不祥事その後

21.12.23

年末になると職場、同級生、親戚、スポーツクラブ、なにか縁があれば集まって忘年会をするのが半世紀前のスタンダードだった。当時は、何回忘年会に参加したかがステイタスだった。1回2回では社会人としてまだ半人前、数回参加が標準ライン、10回以上となるとお顔が広いですねと尊敬された。
当然、忘年会とその二次会・三次会と、かかるお金も莫大であった。先輩には年末のボーナスの半分飲んだなんて強者もいた。

お酒 世の中が豊かになりまた個人の自由が尊重されるつれ、忘年会に限らず半強制の集まりはどんどん減ってきた。引退した私など、もう忘年会なんて老人クラブしかありません。とはいえ定年後知り合った方とか元同僚で仲の良い方とは、ときどき会ってますから、別にボッチではないです。
もっとも2020年以降は新型コロナウイルス流行により、外で飲むことは自粛しています。
おっと、私は古い人間なので、オンライン飲み会というものは理解不能でしたことがありません。

ところでなぜ忘年会というのでしょうか?
ネットをググると、鎌倉時代に年末に「年忘れ」といって貴族や武士が集まり連歌を読む会をしたことが始まりだそうです。
江戸時代には庶民が「一年の苦労をねぎらう」ために、忘年会と称して酒を飲んだそうな。武士は新年会をしたが忘年会はなかったという。
明治になると官僚や学生が一年の締めくくりとして酒を飲むようになり、今に続く……いや20世紀末頃から古い人間のみが行う行事になったらしい。

私も1960年代末から21世紀初めまで半世紀近く、忘年会に参加してきた。お互い差しつ差されつ、この一年いろいろあったけど、いやなことは忘れましょうてな会話をするわけです。今年あったことを忘れる会だから忘年会というのでしょうね。


人は生きていると嫌な思いをすることも多い、自分が失敗したこともあるし、他人のせいで問題に巻き込まれることもある。一生懸命頑張ったのに願いが叶わないこともある。
年末にそれらをまとめて忘れてしまいたい、なかったことにしたいと思う気持ちはよく分かる。

ところで「過去を忘れた民族は滅びる」という言葉がある。トインビーが語ったとも言われるが定かではない。ともかく経験則として、これは正しいようだ。
言い換えると「経験を生かさない人間はろくなもんじゃない」ということになる。

人間は本能で生きているわけではない。生まれてから学んだことや、成功や失敗の経験を積んで成長する。失敗の経験を生かして、今後の人生で同じ失敗を避けなければならない。
品質保証ではそれを是正処置と言ったね。

「失敗の研究」とか「失敗の本質」「失敗学」「失敗学のすすめ」など、失敗を理論的に書いた本もあるし、「エイズ犯罪: 血友病患者の悲劇」とか「民主党政権失敗の検証: 日本政治は何を活かすか」「自民党 失敗の本質」のように具体的事例を考えたものもある。
えっ、「自民党 失敗の本質」って石破が書いたの じゃ読むまでない。

航空機事故 航空機事故では、過失を責めないから情報を提供させて改善を図るというルールがあるそうだ。
犠牲者の家族は事故の原因者を許したくないかもしれないが、大局的に考えれば過去の失敗/問題の原因を明らかにして共有し改善することは社会全体の利益だろう。

だが自分の身に問題が起きた時、原因をしっかりと究明し、対策を仕組みに取り入れた事例はあまり聞かない。
自分の失敗をよく反省しそれを生かすのは、非常につらいことだ。それは個人だけでない。企業でも国家でも、過去の失敗を振り返り対策を考えることは辛い。


世の中には忘れっぽいのか、忘れたふりをしているのか、やりっぱなし、ほったらかし、言いっぱなし、己の過去の発言や行動に頓着せずに生きている人々がいる。
それはISO認証制度にも見られる。

私はISO9001認証に携わったのは日本でも相当早いほうだ。それから自分が働く事業所だけでなくいくつものISO9001認証の指導をした後に、ISO14001の認証を指導するようになった。
ISO規格なんて当たり前のことを書いているだけで新規性はない。もしISO規格要求が革新的だなんて考えている人がいたら、それ以前からあるULとか電取法とかGMPなど知らないのだろう。

しかしISO審査は一筋縄ではなかった。レベルが高いからではない。審査員が低いレベルだったからだ。審査を受ける方は認証機関と審査員のユニークな誤解釈に振り回された。それはそれで大変だったが、ビジネスのために認証が必要だからと我慢したのである。

審査員のレベルが低いとは何を言う。おのれ、控えおろう、証拠を出せ、証拠なければ無礼討ちじゃ
審査員や認証機関がそう語ることを予想する。

まあ、落ち着きなさい。
なによりも規格の理解も怪しく、環境側面を点数で決めなくちゃだめだ、有益な側面がなくちゃだめだと語っていた。そしてそういう審査員がいたこと、そして彼らを放置していたのは誰だったのだろう?

