台風襲来

19.10.17
2019年本州を襲った台風19号は、記録上でも強い台風だったという。そして私にとっては、産まれてから70年にして初めて身近なところで大きな被害が出た台風だった。
では本日は台風19号をネタに語る。

娘は転勤族と結婚して、あちこちを転々として、我が家にやってくるのは年に数回だ。今年はお正月以来会っていなかったからと、特段イベントではないが連休を使って老父母に会いに来た。
実を言って我々も都会に来てからは、家内の実家に伺うのはお彼岸とお盆の年3回だ。家族とか親戚といっても、離れて暮らしているとそんなものだ。だからたまに会うのはとても楽しみだ。
なお、本日の話には家内の実家しかでてこないが、私の親戚も兄弟も既に田舎に住んでおらず、言ってみれば私のマンションが実家である。

娘は金曜日まだ台風19号が伊豆諸島の西あたりにいたときやって来た。家に着く前に雨が降り始め、風が強くなってきた。息子もやって来て久しぶりに家族そろって食事をした。なお、息子はドアツウドアで20分くらいのところに住んでいるが、家に来るのはやはり年に数回だ。
その日は総武線も総武快速も営業時間が短縮された。

翌日はほとんどの鉄道路線が運休して出かけることができず、部屋でスナックを食べコーラやコーヒーを飲みながら、積もる話をして時間をつぶした。
ポテトチップス 娘も息子も月曜日は仕事だから正常に戻ってくれないと困るといっていたが、土曜日はとにかく風雨がすごかった。
隣のマンションが暗い色なので横殴りの雨足が良く見える。ときどきなんだかわからない黒っぽいものとか白っぽいものが吹き飛ばされていく。我が家は5階だから、この高さまで飛んで来るものは重いものはないだろうと高をくくっている。

台風の話題は、テレビが映した実験で風で飛ばされたスリッパがガラスを突き破ったのを見て始まった。娘は台風の体験施設に行って暴風に吹かれたことがあると言う。
そのうち段々と具体的な身近な話に移り、娘がたまたまスーパーマーケットに行ったとき、館内放送で避難訓練の案内があり、お客さんはプラスチックの買い物かごをかぶって安全なところに移動したという。
聞かされてばかりでもつまらない。私の同僚が東日本大震災のときボランティアに行く前、向こうでは水がないというのでドライシャンプーというものを買っていこうと東京で探したが手に入らない。諦めて仙台に行ったら向こうでは店頭にたくさん並んでいたという話をした。
家内はそれを受けて、私たちが自力でサバイバルできるのはせいぜい2日とか3日だ。それ以上になれば食べるのも寝るのも限度だし、自衛隊も来てくれるだろう。だからその最初の3日だけ耐えられるようにしておけばいいとか、我が家は高台だから風当たりは強いけど、水が上がるとかいう心配がないなんて外の暴風とは無縁に和やかに過ごしていた。

そのうちテレビがだんだん深刻なことになってきた。洪水の写真、ヘリコプターが被災者を吊り下げている画面、 洪水 洪水でプカプカ浮いた自動車が流されていく映像……
それを見ていた我々も、だんだん深刻というか話題が暗くなってきた。
娘は災害時には逃げることが第一だけど、そのときになると逃げることができないという。東日本大震災のとき娘は横浜のお店で働いていたが、すごい揺れで商品が棚から崩れている状態なのに、お客さんも他の店員もキャーキャーいうだけで逃げようとしなかった。それで娘は大声でお客さんや同僚をお店から連れ出して外の駐車場に連れて行ったという。えらい、さすが我が娘だ!

ニューヨークテロ ニューヨークのWTCビルにテロリストが乗っ取った飛行機がぶつかり火災が発生したときのこと、上の階から大勢の人が非常階段をゾロゾロと途切れなく降りているのに、途中の階のオフィスではひたすら仕事をしている人が大勢いたという。その人たちの多くは亡くなった。
そんな話をすると「バカだなあ〜」とか「俺はそんなことはない」とおっしゃる方が多いだろう。あなたはそのとき本当に避難できるのか?

