「工学の歴史」

20.11.08
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

歴史の教科書などでは、何を基準に時代を分けているだろうか。
竪穴住居
竪穴時代、木造時代、RC時
代なんて聞いたことがない
中学社会の教科書に限らず普通は、粗ければ旧石器、新石器、青銅器、鉄器、これはつまり道具を作る材料だ。少し細かくするなら古代、中世、近代、現代とか、更に細かくすれば王朝名とか首都の地名とかが多いと思う。
例えば日本では、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸は、縄文と古墳を除けば見事に地名が並んでいる。同じ京都でも平安時代と室町時代があるなら、明治以降は東京時代というべきだろう。
おっと弥生は都があった場所ではない。弥生土器が発見された地名だ。それと明治、大正、昭和、平成は時代区分ではない。あれは元号だ。


書名著者出版社ISBN初版価格
工学の歴史三輪修三ちくま学芸文庫9784800942782012.01.101,300円

では工学史というなら、時代区分をどうすればよいだろうか?
この本の章立ては、古代、中世、ルネサンス…となっているが、そこに書かれているのは例えばルネサンスにはどういう発展や発明があったではなく、ただひたすら当時の高名な研究者/科学者の事績を記述している。著名な科学者や哲学者の事績を、一人当たり1〜3ページくらいに書き連ねていく。時代が下った後半3分の1は、あまりにも発明が多いためか、個人名ではなく理論とか分野まとめての解説となる。
そこには総括的な中世とかルネサンスにおける工学という解説はない。つまり時代区分ではなく、研究者が行ったことを羅列しているだけだ。

おっと、科学技術が分化する前は、哲学も化学も音楽も美術も一緒くたで、ダビンチが絵を描き兵器を作り思索しても、異常だったわけではない。天才はすべてができるということだろう。それは今でも同じようで、本書の最初に出てきた人名であるジョセフ・ニーダムも、医者であり研究者であり歴史家であり国際政治的な動きもした。
ともかくこの本は工学史というよりも、研究者史あるいは科学者史という内容である。但し、間違っても技術者史ではない。それは後々書く。

このように時代の流れを書く方法は成功したかといえば、どうだろう? 確かに著名な学者を並べた本は多々あるが、「歴史」と題した本では見かけたことはない。そういう意味では見た目が新鮮である。 ダビンチのヘリコプター
しかし内容として理解しやすいか、いや工学の歴史を語っているのかという観点では、その進歩・発展が分りにくい。
実際に著者である三輪は「ものがたり機械工学史(注1)という本を同時期に著しているが、そちらの歴史区分は古代、中世、ルネサンス…産業革命…という区分で出来事や遺物を書いており、機械だけでなく土木建築物や電子技術を含めて進歩がビジブルに分かりやすい。まあ、それは世の中にそういう形態が多いからかもしれないが、分かりやすいのは確かだ。

そして読者が何を求めているかもあるだろう。誰が何を考えたのか作ったのかということに興味があれば、この「工学の歴史」の書き方が好ましいだろうし、成果物である技術がどのような関りを持ち進歩してきたのかを知りたい人は、「ものがたり機械工学史」のような旧来からの書き方が見合っている。私は後者だ。
ともかくこの方法による固有名詞のわかっている科学者・技術者を描く記述方法は、記録が残ってなければ記述できない。ということでこの本では古代はわずかである。


さて本論である。
この本を読んで、中国文明と西欧文明の進歩を比較したニーダム線図というものを初めて知った。興味を持ったのでアメリカやイギリスのgoogleで検索したが、ヒットしない。固有名詞のない図としては出てくるが、Needham grafh でもdiagramでもchartでも出てこない(注2)実際にはそんな呼び方はされてないようだ。
私は縦軸をどんな指標で描いたのかが興味があるのだが、それについても何も記述がない。理論的根拠がないような気がする。

その他この本の冒頭では、中国をはじめギリシアやオリエントの研究などを取り上げている。確かにそういう研究はあったのだろうし、遺物も残っているようだが、それが現在の技術・工学とはつながっていないようだ。それは歴史をどう考えるのかということなのだろう。

