最上位の文書 その1

19.11.14
不肖おばQ、ISO認証に関わって20余年、数多くのマニュアルを読んできた。その多くは冒頭に「この文書は○○社において品質に関する最上位の文書である」とか「このマニュアルは環境の最高位の文書である」なんて書いてありました。
多くの方は何気なく読み進んだでしょうけど、本日はちょっと立ち止まって「最上位」あるいは「最高位」の文書というものを考えてみましょう。

後出しになりますが「最上位の文書」であると書いてなくても、「本マニュアルは当社の環境マネジメントシステムの確立、導入、運用、監視、見直し、維持及び改善の枠組みを規定する」とか「当社の環境マネジメントシステムの概要を定める」と書いてあれば、最上位の文書です。だって、俺様が環境マネジメントシステムについて定めると書いてあるのです。それは環境に関する他の規定類より上位であると明言しているわけです。それ以外の規定より上位なら、最上位の文書に間違いありません。
更に追加ですが、「本マニュアルは当社の環境マネジメントシステムの概要を説明するものである」と書いてあるなら、それは手順書ではなく解説書であり、当然最上位の文書ではありません。その違いは分かりますよね。

最高位の文書……すると憲法でしょうか? まあ社内の文書ですからマニュアルとは社内の憲法なのかな?
考え中
憲法という言葉が出ましたが憲法とはなんでしょうか? 憲法はその国の最高位の法律なのかといえば、我が国では最高位の文書をそう呼ぶということに過ぎません。
明治になって大日本帝国が先進国に倣い国の基本になる法律を決めるとき、何と名付けようかとなった。そのときいろいろな案があったそうです。しかし昔々聖徳太子が定めたとされる「17条の憲法」があったので、その言葉を使うことにしたのです。別に憲法という言葉が最高位の法律を意味するわけではありません。

「憲法」という言葉そのものは、古くから日本語として使われていた。しかし最上位の決まりとか国の形という意味ではなかった。漢字の「憲」は心を押さえる枠の意味で、「法」は行動を規制する枠の意味だという。「憲法」はそれらを合わせた言葉だから「人の行動や考えを規制する枠」という行動と心を規制する「おきて」でした。
そういう意味ですから「十七条の憲法」は、官吏や貴族が守るべき道徳的な訓戒を書いたものでした。現在の「憲法」は心の中を規制しませんから性質が違います。
 参考:「憲法の言葉」シリーズ@「憲法」

英語のConstitutionは日本語に訳すとき憲法とする場合もあるが、最高位の法律という意味はない。本来は「成り立たせる」という意味で、「構成する」とか「組織する」と訳すのが一般的。「Constitution of the United States」を「アメリカ合衆国憲法」としているのは意訳であり、直訳すれば「合衆国のしくみ」となる。
 参考:LONGMAN英英辞典

ドイツには憲法がないという人もいるが、「ドイツ連邦共和国基本法」と呼ばれるものが日本の憲法に当たる。日本でも日本国憲法の名前を日本国基本法に変えれば同じこと。
中国語とか韓国語では「憲法」(読みは違う)と書くが、実はそれは日本からの外来語・借用語である。

くどいようだが憲法という言葉に最高位の法典という意味はなく、日本においてはたまたま憲法という言葉を最高位の法律に当てたというだけ。それぞれの国が最上位の法典をいろいろな名称で呼んでいるということだ。
あちこち彷徨ったが、憲法と名付ければ国の最高位の法律となるわけではない。

では日本国憲法が日本で最高位の法律であるという根拠はなにかとなると、大日本帝国憲法からのつながりである。言い換えると大日本帝国憲法がなければ日本国憲法が最上位の法律である根拠がない。

そもそも日本国憲法は大日本帝国憲法を改正したものである。
1946年日本国憲法は次の文章によって布告された。

布告文: 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

昭和21年11月3日

つまり日本国憲法は新たに制定されたのではなく、大日本帝国憲法が大日本帝国憲法の定める手順により改正されたものである。そして大日本帝国憲法が日本の最高位の法典だったから、当然日本国憲法もその地位を継承したわけだ。

