「人体600万年史」

2019.08.01
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

「ゾウはブタみたいな動物から進化したんだよ(注1)とか「キリンの祖先は首が短かった」あるいはその反対に「ゴキブリは3億年前から変わっていないんだ」なんて友達と会話したのは小学生時代の思い出である。
20世紀末には「恐竜は滅んでいない、鳥になった」という映画もあった(注2)すると私は毎日恐竜の肉や卵を食べていることになる。そう考えると恐れ多い
キリン
キリン

矢印
キリン 矢印


進化論は日本においては子供の時から当然のことと思われている。聞くところによると宗教的な事情で進化論を教えちゃいけない国もあるとか。でも進化論について考えると、こんな時はどうなんだろうと疑問もたくさんある。
例えば生物Aが生物Bに進化したとして、一挙に大きく変化するはずはなく、その形態は少しずつ、A⇒A'⇒A''⇒A'''⇒Bと変わっていくはずだが、多くの場合、その途中の姿の化石は見つからずミッシングリンク(失われた環)と呼ばれる。まあ何万年、何十万年も昔のことだから、すべての段階の遺体が残らないこともあるだろう。

生物の進化でなく文明の進歩を考えても疑問はある。我が家は昔々から侍とか貴族と縁のない庶民だった。 火焔土器 私から50代も遡れば奈良時代の百姓だったはずだ。そのときは竹取の翁のような暮らしだったのだろうけど、そこから50代でテレビを観たり食洗器を使う私まで、一代一代どれくらいずつ変わってきたのか想像できない。
更に50代前(3000年前・BC1000)の縄文時代の先祖を考えると石器と素焼きの土器しかなかっただろう。今我が家にあるテレビと食洗器と石器の違いを100等分したのが一世代の変化だ。石器からテレビまで100世代というのが短すぎるように思えてならない。それはものすごく不思議だ。

もちろん進化は完了してしまったわけではないから、現在生きている生物も進化しているはずだ。中には生存競争に負けて滅亡間近がいるのも当然だ。つまりそれが絶滅危惧種である。絶滅危惧種を救うのが是か非か考えるのも面白そうだが、とりあえずパス。
進化を考えるなら、やはり私たち人類のことを考えるのが面白い。だってカエルの進化とかカメムシの進化を考えても我々一般人には面白くなさそう。
人類の進化
しかし上図で中央の原始人と現代人の違いは、髪の毛、髭のお手入れ、着るものの違いだけとしか思えない。最近の学説ではネアンデルタール人が現代の服装をしていれば、見て違いは分からないという。

思い返せば: 昔音楽教室にバッハとか大昔の音楽家の肖像画掲げてあった。あの頭はかつらだと聞いた。かつらをかぶるなんて、バカみたいと思ったことを白状する。
だけど現代のサラリーマンのネクタイも、かつら同様、意味のない服装だと思う。
現代のビジネスパーソンの服装は日本の気候にあってもいないし、活動しやすくもなく、ご苦労様としか言いようがない。あんなのを私も半世紀来ていたことを不思議に思う。
原始人が見たら機能的でなく遅れていると思うだろう。
サラリーマンを辞めた今、日常の服装は7分のカーゴパンツ、ドライメッシュのTシャツ、厚地のくるぶしまでの靴下、スニーカー、カジュアルどころか遊びでテニスコートに出るようなかっこうである。

現生人類はアフリカから中東に出て北へ西へ東にと分布を広げていったそうだ。じゃあ現生人類はなにから進化したの、おサルさんと別れたのはいつ、その頃のおサルさんは今のおサルさんとは違うから、おサルさんはどんな風に変化して今のおサルさんになったのと疑問は尽きない。

しかしそんなことよりもっと興味あるのは、人類がこれからどんな風に進化していくのかではないだろうか?
マンガやSF小説ではミュータント物(注3)というカテゴリーがあり、テレパシーができるとか、壁の向こうが見えるとか、四肢が欠損しても自然に再生する、IQが300ある、テレポーテーションができる、カメレオンのように顔形や髪や瞳の色を変えられる、魔法を使う(注4)などなど進化した人類が持つ様々な能力が描かれていた。
過去形なのはそういった小説のカテゴリーも既に過去となった。最近のSFはビッグサイエンスが大はやりだ。クレージーな科学者がひとりで頑張るフランケンシュタインやバックツゥーザフューチャーなどは過去のもの、SFも現実世界を反映するからだろう。
じゃあ人類が進化したらどうなるのかということに応えてくれる科学的にまともな本はないのかと探しても、まず見当たらない。人類(だけではないが)の進化を語る本の99%は過去から現代までの進化を語り、これからの進化を語らない。なんか過去の当選番号を語るナンバーズ予想屋みたいだ。次回の当選番号はやはりわからない。

