うそ800始末30.きっかけ

20.07.06

まずは軽く準備運動をしよう。

と聞いたとして、AさんとCさんは比較できない。いや、人と人を比較するのはゲスのすることとおっしゃるな。純粋に数学いや論理学のお話である。

何か二つを比較するためには、ふたつのものを直接比較できる情報か、あるいは間接的に比較できる情報がなければならない。
例えば、
というのは前者であり、 というのは後者である。
この場合、AさんとCさんは、Bさんを介在して比較することができる。定量化するまでもない。
そんなことは、当たり前といえば当たり前のことだ。
そして上記前提で「先月のCさんの売り上げは、Aさんと同じだった」なんて推論する人がいたら、それはおかしいぞと思わなければならない。

私たちが生活するときは、常に論理的におかしくないか、まっとうな考えかどうかを検証していないといけない。そしておかしいと気づけば、いったんおかしなことをはっきりさせてから先に進むようにしないと、振り込み詐欺にあってしまう。
おっと千葉県では「振り込み詐欺」ではなく「電話de詐欺」が正式呼称だ。


軽く準備運動を終えたので、本題である。
いや別に、これから100mダッシュ10回行くぞ! なんてことはない。

1990年代初頭、私が会ったISO9001審査員は皆すごい人たちだと感じたと以前書いた。当時は、横暴、乱暴、ゆすり・たかり、俺は殿様って審査員はいたが、それなりにすごい経歴であり、またISO規格やその周辺について聞けば何でも答えられる人たちばかりだった。人格あるいは行動を尊敬できなくても、力量は尊敬に値したのである。

1996年までには大手から中堅までISO9001認証はほぼ一巡した。そして私は田舎の工場でISO14001認証を1997年度中に達成しなければならないという任務を与えられた。
既にISO14001の審査はISO9001と全く違うことは広く知られていた。なにしろISO規格をいくら読んでも、現実の審査の要求事項も判定基準も理解できないのだ。
😟
極論すればISO14001規格で審査するのではなく、認証機関独自の環境マネジメントシステム規格で審査されていたわけだ。認証機関ごとに固有の審査規格があるのだから、審査契約した認証機関のマネジメントシステム規格を理解しなければならないことはいうまでもない。

サラッと書いたけど、これって本当に異常なことだからね。日本独特というか世界に一つだけの花どころか、世界一邪悪な規格としか言いようがない。グローバルスタンダードなんて誰が言った? CBオリジナルスタンダードと呼ぼう。セルフィシュスタンダード鴨

当時1997年頃は、審査を依頼するために審査予定の1年前とか1年半前に締結するのは普通だった。そして手付けでなく審査料金満額を払い込まないと、予約できなかった。
20世紀末の郵便貯金は通常貯金でも0.3%ついた。今は0.001%、100万を1年積んでも利子は10円である。金利は今ではパーセントではなく、ppmで表示する時代である。
あげくに休日にゆうちょ銀行のATMを使うと、休日手数料が110円、
嗚呼無常
金勘定 当時数百名の工場の審査料金を100万として100社も予約を入れたら、認証機関は金利だけでウハウハだったのは間違いない。
アメリカのフォード社は自動車会社ではなく金融機関だとか、マクドナルドの本質は不動産業だという言い方があるが、認証機関は人の褌で相撲を取る相撲取り、絶対に損はしない。


しかし当時はISO14001を認証したいという人は大勢いて、認証機関が入るビルには、早く審査してくれと叫ぶ人たちが門前市をなしていた。だから企業側も認証機関に満額入れろとはアコギだなんて言えなかった。そのためか審査員もまた上から目線だった。
ともかく今では考えられないありさまだった。認証機関は、20年前を黄金時代だったと懐かしんでいるだろう。

契約してから我々はISO審査の準備をしていた。最重要なことはその認証機関の要求事項を学ぶことだった。もちろん先行する会社の審査状況を見聞きするだけでは、その神髄(?)を理解できないから、何度か総本山に詣でなければならない。
ともかくそういうわけであるとき私は上京して認証機関の講演会(説明会?)に参加していた。
当時ISO9001は一段落していて、ISO14001が新しい流行と皆が見ていた。そしてまたISO認証の価値が疑問視されていない幸福な時代である。そういう講習会も多くの人であふれていた。
もちろん無料ではなく、高い受講料をとる、こんな濡れ手に粟の商売が許されるわけはない! 私はそう思ったね。まだ50前で血気盛んだったし、今でもだけど。

