私が関わったコンサル2

19.08.26
承前、
前回、ISO9001の面倒を見る仕事から設備管理のお仕事に移ったところまで書いた。
本日はその続きである。

1996年にISO14001というのが現れた。地球環境を保護するためにはISO14001を認証して、環境保護に努めなければ一流企業じゃないという。
バカじゃなかろか
地球環境にかける負荷を減らそうということは納得する。企業の社会的責任は時と共に増大しているのも分かる。製品やサービスだけでなく事業活動における環境負荷低減をしなければならないのもわかる。
だけどISO14001を認証しなければならないとはなんだ
だって認証というのは客先から要求されるからするのだろう? 認証とは第三者による裏書(保証)であり、認証の有無によって実態が変わるわけではない。
そもそもISO9001は欧州の単一市場となるときに、欧州域内のすべての工場が自由に貿易できるのではなく、ISO9001認証が必要になった。そのとばっちりを受けて欧州からはるか離れた東洋の日本からEUに輸出する場合も、ISO9001認証が必要になったからではなかったのか?

ISO認証とは組織になんの影響もない。組織が特定のマネジメントシステム規格に適合しているという第三者証明でしかない。
私個人の主張とか独善ではありません。ISOとIAFがそう語っています。
ISO/IAF共同コミュニケ: 認定されたISO14001認証に対して期待される成果
「定められた認証範囲について、認証を受けた環境マネジメントシステムがある組織は、環境との相互作用を管理しており、以下の事項に対するコミットメントを実証している。
A. 汚染の予防
B. 適用可能な法的及びその他の要求事項を満たしていること。
C. 環境パフォーマンス全体の改善を達成するために環境マネジメントシステムを継続的に強化していること。」
これはISO14001についてだが、ISO9001についても同様だ。

いやいやISO14001の序文にも、この規格は、次の事項を行おうとするどのような組織にも適用できるとして、幾種類も記してあり、そのひとつに認証がある。これは1996年版、2004年版、2015年版ともに同じだ。
改めてISO9001:2015とISO14001:2015を読み直してみたが、どちらにもこれらの規格は認証のためとか、認証が必須とか書いてない。
まさか、これを知らない人が審査員やコンサルをしているはずはない(反語だけど)

しかし理解不能なことだが、日本では1995年頃からISO9001認証した企業は品質が優れているという迷信が産まれ、更には規制対応でなく品質を良くするためにISO9001を認証すべきという勘違いが始まった。
なぜ勘違いしたのかは簡単だ。勘違いさせた人がいたからだ。EUへ輸出するために1992年頃からISO9001認証が爆発的に始まった。しかし欧州に輸出しない企業は無関係だ。それに欧州へ輸出している企業は統合されるまでに認証しなければならず、ほんの1・2年で一巡すればブームに終わる。
ブームが終わるのを止めるには、認証が必要でない企業にも認証させるしかない。そのためには認証企業はエクセレントカンパニーだ、更にはエクセレントカンパニーになるには認証すれば良いという嘘を広めた人がいたわけだ。

不思議なこと: 認証した企業がエクセレントカンパニーかどうかはともかく、エクセレントカンパニーは数が少なければならない。認証件数が増えるほどに認証の価値は低下する。ISO認証すればエクセレントカンパニーだという論理は、そもそもが破綻しているように思う。

これは想像とか捏造ではない。1994年頃から、消極的認証から積極的認証へなんて雑誌に書いていた審査員や認証機関がある。彼らにとっては、認証の本来の用途である顧客からの要求で認証することが消極的で、誰からも要求されていないのに認証するのが積極的らしい。主客転倒いや支離滅裂としか言いようがない。
21世紀になってもISO認証すると品質が良くなるとか会社が良くなると妄想(ウソ)を語る人は多いが、それを証明したデータも論文も寡聞にして知らない。

参考までに: ISO14001認証の効果を数字で表した報告や論文というのはめったにない。たまたま見つけたものが、認証によってPPC(コピー用紙)を削減したという論文だったので脱力した。ISO認証の効果がPPC削減では認証しない方が間違いなく環境に貢献するだろう。
 ・認証の効果

