前回は私が退職後にやってみたいと考えたことを羅列して、実際にした行動を書いた。今考えるとそれが適切な判断/行動であったか疑問があるどころか、後悔していることは多い。ではどうすればよかったのか、今回はそれを述べる。いやその前段である。完結まで10巻くらい続く予定である。
前回いくつも例を挙げたが、まず水泳について考えよう。
私は全然泳げなかったから、泳げるようになりたいというのはかねてからの望みであった。
そして近隣のフィットネスクラブを複数歩き回り、まずは成人のスイミングスクールがあるのかどうかを聞いた。子供のスイミングスクールはどこにでもあるが、成人向けとなると開設しているところはあまりない。しかしそういう聞き歩きは今になると大いに詰めが甘いというか、スタートから誤っていたと思う。
ひとつに自分の望みをもっと考えて具体化、明確化しておかなければならない。そもそも泳げるとはどんなことだろう。普通の人が泳げるというと、どんなイメージだろう?
英会話教室でカナダの先生が「日本で泳げるというからどれくらいかと聞くと25mだったよhahaha」なんて言っていた。彼が思う泳げるは、疲れ果てるまで泳いでいることだそうだ。カナダの森の中の誰もいない湖で泳ぐには、それくらいでないとダメなのかもしれない。
彼のいうのは極端としても、25mプールをなんとか泳ぐくらいでは泳げるとは言えないと思う。
「泳げる」と言える基準があるのかとググったが、特段これを満たすべしというものはないようだ。小学校教員の採用時の実技試験では25mを泳法自由で泳げることとあるが、これで泳げるといえるかどうか? 日本赤十字社の基準はかなり厳しいが、これはライフガードとか救助に当たる人の要件らしい
泳ぎを習おうとしたとき、私がイメージしたのはどんなことだったか。
高校時代は全国大会にも出たと語っていた元同僚が、定年前に「もう小学生にも勝てない」という。ましてやこれから泳ぎを覚えようという63歳の私が、オリンピックに出るはずがないし、それどころかこれからいくら精進しても、マスターズに参加することさえ叶わないだろう。
ちなみにフィットネスクラブでは、25mプール片道30秒以内と以上でコースを分けているところが多い。高齢者は30秒切れば速いほうとみなされる。もちろん競技では入学前の幼児でも30秒を切るし、小学6年で14秒、中学なら12秒と段違いだ。
私だって1往復だけなら1分(25mを30秒)を切るが、20往復なら23〜25分(25mを36秒)である。
スイミングスクールといってもフィットネスクラブによって違うが、私が最初入ったところでは、生徒4〜6名くらいを一人のコーチが教えるものだった。生徒のレベルが同じならよいが、実際はバラバラだ。水に入ったこともない人から少しは泳げる人までいる。しかも初心者コースの生徒は、出入りが多く増えたり減ったりした。私が入って1年後、スタート時のメンバーは私ともう一人の女性だけだった。
これじゃ指導は大変だと思ったが、コーチは生徒のバラツキやメンバーが変わっても、そんなことを気にしなかった。
そして当時は思いもしなかったが今となると大きな疑問/不満は、カリキュラムというか計画というべきか初心者コースの内容について何も教えてもらっていない。
今イメージしているものは、
1年後に生徒が到達するレベル
どういう順序で教えていくのか
何ができるようになれば次に進むのか
毎回のレッスンの他に生徒はどんな練習をするのか
レッスンを始める前にコーチはそういうことを説明するべきではないだろうか。更に言えば、生徒各人の希望を聞いて、それに合わせて教えるべきだろう。個人でなく複数相手でそこまでできないとしても、レッスン以外になにをしろとかアドバイスをすべきではないのか? ISO的には書面で示すべきだろう。
業界によって常識が異なることもあるだろう。しかしどんな商取引においても上記のような<仕様>を決めずに契約することなどありえないだろう。
機械を買うとき納期も取説も導入時の設置も決めずに金を払う人はいないはず。
レッスン第1回はそういった事前打ち合わせも予定説明もなく、「ハーイ、じゃあ始めましょう」と言って皆一様に水に頭を沈めることから始めてけ伸びを教えるだけ。
生徒は言われたことを左右の仲間を見ながらやってみるだけ。速やかな上達が期待できるはずがない。
