「エクセル方眼紙で文書を作るのはやめなさい」

21.08.23

なんだっただろう、ネットだったか? 中吊りだったか? この「エクセル方眼紙で文書を作るのはやめなさい」という本の広告だかクチコミだかを見かけた。そして「エクセル方眼紙」という言葉を聞いてワープロにまつわる思い出が頭に浮かんだ。

1970年代末、同年配の品管担当が、他社に提出する書類を和文タイプライターで作ってもらうという話をしていた。耳をそばてると、社外に出す文書は手書きではだめで印刷の書体でないとまずいそうだ。それで工場の総務に依頼して清書というか和文タイプライターで打ってもらうらしい。
工場で和文タイプライターを使える人は年配の女性だけで、機械も古くなってきて、これからどうするんだろうねえ〜なんていう話だった。

当時あった和文タイプライターとは、事務机をひとつ占領するくらい大きな機械で、活字が2,000個くらいびっしりと並んでいた。細かいことは知らないが、操作者はレバーで活字を一つ一つ探して打つしくみで、完成品は紙一枚というしろものであった。しかも後でそれを編集するなんてことはできない。今なら呆れるというかがっかりするというか、やる気がそがれるのは間違いない。
イメージがつかめないかもしれないが単純な機械だから、活字のサイズの印刷しかできず、打った文書をセーブすることもできず、活字を間違えたら後で別の紙に正しい活字を打って切り貼りしてコピーを取るくらいしか修整方法がない。今ならだれも見向きもしないだろう。

それから数年たって、小さめのビジネスバッグくらいの大きさの和文ワープロを叩いている彼を見かけた。
当時は個人向けのワープロ専用機が登場し始めた時で、使用方法は機種ごとに大きく異なった。キーボードの並びから違ったのだ。
彼が言うには、和文タイプライターを使うのをやめて、これからは各自がワープロで文書を作るようになったのだという。彼は一本指打法でスピードは遅かったが、総務に仕事を依頼して、おばさんのご機嫌を伺い、修正や誤字などあればその対応が大変だった和文タイプライターに比べれば快適だと言う。

既にBASICパソコンで仕事をしようという時期は過ぎて、会社の仕事ではCP/Mで動くマルチプランなどで日程計画などをするようになった時期だった。
ワープロソフトをパソコンで動かすより、個人向けの専用ワープロが手軽だしハードが安かった。プリンターは感熱紙だった。だからゼロックスでコピーしなおさないとすぐに黒ずんだ。遠い昔のことだ。

製造担当の私は、現場に出す指示書がきれいな書体である必要はなくシャープペンシルの手書きで十分だった。だからワープロ専用機を仕事で使った経験はない。
その代わり当時はNCプログラムが自分の仕事の半分を占めていて、毎日英文キーボードを叩いていた。

パソコンなんて使えば簡単です 1990年代初めに製造から品質保証に異動になった。品質保証とは文書を作るのがお仕事。NCプログラムの代わりに和文ワープロを打つ日々となった。そのときは既にワープロ専用機の時代ではなく、更にCP/MもCP/M86も過去のものとなっていて、DOSマシンでワープロソフトを動かしていた。
当時のワープロソフトはハード毎に作られていた。ワープロ機能や文書保存などは専用ワープロより進化していたがDOSマシンで動くワープロソフトも、文字入力は専用ワープロと変わらなかった。文字入力といっても、Wordのように文章を打つというのでなく、原稿用紙に文字を置いていくという感じだった。

原稿用紙に文字を置いていくというとワケワカランでしょうけど、画面には縦横のマス目が表示され、文字を入力するとディスプレイで升目に文字が1個ずつ入っていくのだ。当時はかな漢字変換は一行入力してからではなく、一単語をかな入力するごとに変換を押して、変換を確定してから次を入力するという<考えながらワープロ入力する>するのでなく、既に決まっている文章を逐次入力するものだ。
当時働いていた会社では、えらいさんは鉛筆でサッサと下書きして、女子事務員がワープロ入力していた。まさに和文タイプライター時代そのままだ。
1990年代半ば、他社を訪問したときのこと、そこの役職者が自らワープロしていたのを見て驚いた。

それから何年経ってからだろう? 一度入力が確定した文章を再度変換しなおせるようなソフトが表れて、驚くとともにこれは便利だと感動した。


やっと本論でございます。
この本が気になったので図書館の蔵書検索してみると市の図書館にあることが分かった。では早速予約を申し込んだ。
もし蔵書になければ、あるいは予約者が多ければ、すぐに関心が薄れこの本を読まなかったことは間違いない。