また外部品質保証ではなく内部品質保証が重要という説も流れた。内部品質保証の重要性はISO9000(ISO9001の間違いではない)に記述されていたが、ISO9001は間違いなく第三者認証は顧客のためであり、供給者のためではなかった。
だが、嘘も百辺言えば真実になるというのは韓国や中国だけでなく、ISO業界でも真実のようだ。間違いでも捏造でも多勢に無勢、21世紀の今、間違いは津々浦々に広まった。なにしろ認定機関の理事長が、ISO9001が品質を良くすると騙っているのだから、┐(´ー`)┌
そして製品やサービスを提供する企業にはISO9001が品質を良くすると宣伝し、外部から品質を要求されない学校や自治体にはISO14001認証が組織を良くすると売り込んだ。
おっと、正しくは品質に関りがない企業や自治体は存在しない。すべての組織は組織外へのアウトプットがあり、その品質向上は組織のレーゾンデートルである。
私はそんなおかしな方向に流れていくのを、当時のアイソス誌とかいそいそフォーラムで見ていた。とはいえISO9001と離れた私にとって縁のない話で、どうなろうと気にもしなかった。

そのまま過ぎてくれれば良かったのだが、1996年に本社からISO9001のとき認証ブームに乗り遅れたから、ISO14001では認証のトップグループに入るんだという指示がきた。あっという間にISO14001認証が具体化した。
設備管理のお仕事といっても純粋に設備管理だけではなく、省エネから植栽から公害防止まで含めて工場の施設管理である。ISO9001が品質保証規格だから品質保証部門が認証担当になったのだから、ISO14001が環境管理の規格なら環境管理部門が認証になるのは必然であると皆が思った。
それがあるべき姿なのかどうか……今思うと、品質保証ならともかくマネジメントシステム認証となれば、総務あるいは経営トップ直下の部門が担当すべきではないかと思う。不思議なことだが、ISO9001は会社をあるいは業務の品質を良くするんだと叫ぶ認証制度関係者は多いけど、審査の対面に品質保証部門が出てくるのを問題とする人を見たことがない。本当に会社を良くする仕組みなら審査の対面には経営企画部門とかトップ経営者の秘書部門がこなければおかしいじゃないか? とはいえMS認証そのものが先細りとなった今はどうでもいい。
ともあれそんな流れから、私がISO14001認証に関わることになる。

私は数年間の品質保証屋の経験があったしISO9001認証を何度もしたことから、ISO14001もその流れだろうと思っていた。それにLRQAやBVQI(当時)の無料説明会を聞きに行って、ISO14001の要求事項を理解したつもりだった。ところが予習したことすべて、どんでん返しを食らったのである。
ISO14001認証が規格発効より前の1996年後半に開始されると、当時ISO14001認証のガリバーであったJA○○はISO規格解釈が独特であり、素直な規格解釈、当たり前の考え方では不適合となり認証できないことが知れ渡ったのである。規格の出発点である環境側面で審査がストップしたという話を多々聞いた。

当たり前だがISO14001の審査基準はISO14001規格である。いかなる審査員もオープニングで、この審査(or 監査)は何々に基づいて行うと宣言しなければならない。ところがISO14001:1996年版によって審査を行うと宣言しても、実際にはJA○○の解釈を審査基準として行われた。そしてJA○○の解釈はISO14001とは全くと言って良いほど違った。それなら、JA○○の解釈を知らなければならない。
明文化されたものがないのだから、そのためにはJA○○の審査に陪席した人の話を聞くしかない。私の上長だった課長は、これはコンサルを頼むしかないと判断した。つまりISO認証のためのコンサルではなく、JA○○認証のためのコンサルである。まっとうな考えじゃないけど、与えられた条件で認証しようとするならそれは最善の選択だろう。
我々には認証機関を変えるという選択はできなかった。ひたすらバカバカしいことを耐え忍ぶのみ。

