「天皇の国史」

20.12.24
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

書名著者出版社ISBN初版価格
天皇の国史竹田 恒泰PHP研究所97845698436052020.08.131980円

本書はご存じ2020年 けっこう話題となったものである。とはいえ私はベストセラーだとか話題になったからといって買うような男ではない。定年退職者は、本は借りることとみたりと葉隠れに書いてあるように(嘘)、図書館から借りるのがデフォである。
この本が出版されたのが2020年8月、予約したのが9月、かなりの人気本らしく私の順番が来たのが12月である。
図書館の蔵書数は4冊なので、4か月待ちだからひとり平均10日間借りるとすると、現在までの貸出件数は48件である。
2019年ベストセラー1位になったファクトフルネスは、蔵書数20冊で発行から満2年が経過した2020年末でまだ待っている人が250人くらいいる。ということは2年間に1500人近くが読んだことになる。4か月間としても240人が読んでいる。この本の5倍だ。
この本が話題になったといっても、年間ベストセラーになったものとは相当の違いがあるものだ。


「天皇の国史」とあるから神武天皇以降を記述したのかと思ったら、古事記の神代から始まる。まあそれにいちゃもんをつけることはない。
目次をみて私は古代のおおらかな物語の解説と期待したが、しかしそうではない。この本では古事記に書かれているさまざまな出来事の時代を考える。
数ページも読むと、どうも訳が分からないというか、考えがずれているのではないかという気がしてきた。

古事記とか旧約聖書を読んで、そこに歴史的事実と考える人がいるだろうか?
十戒を守れ そりゃ、ノアの箱舟の大雨がメソポタミアの洪水とか、ソドムとゴモラに落ちたのは神の怒りでなく隕石だったとか歴史的事実との関連は唱えられている。
だがトロイア戦争はあっても、実際に女神アフロディーテがトロイの木馬を考えたわけではない。モーゼが来たから紅海の水が分かれたとは思えない。だが地中海側の海の水が分かれたという研究はある。
神話や伝説はまったくの想像ではなく何かの事績の名残かもしれないが、事実そのままではないのだ。

それと同じく日本の海幸・山幸のお話は、天孫族と隼人族の闘争だといわれるが、山幸彦がほんとうに釣り針を落としたわけでもないし、そもそも山幸彦という人物がいたとは思えない。

しかし竹田恒泰さんは、歴史的事実が伝説になったとか、暗喩だろうというレベルではなく、古事記や続日本紀などに書かれた出来事は実際にあり、それがいつのことかと、まじめ? に考えている。
スサノオノミコトが田を荒らしたというからそれは稲作が始まった以降で弥生時代だとか、別の物語には田んぼが出てこないから縄文時代の出来事だとか…
私はそんなこと真面目に考えることじゃないと思う。古事記の上巻(神代)は過去の出来事の伝承もあるだろうし、寓話あるいはまったくの想像も混在しているはずだ。スサノオノミコトが壊したのは田んぼのあぜでなく、段々畑だったのかもしれない。その話が伝わって、稲作の時代になれば聞き手に理解されるように田のあぜと話したという可能性もある。
正直言ってこの本の神代を読むなら、古事記そのまま読んだほうが良さそうだ。イザナギ・イザナミは今から何年前とか、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神はどちらの子なのかと考えることの意味が私には理解できない。
中世の欧州では針の先に天使が何人立てるかという神学論争があったというが、まさにそれと同じでついていけません。

古事記の一つ一つを取り上げて、これは旧石器時代、これは縄文後期、これは弥生時代と比定することは意味がないと思う。即物的に考えるのでなく、一歩下がってその話の意図を読むべきではないか?


中巻になると、ますます書かれていることを事実と考えているように思う。もちろんヤタガラスがいたとか土蜘蛛がいたとまではないが、書かれてある事績はほとんど「…があった」とか「…された」という風に書かれていて、実在したとか実際の出来事と認識しているとしか思えない。

実を言って古事記の中巻以降の歴代天皇の事績について書かれた本は、数多ある。それらに対してこの本がいかほど付加価値というか、それらにない情報を提供しているのかと思えば、まったくない!
継体天皇についてはその血統についての言及があってもよいのではないのか? 私はそこに大いに関心がある。
壬申の乱は、家康と三成の関ケ原の戦い以前では、日本史上最大の戦闘ではなかったのか?それをたったの三分の一ページ、伊勢神宮との関連も記述していない。
そのほかにも「天皇の国史」というから天皇視点というか天皇主体で書かれているのは当然としても、記述における事物の取り扱いの軽重がどうにもわからない。必ずしも歴史的重大事件が上位ではないし、天皇に関わることが上位に来ているわけでもない。

普通歴史で習うことは、政治体制を縦糸に、戦争とか天災などの出来事、人々の暮らしを見ていくという形が多い。この本は歴代天皇を縦糸に、戦争とか天災などの発生、そして人々の暮らしを見ていくという書き方になっている。
天皇主体として歴史を描いた「歴代天皇総覧」という本が20年も前に書かれている。神武天皇から昭和天皇まで在位期間にどんなことをした、どんなことがあったと累々と描かれている。流れはこの本とほぼ同じ。
今までに存在した本よりも、新しい見解なり情報が盛り込まれているとか、過去の類似の本よりも分かりやすいとかでなけれ、存在意義はないと思う。


