文書の標準化4

21.12.13

本日も前回に引き続きダラダラと書き続ける。
正直言って、私が過去に書いた多くの文書が素晴らしいということはまったくない。ただ私は数多の失敗、例えば文章があいまいだったり、図で注意点を明確にしていないなどによって、不良を出したり、改修したり、廃棄品を大量に作ったりして、その経験を踏まえて少しずつ工夫してきたという歴史がある。
そして伝えたいことは、文章を書くという訓練を受けたことがない人間が、人に仕事をさせるための文書を書く仕事に就き、その方法論を知らず試行錯誤したことだ。
それは低レベルなことと自分自身認識しているが、どんな仕事でも工夫の余地はあるし、それは自分を成長させる挑戦でもある。そして努力したことを誇ってよいと思う


書式の標準化
なにか文を書くとき前例を見るというのはよくあることだ。文章に限らず動作や挨拶すべてにおいて、年長者や経験者のすることを真似ることは一般的と言って良く、誰もが必ずするだろう。もちろん経験を積めば、半分はそれ以降も前例に従うだろうし、あとの半分は前例はダメだと自分で考えて行動する人もいるだろう。

会社でも老人クラブでも趣味のクラブでも、文書を書くことは多く、書かないと物事が進まないとか、市の補助金がもらえないことから頑張って書くのが世の常である。
そんなときどう書くか悩んだり人真似するよりも、強制的にこの形式・書式で書け、更には空欄を埋めよと言われたほうが楽である。

市役所も私が成人になってからの50年で大きく変わった。
パスポート はたち過ぎ1970年頃、初めてパスポートをとった。パスポートを申請するためには市役所で戸籍抄本、住民票などを入手せねばならない。
当時の市役所職員は上から目線で、なんのために戸籍抄本がいるの?と聞く。
戸籍謄本や住民票の交付申請時に理由が必要なのは、申請者が本人以外の場合だけのはずだ。そしてその職員は「○○町の○○(私の苗字)って人知っている?」と周りの職員に声をかけ、「知ってるわ」という返事があると「そこの人は息子がパスポートをとるのを知ってるのかしら」なんて世間話になり、あげくに「海外旅行なんか行かないでしっかり働きなさい」なんて余計なことをいう。
まあいろいろあったが、そのとき戸籍謄抄本等請求書を書いた覚えがない。窓口で口頭で述べて向こうが何か書いて最終的に手数料を払って受け取った記憶がある。

注:嘘だと思われるかもしれない。だが今から50年前の田舎の市役所はそんなものだった。プライバシーもなにもあったものではない。
これも実話だが、あるカップルが親に反対されていたが内緒で入籍した。入籍したことが市職員から親に漏れ、大騒ぎになったことがある。そのとき周りの人たちもカップルを批判したが、職員の秘密漏洩を批判した人はいなかった。
成人が結婚するのに親の許可はいらない。職員や住民たちの頭は、明治憲法のままだったのかもしれない。

結婚してから出産届、転居、本籍移動とかたびたび市役所のお世話になったが、現在では申請書類はみな申請者が書き、窓口の担当者は公務員様から派遣社員に代わり、サービス精神あふれる方が多い。大いに結構なことだ。
申請書類があれば義務教育を受けた人なら簡単に書け、公務員様のお手を煩わすこともない。

注:あとから気が付いたのだが、私が成人した頃まで、文字を書けない人が多かったのかもしれない。私の祖母は明治16年(1883)生まれで1962年頃亡くなった。祖母は読み書きできなかった。選挙の時は親父が一生懸命親父の支持する候補者の名前をカタカナで書くのを教えた。
そういう人が多かったから、運用上職員が書いていたのかもしれない。

申請書類などの記入方法というか用紙様式も、時とともに大幅に分かりやすく記載個所も少なくなったように思う。そして記入個所も、必要とかこの場合は無用とか書いてあり分かりやすい。だから今は申請書類が悩まずサクサクと記入できる。当然それを受け付けて処理をするにも分かりやすく、間違いや漏れが分かるように改善されただろうと思う。
もちろんデータ処理や住民票などの発行も電子化され、昔のような気送管で送ることもなくなった。だが、一番改善されたのは様式ではないのだろうか?
もちろん現在は公務員が上から目線で話すこともなくなったし、プライバシー管理も良くなっている。