では大日本帝国憲法は最上位の法律であるという根拠は何か?
1889年、大日本帝国憲法が発布されたときの告文において、

告文原文(該当部のみ)告文現代語訳
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆国家を統治する権利は、朕が先祖から受け継いで子孫に伝えるものである。朕と朕の子孫は、この憲法の決まりに従って統治権を行使するという事に違反してはならない。
朕は臣民の権利と財産の安全を重んじ、これを保護して、この憲法と法律の範囲内で、完全にこれを守り尊重していく事を宣言する。
と宣された。

要するに、大日本帝国憲法を発布のさいの告文において「天皇はこの憲法を守って統治する」と宣言したから、大日本帝国憲法が日本の運営において最上位であると明確にされたわけです。

お断り: 天皇が統治すると言っても、天皇が独裁政治をするわけではない。
まず上記 告文にあるように「憲法の決まりに従って」統治するのである。
そして憲法の中で、立法は「大日本帝国憲法で定める議会の決議したものを法律とする」こと、司法は「裁判官が憲法と法律を守り良心に従い裁判する」と定めています。
大日本帝国憲法から日本国憲法への改正も、議会が決定したことを交付しただけです。
要するに99%現行憲法と変わりません。多分嘘だと思うでしょうからご確認ください。

参考
 大日本帝国憲法 原文
 大日本帝国憲法 現代語訳

日本国憲法で、日本は平和になったとか民主主義になったというのは大嘘である。
確かに男女同権は日本国憲法で認められたが、アメリカだって女性参政権が認められたのは1920年で日本と25年しか変わらない。フランスもイタリアも1945年だ。スイスは1971年だよ。

現行憲法と違うのは、緊急で議会が開けない時は天皇が「緊急勅令」を出せること。但しそのときは事後に議会の承諾を得なければならず、承諾を得られない時は効力を失う(第8条)となっていた。
226事件 そして天皇が大権を行使したのは、政府も軍隊も機能しなかった226事件を収拾したときと、太平洋戦争で敗戦を決めたときの2度だけ。ご自身が戦争を始めたことはない。
日露戦争は天皇の承認を得ずに始まり、明治天皇は開戦を決定した内閣に怒った。とはいえ戦争になった後で、止めることはできなかった。
要するに明治以降、天皇が独裁したのは一度もない。むしろ政治的に何もしなかったことが罪かもしれない。

立憲君主国といっても、すべてが国家元首の政治的行動を禁止しているわけではない。
亡くなったタイのプミポン国王は政治的混乱が起きると軍隊や国民に呼びかけて収拾を図った。イギリスでも国王は首相に政治的な意見を自由に述べることができる。但し首相はそれに影響されないという下の句も付く。

ともかく日本国憲法は、大日本帝国憲法の告文からの積み重ねによって日本の最高位の法典とされるわけです。

ええとだいぶ横道に反れてしまいましたが、要するにこの法律が最高位のものだとか俺が偉いんだとか言っても、それだけじゃだめなんです。最高位の文書である根拠が必要で、それを正統性という。

正統性とは: 正統性とは権力ではなく権威が認められること。
歴代天皇は、天皇の男系卑属で5代以内というのが決まり。竹田恒泰さんは明治天皇の4代目だから天皇になる資格があります。
ジャイアンは腕力があっても、子供たちから尊敬されていないから権威がありません。
なお、正当性とは事柄や説・推理などが、理にかなっていることで、正統性と意味が違います。

ではマニュアルが最上位(最高位)の文書であるとは、何が根拠なのでしょうか?
前述したようにマニュアルの中に最高位の文書だと書いてあっても、それがマニュアルの正統性を保証しません。ジャイアンが「天下無敵♪」とか「人気者〜♬」と歌っても、自分が宣言するだけではだめ。
ISO規格適合が自己宣言だけでは心もとないのは分かるとして、認証されたら信頼されるのかとなると大きな疑問符が付く。権威を与えるには権威を持つものでなければならない。認証が信頼されないのは、認証制度の権威がないからだろうか?

