規格が先か現実が先か

21.03.04

私が品質保証(注1)に関係したのは、通信とか官公庁向けで1970年代からだった。もちろん品質保証そのものは、防衛や鉄道ではもっと早くからあっただろう。1980年代になると消費者向けの家電でもB to Bであれば、品質保証を要求するのは当たり前のことになった。
品質保証とは客が製造者に要求する仕組みというか契約であるから、製造者が客の言う通りできないとか・言うことを聞くのがいやなら仕事が取れない。だから取引するために、客の言うとおりにする理屈は納得できる。

ただこのとき、製造者は客に言われるままにしたかといえば、そうではなかった。
人 「この記録を残せ」とあればそのものズバリでなくても類似のもので代用するとか、内部品質監査をしろと言われたら新たに某社向け環境監査をするのでなく従来からしている業務監査で引用するとか、教育訓練をしろと言えば社外資格を保有することを代用特性とするとか、なるべく新たなことをしないで済ませた。もちろん自分が納得しても意味がない。過去からしていることで客先要求を満たしていると説明し、先方の同意を得たということだ。
おっとそれは私だけだったのかもしれないが……いや日本の品質保証屋の多くはそうしたに違いない。何しろ一から十まで客の言う通りしていたら身が持たない。

ISO9001という品質保証規格が世に表れてから3分の1世紀が過ぎた。2000年になって、私はもう品質保証規格ではない、品質マネジメントシステム規格だと自称した。
品質保証規格であろうと、品質マネジメントシステム規格であろうと、環境マネジメントシステム規格であろうと、客が要求するならしなくちゃならない。もちろん上に述べたように書いてあることそのままではなく、過去からしていることで間に合わせようと考えるのも当然だけど、

しかし世の中をながめると、ISO規格に書いてあるからする、ISO認証のために新たにしなければならないという発想は普遍的なようで、ISO認証が始まって30年経った今も消えていない。その発想は企業側だけでなく審査側もまったく同じように思える。

取引のためというなら、客が同意しないならしかたがないというは分かる。だが自発的にISO認証するのに、わざわざ余計なことをして仕事をやりにくくすることもあるまいと思うのは私だけか?
まして規格要求の記述はあいまいであり、私から見れば企業が相当裁量範囲を持っているように書いてあるが、現実には審査員の規格解釈通りしないと規格要求を満たしていないとみなされる。
これっておかしいよね?
しかし現実は企業の実態よりもISO規格を優先する人が多い。いや私のように考える人は少数だというのがこれまた現実である。悲しいことだ。

正直言って私の書いているこの文を、読んでいる方がご理解されているかどうかさえ怪しい。
私の考えは単純明快である。ISO規格より会社の現実が大事だということに過ぎない。
存在する会社はすべて社会的要求に応えようとしており、応えられない企業は今か明日かはともかく淘汰されてしまう。だからISOMS規格など、あっても・なくても世の流れは変わらない。

じゃあISOMS規格の存在意義は何かとなる(注2)存在意義があるとすれば、それは会社を良くするためではない。世の数多の企業が自分たちの対応が適切か否かを判断する一つのチェックリストに過ぎない。しかもそのチェックリストは完璧ではない(注3)
もちろんISOMS規格はそのために作られたのではない。おそらくお金儲けのためだろう。その証拠にISO認証が増えると「規格が売れた」と喜ぶ関係者がいる。


ISOMS規格より現実が優先するとはどういうことか?
具体的メリットがなく手間暇かかることを、わざわざしようとする人も企業もない。一般企業がISO認証するのはどんなときか?
9割9分は客先や輸出先からISO認証を求められたときだ。なお日本国内において取引にISO認証を必要条件とすることは規制されてい(注3)
めったにないことだがISO認証すると会社が良くなると思い込んで認証する企業もある。それより多いケースは、周りや同業者がISO認証したからと流行に乗り遅れまいと認証することもある。
21世紀初め国交省が建設業の取引先評価において、ISO認証していると加算点が付けたことから、建設業の許可を受けている企業は先を争って認証したこともあった。まあ流行だったからすぐに終わったけど、


ではISO認証のためにどういうことをするのだろう?
今ここに事業を営んでいる会社があるとしよう。取引先からISO認証を求められたので認証しなければならない。認証を要求するのは違法だなんて言うのも大人げない。大人なら空気を読まないと。
さてどうする?

