私が関わったコンサル1

19.08.22
私は企業の立場でISO認証に関わってきた。最初はひとつの工場のひとつの製品で認証を受けたことから始まり、次に他の工場の認証を指導したり、その後 会社を移ってからは企業グル−プの認証や維持を指導する立場になった。
今まで小説やケーススタディで企業の立場も審査員の立場も書いてきたから、今回はコンサルついて見たこと聞いたこと考えたことを書いてみようと思う。私も認証の指導はしたけれど、顧客あるいは親会社としての立場からの指導であり、コンサルはしてもコンサルとして生きてきたわけではなく、あくまでもコンサルを外から見た話である。

会社の仕事で、お金を払ってコンサルを頼むというのはまずなかった。ほとんどのことは行政が支援をしてくれた。省エネは指導をしますなんて通知が県の事務所から来たし、消防や安全衛生はコンサル以前に市役所とか消防署の指導監督がある。

ハイ、私はISOコン
サルです
私は安く速く認証し
てあげます

コンサル
分からないから金を出して専門家を頼まなくてはなんてことはほとんどない。
1990年以前、勤め先に来たコンサルなるものは、作業改善と経営ナントカというコンサルだけだった。経営ナントカというのはたかが現場の監督者だった私とは縁がない。
作業改善というコンサルは現場に来て、ああだこうだと改善策を挙げて、それを聞いた幹部は「さすが○○先生」と恭しく聞いて、言われたことを我々にやれといった。そして我々には「外部の人がすぐに改善を見つける。お前たちは何をしているのか」と非難というか愚痴を言う。
だけどコンサルが言った改善項目は我々が以前から考えていたことであり、上に対して具申していたことばかりだった。しかし予算がない、自分たちでもっと考えろとか言って、金も出さず口も出さなかったものばかり。下が提案してもボツでも、同じことを外部の有名人が語るとハイハイというのをバカバカしく見ていた。
ともかくコンサルには良い思いはなかった。

1992年に欧州に製品を輸出しようとしていたとき、1993年の欧州統合で域内に輸出するにはISO9000s認証が必要だということが分かった。

注:当時はISO9001だけでなく9002や9003もあり、ISO9000sと呼んだ。
s は複数の意味なのかシリーズなのか分らない。

ISO認証しようとなったとき、我々は全く知識がなかった。というときISOコンサルなるものが登場した。思い返すと我々がコンサルを頼もうといったわけではない。というかISOコンサルなるものの存在を知らなかった。工場の幹部がISOコンサルを頼もうとしたとも思えない。なんでも自分たちでやれという会社だったから、下々が困っても援助してやろうなんて発想は起きなかっただろう。
となるとISOコンサルが自分から売り込んできたとしか考えられないが、もう30年近く前のことだし、とうに私はそこをやめたから経緯は分からない。
そのときまでISO9001認証を目指して我々がしていたことは、ISO9001規格を読むこと、そして従来から顧客向けに作成していた品質マニュアルを作ることだった。
現れたISOコンサルはISO規格の解説をしてくれたが、どこかで見聞きしたことを鳩るだけだ。

はとる」とは: 2ちゃん用語で伝書鳩のように右から聞いたことを、考えなしにそのまま左に伝えること。
鳩る人とその立場・続柄をつけて「鳩夫」などといい、考えなし、言いなりの人の意味で使う。

コンサルの語ることをいくら聞いても全くわからない。むしろ疑問が増すばかり。
認証活動が進み、認証機関と契約すると、認証機関の営業マンが調査なのかわざわざ東北の田舎までやって来た。実を言ってこの御仁のお名前を言えば、ISO認証の初期から関わった人なら「ああ、あの人ね」と分かるだろう。
プレゼンテーション ともかくこの方が我々にISO認証全般の説明をしてくれた。その方はスケジュールとかお金など本来の仕事はまったくダメで、営業マンそして人物としては疑問があるが、ISO規格についてはしっかりした人で、我々はその話を聞いてなるほどと感心した。
そのとき例のISOコンサルがいたか・いなかったかは記憶にない。ただ、その日以降、そのISOコンサルの姿を見ていない。多分、私の上長が断ったのだろうと思う。
ともかく認証が決定してから9カ月くらい、当時としては記録的短期間で認証した。
予定通りISO9001を認証しても、特段外部に公表とかしなかった。当時は欧州への輸出のためのことに過ぎず、UL認定をとっても外部に宣伝しないのと同じこと。これで輸出できると喜んだだけだ。当時はISO認証が会社をよくするなんて、おかしな考えなどなかったからね、
そしてまたもうISOコンサルなど頼むことはないと考えていた。まさか認証を維持するのに外部の手を借りるなんて発想は湧かないよ。

我々が認証してから半年ほどして、少し離れた都市の中小企業の部長なる方が訪問してきた。最初はトップに会いに来たらしいが、話を聞くとISO認証のコンサルをしますということで、私の所属していた品質保証部門に回された。
課長と私が面会してお話を伺う。
その部長曰く、私は独力でISO9001を認証した。御社もISO9001を認証する必要があるだろう。私がコンサルをしてやるから依頼しろ……とまあ、そういう話であった。
1993年末か1994年初頭で、ISO認証企業はまだほんの少数の時期で、当時自力で認証したというのは大したものだ。とはいえ、我々も認証機関の営業マンの講演? を一度聞いただけで遂行したのだから、その部長の話を聞いても驚くこともなかった。それで実は既に我々も自力で認証を終えていること、残念ながら依頼するまでもないことを説明した。
その部長は当方の返事を聞いて残念がったが、それはしょうがないといって、過去1年間自分が何をしてきたか、私の技はこうであるといろいろと自慢話をしていった。
彼と会ったのはそのときの1時間だけだ。ただその部長はマニュアルを書くには、まず社内の規則類をしっかりと読んで、規格要求に該当するものを抽出することだと述べたことを今でも覚えている。それは私たちが過去より顧客対応の品質マニュアルを作るときのセオリーである。そのときから今まで、そういう発想をしている人、ISOコンサルに限らずISO審査員にも企業のISO担当者にも会ったことは数えるほどしかない。いかにISO認証というものが理解されていないかということだ。そしてISO認証のトップグループにいた我々とその部長はISO認証の本質をつかんでいたのだと思う。