なんとか最後まで読み通したが、正直言って読むのが辛かった。いわゆる目が滑るという感じで、7時間もかけて読んだ甲斐はない。
私の書いていることがわけわからんとおっしゃる方も多いと思う。あらすじを書くのは簡単で、この本の前半は古事記のつまみ食い、半ば以降は中学の歴史教科書のつまみ食いに歴代天皇"すべて"を押し込んだものと言い切ればおしまい。
むしろ古事記と中学歴史教科書を読んだほうが、想像や思い込みもなく、わかりやすく、読む時間も短くてすむ。ということは改めてこの本を書くことはなかったということになる。
くどいようですが繰り返すと、日本の歴史を書いた本、天皇を書いた本、皇室の歴史を書いた本などは過去よりたくさんあるわけです。ではこの本が書かれるべき必然性は何か? この本が新たに付け加えた考えや事実は何かと考えると、何もないとしか思えない。

アマゾンのレビューで88%が5点満点(20.12.23時点)をつけているのを見て、驚いた。この本がそれほど素晴らしいはずはない。高い点数をつけた人たちは、古事記を読んだことがないのか? 中学の歴史を忘れてしまったのか?
そういったものを思い出せば、評価はもっと辛くなるだろう。
なおアマゾンレビューで1点が2%であるが(同上)、レビューを読むと決して反皇室とかサヨク思考でなく、引用文献が怪しい、論理が通ってないとか、後冷泉天皇が"御"冷泉天皇という誤記、などみなもっともなことを指摘している。

ところでなぜこの本が考古学のカテゴリーなのか? この本の実態は考古学でなくフィクションのカテゴリーではないのか。


老人マーク 本日のうんざり
時はまさに平成から令和となって、国民の関心も皇室とか天皇陛下に向いているようだ。それじゃブームに乗ってとか、歴代天皇を書けば売れるだろう……という本なのか?
それほど安易でないと思いたいが、ちょっと底が浅い。
お断りしておくが私は右翼と呼ばれたくないが、れっきとした保守であり、勤皇の志士である。そして古事記や邪馬台国が趣味である。そんな私が呆れたと言っておく。
冒頭で市立図書館に「ファクトフルネス」が20冊あり、この「天皇の国史」が4冊しかないと書いたが、内容を考えると、「天皇の国史」は4冊でなく1冊買えばよかったのではなかろうか。




外資社員様からお便りを頂きました(2020.12.25)
おばQさま
いつも興味深いネタを有難うございます。
話題の本を読まずに批評はできないので、おかきになった感想から思った事です。
民族には神話があり、また古い記録や神の物語には超常な事が出てくることが多いのは、世界共通だと思います。
これを学問としてとらえるならば、まずは原典に当たり、その上で書いてある事を、勝手に解釈せずにま素直に受け止めるしかないのです。
これはおばQさまがISO規格でもおしゃっている事ですが、戦前から津田左右吉博士がおしゃっていた事でもあります。私にとっては古事記と言えば津田博士で、戦前から学問的研究をしており、今日でいえば当たり前の学問的研究からの考察や論文が、「皇室の尊厳を冒涜した」として出版法(第26条)違反で起訴され、1942年(昭和17年)5月に禁錮3ヶ月、岩波は2ヶ月、ともに執行猶予2年の判決(いわゆる津田事件)
当時の問題になった出版物を見れば、皇室への尊敬の念にあふれ、これの何が皇室の尊厳を冒?なのか判りませんが、昭和17年では皇室に関連した歴史研究自体が、皇国史観には問題なのだろうと想像します。 博士の立派な点は戦後になっても学問的に古事記など上代歴史を研究するというスタンスが変わらず、マルクス史観に満ちた戦後歴史研究者とも一線を画しています。
西欧には「聖書学」という分野があり、これは旧約聖書をはじめ、聖書の記載を歴史的、考古学的見地から研究する学問で、ノアの箱舟やエデンの園を探している学者もおります。
この学問で重要なのは、聖書の記述を宗教的見地から絶対化してはいけないという点です。
だからこそ学問として成り立ちます。
これらの学問の在り方で考えれば、古事記の内容を勝手に解釈する事もおかしいし、古事記の内容に疑念を持つことはダメという考えは否定されます。
古代史にロマンを感じたり、創作欲を掻き立てられる事は否定しません。
その結果として書くならば、「小説」とか「物語」として書けばよいのですね、
小説や物語のはずなのが、事実だとか言いだすと困ります。
おばQさまが、読んで疲れたのはそんな点ではないでしょうか?

外資社員様 毎度ありがとうございます。
旧約聖書、ギリシア神話など昔から語り継がれた物語はまったくの想像というのではなく、遠い昔からの伝承とか、古来からの戒めとか人生訓の寓話というのが発祥かと思います。そういうお話のもととなったことを思うことはロマンチックで科学的にも文学的にも意味あることかなと思います。
ただそれが行きすぎちゃってイザナギが生きたのは紀元前何世紀頃という発想になると、ちょっと待てよとなりました。
そしてそういうのがいくつもあると、こりゃ大丈夫かなとなるのもやむをえません。
ともかくついていけないと感じました。



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