第1回、第2回とも、お読みになった方は私が省エネは意味がないと考えていると思われたかもしれない。私は省エネ活動を否定・批判する気はない。だけど格好だけとか、気分だけという省エネ活動に辟易しているのも事実だ。
今回は、これは変だろうとか意味がないだろうと思うことを書く。
もう20年も前のこと、今都知事をしている小池百合子が環境大臣だった。
彼女が「丸の内仲通り打ち水大作戦」なんて行事を始めたんだよね。私の職場のキレイどころも、何人か浴衣を着て打ち水に参加した。
わが夫婦は浴衣を着たことはない |
それから私も知らなかったこと。
初め私はまいた水が蒸発するとき気化熱を奪うから気温が下がると考えて、巻いた水の量が蒸発するとき必要とする気化熱と空気の比熱から、周囲の気温が何度下がるか計算したこともある。
環境省のウェブサイトを見るとどうもそうではなく、湿度や気流によって体感温度を下げるという解説である
環境省の計算によると、地面の表面温度が60℃で風速0.5m/sのとき、1.5℃涼しく感じるとある。それは巻いた水がすべて蒸発して気化熱を奪うとするよりはるかに小さい。そして涼しくなるのではなく涼しく感じるというところがミソだ。
しかも地面の表面温度が60℃とは、舗装面でなければありえない。となると江戸時代の打ち水は、実際に気温を下げるより見た目が99%だったのか?
気温33℃のとき、ほんのいっとき1.5℃ 下がっても 涼しく感じても、あまり意味がないと思うのは私だけでしょうか? そんな行事に冷房のきいたオフィスから、炎天下の行幸通りに駆り出されてかわいそう。
まあ打ち水大作戦はパフォーマンスとしても、家庭での省エネとしてどんなものが提言されているのか、ググってみた。
省エネというと、実際問題として電気を減らすことと同義のようだ。石油を減らすとか、薪を大切に使うなんてのは見たことがない。
至適温度というのは一概に28℃なら良いとか20℃なら良いというわけではない。
オフィスを見回せば暑い暑いという人の脇で、ひざ掛けして肩にカーデガンを羽織っている人がいるという実態がある。
どこのオフィスでも見かける風景である |
そもそも冷房設定温度が28℃では熱中症の危険があると書いている人が多い。実際にエアコンをかけていても熱中症になり運ばれた老人のニュースをときどき聞く。
また外の気温の高低で条件が全く違う。外気が34℃のときと、30℃のときでは、室温が同じ28℃でも感じる涼しさが違う。さらに言えば外の気温が28℃と28℃に冷房したときの感じは全く異なる。もちろん単純な気温の違いではなく、窓や周囲からの輻射とか、自然の風とファンで作られた風の違いなど要因は多々あるのだろう。
ところで多くの機関とかが28℃に設定しろというのはなぜだろう?
それは「事務所衛生基準規則第5条第3項」を根拠としているそうだ。
だが事務所規則をよく読めば、「エアコンの設定温度を28℃にせよ」ではなく、「室温が28℃以下になるように努めなればならない」である。
そこを故意に「設定を28℃にしろ」と読んだ人がいたに違いなく、それが独り歩きというよりも大いに宣伝に努めたエアコン警察がいたに違いない。
誰だろう?
現実の部屋では、窓から入る光や熱、OA機器からの輻射熱やファンの熱風、空調機の送風、人の出入りの多寡など条件が多様であり、結局エアコンの設定はその場の運用にゆだねるしかない。28℃を金科玉条とするのは全くの間違いである。
そこにいる人が働きやすいように、快適と感じる環境を優先すべきだ。それはおかしくない。職場によってはそこにある機械や生き物のための環境に合わせるのは当たり前であって、人に合わせるのは当たり前のことだ。
軍服は大きすぎると小さすぎるのふたつのサイズしかないとか、体に服を合わせるのではなく服に体を合わせろなんて冗談を聞いたことがあるが、室温28℃に人が合わせろとはハラスメントそのものだ。
注:ハラスメントとは日本では権利侵害とか差別などの言動・行動の意味で使われているが、原語harassmentの意味はそのものズバリ「嫌がらせ」である。
実際に種々のアンケートなどを見ると、設定温度は26〜27℃が多い。28℃というのは結果であり、設定温度ではないと認識されているのだろう。少し安心した。
家庭での冷房設定気温も同様である。極論すれば28℃どうこうでなく、いる人が快適に感じるか、業務に適した温度であるかが最優先だろう。
エアコンの設定が28℃未満では許さん、建屋とか輻射の対策や風の流れなどを改善しろというかもしれない。それは無理な話だ。建物を直せと言われても、与えられた環境条件で仕事をするしかない者にとってはどうしようもない。それを言うなら建築基準法とか労働安全衛生法などを改正すべきだ。
また一般家庭に断熱向上を図れというなら、既存建物についても税法とか支援策などを講じなければ現実には対応できない。
見ている人がいないのにテレビをつけておくのは論外だろうが、テレビを見る時間を短くしろとはおかしいどころか、憲法違反である。
1時間テレビを見たら目のために少し休憩しましょうならまだしも、見る時間を短く使用はおかしい。
注:「新・VDT作業ガイドライン(2002.04.05)」というのがある。そこでは「「単純入力型」及び「拘束型」に該当する作業に従事する者については、一連続作業時間が1時間を超えないこと」としているが、漫然とと言っては悪いか……テレビは目を凝らして凝視するようなものではないから、このガイドラインは該当しないだろう。
引用したコンテンツは2021.05.31アップとある。2021年時点で白熱電球を使っている家庭がいかほどあったのか、まずないんじゃないか?
