うそ800始末3.MS規格のレゾンデートル

20.01.20
うそ800始末とは

ISO9001の性格が制定時からどんどんと変化してきたのは1回目で書いた通り。それが良いのか悪いのかといえば、私にとってはどうでもいい。ただ、性格が変わったことはいろいろなことに影響する。
最初の1987年版は二者間の品質保証の国際規格であった。このときの顧客は後工程であり、現実の利害関係者であった。
1994年版は品質保証の第三者認証規格になった。顧客が後工程ではあるが、現実の顧客からバーチャルになった。そしてというか、だからと言うべきか、審査員は顧客の代理人を称した。とはいえ現実の顧客から依頼された証拠はない。これは記憶しておくべきこと。
2000年版は品質マネジメントシステムを自称した。当然 依頼者は購入者から組織の経営者となった。ここ大事!
2015年版は、初版とは完璧に異なる何ものかになったようだ。少なくても製品・サービスの品質保証とは無縁である。

「ISO26000 社会的責任に関する手引き」というものがある。私はISO9001/ISO14001とは長い付き合いだが、ISO26000とは縁がない。そもそも認証規格ではないしね。2012年頃、たまたま環境マネジメントに関する集まりでこの規格が話題になり、興味を持った。

ちなみに: ISO26000は「手引き(Guidance)」で、ISO14004は「指針(Guideline)」です。その違いはなにか?
ガイダンスとは何事かについてのアドバイスや指導をいい、ガイドラインとは非公式な要件、基準、方法などをいう。ガイダンスが体系化しある程度の指導力を持つとガイドライン……つまり、ものごとや人が並ぶ基準線となる。
ガイドラインが強制力を持つと逸脱を許さない基準(standard)になる。
あれ!?、ISO14004は基準(standard)でないのにJIS(Japanese Industrial Standards)に登録されているというのはなぜ? そんな難しいことは知りません。
実をいうとJIS規格にも「〜の手引き」なんてタイトルのものもあるんですよ。

面白いことに企業で環境部門にいる人は、いくつかの人種に分けられる。
まず第一は公害防止とか廃棄物処理あるいはエネルギー管理などをしてきた人たち、言うならば由緒正しき公害担当である。
第二は有機塩素系溶剤やフロンを嚆矢とする化学物質規制、それと省エネやリサイクルなど新しい社会的要求に対応するための設計者や研究者たち。
第三はISO14001対応として品質保証とかISO9001担当とかから流れてきた認証請負人。
最後の四番目は環境レポートや環境保全などを担当する広報部門や総務部門から流れてきた人たち、
大きくはこのように分けられる。私は半分は1番目、半分は3番目という感じである。
当然ながら環境部門には、それぞれの小部門(課など)が設けられる。

企業の環境対応も時代とともに変わり、対策が完了しルーチンとなれば用済みの人は去っていく。
ISO認証が一巡した2005年頃には3番目の部門はなくなった。また20世紀に有機塩素系もフロンも片付いたものの、鉛から始まった欧州の化学物資規制は複雑怪奇に拡大する一方で2番目の仕事の終わりは見えない。1番目については、2012年から東日本大震災の影響で全社的あるいは企業グループの包括的エネルギー管理が最大の課題であった。そしてそのあとは温暖化対策という泥沼との闘いが続く。
マングローブ その反面、4番目は長期にわたる景気悪化で、マングローブを保護しようなんてのどかなことはなくなり、また環境レポートも年に1回のイベントから、常時最新情報をネットから発信するという変革を迎えた。
ともかく2012年頃、上記4番目のグループの人たちは新たな仕事を必要としていた。2010年に現れた社会的責任に関するガイダンスで飯が食えないかということが頭に浮かんだのだろう。
私についていえば、既に定年を過ぎて嘱託の身、目をギラギラさせて次の職を探す必要もなかった。

初めてISO9001が和訳されたとき、JISのZ部門(その他)に登録されたが、後にQ部門(管理システム)というものが追加され、そこに採番登録されている。
しかしISO26000はなぜかZ部門でJISZ26000になっている。(その他)といっても無差別というわけでなく、細分もあり、そこに工場管理という区分がある。社会的責任とは工場管理ではなく会社の要素とかになるのかなという気もするが、まあJISの部門も後追いでおいおい見直されるのだろう。なおJISは元は「日本工業規格」の略であったが、2019年に「日本産業規格」と改正された。商業も運輸も産業に含まれることに異議はないが、それなら農業だって林業だって産業に入る。JAS(日本農林規格)との切り分けはどうなのだろう? とりあえず難しい話はパス