スイミングスクールと称するもののほかに、個人レッスンというのがある。そこでは生徒一人がコーチを独り占めして教えてもらうわけだ。もちろん時間当たり授業料はその分高い。フィットネスクラブによっては面白いことに、コーチの写真とコーチの現役時代の成績などが書いて貼ってあり、過去の記録によってコーチ代が違うのだ。それから選んでご指名とはどこかのお店のようだ。国体〇位とか自己最高〇秒と、指導力はリンクしているとは思えない。よく言われるだろう、名選手名コーチにあらずって、
ともかく個人レッスンなら生徒が望む通り教えてもらえるのかとなると、そうではない。自分は平泳ぎもどきでいいですと言っても、コーチの多くは競技選手を育てるような基本から教える。基本から教えるのはよいが、基本通りしか教えない。
だが成人の初心者の多くは定年退職者で高齢であるわけで、10代のように体が動くわけでもなく体力があるわけでもない。
本人の希望が「平泳ぎに見える泳ぎ」であるなら、競泳のルールを教えたりそれに抵触する動きをダメだとする意味もないと思う。端的に言ってうつ伏せで左右対称の動きで泳げるなら平泳ぎといっても良いのではないだろうか。キックした足がバタつくとルール違反で失格になるなんて、そもそも競技に出ないのだから平泳ぎのルールを守るのにどんな意味があるのか
ではなぜ平泳ぎを習いたいと言ったのか?
そう希望した人に聞いたことがある。その人はみんなで遊ぶとき泳ぎながら周囲を見回したり話をしたりしたいという目的で、それを実現するには平泳ぎだと思ったということだ。
私にはわからないが、コーチならそういう人のためにはどういう泳ぎ方が適しているのか、どう指導すればよいのかを理解しているはずだ。そうでなければ最初の段階で「あなたの指導は受けられません」というべきなのだ。
細かいこともあるが、レッスン開始前にすべきことで不足していたのは、コーチと生徒間での希望の確認とそれに対応できるか否かのコミュニケーション、レッスン計画の説明、レッスン外に練習すべきことなどがあるだろう。もちろん、費用や期間などの制約があるから、すべてを満たせとは言わない。生徒によって習熟が早い遅いはあるのは当然だが、目標を与えられなければ張り合いがない。
ともかくどういう計画でレッスンが進んでいくのか理解すること、そして1年後に予定・計画を振り返って成果を把握できる形にしておかなければ不満が残る。いやそもそも教育というサービスをビジネスにしている者として失格ではなかろうか。
次に古事記と邪馬台国の勉強を考えてみる。
なぜ古事記について習おうと思ったのか?
今は知らないが、60年前の小学校の国語教科書に、海幸山幸とか大黒様と白兎なんてお話が載っていた。私は家庭でそんな話を聞いたことがなく、初めて聞くお話にワクワクしたものだ。
高校のとき古事記に詳しい同級生がいた。彼が言うには海幸山幸も大黒様も古事記の中にあるお話
もっともその感動はそれっきりで忘れてしまった。
私が社会人になった1970年代から1980年頃にかけて、なぜか邪馬台国ブームがあった。松本清張が邪馬台国の本を書いたのもこの時期だったと思う。推理作家がお門違いな本を書いたものだと当時の私は思った。
日本人はなんでも盛り上がるのが好きなようで、どうでもいいようなことでいろいろなブームがあった。ツチノコとかルービックキューブとか、きんさん・ぎんさんとか、最近はタマちゃんとかポケモンGOとか。
当時の邪馬台国ブームでは、何かで人に会うと必ず話題になるという感じだった。話を合わせるにも一通りの知識がいるのでそんな本を読んだ覚えがある。
退職するとき相前後してやめる人が社内に数人いた。そんな人に会うたび、引退後の暮らしの話になった。皆定年になってから嘱託をしていたわけで、更に働くという人はいなかった。農家だから家の仕事をするという人もいたが、ほとんどがサラリーマン世帯なので、仕事はしないでフィットネスクラブと習い事という二本立てが多かった。
そして習い事のトップは、講演会聞き歩きとか邪馬台国が多かった。それを聞いて昔を思い出し私も古事記や邪馬台国の勉強をしようかと思った。
家内にそんなことを言うと、家内のクラブ仲間の夫たちはほとんど引退していて、その中に古事記や邪馬台国に凝っている人が何人かいるという。定年後の趣味で邪馬台国と古事記はメジャーなものらしい。
しかし趣味全般からみれば古事記も邪馬台国もマイナーである。習うにしても勉強するにしてもどんな方法があるのかと家内に聞いた。するとどこの町にもそれらの勉強会があるので、まずはそこに入会して初歩というか概要を把握してから考えたらよいという。
「古事記+勉強会」でググると、なるほどいくつかヒットした。キーワードを工夫して場所や時期などが都合の良いものを探した。
