異世界審査員79.震災プロジェクトその2

18.04.26

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
こんな駄文を書くにも、いろいろと調べる。ネットでググるし、本も読む。必要とする本が図書館にあれば良いが、目的の本がないとアマゾンで古本を買うこともある。1話書くたびに数冊買うと財布が破綻する。関係する論文があれば探して読む。どうしても知りたいことがあると、大学の先生や計測器メーカーに問い合わせることもある。
関東大震災についてもいろいろ調べた。今までに関東大震災の本を9冊、防災の本を8冊、江戸の大火や火消しについて3冊、政府報告、その他「東日本大震災の記録」も、今住んでいる近隣都市と我が故郷の町村のものをいくつか読んだ(注1)関東大震災で多くの焼死者を出した被服廠後地には行ってきた。
駄文を書くことは私にとって手慰みであるだけでなく、勉強でもある。

そんなことを書くと、本当にためになったのかと問われそうだ。一例をあげよう。
防災関係の本といっても、対象が一般市民とか行政担当とかさまざまだし、内容も家や家具の地震対策とか非常持ち出しが中心とか避難がメインとか復興とか、これまたいろいろである。
ただ避難に関して力説していることは皆同じで下記の三点だった。

これらの緊急時の三原則、想定に囚われるな、ベストを求めずベターを尽くせ、率先避難者たれを遵守することは、非常持ち出し用品などを揃えるよりもはるかに役に立つ。だって非常持ち出しをいくら揃えても、一旦事あったときそれが思い浮かばなかったり、逃げるより持ち出すことを優先しては、財産より先に命を失くしてしまうだろう。


政策研究所の震災プロジェクトの幸子たちは、日々関係省庁や東京府や横浜市との打ち合わせである。

文部省とは学校での避難訓練、災害時の対応の教育、所在地での避難場所などの確認などの手順打ち合わせ。教育用のテキストなどの検討
警察とは緊急時の治安維持、避難時の誘導、避難時の交通規制や持ち物の規制
医療体制では内務省や医師会と打ち合わせで、被災者医療体制、火葬などの体制
司法とは監獄崩壊時の囚人の扱い、
陸軍省とは戒厳令発効時の災害救助出動、警察権の確認
東京府、横浜市、川崎市とは町内の連絡網、避難場所の選定、避難訓練、避難者支援
まあやることは切りがない。

関係省庁などと概ね打ち合わせが済むともう秋も終わりであった。
政策研究所で後藤とメンバーが話し合っている。

後藤新平
「各省庁や県との話はおおむねついたようだな」
幸子
「話はしましたが、実行はこれからですよ。見通しは・・・向こうが見えません」
米山中佐
「関東大震災のとき新大橋以外は焼け落ちたそうです。多くの人を救うには焼け落ちた橋をコンクリートか鉄骨にしなければなりません。これも見通しが・・」
後藤新平
「ええと、焼け落ちた橋は?」
米山中佐
「相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋・・・」

関東大震災で燃え落ちた橋
関東大震災で燃え落ちた橋
隅田川にかけられた橋は、新大橋を除いて地震で破損あるいは焼け落ちた。両岸が大火となり、多くの人がコンクリート製の新大橋の上に避難した。
避難者が大八車や行李とか風呂敷包みを持ち込んできたので、飛んでくる火の粉でそれらに火が付くのを防ぐために、警官が持ち物を川に捨てさせたという。
この橋の上に避難した人は1万人以上だったという。
後に新大橋は「お助けの橋」と呼ばれるようになった。今も「お助け橋のいわれ」という碑が残る。(注4)
04.27 両国橋は震災で焼け落ちていなかったので図を修正。

