文書のこれから

21.12.16

本日は私が考えている、これからの文書のあるべき姿を語る。既に実現していることもあるし、まだ実現していないこともある。まあ、最低これくらいになってほしいと思う。ISOMS規格など仕様書あるいは希望であり、どうすれば良いのかなんてわかっていない人が書いているに過ぎない。泥臭いことを20年以上してきた者の提案である。


今回は文書の意味を、ISO規格でprocedureと記されているもののみを対象とする。record(記録)やinstruction(作業指示書)は対象外とする。
procedureとは英英辞典によれば「a particular course of action intended to achieve a result」で、訳せば「結果を達成するための特定の手順」であり、意訳すればシステム手順書あるいはシステム運用手順を理解される。要するにシステムの決まり事を示しそれに基づき仕事を命じるもの、言い換えれば仕事の仕方を示すものと理解できる。

システムとはそもそも社会制度とか支配体制を意味した。生物でも人間の団体でも始まりは小規模だから単純である。
原始社会 クニの始まりは、支配者(王様)がいて取り巻き(貴族)がいて、どのように領土を分配してどのように人民を支配し税を取り立てるか、ということから始まったのだろう。初めは法といえるものはなく決定者のその場の判断で動いたはずだ。しかし税を納めない者を処罰するにも、貴族Aは処刑した、貴族Bは牢屋に入れた、貴族Cは課徴金を課したとか、同じ人でも時と場合によって判断が異なるとなると、バランスが取れない。それは権威を貶めるし人民も付いてこない。法三章というのはキャッチフレーズだろうが、いずれ始まりはそんなものだろう。

注:「法三章ほうさんしょう」とは、漢の高祖が秦を滅ぼした後、秦の始皇帝の定めた厳しい法律を廃し「人を殺したものは死刑、人を傷つけたもの盗んだものは罰する」という3か条の法律にしたこと。 転じて、煩雑な法律を簡略にし法治万能主義を排すること。
法治主義から見れば退化である。

クニが大きくなると、官僚階級が発生する。官僚の仕事の手順と基準を定める行政法が必要になる。また民間の活動が活発になれば民法も必要になる。

更に国が大きくなり人口も増え社会が複雑になると、決めるべきことがどんどん増え複雑になる。言っただけ聞いただけでは分からない。それで定めたことは文書あるいは粘土板あるいは立て看板でも良いが、書き物であったはずだ。もちろん絵でも良いだろうし現物見本でも良いだろう。だって時とところによって基準、手順が変わってはシステム足りえない。それがハムラビ法典とか武家諸法度というものだろう。そうなると法治国家といえる。

現代でも法治国家まで至っていない国もある。人治主義というが現在の中国、正式には中華人民共和国はこの段階にある。
国民だけでなく外国が安心して通商するためには、しっかりした法律を施行してそれが運用されなければならない。一夜にして禁止されたり税法が変わったりでは民心が離れてしまう。
国が内外から信頼されるためには、整合性のある法律が定められ運用される法治国家でなければならない。じゃあ基準を作ろうとなって約束事から明確な御法度になる。

ともかく最終的に、支配体制なり社会制度つまり社会システムの定めを書いたものがあり、それを投影したというか基になる実際の社会統治がある。
現実と書き物が違ってはいずれ破綻し元に戻る。


人間のシステムが発祥して成長し極相に至る流れは、社会制度も会社の仕組みも同様である。
それで会社規則とか規定などと称する会社の仕事の手順と基準を決めた文書の全体(規則集)を会社のシステムと呼ぶことが多い。
もちろん国家の場合は憲法以下の法令(法律・施行令・省規則をいう)が国家のシステムである。アメリカ憲法はConstitutionと称するが、それが国家の構成を決めるという意味だった。


会社もまったく同様だ。会社の最高文書は何かとなると、絶対に反することのできない最高文書は定款である。冗談でも品質マニュアルとか環境マニュアルと言ってはいけない。
会社は定款に定めた事業を推進するために存在する。手順書とは定款を展開した下位文書である。社員は手順書を運用するために存在する。