実はそれに似た体験が私にある。
東日本大震災のとき、私は勤め先である丸の内のオフィスビルにいた。丸の内のオフィスビルの多くは三菱地所が家主で、非常事態の用意は万全だ。もちろんそれが家賃に反映されているのだろうけど。
私たちのデスクひとつひとつに、ヘルメット、軍手、防寒シート、堅パンなどが入ったナップザックが吊るしてあった(中身はうろ覚えだ)。緊急時にはそれで身を守るわけだ。
ヘルメット あの日揺れが始まってすぐナップザックからヘルメットを取り出してかぶったのは、私と同僚のたった2名だった。そのフロアには100名以上働いていたのに! そして私たちも見て、大げさだとかはしゃいでいるといった人もいた。どうかしているのはどっちだ?
最初の揺れは160秒続いたという記録があるが、最初の揺れが収まったときでもヘルメットをかぶっていたのはその2名だけだった。
私のいたフロアではパニックになった人はいなかったが、上層階になるほど揺れが大きくて20階以上では泣いている女性が何人もいたという。恐怖で泣くというのは人間としてまっとうな反応だ。でもヘルメットをかぶっている人を見て、大げさだと冷やかすのはまともではないだろう。
異常事態のときに平静でいることは難しく、最善の方法をとるのが困難なのはわかる。これをお読みになっている方々に「生き残る判断生き残れない行動」という本を読むことを勧める。

そんな話から、娘は率先避難者にならねばならないという。率先避難者とは文字通り非常事態になったら誰よりも早く逃げる人のことだ。
それってなんなの 意気地なしなの
非常口 なんて言ってはいけない。非常事態がおきたとき速やかに避難できる人は、判断能力があり実行する勇気がある人だ。
自分で判断できず、あるいは行動することを躊躇してオロオロしている人は、誰かが逃げるのを見るとつられて逃げ出すという。だから逃げることは自分の身を守るだけでなく、周囲の人を助けることになる。
WTCビルで避難する人を見てもパソコンを叩いていた人たちは、ビルは絶対に崩壊しないと思っていたのだろうか? そして私がヘルメットをかぶったのを笑った人たちは、自分は絶対に大丈夫と信じていたのか?

日曜日 朝起きると典型的な台風一過で、風は強いが真っ青な空。家内が部屋に取り込んでいた植木鉢をベランダに並べ、私が物干し竿を柱に戻して洗濯物を干していると、家内のスマホでLINEやメールの着信音がジャンジャンと鳴る。
それを見た娘がキャーキャーと声を出す。
なんだろうと家内、息子、私が集まる。なんと家内の実家まで水が来たという。前夜、地域の広報スピーカーは水が上がるから二階に避難するよう放送したという。それで大事な家財を二階に上げて、家族全員が二階に避難して一夜を過ごしたそうだ。幸い床下浸水にもならず、義弟のゴルフ練習の芝生が水に浸かっただけで済んだ。
家内の実家から100mほどのところを阿武隈川の支流が流れている。支流といってもほんとうに小さな川で、幅が5・6メートル、普段は水深20センチくらいだ。そして水面から3メートルくらいの土手を登った上が田んぼの水準、畑地は更に50センチくらい高く、家屋敷が建っている。決壊ではなく単純に川の水が土手より高くまで増水して溢れたのだ。だけど水面がそこまで上がるというのは水面が4メートルくらい上昇したわけだ。そこから上は横方向は何百メートルもあるわけで、それ全部が水に覆われたとは……その水量に驚くというか想像もつかない。家内も経験がないという。
LINEで写真が送られてきたが、その風景を見て現実とは思えなかった。実家の近所の人が道路に立っている写真は道路も水田も畑も見えず、見渡す限り水面でまるでウユニ塩湖のようだ。

