「日本の飛行艇」

21.10.07

お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


本日は下記の本を枕に思い出話を語ります。いや語るのは妄想かもしれません。

書名著者出版社ISBN初版価格
日本の飛行艇野原 茂光人社97847698323312021.10.201012円


私が子供の頃、家に絵本などなかった。我が家だけが貧乏ということでなく、終戦直後は日本全体が貧しく、 トランプ 普通の家庭に娯楽の類はなにもなかった。トランプがある家に、近所の子供たちがわざわざトランプ遊びをするために行ったくらいだ。
とはいえ母は子供には絵本が必要と思ったのだろう、新聞にオート三輪や自動車の写真があれば切り抜き、それを裁縫の本に貼り付けて絵本もどきを作ってくれた。
親父は戦争のとき従軍先で買った絵葉書をそれに貼り付けた。当時の絵葉書は「絵」であり、写真ではなかった。絵葉書の絵柄には満州の建物とか大平原や駅舎もあったが、飛行機や自動車を書いたものもあった。

そして絵葉書の一枚に、海面を滑走する九七大艇を描いたものがあった。当時、戦争に負けた日本は飛行機製造が禁止されていた。そして軍備つまり軍用機を持てないから、翼に国籍マークを描いた飛行機もなかった。そんな時代だから、日の丸をつけた九七大艇はすごくかっこよく思えた。
親父は九七大艇に乗ったことはないが、二式大艇に乗ったことがあると言う。おっと、親父は飛行機乗りではない。ただの法務兵(海軍の憲兵)でしたが、何かの際に飛行機に乗せてもらったそうです。

私の子供時代は、田舎だったしアメリカ軍の基地からも航空路からも離れていた。だからたまに空高く飛ぶアメリカ軍の飛行機を見た程度で、旅客機も軍用機も近くで見たことがない。もちろん飛行艇など見たことありません。


北朝鮮の不審船が日本領海に侵入して銃撃戦になり、逃げきれず自沈したのは2001年12月22日であった。それまで北朝鮮による拉致は捏造だ、北朝鮮は理想の国だと語っていた人たちは、それ以降はウソが言えなくなった。
こういう船を使って日本海の海岸から人さらいをしていた北朝鮮は、国家というより巨大な暴力団としか言いようがありません。
こんな国にコロナワクチンを無償で援助しようと語る立憲民主党の国会議員森ゆうこには辞めてもらいたい。

自沈した船は後に引き上げられ、晴海の「船の科学館」に公開展示(晒しもの)になったのは2003年であった。
家内と私は休日に不審船見学に行きました。真っ赤に錆びた船体と機関銃が記憶にあります。

北朝鮮不審船 北朝鮮不審船
人々が立っているのは北朝鮮の不審船の周りの足場である。不審船は全長30mと結構大きい。 赤く錆びた不審船の機関銃。漁船や
警察相手には絶対的な威力だろう。

見学してからゆりかもめの駅までの帰り道は、船の科学館を一回りするように歩いた。そして目に入って、あれは何だとなったのが二式大艇でした。当時は「船の科学館」は営業していた。その前庭に二式大艇が展示してあった。今の時代なら中型機でしょうけど、 風格があってとても大きく見えた。
ああ!これが飛行艇か 親父はこれに乗ったことがあると言っていたなあ〜と、ただただ感動しました。
飛行艇というものを見たのは、それが初めてで最後でした。

今その二式大艇は、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に保存されている。
また北朝鮮不審船は、横浜の海上保安資料館に展示されている。

次に飛行艇のことを耳にしたのは、2013年ニュースキャスターだった辛坊治郎氏たちが乗ったヨットが遭難したのを、自衛隊のUS-2飛行艇が救助したニュースだった。
辛坊さんの解説が好きだった私は、彼らが無事救助されて良かったと心底思った。そして嵐の中、着水して救助したというUS-2は、すごい飛行艇だと感心した。


実は私が飛行艇について知っているのはその程度である。
先日、人と会うため津田沼に行ったのだが、待ち時間まで10分くらい早い。本屋で時間をつぶしたが、手ぶらで出るのも気が引ける。それに実を言って平積みされていたこの本が気になりました。1000円はちと高いが、茶店でコーヒーを飲んだと思ってショバ代のつもりというわけです。

でも買って後悔はしませんでした。読みだすと止まりません。いや、止まれません。結局夜2時頃までかけて読み終えました。
どこを読んでも面白く感動です。まさに技術史、いや日本の技術発展史でしょうか。
はっきり言って日本の技術は遅れていた。明治維新で外国の科学技術が鎖国している間に大きく進んでいることで冷や水をかけられて、臥薪嘗胆と頑張ってきたものの1900年代になっても追いつけません。外国では更に自動車や飛行機など新しいものがどんどんと発明され、それが進化していく。
それは今我々が外国のAIとかワクチン製造を見るよりもはるか遠く、先人の思いというか焦りは深刻だったでしょう。

