田家 康の環境本

21.04.05
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

このところ気候変動について勉強している。元々IPCCの報告書は昔から出るたびに読んでいた。私はそれほど勉強家ではないが、昔の職場の人たちがそういう世界的動向に敏感な人たちばかりで、それに感化された。工場にいれば自分の職務に関わる環境事故とか法改正が気になるが、本社にいる人たちはそんな細かい()ことより、欧州の化学物質規制とか地球規模の温暖化の問題が最重要課題になるのだろう。
ともかくここ最近は気候変動/地球温暖化に関わる書籍を読んでいる。IPCCマンセーの本も、温暖化教の教祖である山本良一もだいぶ読んだ。山本 教祖 先生は最近露出が少ないが引退したのだろうか? もちろんアンチ温暖化の権化 武田邦彦も渡辺正も読んでいる。

そんなわけで図書館の蔵書検索で「気候変動」をキーワードに引っかかった本でまだ読んでいないものを、貸出最大限の10冊借りてきた。家に帰ってから著者の名前を見たら、田家 康という人が書いた本が2冊入っていた。私はこの人の本を今まで読んでいなかった。

私はこの方を存じなかったので、初めはでん 家康いえやすと読むのかと思った。よく見ると田家たんげ やすしと仮名がふってあった。
平々凡々な姓名の私から見ると、苗字もお名前もユニークで素敵でうらやましい。
まあそんなことを思いながら読み始めた。

私は面白い本を読めば、それこそ寝る暇も惜しんで読む。なにせ無職の浪人である。日々しなければならないことは洗濯と掃除くらい。仲間とランチしたり飲んだりは、新型コロナウイルス流行以降一度もない。フィットネスクラブには行こうと行くまいと誰かに叱られることもなく、本を読んで寝坊してもよし、徹夜で読んでさらに翌日も本を読んでも苦情は来ない。
私がそんな暮らしをしても家内が気にするわけはない。なにしろ家内も時代物を毎日毎晩読んでいて、佳境に入れば夜中の2時3時まで読んでいるも珍しくない。お互いに己のノルマを果たせばどうでもいい同居人である。

さて田家さんの本を読み始めたが、最初の本の最初のページで、なんかずれているな、おかしいなあ〜と感じた。そしていろいろ気になったので、この人が書いた図書館の蔵書の残りを借りてきて読んだ。
ではその読書感想をつづる。


書名出版社ISBN初版価格
気候で読む日本史日経ビジネス文庫97845321988482019.01.07800円

まず開いたら冒頭の「文庫本のためのまえがき」とあり、その最初の文が「このところ、毎年のように痛ましい気象災害が日本列島を襲っている」とある。私は笑った。
このようなことを書く人が気候とか気象の統計的なことを調べているはずがない。記憶と個人的感覚で本を書いているのかとガッカリというかあきれた。

私の語ることが理解できないかもしれないので少し説明する。
崖崩れ 確かに2019年は台風が週刊誌のように毎週毎週次から次とやってきた。2020年は台風は来なかったが集中豪雨もあったし、大きな地震も千葉県沖、長野県、能登半島といくつもあった。
毎年大きな台風が来るのは勘弁してほしいと思う。地震が来ると東日本大震災のトラウマか、揺れが止まるまで冷や汗を流しているのも事実である。
だが「毎年のように痛ましい気象災害が日本列島を襲っている」だろうか?

普通の人なら年とともに災害は増えているような気がするとか、台風が巨大化しているようだとか、地震が増えているとか思うかもしれない。
だが著者である田家氏は奥付に気象予報士であり、気象予報士の東京支部長であり、気象学会員であると記してある。そういう方なら、災害が増えているかどうか、日本に来る台風が増えているかどうか、台風は巨大化しているかどうか、自然災害の犠牲者は増加しているかご存じだろう。

細かくはそれぞれネットなりデータブックなりで見てほしいが、発生した台風も上陸した台風も少なくなってきているし、台風の強さ(中心気圧)も犠牲者数も、伊勢湾台風、枕崎台風、室戸台風のようなストロンゲストはみな1960年以前だ。

近年の自然災害状況(出典により数字がかなり違う)(注1)
台風
発生数
台風
上陸数
地震回数
震度5弱以上
自然災害による死者・不明者数
備考
2010
14
2
5
89
2011
21
3
71
22466
東日本大震災
2012
25
2
16
190
2013
31
2
12
173
2014
23
4
9
283
2015
27
4
10
77
2016
26
6
22
344
2017
27
4
33
136
2018
29
5
8
300
2019
29
5
11
337
2020
23
0
7
107
台風上陸0は12年ぶり