ISO26000を読んでみると、まあいろいろなことを盛り込んでいる。翻訳されたJIS規格は112ページある。ちなみにISO9001:2015が44ページ、ISO14001が58ページだ。ボリュームたっぷりというのがわかるだろう。
中身をみると対象としている範囲が、大局的というか包括的である。主たる項目を見ても、組織統治、人権、労働慣行、環境、消費者……と続いていく。
個々の記述内容については「オカシイゾー」と思うところもあるが、守備範囲としては社会的責任と思われるところを網羅していると思う。
もちろんマネジメントシステム規格は要求事項の記述であり、こちらは手引き(ガイダンス)だから中身も具体的というよりも方向を示すような書き方であり、述部も「すること」となっている。ただ前述したように対象が大局的・包括的という点も大きく違う。
そういうものを見ていると、ISO9001の進化・変化・(劣化?)という流れは良かったのか、まずかったのかという気がしてならない。
ということで本日はそんなことを踏まえて思うことを書く。

ISO9001でもISO14001でもインフラとなるOS部分と、その上に乗るアプリ部分である品質関連とか環境関連という構成となっている。早い話が、共通テキストにできるものがOSであり、できないものがアプリケーションである。
当然ながらOS部分はどんなアプリを走らせようと変わるわけではない。WindowsというOSは、ワープロソフトでもゲームでもウェブブラウザーでも動かすことができる。
ソフトのたとえでなく、実際の会社を思い浮かべてもわかるだろう。
昨日まで電気製品を作っていて明日から建材を作ることになったとなると、工場設備も変わるだろうし、生産方式も変わるかもしれない。作業者が必要とする技術技能も違うだろう。しかし文書管理も是正処置も教育訓練も変わるだろうか? することは違っても、考え方とか方法は使えるはずだ。ソフトウェアでも会社の仕組みでも、基本は変わらない。

ところでマネジメントシステムとはなんなのかという確固たる考えがあって、共通テキストを作り、ISOMS規格を作っているのかとなると、そうは思えない。
ISO9001は品質マネジメントシステムの規格と自称している。マネジメントシステムの定義は「方針、目的及びその目的を達成するためのプロセスを確立するための、相互に関連する又は作用する、組織の一連の要素」となっている。
ところが品質マネジメントシステムの定義は「品質に関する、マネジメントシステムの一部」であり、環境マネジメントシステムは「マネジメントシステムの一部で、環境側面をマネジメントし、順守義務を満たし、リスク及び機会に取り組むために用いられるもの」となっている。品質マネジメントシステムと環境マネジメントシステムの定義の記述の違いは無視する。ともかくマネジメントシステムのOS部分は品質マネジメントシステムでも環境マネジメントシステムでも含まれることになる。ちょっと制度設計というか規格の設計が変だと思わないだろうか?

品質マネジメントシステムを記述した品質マニュアルでも環境マネジメントシステムを記述した環境マニュアルでも、私が言うOS部分である文書管理とか力量などは同じ事を書くことになる。あげくにそれぞれのMS規格で書かれることが異なり、それを合わせようと共通テキストを作り、それにカテゴリーごとの部分を合わせてという2015年改定が行われたというアホらしいことになった。今後、インフラ部分が改定されれば一挙にそれを採用しているMS規格多数が改定されることになる。およそ標準化とは逆行した話だ。笑ってしまう。

私は何年も前からMS規格というものを作るなら、品質とか環境というものにすべきではないと語っている。

規格の構想段階で、OS部分の要求事項と用途ごとの要求事項を分けて、品質ならOS部分と品質部分を合わせて要求事項とするか、二つを審査・認証するという形式にすれば、用途ごとの違いの問題もなく、認証機関とすればお金儲けにつながってウハウハだったはずだ。そんなことを2015年改定よりはるか前に書いている。

ISO規格構成

まずこの切り分けというか、規格の設計段階でミスがあると思う。
それと別な問題もある。規格のデザインレビュー段階の見逃しというべきか?
品質マネジメントシステムでも環境マネジメントシステムでも、それ以外のマネジメントシステムでも、費用の処理については一言もない。是正処置するにも訓練をするにも、いや記録を残すにも、すべてはお金である。お金に言及していないお話は、企業において無意味だ。国家でも行政でも同じだが、予算のない仕事はありえない。予算がなければ仕事はできないのである。