中野中佐
「焼け落ちる橋すべてを建て替えるのは無理でしょう。一つおきにでも建て替えるか」
後藤新平
「東京府が金がない時間がないというなら、陸軍工兵隊を使って建て替えるしかないだろう。米山中佐、建て替え計画を見繕ってくれないか。東京府と参謀本部と調整して来年度から始めさせよう」
中野中佐
「幸子さん、消防飛行機の進捗はいかがですか?」
幸子
「中島さんに頼んだほうはだいぶ進みまして、ただいま放水試験中です」
中野中佐
「首尾はどうですか?」
幸子
「先週、習志野演習場で放水を見てきましたが、高度300mくらいで放水すると地上では霧状になり雨が降ってきた感じはありませんでした」
米山中佐
「高い滝では、滝つぼでは水流ではなく霧雨のようになるのと同じですね」
後藤新平
「それは消火に不向きということかな?」
幸子
「そうですね、冷却能力が少ないですし、途中で風に吹かれれば霧散してしまいます。次回は物を燃やして実験します(注5)
後藤新平
「あの飛行機は全金属性だよね。もっと低空で放水したらいいじゃないか」
幸子
「あまり低空では引火する危険もありますし煙も入ってきます。それに大火による上昇気流で揺れるだろうと言ってました」
後藤新平
「検討してくれ。ここまできてダメでしたでは通用しない」
中野中佐
「急降下爆撃方式はどうですか?」

ソ式練習機

ソ式練習機


ソ式練習機
幸子
「ソ式練習機はかなりきゃしゃで急角度の急降下は無理なようです。とはいえ大型機よりは低いところで水タンクを投下できますから目標近くに投下できそうです」
後藤新平
「川西さんの方はどうですかね?」
米山中佐
「なぜかわかりませんが、川西さんが中島さんのところの試験飛行に立ち会った後に基本設計をやり直すと言い出して、図面を引きなおしているのです。あの試験飛行を見て感じるところがあったのでしょうか」
中野中佐
「あの二人はどうなんでしょうね? 仲が悪いようで案外仲が良かったりして」
米山中佐
「単なる仲たがいじゃなく、金が絡んでますから簡単じゃないでしょうねえ〜」
後藤新平
「設計やり直しで納期は大丈夫か? ワシは搭載量が大きいから川西に期待しているのだが」
米山中佐
「まだ時間的には大丈夫でしょう」
中野中佐
「後藤閣下、震災対策会議から三月近くなりますから、今月末あたりには帝太子殿下に経過報告をしないとまずいです」
後藤新平
「ワシも気にしております。皆さんの報告をまとめて来週でも中野中佐とお伺いしましょう」


半月後、皇居で後藤議員と中野中佐が帝太子殿下への報告を行う。
順調に進んでいると聞いて帝太子は顔をほころばせた。

帝太子
「地震が起きるのは3年後だったね」
中野中佐
「正直言えば、向こうの世界と同じ日に地震が起きる確証はありません。前皇帝陛下の崩御は日にちが数か月ずれました。一方欧州大戦の開戦日は向こうの日付の通りでした」
後藤新平
「向こうの世界では1923年でしたが、こちらでは多少前後すると覚悟しておかなければなりません」
帝太子
「わかった。そううまくはいくまい。まあ簡単に言えば、来年(1921)地震が来ればお手上げで、再来年(1922)ならかなり対応が整い、予定通り1923年ならバッチリというところか?」
中野中佐
「地震が起きないという可能性もあります」
帝太子
「予期したときに起きなくても、いつかは起きるのだから問題はあるまい。
ところで皆に準備をさせているが、準備だけではやる気も起きないだろうし、いざというとき役に立つかどうかわからん。
それで来年から毎年1回、関東地方一斉に防災演習をすることにしよう。軍隊も官公庁も市町村も学校も住民も駆り出してやりたいね」
後藤新平
「そのようなことをすると、国民の生活や事業活動に支障があるのではありませんか」
帝太子
「おいおい、震災対策の責任者とあろう者が腰の引けたことを言っちゃいかん。演習もしたことがない軍隊が戦えるわけがない。向こうの世界では震災は何月だっけ?」
中野中佐
「9月1日でした。帝太子殿下のご出席をいただいた最初の会議は、それにちなんで9月1日に開催しました」
帝太子
「ああ、そうだったな、思い出したよ。
それじゃ、防災訓練は毎年9月1日としよう。暑くなく寒くなくちょうどいい季節だろう。そして3回目の訓練当日に地震が起きればちょうどじゃないか」