上表を見る限り台風発生が増えたとは思えないし、上陸数も増えてはいない。自然災害による死者・行方不明者数も東日本大震災を除けば増加傾向とは言えない。

災害被害額はグラフを作る手間を省いたのでこちらを見てほしい
確かに被害金額は増加傾向にある。だが被害額が増加していることにはいくつかの解釈がある。

まず日本という国家の経済規模は時と共に大きくなってきている。だからGDP(国内総生産)に占める被害額は時と共に減少している。
阪神淡路大震災と東日本大震災でもGDPの1%でしかない。二つを除くと年間の被害のGDPに占める割合は過去40年間着実に減少している。

もうひとつ、ロンボルグ(注2)も書いていたが、昔の被害金額と今の被害金額は比較できない。まず物価は普通上昇傾向にあること、そして時代によって家財が大きく異なるからだ。
2020年の物価は1950年頃の8倍以上になっている(注3)。例えば当時被害1億の災害があれば、現在の8億相当となる。

更に経済発展によって国民の暮らしが豊かになる。私が子供だった1950年代は家財道具がなかった。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、エアコン、ステレオみなない。一般家庭にはラジオさえない。家にある電気器具は白熱電球だけ。服だって粗末なものばかり。当時我が家で最大の財産は親父の通勤用自転車だった。盗まれないように、毎晩家の廊下に入れていた。
一人当たりの国民所得も資産も少ないから、全財産を失っても損失額は少ない(注4)
時代とともに家を持ち、電化製品を持ち、自動車を持つようになってきた。要するに私たちは豊かになってきている。豊かになるにつれ失う財産も大きくなってきた。

それと人口が少なかった。1955年は全人口9000万くらいだったから2020年の75%だ。人が増えただけでなく長屋住まいから自分の家を持つようになり、それまで住宅地に向かない、危ないと思われていたところに家を建てるようになった。

家が流される 2019年の台風で千葉県ではあちこちで大きな被害があった。ゴルフ練習場のネットの支柱が倒れ、近隣の住宅を押しつぶした。だがゴルフ練習場ははるか昔に作られた。近隣は畑だった。あとからゴルフ練習場ぴったりに住宅が建てられた。もし畑の真ん中にゴルフ練習場があったなら、支柱が倒れても大きな問題にはならなかっただろう。
住宅を建ててはいけないとは言わない。だがそういうところまで住宅を建てるようになったという事実がある。

注:過去の様子を見るのは、Google Mapで航空写真にすると一目瞭然である。
Google Map過去の航空写真を表示するにアクセス、右上の検索窓に「千葉県市原市五井5412」を打ち込んで、左上の「航空写真▼」をクリック ⇒ 過去の年代を選択する。

またその台風で住宅地で土砂崩れが起き、亡くなった人がいた。その近所に私たち夫婦の知り合いが住んでいて、友人宅にお邪魔したとき何度かその前を通ったことがある。傾斜地を階段状に造成した住宅地で、上と下の高さは15mも違う。大雨が降れば土砂崩れが起きるのではないか、危ないなと思っていた。案の定である。
東日本大震災でも宮城県では東日本大震災の時の津波で、昔は家を建てるなと言い伝えされていた所の被害が大きかった。
もし昔のように、危ないところに家を建てていなければ、台風が来て傾斜地の畑や雑木林が崩れても大問題にはならなかっただろうし、津波も届かなかっただろう。

実際に日本の家屋やインフラは外国に比べて強靭だ。
同じレベルのマグニチュードや震度の地震が起きても、中東や東南アジアあるいは南米などと日本の被害を比較すれば、被害のレベルが一桁違う。
2019年バハマのハリケーン被害をみても、「日本ならあれほどひどくはならない…」と思うことはなかったか?
東日本大震災で多くの犠牲者が出たが、90%以上が津波による溺死で、震災による焼死・窒息・外傷などは5%くらいだ。日本はレンガ作りの家で生き埋めになる状況とは違うのだ。
ならば津波対策を一層推進する必要があるということだ。だが我々、国も自治体も自分たちもなにもしていないような、ひとごとのように「このところ、毎年のように痛ましい気象災害が日本列島を襲っている」書くことはなかろう。
それとも著者にとってはひとごとなのか?