日曜日の午後、電車が動くと、娘は帰っていった。帰宅後LINEで自宅は大丈夫だったと知らせてきた。ひと安心だ。

一方、その間も田舎の被害はどんどん拡大する一方だった。もちろん被害は1日2日前に発生していたわけで、既に水は引き始めていた。義母が姪(義母から見て孫)に車を走らせて、近隣の被害を写真に撮ってドンドンと送ってくるので、だんだんと田舎の被害が分かってきたということだ。
洪水 義母の実家は阿武隈川に近く、それが氾濫して床上浸水どころか一階は水没してしまい、水が引くまで2階に避難していたという。ということは平常の水位より10メートル以上上がったに違いない。
水が引いても家の中がグジャグジャで、義母たちが見にいった月曜日は、20人ほどが手伝いに来て片づけをしていたという。知り合いや縁者が多ければいいが、家族だけでは手の施しようがない。
私の中学校の同級生はその隣に住んでいたが、東日本大震災で家が壊れてそこから数百メートル離れた高台に建て直した。そのとき義母の実家は戸の建付けが悪くなった程度で良かったねといい、隣の家が崩壊して可哀そうと言っていた。しかし今回は逆だ。運不運というのはほんの些細なことで決まってしまうものだ。まさに塞翁が馬。

義母と姪から"報道写真"がどんどんと送られてくる。水に浸かった道路は稲わらや草が泥と混ざったもので厚さ10センチくらい覆われている。姪もよくそんなところをアルファードで走ったものだ。
家内の叔母の家は義母の実家から1.5キロほど阿武隈川の上流にあり、川から300メートルくらい離れている。そのあたりは川の堤防よりほんのわずか1.5メートルほど高くなっている。一番高いところに鎮守様があり、叔母宅はそこから少し下がった2軒目である。叔母の家では三和土まで水が来たというが床下浸水にもならなかった。そこから下がった家は床下浸水となり、さらに下がった家は床上浸水で、川のそばは一階が水没した。住むなら高台だ。
送られてきたLINEの動画の中で80過ぎの叔母は「うちは高台でよかったねえ」と笑っていた。笑い事ではない。

家内の妹は花卉農家で、自宅も畑も高台にあり水の被害はなかった。しかし花を出荷しているスーパーマーケットは、一階が水没して店内の買い物カゴとか野菜など商品が流れ出てしまったという。義妹は出荷している花が全部どこかに流れてくれれば手間が省けるけど、店の近くでまとまっていると出店者が片づけなくちゃならないから大変だとLINEを寄越した。
そのスーパーの近くに私の元同僚が住んでいるのだが、どうなったのか?

スマホ 今は離れていても、スマホがあるからリアルタイムで連絡を取り合い情報の共有と意見交換ができる。
義妹と義母と姪はひっきりなしに写真と説明を送ってくるし、家内と娘はそれにコメントをつけて延々と会話は終わらない。そして義母たちがクルマで走り回るほどに被害が大きいことが分かって来た。
今年90になる義母も、これほど大水が出たのは生まれてから初めてだという。それじゃ70の私が生まれてから最大の洪水なのは間違いない。

家内と娘のLINEのやり取りは夜になっても終わらなかった。よく飽きないものだ。
話題はこれから災害対策として何を準備しておくべきかに移ったようだ。水とか衣料品とか食料とかいろいろあるが、いずれにしても何日間も対応するということは考えていない。災害が起きたら救助が来るまでの2日持てばいいという割り切りだ。
だからチョコレートとか飴玉は話に出てきたが、ご飯を炊くとかレトルト食品なんてのは話に出てこない。スコップとかテントなどサバイバル用品も頭にない。動きやすい服装と足回り、雨合羽、懐中電灯ていどあれば良いと考えている。スマホも懐中電灯になるが、スマホの電池を大事にしたいという。
そして家とか家財に執着せず逃げるというのが基本方針だ。娘がスマホの充電器は絶対というのも時代だなと思った。代わりに乾電池もラジオも出てこない。
とはいえ、ネットで基地局が電源切れになってスマホが使えなくなったという話を聞くと、従来通りラジオなどを用意しておく必要がありそうだ。
もちろん普段から健康で体を鍛えておくことは基本だ。足が悪ければ愛用の杖を枕元に置くことも重要だ。
たとえ2日間だけ対応するにしても、やるべきことはたくさんある。我々一般人はそれだけ備えれば十分ではないだろうか。個人でキャンプ用品とか食料を何日分とか水を何十リットルとか備蓄するのは大変だ。
私は能もなく勇気もないから、非常事態にはせめて率先避難者として範を垂れることにしよう。
おっと我が家は安普請のマンションで家財と言えるようなものはないから、逃げるのに躊躇はない。そして逃げたら絶対に戻らないことも約束する。
火事、津波、土砂崩れ、なんであれ一旦避難したら戻らないのは鉄則だ