10年前、アイソス社が認証機関に規格解釈についてアンケートしたことがある。当時私がそれをまとめてウェブにアップしたのが認証機関勝手格付けである。
その時作った表を再掲する。
表の中の正否判断は私がしたもので、判定が間違えているかもしれない。しかし認証機関によって正反対の回答があるわけで、一方が正解なら他方が不正解なのは間違いない。

認証機関アンケート結果

注:アイソス誌2010年1月号による。
おばQの判定で正解は「1」、不正解は「-1」、どうとも取れるものを「0」、「-」印は回答なし。

回答は認証機関名で提出されている。だから審査員個人でなく、認証機関として規格解釈が怪しいのだ。あれから早11年が過ぎた。表の中には今はなくなった認証機関も散見される。諸行無常である。
私も既に引退した。今でも知り合いから種々聞いているが、審査員の質は今もあまり変わらないという。

そのほか私は定期的に「有益な環境側面を要求する認証機関」を調べている。
こういった判定をする審査員たちが、不祥事を見つけることは可能なのだろうか?(反語である)


ISO審査での虚偽の説明なんてご存じだろうか? 知らないとおっしゃるなら駆け出しと言わせてもらいます。
2000年頃である、企業の不祥事というものが複数報道され社会問題になった。
辞書を引くと、不祥事とはめでたくないこと、不吉なこと。合法であっても嫌だと思えば不祥事らしい。要するに法違反とか倫理に反することを不祥事と呼ぶようです。

それ以降、現在に至るまで企業不祥事は報道されている。
具体的には次のようなことであった。

発生年業種内容
2000廃棄物処理ISO14001認証 不法投棄をした
2001電気機器製造ISO14001認証 地下水汚染が発覚
2001ガラス製造ISO14001認証 工場跡地で地下水汚染が発覚
2001家電リサイクル業ISO14001認証 フロンを大気放出
2002〜2003多数ISO認証企業で地下水汚染が発覚
2004自動車製造ISO9001認証 欠陥を隠していた
2004製鉄業ISO14001認証 水質データを改ざん
2006製鉄業ISO14001認証 煤煙データ改ざん
2007製紙業ISO14001認証 煤煙データ改ざん
2007製紙業 多数ISO14001 古紙配合比偽装

上の表を見て、なんでこれが不祥事かと思われるものもあることに気づいたでしょう。
地下水汚染というのは犯罪どころか過失でもありません。規制がないときは合法であり、何ら問題ない方法だったわけです。

しかしなんですね、昔合法だったことをしていて、後年法改正になり垂れ流しは禁止された。だが特段用途を変えることがなければ、汚染の除去をしなくても2000年時点は合法だった。そしてISO14001を認証してから汚染が見つかった。それがなんで不祥事なのでしょう?
危険物貯蔵所 こんなのは事後法でさえありません。単なる言いがかりです。
ご存じでしょうけど、消防法で避雷針の間隔など決めてありますが、法改正前に作られた危険物貯蔵所は改正前の基準が適用されます。
そういったものをとらえておかしいぞ、違法だぞと言ったら消防署に叱られますよ。
地下水汚染はそれと同じでないですかね……当時の法規制では。

汚染が分かっていれば認証しなかったという理屈はありません。だって法に反していないのです。
もちろん自分の組織の環境側面を把握していないという不適合かもしれないが、そもそも調査義務もないときに、審査員がそれを問題にできるわけがない。
これはなぜ不祥事なのか分からないISO七不思議のひとつです。


IBMは20世紀から、環境先進企業と言われてきた。環境報告書もいち早く発行し、その中に発生した犯罪や事故を支払った罰金の金額まで赤裸々に記載し、それが素晴らしいと評価されている。
だがその環境先進企業であるIBMでも、今なお毎年の報告書に事故や違反を記載しているのも事実である。
「あってはならない」と言うのは簡単だが、犯罪と事故を無くすことは不可能に近い。石川五右衛門が「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と辞世の句を詠んだように撲滅することは難しい。