サッカー
バカバカしいことを耐え忍ぶことは褒め称えることではなく、単にバカバカしいことだ。歯を食いしばって理不尽に耐え忍ぶ姿は、私が高校生の頃の「あしたのジョー」とか「巨人の星」のようだ。
昨今のスポーツマンガはそんな封建的なしがらみを抜け出た。「キャプテン翼」や「ベイビーステップ」はのびのびと頂点を目指す。
とはいえ夢と理想ばかりではなく、現実をよく反映している。ベイビーステップではスポンサーの獲得とか契約、また本人の努力だけでなくチームの成果であり、戦略が必要なこともしっかりと描いている。スポーツマンガは根性論ではなく、ビジネス指南までに進化している。

やってきたコンサルはそれまでに何件かJA○○の審査を受けた企業の指導をしていた。しかし彼もJA○○の審査基準を理解していなかった。いやJA○○の審査基準が確固としていたならまだ良い。審査のたびに言うことが変わり方向やレベルが変わるから理解どころではない。
JA○○関係者の皆さん、嘘だなんて言ってはいけない。証拠豊富だよ。
韓国が日本との外交交渉でゴールポストを動かすのは定説だが、JA○○は審査基準を自由自在に動かしたのである。これでは審査ではない。お遊びだ。だが我々には代替え策がない。認証を受けようとする企業は、JA○○の顔色をうかがいながら右往左往するしかなかった。
ISO審査はJA○○にとってはお遊びでも、我々にとっては死活問題だよ。

私がJA○○に恨み辛みがあると思うでしょう。もちろんです。
日本の第三者認証制度を悪くした原因というか実行者は、某認定機関の理事長も該当しますが、このJA○○はISO14001をダメにした責任があります。審査基準は規格でなく認証機関の恣意的な思い込みで行い、それをしれっと「UKASが言ってます」なんて嘘を語る、救いようがない。
そういえばJA○○はオープニングで異議申し立てを説明しなかった。これは明確にISO17021に違反だ。彼らは説明しないことが違反になることさえも知らなかったのだろう。無知ほど恐ろしいものはない。

JA○○の理不尽を、多くの企業担当者は、ことなかれ、長い物には巻かれろと流してきた。しかし私は顧客要求をいかに満たすかという観点で生きてきたから、そのようないい加減な妥協を許せず、あれから20年、今もこのように悪行を糾弾している。
しかしJA○○は、過去一度も過去の間違いを認めたことも謝罪したこともない。呆れて笑うしかない。

話を戻す。
ともかくコンサルを頼んだが、このコンサルはハッキリ言って既に自信喪失でした。それまでいくつかの会社を指導してきたが、「JA○○はこう考えます」というJA○○の審査員のセリフの前にはなすすべがない。
「UKASが言ってます」と言われたとき、私のようにイギリスに問い合わせメールをするかしないかの違いはあるけど。そこまで言うのは酷か?


やって来たコンサルは過去JA○○がどんなことを言ったかは知っていたけど、これから何を言い出すのかは見当もつかず、どうすればJA○○の審査を突破できるのか分からなかった。
それともうひとつ、このコンサルは他社の審査でJA○○がどう語ったかを我々に教えてその対策をさせたが、その後JA○○が別の審査で話すことを変えると、その後にわが社に来るとにこやかに「JA○○の話が変わったので、方法を変えます」という。
とてもお金をもらってコンサルをしているとは思えない。
恥はないのか 矜持はないのか
私は課長に断りもせず、そのコンサルにもう来なくていいと言った。
いや客観的に見れば、そのコンサルが頭を下げて「JA○○が語ることが変わった。仕方がないから全面的に見直す」と言っても、笑いながら「JA○○が語ることが変わった。仕方がないから全面的に見直す」と言っても同じことだ。ただ当時の殺伐とした状況で私が怒り狂ったというだけで、今はお詫びしたいと思う。
ともかくそんなわけのわからない状況にしたのはJA○○であるのは間違いない。
その後、そのコンサルの上司が来たが、この人も悪気はないのだがJA○○の審査に合格するすべを知らないのは同じだ。結局やめてもらった。