歯車 会社で働く人はときに自分自身を歯車などと自嘲することがあるが、組織で働く者はシステムの一部として機能することが要求されるのは当然だ。そして1個の歯車としての働きをしないと組織人失格である。

もちろん階層があり、担当者が歯車なら、課長は数個の歯車を組み合わせたギア一セットで、部長はトランスミッション全体かもしれない。お互い車というシステムを構成し動かしていくに必要なのだ。歯車と自嘲することはない。


職場が事務であろうと営業であろうと製造であろうと、それぞれ担当者個人の職務は会社のシステムの一部であり、1個の歯車である。
このとき担当者Aは営業の職務に就いていたとして、ひとつのサブシステムの一部を担っているわけではない。発行する帳票は経理のサブシステムかもしれないし、企画に関する会議は設計、納期に関することは資材調達のサブシステムかもしれない。

私の語っていることは文書の話と関係がなくとりとめがないようだが、もう少し聞いてほしい。
担当者Aのところに新人が配属されたとする。自分の仕事あるいは仕事の流れを教えるとき、仕事をどういう風に教えたらよいのか?
いや難しくとかひねっているわけではない。会社規則/手順書を基に行うことにあるべしということだ。

ISO9001の2000年改定のとき、プロセスアプローチなんて新語が表れたとき右往左往した人たちはもう引退してしまっただろうか?
当時は下図のような絵を描いて「当社のプロセスは○○です」などと嘘ついてごまかしたものだ。審査員もプロセスとは何ぞやなんて理解していなかったのだろう。とにかく何か一つプロセスというものを例示してプロセスを管理していると言ってくださいてなもんだった。

受注設計製造検査出荷
設計インプット

設計仕様
加工部分組立組立アウトプット

製品
検査

こんな図を描いて一体いかなる意味があったのか、大いに疑問だ。ISOTC委員に言われる前に、己の仕事がどんなプロセスのどこにあり、他のプロセスとの相互関係がどうなのかって分かってなければ仕事にならないでしょう。
ISOTC委員は自分たちが勉強したことを、規格に追加してうれしがっていたのだろうか?
ついでに言えば、1987年初版から2015年版まで序文にある、丸い概念図はバージョンアップを繰り返しているが、分けのわからないへんてこなものは要らないよ。


会社の仕組みは前述したように膨大であり、それを細かなサブシステムに切って管理している。しかしサブシステムといっても独立して機能するわけではなく、メインの情報やマテリアルのインプット・スループット・アウトプットだけでなく、情報共有や費用処理のための別のプロセスも縦横に流れていく。

例えば部品が入り加工し次工程に払い出すとき、それだけでなく伝票もしくは電子データで経理に情報を送るものもあるし、仕事の出来高とか勤怠の情報を人事に送ることもある。そうした帳票や情報処理のシステムも重層に重なり有機的に動いているわけだ。人体でいえば、神経系統もあるし循環系もあるしリンパ系もあるのと同じだ。

それは営業に限らない。検査を担当していても、検査手順書(仮)を基に仕事をすればよいのではなく、検査作業そのものにおいては検査手順書により行い、それに基づく検査記録を作り、ワーク(加工物)に添付されている帳票への記載(あるいはデータインプット)とか、使用する計測器の異常確認などもあるだろうし、日々の自分の出来高などの帳票(あるいはインプット)など複数の仕事を行う。このときそれぞれの仕事の方法などはそれぞれの規則/手順書に定められているはずだ。

営業の担当者Aが配属された新人に仕事を教えるには、それぞれの手順書を引っ張り出して、己に関するところを示すことになる。つまり自分の仕事は複数の手順書に分散している。
会社のサブシステムをジグソーパズルのピース1個とすると、会社全体は完成したジグソーパズルである。そして担当者は一つのピースの一部をしているのではなく、普通は複数のピースのそれぞれの一部分を処理している。