講演といってもエライ先生方が登壇するわけではない。その認証機関の審査員が代わる代わる現れては、規格項番を分担して解説するわけだ。我々は神の声(!)をありがたく聞いて、ひたすらメモをした。そのためにはるばる東京まで出てきたのだから。

とはいえ彼らが語ることが、モーゼが語るごとくありがたくそして素晴らしい信頼に足る言葉だったかというと、そうではなかった。 モーゼ 払った金に見合ったお話なんてのは半分もなかったように思う。
今でも記憶にあるのは、法律の解説のとき当時 立法が進められていた法律(化管法だったと思う)の解説をした。講師の話を聞いていて、私が新聞などで読んでいた法制案と違っておかしいなと思うことが多々あった。いや全然ずれているのじゃないかと思えた。
その人が下がって、次の講師になると冒頭に、前の弁士が語ったのは間違いであるという。そして法律の仕組みを初めから話始めた。
その弁士が話し終えると前に話した審査員が立ち上がり申し訳ないと頭を下げた。
それからも延々と弁士が変わり、各項番の解説があり講演会は終わった。まあ、それだけの出来事である。

その講演を思い出すたびに、審査員そして認証機関に不信感が沸き上がってきた。誰にでも間違いはある。勘違いもあるだろう。しかし公の場で講演するとなればそうとう勉強するだろうし、認証機関としても講師の内容チェックくらいしないものだろうか?
それから前の人が間違えたからと別の人が修正するにしても、ああいった方法で進めるのは適切なのだろうか?
当然、審査員の間違いはその審査員だけではないだろう、別の講師は大丈夫なのか? ほかの講演会はどうなのか? 審査の場で審査員が語ることも100%真ではなく、間違いもあるのだろう、そんなことがいろいろと頭に浮かんだ。

間違いを語った審査員は田舎の工場の審査には来なかった。ただその経験から、他の審査員に出会うたびにこの人の話は信用できるのかと常に疑念を持った。当然、審査の判断も間違えるんじゃないかと常に目を見開いてみる習慣がついた。


自分の工場が審査を受ける少し前に、知り合いの工場がISO14001の予備審査を受けたのでご機嫌伺の電話をした。
当時は予備審査というオプションがあり、何十万か払って正式ではない審査をしてもらい、露払いというかダメ出しをしてもらうのだ。審査員は本審査の審査員が来るのではなく、別の審査員が来た。そして予備審査で問題がなくても本審査で問題が見つかる可能性があるという断りを受け入れて、予備審査の契約がされた。
認証機関は審査員が違う理由を客観性とかなんだとか理由を言っていたが、受ける側からすれば本審査と予備審査は同じ人あるいは同じ見解の人でないと困る。だって予備審査で不適合があれば是正するのは当然として、本審査で別の審査員が来て新たな問題を見つけられたのではわざわざ大金を払う意味が理解できない。そんなことを思ったが、売り手市場のISO14001では蟷螂の斧、どうしようもない。
ついでに言えば予備審査を依頼していないと、認証機関の営業から「御社は予備審査を依頼されてませんが、お忘れですか」なんて督促の電話が来た。予備審査とはオプションという名の標準装備らしい。

予備審査を売り込む意気込みの半分くらい、審査の現実を把握し、その改善に努めていたら審査のレベルは合格点に達しさらに上昇したかもしれない。
ISO9001は品質だ、顧客満足だ、ISO14001は遵法だと言いながら、あまり品質とか顧客満足あるいは遵法にこだわらないのが、さっぱりしていて素敵なんて絶対に言わないぞ。


おっと、友人の勤めている工場の話であった。彼の工場も私の工場が契約した認証機関と同じであった。正確に言えば、当時はISO14001の過半を某認証機関が寡占していた。ISO14001を認証したというと8割方はその認証機関だった。どうしてでしょうねえ〜?