さて、教えてくれる人もなく、やらねばならない。
だがひとつの道はある。過去、日本でISO認証しようとして認証できなかった企業はないと聞く。つまり審査を受けて指摘されたらそれを是正するということだ。
要するに真剣にならず適当にやって審査を受け、悪いと言われたらそこだけ直せばいい。審査員が語るのが変われば、またそれに従うならいつかは適合する。そのほうが総合的に見て、余計な手間もかからない。コンサルなんていらないじゃないか、
もっとも悪くないことを是正するとはこれいかに? と疑問をもつだろうが、そんなことを考えていてはJA○○の認証を得られないのであり、意味のない認証を得なければならないというのも渡世の義理なのである。

ともかく予備審査を受けて、いちゃもんがついたらそこを言われたように直して審査合格した。その認証に意義があるのかと言えば、審査登録証を得たという意義はあるのだろう。
日本がバブル崩壊した直後に、そんなバカバカしいことをしていたのだが、それから考えるとバブル崩壊など日本の企業にとっては大事件ではなかったということなのだろうか?

戦い済んでから、私はあまりにもいい加減なISO14001のJA○○の審査に憤りを感じ、これはまずいと心底思ったのである。

今まで書いたのを読むと、JA○○が悪くコンサルは被害者だと思われたかもしれない。だがコンサルにだって十分責任はあるだろう。
およそ真のISO14001を実現しようと考えたなら、コンサルにできることはたくさんあった。というのは当時外資系認証機関はまっとうなISO14001規格解釈を有料/無料の講習会で教えていたという事実がある。JA○○が統合失調症としか思えない摩訶不思議な解説をしていたにしろ、その他の認証機関対応にはまともなコンサルティングができたはずだ。
面白いことに(皮肉である)環境側面の把握とか著しい環境側面の決定についての書籍の99%はJA○○流の点数方式の手法しか書いていない。これは本を書いたコンサルや審査員がJA〇〇流以外の方法を知らない、考えつかないという無知、無能を示す以外の何物でもない。世のコンサルは頭を丸めて反省しなければならない。

JA○○流以外の方法があるのかと問われるか
あるとも、しかも書籍として出版されている。

書名著者出版社ISBN初版価格
環境マネジメントシステムの
構築と認証の手引き
土屋通世システム規格社97849014760272000/08 1524円

こういうまっとうなで平易な解釈、素直なアプローチ通りにしていれば、日本のISO14001は現在よりももっとまっとうになり広まっていたに違いない。どこかのバカがISO14001をダメにしたのだ。

点数方式を主張したのはJA○○だったが、考えもせずその知り馬に乗ったのは他の多くの認証機関でありコンサルであったのも事実。彼らは、はなっからISOを理解していなかったのだ。

私はJA○○流でISO14001を認証してバカバカしいと感じ、もうこんなアホな仕事はしたくないと心底思った。
そう思いつつ施設管理のお仕事をしていたのだが、突然肩を叩かれた。リストラである。

勤め先が変わり、私の仕事は環境監査専任となった。工場や関連会社に行って環境監査をするのである。仕事を替わって半年くらいは前任者のしていた通りの仕事をしていた。対象の工場や関連会社のほとんどがISO14001を認証していたが、その仕組みは会社の実際の業務手順とは大きく乖離していた。実際にしている通りの手順・基準を文書にすべきではないか。いや文書はあるのだから日陰の文書でなく表に出すべきだと思った。
そう話したのだが、どこもISO規格の通りの文書を作りそれをISO審査の時見せているのでだめなのだ。 おかしいだろう?
そもそもはISO14001認証の時に、コンサルが審査員を簡単に納得させるにはそれしかないということから二重帳簿となったという。
まあコンサルとしては不具合を言われるより、ISO規格に沿った審査員を納得させる文書体系の方が簡単で手離れが良いと考えたのだろう。それをコンサルの責任というのは言い過ぎか?
文書体系や文書の形態は、会社の文化に合わせて作られるものなのだが……
私もどうでもいいというか、あるべき姿にするには抜本的な改革が必要で、とても私の手には負えないと諦めた。なにせ事業所一つが相手じゃなく、多数の工場、関連会社があるのだから。
ただ監査方法を180度変えた。マネジメントシステムなどどうでもいい。遵法と事故防止だけを見ることにした。

