マンガ「ドラゴン桜」の中で桜木が、進学校で成績が伸びるのは、教え方とか先生が良いからではなく、周りの影響だと語っていた。もう20年も前のマンガだから記憶違いならごめんなさい。
その意味は、人間なんて皆似たようなものでそんなに違いはない。だが周りがみな高い目標をもって努力していると、自分もそれをまねて努力するようになるという趣旨だったと思う。
それと似たようなことは多々ある。運動会の徒競走で速い人と一緒に走ると、自分ひとりとか遅い人と走る時より速く走れる。速い人につられて走るかららしい。速い人が遅い人に引っ張られて遅くなることはないようだ。
いや高尚な理論ではない。露骨に言えば、朱に交われば赤くなるだ。同僚に酒飲みが多ければ自分も呑兵衛になるし、マージャンする人が多ければ自分も付き合わざるを得ない。
高校を出て最初で最後の同級会をしたのは20歳のときだった。2年も社会人していると相当違いが出てくる。都会の大手メーカーに入ったやつらは、定時後は勉学に明け暮れて夜間大学に行ったのも多かった。仕事でも既に特許を出願したというのもいた。一方私は先輩や上司に誘われて週に何日もマージャンをしていて、自慢にならない暮らしをしていた。中規模ゼネコンに入った奴は、毎日仕事終わりに職場にある一升瓶からコップ一杯引っかけてから退社しているという。もうその時点で10年後20年後が見えてしまう。
注:田舎に就職した者たちが勉強嫌いだったわけではない。当時福島県で夜間大学は福島市にあった短大だけだった。モータリゼーションの前だから、郡山市から福島市まで電化されたばかりの列車で1時間、とても通えるわけはない。
通信教育も今とは違い、スクーリングが連続で2週間とかとんでもなく、働きながら学べるものではなかった。
夜間大学に入った一人は、その後東大の大学院に行きドクターになり、最終的には某大学の教授になったと聞く。彼は何冊か著しCINIIにもいくつか論文が載っている。
なお、ゼネコンに入って退社時に酒を飲んでいた奴も、40代で技術士になりCINIIにも業界誌に載った論文が収録されている。となると、酒を飲んでもひたすら勉強しても変わりはないのかもしれない?
ともかく何事かに精進しようとするなら、同じ目標を持つ者……それは同志でもライバルでもよいし、先輩でも後輩でもよいが……そういう人がいると励みになるし、実際に成長する。星飛雄馬と花形満みたいなものだ。
マンガと言えば常に勝敗あるスポーツとか成否のあるチャレンジがテーマになるが、そのすべてにライバルとかチャレンジする目標は異なるが競い合う人が登場する。
そこまではよいとして、物語で主人公は勝たねばお話は終わってしまうから、勝ち続けなければならない。当然次の対戦相手は以前より強くなければお話にならない。だからどんどんチャレンジする目標が大きくなり敵対者が大きくなると笑うしかない。
「ドラゴンボール」も「はじめの一歩」もその他あまたのマンガは、みなそのアリジゴクに墜ちてしまう。
「ヒカルの碁」なんてもうワケワカラン。藤井聡太君が存在する今なら、碁と将棋の違いはあれど、もっと地に足が付いたストーリーが描けただろう。
「岳みんなの山」の三歩は、チャレンジする目標をなくして遭難するほかなかったのだろう。
もっとも目標次第では同好の組み合わせは最悪となる。1980年代末、私は公民館の囲碁クラブふたつ、碁会所ひとつを毎晩巡っていた。 田舎町だからどこに行っても見慣れた顔と会う。そして公民館とか碁会所が営業終了すると、お互いの家に行って碁を打った。奥さんはとうにオネンネ。お互い相手より先に2段になる、3段になる、4段にと競ったが、あれはいけない。
悪事でなければ何事に熱中してもよいが、周りに迷惑をかけるとか仕事をおろそかにしてはいけない。しかしあれは何が悪かったのか。フィールドが高尚でなかったからか? 我々がアホすぎたのか?