洞爺湖サミットがあった2008年に、経済産業省はメーカーに対して、白熱電球の生産・販売を自主的にやめるよう要請した。それが事実上の禁止だと受け取られたので、経産省は慌てて「禁止じゃあありません。省エネ推進のためにトップランナー制度で省エネ基準を達成するように促すだけです」と広報した。
だが現実には作るほうも使うほうももう白熱電球も蛍光灯もダメだと認識して対応している。
洞爺湖サミットから13年も過ぎた今、2008年以前からある白熱電球がまだ寿命があり使われているとは思えない。白熱電球をLED電球に交換する前に、白熱電球を探すのが大仕事になりそうだ。
元々が悪い条件を示して、これを使えば大きな改善ってのは詐欺の常套手段だけど、それと同じか。
当時はLED電球はまだ出始めだったから、白熱電球を蛍光灯電球にしたはずだ。蛍光灯電球をLED電球にしろとおっしゃるか?
次のようなデータがある。
種類 | 54W 白熱電球 | 12W 蛍光灯電球 | 8W LED電球 |
使用電力量 | 108kWh 2916円 | 24kWh 648円 白熱電球より2268円ダウン | 18kWh 486円 蛍光灯電球より162円ダウン |
価格 | 100〜200円 | 500〜900円 | 350〜450円 |
寿命 | 1000時間 | 6000〜10000時間 | 40000時間 |
お姿 |
注:LEDへの切り替えで電気代は安くなる?白熱電球・蛍光灯との比較も!より引用
蛍光灯電球をLED電球に変えることによる電気代低減は、年間わずか162円だ。蛍光灯電球の寿命が来たときLED電球にすれば良い。というかもう蛍光灯電球も店頭では見かけなくなった。
我が家の洗面所の照明が凝ったもので、LED電球が取りつかない。そのため蛍光灯電球を使わざるを得ないのだが、アマゾンとかで古い在庫を探さねばならない。そのうちソケット周りを改造する必要がありそうだ。
更に疑問がある。
蛍光灯電球でもLED電球も既に先端技術ではなく、現在流通しているものの多くは名の通った会社でなく中国の無名というか怪しげなところが多い。そんなところでは品質管理などしていないようで、LWD電球に交換してすぐ切れたなんてことはよく聞くし、私もたびたび経験している。
まずLED電球の寿命が40000時間というのは電球としての寿命でなく、LED素子の寿命ではないのだろうか? 特に人感センサー付きのLEDランプは故障が多い。真面目な話、フィラメント電球と変わらない。問題なのはセンサー回路だろうと思う。
だから資源エネルギー庁のウェブサイトも無条件に信用できない。
そんな見た目だけとか机上の省エネってのはたくさんある。
間違った省エネとかそもそも消費エネルギーの実態を知らない人も多く、そういった調査報告もたくさんある
もちろんまっとうなウェブサイトもたくさんある。
資源エネルギー庁というお役所のウェブサイトはまっとうなことを書いている。
・無理のない省エネ節約
暖冷房はエアコンの設定温度を28℃と20℃ではなく、室温を28℃と20℃を目安にとある。前述したように事務所規則通りで当たり前といえば当たり前だが、そのように正しく書いているウェブサイトは希少である。
それから補助金の問題をあげたい。
環境に限らないが政府が国民を動かそうとするには、いくつかの方法がある
一つは法的規制だ。例えばオゾン層破壊を止めるために、使ってはいけない冷媒を定め、罰則を設けるなどだ。犯罪者になりたくなければ規制に従うしかない。
経済的な方法もある。
ひとつは一定以上使用したり基準を満たさない場合には、課徴金を科すというものがある。人間は余計な金を払いたくないから、必然的に基準を守るようになる。
補助金というものもある。太陽光発電システムを導入した家庭には援助しますとか、省エネカーなら免税するとかである。
自主的取り組みといって、業界とか製品ごとに目標を示し、業界団体などに詳細をゆだねるというものだ。目的については共通認識を得られていることであり、ゆくゆく法規制あるいは商品を評価する性能指標となるとみなされているから、必然的に競争力向上に取り組む必要がある。
ここで問題になるものは補助金である。
そもそも補助金とは将来のあるべき姿と想定しているが、今は競争力がないから損益分岐点に至るまで補助金でアシストするとき使う手法である。どう考えても将来の主流になれるはずがないものに補助金を出すなんて施策はそもそもが破綻している。
一般家庭の太陽光発電は補助金がなければ付ける人はいないだろう。もちろん東日本大震災後の停電の経験から万一に備えるとか、離島や一軒家での自家発電は必需品であるが、それは例外的だ。
太陽光パネルへの補助金は太陽光発電をしていない人が払っているのだ。俺は払っていないと思う方がいたら、それは勘違いです。
ご自宅の毎月の電気料金の内訳を見てますか?