犯罪全般に言えることだが、教育や刑罰によって犯行に至るのを抑制し、発生頻度を社会的に許容できる範囲に抑えることが人間にできる限界ではなかろうか。
殺人事件、交通事故などは不幸なことではある。だが絶対に発生させないためとして、自由の制限、プライバシー侵害、経済的非効率を許容するよりも、現実は関連する多様なことを考慮し妥協しているのが本当のところだろう。
事故や防災も同じだ。結局は費用対効果で線引きするしかない。

驚くことはない。製造の現場においてまだ解明されていないことか技術が確立していないものは、不良率を見込んで生産するなんて普通のことだ。


ともかくそのようなマスコミ報道の不祥事報道と、ISO認証が信頼できないということを反映して、行政サイドとして次の動きがあった。
なお、今も当時も一般消費者はISO認証の意味など理解しておらず、ISO認証についての社会的な動きがあったということは全くない。これは留意しておいてほしい。

ISO第三者認証制度はそういう行政サイドの動き(圧力)を受けて次のような広報をした。

上記アクションプランにおいては、信頼性向上のためのアクションプランとあって、不祥事発生によって信頼性が低下したとは書いてない。
つまりそれ以前から信頼性は十分であるが、更なる信頼性向上を図るという積極的な意味があったのだろう(タブン)

だが、過去幾たびも審査員向けの講演会などでJABは信頼性が低下していると語り、飯塚氏は審査員が節穴だからと発言している。


問題はその後がないということだ。
アクションプランの実施によって、効果があったのかないのか、いかなる改善が図られたのか、まったく分からない。
JAB広報のウェブサイトに、10年以上前のアクションプランの公表は今もあるが、それ以降にあるはずの結果報告は掲載されていない。


なおJABが毎年開催しているJABマネジメントシステムシンポジウムであるが、そこでは第三者認証の信頼性向上について、いや不祥事対策についてどのような議論をしているのだろうか?
不祥事が騒がれたのは2000〜2008年頃であった。2011年度以前はQMSは「JAB/ISO9001公開討論会」、EMSは「JAB環境ISO大会」と別れて開催されていた。
2008年度(2009年開催)から2010年度(2011年開催)では、それぞれテーマを認証の信頼性向上を考える風に舵を切ったようであった。

しかし2011年に東日本大震災が起きてまた一挙に大震災対応に切り替わった。そしてマネジメントシステムシンポジウムと一体化した2012年度以降は、東日本大震災による原発停止による電力不足を補うための省エネが優先し、その後は2015年規格改定対応一色となった。

やっと2018年度(2019年開催)で不祥事についての討論があった。

注:2020年度(2021年開催)のマネジメントシステムシンポジウムではテーマが不祥事ではなかった。

「不祥事事例に対する認証制度における対応方法の提言」である。
そして翌2019年度に 「ISO 9001:2015で不祥事を予防する 〜審査におけるアプローチと組織における対応〜」が報告されたが、ともかくこれだけのようだ。


ではその二度にわたる検討と提言はどうであったのだろう?
実を言って提言と書いてあるページは全く内容がない。そしてそこに至るページの内容も納得いかないというか、まったく無意味としか思えないものが何十ページも続くだけ。
だから結論を言えば企業において長年ISO認証と関わってきた者として、全く納得いかないものである。
そしてワーキンググループの報告の底に流れているのは、企業は嘘をつく、審査側は正義という思い込みである。納得いかないと怒るところだが、笑ってしまう。審査員とはそれほどに清く正しく有能であったのか?