書名著者出版社ISBN初版価格
エクセル方眼紙で文書を
作るのはやめなさい
四禮静子技術評論社97842971204432021/04/141848円


この本のタイトル「エクセル方眼紙で文書を作るのはやめなさい」を読んで、まず頭に浮かんだのは上述したような昔の思い出だった。
しかし単なる方眼紙でなくエクセル方眼紙とあるので、次に頭に浮かんだのはExcelで文書を作る人とその作品が思い浮かんだ。
エクセル方眼紙とはセルの中に文章を入れ込んで文書を作るという方法である。
私は会社も職も変わりいろいろな人と仕事をしたが、Excelで数ページにわたる報告書とか企画書を作る人を大勢見かけた。

もちろんExcelで文書を作ることが犯罪でもないし、理由がないわけではない。その時点で使えるハード、ソフト、テクニックで最善を尽くした結果だと思う。
工場の仕事で作る文書は、文字だけということはまずない。多くの場合、図面やポンチ絵を描いたり、数式が入ったりする。当時のワープロはそういうことがあまり得手ではなく、必要に迫られて工夫した結果に過ぎない。


ところがOSがWindows3.1となると状況が変わった。
ワープロソフトはマイクロソフトWord、表計算ソフトはExcelがデフォルトになった。それまでのDOSやDOS/Vマシンでは、使えるソフトが機種依存だったのに対し、Windows3.1では自由に選べるようになった。そしてマイクロソフトのオフィスソフトは取引先との種々の情報や書類の交換にあたり、共通のソフトとして使われるようになった。使わざるを得ないというのが本当かな?

従来からの原稿用紙に文字を置いていくワープロから、マイクロソフトWordを使うようになり、ワープロの感覚が全く変わった。それまでは原稿用紙が法律というか主であり、そこに文字を置いていくわけだが、マイクロソフトWordでは、完成した文章を書式に流し込むような感じになった。

その結果、今までのワープロソフトのように絵や図面を置いて、そこを避けて文字を置くような方法がとれなくなった。そのとき対応はふたつある。新しいハードやソフトを受け入れて、それを使いこなそうとするもの。もうひとつは古いハードやソフトのやり方で対応しようとする方法だ。

私はNCプログラム作成のソフトを1980年初頭からずっとCPM86のパソコンで動かしていて、DOS/Vのソフトに馴染んでいなかったから、マイクロソフトのオフィスソフトを使うのに何ら抵抗はなかった。

注:産業機械に使われるパソコンはOSの変化など気にせず、導入時のまま10年とかそれ以上使われる。そういった用途のパソコンは外部とのつながりなどないから、今も昔もウイルスの心配などしない。
私の愛する自動プロ(NCプログラム作成ソフトを入れたパソコン)は1983年頃導入されCP/M-86で動いていたが、2000年頃その自動プロで作ったプログラムを使う工作機械を廃棄するまで使われた。世間でCP/M-86が使われなくなっても使い続けるのは当たり前だ。

だが旧来のワープロソフトとかマルチプランを10年も使っていた人たちは、Excelのマス目に文章を入れ込むようなテクニックで対応する人が多かった。
これは必ずしも悪い方法ではない。他人が通常使わないソフトを使って作成したものを一部修正するようなとき、私も当座しのぎの方法で修正することは多々あった。もちろん二度とそれに関わらない前提だが。


さて、この本はエクセル方眼紙をやめようというのではない。言っていることは
「現実はマイクロソフトのオフィスソフトがデファクトスタンダードである。ならばその使い方を覚えて、なるべくその機能を活用して楽に文書を作りましょう、それもメジャーな方法なら使いまわすにも便利ですよ」
という主張である。



この本を読んで思ったことが二つある。
ひとつはWordやExcelを使いこなすことは必要条件ではない人だって多いだろう。
もうひとつは目的に見合ったソフトは多々あるわけで、WordとExcelにこだわる必要はないことだ。

まず作る文書の目的によって違うのではないか
私の場合、Wordで作成するのはウェブコンテンツの下書きだ。文字飾りや画像は入れないからテキストだけで十分だ。
文字数や構成の単純さから、アウトラインなどは使うまでもない。もちろん何もなしに書き出すわけでなく、最初に大きな流れは決めておいて、それによって文章を書いていく感じ。

自分で考えて書いているなら、1万字程度ではアウトラインなどを考慮することもなさそうだ。7万字くらいの論文()を書いたとき、さすが項番とかインデントなどアウトラインは便利だと思ったが、頭の中に構造が入っているなら不要だ。1万字程度の文では牛刀をもって鶏を…になってしまう。
ちなみにこの文章は通常より短いが5千字はある。4人家族の引っ越しに軽トラでは力不足だが、大学生の引っ越しなら軽トラで十分、道具は使いようだ。

じゃあなぜメモ帳とかワードパッドを使わないのかといわれそうだが、そりゃ編集する段では置換とか、後で見落とさないようにマーカーを引くとか、参考資料の挿入などはするでしょう。そういうところはやはりWordでなければ力不足だ。
それと私は老眼なのでWordでフォントサイズを12ポイントにしている。メモ帳でも拡大すれば同じと言うかもしれないが、使ってみれば違いは分かる。