コンサルとはISO認証を素早くすることなのか? その会社の最善の仕組みを提案することなのか? 会社によっては前者を希望するところもあるだろうし、何とも言えない。
工場や関連会社を訪問すると、そこでISO14001を認証したときに指導したコンサルが陪席していることも多かった。コンサルの方と話をすると、多くの方は前者の希望も後者の希望もあるという。そして結局当事者ではないし、審査で問題が起きないことに焦点を合わせるしかないという。そういうことを話してくれるコンサルは一定水準以上だろうけど、規格を読みこなせずJA○○流をISOの認証手順と考えているレベルの低いコンサルも多かった。まあコンサルにもいろいろあろうな、

コンサルもISO認証立ち上がり時にはさんざん苦労もしただろうし、審査員相手に喧嘩もしただろう。
でも認証が一巡してしまえばあとはルーティンだ。認証機関の規格解釈が間違っていても、それに合わせているわけだからもめることもなくなる。どの会社もISO認証で会社を良くするなんて考えてないのだから、多少手間がかかっても審査員・認証機関への寄付か施しとしか考えてない。私が真剣になることもなかったのだ。

2000年頃、私の同僚や訪問先の環境担当者には、それまでのISO業務経験を生かしてコンサルになろうとか、審査員になろうという人は結構いた。実を言って当時は私も審査員になりたかった。というのは当時60歳定年だったから、契約審査員になって70近くまで働けるというのは魅力だった。審査員になりたいという人も多くはそれが望みだったようだ。
ただ彼らと規格の話をしたり実際の動きとかを見ていると、ほとんどがJA○○流だったから、指導した会社のためにはならないだろうとは内心思っていた。認証を得るためのコンサルに存在価値などあるはずがない。

2003年にISO9001もISO14001も、認証件数の加速度…つまり認証件数の増加を二回差分とったもの…がマイナスになった。もう先行きは見えた。秋のきざしである。
2010年頃ISOコンサルには冬の時代が来たようだ。ISO9001がピークだったのは2006年、ISO14001がピークだったのは2009年だ。登録件数が減少し始めたということは、認証する企業が認証を止める企業よりも少ないことだ。当然、ISOコンサルのお仕事は減っていく。
当時はまだ私は現役で、関連会社を歩くとISOコンサルなる人たちと出会うことがあった。私の監査で不適合があると、指導したISOコンサルの問題であり、不適合ではないと私を説得するためだ。なんだか私がISO審査員の立場になったようだ。
だが私の監査基準はISO規格とは無縁だ。ひたすら法を守っているか、事故が起きる恐れはないかが監査基準だから、「ISO規格では……」などと講釈を語られても一向に動じない。環境側面をどのように決定しようとご勝手に、でも環境側面を見逃したり管理をしっかりしていなければダメというだけだ。
しかし実用にならないISO14001認証とは何なのだろう? ISO14001初版には「この規格の意図は遵法と汚染の予防」とあった。意図を実現しないとは研究に値する。

もちろん私は関連会社の環境担当者やコンサルと敵対しているわけではなく、お互いにより良い方向にしようという点では利害は一致している。監査の後に話し合ったり飲んだりした。そういうなかでISOコンサルのビジネス環境とか先行きを教えてもらった。
聞けばコンサルのビジネス環境は大変なようだ。
そのほんの数年前に、企業を退職してISO審査員やコンサル(多くは審査員兼業だ)になった知り合いはどうしているのかと心配した。
当時コンサルの仕事は認証を指導するというよりも、認証している中小企業の維持サービスがメインになっていたようだ。ある方は15万から30万で環境側面、法規制のリスト見直し、内部監査の実施、マネジメントレビューの記録作成……実は記録の捏造……などを請け負っていた。だけど値下げ要求がきつくて、止めたいと言っていた。
もちろんすべては自己責任だ。私が50代前半に審査員になろうとしていたが、定年間近になってその気が薄れたのも自己責任、審査員に転身したのも自己責任