ともかく外国の新しいものを買ってきて使いこなそう、そしたら同じものを作ろう、できたらもっと良いものを作ろう。我々の先輩技術者、技能者たちは、輸入した機械を分解し、真似をし、もっと良いものを作ろうとしてきたのですね。
真似をするのは悲しいと思いますが、なにごとでも初めは真似するしかありません。学ぶとは真似るからきたといいますし、習うとは倣う、つまり手本のとおりにすることです。

真似をしたなら韓国と同じだと言ってはいけない。日本人は、他人が発明したものを自分が発明したなどとウソをつかない。そして昔から知的財産権を尊重した。
それは相手国と戦争をしても守った。
日本の軍用機の多くは、アメリカのハミルトン社が持つ定速プロペラの特許を使っていた。だけど戦争中は特許使用料を払えない。
戦争に負けてから住友金属が、ハミルトン社に戦争中に使用した分を支払いたいと申し入れた。日本側はとんでもない金額を請求されると覚悟していた。ところが連中はなんと1ドル請求してきたという実話がある。向こうもそんなことを言い出す馬鹿正直にあきれたのだろう。お互い紳士だね、 イチゴ
日本からイチゴや牛の種をかすめ取っていって、それを元に栽培して韓国 韓国 の果樹や牛は素晴らしいと語るようなゲスなことを日本人はしません。盗人は北朝鮮だけではない。
それを食べて韓国のイチゴはおいしいとコメントしたオリンピック選手がいたが、恥を知れ、無知を知れ!


とにかく飛行機が飛べば飛行機をまねる。飛行艇ができれば飛行艇をまねる。そうしないと欧米の先進国に引き離されるだけだ。
日本で作った武器のほとんどは真似から始まった。でも真似といっても簡単じゃない。
ゼロ戦の7.7ミリ機銃はビッカースのライセンス生産。20ミリ機関砲はエリコンのライセンス生産から始まり、それが劣化コピーしたもの。なにしろ材質が悪いし精度も悪いからオリジナルの性能が出ない。
だから機関銃においては、ライセンス生産から始まったものの、コピーから脱却する間もなく終わってしまった。

九七式中戦車 戦車はフランスのFT17から始まった。国産化を図り試行錯誤して数代生産されたが、材料や部品レベルから技術力がなくドアノッカーと呼ばれて終了してしまった。
ドアノッカーとはドアについたノックするための金具のこと。非力な大砲では当たっても音を出すだけで、戦車を破壊できない。それを揶揄して弱い戦車や対戦車砲をドアノッカーと呼んだ。


しかし飛行艇はオリジナルの模倣を脱し、世界のトップになったことは間違いない。第二次大戦後、アメリカ軍が残存していた二式飛行艇を飛ばして、なぜ性能が良いのかわからないと語ったという。

とはいえ米軍が試験した二式大艇は故障ではなく正常なものだったが、ガソリン蒸気が常時機内に漏れて火気厳禁というのだから、パッキンや配管系統がダメダメだったのは間違いない。それはやはり基礎的な技術力がなかったのだ。

ホーカーテンペスト 2021.11.17追加
上で二式飛行艇がとんでもないように書いてしまった。その後、飛行機の本を読んでいて第二次世界大戦末期のイギリスの傑作機ホーカー・テンペストはパイロットは常時酸素マスクを着用義務だったと書いてある。その理由は燃料の添加剤とか排ガスなどが操縦席に流れ込み、それを吸うとパイロットが危険になるからとあった。
第二次世界大戦頃はどの国も、性能のためならコックピットの環境など二の次だったのだろう。ということでダメダメなんて書いてごめんなさい。

空のよもやま物語 漫画家わちさんぺいの書いた「空のよもやま物語」は、陸軍航空隊審査部で整備兵として勤務した彼の体験談である。
そこでは日本の新型飛行機だけでなく、輸入したものや戦場で鹵獲したものの評価をしていた。
日本軍の飛行機はいずれも一回飛んでくると油漏れがひどく、それを拭くのが大仕事で、汚れを落とすのにガソリンを大量に使った。
他方、P51やB17など鹵獲したアメリカ軍の飛行機は、飛行した後でも油漏れがなく、当然油を拭き取る作業もない。アメリカ軍機のパッキンやガスケットを見て、皆うらやましく思ったという。


戦後初の飛行艇として1967年に登場したのがPS-1である。

注:PS-1は戦後初めて日本で作られた飛行機ではない。自衛隊機は1956年からライセンス生産されていたし、PS-1より前に開発された飛行機にはYS-11(1962)、MU-2(1963)、エアロスバル(1965)などがある。