そう言って帝太子はウインクした。


1920年も押し詰まった暮である。砲兵工廠で藤田少佐、黒田准尉そして伊丹が打ち合わせをしている。

藤田少佐
「伊丹さん、既に砲兵工廠と取引している過半の業者と品質保証協定を締結しました。残りは継続的取引先ではなく突発的なところです」
黒田准尉
「それによってつまらない管理に起因した問題は大幅に減少しました。技術的な問題は都度指導しています。今まではそういったことを指導しても定着しないで一過性で終わってしまったことが多かったのですが、今は一度指導するとそれを文書にして定着するということが可能になりました」
伊丹
「それは良かった。とはいえ品質保証協定を結べば、それなりにコストがかかるわけです。買い手も売り手も手間暇が増えたと思いますが、その手間暇より改善効果があったということでしょうか?」
藤田少佐
「今まで日々不良問題を処理していたのに比べたら、増加した手間暇は問題になりません。なによりも品質保証協定を結んだことで、苦情とか値上げ要求などはありませんでした」
黒田准尉
「私どもとしましても、いっときは種々文書の作成とか審査で手間暇がかかりましたが、その後は品質の安定化によって検査負荷の減少とか不良対策に取られることが少なくなりました」
伊丹
「それでは八方丸く収まったということですか」
黒田准尉
「いや、品質監査をするのはする方もされる方も、効果があるということで認識は一致しているのですが、また難関もありまして」
伊丹
「難関と言いますと」
黒田准尉
「監査する人、監査員を養成するのは結構大変なのです。単に品質保証協定を理解しているというだけでなく、製品と製造技術についての知識がないと実際には監査ができません」
藤田少佐
「黒田准尉、そうなのか? 技術とか工程の知識というと?」
黒田准尉
「例えば検査で寸法測定があるとしますね、図面に寸法が記入されていても実際に部品のどこを測るべきかは、その部品の役割を知らないと寸法測定が適切か否か判断できません。
保管にしても、その部品の強度とか用途を知らないと、梱包とか置き方の適否は分かりません」
藤田少佐
「なるほど、で准尉はなにが言いたいんだ?」
黒田准尉
「監査員養成は簡単ではないということです」
藤田少佐
「とはいえ今検査をしている連中なら大丈夫なのだろう?」
黒田准尉
「とんでもありません。監査員には検査員以上の経験も技術も常識も必要です。それでそういう教育訓練を伊丹さんにお願いできないかと」
伊丹
「それはできないですね」
黒田准尉
「なぜですか?」
伊丹
「私が教えることができるのは監査技術だけで、製品の知識や技術は分からないからです。監査手法だけでは監査ができません。黒田准尉がおっしゃったじゃないですか、経験も技術も常識も必要だと。
黒田准尉が検査する品物を、その用途、役割、必要な事柄、過去の問題などを教えることが監査員教育ですよ」
藤田少佐
「それじゃ、業者同士に監査させたらいいじゃないか。お互いに重箱の隅を突っついてレベルアップするんじゃないか、アハハハ」
伊丹
「藤田少佐、それもいかがかと。と言いますのは監査をする責任は買い手にあります。もし業者の中に監査員の力量がある人がいてその人を使うなら、その人は買い手つまり砲兵工廠の代理人であることを明確にすべきです。そしてそういった監査員の行為と結果の責任が砲兵工廠にあることをはっきりさせなければなりません」
藤田少佐
「なるほど、何事も簡単にはいかないのですね」
黒田准尉
「すべての監査を伊丹さんに依頼することは可能ですか?」
伊丹
「そもそも監査というのは一過性ではありません。継続的にしていくものです。監査をいっときのものとして誰かに頼もうというのはおかしいでしょう。品質維持のための基幹的で重要な仕事を外に出すものでしょうか」
藤田少佐
「うーん、品質監査が有用であることは分かったが、それが継続的に有効であるためには検討が必要だな」

うそ800 本日の予告
やっと監査までたどり着きました。次は監査代行になり、その先は第三者審査となるはずですが、それまで続くのでしょうか?
まあスポンサーがついているわけではないので、アクセス数が減ろうと途中打ち切りはないかと・・・

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注1
「東日本大震災の記録 千葉県」
「東日本大震災 浦安市の記録」
「<東日本大震災>」船橋市の被害状況および一連の対応に関する記録」
「東日本大震災から1年 習志野市の被害状況と復旧・復興の取り組み」
「東日本大震災 郡山市の記録」
「須賀川市 東日本大震災の記録」
上記の自治体はハードコピーやpdfの一体の報告書として公表されているが、千葉県市川市や福島県田村市などはウェブに状況や経過が個々にアップされているだけで、包括的なひとつの報告書としてハードコピーにもpdfにもまとめられていない。被害が少なかったのか、報告書をまとめる気もなかったのか、興味がある。