言いたいことは、年々災害被害の損害が増えているとは、どういう尺度で見ているのかと聞きたい。そういう昔との違いを考慮すれば、損害額は減っているはずだ。
少なくても気象予報士と名乗るなら、諸般の事情を考慮して、災害が増えているのか損害が増えているのかを考えなければならない。見かけの被害額や最近記憶に残っていることだけから「このところ、毎年のように痛ましい気象災害が日本列島を襲っている」と言ってほしくない。
そんな言葉を吐くのは、駄々をこねる子供と同じだし、無知で無責任なテレビのキャスターにもできる。
研究者なら、しっかりとした根拠を示してほしい。

私は一サラリーマンであったが、日本のために働いてきたと考えている。日本を豊かにしよう、便利にしよう、そして納めた税金はインフラ整備、国土の強靭化につながるよう選挙で投票してきたつもりだ。
「このところ、毎年のように痛ましい気象災害が日本列島を襲っている」と軽々しく言ってほしくない。それは我々の世代の苦労や貢献を無視することだ。
私ばかりではない、国民の安全・財産・暮らしを守るために働いている、警察・消防・自衛隊・官公庁・自治体そして民間企業の不断の努力によって改善していることを認識していないのか。
そりゃ一挙に天国を実現することは叶わない。だが、著者は少しずつ良くなってきていると認めていないのか?
著者に問う
あなたはどうすれば満足なのか
そのための財源、技術、国民の賛同を得るための施策を述べよ、
あなたは今そのために何をしているのか?

私は自然災害なんて考えることはないとか、心配するなと言いたいのではない。日本は自然災害が多いのは事実だ。だが政府や自治体や国民一人一人が災害対策をして、その結果時間とともに強靭になってきているという事実がある。
ロンボルグは「環境危機をあおってはいけない」で、ロスリングは「ファクトフルネス」で、実情をよく調べろ、現実を認識しろと書いていた。思い込みや感情論で語ってはいけない。

本を売らんがためとはいわないが、注意を喚起するにも「怖いぞ!怖いぞ」と語るだけでは正しい情報は伝わらない。ましてどうするべきか対策を明示していないのだから、なんのための情報発信(書籍発行)か?

その他、若干
なお、元寇を企画した元の内幕が書いてあるが、他の歴史書に書いてある状況とはかなり異なる。私にはどちらが正しいのか判断がつかない。
303ページに「日本各地の年平均気温の推移」というグラフがあるが、出典となっている気象庁HPに元になるデータ(グラフもなかった)が見つからなかった。
作況は生育時の雨量・日照・気温が大きな影響を与える。冬の最低気温とか年間平均気温はあまり関係ない。そこはどうなんだ?

ともかく冒頭の一行で田家氏の本を読む気が薄れたが、頑張って最後まで読み続けた。私の努力を評価してほしい。


書名出版社ISBN初版価格
気候文明史日本経済新聞社97845321673182010.02.192600円

最初の本で少しくじけたが、せっかく借りてきたのだ。これを読まずに返せるかとある種の義務感をもって次々と読んだ。
本書はタイトルもそうだが、構成をみるとフェイガン(注5)の向こうを張ろうとしたのだろう。さて結果は?

「はじめに」において著者自身が「本書は専門書でもなく研究論文でもない」と記している。読めば実際にそのとおりで、実験やフィールドワークの結果でもないのはもちろん、先人のデータを吟味検討した結果でもない。多くの研究や調査報告を取捨選択しわかりやすく解説しようとしたのだろう。
それはそれで悪いことではなく立派に存在意義はある。しかし「誰それの論文では」から始まる文章では面白くないし、そもそもどうかと思う。

何事についても、もちろんこの書のタイトルである気候変動や歴史についても、いろいろな学説や解釈がある。だからその中のひとつを金科玉条として解説するようなスタンスは、私のようなすべてを疑う人間には理解できないところである。
なにかひとつの研究を基に解説するなり論を進めるなら、その研究について吟味検証して、それがもっともであると納得した上で話を進めてほしい。それがクリティカルシンキングだろう。
著者の著作はいずれもそこんところが足りない。テレビのニュース解説などはみな上っ面だが、それと同じじゃ意味がない。
「はじめに」で研究者じゃないと語ってはいるが、解説者であっても解説する対象を理論や証拠で検証して納得してから行ってほしい。
もちろん著者はそれを一般に広めようとしているわけだから、鵜呑みではなく納得した根拠はあるだろう。それをしっかり示すべきだ。