今はどうなんだろう? 私と同年配の方々はすべて引退済みだ。ネットでISOコンサルとググってみても、引っかかるのは何年も更新されていないものが多い。
少し元気がありそうなのは審査代行とか認証維持サービスくらいだ。しかしこれも毎年認証件数が減少しているわけで、マーケットは減る一方だ。

妄想タイム: ISOコンサルが企業の実態と乖離した環境マネジメントシステムを作り、ISOコンサルが契約審査員としてそれを審査して、ISOコンサルが認証維持サービスを請け負う…
リンカーンの「コンサルのコンサルによるコンサルのためのISO認証」が浮かんだし、三橋貴明が「犯罪が増えると、警官や刑務所が増えからGDPが増える」と語ったのを思い出した。

*「妄想タイム」とはもちろん「老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます」から来てますよ。


ISOコンサルが誕生したのは1994年頃、消滅するのが2020年として26年間、四半世紀、一つのビジネスの寿命はそんなものなのだろうか?

妄想タイム: 3.5インチフロッピーディスクは1980年に登場し2004年に終焉だから、24年間。カセットテープは1962年〜2011年で49年間。LPレコードは1948〜1980年代で30年間。携帯電話は1995年〜2015年で20年。
今の時代、一つのビジネスが26年続いたなら悪くはないように思う。

どんな観点から見ても、日本の第三者認証制度をだめにしたのは認証制度自身であることが分かる。その原因は認証機関が規格の理解していないこと、審査員のレベルが低いこと、それを認定機関が是正できなかったことだ。
認証を受ける企業が虚偽の説明をしたなど言うのを聞くと笑止千万である。この経緯と問題点を理解しなければ第三者認証制度の存続はない。とはいえ、既に手遅れで回天の鬼手はないだろう。すべては因果応報である。


うそ800 本日のまとめ
韓国経済は崩壊する、中国のバブルは破裂する、そんなことはもう何年も言われてきた。
ネットで何年も言われてきたがまだ起きていない、だから破綻すると言った人たちはオオカミ少年だと語った人がいた。
するとまた別な人が通常の基準なら既に破綻している、だけど政府が認めないから崩壊も破裂もしたと言わないのだと書いていた。要するに客観的にみて経済が崩壊しようとバブルがはじけようと、ご本人が認めなければ公にはそうではないということらしい。
そういえば「戦争に負けるとは負けたと言った時だ」と東条英機は言ったとか。勝利宣言は意味を持たないが敗北宣言は意味を持つ。
私はISO認証は末期だと10年も前から言ってきたが、それは事実と言っても過言ではない。そして認証制度側が「順調に伸びてます」というなら、認証ビジネスは成長しているのだ。

うそ800 お詫びではなく追い打ち
私の文を読んで気を悪くした方は大勢いるだろう。それは申し訳ない。
しかし胸に手を当てて考えて欲しい。そう思われた方は客観的にみて無私無偏に行動してきたのかを
あのときは情報がなかったなどと言い訳してほしくない。他の認証機関の講習や見解を調べていないなら怠慢でしかない。一企業担当者である私が複数の認証機関の講習を受けて、認証機関ごとの規格解釈の一覧表を作っていたが、認証機関はそんなことしていたのだろうか?
認証を受ける人たちが知識がないから認証機関がISO規格を簡略化して教えたと言い訳してほしくない。あなたが本質を理解しないで簡略化したのではないか。
当時は規格をそう読んでいたが後に間違いに気が付いたなら、それを表明し謝罪すべきだろう。かって環境目的と環境目標のふたつの計画が必要と騙ったT審査員は、その後間違いでしたと語らなかった。恥を知れ、罪を知れ!
私は過去に出会った審査員といろいろと話をした。
ISO17021を読んだことがない審査員は多いし、ISO/IAFの共同コミュニケを知らない審査員もいた。お金がかかるわけではない、マウスを数回クリックすればたどり着く。
当認証機関の審査員は間違った規格解釈をしませんと語った認証機関幹部もいた。その人は部下の審査報告書を見たことがなかったのだろう。
天網恢恢疎にして漏らさず、すべては因果応報だ。認めたくなくても真実から逃れることはできない。


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