たまたまというか何か面白い本ないかなとネットを彷徨っていて、この本のレビューを見つけた。それは短いもので「現代病は進化途上のミスマッチングである」とあった。
「現代が進化途上」と語るなら進化のその先を語っているはずだ? ならば読まずばなるまい。

書名著者出版社ISBN初版価格
人体600万年史(上)ダニエル・リーバーマン早川書房97841520956572015/09/20 2200円
人体600万年史(下)同上同上97841520956642015/09/202200円

著者はまっとうな科学者であり、現代の医学や考古学で定説になっていることを語っているようだ。それは貶しているのではなく誉め言葉のつもり。
まっとうな学者がまっとうな説を語る……ではこのまっとうな学問は人類の将来像をどう描いてくれるのか、期待に胸が膨らみます。

このセンセイのご専門は進化生物学とあるが、本を読むと医者の卵相手の講義もしている。またご自身も現代病の改善策をいろいろと考えている。ちなみに人間は動物から進歩したのだから裸足が一番だと言って、いつも裸足で走っているそうで「はだしのゲン」ならぬ「裸足の教授」と呼ばれているそうな……

足跡足跡 足跡足跡 足跡足跡 足跡

人類のこれからの進化を語ると言っても、超能力とか知能指数が高くなるというような話は出てこない。ちょっと、いや大いに残念である。
進化とは目に見える大きなことではなく、目に見えない小さな変化がほとんどという。そしてそれを説明していく。

この本ではなく別の進化を解説した本の中に次のような記述があった。
生物AがBに進化したとすると、その中間形態は生きていくのに不都合で生存競争に劣るように思われるものが多々ある。しかしいっときであっても行動や認知に欠陥があれば生き残れるはずがない。進化のいかなる段階でもその生物は生存競争に勝ち残ったわけで、進化途上であっても欠陥生物というのはありえない。
それを読むとそう思う。私は洗脳されやすい。

さて、この本に戻る。
我々現生人類は21世紀の今、多様な現代病に悩まされている。
現代病と言っても、そういう名前の病気があるわけではない。ここ1世紀から2世紀ほどの間に進んだ都市化、産業化、生活習慣、食生活の変化などに起因する様々な病気や障害をひっくるめて現代病と呼んでいる。
具体的には生活習慣病と言われる糖尿病、高血圧、心臓病、メタボ、ウツ、不眠症、大きな問題でなく気にならないかもしれないけど柔らかいものを食べることによる虫歯や乱杭歯、出ても出なくても問題となる親知らず(智歯)、靴を履くことによる足の小指の爪の変形、水虫など。そして最近急増中のものが各種アレルギー、喘息、アトピー、花粉症である。花粉症など私が若いときなかった。

このセンセイは語る。
ここ1〜2世紀の間に環境が変化してきたため、それまでの環境に適応していた生物は環境変化によるミスマッチングに苦しむ。例えば1000年前は人が見る対象は木になっている果実とか草木に隠れた動物だった。しかし今我々が見る対象は、紙に書かれた文字となり更にモニターに映された文字に代わりつつある。だから近眼が増え、また遠くに焦点を合わせられない人がいる。そのように環境変化に追いつけない人が生理的、精神的なミスマッチングを起こし、それが現代病という現象に現れているのだと……
ちょっと待て、それは前に上げた「進化のいかなる段階でもその生物は生存競争に勝ち残ったわけで、進化途上であっても欠陥生物というのはありえない」という理屈と整合しない。
あるいは今まさに人間の生活環境変化によって、今の社会にあわない花粉症などが淘汰されているのか?
それとも生物はいかなる段階においても常に発展途上だから、60点くらいの合格点スレスレで生きていて、満点の状態など存在しないということか?
そこんところがわからない。

ともかくこのセンセイは未来の人類は、現在より姿形が大きく変わることでなく、現代病という不具合への対応じゃないかという。 原始人 その変化は目に見えるものではなく、細胞内の酵素とか体内微生物の変化なのか?
センセイは言う。もっと時代が進んで、エネルギーが枯渇したり、科学文明が消滅して狩猟採集生活に戻ったら、その時の人類は足が速く遠くが見えて耳が聞こえる人が生き残るだろうと。でもそれって原始人だよね?
ますます夢がないが、それが現実のように私には思える。