ちなみに三橋貴明は自分が結論に至った元データすべて明記している。そのデータを基にして三橋以外の解釈をする人がいればチャレンジしてほしいと語っている。
著者は参考文献を上げているが、その信頼性がいかほどものか、私はわからない。参考文献や出典にテレビ番組や雑誌があるのは、いささかどうなのか。

気になったところを書く。
p.100
大麦の収穫倍率が4000年前「76」とか、現在「7〜8」と記している。他の書籍と数字がかなり違い、ちょっと疑問だ(注6)
p.190
図3-6 縦軸右が酸素同位体比率(%)、縦軸左が気温となっているが、折れ線グラフが一つしか描かれていない。このグラフはどう見るのか?


書名出版社ISBN初版価格
異常気象が変えた人類の歴史日本経済新聞97845322626242014.09.08850円

気候変動とか異常気象によって歴史の流れが変わった、世界各地の出来事を取り上げて解説したもの。
その多くはさまざまな本で紹介されているものではある。例えば、p.149ナポレオン、p.171ヒトラー、p.179核の冬など。
またp.91の京都のアカマツの話は、本のタイトルにある異常気象とは関係ない植生の遷移とか極相の話だ。話題が足りなくて埋め草なのか?

日本の古代は記録がないから、中国の古文書を基に想像したものが多い。やむを得ないのは分かるけど、それならわざわざ取り上げることもないように思う。

寒暖計 しかしナポレオンにしてもヒトラーにしても核の冬にしても、グリーンランドやアイスランドそして飢饉も、みな寒さが問題だった。フェイガンもアルプス麓での氷河との闘いを描いていた(注7)
このように地球寒冷化の悲劇は多数あるが、地球温暖化の悲劇は書いてなかったようだ?

私は運命論者ではない。すべての分岐点において人々の決断や実行が大きく寄与していると思う。著者はなるようになるというか、すべては気象の思し召しのままにというスタンスで解釈する。気候の影響もあっただろうが、人間の意志もあっただろう。

最終章でカタストロフが起きるとして、「(人類は自給自足できる生活様式の少数が生き残り)三度目のボトルネックを遺伝子に残し、再び将来に向けて前進していくことになるだろう」と書いている。
筋としては同感だ。
カタストロフ後に再び石油など化石燃料が蓄積する時間があるかどうかわからないが、文明が崩壊してから人類が文明を再興することは……たぶん100万年くらい……太陽と地球の寿命が尽きるまで300回くらいチャレンジが許されるだろう。300回もトライアルを行えば、1回くらい人類が太陽系を脱出するレベルに到達できるだろう。そう考えると深刻な問題は存在しない。
たった一度、著者と見解が一致した瞬間である。😀


書名出版社ISBN初版価格
異常気象で読み解く現代史日本経済新聞社97845321698792016.04.201800円

この本は他の本とちと趣が違う。他のほとんどは地球温暖化の解説的色合いが濃いが、これは歴史上の大きな出来事とそれにまつわる気象についての見解というか解説である。

私はそんなに疑い深いほうではないと自分では思っているが、この本を読むとけっこうひっかかるところがあった。

冒頭の「はじめに」で「四大文明」という言葉が出てくるが、いつの時代かと思い奥付を見ると2016年発行となっている。脱力したが、まだ1ページ目だ。がまんがまん。

「怒りの葡萄」で有名な1935年のダストボウルのとき、干ばつ対策を唱える学者がアメリカ議会で証言した時、砂嵐が近づいているのを待って講演したという。地球温暖化もワシントンが熱波の日を選びエアコンを不調にして会議を行ったというが、その手法は100年も前からあったのだと感心した。
政治家はろくなもんじゃねえという言い回しはよく聞くが、学者もろくなもんじゃねえよなあ〜、
そういやホッケースティックなんていうのもあったねえ〜(遠い目)

注:サンドボウルを描いた小説というと、必ず「怒りの葡萄」がでてくるが、このできごとは数多くの小説に書かれている。
私の好きな「センテニアル」でも「乾燥地」という章で開拓者の悲劇が描かれている。

しかし世の中は変わる。いっとき素晴らしい政治家とか適切な政策と評されても、状況が変われば批判され見向きもされなくなることは珍しくない。当然環境保護策についても同様だ。
飛ぶ鳥だったソ連のルイセンコも地に落ちたと同じく、アメリカでもリンカーンやルーズベルト、ケネディ、レーガンも現代の基準や倫理では批判される。おっとクリントンは在任中から問題だったが逃げ切った。