しかし哨戒機としては性能が時代遅れで、また要因はいろいろであるが生産された23機中6機が事故で失われ37名が殉職した。
某自衛隊幹部が「US-1は殺人機だ。部下を乗せたくない」と語ったという話もある。


PS-1の問題対策をして救難飛行艇とする計画が立てられた。1974年初飛行を行いUS-1として制式化された。US-1は運用開始直後から数多くの海難事故や孤島や船舶での怪我人や病人の救急活動に活躍した。
なお、US-1は20機生産されて、事故による喪失は2機であった。


US-1の後継はオスプレイが担う予定であったそうだが、オスプレイ開発が大きく後れ、その結果US-2が作れられたらしい。
このへんのいきさつはよくわからない。共産党のウェブサイトにいろいろ書いてあるが、真偽は分からない。
ともかくUS-1の後継としてUS-2が開発された。

US-2は見た目はUS-1と同じだが、中身は大きく違う。
機体はオールジュラルミンから、フロートその他にチタン合金を採用した。
操縦系統は、フライバイワイヤとなり電子化されている。
居住についてはキャビンが与圧され、救急運搬などの際に患者の容態を気にして低空を飛ぶ必要がなくなった。(オイオイ、US-1は与圧じゃないのかよ?)
エンジンの強力化に伴いプロペラが4枚から6枚となり、高速化、省エネが図られた。

US-2生産までの道のりを描いた漫画がある。「US-2 救難飛行艇開発物語」である。
ぜひ読もう
生涯、製造業の片隅で生きたきた者として、モノづくりのすばらしさを再確認させてもらった。私は航空機や人工衛星のような先進技術に関わったことはないが、それでも私の人生も悪くはなかったなと思う。そういう思いをさせてくれる。


ところで、日本の飛行艇の技術が優れているなら世界に羽ばたけるのかとなるとそれは非常に難しい。実際にインドに売り込もうとしたけど、まとまらなかった。

この書の冒頭は次の文章から始まる
「今日、軍、民を問わず、航空分野において飛行艇という機種名は、死語と化しつつある」
元々飛行機なるものは、離陸の際にいかに素早く安全離陸速度を超えるかということが課題だ。自力で速度を得られなければ、引っ張ってもらったり、カタパルトで打ち出したり、補助ロケットで助けてもらうことになる。飛行機の元祖、ライト兄弟のフライヤー号は自力滑走でなく、実はカタパルトから飛び出した。
真っ向勝負では長い滑走が必要だ。ところが滑走路は簡単に作れない。ならば水面ならどうだという発想が浮かぶ。3000mの滑走路を造るのは大変だけど、大河や湖ならその程度の水面はいくらでもある。
1930年代、大型機は水上機というのは必然となった。世界中で大型飛行艇が作られた。1947年アメリカの富豪ハワード・ヒューズが第二次大戦の軍事物資の輸送機として制作したH-4は長66.5m、全幅97.5m、エンジン8基だった。まさに巨人飛行艇!そして同時に世界で最後の大型飛行艇になった。

第二次大戦でアメリカ軍は軍用機が島伝いに飛べるように、太平洋の島々に多くの滑走路を作った。戦後は爆撃機を基にして作られた旅客機がその滑走路を使って飛ぶようになり、ほどなく長距離を飛ぶ飛行機もすべて陸上機となった。
そしてまた、昔の飛行機なら複雑な装置といえばエンジンと操舵装置くらいしかなく、海水に浸かっても致命的な問題はあまりなかっただろう。しかし戦後はジェットエンジンになり、操縦系統以外の様々な用途に電子回路が使われるようになれば、海水に浸かればオシャカになってしまう。水上ジェット戦闘機なんて考えられない。
そして大型飛行艇の需要はなくなり、わずかに残った小型水上機は飛行場のない孤島の緊急医療などの用途だけになってしまった。そしてヘリコプターの高性能化により、その用途も小型水上機からヘリコプターに代わってしまった。

いやそれどころか現代は陸上機でも、小型飛行機の活躍できる分野が狭くなる一方だ。農薬散布、航空写真、遊覧飛行、救急搬送、火災消火、ビラ配り、拡声器による広報などすべてにおいて、以前はコンペティターはヘリコプターくらいだったが、現在ではドローンもあり写真衛星もあり、まもなく空飛ぶ自動車も参戦しそうだ。
パイロットの養成はプロペラの小型機からスタートというのが定番だったが、その後初めからジェット機で行うとかフライトシミュレーターの進歩とかでプロペラ練習機の存在も怪しくなってきた。