センセイは学者だから思いつきとか突っ込まれるようなことは書いてない。だがそこから読み取れるのは、今より進化した人類は、体格も指の数も能力も、今 街で見かける人と変わらない。しかし成人病になりにくく、歯の数が32本ではなく28本とか24本になるかもしれないし、脚の小指の爪が生えない、そういった未来人のようだ。
そう考えると未来人と言ってもあまりパッとしないが、そういう形態をもっていれば今の生活環境での日常生活が楽になると思う。
なんだか夢がない話だが、適応という意味では千里眼とかIQ300というよりも、私の悩みを解決してくれそうだ。

ところで現代病を防止するには、人類が進化するのではなく人間を取り巻く環境や生活様式を元に戻すという選択もある。 ハンバーガー 柔らかいものを食べることで顎が小さくなり歯の入る余地がなく乱杭歯になり親知らずが問題になるなら、硬いものを食べ顎を大きく頑丈にするという策もある。皮を噛んでなめしたり、お米を噛んでお酒を作ったり、固い肉やパンや玄米を食べていた時はそうだったのだ。
だがセンセイはとてもそんなことは不可能だという。狩猟採集時代、いやいやほんの数世紀前でも固いものを食べていたときは噛むのに時間がかかり、とても今の人にはできないという。
糖尿病を防ぐために運動をする、栄養バランスを取る、食べ過ぎない、そんなあたりまえのことさえできないのだから、過去の生活などできないのは明白だ。
それに環境が変わり生活が変わったのに、運動のための運動をしたり固いものを嫌々食べるのは生物の姿として異常ではないだろうか?
走れ走れ その意味で裸足で走れというこのセンセイは、いささか矛盾しているように思うが……

甘いものを食べないのは健康に良いと言うけど、原始人だって甘いものが好きで蜂蜜は御馳走だった。まあ、めったに食べられなかったから御馳走であり、めったに食べないから健康に良かったのだろう。

ラットプルダウン 人間は……多分すべての動物は……怠惰な方に流れる一方だ。ナマケモノに限らずライオンだってイルカだって真面目に働いているとは思えない。
だから生活環境が変化して楽に暮らせる状態では、それ以前の運動量や採取エネルギー、生活様式を維持するなんてしょせん無理だろう。
生活環境が変わればそれに合わせて人体を再設計、いや進化させることが最適な適応方法なのだ。その結果、現代病を患うのはせいぜい数世代であり、それに適応した一族のみが進化した次代の人類になるのだろう。
  適応できない人たちはどうなるんでしょう?

コレステロール値が高く問題なら、次世代は体内ではコレステロールを作らなくなり、食物から採取するコレステロールだけで生きていくようになるのかもしれない。血圧が高いなら血圧を下げるのではなく、身長を伸ばして高い血圧に合わせるのかもしれない。なあに、たかだか20センチも背を伸ばせばいい。おっと背が伸びると骨の強度とか反応速度などに影響が……そのへんは新たな淘汰を待とう。
近眼は病気ではなく、スマホや本を読むのに器官が適応した姿なのか?

具体例を挙げ、これでもか、これでもかと読者を追い詰めるセンセイはちょっと好きになれない。きっと社会的に適応していないんじゃないかな?
それに上下巻600ページも書かれると数日間、夜の1時2時まで読むふけってしまいました。センセイこそ夜更かしを生み出し、成人病、不眠症を増殖しているのではないか、というのは八つ当たりでしょうか?


濡れ落ち葉 本日の結論
ともかく読んで面白かった。数晩、夜更かしをしたが後悔はない(キリッ
図書館にハードカバーと文庫本がありましたが、文庫本は活字が小さくて私には不向きでした。皆さんが未来人と自認しているなら文庫本を選んでください。古い人間だと自覚している人は、堂々と活字大きめのハードカバーを読みましょう。

コスモスコスモス
コスモスコスモス
文庫本対応だけでなく思ったことがあります。サルが微分方程式を解けるはずがありません。でも石をどの角度で投げたら果実が落ちるかというのは微分方程式がわからなくても経験と想像力で解けるでしょう。
私は次代の人間になれそうありませんが、生きてみます私なりに♪ (注5)


注1
注2
初代「ジュラシックパーク」のエンドに出てくる。

注3
ミュータントとは突然変異を意味する言葉であるが、SF小説などでは突然変異によって超能力を持つようになった場合に使う。
でも突然変異でも従来よりも能力が低下した場合には使わない。
注4
魔法とは非科学的な呪術ではない。アーサー・C・クラークは「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と語ったが、要するに理解できない事象を魔法というだけのこと。

注5
秋桜(こすもす) 作詞・作曲 さだまさし 歌 山口百恵



推薦する本の目次にもどる
うそ800の目次にもどる