担当者Aの仕事

注:上図のジグソーパズルのピースが一つの会社規則/手順書を表すとして、担当者の仕事がその規定1本で間に合うわけはない。多くの業務を遂行するには複数の規定で定める処理を行うことになる。


新人に説明するまでもなく、営業担当者Aは日常仕事をするとき複数の会社規則を参照しなければならない。いやもちろん現実には仕事をしていれば自分が関わっている複数のプロセスを熟知しているだろう。更に会社規則の定めがあいまいなところ、あるいは情報の途絶などに気が付いていて、己の才覚で関係部門と調整して支障がないようにしているに違いない。

だがイレギュラーなことが起きれば規則集を引っ張り出して、処置手順を探して対応するだろう。そのときその事態を定めている規則はどれなのか分からないこともある。会社規則全体をしらみつぶしに探すこともある。

まあ、ひと時代前まではそういう方法しかなかっただろう。システムを表す方法があまりなかった。それはシステムを表現する手段が遅れていたからだ。


1995年にはWindows95が表れてインターネットが始まった。その発想を企業レベルで応用したイントラネットが普及したのが20世紀末だ。
私は1993年頃から工場規則を作ることを始めて、ハイパーリンクとかエクセルのソートなどを見て、システム文書の体系も表し方ももっと便利になるはずだ、しなければならないと思うようになった。

会社規則(イクイバレント)を社内に公開する方法もいろいろ変わった。もっとも昔からあるのは規則すべてをプリントアウトしてファイルしたものだ。どの会社にいっても規則の数は150ないし400くらいあり、大きめのパイプファイル2冊というところが相場だった。

イントラネットが構築されて種々の情報を共有しなければならない情報がアップされたが、最も早くアップされたのは会社規則(イクイバレント)だと思う。社外秘であるが秘匿性は低く、そして膨大であり、かつ働く人たちがどこでも見ることができなければならないという性質だから。

注:「社外秘」とは社内で共有できなければならず、社外に漏らしてはいけない文書や情報。

しかし私の知る限り9割は、紙の文書をpdfにしてイントラネットにアップしただけだ。残りもhtmlの形式にしてアップしたもの。
pdfとhtmlの違いはいろいろあるが、文書はpdfというのが通り相場のようだ。
pdfとhtmlを手順書としての効用で比較してみると、差はないも同然だ。
いずれも私の希望には程遠い。

担当者が仕事をするためとか、新人の教育資料と考えると、会社規則及びその下位文書をどのように扱うべきかが見えてくる。
それはプロセスに沿ってとか、サブシステムについてという区切りではなく、担当者の職務範囲について表示することができることが必要だ。
つまり担当者Aが指示された事務作業(データ処理と言ってもよい)だけを示す手順書であるべきだし、新人の教育資料は与えられた業務について解説するものであるべきだ。

営業担当者Aの職務の手順書を得る場合には、Aがしている業務を入れれば、それに関わる複数の会社規則からその業務に関するものを抽出してまとめた手順書が出来上がる。それはひとつのプロセスではなく、Aさんを経由している複数のプロセスのAさん担当のものが抽出されているはずだ。

この手順書は紙でも電子データでも良い。というか電子データで即創生されるなら、その後はどう利用しようとも構わない。
実際問題として、我々の思考の流れとかモニターの現状の限界を考えると、ハードコピーした方が良さそうに思う。

新人がAさんの仕事を引き継ぐにも、当初は6割だんだんと多くしていくなら、そのつど新人用の手順書は書き換わっていくことになる。
新人の持ち分は初め小さく、だんだんと大きくし一人前の範囲を担当するようになる。
その都度、手順書の守備範囲は大きくなっていく。

この場合、同じ仕事をする人はまずいないだろうから、個人の手順書はすべて異なり、その守備範囲はサブシステムの境界とかプロセスの区分けとは異なることになる。
みなユニーク(他と異なる)な手順書を持つわけだが、その元となるデータベースは同じだからそれぞれの担当者用手順書は矛盾することはない。全従業員の持つ手順書を合わせるとその境界は異なるが、元々の会社規則集全体すなわち会社のマネジメントシステムと一致するのは当然だ。