報道によると今回の台風による雨量は100年に一度だそうだ。
蓮舫は「百年に一度の災害にそこまでの大金投じる意味あるんですか?」と言ったとされているが、そうではなく「整備済み箇所を強化するより、未整備を優先すべき」と語ったという人もいる。
蓮舫
眉間の縦しわがステキ
極道の女みたい
しかしそうだとしてもその論理は間違いで、「未整備個所より、被害が大きいところを優先すべき」と発言しなければならない。
そして蓮舫が優先しろと言った人口10万の奄美群島ではなく、人口3,800万の利根川水系や都市部の災害対策が喫緊ではないのか?
蓮舫は「二子玉川の堤防は既に整備されいるからこれ以上は不要」と言った(2010/10/28)。これはネットに動画があるから間違いない。
台風19号での二子玉川の被害を聞いてどう思ったのか、ぜひ知りたい。政治家なら説明責任がある。
ところで蓮舫が大嫌いな八ッ場ダムは役に立ったようだ。

我々も、台風15号からの復旧が遅いと東京電力を責める前に、送電網だけでなく道路、上下水道などインフラ整備、そして危険個所の補強に税金を使うよう政治や行政に要求しなければならない。税金はその為に払っているのだから、


 本日の叫び
旧民主党が唱えた「コンクリートから人へ」の真実は「コンクリートから人へ」だった。台風19号はいともたやすく旧民主党の妄言を打ち砕いた。
「コンクリートから人へ」は間違いなく間違いだ。ひょっとして民主党は嘘と知っていて選挙用に「コンクリートから人へ」と言ったのか? それなら最凶のデマゴーグだ。

この台風による死者は全国で78人、我が故郷 福島県は28名と最大の被害を出した(10/16時点)
姪の夫は消防団で巡回中、流された遺体を発見した。家内の実家からほんの数百メートルのところだ。犠牲者のご冥福を祈るとともに、彼の活動に頭が下がる。
だからこそ「コンクリートから人へ」なんて馬鹿げたキャッチフレーズを思い出すと腸が煮えくり返る。民主党政権は悪夢だったのは嘘偽りない事実だ。
ぜひとも「コンクリートで人を救う」ことを考えて欲しい。

「コンクリートから人柱へ」はまっぴらだ




外資社員様からお便りを頂きました(2019.10.18)
おばQさま
蓮舫 いつも絵やイラストが楽しいのですが、今回の蓮舫はステキです。
外見をいくらさわやかそうにしても表情には内面が出ますからね(笑)
過去の発言をいつまでも非難のネタにするのは不当とも思えますが、何よりも、彼女の場合には、それを他の政治家に行って名を売って来たから自分に帰ってくるのは当然ですね。
収支決算を考えても、指摘した他人よりも自分のミスの方が甚大で債務超過。

今回、私の田舎家は、何ら問題なかったのですが二日以上停電。
ガス(プロパン)も水もあったし、道路も車も使えるので生活は問題ありませんでした。
それでも、色々と考えさせられる事は多かったです。
電気が無いと給湯器は動かないのでお湯は駄目、FFタイプ石油ストーブも動かない。
暖房は薪ストーブ、照明は山用のランタンにヘッドランプ(これは便利)
便利なものほど電気が必須。一方で、燭台など、普段 趣味で使っていたようなものが役に立ちました。
携帯電話(Au)も、基地局の非常電源は半日で落ちるので、以降は通じない。
家内がSBで、こちらは問題無し、家族割で無くて良かったと思います。
但し、携帯電話は、場所が移動出来れば使えるので、市役所で机を借りて電源を使ってメールや連絡をしておりました。
私の家がある辺りはホテル、ゴルフ場など地元には重要な働き場なので、優先して停電解消。 停電一日目はインフラや公共施設を最優先で復興、その次くらいの優先度だったので2日の停電で済みました。 台風での停電は、主に架線の修繕ですから、人手と時間だけの問題。
お書きのように、復興は重要度で判定されますので、どこに住むかは大事なのだと感じました。
地方の場合は、値段が安い物件もありますが、概して住みにくいから売りが出る。
当然に地域での重要度は低い。そうした事も重要なのだと改めて考えました。