申請も自宅のパソコンからするようになれば、本人確認が厳格にできないと問題だ。マイナンバーカードだって暗証番号だって本人であることの確認にはならない。

注:2021年3月から、マイナンバーカードとNFC対応スマホ(私のエクスペリアも対応している)があれば住民票、印鑑証明などを請求できるというシステムが動き始めた。とはいえ請求できるだけでハードコピーは市役所からの郵送だ。
便利💗 と思うだろう。確かに便利だが、それによるなりすまし請求とかの犯罪が多発するような気がする。もっと本人確認の方法を改善する必要がある。例えば顔写真とか指紋とか、
それに郵送というのがレトロで泣けるね。二日待つなら最寄りの支所に行ったほうが早い。


ともかく用紙様式の設計は重要だ。
例えば卓球クラブを作るとしよう。市の大会に参加するとか公民館の体育館を借りるには、組織化されていないと申し込むこともできない。つまり市に団体として届け認めてもらわなければならない。そのためにはグループの組織名、代表者名、会員名簿、規約、活動計画、予算などのセットが必要であり、次年度以降は前年度の活動実績、決算、翌年の活動計画と予算のセットがないとならない。

私は家内から二・三年に一度くらいそんな資料作成を頼まれる。毎年まるごと私に頼んでもよいのに、規約も名簿もほとんど変わらないので、少々のことは修正テープを貼って直すらしい。活動計画も実績も日付や参加人数くらいなので修正で済ましている。

ともかく名簿を作ろうとしても、なにもないときに表の項目を考えるのも結構な仕事だ。
氏名、性別、年齢、住所、電話番号、メールアドレス……
今時はプライバシー保護がうるさいから、表の名簿と裏の名簿を作ってとなる。どこまで公開というか市に提出するのか配布してよいのか、どこからは役員が必要に応じて参照できることにするのか、そんなことを考えるとなかなか難しい。

注:仲間でつくるスポーツクラブなどにおける個人情報管理についてもガイドラインはある。
自治会・同窓会向け、会員名簿を作るときの注意事項

規約などになると、自治会などで役員でもした人でないと項目も内容も見当もつかないだろう。大概が既存のクラブの人に見せてもらい、名詞を入れ替えたりいくつか条件を変えたりするくらいが関の山だ。

思うのだが、そういった面倒を省くために市がひな形を作ってここだけ書きなさいというのをネットにあげたり、公民館でコピー配布したらよいのにと思う。
もう50年も前だが、会社を退職した人が下請け会社を始めるというので、半分仕事・半分遊びで手伝いに行っていた。就業規則を作るとなると市だか商工会議所からか分からないが、その人はひな形をもらってきて、社名とか就業時間とか空欄を埋めるとすぐに出来上がった。
簡単なものだと思った。

あれと同じことができるはずだ。規約だけでなく名簿も活動計画も実績もサラサラと書いてもよし、Wordの書式に入力してもよし。

私たちが会社で作る書類も9割方はそういう方法でできるはずだ。議事録、報告書、企画書、まず様式を考えて書くようなものではない。
定年退職するとき社員証や社章を返却する。しかし社章など身に着けたことがないというか、紛失しないように身に着けるなと言われていた。それじゃ何のための社章かとなるが、それはおいといて……
返却するときになって探しても見つからなかった。当然始末書ということになる。ところが始末書さえ様式があり、氏名、日付を記入しするだけ。


  年  月  日
人事部 人事課 課長
○○ ○○殿
   部   課
氏名      


始 末 書

私は、  年  月  日、不注意により当社社章を紛失しまして、会社に迷惑をおかけしました。
謹んでお詫び申し上げます。
このことは私の責任であり、深く反省しています。二度と同じ過ちを犯さないように努めます。
このたびに限り、寛大なご措置を賜りますよう、お願い申し上げます。