審査員とは何者なのだろうか? 官でないことは間違いない。調査権もなければ告発する権限もない。もし彼らがそういった権限が欲しいというなら即座に認証制度の廃止運動をしたい。権力を持つならもっと勉強してほしいし、認証制度全体が税務署と同程度の客観性・公平性を確実にしなければならない。

「神が力なら愛ではなく、神が愛なら力を持たない」なんていう言い回しがあったように思う。
同じく「審査員が力を持つなら力量を持たねばならず、審査員が力量を持たないなら力を持ってはならない」というのは真理だろう。

こんなことを述べるのは2020年のパワーポイントを見ると、発表者は審査員/認証機関に強大な権限を付与したいと考えているように思えるからだ。


ともかくシンポジウムの内容はものすごい自意識過剰だ。俺たちは絶対に間違えない、悪いのは企業だというこの信念、感心するより呆れるしかない。
まず議論の前提に、認証の信頼性は企業の虚偽の説明にあるとしていることだ。そう言い切るなら、証拠を提示してほしい。証拠なく検察のつもりでアジを飛ばされても困るばかりだ。

報告では最近の不祥事事例として挙げている。

発生年業種不祥事内容
2018自動車製造完成品検査データ改ざん
2018化学工業顧客と契約した検査の未実施★★
2018素材製造検査データ改ざん
2017自動車製造無資格検査員による検査
2015素材製造検査データ改ざん
2016自動車製造基準通りでない検査の実施
2016素材製造検査データ改ざん

私はあったことをないとは言わない。それはISO審査で見つけたものではなく、また既に行政罰などの措置が取られている。
ならば企業が悪いという前に、審査で発見できなかったことを恥じるべきだろう。

もちろんその前に、ISO審査で嘘をつかれたときそれを見つける義務があるかないかの議論が必要だ。
だが義務があるとしても、後述するように企業が嘘をつかない義務はない。審査する側が嘘を見つける義務がある。
またISO審査で企業が嘘をついたとき見つける義務がないかもしれない……いや、私はそう考えているのだが……それなら堂々と「ISO審査は嘘を見つけることではない。違法や犯罪を見つけることではない」と明言すればよいのだ。
まっ、それはあとで考えよう。

「企業が悪いことをした、企業は悪いことをするな」と語るのはまあよしとしよう。しかし「企業は嘘をつくな」と語っているが、それを不思議に思わないだろうか?
まずこの論理がおかしい。裁判において、被告人に「嘘をつくな」と言うだろうか?

偽証罪というものがある。裁判で被告人が嘘をつく罪ではない。裁判で証人が嘘をつく罪である。被告人が嘘をついても偽証罪にならない。
おかしいって
おかしくない。裁判は、被告人の発言を重要視しないという前提である。信用できるのは物的証拠のみ。証言は証拠としては劣後なのである。
ではどうするか
裁判官は、証拠をしっかり調べ、真実を見つけようとする。それを証拠裁判主義という。

控えおろう 注:江戸時代は怪しい人物を捕まえたら、拷問して自白させ有罪にする時代劇が多い。
しかし江戸時代の研究者はそうではなかったと書いている。当時は証拠だけでは有罪にできず、自白が絶対必要だったとのこと。証拠がそろっても「あっしがやりました」と言わなければ有罪にできず、だからこそ逆に拷問が必要となったという。

ISO審査において虚偽の説明があると仮定するのはよしとしよう。しかしその対策として虚偽の説明をするなというのは支離滅裂なのである。
ではどうするか
裁判官と同様に、審査員が証拠をしっかり調べ真実を見つけるしかないというのが答えだ。
それができないなら審査員を辞める、認証機関を廃業するしかない。
異議ありますか


そして大事なことがある、ちょっと聞いてくれ。
認証件数何社中、何社で何件の不祥事があったのか?
何百件あったのか? 何十件あったのか? 何件あったのか?
いや、私はソドムを破壊させまいと、必死に条件交渉をしたアブラハム(注1)の真似をしているのではない。

JABの講演会で出てくる不祥事事例はいつも同じもののようだ。もっと他にないのか? 2019年のマネジメントシステムシンポジウムで取り上げた事例が2015年や2016年の事例をあげているのもおかしいだろう? そして2020年で取り上げている不祥事を起こした企業10社の内7社は、2019年のシンポジウムで取り上げた企業である。不祥事が大発生しているならサンプル不足ということはないだろう。

もうひとつ、不良であろうとクレームであろうと、発生件数も大事だが母数も大事だ。一体全体、不祥事発生率は何パーセントになるのだろう?
新型コロナウイルスが世界中で流行している。どの国が一番多いか、A国では〇人感染して〇人亡くなった、B国では……各国の感染者数や死者数を単に比較することはできない。人口で割らなければ比較できない。