「電気ご使用量のお知らせ」なんて紙片を見ると、まず請求予定金額があり、その下に内訳として、基本料金、昼間料金、朝晩料金……下のほうに「再エネ発電賦課金」という項目があります。再エネ発電賦課金は電気料金全体の1割くらいになる。
マンションの我が家はオール電化なので、月々の電気料金は14,500円前後、再エネ発電賦課金が1,450円くらい。
「再エネ発電賦課金」正確には「再生可能エネルギー発電促進賦課金」といいます。それは電力会社は一般家庭や太陽光発電業者から電気を買い取らなければならないという法律があり、自社で発電した電気より高い電気を買わざるを得ないために電力会社に払うお金です。そのお金は太陽光パネルをつけた家庭や太陽光発電業者に流れ、結局私のように発電せずに電気を使用している者が負担しているのです。
おかしいと思いませんか?
おかしいと思わない? ああ、お宅は屋根に太陽光パネルがあるのですか……
太陽光パネルをつけると電気が安く作れて、電力会社は自社で水力発電所や火力発電所を作るより安いから買うのではない。高い電気でも電力会社は買わなければならないのです。
真に効用があるものでなければ、どこかで人為的な操作をしないとその状態を維持できるはずがありません。アダム・スミスの見えざる手は絶対なのです。
太陽光パネルで作った電気を売ってお金が入るのではなく、電気を使っている人たちから強制的にお金を集めて、太陽光パネルをつけた人に援助しているのです。太陽光パネルを載せている人は良心が咎めませんか?
太陽光パネルをつけていない家庭は、補助金を止めてもらうことが省エネになるのではないでしょうか?
前回も述べましたが家庭の使用電力の5%削減など無理も無理! でも「再エネ発電賦課金」がなくなってくれれば、手間も暇もかけずに明日から電気代が1割下がります。
至上命題として、省エネとか環境保護がある。では太陽光パネルをつけた家々はどのような貢献をしているのか?
私にはわからない。
言えることは、今現在は太陽光パネルをつけた家庭は、つけてない人からお金を恵んでいただいているという事実だ。
エコカー減税も変だと思わないか?
自動車による環境影響には、運用時の消費エネルギーそれにはガソリンや電気もあるし、製造にかかわる資源やエネルギーもある。
燃費の良い車やハイブリッド車あるいは電気自動車購入を支援するという減税であるが、果たしてそれが良いのか?
燃費が良い車の販売・購買を支援した結果、販売台数が増えて環境負荷の総量が増えたらまずいんじゃないか?