  • 提出にあたりアンダーライン部を記入しなさい。

退職するのだから、二度としないことは間違いない。
小学校で宿題を忘れたときの反省文も、必要箇所だけ記入するだけなら早く帰れたのにと残念であった。


テンプレ正しくはテンプレート、つまり型板とか型紙というと、決まりきったとか融通が利かないなど悪いことの代名詞のようなニュアンスがある。
そうではない。間違いを防ぐ、漏れを防ぐ、迷いを防ぐ、効率も精度も上げることができる素晴らしい方法である。

様式にすると、書くほうだけでなく読むほうも能率向上、精度向上できる。
営業報告書なら市場状況や売上など重要なことをすばやく確認できる。これが営業マンがそれぞれ美辞麗句を駆使し、自己流の名文を書いたなら、Aさんは売上を1行目に書いて、特記事項がその次に、Bさんは店頭でコンペティターの新製品を見たのを1行目に書いたり、Cさんはコンペティター状況を漏らしていたとか、書き方がバラバラでは管理者は状況を把握するのが大変だ。
同じカテゴリーの情報は同じ場所に書いてあれば、見るほうも楽だしエクセルなら串刺しにデータを処理することもできる。
テンプレは、書きやすく、読みやすく、簡単明瞭にできると三方良しである。
味気ないとかいう人は、業務文書に芸術性を求めるのが間違っている。


文書作成の自動化
テンプレも良いけど、用紙様式に埋めていくような方法がとれない、あるいは不適切な場合もある。会社規則を作るときは、確かに帳票を埋めるような方法はとれない。格調高くとは言わないが、やはり文章で説明する形式のほうがわかりやすいこともある。

そういう場合でもテンプレはあったほうが良い。前回も書いたが、文章は「○○は」ではじまること、語尾は「である」か「です」に統一すること、更に文末は数種類に決めておくことなどが文章作成効率と誤読防止に役立つ。

可能なら口頭で意図とか要求事項などを吹き込めば文章を書いてくれるソフトウェアがあるなら御の字だが、我々の使っているオフィスソフトはまだそこまで至っていないので、単語登録しておいて最低文末だけでも決まったものが自動的に出てくるようにしておくと良い。
必ずしも自動作成ではなくても、定型文を書くという意識をもって作文すると、主語の欠落の防止ができるし、述部を定型化するだけでも主語述語が合わない不具合などを防げる。


単語登録より少し前進して、簡単なマクロを組めば主語述語を入れ込むことはできるだろう。
しかしこれを下手にするととんでもないというか面白い事態になる。
悪い例を挙げる。
某認証機関では審査所見報告書をエクセルのマクロで作っていた。ところがこれがあまり出来が良くなかった。主語述語のつながりがおかしな文章(もどき)が多発され、とてもお金をもらえる報告書にならなかった。
そんなマクロで審査報告書を作成していた審査員たちは内心忸怩たる思いではなかったのか? ふざけるなと言わなかった企業側は心が広かったのか、所見報告書などどうでもよかったのかは定かでない。
マクロが悪いとは言わない。やるならもっとましなものにしてほしい。お金を取る仕事の文書なら当然だ。
だってそうだろう? 主語述語の合わない契約書とか出荷通知なんて信用できない。


決裁
会社規則の制定・改定といっても、ドラフトを仕上げて仕事は終わった、さあ次はえらいさんの決裁だ!とはいかない。決裁印をもらう前にしなければならないことがある。
えらいさんは規則改定の経過を理解しても、書かれた文章が適切なのか流れが現実にあっているのか分かるわけもない。それで関係部門との調整とか、文書管理部門の書式点検と既存の規則との整合性確認などの調整や照査が終えてないとハンコを押さないのが普通だ。
ネゴシエーション 規則を使ってもらうため何事も一方的な話とか強権では動かない。関係者の同意・協力が要る。客観的に見て最善であっても根回しは必要だ。まずは担当者レベルで話をつけておいて、それから公式に関係部門の管理者宛に了解を取るようにする。
文書管理部門の照査は問題ないというか、規則作りを数年すれば何も考えずに規則通りの書式や用語に仕上がるようになる。