もちろんその個人用の手順書に品質用とか環境用などと区分があるわけはない。担当者が社内で守るべき事項、実施すべき事項に品質とか環境の区分があるはずがない。自分の責務を遂行すれば、必然的に環境も情報セキュリティも安全も実施責任が達せられることになる。

そんなこと、今までだってしていたぞ。それにそんなことは電子化もAIも関係ない。仕事をする人が主体的に、規則集から自分の関わる規則を調べ、自分がすることを抜き書きして自分用のマニュアルを作っていたものだ。
そんな反論を予想する。

確かにその通りだ。私自身も現場から品質保証に異動するまで、仕事で規則集を参照するなんてことはなかった。だから分からないこと、例えば勤怠の取扱いなら就業規則を引っ張り出し、新たな設備導入のときは規則集の目次から関係するようなタイトルの規則を読んで手続きを調べた。
そしてノートにそういったイベント(出来事・出会い)ごとに関係する規則と実施事項をまとめた。それが自分用のマニュアルだ。

だがそういう経験の積み重ね的な方法、そして実施責任を丸投げするのは会社としてまっとうなことではない。なつかしき銀田一先生 本来なら従業員がする仕事の手順書/マニュアル/指示書なりを与えて、その通りやれと命令するのが基本である。それをせずに成果を求めるのは会社の責任逃れである。
そういうことは私は常々書いている。そしてリアルでも現役時代はそうしていた。それに自分ができないことを命じるのはどうかと思う。
もちろん紙の時代は個人対応の手順書など作成に時間がかかり、本人に経験で身に着けてもらうというのも仕方がないこともある。だが今の時代、進歩したツールを使って経験不要とは言わないが、執行能力を急速に立ち上げる方法論を確立すべきだ。


かって手順書がハイパーリンク(html)で飛んでいける文書構造があるべき姿と言われたこともある。関連することを知りたいだけであるなら良いかもしれない。しかし各担当者が担う業務の関連を体系的に把握するには不適だろう。
そもそもWikipediaではたくさんのリンクがあるが、それは必要な情報を得るというよりも、登場する単語の解説止まりである。

手順書はまた製品の取扱説明書の末尾にある「困ったときには」とは「こんなときには」というコーナーのようなチュートリアルとかヘルプ機能だけではない。
手順書とは「○○をしろ」という情報だけでなく、「仕組みとその意図」を教えるものでなければならない。
だから現状の手順書を、単にハイパーリンクでつないでも得るところは少ない。


いや「従業員には手順さえ教えれば良いのだ」という考えがあるかもしれない。
現在多くの商店で採用しているPOSシステムのように、全体の流れを知らずともただバーコードを読み取り清算するだけでも仕事はクローズするかもしれない。
しかしそれだけで良いはずはない。自分の仕事の意義を知り、自分がそのプロセスひいては会社全体の改善に貢献できることを認識することが生きがいではないのか?(ISOMS規格 7.3)

言い方を変えれば、自分の眼前のモニターをみて、手順書に従いYES/NOの判断をするだけのオフィスワークが存在するはずがない。それで済むことなら人手不要だ。AI以前のシーケンス制御でまにあう。
人は創造的なことをするべきだし、企画だけでなく単純作業であっても創意工夫をするのが人間であり、その余地と同時にそのための手がかりも示さなければならない。


うそ800 本日の心残り

現役時代、法規制のデータベースを作り条件を設定して関係するものを抽出するというものを作ったことがある。だが会社規則をまるごとデータベースにして抽出するというのは恐れ多く考えもしなかった。
別にデータベースにするまでもなく、指定のホルダーのファイルを全文検索して抽出というなら簡単にできそうだ。時間はかかるだろうが、
そのときAIまでいかなくても進歩したツールでうまいことできないだろうか? 10年時間が戻ればいろいろとやってみたい。




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