フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を書いたのは1992年だった。ソ連が崩壊したのは1991年、これからは世界はいろいろな事件、戦争、変動はあってもイデオロギー対立とか冷戦という状況はないだろうという思い、それを歴史の終わりと呼んだのだ。
私もフランシス・フクヤマと同じ思いだった。そう考えたというより、そう願った。毎日、核ミサイルが飛んでくるのではないかとビクビクしながらの生活はしたくないから。
しかし現実はそんなに甘くはなく、米ソ巨大国家同士の対立はなくなっても、武器の進歩、社会の複雑化によってテロも大量殺人も大量破壊も容易になり、WTC連続テロ、北朝鮮の駄々こね、欧州における移民問題や中東でのテロ活動など歴史は終わらない。
そして今は、遅れてきた帝国主義者 中華人民共和国が、世界征服を目指している。
と格調高く始まったが、この文はまったく格調高い話ではない。ISO第三者認証制度ももはや閉塞状況が20年も続いている。世界的に認証件数は伸び悩み、認証先進国()である日本ではもう認証件数の減少が15年以上続いて末期症状である。
注:グラフの黒い縦線は、認証件数のまとめ方に変更があった。
私もISO第三者認証に新しい情報や出来事がないと書くことがない。解釈なんてのは1回書けば終わり。買い手市場となった今、審査員が暴言を吐くこともなく、認証機関が好き勝手出来るわけもなく、必然的にトラブルも発生しない。
もっとも古い仲間から、最近は審査員が何も言わないので来てもらった甲斐がないという逆の苦情もある。昔は言いたい放題、お土産要求なんかで泣かされたもんだ。
ということで「うそ800」を20年も紡いできたおばQであるが、もうISO認証について語ることがないと認めざるをえない。とはいえまだISO第三者認証はグダグダ続くだろうから、気が付いたときにいろいろご意見を申し上げるためにもこのサイトを維持したい。
それで当面ISO認証に関わることを止め、その周辺について書いていこうと思うに至った。
というわけでまずは教育関連について書きたいと思う。
教育なんてお前知っているのかと疑問が呈されるのは重々承知。まして私は教育について学んだこともなく教えられたこともない。でも一応部下が200名以上持っていたこともあるし、管理職は教師であると自認していた。そんなことで自分の経験をもとに言いたい放題を書いていきたいと思う。
とりあえず教育のスタートは目的というテーマでいってみよう。
私は定年後嘱託になって働いたが正社員よりは暇である。それで大学院に通ったが、嘱託が終わる数か月前にめでたく修士の学位をいただき退院した。だから退職した時は本当に何もすることがない状態である。
注:大学院に入るのは入院、修了を退院というと聞いた。
私は退職してからもゴロゴロしているのも性に合わないと、結構習い事をしようと考えた。正直言って私の考えよりも家内が家にいられると困るという。
習い事なんて言うと笑われるかもしれない。なにせお金のかかることはできない。退職時に私が興味を持ったのは、まずは泳げるようになろうというのが一番であった。もちろんそれだけでなく現役時代から興味を持っていた古事記、邪馬台国について勉強したいと思っていた。それから福島の田舎から引っ越して習志野市、船橋市、千葉市、市川市とグルグル引っ越しをしたが、まさかそこに住み着くとは思いもしなかった。退職する1年半くらい前に本籍も移したので、終の棲家になる地域について一応の知識を身に着けようという気持ちもあった。
まあ、退職時に学びたいと思ったことはそんなことだ。
もちろんやりたい、やろうと考えてもすぐにスタートできるわけではない。どこで教えているのか、費用とか能力的に参加できるのかの調査もいる。
というわけで退職してすぐに住まいの近くの……と言っても電車で二駅とか三駅乗るのだが……フィットネスクラブを巡り歩いて、スイミングスクールの様子とか会費などを聞いた。
スイミングスクールに入ったとき、コーチと話し合いはまったくなかった。どんな泳法を習いたいのか、どの程度になりたいのかなどの打合せ、相手の希望確認などまったくない。
習い事というか教育研修というのはサービスの典型であるが、供給者は顧客の希望を確認しないとはなんたることだ!