もちろん可能ならドラフト作成時から関係部門の担当者を巻き込めばベターであるが、そういうことをすると切も限りもないのもまた事実。ある程度のところで割り切っていかないと規則をお守する者の身が持たない。実際問題、八方美人では仕事が進まないから、8割の人の同意が得られたら2割の反対を押し切るくらいの覚悟はいる。

本社にいて、根回し対象が複数(それも20とか30)の遠隔地の工場や支社になると、同意を取るというか相互理解を取ることが大変! 書面審議とメールのやり取りがマメでないと頓挫してしまう。

基本的に重要・緊急というものは、法改正対応が多いから、相手も目的は理解している。とはいえ手順書というくらいだから、仕組みや方法についてはお互いに利害もあり、また考えもあるから無碍にはできない。
決裁が電子システムになろうと、会社規則が電子データになろうと、この辺の流れは変わらず、一番手間がかかるのは変わらない。

上記した関係部門の了解を得たことをA4で1ページくらいにまとめて上長経由決裁者に伺いでするわけだ。なお、多くの会社では「規則類決済伺書」とか称して、その様式を定めている。決済者は安心してハンコを押せるというものだ。

めくら判が良いわけではない。えらいさんも暇ではないが、一生懸命読んで理解と指摘をしてくれる人もいる。私は余計な事などと思ったことはない。自分が作ったものを例え関係部門がチェックしても読んでいただけるというのはありがたいことだ。
実際にISO14001で会社規則を改定したときのこと、「順守」は誤りだ「遵守」に直せと言われたことがある。確かに誤りである。ついついISO規格に流されていた。

注:言葉としては間違いなく「遵守」である。辞書はもちろん、学校教育でも公用文でも「遵守」を使っている。
いきさつは昭和29年に国語審議会の「当用漢字表審議報告(案)」で「遵」を削除するとあったので、新聞・テレビでは「遵」の代わりに「順」を使うようになった。ところがその後、正式決定では「遵」は使われることになり、法律、教育、公文では当然「遵守」を使っている。そして報道関係は一旦決めた「順守」を使い続けているのが現状だ。
ISO14001制定時はcomplianceをJIS規格では「遵守」と訳していたが、2004年改定で「順守」に変わった。改定解説で、寺田博さんが「読みやすく親しみやすく…(「ISO14001:2004要求事項の解説」p.128)」と言い訳を書いていた。
実は私が深く考えずに規則の中で「順守」と書いたら、会社のえらいさんは会社規則に漢字の誤用はいかんと言う。私も異論はない。
2015年改訂では「順守」のままだったが、もしまた今後の改定でJIS翻訳が「順守」から「遵守」に変わったら、また会社規則を直すのかと考えると、明らかな誤りだろう。
同じく2004年改定で、「環境マネジメントプログラム」が「環境実施計画」に翻訳が変わったのに合わせて、多くの会社が規則や手順の「環境マネジメントプログラム」を「環境実施計画」に改定したのを見て笑っていた私だが、順守については冷や水を浴びた。まさに人の振り見て我が振り直せである。


うそ800 本日の思い出

ISO規格ができる前から文書管理というもののルールはどこの会社にもあったし、その大要は似たようなものだ。制定・改定後一定期間ごとに見直しを行い、必要なら改定するというのもそのひとつだ。

私が所属した部門では30本くらいの会社規則をお守していた。見直しのインターバルを3年とすれば、毎年会社規則10本を見直すことになる。
部員は皆忙しいし、私は以前からそういう仕事はしていて得手と自負している。それで規則のメンテナンスは全部私がして、不明なところだけそれぞれの担当者に聞いて改定作業をしていた。

現実には見直しをすれば、会社組織の変更、情報システムの変更、法令の改正などがあるから、ほとんど全部改定が必要になる。

いやあ、面倒くさかったね。種々外部条件や内部条件の変更を反映して会社規則の改定ドラフトを作るのは単純作業だが、それを関係部門の了解を得るのが一筋縄ではない。
まあそんなことを10年すると根回しが上手にはならなかったが、イチャモンにへこたれない精神力はついた。
というわけで、私が語るのは机上の空論ではなく、汗と涙の物語である。




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