揚水水車
オガララ帯水層はあと
50年で枯渇すると予測
されている。
地球温暖化より地下水
枯渇が心配だ。
当時の政府そして技術者たちが壊滅する前に乾燥地農業を確立し復活させた。しかしそれも結局はオガララ帯水層の搾取であり、持続可能性はなかった。今塩害や地下水枯渇が問題となっている。
どの時代でも問題解決のための政策は一度成功したように見えても、後世それが批判されるのは定番というか歴史の常だ。
奢れる人も久からず、奢らぬ人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。ひとへに風の前の塵におなじ。地球温暖化も塵のごとく消え去るのであろうか?

正直言って、この本も他と同じく読み続けるには忍耐が必要だ。私はなんとか最後まで耐えきった。


書名出版社ISBN初版価格
世界史を変えた異常気象日本経済新聞社97845321680492011.08.232000円

私は数字が出てくると、常にほんとかどうか確認したくなる。
この本の「はじめに」の1行目に「海洋の平均深度は3729mであり(中略)水深2000m以上が深海層と呼ばれ、海の体積の約70%がここにある」と記述されている。
この文から水深2000m以上の体積が70%と読める。しかしどう考えても平均深度を3729mとして、2000mより深いところの水量が全体の70%になるとは思えない。

ネットをさまよったが、まず深海を2000m以上としているのがない。多くは太陽光の届かない200m以上を、深海としている。
次に水深2000m以上の海の体積が70%と記述しているものが見つからない。70%という数字が出てくるのは深さが3000mから6000mまでが海の面積の70%を占めるとある。(もっとも深さ6000m以上の面積は2%しかない)
それと水深3000m以上の海の面積の70%なら、水深2000m以上の水の体積が70%になるわけでもない。ともかく著者が水深2000メートルより深いところの体積の70%とした出典の根拠も見つからなかった。
この方の本は冒頭の1ページで理解に苦しむのが常である。

どうでもいいと言われるかもしれないが、いろいろと納得できないことがある。
地球儀 私は本を読むときは、理解を深めるために常にパソコンでググったり、種々の辞書を引いたり、地図を広げたり地球儀を回したりする。ちなみに地球儀はいつも机上にある。

著者は「イースター島は底辺12キロ、縦およそ6キロの三角形」と記している。
イースター島を地図で見れば底辺22キロ、縦12キロである。kmでなくマイルの間違いとしても、数字がぜんぜん合わない。はて?

注1:島の大きさを間違るとは考えられない。というのは島の興亡を論じるのだから、まずそこにどんな文明があるのか、平たく言えばどんな暮らしをしていたのかを考えるだろう。
著者が書くようにイースター島が底辺12キロ、高さ6キロの三角形ならその面積は36km2である。イースター島は西洋人が来る前に文明が崩壊したが、崩壊直前の17世紀頃に1万ないし2万人いたという。
最小の1万人として人口密度は280人/km2人になる。現在日本の人口密度は323人/km2であるが、日本の食料自給率は4割だ。ましてや狩猟社会の人口支持力はkm2当たり0.2〜1人、原始的農業では5人、中程度で100人という。
結論としてイースター島は100km2以上(実際は164km2)でなければならないことになる。底辺12キロ、高さ6キロという数字を見た瞬間に間違いに気づかなくてどうする。

注2:Google Mapではパスクア島とあるが、英語の復活祭(イースター)のことを、この島を領有するチリの公用語スペイン語ではパスクアという。

小説家エドワード・ブルワー・リットンの息子ロバート・ブルワー・リットンの生没年を1831-1880と記している(p.82)。イギリスのWikipediaによると1831-1891である。10年違っているから大問題とは言わないが、マウスをクリックするだけでわかるのだから、ちゃんとしろよと思う。
それともWikipediaが間違っているのだろうか?