その結果、邪馬台国は「邪馬台国の会」の講演会を毎回聞くことにした。会員は初心者からプロまでいるし、そのときの演題はさまざまであるが、講演会で出会った人に聞けば初心者なりに楽しむ方法もあるだろうと思った。
最初のうちは講演を聞くと知らなかったということばかりだ。当たり前と言えば当たり前だ。しかし何度も聞くうちに状況が分かってきた。邪馬台国というものは魏志倭人伝の記述を根拠としていて、それ以外ない。だから出典は徹底的に調べられており、現代では細かいことを突っつきまわしているということだ。演題も枝葉末節の細かいことばかり。1年も聞くと初心者が聞いて面白いこともなくなった。更に2020年以降は新型コロナウイルス流行で休演である。
古事記のほうは市主催の老人大学で知り合った方の紹介で、少し離れた市の勉強会に入った。こちらも初心者への解説とか指導的なものはなにもない。毎回引退した大学の先生が古事記の一節を解説する。古事記の記述ってあいまいというわけではないが、古事記が書かれた時代の知識・常識をもとにしている。だから当時の常識や価値観がわからないと理解できない。そんなところを補強して話すのでなるほどと思うことが多かった。
とはいえ、1年半も聞いていると、わざわざ解説を聞かずともこんなことが背景にあるのだなということが想像つくようになる。となるとそれ以上講演を聞く必要はないといったら言い過ぎだろうか。
古事記と邪馬台国をスイミングと比較するとどうだろうか?
古事記と邪馬台国は講演とか講義という形態であり、受講者特に個人に合わせてという注文ができないのは当然だ。講演は、受講者に選択の余地が少ない保険の附従契約
その反面、当然ながら個人あるいは少人数のレッスンよりはサービス提供の料金は低廉である。
しかしそういう形態でないスイミングスクールで、生徒が希望を言えない、希望しても受け入れてくれないというのは付従契約と同じではないか?
講演会ではないのだから、この泳法を習いたい、どの程度までになりたいという受講者の意見に対応するのは当然ではないか。
ところでネットをさまよっていて面白いものを見つけた。
日本の水泳教室は、タイムよりカタチだった。
さて、本日のまとめである。
本日は学ぶ前に自分がクリアにしておくべきこと、そして自分の希望について供給者(コーチなど)と教育内容について確認(review)すべきことであった。
注:ボートが転覆したときのためとなると、競技よりやさしいということではない。それには着衣水泳というカテゴリーがあり、普通の水泳とはまったく別個のスキルとみなされている。普通のフィットネスクラブでは教えていない。
なお今までは習い事という範疇で例を挙げてきた。現実には企業での新入社員教育、異動者の教育、学校での教育などがある。
企業や学校では到達点は受講者の希望で決まるものではない。企業なら職務を執行できるレベルが到達点であるし、学校なら学習指導要領に定めてあるところが到達点で変えようがない。
だがいかなる教育においても、到達点を確認し明示することは必要である。
企業における教育は、顧客が受講生ではなく教育を依頼する企業である。企業が想定するレベルや方法に応える必要がある。
サービスの供給者は顧客要求を理解し、それが提供できるか否かを吟味し対応しなければならない。大事なことは顧客の要求に対応できないなら、できないことを回答しなければならない。
交渉しても変更できない場合でもコミュニケーションをとることは重要だ。
この図はだいぶ前にISO認証準備の計画であるが参考までに
上図は計画の一例だが、どんな形態であっても教育を請け負うからには教育計画を立て、それを示し、顧客の了解を得ることが必要だ。
都度立案することはないかもしれない。であっても顧客はそれが最初の分けで具体的に説明を求める権利がある。
ケネディ大統領は消費者は4つの権利を持つと語った。
@安全への権利
A情報を与えられる権利
B選択をする権利
C意見を述べる権利
注:英語の「consumer」は「someone who buys and uses products and services」の意味であり「商品やサービスを購入し使用する人」と明確である。
しかし日本では法律では消費者を「個人」と定義しているが、購入するものを規定していない。
なお辞典では大辞泉では「商品やサービスを消費する人」とサービスを含むが、広辞苑では「物資を消費する人。⇔生産者」であり、概念が時代遅れのようだ。
まさか日本ではサービスについては消費者は権利を持たないなんてことはないと思うが?