ともかく同じ目標を持つ人がいると競争心も沸くし、お互いに助け合うこともできる。
だから教えるときはなるべく似たような人を競わせることが成果を出しやすい。
ただ指導者が一方に肩入れ・贔屓すると、他方から反発を受けるし、下手に煽ると、進歩が遅いほうがギブアップしてしまう恐れもある。そこは指導者が気をきかせて調整をしなければならない。
もうひとつ大事なことだが、目標が試験合格とか昇進などの場合、指導者が裁定者であることはまずい。昇進させたいほうに力を入れて指導するようではまともではない。
教える立場ならともかく、学ぶ立場では同志を得ることは難しいと言われるかもしれない。そんなことはない。学ぶ立場だって仲間を得ることはできる。
外部の講習会などにいくと、全く無関係な人と一緒に受講して受験することになる。
私の場合はISO審査員講習とか作業環境測定士の講習会などだろう。初対面で1週間限定で机を並べて受講し受験しサヨウナラの関係である。
もちろんお互い大人だから挨拶はするし、疑問点とか合格してからの身の振り方とかは普通に話しした。立ち入ったことは話さないが、その人がいかほど勉強したか、目標とかはお互い話をしたから大いに参考になった。
試験はあったが何名合格ではなく何点以上合格だから、競争関係にはないこともあっただろう。
ともかくマイナーな分野では同じ目標を持つ人に会うことが少ないから、その場だけの交際でも情報交換は非常にためになった。
私が大学院に行こうと思ったとき、ネットや本で私の研究しようと考えていた分野の論文を探して、類似テーマを書いた人にメールを出して、研究テーマを相談した。そのときは4名の方にメールを出したが、返事が来たのは2名でしかも1名はお断りメールだった。まあそれは仕方ない。1名でも相談できたことは大きい。
今はインターネットがあるし、googleなどで検索すれば自分が探している分野のものが見つかる。昔はこんな研究論文がないかと思っても、探す手段がない。せいぜい図書館で検索するくらいしか手がなかった。
私は試験を受けるときは必ず同志を募った。
2級アマチュア無線を受験するときはハムをしている人を聞き歩き、電話級(今は4級アマチュア無線)しか持ってなくて上位の資格を取ろうとしている人を探して、一緒に受験しましょうと誘った。
二人いれば分からないことは教えあえる。それに2級になるとモールスの受信送信がある。モールスはただテープを聞くとか、自分で打つだけ練習してもしようもない。二人いれば、お互いに有線で送信・受信をして練習をすることができる。
公害防止管理者試験を受けたのは1990年代初め公害防止基本法から環境基本法に変わる頃だ。試験は各地方と沖縄だけだから9か所しかない。だから全国の試験会場にはとんでもない受験者が集まる。宿泊する人も多い。
受験前・受験後に会場の建物周囲で、受験者同士が話し合ったり情報交換したりというのがものすごい数いた。
私は初めて試験を受けたとき、試験中にこりゃダメだと認識していたので、終了後にすぐに帰らず、自分と同じ資格を受験した人を探して、どんな勉強をしているのかとか正誤の検討とか話し合った。そんなことをしていると、どんどんと周りに人が集まってきて、討論会のようになった。まさに一期一会であったが、あれは大変ためになった。
それだけでなくそういう試験を受けに来る人は、その資格をもとに転職しようと考えている人も多く、どの資格が転職に有利かとか資格の需要なども話し合われていた。
少しの手がかりでも利用して成り上がろうという熱気はすごかった。いろいろな資格試験を受けたけど、ああいった雰囲気は他の試験では見かけたことはない。
英会話教室とかスイミングスクールなどでは、コーチに言われて自分がするだけでなく、他人がしているのを見るのが非常に参考になる。ほかの受講者ができて自分にできないこと、自分にできて他の人ができないことなどを見ることに価値がある。人の振り見て我が振り直せである。
だからそういった習い事はマンツーマンが良いとも限らない。もちろん人数が多すぎれば自分が練習する割合が減るから、習い事にもよるが3人から4人程度が最善だろうか。ともかく比較対象がいる効果は大きい。
もっとも年配者は、人数が少ないと自分の番があまりにも早く回ってきて疲れるから、数人いないと困るという人もいる。
習い事とか講習会になると、試験とか合否があるものは少ないし、またあっても合格しないと困るということもない。そもそも目的が講習によってスキルや知識を得ることが目的ではあるが、同時に知己を得ることも目的だ。
私は古事記の勉強会に行って知り合った人から邪馬台国の会を教えてもらったり、最初は講演後に喫茶店で話を伺ったりしていたが、その後飲み友達になったり、元々の講演会に参加したおかげと思うことは結構ある。
本日の教訓
教えるとき・学ぶとき、仲間がいることは習得にも進捗にも有効だ。そして友人を作るという付加的な価値も大きい。新しい知人ができることにより、生き方、夢、夢に向かっての努力などを知ることは自分の生き方に大きな影響がある。
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