マニュアルが最高位の文章であると裏付けるには、二つの方法があると考えられる。
ひとつは御墨付、もうひとつは文言です。まあある程度の期間 運用されれば、その二つは同じことになると思います。

御墨付おすみつきとは
社長あるいは取締役会(委員会設置会社なら執行役会議)において会社の原則とされること。例えばこの会社の社内の手順や基準を定めたものである旨の記載である。
明治憲法のように告文で天皇が宣言すれば立派なお墨付きです。
品質マニュアルや環境マニュアルが、本書が最高位の文書だと語っても、それだけでマニュアルが権威ある文書になるのではない。
御墨付が御墨付足り得るには、将軍のところにお墨付きを持っていけば、将軍の子として認められるという実質がなければなりません。御墨付があっても、偽者と獄門にかけられては意味がない。
社長が品質方針を出したなら、日頃から「当社の品質方針を見ろ」と発言し、また社長自らが「品質方針に基づいて判断」していなければダメです。

文言上の裏付けとは
現在 日本の法律の多くは憲法ではなく基本法を根拠にしている。そして子供にあたる法律の冒頭に「○○基本法に基づきこの法律を定める」というくだりがあり、
品質管理規則
矢印
品質保証規定品質管理規則に基づき…
矢印
品質保証業務規定品質保証規定に基づき…
矢印
顧客要求文書管理細則品質保証業務規定
に基づき……
それにより親子関係(上下関係)が明確になる。
どの会社も業務遂行のために多くの社内文書が存在している。それらの文書は無縁ではなく相互に関連している。特に親子関係にある場合、下位規則はその存在を依存している上位文書を、法律と同様に「○○規則に基づきこの規則を定める」と記述する。
その準拠基準をたどっていったとき最終的に根拠となる文書が最上位の文書である。当然この連鎖において上位規定の定めに反する子供規定は存在(制定)できない。

図面では親図面(組立図)は子図面(部品図)を指定するが、子図面から親図面をたどることはできない。文書や法律の場合はその逆で、子規則は親規則を明記しているが、親規則から子規則をたどることはできない。まあ目的から逆になるのは必然かな?

前述したように、文書が作られるとき御墨付があれば「この規則は○○マニュアルに基づき」から始まるだろうし、最終的に実質的な裏付けがされることになる。だからどちらの方法で始まっても、運用されるようになると実質的に同じことになる。
御社のマニュアルはそのような状況になっているのだろうか? それとも、他の規則はマニュアルなどないかのごとく、別の規則に基づき制定されているのだろうか?
ひょっとして基づく根拠なしに制定されているのかもしれない。文書管理の人はそういう規定を「ててなしご」と言います。
およそ一度でも図面書きをしたことのある人なら、ててなしごが存在するなど想像もできないでしょう。図面においてててなしごはあり得ないのです。文書でててなしごができるのは、文書体系が未熟なのか、規則作成者が未熟かのどちらかです。

別の観点から考えてみる。
一般の会社では社内で制定する種々のルールの階層を設けている。そして文書管理をしっかりしている会社ならすべての文書はこの文書体系のどこかに属している
就業規則も、新人研修規則、購買部門の決裁規則、設備保全規則、公害防止規則、自衛消防隊規則、安全衛生規則、特許管理規則などなど。いや規則だけではない、製作図面もしかり現場で作業するための抜取検査基準書とか作業要領書とかもその会社の唯一無二の文書体系のどこかに含まれる。
いやいや、ISOでいう文書だけではない。新製品の評価報告書とか機械設備定期点検報告書など記録とか帳票と呼ばれるカテゴリーの書き物も、会社の文書体系のどこかの文書で定められているはずです。
規則で定められていない記録とか帳票が、存在するはずがありません。そんなこと文書管理の原則です。

1970年頃聞いた話ですが、ディミング賞の審査ではその会社の文書体系や実態も調査されたそうです。私がここに書いたことはディミング賞を受けようとした会社はみな軽くクリアしています。
私が書いたのを読んで、おかしいぞ! 当社は違うというところは、ディミング賞は無理です。

さて、このときマニュアルは文書体系のなかで最上位の文書なのだろうか?
もちろん品質とか環境というセグメントの範囲内だけど、最高位の文書となれば、会社の文書体系で文字通り最上位に○○マニュアルというものが存在しているはずだ。
よくマニュアルの中で見かける文書体系の図があります。

文書体系図

この図をみれば、マニュアルは他の会社規定よりも上位の決まりであることが明確です。もちろん御社のマニュアルにこの図があるなら、実際にマニュアルは文書体系のトップにあるのでしょうね?
それは図だけではだめです。前述したように、本当にマニュアルが最上位の文書であると御墨付によって、あるいは文書の親子関係によって実質的に裏付けられているのでしょうか?