その会社は今日突然創立されたわけでなければ、少なくても数年・長ければ数十年の社歴があるはずだ。その期間商売をしてきたなら、会社の仕組みはできているはずだ。製造業なら資材を購入する部門、物を作る部門、製造方法や加工方法を自社で決めているならそれを考える部門もあるだろう。できたものを販売する部門、そしてそれらを支援する種々の部門もあるはずだ。
サービス業ならそれなりの組織ができているはず。

業務のつながり

当然、それらの部門の取り合い……取り合いとは各部門の担当範囲である……は決められていて、業務の隙間や重複はないだろう。
そしてそれぞれの部門内は、その仕事をどのように進めるかという決まり事、それぞれの仕事の担当の割り振りや決裁者も決まっている。

前記の組織、機能、手順というものは、一つの生物のように有機的に組み立てられ機能しているはずだ。もし部門と部門の間に仕事に隙間や重複があれば、仕事を進めるうえでトラブルが生じる。担当者・決裁者が決まっていなければ即トラブルだし、担当不在時の代行者が決まっていなければいつかは問題が起きる。手順を決めてなく、業務遂行のたびに方法や基準を考えて処置していたら能率低下甚だしい。
トラブルが起これば、それを直そうとするのは当然で、トラブルが発生するたびに手順は見直され、ときと共にその企業の仕組みは改良されていく。

もちろん企業発展や存続の要件は、いかに会社が良いかではない。まずその企業が提供する製品やサービスが社会から求められているものであり、その品質・コスト・供給がコンペティターより優れていなければならない。
いかに会社の仕組みや運用が素晴らしくても、製品が陳腐化していたり、他社に比べて高価であったり、供給が需要に合っていなければあっというまに淘汰されるのも当然である。
ここまでに異論はないでしょうね?


ともかくその企業がISO認証を目指したとき、どうするのか?
まさかISO規格に沿って会社の組織、機能、手順を見直すのだろうか? それはまさに世の審査員が語るマネジメントシステムの構築だね。
マネジメントシステムの構築なんて言うのは大きな間違いだろうけど、

事前調査
ISO規格比較検討現実
要求事項



矢印

比較検討


矢印
既存の手順書
既存の帳票

ともかく規格要求と現実を比較すると、同等のことを既にしているもの、まったくしていないもの、似たようなことをしているものがあるだろう。
さてどうするか?
ISO認証とはマネジメントシステムの構築であると信じている人は、既存の財産を忘れてすべて新規作成しようとするかもしれない。
だけど普通の人はそうはしない。多くの場合、ISO規格通りに仕事をしているものはそのまま引用し、していない仕事は追加し、現状を変えようがないときはISOのための手順書を書いてやっていることにして審査を受けるということになる。

まっとうでない対応(現実にはこれが多い)
ISO規格比較検討現実
要求事項



既存の手順書や帳票を引用する
(マニュアルに記し審査で見せる)
既存の文書でまにあう
要求事項



新規に作成する
(運用するかどうか定かでない)
同等のものはない
代用できるものはある
要求事項



新規に作成する
(運用するかどうか定かでない)
該当するものがない

その結果生じるのは、俗にいう二重帳簿である。上図での枠で囲んだ部分が二重帳簿となる。
二重帳簿が不適合とか犯罪ということはない。なにせISO認証において審査で提出した文書が、実際の業務に使われていなくても、規制する法律はない。審査で不適合にするにも根拠がはっきりしない。「文書はあるが実施されていない」なんて審査員が言ったら、「提出した文書は認証範囲では確実に使われており、違う文書が使われていたのは認証範囲外だ」と言った場合、それを否定するのも困難だろう。
もちろん審査員はいくらでもいちゃもんをつけられるだろうが、審査を受ける側にも反論する理屈には事欠かない。私なら、
とはいえ二重帳簿を肯定するのに頑張る気もない。

実を言って現役時代のこと、某認証機関の取締役が、二重帳簿であっても指摘しません。もし後に不祥事が起きたらそれを問題にしますが、わざわざもめることはない……とのこと、大人の世界ですね。いや形骸化といいましょうか。

だが二重帳簿が悪いことは間違いない。なにしろそれはその企業の損益の足を引っ張っるからだ。大げさに言えば最終的には我が国のGNPを減らし収める税金を減らすなら、それは法に抵触しなくても反社会的行為に違いない。

じゃあ、どうするのか?
当たり前だが現実で問題ないなら、それをそのまま見せてISO規格を満たしていることを説明することだろう。
もちろん欠落は埋めるしかない。しかし前述したように歴史のある企業は、長い間にさまざまなトラブルが起きているはずで、その結果再発を防ぐ処置を行ってきているはずだ。そういう歴史によってリファインされた会社の仕組みが、ISO規格に反するとは考え難い。
筋道立てて、現状がISO規格を満たしていると説明すれば済むはずである。
済むはずであるが、そのためには論戦をしなければならないのは言うまでもない。

まっとうな対応
ISO規格比較検討現実
要求事項



既存の手順書や帳票を引用する
(マニュアルに記し審査で見せる)
既存の文書でまにあう
要求事項



既存の手順書や帳票で、規格
を満たすことを説明する
同等のものはない
代用できるものはある
要求事項



新規に作成する
(実際に運用する)
該当するものがない
普通そんなことはなく
何かはあるはず

上図がまあ、まっとうな対応となるだろう。
少なくても私がしてきたことはみなこういう対処をした。
もちろん私はそれがそう簡単でないことは十分承知している。審査員の多くは、規格文言通りでないと納得しない。また規格文言に裁量範囲があるものは、審査員の解釈通りでないと納得しない。あるいは独自の要求事項を追加する審査員も多い。
だから多くの人はそれが困難だと思うのか、前述したような対応を取る。その気持ちは十分わかる。
企業を二重帳簿に追い込むのは審査員であることは間違いない。

ともかく、企業の実態を説明して審査員を納得させることは、らくだが針の穴を通るより難しいと聖書を書き直してほしい(注5)
だが、そのような問題が多々起きるということは、そもそも規格の文言が悪いのではなかろうか?