歴史とは何か?となると、「かって存在したもの」なのか、「現在のものがどのようしてできたのか」とする見解の違いがあるようだ。
著者自身はどうなのか分からないが、この本ではかって存在したものは歴史だと考えている。その考えもあるだろうが、今目の前にある技術や品物を作るために積み重なった開発や改良を歴史と考えるのもあるだろう。
かって今の事物と類似のものが存在しても、それが途絶えて現在のものとつながっていないなら、血がつながっていないのだから現在のものの祖先ではない。

ご先祖様はどこまで?
具体例をあげると、現生人の祖先はクロマニヨン人だから、ネアンデルタール人を祖先とは思わないようなイメージだろうか。

ともかくこの本では著名な科学者・哲学者の記述が延々と続くが、そこに連続して記載されたA氏とB氏の関連はない。「A氏はaをした」、「B氏はbをした」とあっても、A氏とB氏は面識がないし、発明や発見であるaとbも直接関係ない。時を隔てたA氏とF氏が類似の研究をしていても、A氏の研究を知ったF氏がaを基に進めてfに至ったというケースも少ない。まあ現実はそうなんだろうけど、そういう観点ではこの記述は工学史といえるのかなと疑問である。
歴史というものがつながりであるなら、これは「工学史」というより「歴代研究者の残像」とかのタイトルが適切かなと思う。

おっと、著者の編集方針を批判しているわけではない。ただ私は研究者主体ではなく、技術主体に知りたい。例えば公差はどのように発展してきたのかとか、この測定器はいかなる発明の積み重ねかというような、ものや考え方の発展の過程に興味があるので、そう思う。発明や発見をしたのが誰かよりも、その発想や工夫そのものが重要だと思うのだ。
そういう意味で、科学的管理法のテーラーと高速度鋼を開発したテーラーが同一人物であろうと別人であろうと関係ない。誰が科学的管理法を開発しまた高速度鋼を発明したかはどうでもよく、その時代はそういう技術を求めていたということが重要だと考える。

ならばこの本を時計とか摩擦とか橋梁といった個々の事物の歴史に分けて記述すれば、より興味が持てるのかと言えば、それぞれの項目についていにしえから現代までつなげるほどの情報が記述されてない。だから単に時の流れに合わせて、その時代その時代の著名な研究者について記述しただけという風に思える。
つまり工学史と称するにはいささかショボイのだ。

それと工学といいながら、前半は科学者・哲学者が多いというのは、前述したように古代・中世においては科学者・哲学者・技術者が分化していなかったということはわかる。
しかし産業革命以降も、研究者ばかりが取り上げられていて、現場の発明や改良そしてそれらを行った人たちの記載が非常にプアというかほとんどない
例えば工作機械を開発したウイルキンソンとかモーズレイなどを、軽視しているのは納得いかない。
ラムスデンだって忘れてほしくない。当時としては超高精度のねじを作り、それを使った顕微鏡などの光学機器によって天文学も航海術も進歩したのを忘れてほしくない。
ゲージブロック そういやヨハンソンも出てこない。ヨハンソンは現代に近い近代だが、同時期のフォードが載っているのだから載せないのはおかしい。(細かいことを言えばヨハンソンはフォードに雇われていた)
単に高精度のものを作っただけでは、工学の歴史に値しないのか? いやいやまともなゲージブロックがなければ、工学そのものが成り立たないだろう。
工学とは研究室の中だけでなく、現場での開発改良も重要ではないか?
ダビンチの考えたものはヘリコプターから飛行機、種々の兵器に至るまで様々だった。しかし物を作る技術がなかったから形にならなかった。理屈も大事だが製造も大事だ。
著者は工学の研究者の歴史を書きたかったのか? 現場で工夫した技術者や技能者たちは対象外なのか?


末尾の「機械工学の現在と未来」は著者個人の主観が強く気に入らない。こういった本で主観それも価値観を唱えるのは興ざめだ。工学の発達が公害や社会問題を引き起こしたとあっては、製造現場にいた者として看過できない。
責任転嫁をするつもりはないが、過去公害を起こした責任は経営者や為政者にあったわけだ。新しい機械や建築物を作れる技術を拓いた人たちが責任を感じる必要はないだろう。ひょっとしてこの著者は、自虐史観の拡大版で自分の責任ですというのがカッコいいとでも思っているのか?