東京に移動するのに、中央本線、中央道共に駄目。(大月―八王子)
普通列車が甲府まで行って、終わり。
JRの駅で聞くと、長野まで下って北陸新幹線を使えとの提案。(通常の倍の値段)
名古屋まで行って東海道だともっと高い(通常の三倍)
中央道高速バスは全面運休。
結局、車を使って、河口湖経由、御殿場から東名高速で帰りました。(5時間)
(東京には駐車場が無いので、実家まで車を持って行き置いてきました)

後で判ったのはJR普通列車で甲府まで行けば、ここから御殿場経由新宿行きの臨時バスが出ているのが判明。長野県には山梨の情報は入らないから知りませんでした。
JR東日本の職員は自社の切符を売りたいから、JR東海の新幹線を使う方法や甲府から先は山梨交通のバスなどは考えもしないのでしょう。

結局、何を言いたいかと言えば、皆 自分の立場では最善の事を言っても、そこから離れた所に最善の回答があるのだという事です。
どこまで調査の範囲を広げられるかは、運と能力次第なのだと、改めて思いました。

>お嬢さんが避難をさせた話し
流石 この父にしてこの娘あり。
危険を前にして動かない人はおりますね。
近隣で火災があった時に、黒い煙が大量に出ているのに、スマホで撮っている人が多数
慌てて避難するように怒鳴りました。 黒い煙の毒性を知らなければ危険が判らない。
結局、経験や知識の欠如は、人にリスクを認知させないのでしょうね。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
外資社員様のお話で、交通機関は平常時と緊急時では全く違うことになると気付かされました。
しかし電車が動くか道路が通れるかというのは、状況により全く異なるでしょうから事前に対応を決めておくということもできません。情報収集が重要ですが、現実にはその時信頼できる情報を得ることも難しいでしょう。
東日本大震災のとき、前日は会社に泊まりましたが、早朝から総武線が...東西線が...と噂が飛び交いました。結局は時間が経たないとどうにもなりませんでした。結局はあるていど落ち着いてというか、覚悟を決めて情報収集に努めるということが正解のようです。
それと普段から歩きやすい靴、歩きやすい服装をしておくべきですね。今はサラリーマンがリュックを背負うのは一般的になりましたが、10年前は手持ちのソフトアタッシュが多く、肩にかけるならともかく手持ちで10キロ20キロ歩くのは困難です。懐中電灯とか杖も必需品かもしれません。

ところで緊急事態とはめったにないから緊急事態なのですが、自分自身、いざとなると身が動きません。
もう半世紀くらい前になりますが、勤め先で火事がありました。現場の機械から煙が出たのですが、その機械の作業者は消火器を使うとか他の人に伝えるという気が回らず、100メートルも離れた事務所に走っていって係長に「火事です」と報告したのです。
笑い話みたいですが、本当の話です。
係長はそれを聞いてすぐに事務員に総務に伝えろと言ってヘルメットをかぶって現場に駆け付け、大声でみんなに、仕事を止めろ、電源を切れ、消火に当たれ、と怒鳴ったそうです。その声を聴いた別の作業者はあれほどの大声を聞いたのは一生で一度だといいました。
私はその係長を尊敬します。しかしそうできたのは責任感だろうと思います。
日航機が東京湾に落ちたのはもう40年も前になりました。あのときスチュワーデスが沈着に乗客を誘導したそうですが、後に「制服を着ていたからできた」と語りました。制服を着ていれば周りから見られる、恥ずかしいことはできない、責任を全うするということかと思います。
自衛隊も消防吏員も警察官もみな同じだと思います。制服が危険に向かうための勇気を与えると言い換えてもいいかもしれません。
ちなみに我が娘もお店で某制服を着ていたからできたといいます。
幸いに私はそういう状況に置かれることなく、引退できたのは幸運だったと思います。


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