悩むことはありません。文書があれば文書管理規則があるはずです。だって管理規則がなくて文書が存在できるはずがない。それは論理的帰結です。御社の文書管理規則を開けば、まず文書の体系が定めてあるでしょう。当然、最上位にマニュアルを制定して、その子供・孫の会社規定はそのマニュアルを基に順次制定されると決めているはずです。
まさか違うなんてことは……

重要なことですが、どの文書管理規則でも、次のようなことを定めているはずです。
もしそういう文書管理規則がないなら、まっとうな文書管理をしていない異常です。

さてマニュアルが最上位の文書であるなら、マニュアルを規則の上にあるものとして定めるか、少なくても規則として制定する必要があるでしょう。

注:
マニュアルを規則として制定すると言っても、「品質マニュアル規則」という名前にすることではありません。
法律でも「○○法」とか「○○法律」もあり、アメリカ軍占領下では「○○命令」という法律もありました。法律でなく施行令や省令レベルになるとその名称は多種多様です。
同様に会社規則でも、「品質マニュアル」という名前の会社規則を制定することはおかしくありません。会社の規則を「○○規定」と定める会社でも就業規則は「就業規則規定」とか「就業規定」としないで、法律通り「就業規則」という名前のことが多い。

話を戻しますが、文書体系でマニュアルが最上位の文書として制定されていなくて、マニュアルの中に最上位の文書であると記述してあれば、それは大きな矛盾です。
マニュアルが最上位の文書であるなら、環境マニュアルの文書体系図の上位に書けばよいのではなく、御社の文書体系で最上位のものとして制定されなければならないのは自明です。
もし論理的にマニュアルが最上位の文書でなく、マニュアルの中で最上位の文書であると騙っているなら、そりゃ大まちがいでしょう。

御社において、就業規則と品質マニュアルがどういう関係になっているのか、非常に興味があります。ISO9001を認証している企業で品質マニュアルがない会社はまずないでしょう。
就業規則は従業員が10名以上であれば必要と労働基準法で決まっています。ISO認証している企業で10名未満となると数えるほどですから、認証企業の99%は就業規則を制定しているはずです。では就業規則と品質(その他)のマニュアルはどういう関係でしょうか? 驚き
いや就業規則と品質マニュアルの決めていることは分野が違うから、直接関係はないとおっしゃいますか? でも社内の文書体系が二つあるならそれは異常です。まともな会社でマニュアルが最上位の文書なら、同じ文書体系の中に、双方があるはずです。
さて品質マニュアルと就業規則は、兄弟ですか? 伯父・甥の関係ですか?
品質マニュアルもあり環境マニュアルもある会社なら、そのふたつはどのような関係にあるのでしょうか? お互いに最上位の文書であると宣言しているわけですから、たぶん会社の定款の直下くらいにあるのかなあ〜


うそ800 本日の予定
続きます。ですからタイトルが「その1」なのです。
今まで Stay tuned. とか Stay with us.なんて言いながら、番組が続かないことが多かったのですが、今回はその2を書き終えましたから安心です。(ナンヤネ?)
おっと、次回までに、みなさんの会社でのマニュアルの位置づけを調べておいてくださいね、


外資社員様からお便りを頂きました(2019.11.14)
いつも興味深い話題を、有難うございます。
>このマニュアルは環境の最高位の文書である
仰る通りで、このような「最上位宣言」をしても全く意味がないように思えます。
あえて言うならば、親子関係があるから、上を変えたら下に影響があるかもしれないという事を注意出来れば十分ですよね。