そもそも日本で大型飛行艇を作ったのは、南洋の統治領への移動や広大な太平洋の哨戒(海の見張り)のためであった。
戦後も東西対立の最前線としてソ連潜水艦の発見と攻撃のためにPS-1が作られた。しかし飛行機の性能がどんどん上がり陸上機の方が性能も装備も優れるようになった。残るは海難救助や飛行場のない孤島の救急活動だ。

海難救助においてもオスプレイのような空中停止ができるものなら飛行艇とか水上機に頼るより、スピードも出るし信頼性も高い。
とはいえオスプレイの航続距離はまだまだ短くて我が国のUS-2に代わることができない。それにオスプレイは、ホバリングはできるが着水しての救助はできない。まあそれも時間の問題、いずれは取って代わられるだろう。

ともかくこの本を読むと、先人がいかに苦労したか、いかなる失敗をしたのか、どのようにして栄光をつかんだのかが見える。
私は飛行艇に縁はなかったが、与えられた職務においてそれなりにチャレンジしたし、失敗したし、わずかな成功もつかんだ。技術者あるいは技能者として、幸せな人生だったといえる。

技術史を読めば、若い人なら先人の努力、試行錯誤を追体験することができる。年寄なら、新たなるチャレンジ精神をもらえるだろうし、過去の自分の栄光を思い出すだろう。

お前は語ることは一人前だが、おまえ自身は技術史に加わるような何か貢献したのか?
おお!その質問を待っておりました。
私はISO第三者認証制度の盛衰を記録し、かつその問題の究明と解決策を提示しようと日々努めておるつもりです。
いつかこのウェブサイトを読んだことで「ISO第三者認証制度の盛衰」なんて研究とか本を書く人が現れるかと期待しております。


主たる歴代飛行艇の比較表
(併記してあるのは同時期の戦闘機:すべて同縮尺である)
型名製造
開始
仕様生産台数
九七飛行艇(九七大艇)
九七飛行艇
1936幅40.0m
長25.6m
最大離陸重量23t
最大速度385km/h
航続距離4940km
1300馬力 4基
各種計260機
96式艦上戦闘機
96式艦上戦闘機
1935
二式飛行艇(二式大艇)
二式大艇
1940 幅38.0m
長28.1m
最大離陸重量32.5t
最大速度465km/h
航続距離7153km
1850馬力 4基
167機
零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機
1939
PS-1
US-2
1967 幅33m
長33m
最大離陸重量?
最大速度545km/h
航続距離4000km
2850馬力 4基
23機
問題があったせいか"いなかった子"扱いのようだ
F4EJ
F4EJ
1961
US-1
US-1
1974 幅33.2m
長33.5m
最大離陸重量43t
最大速度490km/h
航続距離4000km
3200馬力 4基
水陸両用機
20機
水上機で寿命が短く短期間で更新しために同時期に存在した機体は7〜8機であった。
F15J
F15J
1981
US-2(図はUS-1のままです)
US-2
2003 幅33.2m
長33.2m
最大離陸重量47.7t
最大速度580km/h
航続距離4700km
4600馬力 4基
水陸両用機
7機
たった7機だけ
F2
F2
2000

注:飛行機の画像は(無料素材集)から頂きました。


大きさを比較すると、巨大に見えた九七飛行艇より二式飛行艇が大きく、戦後のUSシリーズはもっと大きい。同じく戦闘機も時代が下るにつれどんどんと大きくなってきている。F2は元がF15より安く作ったF16がベースだから、F15より小さいのは当然だ。
昔の飛行機は本当に小さかった。なによりも大きなエンジンがなかった。戦争中の飛行機開発を読むと、大馬力のエンジンがないことの恨みつらみが溢れている。それも技術の問題だ。


ところで水上機と飛行艇の違いご存知ですか?
実は私も知りませんでした。なんとJIS規格に決めてあるのです。

JIS W0106:1995 航空用語(航空機一般) 3.用語・定義 用語及び定義は、次のとおりとする。
フロート水上機飛行艇
二式水上戦闘機
比率は正しくありません
二式大艇



うそ800 本日のお断り

この本の出版が10月20日で、買ったのが先月で、この駄文を書いたのが10月7日っておかしいだろう
そう言っちゃいけません。発行日と発売日が違うのは常識です。発行日が未来の日付なのは、本を新鮮に見せるためらしい。魚と同じく本は新鮮なほうが美味しいのでしょうか?

法規制はないようですが、日本雑誌協会の「雑誌作成上の留意事項」という業界ルールで、発行日の記載は週刊誌では発売日の15日先以内、月刊誌では発売日の2か月先以内とあるそうです。書籍の場合は特にルールがなく、発行元が自由に決めてよいそうです。
そもそもの起こりは、昔は書籍は書店に配達するのに日数がかかるので、それを見込んでというのが始まりらしい。
ということで、この本は間違いなく津田沼駅の本屋で9月25日に購入しました。





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