いよいよ本日のメインテーマである。
では現行規格が悪いことを論証する。

当然だが、基本的な問題はISO規格の要求事項にあるのではない。問題は規格のありようというか考え方なのだ。 規格の意図を示すのは序文である。では序文をみよう。

ISO14001:2015の「序文 0.3成功のための要因」に次のような文章がある。
トップマネジメントは、他の事業上の優先事項と整合させながら、環境マネジメントを組織の事業プロセス、戦略及び意思決定に統合し、環境上のガバナンスを組織の全体的なマネジメントシステムに組み込むことによって、これらの機会に効果的に取り組むことができる。

実を言ってこの趣旨は以前からある。ただ過去の版での言い回しはちょっと違うだけでなく因果が逆と思える。
1996年版
既存のマネジメントシステム要素と独立に設定される必要はない。場合によっては、既存のマネジメントシステム要素を当てはめることによって、要求事項を満たすことも可能である。
It will be possible to comply with the requirements by adapting existing management system elements.


2004年版
組織がこの規格の要求事項に適合した環境マネジメントシステムを構築するに当たって、既存のマネジメントシステムの要素を適応させることも可能である。
It is possible for an organization to adapt its existing management system in order to establish an environmental management system.

初版の1996年版では「既存のマネジメントシステム要素を当てはめる」ことで良いといっていたが、2004年改定では「適応させる」と変わっている。
二つの版の記述に表現の違いはあっても、本質的な差はないように思える。
だが2015年版は明らかに違うように思える。

なによりも2015年版では「既存のマネジメントシステム」という言葉はない。2015年版序文に従えば、既存のマネジメントシステムによる方法、要素を採用する方法が示されていないのだから、文字解釈をするならISO審査に提示するマネジメントシステムは「この規格をうまく実施していることを示す(ISO14001:2015 序文)」ことが企業が審査で提示することとみなすのは当然である。
なんと、なんと 私が語っていたことは間違っていたのだ。ISO審査とはISO規格に沿って新規に構築したその会社のマネジメントシステムを審査員に見せることであったのだ。

なんて私が思うはずがない。
それはISO14001:2015の序文が間違っているのだ。
正しくするには序文を次のように書き直さなければならない。

トップマネジメントは、既存のマネジメントシステムの中に、他の事業上の優先事項と整合させながら、この規格で示す環境マネジメントに関する要求事項を、組織の事業プロセス、戦略及び意思決定に組み込むことにより、環境上のリスク及び機会に効果的に取り組むことができる。

ちょっとした文言の違いだけど、その意味合いは大きく異なる。
そして審査員はこの意味を理解することにより、企業が従来からのマネジメントシステムの改善と完ぺき化に努めることを助け、そして無駄を排除し、二重帳簿などなくすことに貢献するだろう。

もう一度言う。世の企業はISO認証のために存在しているのではない。
ISOMS規格は企業のために存在しているのだ。


うそ800 本日の疑問

大丈夫かよ ISO14001:2015の序文は、経営とか組織論など知らない人たちがワイワイと議論して作り上げたように思える。
ISOMS規格と自称するなら、経営学、組織論、戦略論、戦術論に通じた人たちを集めないとだめだ。いやその前に、本当に公害防止とか省エネとかの仕事をしていた人が参加しているのか?




注1
品質保証(QA)とはISO9000の定義では「品質要求事項が満たされるという確信を与えることに焦点を合わせた品質マネジメントの一部」とあるが、そう思うのはISO規格の勝手である。
1990年までは、「買い手が要求する(生産)管理方法」のことである。本質というか現場においては今も変わらない。

注2
真面目に存在意義を考えるならこちらをどうぞ⇒レゾンデートル

注3
その証拠にISO14001:2015の序文にしっかりと「この規格の採用そのものが、最適な環境上の成果を保証するわけではない」とエクスキューズが墨書されている。

注4
ISOMS規格そのものが法規制ではないと明記している。
また日本においては過去に企業がとりひきにおいてISO認証を要求するには必要性がなければ独禁法違反だとする見解を出している

注5
マタイによる福音書 19章23節
「富んでいるものが神の国に入るより、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」





うそ800の目次にもどる
規格解説の目次に戻る