私の体験。コーチはしょっちゅう営業をかけてくる。
プールサイドでたむろっているとコーチが「平泳ぎ習いませんか?」と聞いてくる。
「何回レッスンを受けたら泳げるようになりますか?」ときくと、「そんなこと分からないじゃない」とのこと。
いつ着くかわからない列車に乗る人はいないだろう。月4回のレッスンで半年みてくださいとか概略でも示してもらわないと諾否を判断しようがない。
そういうことは多々あった・
本日の要求
少し前に4年使ったスマホを新しいものに変えた。ついでにキャリア(電話会社)も変えた。
携帯電話時代から新規契約とかキャリアの変更は何度もしたが、今回驚いたのは契約書の要点を大きく書いたパンフレットを二つ、お店の担当者と私の前において、各項目について説明を受けた。説明義務について法規制が変わったのかもしれない。
店の担当者が資料に基づき、料金プランのページを説明をしおわったら、私が料金プランの説明を受けたと□にチェックしてサインする。使用データオーバーの際の説明を受けたら私が…以下同文、次にサービスエリアやベストエフォートについて説明を受けたら…以下各項目の□にチェックしてサインする。
それをエビデンスとして保管してはボリュームが大変ですねというと、それは生データで、管理者が生データを確認したら一枚のシートにまとめて顧客に説明して確認サインをいただいたという記録を作り、それを保管するのだという。まさにISO的だなと感心した。
だいぶ前にマンションを購入したとき、マンション販売会社の担当者が宅地建物取引士の身分証を示したのち、契約書の各項目を説明し、最後にサインしたのを思い出す。あのときサインは1回だった。スマホの契約では<言った・言わない>というトラブルが多いのか、それともそれを予防するためなのか、とにかく悪いことではない。
ただ私と家内の分2台を契約したので、全く同じことを2回も繰り返し2時間以上かかって参った。
たかだか月4000円程度のスマホ契約でも上記のようにしっかりと契約の確認を行うのだから、スイミングスクールの契約だって、要求事項、到達レベル、計画、完了の判断などについてしっかりと話し合いお互い同意して契約するくらいは要求したい。
まだ2回めです。息切れしないでお付き合い願います
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |
注1 |
日本赤十字社では泳げるとは下記を満たすこととしているそうだ。 大人100m/子供50m以上、二つの泳法で、呼吸を途切れなく、泳法を変えずに泳げること。 日本赤十字社の基準で泳げるといえる人は、半分はいないだろう。私は泳ぎを習って7年目でなんとか条件を満たした。 | 注2 |
平泳ぎのルールは下記の通り 遊びで習う平泳ぎなら(1)(2)(4)は必須としても(3)(5)(7)はできるならのレベルで(6)(8)はどうでもよいことではないのだろうか?
|
注3 |
・海幸山幸……上つ巻 日子穂々出見命 海左知と山左知 ・大黒様………上つ巻 大国主命 兎とワニ | |
注4 |
保険や旅行の約款は契約当事者の一方があらかじめ約款を作成しておき、他方は契約内容修正の自由を持たない契約をいう。符合契約または付従契約ともいう。 電気、ガスなどの公共料金や、公共交通機関、保険、旅行など多数の顧客と契約するものにおいて適用される。契約条項は国家により規制され監督官庁によって認可される。 |