不祥事件数をなぜ母数で割らないのだろう?
母数は何がいいのかは用途次第だろう。認証企業と非認証企業の比較なら、片方は認証件数他方は企業数マイナス認証企業になるのかな? 正直言ってこれは要検討だ。
母数が分からない?……そんな悲しいことを言ってくれるな。優秀な人たちばかりなのだから、私を納得させる指標くらい朝飯前だろう。

不祥事が多発しているというなら、認証企業何社の内、何社において何件発見したのか、非認証組織との認証の有無の差、そういうものをはっきりと定量的に示してほしい。
卑しくも君たちは品質保証の世界で生きているのだろう?
そしてそれがどのように推移して増加しているのかというのを見せてほしい。そういうデータをしっかりとって、過去20年間の推移を眺めれば自然と解法が見つかるものです。

そんなデータも示さず……まさかデータを取ってないことはないよね……不祥事が大問題だと言われても、私には重大性が分からない。
話はそれからだ。


次に発生頻度が低ければ、そもそも抜取検査には向かないことを思い出してほしい。
そしてISO審査は抜き取りであり見逃しがあることを容認している。

ISO規格では見逃しを容認している ISO17021-1:2015「適合性評価-マネジメントシステムの審査及び認証を行う機関に対する要求事項」
4.4 責任
4.4.2項の注記
いかなる審査も、組織のマネジメントシステムからのサンプリングに基づいているため、要求事項に100%適合していることを保証するものではない。

もっともこれについて私は大いに疑問がある。
ISO審査は抜き取りであることはよい、見逃しが一定割合で混入することも分かる。
だが抜取検査ではAQLを取り決め、更に混入した不良品の扱いも決める。当然AQLはコストと密接に関わっている。

ではISO審査の危険率は何パーセントなのだろう? ISO17021や審査契約書ではAQLはいくらに決めているのか? 私は知らない。たぶん決めてないのだろう。
通常の商取引でAQLを決めずに契約するバカはいない。知らずに審査契約を結んでいる認証機関はバカなの?

審査では品質管理とか品質保証の専門家だと語る審査員はたくさんいるが、審査の生産者危険/消費者危険について語った人に会ったことがない。

どうしてだろう


それともう一つ思い出してほしい。
ISOMS認証とは文字通りマネジメントシステムの認証なのだ。誰も品質やパフォーマンスを保証してくれとは言ってない。
それとISO14001においては、審査は遵法確認ではないと明言している。法律の見逃しを問題視する人がいるなら、ISO認証は遵法確認ではないと言えばよい。

ISO規格では遵守の審査でないと明言している ISO17021-1:2015「適合性評価-マネジメントシステムの審査及び認証を行う機関に対する要求事項」
9.2審査の計画作成
9.3.1.2項の注記
マネジメントシステムの審査は、法令順守の審査ではない。

それとも今はISOMS第三者認証は成長して製品/サービスの品質の審査をできるまでになったのか!
それはすばらしいことだ。
企業の不祥事まで見つけてくれるとなると、行政(警察や消防署、公害担当部署)も大いに助かることだろう。
勘違いしないように、これは皮肉だよ。

でも法規制にかかわるようになると注意してほしい。弁護士法とか税理士法とかいろいろ関わる。
下手すると手が後ろに………
ましてや騒音規制法と振動規制法の内容を勘違いしているようなレベルでは(以下略)


VW社のディーゼルエンジン排ガス欺瞞などが問題になっているとシンポジウムで語られている。
法的な権限をおいておいても、そんなことがISO審査とかで見つかるはずがない。それを検出するのは行政の立ち入りとか、取締役会の監査委員会の役割だろう。
それもISOMS審査で見つけるのだ!というなら、もう第三者認証制度は身の程知らずの誇大妄想としか言いようがない。

いや、君ならできる。ISO審査は乗っ取りも防衛するだろうし、経営立て直しもできる。新型コロナウイルス流行でダメージを受けた企業の再生もやってくれるはずだ。と松岡修造は言うだろう。
だが、それは簡単ではない。やろうとするならISO審査員レベルでなく専門技術者と会計士や弁護士からなる、大規模な審査団が必要になるだろう。
その場合の審査工数も人件費もとんでもないことになり、審査費用は現行より一桁アップすることは間違いない。そうであっても見逃しはゼロではないだろう。


審査が厳しいとは、審査が大いにレベルアップすることでもある。真に意味のある審査をしてもらえるならそれは大いに結構である。
規格に書いてないバーチャルというか脳内の要求事項を振り回す審査員が一掃されるなら大いに歓迎したい。
そんな審査員はいないと言ってくれるな、10年前にアイソス社が行った認証機関への規格解釈アンケートについては前述した
あればかりでなくユニークな規格解釈をする審査員は、履いて捨てるほどいた。今でも有益な環境側面を語る審査員をみかける。ああいった審査員は登録更新はされないよね?