まあ、ここで考えなかった私も悪い。
古事記の勉強はいろいろ探して某市にある古事記研究会に入った。そこでは毎月、引退した大学の先生の講義を聞いて質疑応答したりして、お互いの研鑽を深めるというか、まあ穏やかに楽しくやっていた。
古事記を学ぶといっても、まず古事記をどう受け止めるかというのがある。
古事記が事実を書いた歴史書と思っている人はいないだろう。大和朝廷が全国……といっても古墳時代では東は関東から西は北九州くらいではないだろうか。ともかくその範囲を平定したけれど立派な国史なんてものはない。というか野蛮な原始国家だろうから、国の制度も明確でないし、法規制も怪しい。そんな国が中国との付き合いを深めようとすれば、それなりに国の形をまとめなければならなくなったからだろう。
だから中国に劣らないように古い歴史を持つようにしたし、過去からの言い伝えのジグソーパズルを何とか組み合わせて、高天の原から現世までをつないだのだろう。それは大多数が同意されるだろうが、細かいことは百論あるわけだ。
研究会といっても、メンバーは多様だ。古事記を文学として理解しようという人もいたし、天武天皇の正当性を裏書きするためとか、言い伝えの集大成とか、いろいろ見解があった。研究会のメンバーには私のような初心者もいたが、中には古事記の解釈本を自費出版した人もいた。
講義は毎回2時間、文字数にして200文字も進めば良いほうだ。古事記の上つ巻から下つ巻の推古天皇まで53,939文字を講義が一回りするのに何年もかかる。私は2年ほど参加したが、古事記の2割も解説を聞いてない。でももうたくさんだと思って研究会をやめた。
なぜやめたかといえば、講義があまりにも薄くて時間も会費ももったいない。そして講義を聞かずとも、ただひたすら読めばよいのではないかと思った。
そして古事記を研究している学者にもいろいろあり、一人の学者のお話を聞くよりもいろいろな見解について聞いたり読んだりすればよいと考えたということだ。
注:古事記全文を数えた。といっても指折り数えたわけではなく、Wordが数えてくれた。
今回は私が退職時に学ぼうとしたことを挙げただけだが、いずれも満足したとか、期待した上達が得られたとは言えない。
次回は以降どのようにすればよかったのか、学ぶほう教えるほうともに満足できたのかを考える。
本日は始まり始まり
私が言いたいことは、教育というサービスを提供するとき、あるいは発注するとき、どのようにすれば双方が意思疎通ができ不満を少なくできるだろうかということだ。
本日はその2%くらいです。
今回で投げないで次回をお待ちください。
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おばQさま 私のような物臭太郎から見ると,おばQさまの学び続ける姿勢は感服するしかありません。 市川船橋戦争 旧幕軍と新政府軍の戦いの一つとしか知りませんでしたが,地元を知っている人から聞くと格別ですね。 房総には古い家並が多いですが,船橋宿に古い建物が無いのはこの戦争で焼けたのですね。 地勢で考えれば,船橋はまさに交通の要地です。 東に向かう木下街道(県道59号),北北西へ向かう船取線(県道8号),西に向かう現在の京葉道と,西南西に向かう現在の湾岸道(旧千葉街道に水戸街道)。 これらは江戸末からの街道に沿ったもの。 現在でも道路の要地でもあり,鉄道では京葉線,総武線,野田線,京成本線,東葉高速線、少し離れて武蔵野線,新京成と,これだけ鉄道があるのですね。 成田空港へ行くときに,さまざまな鉄道との交差が見られるのも特別なのです。 自動車専用道路では第三環状線C3も出来ました。 チーバ君の口元,恐るべし。 |
外資社員様 いつもご指導ありがとうございます。 生まれ育ったところは自然と歴史を学びます。坂上田村麻呂などは社会の教科書では英雄でしたが、福島県では悪逆非道な敵の将軍でしたし、鶴ヶ城は郷土の誇り、官軍は賊軍! 千葉に来て、ヤマトタケルも勉強しましたし、袖ヶ浦が二つある理由も学びました。市川船橋戦争なんて初めて知りました。一応戦死者のお墓にも線香あげに行ったことがあります。 チーバ君を考えた人はすごいと思いますが、群馬県は鶴と自称しています。私は神奈川県は尻尾を立てたネコ、茨城県は左に45度回転すると男性の上半身、栃木県は左に45度回転すると右を向いた女性の頭部、東京都は右に60度回すと左を向いたモアイ像🗿 に思います。埼玉県はいろいろ考えているのですがアイデアがありません。 |