上のように宣言した会社で、別途「環境宣言」とか、CSRの中で環境に関する方針や理念が書かれていたら「上下関係」をどう判断するのか興味深いです。
>憲法の問題
これも釈迦に説法ですが、世俗法では、
1)上位法令の優先:これだけじゃありませんよね。
2)一般法と特別法があれば、特別法の適用範囲は特別法が優先
例として、一般人と大家の借家のトラブルでは、借地借家法より、消費契約法が優先されえる場合あり
3)後法の優先
1)2)に該当しない場合には、後から決まったものが優先

政治の世界では憲法が最優先とも言えません。だから三権分立の意味があります。
米国で、国民の義務である「忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」に「神の下の国」という言葉があり、これが「セム族の啓示宗教」以外の信徒及び神無論者に対して憲法が保障する信教の自由を侵害しているという違憲裁判がありました。
サンフランシスコ米連邦控訴裁判所は2002年06月26日(米国時間)、『忠誠の誓い』が合衆国憲法に違反するという初めての判断を示しました。
その一方で、各州の議会では従来通り「神の下の国で忠誠の誓い」をする事を議決しています。
その是非は脇において、行政側や議会が、違憲であろうが必要と思えばやるのが三権分立の意味ですね。
最近、どこかの半島の大統領は、最高裁判断の「国家間での合意があるにもかかわらず、国家への個人賠償の請求権は消滅しない」という解釈を元に、合意は無効だと言い張っております。
前大統領は、それをやったら世界に恥をさらすと停止しておりました。
https://www.fnn.jp/posts/00045695HDK/201905140700_WatanabeYasuhiro_HDK

だからこそ、憲法解釈が最重要だという考え方にも、疑問をもっております。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
まず最初にお詫び申し上げます。このメールを14日(木)にいただきましたが、当時は家内と安いバスツアーに行っており、夕飯を食べて帰宅したのは夜遅く面倒なのでパソコンはチェックせず、15日(金)は古い知り合いから「今夜どうやね」という電話で(以下略)

その1
宣言と方針とマニュアルなどの上下関係について
おっしゃるように立派な企業は対外的にいろいろ公表をしてその中で多種多様なコミットメントをしています。全部守ったらというより、全部達成できたら地球温暖化なんてすぐに解決しそうです。
外資社員様が次に書かれていますが、憲法よりも条約とか国際間の約束が優先します。それは憲法98条にも書かれていますし、国際間の約束は国内の約束より優先するのは当然です。
半島の某国は国際間の約束より国内法が優先するようですが、それは外国から笑われ相手にされないで終わりです。
同様に、マニュアルとか社内のルールで環境活動を規定しても、対外的に公表した方が優先するというか優先せざるを得ません。有価証券報告書だけでなく企業のニュースリリースに嘘があり投資家が損を出したとなると、裁判で十分勝てるでしょう。某IT企業ではそうならないように公表した発売には完成度が低くても製品をリリースして、その後ひたすらバージョンアップを繰り返すと聞いたことがあります。あ、これはどこでもおなじか
ということでその1については私もどうなんでしょうとしか言いようがありません。間違いないことは、その会社の環境部門の担当者は苦労していますよ。

その2
法律の優先順位についてはおっしゃる通りです。まあ、ここで語っている(騙っている?)ことは、上位法たるとはなにかですから……

その3
憲法が最優先されない場合
憲法とは何ぞやとなると、学説が多々あります。ただ憲法とは日本国憲法という文書になった法典だけではありません。アプリオリというか日本の心というものがあります。極論すれば古事記とか武家諸法度とかも含まれるでしょうし、慣習とかも含まれるでしょう。ですから日本国憲法を読むには、文字面だけでなくそういう背景を含めて読まないと意味が取れません。
例えば、「憲法66条2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」をただ文字解釈しても意味はありません。憲法制定時の状況を踏まえなければなりません。まあマッカーサーも、日本国憲法はテンポラリーのもので半世紀を超えて改正されないとはおもってもいなかったでしょう。
護憲論者というのは現行憲法が真理だと考えているのではなく、これをゼロ点とみて、これより自分たちの希望より離れないようにと思っているだけだと思います。共産党は第1条を改正したくたまらないのですが、間違っても第9条は変えたくない。じゃあ改正反対としようということでしかありません。
そう考えると「憲法を守れば戦争にならない」なんてバカなことです。


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