それなら環境負荷が多い車を使い続けたほうが良いのかもしれない。自動車産業は規模が大きく、売れ行きが悪くなれば日本どころか世界経済が困るのは事実。
だが経済伸長のためなら環境に良いからと言ってほしくない。
ともかく世の中しがらみが混みいっている。
もう一つつまらない例を挙げる。
2021年の秋のこと、家内は便座カバーを廃止するという。もちろん陶器の便座は冷たいから夏以外は便座保温をONするという。それを聞いて、電気が食うなあと思った。
だが家内はいろいろと計算していた。
まずは最重要なのは衛生問題だ。マットは座り心地つまり冷たさを感じさせないのが目的だが、当然バイ菌の温床になるし、そこまでいかずとも汚れる。だから二日おきくらいに洗濯しなければならない。もしいやなら使い捨て便座シートとなるが、安いもので1枚20円から高いものは100円程度になる。
夫婦二人でも一日の使用回数は大小合わせて16回として1日320〜1600円。そりゃべらぼうだ。電気代より高くつく。
注:統計データによると、男女とも大は1日1回、小は7〜8回だそうです。
総合的に考えると家内が言うように便座マットを廃止して、保温をONというのが最適解のように思える。
いまどき便座保温も省エネが進んでいる。便座カバーをして保温をしないほうが安くかつ省エネになるように思えるが、見た目と実態は違う
私は家庭でなすべきことは、単純に消費電力を減らすことではないと考えている。単に電力を減らす省エネでなく、快適な暮らしをするためにどう電気を使うかということだと思う。
昔VAなんて流行したことがある。Vとはvalue(価値)であり、Aとはanalysis(分析)である。VAでは価値とは次のような式で考える。
省エネも同じように考えることができるだろう。快適さを仮に数値で表したとき快適さと消費エネルギーを天秤にかけて考えることになる。
注:快適エネルギー指数なんてものはない。今仮に作っただけだ。
この論理は間違いだというなら、世の中から自動車をすべて廃止しなければならない。私が子供のとき……といってもそんな昔じゃない、たった60年前だ……当時、一般庶民は自家用車なんて持っていない。洗濯機もない、冷蔵庫もない、掃除機もない。
もし私の理屈には同意しないが、洗濯機も冷蔵庫も掃除機も自家用車も必要だというなら、あなたの論理は破綻している。
人間の欲はきりも限りもない。昨日の夢は今日の現実になり、昨日のウォンツは今日のニーズだ。だが、それを非難はできない。欲望、願望、希望を持ったからこそ今文明が存在するのだ。
言い換えれば、快適さを放棄するなら、省エネはアッという間に達成できる。CO2も激減する。それがハッピーだろうか?
そもそも持続可能性の定義は「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす経済」である。
ニーズ忘れてなんの己が持続可能かと新しい川柳(都々逸かも)が生まれそうだ。
注:持続可能性の定義の末尾の「経済」は、訳者によって「発展」とか「開発」とかいろいろあるが、言語はdevelopmentである。個人的には「経済」と略された元の熟語「経国済民(国を治めた身を幸せにする)」あるいは「経世済民(世を治め民を幸せにする)」の意味から「経済」が最適かと思う。
総括する。
省エネは目的ではない。目的は人間が安心・安全な快適な暮らしをすることだ。
もちろん今日をそういう暮しができるだけでなく、明日も子孫の代もそういう暮らしができることだ。環境保護なんて子孫のことを思うから出てきた発想だろう。
その目的を達するためには、電気使用を減らすことはそれを実現する手段の一つだ。だがそれは最終目的ではないから、上位目的を達するためには他の事項との兼ね合いを図らねばならない。
便座の保温の実施の可否を考えるにも、洗濯機の電気使用や水道水の使用、衛生上の問題を考慮し、他の選択肢と比較をしなければならない。
環境の負荷を下げようというのは同意する。そのために省エネしようというのにも反対はしない。
しかし単純に電気を減らすとはならないでしょう。電気を減らしても使用する水が増えたり手間がかかったり、生活水準が下がっても困る。
あるいは一つの工程で節電をしても、別の工程で電気が増えては困る。そこは総合的に考えることが必要だ。
ガソリン車が環境に悪いから電気自動車にしようといって、発電所で作る電気が足りなくて、ガソリンエンジンで発電して車のバッテリーに充電している欧州のようなアホなことになってはいったい何が何だか……
もちろん私の考えを否定しても反論しても結構です。大いに議論しましょう。
でもまなじりをつり上げて正論を説く人にはついていけません。私はおちゃらけ人間で、同じことでも楽しく笑ってしたいですね。
真剣になることは大事ですが、深刻は嫌いです。
まして語っていることが偏っていて、自分の行動が語っていることと違うと痛いよね。飛行機は環境に悪いと言いながら、ヨットで大西洋を横断するなんてなんという贅沢!
注:痛いとは不相応な恰好や言動をしていることをいう。アニメの絵を描いたTシャツを着るとか、車に萌え絵を描いたり、臭いせりふを吐くことをいう。
本日のまとめ
家庭での省エネと言いながら明後日のほうに行って結論はないじゃないか💢
お待ちください。家庭でも会社でも問題というのは、そういうものが多いものでございますよ。
何か具合が悪いことがあり解決しようにも良いアイデアが浮かばない。そんなときはそもそもの目的に立ち返り視野を広くして考えれば、アイデアが浮かぶこともあるのです。
省エネをしなければならないと考えるのではなく、総合的判断といいますか、上位目的を果たすためにはただ単にエネルギーを減らすのでなく、総合的に環境への総負荷を下げることができたなら良いじゃないですか。
注1 |
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