そこまでいかなくても審査員のレベルが上がるのはよいことだ。主語述語が合わない審査所見報告書には、お金を払いたくない。審査員のレベルアップが図られればもう拝見することはなくなるだろう。ありがたい。
もちろんおかしな審査員が派遣されてきたときは、即座に交代を要求でき、それにかかわる費用は派遣元負担でよろしいね。

そういえば、審査員認証機関は登録時、更新時の合否状況を公開してほしい。審査で消防法に違反しているといわれ、消防署から全く問題ないとお墨付きをもらってきても、消防署より私が正しいと騙るような方は更新拒否してもらわないと存在意義がない。

他人に厳しい人は己にも厳しいはずだ。
認証制度側も企業側も切磋琢磨していきたいと思う。


私はなぜこのことを声を大にして語っているのか?
それは虚偽の説明とか企業が嘘をつくと濡れ衣を着せられたからである。もちろん私個人が名指しで言われたわけではない。
しかし多くの企業においてISO審査において虚偽の説明をしているといわれたことは、私もその一員として非難・糾弾されたものと理解する。
ならば汚名を返上するだけでなく、濡れ衣を着せた者の責任を明らかにして反訴しなければならない。


うそ800 本日のお願い

アクションプランが出されて早10年、その成果が公表されたとは聞かない。JABのウェブサイトの広報ページにはアクションプランの公表はあるが、結果報告はない。
前述のマネジメントシステムシンポジウムは昨年と一昨年のことであった。あれから何か進展があったのだろうか?
ISOMS審査で厳しく企業の虚偽の説明を見つけると語るなら、その前に過去の宿題はしっかりと果たせといいたい。できないならMS認証なんていうビジネスをする資格がない。

おっと忘れてはいけない。節穴審査員という種類の生物がいたらしい。2010年に飯塚教授から発見報告があったが、その後の報告は聞かない。節穴審査員はどこに行ったのか? 絶滅したなら絶滅したと報告があってもよいのだが? 続報を期待する。

審査で嘘をつく企業は増えたのか、減ったのか? 数字で示せ。
そういったすべてに、あなたたちの大好きな説明責任があるよ、
透明性のある説明、それの是正処置がない限り、ISO認証制度は信用できません。




注1
創世記第19章第28節
乱れきったソドムの街を滅ぼそうとする神の使いを止めようとして、アブラハムはソドムの街に善人が50人いれば滅ぼすのを止めてほしいと願い、神の使いがそれを了解すると、次に40人ならどうか、30人ならと言い募り、10人いれば滅ぼすのをやめてもらう言質を取った。
しかし結局ソドムには善人が10人もおらず、神の怒りを受けて滅ばされた。




外資社員様からお便りを頂きました(2021.12.24)
おばQさま あいかわらずの快刀乱麻の記事で頼もしいです。
記事を読んで思うのは「ISO審査」の範囲を明確にして,その審査範囲外で何が起ころうが検出不可能という当たり前のことを明確に出来ていないのだろうという点です。
すでにお書きになっているように,検出不能な領域(つまり「不祥事」に無関係)な部分はISO認証では対応できないと当たり前のことを言えないのが問題,本気でそう思わないならそれが更に大きな問題だと思います。

なぜこれが気になるかといえば,お書きの認証機関格付け表で,緑の会社と私も付き合っていますが,そこの審査員が「パワハラへの対応が不十分だから不適合」と言い出したので,「アレレ?」と不思議に思いました。
こちらも手順に乗っ取り意見書で「不適合に審査範囲でないことを取り上げてよいのか」と確認して結局 不適合では無いと認められました。
そこで疑念に思ったのは審査員が「審査範囲を広げてしまう」背景です。
その理由は,記事でご紹介頂いた「「ISO 9001:2015で不祥事を予防する 〜審査におけるアプローチと組織における対応」で良く分りました。
p5にはしっかりと「不祥事」の定義が明示されており「QMSにかかわる故意の不正行為により不祥事」と限定されております。
ところがp18ぐらいから「不祥事がおこりやすい組織へのアプローチ」という予防対策にかわっております。
そしてp23から「監査が機能していない」辺りから盛り上がっております。
そして具体的対応としてp32−33では「コンプライアンスへのアプローチ」と格調高いのですが,審査範囲もいつのまにか「拡張」しております。