前述のコンサルしてあげますというのと反対に、コンサルしてくださいという話もあった。
私が勤めていた会社がISO9001認証したことを聞き知った近隣の中堅や中小の会社から、ISOについて講演してほしいなんて話がいくつも来た。当時の上長は優秀だったが、あまり外交的ではなかったので、お前が行ってこいと私に振ることが多かった。
私はホイホイと話のあった会社に行って短いもので1・2時間、長ければ半日くらい、ISO認証の意味、仕組み、認証のための作業などを説明した。ほとんどのところで宴席を設けて飲ませてくれたし、謝礼を出そうとしたところもある。もちろん謝礼は受け取らない。業務で行ったならそれは賃金内の仕事だ。
前述したコンサルを売り込みに来た部長やお呼ばれした企業の話から、世の中ではちょっと人の知らない知識や経験があるとお金になるものだと認識した。あのとき会社を辞めてコンサルに転身というのもありかもしれないが、まあ長続きする仕事ではなかっただろう。

その頃、品質保証部門では計測器管理をしており、私がそこの責任者だった。ISO認証のために定期校正のトレーサビリティの厳密化などレベルアップが必要で、計測器校正業者を呼んで話を聞いた。
計測器 そのとき来た担当者は、ISO認証が広まると校正業者は仕事が増える、そしてそれだけでなく、ISO認証に関わる事業を拡大するつもりだという。こちらも興味津々だったので、いろいろと聞いた。
彼の言うには、まずISOコンサルがある。ISO認証は今は大企業だけだが、中堅企業そして中小企業に広まるだろう。だけどどこも情報不足で認証のために外部の支援を必要とする。そこにISOコンサルの需要があるという。
次にその校正業者はISO審査員の派遣業をするのだという。審査員の派遣業とは初めて聞いた。当時はISO審査員とはとんでもなく高度な仕事と思っていたので、田舎の校正業者の社員が審査員になれるとは思わなかった。ましてや派遣なんてあるものだろうか?
担当者が言うには、認証機関の費用構造から、利益を出すには人件費を変動費にして安くすること、費用をかけないことが必須だ。人材派遣とすることで人件費を安くでき、また地方に所在することから旅費・出張手当を下げることができ、認証機関にとっても派遣する会社にとってもウィンウィンなのだという。
人材派遣といってもいわゆる人材派遣業ではなく、後に契約審査員と呼ばれるようになるもので、審査員有資格者個人ではなく、その人が勤務している企業と認証機関が契約するという。そのときまでに数回ISO審査を受けていたが、契約審査員が来たことはなかった。

注:当時はISOの維持審査は半年に一度だったし、複数の部門で認証を受けていたから、認証して2年も経てば7・8回の審査を受けた勘定になる。

そしてISO審査員になる方法も教えてくれた。それは私が思っていたほど高度な研修ではないらしい。それまで当社に審査に来た人はイギリス人かイギリスで審査員の教育を受けた日本人だったが、今は日本人が日本語で審査員研修を受けているという。
その校正業者の担当者は仕事で私の会社の近くに来ると、立ち寄ってISO事業の状況を教えてくれた。ISOコンサルや審査員派遣は順調だと聞いたが、利回りは薄くどんなビジネスも濡れ手で粟とはいかないとはいかないものだと思った。

1994年頃、私は相も変わらず計測器管理と、複数部門のISO9001認証の維持をしていた。当時は工場まるまるISO認証ということはめったになく、認証範囲は「どこそこ向け製品」とか、「A製品」だけということが普通だった。二社間の取引条件という当初の「品質保証の国際規格」という存在目的から言えばそれはおかしくない。それ以前の大手メーカーとの品質保証協定はその会社だけというのとまったく同じことだ。
だって客から要求されて認証するわけで、金がかかる認証を工場全体とかすべての製品などと考えるわけがない。

ところで日本のバブル崩壊は1991〜1993年頃と言われるけど、田舎にいた者にとっては1994年というのが実感だ。土地の価格崩れや身の回りの不景気は、ジワリジワリと我々の身の回りに迫ってきた。ファッションでも不景気でも、都会より流行は1年遅れなのだ。
ということで当時の勤め先もリストラまではいかないが、組織の見直しとか人員の削減などを始めた。私ものんびりとISO9001と計測器管理をまぶっているだけではすまなくなる。

注:「まぶる」とは福島県中通りの方言で、「守る」がなまったもので、「見守る」とか「その場を離れない」という意味に使う。

ということでその後少しの間ISOとは縁が切れ、設備管理とか雑多なお仕事をするようになる。


うそ800 本日これを書いたわけ
前回、認証機関のリスクを書いていて、そういえばコンサルについて書いたことがないと気が付いた。私もISOと付き合った20年間に何人ものISOコンサルと付き合ったから、その思い出でも書こうかと……

その2に続く


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