上げればもっとある。校正なのか校閲なのか監修なのか知らないが、お金を取る出版物ならしっかりしてほしい。
こういうのが多いと書いてあることが信頼できないから読む気が失せる。


書名出版社ISBN初版価格
気候で読み解く日本の歴史日本経済新聞社2013.07.2297845321688031800円

この方の本も「はじめに」で始まるが、今回もそこで引っかかった。この本では四季の語源から始まっている。
花吹雪 春は「大地をる」「夏は朝鮮古語で田に水を引く」から、「秋も朝鮮古語の収穫」云々から書き始めている。
四季の語源は諸説あり、春の語源は「大地を墾る」よりも「(万物が)発する」「草木の芽が張る」「天候が晴る」などが先に出てくるし、それだけでなくいろいろ説がある。他の季節も同様に諸説があり、著者があげた説は出てくる順番がだいぶ後ろだ。
もちろん著者はそういうことを知ったうえで「大地を墾る」その他を選んだのだろう。だが確定した解釈がなく諸説あるなら、上位でもない一つを選んでこれだ!と言い切るその考えに同意できない。いや正直言えば、本文もそういう割り切りで書いていると思う。それは書物が信頼できるかどうかということになる。

「AはBだ」と断言すると読者は考えなくそれを信用してしまう。
だが世の中、簡単に割り切れるものではない。学問とは簡単に割り切れないものを割り切るのでなく、究めていくことではないのか?

内容は「気候で読む日本史」とダブるものが多い。特に鎌倉時代から戦国時代の異常気象などはほとんど同じだ。さすがにネタ切れだろう。言い方を変えるとこれほどたくさんの本を書くことはなかったといえる。


まとめである。
本の内容に間違いが多いと内容が信頼できず、読み進むのが苦痛になる。図書館から借りてきた本は、お金を払ってないから、読むのが苦痛なら最後まで読むことはないと思う。私は全部 末尾まで読み通したが、6冊も読むことはなかった。2冊くらいで止めなかった私は未熟である。
はっきり言ってこの方の本を何冊も読むことはない。いやこの方の本の代わりに、フェイガンを1冊読んだほうが良い。
それはともかく彼の本を読んでの全般的な評価をまとめてみたい。

結局、田家氏はや気象にまつわる話を、過去から主流でありきたりの認識・解釈を書いているに過ぎない。自分が調べたとか発見したものがない。まして認識がずれているとガッカリだ。
気候変動についてもIPCCの語ることすべて正しいではいささかゲッソリである。別に私はIPCCを否定しないが、それならIPCC報告書を読めばいいわけだ。本を著するなら、そこに付加価値がなければならない。
IPCCばかりでなく、フェイガンの二番煎じにならないよう、著者独自の視点、オリジナリティを出さねばならない。そうでなければ本を書く意味がないではないか?

ものごとの年代や原典をよく調べて書こう。一読者が本を読みながら、ググったり地図を見た程度で変だと思うようでは困る。
それに全体に冗長すぎる。300ページの本は200ページにまとめるべき。DNAが二重螺旋構造としたワトソンとクリックの1953年の論文が2ページしかないのは有名な話だ。


老人マーク 本日の思い
田家さんがこの文をお読みになられたら、いちゃもんだと思われるかもしれない。だが本を書くことは論文を書くことと同じだ。論文は三つの要素を満たさなければならない。

この本は様々な論文や通説の解説であり、独自のアイデアが見られないことと確固たる証拠が記載されていないところがある。
そんなところを、しっかり詰めてほしいと思う。




注1
注2
ビョルン・ロンボルグ(1965−)、デンマークの統計学者だったが、今は環境学者と称しているようだ?
2003年に「環境危機をあおってはいけない―地球環境のホントの実態」を書いて有名になった。スタンスは「ファクトフルネス」に近いけど、テーマがテーマだけに敵が多くて大変だね。

注3
独立行政法人労働政策研究・研修機構 物価

注4
内閣府 国民経済計算

注5
ブライアン・フェイガン(1936−)、イギリス出身、UCSB教授、考古学者
人類と気候の関係についた書籍多数

注6
・パンの食感、うどんのこし
古代・中世の農業生産性(収穫倍率)の比較
収穫倍率76倍というのはここから来ているように見える。しかしこのウェブサイトでは76倍は都市国家近郊の農地ならあり得るだろうと書いている。人はまず肥沃な土地から農耕をはじめ、そして都市国家ができた。
しかし農耕が広まれば肥沃でない普通の土地でも農耕を行わざるを得ず、現在でも収穫倍率は20〜25倍程度だ。
収穫率についての覚書
・「ヒトはこうして増えてきた」大塚柳太郎、新潮社、2015、pp130-131

注7
「歴史を変えた気候大変動」、ブライアン・フェイガン、河出文庫、2009.02.10、pp227-236





推薦する本の目次に戻る
うそ800の目次に戻る。