注2
「防災教本」村岡治道、技法堂、2015

注3
「生き残る判断生き残れない行動」アマンダ・リプリー、光文社、2009

注4
注5
航空消火はヘリコプターの場合概ね高度数十メートル、飛行機の場合は100m強から行われているらしい。
霧状にした水は、室内などの閉鎖空間においては棒状の水より消火能力が大きいが開放空間においては不適という。
延焼する室内に対する効果的な放水方法の検証



外資社員様からお便りを頂きました(2018.04.27)
おばQさま
さすが、防災関係も、しっかりと要点を抑えられて、納得の内容です。
>率先避難者
これは大事ですね、この教育ができれば一番効果があると思いますよ。
費用対効果は最高かもしれません。

仕事場近隣で、昼食時に中華屋のダクトが燃えるボヤがあったのですが、驚いたのは昼休みの会社員達が、ボーっと見ているだけで避難しないのです。
大きな声で、風上に移動しろとどなったら、ノロノロと動き始めました。
みんなが見ていると、通行人が野次馬に変わってゆくのが恐ろしかったです。
これは被服廠で焼け死んだ人にも共通している、みんながいるから大丈夫というリスクですね。

お書きになっているように防災教育をして、率先して「荷物は捨てろ」「**へ逃げろ」という人がいれば、関東大震災でも、ずいぶんと被害が減ると思います。

>高度300mくらいで放水すると地上では霧状になり雨が降ってきた感じはありませんでした
飛行機による放水は、そのうち突っ込もうと思っていたら、しっかりとお書きになっておりました。
こちらに消防科学研究所による論文がありますが、500?を大型ヘリで頻繁に投下しましたが、この程度の空中放水は消火には役立たないと正直に報告しています。
一方で、火災の延焼の防止や、やけのこった状態の消火には効果的とあります。
http://www.city.sapporo.jp/shobo/shokai/gakko/labo/shohou/documents/shohouno5.pdf
アメリカは、さすがに力技で、退役したB747などを使って、一度に100tくらい放水して森林火災に使うみたいです。
さすがに、100tをぶちまければ効果があると思いますが、この時点の技術では難しいですね。

異世界チートと言っても、何でも上手くゆくと面白くありません。
失敗を、その後 何かに役にたてると信じております、というよりも中島も川西も、この時点で全金属、単葉飛行機を作っていれば、その先はずいぶんと躍進すると思います。
なにより、力技やチート技術よりも、教育や指導で改善できるのが、このHPにはふさわしいと思います。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
ついひと月ほど前、私の住むマンションそばで戸建の火事がありました。実は私も野次馬で見に行きました。いやほんの目と鼻の先だったのです。
建坪30坪くらいの2階建てでしたが、消防車が何台も来て消火活動をするのですが、なかなか消えません。なんとか鎮火したときには、その家の庭もそばの道路も水が数センチ冠水したような状況でした。消火にはものすごい水を使うのだなと実感しました。
結局、屋根と外壁は残ったものの中身は完璧に燃えて解体するしかなさそうです。あれでも保険会社は全焼にしないのでしょう。消防士は全焼になるようにしてくれると聞いたことがありますが、近隣が狭いところではそういった気遣いもできず一刻も早く鎮火させるしかないのでしょう。
ボーイング747で100トンの水を放水しても数十坪しか消火できない計算ですから、山火事の消火なんて無理ですよね。日本でも山火事が起きるとヘリコプターの消火作業がテレビで映されますが、あれは頑張っているというメッセージにすぎないように思います。
同じことで爆弾も破壊力は限定的だったのでしょうね。我が故郷の駅前広場はB29の1トン爆弾の跡だそうですが、たかだか数十メートル四方、木造家屋をそれだけしか壊せないのです。東京大空襲は火災による被害ですから。今だって空爆の効果は結局スマート爆弾などによる命中率の向上でピンポイントの破壊ができるようになったという進歩があるだけでしょう。
そういう意味では核爆弾が数キロトンというのは非常に効果的だったのですね。
本日(4/27)北朝鮮が核放棄をすると合意したそうですが、一旦持ったからには絶対に放棄しないでしょうね。何回嘘をついて何回騙されるのかという思いです。

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