もちろん経営者の責任として資源が利用可能であること、管理層の支援をするとある。しかしそれだけでは言葉が足りないだろう。文書管理においては、「適切な識別及び記述(例えば、タイトル、日付、作成者、参照番号)とあるなど、その他延々と細かいことまで要求事項が並んでいる。
経営者の責任については一行もなくて十分なのか? 最低限でも資源として「人・もの・金」を挙げなくてはなるまい。
だが資源といっても「人・もの・金」だけではない。
福利厚生をとっても、職場環境や勤務条件や健康保険や通勤補助のような直接的なものもあるし、自己啓発支援や健康向上のためのフィットネスクラブ補助など間接的というか広い意味の福利厚生もある。
ISO9001もISO14001もそういうことは眼中にないようだ。環境に配慮する仕組みを整えようとISO14001を認証すべく頑張るのはいいが、労働条件が劣悪、担当者がウツになったり、病気になったりしては主客転倒だ。実を言って私はそういう会社を多数見てきた。

もちろんISO9001認証すると福利厚生レベルが落ちるということではない。しかしISO9001が品質マネジメントシステムと称するのは僭称であろう。
注:
僭称とは身分を越えて勝手に称号をとなえること。
力がある豪族が王を名乗るなど

おっと、ISO9001が品質マネジメントシステムとは僭称だと言われて怒るなら、力を見せればよい。例えば品質を上げることもあるだろう……

そんなことを考えると、ISO9001が品質マネジメントシステム規格と名乗るのは、力不足以前に、仕様未充足で未完成・不完全ではないのだろうか?

再確認しておくが、品質マネジメントシステムも環境マネジメントシステムも、マネジメントシステムの一部である。しかし品質マネジメントシステムも環境マネジメントシステムも自己完結したシステムを構成していない。品質マネジメントシステムとは品質にかかわるマネジメントシステムではなく、マネジメントシステムの品質にかかわる部分を抜き出したものなのだ。

おっと、勘違いされるかもしれないので説明しておく。
ISO9001の初版1987年版においては経営者の資源確保について言葉足らずでも良い、社員の労働環境に言及しなくても良いのである。
なぜなら、それは環境マネジメントシステムとは名乗っていない。堂々と己を知り「品質保証の規格」と銘打っていた。客が供給者に品質保証を要求するとき、その会社のリソースがどうであれ、労働環境がどうであれ、知ったことではない。顧客に納入する製品・サービスにしっかりした品質保証をしてほしいというだけである。
品質向上もそうだ。買い手は不良品は困るが、品質向上は買い手に利益になるか否かを考えるだろう。まして仕様向上は更に必要ではない。MTBFが5,000hだったものが10,000hになりますと言われても、それを好むか否かは状況による。製品寿命が5,000hなら部品のMTBFを伸ばす意味は全くない。あるいは製品メンテナンスがビジネスになっているなら、MTBFを伸ばすなんてとんでもないことだ。
品質コストを下げるにしても、予防や評価コストをかけずに失敗コストを計上したほうがトータルとして良いという経営判断があってもおかしくない。

そう考えてくると、品質保証でなく品質マネジメントシステムのISO第三者認証制度とは、そもそもが未完成、不十分な規格で認証ビジネスという大冒険に挑み、夢破れたということになるのだろうか?

さて、ここでとるべき道がいくつか考えられる。
2015年大改定があったわけだが、それはおいといて……
現行のMS規格の構成からなにからすべてを見直してリファインを図り、認証ビジネスに再挑戦するか、あるいは認証ビジネスは砂上の楼閣であったと決断し事業をたたむか、あるいは初心に帰り品質保証の規格を極めるかである。
品質はどうでもいい、環境はどうするのかと問われるかもしれない。企業の立場からすれば、環境マネジメントシステム認証などに励むより、事故防止、遵法の徹底に励むべきだろう。
だってさ、ISO14001を一生懸命やりました。でも結果は芳しくない。

ひらめいた! そうだもっと即物的なことをすればよかったんじゃないか、
だからエネルギーマネジメントシステムとか化学物質管理システムが現れてきたのではないか?
しかしそもそものISO14001の意図は「汚染の予防と遵法で」あるから、それはISO14001の実現である。たまたまISO14001が、本来の意図を実現するには不適・不十分だったということになるのではないか。

個人的には、当事者が考えるまでなく市場がフィードバックをかけた結果が今だと考えている。アダム・スミスの見えざる手に導かれ、全体最適が達成されるはずだ。


うそ800 本日の愚考
第三者認証は問題多々であることは間違いない。
一番目に付くのは審査の現場である。しかし問題の原因を追究するとどんどんと遡る。
真の問題は第三者認証の制度設計のような気がしたが、実は規格の構成とか規格の中身に問題があるのではなかろうか?
いやいや、私が間違っているのだろう。でも間違いだと是非とも論理的な反論をいただきたい。




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