組織へのアプローチも結構ですし,提言や参考意見ならば,何を指摘されようが喜んで伺います。
でもねぇ,審査範囲を企業コンプライアンスまで拡張して,そこで不備があれば「不適合だぁ」というのは行き過ぎでしょうね。
私がお話した審査員の方は,とても真面目で経験もある方です。それなのに何故という疑問が,お陰で明確になりました。
業界のシンポジウムで,こういう方向と指導が出れば,当然に審査範囲が拡張するのだろうと思います。
でも審査範囲を拡張すれば,当然に責任も拡大する。審査の正確性を考えれば,それは良い結果にはなりません。
だからこそ,おばQ様が指摘される不祥事の発生率,分母も含めた管理も重要だと思います。そうすれば審査範囲外での「不祥事の発生率」がISO審査と無関係なことも定量的にわかる気がします。
いづれにせよ「認証審査が不祥事防止の役に立つ」という達成困難な目標を立てた時点で無理なのでしょうね。

外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。
おっしゃることまさに正論ですし真理です。とはいえそれにはそれなりの流れがあったと思います。
ISO9001の認証が始まったのは1992年頃から。もちろん審査を受ける企業は欧州に輸出するためのパスポートと考えて受けたわけです。しかしそんな会社はせいぜいが数千社だったでしょう。数千といっても審査会社10社で分け合うとすると、ひとつの審査会社の割り当ては数百社、1社120万として1億2千万、個人企業ならともかくビジネスとしてはどうしようもありません。まして参入障壁が非常に低い業種ですから、最盛期は60社以上の認証機関がありました。
じゃあ、どうするか? 必要ない人に売りつけるしかないじゃないですか。認証機関は「ISO9001認証は優良企業の証」といいました。それもどうかと思いますが、やがて「受動的認証から能動的認証へ」なんて認証を商取引でなく企業をよくするために使えと言い出した。更に「ISO9001を認証すれば優良企業になれる」と言いました。それは行きすぎどころでなく詐欺でしょう。
ISO14001の売り文句は「環境は儲かる」とか「経営の規格である」でした。
でも当時はバブル崩壊まっさかり、経営に自信を無くした企業は藁にも縋る思いで認証を受けたんじゃないでしょうか。でもどう考えても使い道のない認証をあの不景気のさなかに大金を払ってチャレンジする意味がありません。
ともかく認証件数は倍々ゲームで伸びた。でもすぐにボロが出ました。「認証したけど品質が上がらない」「ISO9001で良くなったのは文書管理だけ、ISO14001で良くなったのはごみの分別だけ」なんて揶揄でなく真面目に言われました。
元々ISO9001は品質を保証しないし(品質を保証することと品質保証は違う)、ISO14001は無事故・無違反を保証しません。認証制度側(コンサルとか出版社も含めて)がISO認証をとても素晴らしい効果があると売り込んだものの馬脚を現したにすぎません。それは誇大広告をした時点で見えていたわけです。
そんな状況で主婦連とかが騒ぎ、経産省も本来と筋が違うんじゃないかと思っただろうけど、認証企業と不祥事が結びつけられた以上は、なんとかせいと認証制度に投げつけたという流れだと理解しています。
そのとき「ISO9001は品質を見てません、ISO14001は遵法を見てません」と正直に言えばよいのに、過去に誇大広告を打ったものだから、なんとか辻褄を合わせてごまかそうとしたというところでしょう。そしてそのごまかしを延々と20年くらい続けているのでしょう。
私は認証制度側の自縄自縛、自業自得だと思います。認証した企業はスケープゴートにされたようなものです。もちろん審査員も節穴審査員などと言われました。絶対に悪くないのは認定機関のようです。
認証企業の方は大人ですから、認証制度側の語ることを聞き流したと思っています。だけど私は20年審査を受ける中でも間違えた規格解釈や、強請集りにもまれてきましたから、笑ってすますことはできません。
早いところ、認証制度が悪かったと謝れば良いのにとしか思えません。
そうしていただければ私はISOと縁を切って楽しいことをしようと思います。
その日は来るでしょうか?


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