工学とはツールなのだ。哲学ではない。モノづくりに、倫理から宗教観まで持ち出されては困る。そこまで考えて不安になるのは発想がおかしい。技術を応用することより、目的がどうなのかを考えるべきだ。
環境でいつも取り上げられる共有地の悲劇とか費用の外部化といったものは、工学の範疇ではない。社会的な未発達とか利益追求の行き過ぎという風に理解すべきだろう……というのも私の主観だが、

工学者なら倫理など考えることはない、人殺しでも害しかないものを作ってもよいと言っているのではない。
核兵器 まず工学に善悪という次元はないだろう。作るべきか使うべきかということは工学の範疇じゃない。倫理とか宗教という価値観で考えるべきだ。そして現実にそうしているわけだ。
核兵器を作ったのは工学ではなく、大量破壊兵器が必要だと考えた人が、作り使ったということに過ぎない。
工学者が反省するのではなく、それを作った人使った人が考えるべきだ。
現実にはB29で東京大空襲をした人も、広島・長崎に核爆弾を落とせと命令した人も反省していない。工学にかかわる人たちが罪を感じることはおかしいよ。
「過ちは 繰返しませぬから」というのは論理的にまったくおかしい。あなたは過ちを犯したのですか? してないでしょう。ならば「過ちは繰返させません」でなければナンセンスだ。
「工学の発達が公害や社会問題を引き起こした」と考える頭はそれと同じだ。

公害や地球環境問題を我が責任と考えることは、自意識過剰に過ぎず、他から見れば道化でしかない。
ご本人が満足するだけならどうでもよいが、それによって他の工学者や実務についている技術者が同罪と言われてはたまらない。

そしてまたそのツールがいかような目的にも使えることを、真面目くさって嘆くのは呆れてしまう。
子供が今の考えのままで大きくなってくれればと思っても、反抗期も来るし成人すれば親から離れるのは必定だ。親から離れないように教育すること自体、教育の失敗である。
そんなこと、どこかの団体が軍事研究を禁じると叫ぶと同じく、主客転倒だ。ましてや仮想敵国の研究に協力するとは言語道断。
12章まではともかく13章は全く同意できない。


まとめである。
まず収録されている情報量が非常に少ない。文庫本とはいえ1,300円もする。コストパフォーマンスはかなり悪い。

読む甲斐があるのかと問われると……どうだろうか?
私の場合、図書館になく中古本も出品されてなく新品を買ってしまったが、この本を所蔵したいとは思わない。ほしい人がいれば上げるし、いなければ捨てる。その程度の本だ。
技術史・工学史の概要を知ろうというには不適当である。概要を学ぼうとするなら他の本を読んだほうが時代背景と技術の発展過程を理解できるだろうし、相互作用や技術の流れを知ることができるだろう。

計測器 また個々の技術や機械の歴史を勉強したいなら、まったく役に立たない。
私個人は計測器の歴史とか公差の歴史に関心があり、関連する書籍だけでなく論文とかメーカーのパンフレットなどを多数読んできたので、この本を読んで得た知識は全くなかった。
なぜ読んだのかといわれると、過去に読んだ技術史の本でこれを引用しているものがあったからだ。


うそ800 本日の推薦
比較するのもなんだが、例えば「蒸気船(注3)を読めば、技術の歴史に感動することは間違いない。
「歯車の技術史(注4)とか「製図の歴史(注5)もよい。桁違いの感動を与えてくれるだろう。「工学の歴史」とは手合い違いだ。




注1
「ものがたり機械工学史」三輪修三、オーム社、1995

注2
唯一見つけたのは、「中国の科学技術史へのジョゼフ・ニーダムの貢献(Joseph Needham's contribution to the history of science and technology in China)」というページである。
http://archive.unu.edu/unupress/unupbooks/uu01se/uu01se0u.htm
そこでは「一般的な科学の発展におけるヨーロッパと中国の役割を示す概略図」(Schematic diagram to show the roles of Europe and China in the development of ecumenical science)という長い形容詞節の説明がついていた。
なお、このサイトでは、このニーダムの図は元データが不明で信頼性がないと記述している。