おっと、Wordから直接htmlにしたらなんて言わないで。とんでもないファイルサイズになる。ウェブサーバーの容量を気にする身としてはひとつのhtmlファイルのサイズを10kB単位で軽くしようとしている状況ですから、とてもそんな荒っぽい仕事はできません。それに無駄なTAGがあると精神衛生上非常に悪い。

ちなみに……
この文をWordで作成後、手でCSSやTAGを入れた場合 ⇒ 20kB
Wordをファイル形式(Webページフィルター後)保存 ⇒ 33kB
差が13kBというより、6割も増えている。

この違いを小さいと思うあなたは21世紀人だ。20世紀人である私は「ウェブサイトのページは画像を含めて100kB以下にしろ」なんて言われたものだ。
ネット接続が電話線からADSLそして光となった今は過去のことかもしれないが、ウェブサーバーの容量の縛りはまだ生きている……私にとっては、

それと作成する文書によってはWordやExcelでなく、専用のソフトを使ったほうが能率も仕上がりも良いことは間違いない。
例えば文章と図形が混入している企画書なら、初めからVISIOとかを使ったほうがきれいだし能率的だ。WordやExcelで図を入れ込むとかするのは手間はかかるし、形状を変形したりするとグループ化していても崩壊する。
そもそもWordやExcelが最重要なソフトでもないし、それを活用することを考えるよりそのときだけ使用料払ってクラウドアプリを使ったほうがきれいで速い。
とはいえ最新のVISIOを1回使うのに540円払うのは私にとっては大金だ。冗談でなくそう思う。

考え中
似たようなことだが、WordやExcelでアンケートや申請書式を作って電子データに記入させ返信させる場合の改善をだいぶ詳しく書いている(pp171〜213)。
語っていることは良くわかるのだが、そこまでしてWordやExcelを使う義理はないだろう。
私ならいっそのことウェブ表示にしてしまい、そこにアクセスしてラジオボタンとかフォーム入力とか入力規則を活用した方がよりベターだと思う。あげくに文書に保護をかけるとか語っているのだから、アプローチというかスタート時点で間違っているように思う。戦略の失敗は戦術では取り返せないのだ。

いや、決してこの「エクセル方眼紙で……」を貶しているのではない。素晴らしい本だが、WordもExcelもツールに過ぎず、特定の用途に向いたツールに過ぎない。文書を作成するにあたっては、文書の形態や目的を考慮しどんなアプリを使うべきかを検討すべきだ。


一番ためになった章は「おわりに(p.221)」です。
まず著者 四禮さんのすごく積極的な考え行動を尊敬する。
「パソコンをうまく使えない。パソコンスクールに行くとお金がかかる。ならばパソコンのインストラクターになろう!。インストラクターになるときに教育があるはずだ。そこで講習を受ければパソコンスキルが身に付くはず」
と考えた。普通の人はそうは考えませんよ。

そして「社会人の資料作成スキルがアップすれば企業の利益が増える、その手助けをするのが仕事」と言い切る。
企業人いや社会人の鑑です。


うそ800 本日のまとめ

ハードでもソフトでも作品を作るにはイメージなり思想が大事であって、それを実現するために道具を使う。パソコンもソフトも道具である。道具に振り回されるのはおかしなことだが、道具を使いこなせないと効率が悪い。
とはいえ道具のすべてを使えなくても目的に必要なことだけ使えれば間に合うのも事実。
道具の使用方法に習熟することに力を注ぐのも変な話だ。昔8ビットパソコンが登場した時代にお店の主人が会計ソフトを作ろうと毎晩必死にやって店をつぶしたなんて笑い話のような事実もあった。それでは主客転倒だ。
ExcelもWordも、もっとユーザーインターフェースの向上を図る必要があるということだろう。
またなにがなんでもExcel/Wordを使おうというのもおかしな話。世には様々なソフトがあるから、無理にExcelやWordを使うこともない。


うそ800 本日の蛇足

四禮さんの本を読んで正直感動しました。私の癖ですが、本を読んで気に入ったときは著者にもっと著作物があるのかを調べ、興味あるタイトルがあればそれを読みます。
四禮さんはこの本以外に4冊書いています。市の図書館の蔵書検索したら1冊だけあったので早速借りて読みました。
「スペースキーで見た目を整えるのはやめなさい(下記)」です。
、まあ1冊読めば十分ですね。間違ったことは言ってないけど、それだけのために1848円投資するのはもったいない。
そもそも「スペースキー……」の本を昨年夏に出して、この「エクセル方眼紙で……」を今年春に出す意味が分からない。内容が似たり寄ったりで、対象としている層も変わらないのになぜ? となる。
単なるお金儲けですか?
それと根本的なことだが、現代のオフィスにはえらいさんの書いた文章をワープロする女性はいない。総合職としてバリバリやっている方を想定しているなら、また違ったものが見えてくるのではないかな?

注:「スペースキーで見た目を整えるのはやめなさい」、四禮静子、技術評論社、2020


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