私は過去何度もISO事務局なんて不要だと書いてきた。私が唱えたからではないだろうが、最近はISO事務局ですと名乗る人は減っているように思う。少なくても私の知り合いとか関わった会社では、ISO事務局なる表現は聞いたことがない。たいていはISO担当とか認証担当なんて呼んでいた。それも専任ではなく片手間仕事だ。
もちろんISO担当部署なんてものはない。ふつうは品質保証課とか環境管理課なんてとこで、課員の一人が片手間でISO対応をしているわけだ。
ISO事務局って経営企画室 とか社長のブレインなの? |
彼らの回答を羅列すると次のようになる。
消 費 税 上 げ た の は い か ん | こ の 御 仁 |
私から見ればISO事務局など無用の長物、万里の長城、ピラミッド、戦艦大和の次の四番目としか思えない。
「ISO事務局をしています(ドヤ顔)」というのは、碌な仕事をしてないのに給料がもらえるのがうらやましいだろうという意味なのか?
どう考えてもやりがいのあるお仕事、エリートがするお仕事ではないようだ。
なぜISO事務局が存在したのか? ということは闇が深い。今回はISO事務局を自称する人たちはなぜ事務局になったのか、どういう遍歴を重ねてきたのかを考えたい。
翌年、その会社に定期監査でお邪魔すると、その方のお姿が見えない。
そこの課長にどうしたのと聞くと、彼は休職しているという。よくよく話を聞いてみると、その方はISO監査直前に会社に来なくなり今休職中なのだという。
実は以前は開発部門にいたときおかしくなり仕事できなくなり環境部署に異動して、環境部署でも専門性がないからISO担当をしてもらっているという。ところが毎年ISO審査になると直前に休んでしまい、審査が終わり是正が完了した頃にISO審査などなかったように出てくるという。それが毎年のルーチンだという。それでもISO担当と名乗り、近隣の会社で作っているISO研究会では環境課長がしていることを自分がしているように語って権威者とみなされているという。
「それじゃ困りますね」というと、上も知っている。我々も彼がいないものとして仕事をしている。ISO審査の対応も是正も、その課長が進めているから彼がいなくても問題ないとのこと。環境課長は「ウチは爺捨て山と思われてんだよね〜」と笑っていた。
つまりISO事務局とはそういう人のお仕事なのであった。
手合い違いは手合い違いであったが、私が石を置いてもではなく、相手が石を置いても手合い違いだったようだ。
ISO認証している企業ならISOの担当というか、認証機関の窓口は存在する。それをISO事務局と呼ぶなら認証企業にはすべてISO事務局があることになるのかな?
そしてそのすべてにISO担当者がいるわけで、その担当になるいきさつもいろいろだろう。
ただその職がISO事務局と呼ぶほどのことがあるのかと思うと、ISO窓口と呼ぶくらいがちょうどでないだろうか。
ISO事務局など必要ないし、そもそも認証のために専任者が必要な仕事があるわけでもない。ISO事務局が真にISO規格を理解しているなら、おのれの仕事をなくすことに勤めるはずだ。10年もISO事務局が存在するなら、歴代担当者を懲戒処分にしたい。
現実に会社は重要な仕事と認識していないから、それなりの人をISO担当にしているのではなかろうか?
認証すること、維持することがなんとかできれば他部門で使えない人を回すとか、
時代遅れの技術者や他社でISO認証の経験があれば新たに教育とか講習会に行かせるより金がかからないだろうとか
自推する人となると、ISO担当が成り上がる仕事と考えていたり、楽な仕事とみなしていたり、ISO審査員になるステップと考えていたり
まあ仕事も仕事ならなりたい人もそれなりのように思える。
本日の本音
ISO事務局ですと自称する人がいるらしいが、自慢できるお仕事とは思えない。私の知る限り、定年前の窓際、他部門で使えない人の置き場所、目の前のお仕事より夢を追う人の立ち位置、そんなところだ。
そもそもISO事務局なんて無用な仕事。そんなお仕事をしていて、私が会社を動かしているとか会社を良くするなんて思うのは、白日夢、妄想だ。
もちろんISO認証や維持も会社の必要な業務であることは間違いない。しかしISO認証で会社を良くすると語ることは、守衛も会社を良くするというのと同じレベルなのである。
そういったことを自覚しなければならない。
注1 |
ISO14001:2015年版ANNEXにそう書いてある。君は読んだことがないのか? 審査員が専門用語を使ったら、その審査員は規格不適合です。「私にわかるように言い直してください」と堂々と言いましょう。 | |
注2 |
囲碁や将棋をするとき、お互いの力が違うと勝負にならないのでハンディをつける。
しかしあまりにも力が違うといくらハンディをつけても勝負というよりも指導になってしまう、それを手合い違いという。 ふつうはハンディが4ランクとか5ランク以上違うと手合い違いという。つまり囲碁ならつまり置石5個以上、将棋なら飛車と香車落とすくらいかな? 取引の打ち合わせでも、あまりにも地位が違うのを手合い違いという。片や取締役、こなた平社員では手合い違いだろう。 | |
注3 |
1970年代までの現場からの出世コースはなにかといえば、ズバリ組合活動である。 新入社員が組合役員になり能力があるのを認めると、管理職に取り立てるというのはどの会社でも普通のことだった。 ひとつには力量のある人を活用するという意味もあるし、もうひとつはうるさい奴を取り込んでしまえばという発想である。 うるさくて能がない組合役員ならどうするかとなれば、簡単だ。難しい仕事の管理職に就かせる。そうすると職務遂行ができないと自ら辞める形になる。当人は困るかもしれないが会社はハッピー。もちろんその場で突然能力を発現するレアケースもあったが、それはそれでお互いにハッピーだ。 | |
注4 |
業種、製品、組織を変革するのが本当のリストラ(Restructuring)つまり再構築だろう。 日本語のリストラは、単なる人員整理、余剰人員の整理解雇という意味でつかわれているように思う。 そういえば1993年初めてイギリス人のISO9001審査を受けた時、業種・製品・組織が変わったときには、初回審査からしなければならないと言われた。 |