注3
「蒸気船」田中 航、毎日新聞社、1977

注4
「歯車の技術史」会田 俊夫、開発社、1970

注5
「製図の歴史」P.J.ブッカー、みすず書房、1967



外資社員様からお便りを頂きました(2020.11.09)
おばQさま
いつも興味ある本のReview有難うございました。
私も、題名をみて買おうと思い、感想を拝見して買わずに済みました。

>誰が何を考えたのかより、技術の歴史が知りたい
このお気持ちは判りますが、そうなると注で書かれたように個別の技術ごとの研究が必要なのですね。
そして、技術の中には、一度登場しても、消えてしまったものがあります。
そうした断絶をどう扱うかも難しい問題だと思います。
例として中国 殷時代の青銅器は、現代の技術をもっても鋳造が困難とか。
(鋳造でなければ3Dや金属加工で製造は可能だが、鋳造技術としては困難)
現在のデジタル画像処理で、どのような名画も画像や印刷としての再現は可能だが、絵画として書くことは困難。
明時代の火薬兵器:連射式大量ミサイルも、文献は残っていながら、その後断絶。
再登場するのは第二次大戦のソ連やドイツ軍あたり。

技術が断絶して、再度 構築となると、非常に大変。
日本では、敗戦後 三菱が飛行機を作ろうとしましたが、結局 MRJは断念。
これなども、技術の不連続が起きると、記録だけでは継承ができないことを明示しています。
そうした断絶と再現(再登場)の歴史まで入れると、それこそ一つの技術でも大変なことになりそうな気がします。

>中国文明と西欧文明の進歩を比較したニーダム線図
従来は西欧から見た歴史でしたが、中国起源の発明も多いですからね。
そうでない視点なら、それはよい点だと思います。
鉄器については、最近の考古学で西アジア起源の鉄文明は四大文明とは異なった流れであるのが分かってきましたし、スキタイの異常な強さの理由、中国を脅かし続けた匈奴の強さの理由も、製鉄技術と関連づけて見えてきました。
おばQさまが知りたいのは、こんな感じのお話でしょうか?

>工学、モノづくりと倫理
まさにおっしゃる通りで、作る側の責任は、要求にあったものを作れるかが重要。それをどう使うかはユーザの問題と思います。
それを作り手に転嫁するのは、妙な宗教倫理が絡んできたからでしょうかね。
そして作り手に責任転嫁することは、真の原因をごまかすことにしかなりませんね。
技術開発の点で考えれば、欧米のアカデミズムは戦争に技術開発で貢献し勝利に導いた。一方の日本では軍と学は反目しつづけ、ほとんど協力体制がなく技術面でも惨敗。
あたら貴重な学生や頭脳も将兵として消耗させた。
単純に戦争協力を悪という前に、どちらが技術面で考えて、あるべき姿なのかは考えた方がよさそうです。

外資社員様 毎度お便りありがとうございます。
私は技術史が大好きで、図書分類が技術史となっているものはネットで情報をググって、面白そうなものは借りる、図書館になければ中古、それもなければ新品の順で手に入れて読んでいます。
もちろん当たりはずれはありますが、最低でも宝くじのように費やしたお金と労力の1割くらいの見返りはあるのが普通です。これはちょっと大はずれでした。
ただ過去の偉人たちの成果の概略を知りたいという方には大ヒットかもしれません。人により求めるものはさまざまですから。

ニーダム線図は、年代を横軸に技術の成果を縦軸に、中国と西洋の工学に関する発展をグラフで示したものなのですが、縦軸をいかなる尺度で表したかの記載がありません。参照しているウェブサイトではニーダムはなんらかの関数をつくって縦軸にプロットしたらしいけど、その算式は分からないと記載があります。どのような理屈で定量化したのわからないのが気に入りません。

ところでこの文庫本に興味がありましたら、外資社員様宛にお送りしましょうか?
前述しましたように、本の価値は読む人によって異なりますから、きっとお役に立ちますよ(?)


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