予備審査はどうだったか? という私の第一声に彼の愚痴は留まるところを知らなかった。

そんな話を聞いて、こりゃ手に負えないな、とにかく審査を受けて問題を出されたら、それに対処するしかなさそうだと諦めた。

やがて自分の工場も予備審査を受け、いろいろと不適合を出された。指摘されたことは必死に対応した。
日が満ちて本審査となった。予備審査で声がかからなかったことに法違反であると言われたのが何個かあった。
慌てて消防署に問い合わせに行くと、全く問題ない。審査員が修整工事をしないとならないといったというと、消防吏員が検査をして合格したものを必要なく工事をすることはまかりならぬ、許可できないという。もちろんそれは当然のことだ。
そんなことはその後の審査でも何度も発生した。

ISO14001審査を何度か経験すると、審査員が語るのは信用できないのは懸念から確信に変わった。そんな審査員を雇っていて教育もせず、いやそれどころか隷下の審査員がどんな審査をしているのかを把握していない、それともそれを是としているのか、どちらにしてもそんな認証機関が信用できるわけはない。
しかしながらISO14001認証は必要だ。正式に苦情を言おうと提言すると、上司は我慢しろという。担当者は諦めて審査員に言われたままに右往左往するしかないのだろうか? そして認証機関を食わせるために我々は毎年大金を毎年払うのだろうか?
我々は奴隷か
奴隷解放の南北戦争はいつ開戦するのだ?
だれも立ち上がらなければ、自分が立ち上がらなければならない!

冒頭では二つのものを比較するには、直接あるいは間接に比較できる情報がなければならないと書いた。
ISO14001審査がジャンジャンと行われるようになると、私は知り合いや取引先が審査を受けた情報がいろいろ入ってきた。前述したように当時はISO14001の審査というと、特定の認証機関1社に決まっていた。
その認証機関がどんな考えであろうと、それなりの体系化された審査基準、判定基準が確立されているなら、数学の虚数の世界でも反物質の物理法則でも対応は可能である。
しかし i^2=−1 と決まっているなら良いが、あるときは i^2=−1 あるときは i^2=1 なんて言われたらもうそれは論理ではない。論理でないなら、感情なのか? 非論理なのか? 現実をみれば、不合理というのが適切のようだ。
不合理の世界に生きているなら、その世界を合理化しなければならない。

あれから20余年、いまだにISO審査では、不合理、非論理的なものが湧き出てくるようだ。なぜなのか?
それが根本的な問題ではなかろうか?


うそ800 本日のきっかけ
本日のきっかけとは、私がISO審査員を疑うようになったきっかけである。きっかけというと普通は何か一つと思うけど、ISO審査への不信のきっかけは十指に余る。たくさんあれば、きっかけと言わないのだろうか?
人間、信用が第一だ。まずうそをつかない、分からないなら勉強する、分からないことを分かったように断定するのもいけない。自分を大きく見せないことが大事かなと思う。まあ最近では謙遜よりも自分を大きく見せないと仕事にならないと考えている人が多いようだ。そのように世間の常識も価値観も変わってきたのかもしれない。
閻魔様の前で、「私は審査においては常に規格要求にそって解釈してきたことを誓います」と言える審査員は何割いるものだろうか?
まさか数パーセントとか、いくらなんでもppmなんて言うんじゃないだろうね!
せめて、ゆうちょ銀行の利子よりは高いと言ってくれ!

そもそも認証機関の社長やえらいさんたちは、自分のところの審査の実態を知らないんじゃないか? あるいは社長自身がまっとうな審査ができないのかもしれない。

私のことを執念深いやつとか子供っぽい奴とさげすむのも結構だ。だが、いじめっ子はいじめたことを忘れても、いじめられっ子はいじめられたことは決して忘れない。
何十年もかけてかたきを追い求め、過去の遺恨を晴らすのが日本の美学いや慣わしである。
我こそは令和の臼井六郎なり、当時の審査員がまだ生きているなら、覚悟せよ
現役の審査員は「審査de詐欺」などと言われないように頑張ってほしい。




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