょうか?」
中野中佐
「スパイの情報では、要塞にはドイツの陸兵は約1万いたが、そのうち半数ほどが先日出港した東洋艦隊の輸送船や巡洋艦などに分乗したようだ。だから半数は残っている」
石原莞爾
「東洋艦隊はどちらへ?」
中野中佐
「わからん。我が海軍の駆逐艦が追跡している。我が国は中立国だから我が国領海へ入らないかの監視と理解すればおかしくない。その理屈で台湾までは付いていける」
石原莞爾
「巡洋艦エムデンは青島に停泊しているのでしょうか?」
中野中佐
「青島に残っていた軽巡洋艦エムデンも東洋艦隊と一緒に出航した」
巡洋艦エムデン
巡洋艦エムデン
軍艦の形というのは搭載する兵器とかエンジン、監視のための装置(レーダーとか
見張り台)によって決まるのだろうが、形を見ると年代が分かるのが面白い。
石原莞爾
「東洋艦隊の目的地がブルネイということは?」
中野中佐
「どうかな、まだわからん」
中野中佐は石原大尉が幸子を見てニヤリとしたのを見逃さなかったが、何も言わなかった。変数が多いからこれからどうなるのかは予測できない。
石原莞爾
「もしブルネイを占領しようとしたらどうするのでしょう?」
中野中佐
「仮定の話だが、現時点我が国はドイツと戦争状態にないし、ブルネイにいかなる利害関係もない。攻撃を受けてもイギリスが守り抜けば我々の出る幕はないし、負けても支援要請がなければこちらが出る幕はない。
我々が動くとすると、英国から同盟条約に基づいた参戦要請を受けてということになる。
ところでブルネイのイギリス軍はどれほどの勢力なのだ?」
石原莞爾
「外務省の資料によると組織上は歩兵1個大隊ですが、編成が薄く人員は1,000人弱、へたすると中隊規模かもしれません。(注5)装備は少数の小口径砲だけです」
中野中佐
「東洋艦隊の陸兵5,000がそのまま行くとすると圧倒的な差だな。もしイギリスから我が国に支援要請があってももう間に合わない」
幸子
「こちらから参戦すると言ったらどうなんですか」
中野中佐
「東洋艦隊の情報は外務省経由でイギリス大使館に伝えているが、我が国の参戦は拒否された。向こうとしては勝てる戦争に参加者が多くなれば取り分が少なくなるからね。
だから青島もイギリスの考え次第だし、こちらから動く手はないねえ」

うそ800 歴史のバリエーション
第一次世界大戦の始まりにはドイツをはじめどの参戦国もあれほどの大きな戦争になるとは思っていなかったようだ。ところがどんどんと拡大し、ロシアに至っては革命が起きて国が亡ぶ羽目になったし、ドイツもオーストリアも似たようなものだ。
歴史というのはすべての局面でブラウン運動のようにゆらぎがあってどう進むのか定かでないのだろうか?
それとも大きな流れの慣性があって多少の外乱では方向は変わらないのか、どうなのだろう。
北朝鮮が暴発して、その結果アメリカの覇権が消滅し中国も北朝鮮の黒電話に下るとかいうハプニングもありえるのだろうか?

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注1
都市ガスは横浜市では1872年、東京都内では1875年に始まったと言われる。
「東京ガスの歴史とガスのあるくらし」
だからこの物語の時代は地域的には限定だが、一般家庭の炊事やアイロンなどに使われていた。

注2
LNGタンカーが造られたのは1960年代以降である。それ以前は液化することがむずかしく、パイプラインの移送はあったが、船舶での輸送はなかった。
「ケミカル・液化ガス運搬船の揺籃期」岡本 富保・桂 豊、

注3
1945年までは農林水産省と経済産業省を合わせた仕事を担当していた。

注4
「第一次世界大戦」木村靖二、ちくま新書、2014、p.20

注5
当時何名の守備隊がいたか分からなかった。ただ20世紀初めのイギリス軍は千数百名だったので、そう変わりはないだろう。


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